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ss1
Francois-Ⅰ

夜の闇の中に女のしどけない裸体が浮かび上がる。
熟した男女の匂いが辺りに満ち、空気が熱を帯びる。
しっとりと汗ばんだ女の体からは緩やかに力が抜け、欲情を吐き出した男は緩慢な動作で体を起こす。

ノワジー・ル・セックのはずれの小さな館。
屋敷の主人は知らぬ秘められた寝室での営みは互いに充分の快楽を得、終りを迎える。

「ずいぶん若い娘に手を出してるのね」
長い黒髪を素肌にさらし、視線を外した女がからかう様に問う。
男は先ほど脱ぎ捨てたシャツを羽織り、パリの土産のワインに手を伸ばす。

「よく調べてるな」
「それが私のお役目ですから」
「何も知らぬ只の田舎娘だ。心配することはない」
「例え国家機密を探るスパイだとしても...」
意味ありげに微笑む。
「男は剣で。女には体で、だったかしら?」
「ご名答」
闇色に染められたグラスを渡すと"merci"と妖艶な微笑みを浮かべ女は続ける。

「16歳の伯爵令嬢だったかしら。フランソワ、貴方は今お幾つ?」
「32だ」
「32の国家機密を握る男が世間知らずの16歳の田舎娘と、おもしろいわね」
「そういう君はアンリ4世陛下と幾つの差だったかな?」
「王と貴方とは違うわ」
黒い華を思わせる美貌の持ち主は先王の愛人達の中でも、際立って美しくまた聡明である。
争いの元凶の女達の中で双子の王子の存在を知っているのはこの女だけだ。

今は先王の意思を継ぎ、パリの王宮の様子を月に1度報告に来る。

「ルーブルの状況は?」
「変わりないわよ。陛下とアンヌ王妃は相変わらず不仲で世継ぎの誕生など望むべくも無いわ」
「王のスペイン嫌いは相変わらず、か」

グラスを飲み干すと男からふっと笑いが出る。
私のフィリップに瓜二つのルイ13世は愚かだ。
王に必要なのは愛を通わす結婚ではない。

「フィリップ様に丁度よいかと思ってね」
「何の話?」
「デルブレー家のご令嬢さ。フィリップ"陛下"にね」
「...伯爵令嬢風情で王妃に、と?」
「いやいや、寵妃としてだ。それに必要な賢明さと王を虜にする肉体を彼女は持っている。
王妃にはオーストリア女でもスペイン女でも釣り合う身分の娘を適当に見繕えばよい」
「...そしてその寵妃の体をあなたが今仕込んでいる、という訳?」
「先王の愛人だった君にならわかるだろう?寵妃の体が王にどれほどの影響を与えるのか」

男は若い恋人、ルネを思い出す。豊かな金の髪と何の穢れも知らぬ青い瞳、そして体。
秘密を嗅ぎ付け近寄る女達は手練手管を知り尽くした女ばかりだ。
あらゆる技巧を尽くし彼の体を犯し、秘密を探ろうとする。
そんな獣達からの仕掛けをかわし、また時には誘惑に乗りその体を貪る。
それは一種の遊戯であり退屈な田舎暮らしに程よい刺激を与えてくれる。

しかしそのような駆け引きに飽きていたことも確かだった。



彼女は何も知らない。私のことしか知らない。
小さな蕾が少しずつ開いていくように、彼女の体は私に少しずつ応えるようになってきている。
震えるようにすがり付いてくる彼女の瞳はいとおしい。
優しく声を掛けると頬をばら色に染めていじらしくそれに応える姿。

やがてルネの体に私の全てを教え、その肉体を持って彼女がフィリップの寵愛を受けるようになる。
そのことを想像すると、私は何物にも得難い恍惚感に満たされる。



「美しい娘だ。このような田舎には似合わないほどにね」
「その娘、貴方を愛しているのでしょう?愛人としてあてがうつもりとは、酷い男ね」
「そのうち愛とは別と割り切れるようになる。ルイに代わってフィリップ様が王となられる頃にはね」
「ふふっ」
「そして私は王の摂政として、中央に出る。彼女を妻として」
「その妻は王の愛人ということ?」
「そういうことだ」
「怖い人」
「王に悪い雌が付いては困るからね」

そろそろ帰るわ、と女はガウンを羽織り客室へ戻ろうとする。
そう言えば...と艶のある声が部屋に響く。

「一つ教えておくわ。貴方と伯爵令嬢の話、誰から聞いたと思う?」
「...領民の誰かが見たのだろう?森に忍んでいく男女なぞ珍しくもあるまい」
「彼女の後見人の男爵の使用人からよ。貴方を屋敷に呼びたいとお嬢様が言っているらしいわ」
「何・・・?」
思わず口が歪む。
私たちのことは二人の秘密にと言っていたはずだ。
いずれ迎えに行く。それまでは、と。
女の口が軽いことは重々承知だ。だからこそ...

「16歳の恋する娘の口に戸は立てられないわよ。
貴方が今まであしらってきた女達と同じやり方では駄目よ」
「・・・男爵を会い、話をつける必要がありそうだな」
「足元すくわれないよう気をつけてね」
不吉な予言のような言葉を残し女はパリに帰っていった。

王となる人格を育て、いずれ国を動かす。それは私の唯一の希望であり、光だ。
そのためフィリップに王として必要な事全てを徹底的に教えこむ。
人柄も申し分無く、素直で柔軟で温和で、強い意志を持ち、既に王に相応しい気品も身に付いている。
そのように私が育ててきたのだ。私が。

こんな所でその計画を邪魔されるわけにはいかない・・・・・


Francois-Ⅱ

「フランソワッ」
陽に輝く金髪を振り乱し、美しい少女が駆けてくる。
まだ幼さの残る表情と、反して女として成長しつつある体。
そのアンバランスさに男の欲情の火が灯る。

「叔父様に貴方に会うなと言われたの!だけど私っ」
「ああ、ルネ落ち着いて」
「私...」
大きな瞳を潤ませて少女は男を見つめる。何の陰りも無い瞳で。
男は優しく口付けを落とし、森の奥へ誘う。

しばらく触れることができないと思うと惜しい気がし、男は常より時間をかけて少女を愛する。
ゆっくりと、確かめるように。自分の香りが、癖がこの体に残るように。
若く瑞々しい裸体が緑深い日差しを受けて輝く。

最初はぎこちなかった少女からの愛撫も、今では男に充分の快楽を与えていた。
一生懸命なその姿はいじらしく、また淫らで白い雪原を汚したような背徳感と征服感に男の快楽は頂点を迎えた。

「愛してるよルネ」
「...私も...フランソワ」
所々にその所有の跡の残る白く美しい肌をさらした少女を、男は優しく抱きしめる。
震える体を愛する人の胸に摺り寄せ、深い息をする金絹の髪を撫でながら彼はゆっくりと話し始める。

少女の後見人である伯父と話した事、自分とその主人が違う土地に移る必要がある事、
けれど遠からず必ず君のことを迎えに来る、と。

「私、あなたのご主人のこと嫌いだわ」
男が話し終わると、蒼の瞳に明らかな不快の色を示して少女は言う。
先ほど縋りついてきた時と同じ瞳とは思えない位、強い意志を宿らせた瞳だった。

