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うろほろぞ
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いつも通りの賑やかな時が数日間流れていった。或る夕刻、アラミスたち4人はいつものように飲みに行った。その帰り道、彼らは川沿いの穏やかな風を受けつつ歩いていた。

「ねえ、ポルトス」

「何だ、ダルタニヤン?」

「ポルトスって恋人にさ…」

「俺の、恋人?」

「うん、どうやって口説いたのさ」

 真剣な表情でダルタニヤンが質問を仕掛けた。余りポルトスは恋人のことを語りたがらないが、いつになく真剣な顔に、彼も精一杯真面目に答えた。

「それはだな、何事も誠実にそしてまめに相手に対することだ。花は欠かさず、愛の言葉は極上に、身なりも美しく、だ。なあ、アラミス」

「そうそう」

「じゃあ俺なんて、本当、子供っぽくコンスタンスに対しているのかなぁ」

 ダルタニヤンは耳の後ろをポリポリと掻いた。銃士たちはそんな彼を微笑ましく思い、笑った。

「ダルタニヤン、子供っぽいかもしれないけれど、君の誠実さは充分彼女に伝わっているよ」

 アラミスはダルタニヤンをまるで自分の弟のように思っていた。きっとダルタニヤンにとってコンスタンスとの恋は初めてのものだろう。自分だって彼の年頃の時にフランソワに会った。初めての恋に夢中になって、全てを賭けて彼を愛した。

 自分の幸せは過去のものだが、ダルタニヤンの恋はまだ始まったばかり、自分の分も幸せになって欲しい。そう想って彼の肩を叩いた。

「だとは、思うんだけど。…アラミス、君はとても格好いいし、女性に事欠かないかもしれない。こんな悩みは持ったことなどないんだろう」

 ダルタニヤンはにっこり笑ってアラミスを見た。

「私が? 悩みも何も、私にはそのような人はいないからな」

「アラミスはね、将来偉い坊さんになるために常日ごろ論文を書いたりしている、らしいんだよ」

 ポルトスはにやにや笑って言う。

「ええ! 信じらんないよ。いつだって女性に騒がれているっていうのに!」

「人を外見で判断してはいけないな、ダルタニヤン」

 アトスも後から静かにつけ加えてくる。アラミスは何となく気まずい思いがしてきた。この間の夜のことが思い出されたからだ。けれどあの夜以来アトスは何も云って来ないし…。ローシュフォールだって町中で出会ったっていつもと変わらない。

「でもさ、アトス。アトスだって昔は恋をしたこともあっただろう?」

 ダルタニヤンの突っ込みにポルトスが思わず吹き出した。アトスほど恋の話を嫌う人間はいないからだ。ポルトスが自慢気に恋人の事を話し出すと、酒瓶と杯を持ってすっと席を外す程、避けている。

「やめとけ、ダルタニヤン。アトスはそういう話はしないぞ」

「そういう事だ。俺はそういった話題は好きじゃない。恋の相談はポルトスだけに絞って聞くべきだ」

「ポルトスだけぇ? いやいや僕はアラミスにだって、アトスにだって聞きたい」

「ダルタニヤン、きっとアトスは昔つらい恋でもして、懲りちゃったんだよ」

 ポルトスが、俺はずっとそう思っているとアトスを見ながら言った。アトスは苦笑いをして手を振った。

「どうとでも解釈すればいい」

「アラミスは? ねえ、どうすればコンスタンスとキスできると思う?」

「キス?」

「充分してるじゃない、か」

 アラミスもポルトスもアトスも呆れて一斉に答えた。

 ダルタニヤンはコンスタンスと会う度に迫る程積極的に出ているじゃないか! 3人は各々心の中で叫んだ。

「違うよ! ああいうのじゃなくってだよ」

 慌ててダルタニヤンは彼らに抗議をするが、3人の彼を見る眼は…。

「だからさ、俺も大人の恋ってのをしたいわけ」

「大人の恋だって?」

 ポルトスはアラミスと顔を見合わせた。

「俺だって、会う度に『コンスタ~ンス、好きだよ』って言うのは簡単さ。でもそうじゃなくって、アラミスがするみたいに女性に優しく言葉をかけてみたりして、相手の女性をぼうっとさせてみたいんだよ」