「どうして?」
「貴方の自由を奪ってる」
「ルネ、私の自由は私の意志では決められないのだよ」
「そんなの・・・」
「私は本当は誰かを愛してはいけない立場の人間なのだから」
「そんなのおかしい!貴方の人生は貴方のものよ!」
「違うんだよ、ルネ。私の人生はあの方のものなのだよ」

自分を絶対的に必要としている"あの方"をこの国の王に据え、それと共に自分が在ること。
それ以外は意味を持たず、少女を愛している事も何もかも、全てその目的に繋がるものでなければならない。

「それにあの方に仕えていたから私はこの地に在ることができて、君を出遭えたのだよ」
「違うわ、例え貴方がこの地に居なかったとしても、私は貴方を見つけたわ。
それが世界の果てだとしても、私は貴方を探し出すわ!」

なだめるように男が言うと、その強い意志を持った瞳はすかさず言い返してくる。
そんな運命論、と鼻白む思いがしたが、恋する娘はこの手の話が好きだ。そのことには触れず、男は続ける。

「私達のこと、誰にも話してはいけないと言ったよね?もし話せば会う事ができなくなるとも...」
本当は問い詰めたい気持ちであったが、そんなことはおくびにも出さず穏やかに問う。
歳若い恋人は男への激しい愛情を止められず、語調を強くする。

「確かに、昨日伯父様にしばらく貴方に会ってはいけないと言われたわ...」
「ほら、僕の言った通りに...」
「けれど!伯父様の言葉なんて関係ないわ!私は馬も駆れるし、どこまでも行けるわ。
私が貴方に会いたいと思えば、私は貴方に会いに行くわ!」
自分の言葉を遮る少女のその強い意志と気迫に男はいらつきを覚える。
しかし、言い出したら聞かない娘だということは判っているので、話を改める。

「どうして僕達のことを話したの?」
「・・・隠す意味がわからなくなったから。隠す必要がどこにあるの?」
「・・・」
「ねぇ、教えてフランソワ。貴方の主人は誰なの?貴方ほど人を側に置くなんて、よほどの人なのでしょう?」
「ルネ、それは聞かない約束だよ」
「私、貴方の役に立てると思うの。剣も少しは使えるし、馬だって誰より速く駆れるわ。
あの家を出たっていい。貴方の側にいて、役に立ちたいわ」

面白い少女だと思った。男は少女のこういう所に惹かれていた。
凡庸な娘と同じように夢見がちな所もある。しかし幼くして両親を亡くした事も関係しているのだろうか、
神に祈っても何も変わらないことも知っている。
ただの愚かな女であれば2,3度の情事の後適当な理由をつけて会うことも無くなるが、
少女は歳に似合わぬ考えを持ち、磨けば確実に輝く美貌と男を魅惑する肉体を持っている。
彼女と話をすると王弟に教鞭を執る時と同じように、ぞくりとする予感を男は覚えていた。

「私にできることはないの?」
その真摯な少女の問いに男は自分の試案を少しだけ口にすることにした。

「...まだ早いんだ」
「早い?」
「そう、だがいずれ君が必要となる時が来る。その時まで待って欲しい」
「待っているだけでは、叶わないことが多いわ」
「私は必ず君を迎えに来るから」
「本当に?信じていいの?」
「ああ、信じて。私を愛しているなら信じて欲しい」

納得はしていないようだが、静かに頷き男を見つめる。その憂いを含み愛するものにだけ向ける瞳の揺らぎ。
この少女ならフィリップ様への奉仕を自分への愛として喜んで受け入れるだろう。
その確信に男の欲情の火がまた灯る。

森の神達に彼女の素肌を再び晒し、愛撫に震える可愛らしい声を響かせる。

その行為の中でも男は冷静に計画を思案する。
次に移る場所では急がなくては・・・
もうあの方の存在が明るみになるのも時間の問題だ。



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ww2
Athos-Ⅲ


柔らかい日差しが降り注ぐ午後、二人の銃士は相も変わらず馬の世話に精を出している
小さな銃士の後ろ姿を窓から眺めていた。

「あれからそろそろ1ヶ月か」
「そうだな」
「アラミスの様子はどうだ?」
「何も変わりない」
「そりゃよかったじゃないか。ずいぶん顔色も良くなったしな。
前に比べれば大分食べるようになったし・・・」
「ああ、それに夜もよく眠ってる」

にやりと笑い、楽しげな視線をポルトスは返した。
アトスは自分の言葉の含む意味に気が付き、はっと上気する。
そそくさと目線を泳がせると、ちょうど振り返ったアラミスと目が合った。

照れたように小さく笑みを浮かべると、同じく微笑みを浮かべ、潤んだ瞳に意味を込めて見つめ返してきた。
以前は人を拒絶する表情を浮かべ、そっけなく背を向けた事を思い出す。

「あんなにわかりやすいヤツだったとはなぁ」

ポルトスが後ろから肩を組み、からかうように声をかけてきた。
にっこりとした笑みを浮かべ、ひらひらとアラミスに手を振ると無邪気に笑顔を返してくる。

確かにアラミスがこんなにも感情を素直に表すとは意外だった。
自分と時間を過ごす時の輝くような笑顔や、懇意にしている婦人の話をすると途端に不機嫌になる唇、
侮辱された時の怒りに燃える瞳も、一つ一つの挙動に驚かされ、その度に愛しさが増していく。

だからこそ、殊更それを抑えこんでいた存在の大きさに脅かされる。
自分も愛を分かち合った人を失うと共に、感情を失った日々があったことが思い出される。

思案に浸り黙ってしまったアトスに、ポルトスはポツリと尋ねた。

「銃士は続けさせるのか?」
「・・・」
「あの占い師の言ったこと、忘れたのか?」
「いや」
「だったら・・・」
「・・・そうだな。そうなんだが・・・」

そこまで言うと、アトスは大きくため息をついた。

記憶を消し去る。銃士を辞めさせる。
確かに、苦しみからも、危険な職務からも解放することができる。
だがそれは、本当にアラミスにとって幸せであるのだろうか?
このことを考え出すと、堂々巡りに陥ってしまう。

再び黙りこくってしまったアトスに、「お前は考え過ぎだ」と言おうとしたポルトスだったが言葉を飲み込んだ。
そして身動きの取れずにいる肩を2,3度叩くと、もう一度外に視線を向け、
眼下の小さな銃士と無二の友人の幸せが続くようにと静かに願うことにした。


*****


部屋の中から食欲をそそる良い匂いが流れてくる。
夜の帳が下り、優しく幸せな時間が始まっていた。

そっと中の様子をアトスが伺うと、細く白い指先から流れる血を食い入るように見つめる姿があった。

「アラミス!?」
「・・・アトス?」
「お、お前、大丈夫か?」
「?・・・いや、ちょっと包丁がひっかかっただけだよ。大袈裟だね」
「あ、ああ。いや、すぐ血を止めないと」
「大丈夫だって。すぐ止まるよ」
「ああ、かせ。ほら」

視界に鮮やな赤が残ったまま、アトスの黒髪と重なる。
自分の指を強く押さえ必死に止血しようとするアトスの姿に、アラミスはくすくすを笑いを立て、
甘えるように覗き込んだ。

「ね。アトスも明日、非番だよね?」
「ん?ああ」
「遠乗りに出かけない?僕、思いっきり馬を走らせたいな」
「あ、ああ、そうしよう。明日もきっと晴れるだろうから」
「うん!」

喜びを一杯に表し、自分を見上げてくる瞳に優しく微笑み返す。
明日も晴れることを祈って、アトスはアラミスの額にそっと口付けを落とした。


*****

次の日の朝、日が昇るとともに二人はパリを抜け出した。

思い切り馬を走らせる。
女であることを隠すための男装ではないので豊かな膨らみがそのままに、馬上で揺れる。
風に舞う金髪と、それに彩られた白い肌、高潮した頬に乗せた笑顔を独占できることに、
アトスは不思議な高揚感を覚えていた。

昼を過ぎた頃、静かな森で休憩を取ることにした。
小さな泉で無邪気に遊ぶ姿は少女にしか見えず、アトスは愛しさに目を細める。

「アトス、どうしたの?」
「いや。随分活き活きとしてるなと思ってね」
「うん、パリも嫌いじゃないんだけどね。人の多さとかに少しだけ疲れるんだ」
「そうか・・・。アラミス、君の故郷はどんな所なんだい?」
「僕の故郷はね・・・」

肩を並べ笑顔で自分の故郷の話をする表情に見入っていると、
いつの間にか木々の隙間に重たい雲が張り出し、湿った風が吹き始めていた。

「何だか嫌な天気になっちゃったね」
「そうだな。雨が降る前に帰るか」
「残念だな・・・」
「雨に濡れて風邪でもひいたら大変だろう?遠乗りならまた来ればいい」
「うん・・・」

駄々をこねるような口ぶりに、アトスはなだめるように髪を梳くと体の線を隠すため
ふわり自分の外套をかけ、優しく抱きしめた。

その時、草を分ける音がし振り返った二人が見たのは片手には血塗られた剣を持ち、
片手に金目と思われるものをぶら下げた男の姿だった。

「・・・盗賊?」

アラミスが、つぶやく。
その蒼の瞳は血塗られた赤をヌラヌラと映していた。


Athos-Ⅳ


この記憶は刃の鈍色に渦巻く血の赤色に巣食われているわ。
そのような状況に遭う環境からは遠ざけてあげなさい。
私も万能ではないのだから・・・

占い師の声が遠くで聞こえた気がした。

*****

「待て!!」

瞬間、アラミスは飛び出した。
男は踵を返し、森の中に逃げこもうとする。

「やめろ!アラミス!!」
「なぜ!?あれは間違いなく物盗りの類だ!」
「お前には関係ないだろう!」
「何を言ってるんだ!?放っておくわけにいかない!」

言い放つとアラミスは男を追って走り出した。

アトスもその後を必死に追う。だがすぐにその足は鈍り、アラミスの姿を見失った。
森の中はむき出しになった木の根があり、くぼみもあれば段差もある。
太陽は厚い雲に覆われ、小さな闇さえ落ちている。

だが、アラミスは小柄な体を巧みに使い、恐るべき速さで森を駆け抜けた。
やがて藪を抜けた先の開けた一帯でアラミスが見たのは、折り重なるように
倒れている男と、女。そしてそれを囲むように群がる賊達だった。

賊の頭と思われる男が、森の抜け道を探りに出したはずの手下の姿を見つけ、いぶかし気な声をあげた。

「どうしたんだ?」
「いや、それが・・・」
「・・・何だその小僧は?」

逃げ戻った手下の後ろには、匂い立つような美貌を持った小さな剣士が細い肩を大きく上下させていた。

「・・・よく見りゃ女じゃねぇか、そいつ」
「何?」
「へっ、面白いもんを連れてきてくれたな」

下卑た笑いを浮かべ、だらしなく下半身を晒したまま男はアラミスに近づいてきた。

「貴様ら・・・」

目の前に広がる凄惨な図に、大きく見開かれた蒼の瞳に怒りの炎がたぎる。
だが、同時に戸惑いの呻き声がその柔らかな唇から漏れた。

傷つき、血にまみれ倒れた男。
男の名前を呼びながら、必死の抵抗の中、賊達に蹂躙される女。

頭の中に警報が鳴り響く。

知っている・・・自分はこの光景を知っている・・・!

大きく息があがり、身体が固まる。
それを自分達に対する恐怖に取り付かれたと思い込み、賊達は上機嫌な声を上げた。

「あ~あ、足が竦んじゃったかなぁ。お嬢さん」

歓喜の声をあげ、賊達が襲い掛かる。
あっという間に四肢が押さえつけられ、白い素肌が晒された。

・・・知ってる・・・私は・・・

その時、ぼやける視界に鮮やかな赤が飛び散った。

「・・・!!」

アトスの剣が次々と賊の身体に突き刺さる。
その度に鮮やかな赤が視界を彩り、やがて蒼の瞳には一面沈黙と暗闇のみが支配した世界が映った。

その闇の中に倒れていたのは・・・

「フランソワ・・・」

搾り出すように零れた声は、静かになった森の空気を小さく震わせた。


*****


襲われていたのはパリに向かっていた貴族夫婦だった。
駆けつけた銃士達に保護され、二人は深く傷付きながらも一命を取り留めることができた。

「アトス、無事か?」
「ポルトス・・・」
「馬車が襲撃を受けていると知らせが入ったんだ。お前達二人とまさか鉢合う事になってるとは・・・」
「・・・」
「アラミスは?」

アトスは黙ったまま、目線を少し先の樹の根元で揺れる金の髪に向けた。

「まさか・・・」

その言葉にアトスは応えず、ただ首を横に振る。
ポルトスは項垂れて、息を一つ吐くと苛ついた視線を返した。

樹の端から見える細い後肩は震えているように見える。

ゆっくりと歩を進め、白く晒したままの小さな肩に上着を掛けようとしたアトスの手は、
ぱしりと拒否された。

「僕に何をした・・・?」
「・・・」
「何をした!!?」

ざわざわと梢が鳴る中、唇をかみしめた強い視線が突き刺さる。
アトスは思わず眼を伏せ、次の言葉を継げないまま立ち竦んでいた。


Athos-Ⅴ

何日か前から降り出した雨はやむことなくパリの街を濡らしていた。
アトスは銃士隊の詰め所の窓から霞む街をぼんやりと見つめ、思案から抜け出せずにいた。

アラミスはあの日から休暇を取ったままだった。

昨夜、迷いながらも訪ねた時に家に小さく灯った明かりにほっとし、
だが合わせる顔が無くそのまま踵を返してしまった。
数日前まで二人で過ごした幸福な時間が心に流れ込んできて、足元を鈍らせる。

温もりを知ってしまった一人の夜の孤独に呑み込まれたまま止まない雨の朝を迎える日々は、
アトスの瞳を曇らせていた。
頁の進まない本に視線を落とし、それでもゆっくりと文字を追っていると
聞き知ったブーツの鳴る音が聞こえてきた。