「なるほど」

 ぽんとポルトスは手を打った。アラミスは照れたように少し赤くなり、アトスはふむふむと頷いていた。

「自分からの恋じゃなくって、彼女からの熱烈な思いってのが欲しいんだな」

「そうなんだよ、ポルトス!」

「確かに今のままじゃ」

 アラミスはダルタニヤンとコンスタンスの恋の現場を想像しながらぼそりと言った。

「やっぱり、アラミスだってそう思うだろ」

 聞き止めたダルタニヤンは絶望せんばかりに溜め息と共に言葉を吐いた。アラミスが思い出し笑いらしきものでくすりと笑う。

「アラミス、笑うなんてダルタニヤンに失礼だぞ」

「だって…」

「いいんだよ、だからこうやって恥を忍んで聞いているんだ。ねえ、どうしたらいい?」

「僕に聞かれてもね。ポルトスの意見の方が実用的だと思うよ」

「アラミスの優しい言葉ってのは、自然に出てくるモンみたいだからなあ」

「失礼だな、君は」

 アラミスはポルトスを睨んでみる。ポルトスはだってそうだろ、と笑って答えてきた。

「ダルタニヤン、君は君らしくコンスタンスに接しているし、彼女はアラミスが喋る流暢な言葉で惑わされたりはしない女の子だよ」

「ポルトス! 君は僕が女性を惑わしてるというのかっ」

 アラミスは真っ赤になっていた。

「違ったかい?」

「僕はそんなつもりなどないねっ。女性達はみんなそれぞれに素敵なところを持っているからそれを素直に褒めているだけだよ」

「それが、僕にはできないんだよー」

 ダルタニヤンは嘆き、ポルトスは更に大きく笑った。アラミスはちらっとアトスを覗き見た。彼は穏やかにダルタニヤンを見ている。その表情の下に何を隠しているんだ、こいつ。アラミスは一人むっとしていた。ポルトスに何だかんだと言われても、別に対した事はない。が、どうしたってアトスの心が気にかかる。

「言葉なんか、どうだっていいんだ。君の素直な行動で、コンスタンスは君を好いているよ」

 アラミスは気分を直そうとしながらダルタニヤンに向かった。

「そうそう、アラミスの言う通り」

 ポルトスもうんうんと頷く。

「じゃあさ…、もうひとつだけ、これがちょっと難問なんだ」

「言ってみろ」

 と答えるポルトスにダルタニヤンは耳を貸して欲しいと頼み、小声で聞いた。

「何と! キスの仕方だって?」

 ポルトスは折角ダルタニヤンが小声で聞いたのに大きな声で喋った。

「う、そんなデッカイ声でぇ」

「キスの仕方って?」

 興味深そうにアラミスは聞く。

「俺なんて、なんかコンスタンスにただ迫っているだけだし、女性がうっとりとするような仕方なんて分んないんだもの。君達だったら、そういうキスを知っていると思って」

「おお、それならばアラミスに聞いた方がいい」

「何で、僕なんだ。ポルトス、君が教えてやればいいだろう。僕はそんなのは聞かれても困る」

「困る、ってことは…」

 言い掛けたポルトスはアラミスが余りにも睨むので言葉を飲み込んだ。

「分かったって、そう睨むなアラミス。いいかダルタニヤン、うっとりするようなキスっていうのはな、まず情熱的に相手を見つめて、徐に彼女の額に手をやり、抵抗感とか不安感とかを取ってあげるように静かに触れる。
 ここでいくつか愛の言葉、そうだな『あなたはまるで震えている小鳥のように愛らしい』とか何とか言う。そして指で彼女のかわいい上を向いた鼻の頭を触って、顔を寄せるんだ。で…」