小さく扉を叩く音が心に響く。
oui、と応えると扉の向こうから冷たい空気が流れ込んできた。

白い肌をうっすらと上気させ、金の髪に小さく雫を絡ませた蒼の瞳がそこにはあった。

「アラミス・・・」

アトスが小さく呟く。
応えるように視線を泳がせるとアトスの傍にゆっくりと寄る。
つ、と差し出した腕にはよく使い込まれた彼の外套があった。

「これ、借りたままだったから」
「あ、ああ・・・」
「直してもらってたんだけど、やっぱり少し傷が残ったみたいで・・・
気に入らなかったら言って。次の給料が出たら新しく仕立てて貰うから」
「そんなこと・・・気にしなくてもいい。それより・・・」

髪も服もしっとりと濡れた姿の艶めきにアトスは小さく目眩を覚える。
その想いを振り払い、言葉を続ける。

「アラミス、外套を着てこなかったのか?こんなに濡れて・・」
「・・・家を出る時は雨が止んでたから」
「だったら・・・途中で降り出したのなら、この外套を使えばよかったのに」
「・・・それはできないよ」
「・・・」
「できないよ」

そこに含んだ意味に、アトスの心に痛みが走る。
そして黙って伏せられた視線に熱をはらんだ言葉がふわりと被さる。

「僕はそんなに強い人間じゃないから・・・」

その顔を見やる。
ふと思う。アラミスはこんな顔をしていただろうか?
人を拒絶していた顔、素直に自分への気持ちを表した顔、
そのどちらでもない、戸惑いと抵抗の間でゆらゆらと揺れる表情に
アトスは静かに、深く溺れる感覚を覚えながら見入っていた。

「アラミス」

改めて、その名前を呼ぶ。
愛しさを精一杯込めて。

夢のように響く声に応えるようにアラミスはゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「アトス・・・君と過ごした1ヶ月、僕は幸福だった。鉛を飲み込んだような日々から解放されて、
身体も心も軽くて・・・、空は青くて、水は美味しくて笑い合えることが楽しくて・・・」
「・・・」
「けれど、心も身体も軽いんだけど・・・何か大切なものを失くした
ような気がずっとしてて・・・」
「・・・」
「忘れてしまいたいって思ったことも何度もあったけど・・・」
「・・・」
「忘れてしまうことが、こんなに寂しいことだったなんて・・・」

そこまで言うとアラミスは小さく息をついた。
続ける言葉を捜したまま視線を伏せた蒼に、アトスは声を落とす。

「すまない、勝手なことをして」
「・・・ううん、いいんだ」
「・・・」
「僕にとって・・・何が大切なのかわかったから」
「・・・そうか」

そして外套を持ち主の手に渡すと、金髪を揺らして部屋を出ようとする。
ゆっくりと、その足が止まり、華奢な背中が少しだけ震えた。

「アトス・・・」
「何だ?」
「君と過ごした1ヶ月は・・・楽しかった。あんな日がいつか来るといいなって・・・思うよ」
「アラ・・・」
「ごめん。ずるい言い方だよね」

そこまで言うと急ぎ、部屋を出ようとすると時同じくして入ってきたポルトスにぽすんとぶつかる。

「アラミス・・・」
「やあ、ポルトス」
「お前、・・・も、もう大丈夫なのか?」

困った表情を浮かべるポルトスに、小さくアラミスは微笑みを返した。

「ポルトス、君が教えてくれた兎シチューの美味しいお店、また行きたいな」
「あ、ああ?もちろんいいが・・・」
「それじゃ、僕は今日は帰るから」

肩を軽く叩き、アラミスは少しだけ急いだ足取りでその場を離れていく。
過去を背負いながら、現在を生きること。
それを受け入れられるようになるにはまだ時間が必要だけど、前よりも自然に笑えるようになるかもしれない。

彼らが三銃士を呼ばれるようになったのは、それから少し後のことだった。

(Fin)

ww1
Athos-Ⅰ


「記憶操作?」

厚い雲が空を覆い始めた昼下がり、暇を持て余して雑談をする銃士の中の一人が
"面白い話を聞いた"と話題を提供したのが事の始まりだった。

「その御婦人には忘れられない男性が居たらしく、
それをどうしても許せなかった婚約者がある占い師に頼んだらしい。
最初は自分の行く末を占ってもらうだけのつもりだったらしいがな」
「それで、どうなったんだ?」
「御婦人は昔の男のことなぞ、すっかりと忘れてしまったとさ」
「まさか」
「いや、それがまるで覚えていないそうだ。その男との記憶だけすっぽりと抜けているとか」
「そんな馬鹿な」
「今では二人はそれは仲睦まじい夫婦となったようだぞ」
「へ~、そんなことができるなら俺も忘れさせて欲しい女がいるんだけどな~」
「お前の場合は騙されただけだろう」
「俺なりに真剣だったんだぞ!」

俺も俺も、と皆が騒ぎ始めるのを横目に一人の黒髪の銃士はぼんやりと
窓の外で馬の世話をしている金髪の銃士に目をやった。

まだ幼さが残る顔は、張り詰めた絹糸を思わせる。
ふ、と蒼の目がこちらを振り返り、しばし怪訝な顔を造るとまたこちらに背を向けて、
じゃれつく馬を鎮めるようその背を撫でる。

斜め見えた笑顔にアトスは小さくため息をついた。


*****


「おい、アトス。雨が降り出しそうだぞ」
「・・・ああ、そろそろ行くか」
「何だよ、ぼんやりして」
「・・・」
「何を考えてる?」
「・・・いや」
「・・・・・俺は思ったよ。その占い師を探し出してアラミスを突き出してやりたいってね」
「・・・ポルトス?」
「まぁ俺は友人として、だけどな」
「・・・」
「アラミスの奴、不安定で見てられないよな。自分を痛めつけるようなことばかりして」

そう言うと大きな体を屈め、相変わらず馬の世話に没頭している小さな銃士に目線をやった。

「何が、・・・誰があいつを追い詰めているんだろうなぁ。
そいつの記憶がアラミスの中から消えれば、あいつ楽になれるんじゃないかって・・・思ったんだろ?」

この友人にはお見通しか・・・とアトスは小さく苦笑するとぽつりと言葉を紡いだ。

「そうだな。・・・だがそれが正しいことなんだろうか?」
「さぁ。どうだろうな」
「・・・」
「・・・アトス、お前は物事を難しく考えすぎだよ」
「・・・そうかもな」
「好きなら自分のものにしたいと思うのは当然だろう?」
「当然、か。だが強引に手に入れてもいつか相手を傷つけることになるんじゃないかってね」
「・・・お前、まだ」

続く言葉を制するように首が降られるのを見て、
ポルトスは何とも言えない顔で頭を掻いた。

「悪い」
「いや、君の想像通りだよ。我ながら女々しいとは思うがね」

自嘲気味に言うと、帽子を被り足早に部屋を後にする。
その姿と窓の外に見えるアラミスの姿を交互に見て、巨躯の銃士は大きく肩を竦めてため息をついた。


*****


その日の夜は嵐だった。
窓に打ち付ける風を見やりながらアトスはある貴族の屋敷に身を潜めていた。
傍には冴え冴えとした顔をした金髪の銃士が瞳にゆらゆらと炎を湛え、じっと息を殺している。

最近パリを荒らし廻っている盗賊団が、次はこの屋敷に出るとの情報が入ってからしばらく、
此処に泊り込みをする日々が続いていた。

「アラミス、少し眠ったらどうだ?」
「・・・僕はいい。起きてるからアトスこそ寝なよ」
「そう言って、昨日もほとんど眠ってないだろう?」
「そんなことないよ」
「・・・体がもたないぞ?」
「平気だよ」
「アラミス・・・」

今日こそは無理にでも眠らせようとアトスがその細い肩に手を掛けようとした、その時だった。

遠くで何かが割れる音が響くと、はじかれるようにアラミスは飛び出していった。
掛けようとした手が空を切り遅れを取ったアトスは急ぎ後を追おうとするが、その途中に倒れていた館の主人に
足を取られ手間取っていると、別の部屋で待機していたポルトスが駆けつけてきた。

「アトスっ!」
「ポルトスっ、主人を頼む!」
「あ、おいっ!アトス!」

上がる息を押さえつけ、アラミスの後を追う。
嫌な予感が胸に走り始めると同時に鼻につく血の匂いが漂い始めていた。

「アラミスっ!」

闇に浮かぶ金が目に入り、声を掛けた先に居た銃士は体中にたっぷりと血を滴らせ、佇んでいた。
足元にはごろごろと、もう二度と動かぬ人間だったモノ、が転がっている。
それをじっ、と見下ろしたまま、やがて自分に声を掛けた相手に振り向くと何も映さない瞳であたりを見渡した。

「これでいいかな?」
「・・・?」
「これで、私の復讐は終り?」
「・・・」
「・・・違うわ」
「・・・」
「あの人を殺したのは誰なのか、私は知らないでしょう?」
「・・・」
「この世の中の"盗賊"を全員殺せば、いいのかな?」
「・・・」
「そうね、そうすればいいんだわ。盗賊と呼ばれる人間を全員殺せば、間違いないもの・・・」

そこまで言うと、アラミスは崩れるように倒れた。
アトスは慌てて血で塗れたその体を受け止めた。

「アトスっ」

遅れて入ってきたポルトスが見たのは、無残にも転がる死体の中で血塗れで気を失っているアラミスを
抱き締めたまま、呆然と動かないアトスだった。

「・・・ア、アトス?これは?」
「アラミスが殺った」
「全員か・・・」
「ああ・・」
「ひどいな、ここまで・・・」
「・・・ポルトス」
「何だ?」
「あの占い師、どこに居るかわかるか?」
「・・・アトス?」
「頼む、調べてくれ。探し出してくれ。頼む」
「アトス・・・」
「・・・もう、限界だ」
「・・・わかった」



Athos-Ⅱ


---忘れてしまえれば、どんなに楽だろうと思った。
けれど、決して失いたくない幸福な記憶だった---


その日は抜けるような青空だった。
薄く差しこむ朝日の眩しさで目を覚ますと、妙に頭がすっきりしてる。
身を起こすと足取りも軽く、朝の支度にかかる。

顔を洗い、髪を整え、着慣れた服を身に付けようと胸の膨らみを抑える布を手に取った。
だが、ふと気が付く。
なぜ自分はこの布を使っているのだろうか?
自分が銃士であることは間違いない。
だからこの服を着ること、羽帽子を被ること、何もおかしい事ではないはずだ。

けれど、なぜ?
女である自分がなぜ銃士隊に出勤しようとしているのだろう?
どこかぽっかりとした空虚感を感じる心と対話していると、戸を叩く音がした。

急ぎ服を身に付け出迎えた相手は、黒髪の銃士だった。

「おはよう、アラミス」
「・・・アトス?おはよう、どうしたの?」
「いや、昨日ずいぶん呑み過ぎた様だったから、起きれるか心配で迎えに来た」

ばつの悪そうな顔で視線を泳がせるアトスを、無垢な蒼でアラミスは見上げる。
呑みすぎ・・・?
首を傾げながら記憶を辿るが、勤務後にアトスとポルトスに呑みにと誘われ向かった先でふつ、と切れていた。
随分と酒が進んでしまったんだな、と心の中で苦笑すると同時にそれを止められなかった事に
責任を感じているのか年上の友人の探るような視線が可笑しくて、軽く反論する。

「何だよ、それ。子ども扱いして」
「いや、お前が遅刻したら俺が隊長に怒られるからな」
「あはは、そうだね」

笑ってアトスの腕を軽く叩くと、優しい藤色の瞳が笑い返してきた。
自分の心臓がびくと鼓を打ち、頬に熱が浮かぶのを感じたアラミスは
思わず目をそらす。

「どうした?」
「え、な・・何でもないよ。待ってね、今出るから」

踵を返しながら、自分の頬の熱が治めるようにと頭を振る。
手に取ると、ふわふわと揺れる羽帽子が鼻をくすぐった。

その羽のように揺れる自分の心に困惑し、アラミスはしばらくその場から動けないでいた。


*****


その日アラミスは一日中落ち着けずにいた。
大好きな馬の世話をしていてもそわそわと、通り過ぎる仲間の銃士達の中に黒髪を探してしまう。

「変だよね、僕・・・」

馬相手に呟くと、その首に抱きつきため息をついた。

やがて通り過ぎる銃士の中で屈託のない笑顔を浮かべる大男と目が合う。
彼は馬達の間にある小さな銃士の存在に気が付くとひらひらと手を振りながら近づいてきた。

「よう、アラミス。相変わらす馬の相手が好きだなぁ」
「ポルトスはもう少し自分の馬に気を使ったほうがいいんじゃない?」
「そうか。こいつは本当によく頑張ってくれてるからな」
「そうだよ。もうちょっと可愛がってやりなよ」
ポルトスはじゃれ付いてくる自分の馬を軽くいなしながら、まるで澄んだ泉のような笑顔を浮かべて
自分と談笑する友人の姿に、こっそりと、しかし大きく安堵していた。

その笑顔がふ、と紅潮する。
ためらいがちに、柔らかな唇がゆっくりとその名を紡いだ。

「あ...アトスは、まだルーブル?」
「ああ、少し野暮用ができてな。残して先に戻ってきた」
「・・・そう」

ポルトスは自分の眼下で小さくふてくされた表情を見取り、
その意味に気が付くと目端に静かに微笑みを浮かべた。


*****


いつの間にかすっかりと日は沈み、明るい光を湛えた月が空に浮かんでいた。
控え室で一人ぼんやりと耽っていたアラミスがふと視線を感じて振り返ると、
自分の物思いの原因がそこにあり、思わず声がうわずる。

「あっ、アトス」
「何をしてるんだ?」
「えっと・・・あの・・・アトスこそ遅かったね」
「ああ、ちょっとな。帰らないのか?」
「うん・・・かえる・・・」

何とも間抜けな応え方をしてしまった自分が恥ずかしくてアラミスは目を伏せたまま立ち上がった。
ぱたぱたとアトスの後を追う。

門をくぐり、通い慣れた路を抜け、セーヌ沿いに出る。
よく知っている景色であるはずなのにアラミスにはまるで見知らぬ街のように見え、
所々に灯る柔らかな明かりがまるで夢の中にいるような気持ちにさせる。

やがて会話が途切れた時、ふと思い出し疑問のままだった事を口にした。

「ねぇアトス、僕が銃士隊に入った理由って知ってる?」
「・・・いや」
「そう。あのさ・・・変なんだけど、わからないんだ」
「・・・」
「どうして僕、銃士隊に居るのかがわからなくって」
「そうか・・・」

アトスにどこか悦びと怯えが混じった表情が浮かんだ。
だが、それには気が付かず、アラミスは自分の記憶を辿るように言葉を続けた。

「僕がパリに出てきたのは16?あれ17の時?えっと、それまでは・・・」

その先の言葉を止めて、アトスを振り返る。この人は自分のことを知っているのだろうか?
故郷で幸せな貴族の娘として在ったことを。つまり、自分が女であることを。

アトスと共にした時間を手繰り、思案したまま黙ったアラミスに視線を落とすと
唐突な言葉をアトスは発した。

「銃士隊、辞めるのか?」
「え?・・・何?」
「いや、どうして銃士隊に居るのかわからなくなったんだろう?
だったら居る意味は無くなったのではないか?」

その言葉を放った本人は、精一杯遠まわしに銃士など辞めて幸せに暮らすことを促していた。
だが、受けた当人にとってはそれはどこか冷たく響き、返す言葉を失い、呆然をしたまま
足止まったアラミスの表情からアトスは自分の言葉の含んだ意味に気が付き、狼狽した。

「いや、そういう意味ではない。私にとって君と一緒に銃士隊の仲間として
過ごせることは有意義なことだ。だが、君にとって・・・」
「僕にとって・・・何?」

自分の感情を理解できないまま、ただそれは高く波打ち、みるみるうちに蒼の瞳が潤う。
アラミスは必死にそれをこらえ、震える唇を引き結んで目を伏せた。

「ご、ごめん。僕、何だか変なんだ」
「アラミス・・・」
「僕・・・アトスのこと・・・」

その先の言葉は続けられず、ただ目元を赤く染め揺らめく瞳と、鼻腔をくすぐる香りに
たまらずアトスは両腕を伸ばして細い体を抱き締めた。

驚き身じろいだが、抗うことはなくアラミスはそのまま身を預ける。

空の月は真実を隠すように霞み、どこかゆらゆらと幻のような光が二人を包んでいた。


ppp
「猊下がお待ちではないのか」
 腕の中からの声に、ロシュフォールの指の動きが止まった。

「憎らしいことを言う」

「あなたの弱点だからね」

「生憎だったな。我が猊下は目下、陛下と謁見中だ。故におまえとの時間はたっぷりとあるって訳だ」

「んんっ」

 キュッと長椅子に張られた繻子が音を立てる。

「やめ…」

「アラミス、力を抜いたらどうだ」

「……ったく…」

「そうだ、その眼…」ロシュフォールはアラミスの髪を掻き上げた。

「挑むがいい。おまえのその眼が俺を狂わせる」

 乾いたアラミスの唇を求める。だが、きつく結ばれた唇は男の侵入をがんとして拒んだ。
 その代償としてロシュフォールの指先は、滑るようにアラミスの深淵へと進んでいった。

「…あ…っ」

 長椅子に押しつけられた背中がしなやかに反る。

「そうだ。声を上げろ…俺の腕の中で」

「……ロシュフォール…あなたに…僕が心を許すとでも思っているのか?」

「ん? そうはなるまい、簡単にはな」

 ロシュフォールの唇がアラミスの喉元に触れる。

「………」

「俺は、おまえのこの美しい顔が快楽で歪むのを見たいのだ。
眉間に刻まれる苦悩の表情。額に滲む汗、そういったものすべてが俺のこの手で生み出される。
俺の望みは、悩ましく狂うおまえを見ることだ」

「すごい告白だね。ふふ…たしかに…、僕はあなたの手で乱れるだろう。でも、心まで乱れはしないぞ」

「それでこそ俺のアラミスだな。だからこそおまえがますます欲しくなる」

 アラミスは艶然たる笑みを見せ、腕をロシュフォールのうなじに回した。
 それはロシュフォールが勝ったという訳ではない。ましてアラミスが彼の手に落ちた訳でもない。
 男と女の不可思議な了承であった。
 だから……。
 唇が触れ合い、舌を絡ませ、息を吸う。
 金の髪は絨毯に流れ落ち、描かれたマドンナ・リリーがその中に消える。
 時間が知らぬ間に過ぎて行く二人の秘密の行為。その向こうで小さな音がした。
 銃士であるアラミスの鋭敏な感覚が、その音を聞きつけた。
 伯爵の腕に抱かれたまま、アラミスの身体は硬直した。

『誰かがいる』

 目を見開く。
 纏わり付く髪を手で除ける。
 身体を起こしながら、ロシュフォールの肩越しに視線を流した。
 扉が見えた。
 自分を見ている目があった。
 見慣れた黒い瞳が驚愕を湛えている。

『アトス!?』

 アラミスの視線と、アトスの視線が絡まった。
 ふっとアトスが目を逸らした。
 ぱたん、と扉が閉まった まるで一瞬の夢の如く ロシュフォールが、アラミスの身体から離れて振り返った。
 だが彼が扉に目をやった時には、もうアトスの姿は消え、扉は堅く閉ざされていた。

「どうした。誰かがいたのか?」

 腕がゆるめられた一瞬の隙を突いて、アラミスはロシュフォールの身体の下から抜け出た。

「アラミス?」

「見られた」

 一言いうと、アラミスは乱れた胴着とズボンを正し始めた。

「おい」

 ロシュフォールがアラミスの腕を取って彼女の身体を引き寄せた。
 アラミスは長椅子の前に膝を付いた。ロシュフォールの腕がアラミスを抱き締めた。

「放せ」

 あごを上向かせると、ロシュフォールは彼女の唇に口づけた。今度はささやかな応えが返ってきた。

「扉の向こうにいたのは、アトスではないのか?」

「!」

「やはりな。…行くか?」

「ロシュフォール」

「俺は止めはせん。おまえほどの女だ。ほかに男がいてもおかしくはあるまい」

 アラミスの碧い瞳が輝いた。ロシュフォールは彼女の髪の中へ手を差し入れた。程なくして細いうなじを見つけ出す。

「俺は昔から…奪うのが好きだからな」

 ロシュフォールとアラミスは見つめ合った。アラミスの色を増した唇の端に笑みが浮かぶ。

「あなたは僕を奪えないよ」

「アラミス」

「……そんなあなたは好きだけどね」

「ほう、充分過ぎるほどの答だな」

「ふふ… 今に後悔するよ」

「後悔だと? はは、それはないな。俺は常に前を見る」

 ロシュフォールは言葉を区切り、再び続けた。

「わが…猊下しかり、だ」

「なるほどね」

 納得したようにアラミスは瞬きをした。長い睫毛に魅せられたように、ロシュフォールは指先で彼女の頬を撫ぜた。睫毛は震え、瞳が開かれて彼を見返す。

「……おまえがあいつとどうなっているのかは知らん。知りたくもない。俺にとって重要なのは、おまえが俺の腕の中でこそ魅惑的になるということさ」

「訂正が必要だね」

「ほう?」

「僕はあなたの言いなりにはならない女だからな」

「そうだな」

「どう、後悔した?」

「いや、ますますおまえが欲しくなった」

「そう言うと思った」

 アラミスは立ち上がり、ロシュフォールに自ら口づけると、その身をさっと翻した。

「まったく、いつもアトスに邪魔される。憎らしい男だ。あいつの想わぬ男であったら、すぐさま八つ裂きにでもしてくれるのにな」

 ロシュフォールは衣服を正し、髪を撫でつけた。






「あ、アラミス。隊長が呼んでおられるそうだよ」

 銃士のひとりが彼女の姿を見つけて階段の上から声をかけてきた。

「私を?」

「いや、君とアトスだよ。アトスはどうしたのさ」

「見ていないな」

「まあ、いいや。途中見つけたら頼むよ。俺も探すからさ」

「ああ、なら私は先に隊長のところへ行こう」




「隊長、お呼びでしょうか。アラミス、参りました」

 しかし、扉の向こうからの返事はなかった。

「変だな」

 アラミスが把手に手をやり、扉を開けようとすると、扉は突然中から開かれた。

「アトス」

「隊長は席をはずされた。急なお召しがあったのだ」

「そう、君は?」

「仕事の整理を頼まれてね」

 室内に入ると、執務机の上にはラテン語の書き記された書類とおぼしきものが散乱している。

「手伝ってくれるかな」

「ああ、隊長の用事ってこれだったのか」

「そういうことだ。何でも今夜中にこれを翻訳せねばならない。私一人の手には負えんからな」

「いいよ。どれから?」

「君にはこっちをやって貰おうか」

 どん、と重たい書類が手渡された。

「うわ、すごい量」

「なんでもこの数か月たまったもんらしい」

「困るよな。隊長ってば自分でこういったことをこなそうとしては断念するんだから。早く言ってくれればいいのに」

「全くだ」

 アラミスが傍らに腰を下ろすのをアトスはじっと見つめていた。

「えっと、なになに…」

 アラミスは書類に目を通し始める。

 アトスがアラミスの横に立った。

「アトス?」

 腕がすっと伸びると、アラミスは椅子に座ったまま抱き竦められた。

「ちょっと」

 反論を返す間もなく、無理やり立ち上がらせられる。アトスの片方の手が、机上の書類を端へと押しやった。かと思うと、アラミスの身体が机の上に乗せられた。

「なにを」

 手でアトスの肩を押すが、びくともしない。

「んっ」

 抱き締めたままアトスがアラミスを求めてきた。

「アトス!」

 抗議の声を出した途端、アトスの熱っぽい舌が彼女の口の中へ侵入してくる。求め、それに応え、身体がしなる。大きな手がアラミスの喉から肩、胸へ移動して行った。
 アラミスの襟元の止めが音もなく鮮やかに外されて、ブラウスが肩から滑り落とされた。
 唇が離され、アトスはアラミスを見つめた。瞳の強さのなかに、言いたげな何かが見えそうで、アラミスの身体に震えが走り、腕に鳥肌が立った。

 どうしてアトスはこうも容易く私を捕まえるんだろう。
 どうして私はこの男の腕を解けないのだろう。

「書類が…」

 視線を外したのはアラミスの方が先だった。机上に散乱した紙の束が、彼女の目に入った。
 アトスの視線も、はっとそれらに移された。

「気にすることない」

 やがてふわりと自身の身体が空に浮くのをアラミスは感じた。
 アトスが彼女を抱き上げたのだ。彼は無言のまま隣室の戸を開いた。

 隣室は暗く、ひんやりとした空気に満たされていた。抱き上げられていたアラミスがアトスの手から降り立った。そして、アトスは彼女の腰に当てた手に力を込め、彼女と共に敷物上に倒れていった。

「待てよ、アトス」

 口づけが落ちるのを避けて、アラミスは声を出した。

「誰か来るかもしれないじゃないか」

 顔の上でアトスが冷たく笑みを浮かべていた。

「黙れ」

 低く重い声が降って来た。

「退けよ!」

 かっとしたアラミスは、大きな声を出した。

「嫌だね」

 氷のような響きに、アラミスは答え返すことが出来なかった。
 アトスの手は乱暴に彼女の身体を貪って、彼女を翻弄させた。彼の口はアラミスの果実をきつく噛み、アラミスに悲鳴にも似た喘ぎをもたらした。双丘は様々に形を変えさせられ、男の手の中で熱く燃え上がっていった。

 徐々に、アトスの顔が沈んで行った。
 最後の細い紐が指に搦め捕られた音が鳴った。
 途切れ途切れの喘ぎが続いた。

「あぁ」

 アラミスの喉から声が漏れた。
 露になった彼女の秘密が、アトスの舌先に触れたのだ。身体の奥から流れ出る蜜は、男の喉の奥に吸い込まれていく。アラミスの脚が小さな痙攣を起こして震えた。
 執拗に絶えることのない責め。
 髪は乱れ、身体はしなり、無防備な喉元が白く震えている。
 蕾は刺激を受けて開花し、豊潤な薫りで以て男の心を美惑する。

「んっ! はっ…ぁ…ンッ」

 醸し出される淫らな音と共に声が艶やかさを増していった。
 身体の緊張が高まっていく。
 まだ。
 解き放せ。
 もう少し…。
 意識の奥が切ない叫びを上げていた。
 びくんとアラミスの身体に衝撃が突き抜けそうになった。が、その感覚が途中で途絶えさせられた。
 アトスが突然アラミスの泉から顔を上げたのだ。
 アラミスは声を出すことが出来なかった。責めるようにアトスの腕にアラミスの爪が食い込んだ。体内で爆発しそうな程の感情の迸りが、言葉より優先していた。

「アラミス」

 アトスが彼女の潤んだ瞳を見つめていた。

「イきたいか? え? それともこの続きはお預けがいいかな」

「知っている筈だろ。どうする? 続きは俺の屋敷でするか?」

 アトスはアラミスの耳たぶを軽く噛みながら囁く。

「は、んっ」

 アトスの指は、特に敏感に快楽を待つ蕾を突いた。
 アラミスはゴクリと喉を鳴らして手を伸ばした。手はアトスの落ちてくる黒い髪の先を引っ張った。

「それって、やきもちなわけ?」

 だんまりを決め込んだアトスの目が険しくなった。

「僕がロシュフォールといたからだろ?」

「……だったら悪いか」

 やっとの思いで云っているような答え方だった。

「君がそう言ってくれるのって、嬉しいな」

「あいつとはいつから…」 続ける言葉はアラミスの甘い口づけで中断された。

「訊くな、ということか?」

 アトスの問いにアラミスは微笑んだ。

「僕が恥ずかしい?」

「………いや、恥ずかしいのではない。おまえが欲しいのだ」

「僕もさ、君が欲しい」

 口づけが繰り返された。
 冷めかけた肌が再び燃え上がっていった。
 二人が溶けたのはそれからすぐのことだった。


 結局のところ、隊長から頼まれた翻訳は一晩中かかってしまった。隊長は夜遅くになって一旦部屋に戻って来たが、彼ら二人に仕事を与えたまま、屋敷へ戻られた。

「わしの仕事なのだから、君らばかりに迷惑はかけられん」

 と、優しいことを言ってはいたのだが、アトスとアラミスがそれを断ったのだ。上司がいては、はかどる仕事もはかどらないという時があるのだった。


 早朝のラッパが宮廷に響いた頃、書類の山から二人は解放された。
 そして二人は王宮の出口で別れた。
 しばらくぼんやりと歩いていたアラミスは、はっとして顔を上げた。

「しまった! 剣を忘れて来てしまった」

 王宮へ慌てて引き返していった。


 剣を隊長の部屋に取りに戻った彼女は、途中ロシュフォールに出くわした。

「やあ、ボンジュール、伯爵。早いね」

「アラミス、どうした、おまえこそ」

「泊まりで仕事さ」

「夜勤だったのか」

「うーん、そういったことではないけど、隊長の頼まれごとをやっていたんだよ」

「目が赤くなってる」

「そう?」

 アラミスが目に手をやった時、ロシュフォールが意外そうな顔をした。

「ロシュフォール?」

「……いや…」

 ロシュフォールの視線がアラミスの金髪に注がれている。

「ああ。…そうだよ」

 アラミスはにこっと微笑んで、髪をさらりと風に流した。
 髪からアトスのつけている香りが漂った。

「じゃ、僕はこれで!」

 茫然とするロシュフォールの前をアラミスは笑いながら駈けて行った。





pp4
 窓辺にかかる朝日は、アラミスの目に眩しかった。昨日のことといい、アトスは、何を考えているのかさっぱり分からない。その上ガンガンと響く程の二日酔いだ。こんな二日酔いの日は、妙に朝早く目が覚めてしまうもの。アラミスは自分の酒臭さに辟易しながら服を着替え、トレヴィル隊長の屋敷へ向かった。

「ボンジュー」

「ボンジュール、アラミス! わぁ」

 誰にだって分かる不機嫌さは、みんなを遠ざけた。こういう日のアラミスは、気の荒いトレヴィル隊長の馬みたいなものだ。

「何だ。僕を見て『わあ』とは…。失敬な」

 文句を言ってもみても、大声では言えない。自分の声でますます頭痛が酷くなるだけだ。ぎろりと睨んでみるのが限界だった。と、屋敷の玄関先で意外な人物がアラミスに手を振っていた。

「いやぁ、いつにも増してご機嫌麗しいようで、アラミス殿」

「ローシュフォール…」

 トレヴィル邸の前になぜかローシュフォールと、ジュサックが立っていた。

 『どうして、ここにいるんだ?』

「朝から貴公の尊顔が拝めるとは、なかなか良い一日かもしれませんな」

「こっちは最悪だな」

「まあ、まあ、そう刺々しくされなくとも、銃士隊一の美しき方に似合いませんぞ。そうであろう? ジュサック」

「伯爵… 本気で言ってるんすか」

「もちろん本気だとも」

「迷惑だな。一体伯爵は如何な趣きでこちらに参られたのかな?」

「何、パリの治安について銃士隊長殿に少々ね」

「ほう? それで?」

 アラミスは尊大な態度でローシュフォールに向かった。

「もう、帰りましょうよぅ。用件は済んだのですから」

 ローシュフォールの代わりに側のジュサックが答える。その態度にアラミスはふふんと納得した。

「では、ご用件はお済みなのですね」

 さっさと帰れ、と言わんばかりのアラミスにローシュフォールは意味ありげに笑った。

「まあね、済んだことは済んだのだ」

「おや、ローシュフォール殿。何かお忘れ物ですか?」

 玄関の扉を開けてアトスが現れた。

「これは、アトス殿か。…忘れ物などではない。帰ろうとしていたら、アラミス殿にお会いしましてね。ところで、貴公に会うのは久方ぶりですな。そう、いつぞやの夜…以来でしょうか」

 アトスは釣り帯の位置を確かめつつ階段を下りてきて、アラミスの横に立った。アラミスは昨夜のことをかなり頭にきているので、憮然とアトスを睨むと、小声で朝の挨拶を述べた。アトスは機嫌良さそうに彼女におはようと、返してきた。そしてローシュフォールに向かい、

「いつぞやの夜ね…、ああ」

 思い出した、といった顔で見た。アラミスとの待ち合わせの夜のことを言っているのだ。

「パリの治安もだんだんと流れ者が多くなって非常に悪くなってきておる。枢機卿様はそのことを大変憂いておられてね。もちろん私もだが」

「そのことは今トレヴィル隊長から伺いました。その向きでわざわざこちらにお出でになられたとか」

「パリの治安については護衛隊は日夜奔走しておりますが、銃士隊にもご協力願いたいと思いましてな」

「ローシュフォール伯爵! いつだって揉め事を起こしているのはそっちじゃないかっ」

「銃士隊どもがならず者なのだ!」

 アラミスの怒声に、すかさずジュサックが答える。

「ジュサック、何もこんなところでもめる必要はない」

 ローシュフォールは彼を宥めながら、アトスを見やった。

「夜のパリは今まで以上に夜盗が増えておりましてね、報告によると一月前までに比べて格段に増えたんですよ」

「それは、こちらもよく分かっております。何も貴方にいわれなくても」

 アトスはやんわりと返した。

「…さすがは、アトス殿。しかし、貴公とて人間。取られて困るようなものは大切に保管せねばなりませんぞ」

 ローシュフォールはちらりとアラミスを見ていった。

「お言葉だが、私には取られて困るものなどない。この命さえも国王陛下の御為ならば厭わないのですから」アトスは続いて楽しそうに笑った。「伯爵の方こそ、色々とありそうですな」

「何、私とてリシュリュー猊下の御為ならば、この命惜しくもござらん」

「そうですか?」

「そう、私も取られて困るものなどありませんからな。もっとも…私はどちらかというと奪う方かもしれません」

「ほう、奇遇ですな。私もそれに近いものを持っております」

「では、お互い夜盗と間違われんように気を付けなくてはなりませんな」

 『アラミスは俺が頂く。アトス殿』

 『盗人猛々しいとは貴様のことだな、ローシュフォール』

 穏やかに進む会話の裏に、互いの思いを読んだふたりだった。

「伯爵! パリの安全は貴公たちには到底守れっこない。我々銃士隊には陛下、そしてフランスの名誉のために戦う使命がある。わざわざこちらまで来て無駄足だったな」

 アラミスはローシュフォールに軽快に言い放った。それを見てジュサックは顔を真っ赤にしたが、当のローシュフォールはにやりとしてアラミスを見つめ返した。

 『可愛いやつだ。俺が惚れるに値する女だ』

「では、戻るとするか、ジュサック。どうも銃士隊は気にくわんからな」

「枢機卿様によろしく」

 アトスは丁寧過ぎる程にローシュフォールに挨拶を返した。

「…失礼する。ではまた、アラミス殿。飲み過ぎはいかんですぞ。注意をした筈ですがね」

 ローシュフォールの言葉にアラミスの全身の血が下がっていった。

「大きなお世話だ!」

 震えながらアラミスは剣の柄に手を触れた。アトスが彼女の肩に手をやり、それを押し止めた。

 ローシュフォールはジュサックと共に馬車に乗り込むと、朝の賑いの街の中へと消えて行き、アラミスはアトスにうながされながらトレヴィル邸に入っていった。

 パリの騒々しい一日がまた繰り返される。


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