 ポルトスが、どうも自分の恋人を思い出してへらへらしだしたので、聞いている3人は笑い出した。

「ポルトス~、そんなのは俺だってできるよ。俺が知りたいのはキスの仕方さ」

「なに、そんなのは君にもできるって? よく言うな。人が一生懸命教えてやろうっていうのに…」

「怒るな、ポルトス。ダルタニヤンが知りたがっているのはどうもそういった過程とは違うみたいだ」

「そう、分かっているね、アラミス!」

 瞳をキラキラさせて、ダルタニヤンはアラミスを見つめた。

「おい、期待するな。そういうのは僕たちだって教えられるものか」

 アラミスが急いで断る。

「まあ、知りたいのなら然るべき女性に教えて貰った方がいい」

 ポルトスが胸を張って答えた。

「ってことは、コンスタンスを裏切って、他の女性とってことか?」

 ダルタニヤンは怒ってポルトスに噛み付いた。ポルトスはさっと彼の前から避けてアトスの影に隠れた。

「言い過ぎだな、ポルトス」アトスは冷や汗をかいているポルトスにやんわりと言い、ダルタニヤンを見た。「まあ、まあダルタニヤン、君にはそんな事はできないし、かといって我々がキスの仕方なるものを簡単に教える事など出来ない」

「ああ、もうどうしたらいいんだ」

「アラミスを見張っていればいいよ」

 頭を抱えるダルタニヤンに、アトスの後ろか身体の大きなポルトスが言った。

「どういうことだっ」

 気色ばんだアラミスはポルトスの胸倉を掴んだ。

「だって、君は女性を口説くがあんなにも上手いし、キスぐらいダルタニヤンに見せてやれよ」

「何て事言うんだ! 僕はそんな誰彼となくキスなどするものかっ」

「ふむ…」

 怒りまくっているアラミスに向かって、アトスはなるほどなといった顔をしていた。

「何だよ、アトス」

 アラミスは先日の夜が胸の中に閃くように甦って来るのを感じた。

 ローシュフォールにああされたのは、僕のせいじゃないぞ。

「いや、何でもない」

 何でもないって顔かよ。はっきり聞けばいいんだ。僕は言ってやるよ、そうしたら… あれは無理やりだったんだって…。僕はフランソワ以外、あんな事された事はないんだからな。

「アトスはさ、恋の話が苦手だって言うけど、キス位はした事はあるだろ?」

 いきなりダルタニヤンはアトスに聞いた。たじろぎながらアトスは、まあなと答えた。それも小さな声で。

「なら、君を張ってみる!」

「どうして俺なんだ!」

「ポルトスじゃあ余り勉強になりそうもないし、アラミスはいつだってクール過ぎるし、君がもしするなら、それはなかなか見応えがあるかも」

「馬鹿な事を!」

 アトスとアラミスが同時に叫んだ。

「アトスを張っていたってそんな場面は一生おがめんぞ!」

 アトスは矢継ぎ早に言うアラミスを、吃驚した顔で見つめた。

「多分、そうだが」

 アトスはにやりと笑ってアラミスの肩に手をかけた。

「アトス?」

 ポルトス、ダルタニヤン、アラミスが彼の名を口にした。

「一度だけ、見せてやろう」

 手に力を込めて、アトスはアラミスの身体を引き寄せた。アラミスの腰に手を回し、彼女の金の髪に隠れたうなじに手を当て、硬直したアラミスに口付けたのだった。

「げっ、アトス!」

 ポルトスが声を上げ、ダルタニヤンは茫然と口付けをしている2人を見ていた。

 アラミスは思いっきり口付けをしてくるアトスの肩を引き剥そうと懸命だった。

 それは、意外な程、艶めかしい口付けだった。見ている方だってどうしたらいいか思案する位だったし、されているアラミスにしてみればそれ以上のものだった。

 アトスの口付けは、ポルトスが言ったような、『額に手をやり、まずは相手の不安感を取り除いてから』の口付けなんてものではない。腰に回された手は力強かったし、頭は固定され半ば強制的な姿勢で受ける口付けだった。

 初めからアトスはアラミスの抵抗を考えていたと見える。普段のアラミスだったのならば、アトスに殴りかかっていることだろう。けれどアトスはアラミスの動きを熟知していた。殴られる前に、アラミスの身体をそのまま大きな胸に抱き締めたのだか ら。アラミスは身を捩ろうとするものの、動きを封じられているためそれは徒労に終わる。

『放せ、どういうつもりなんだよ!』

 アラミスは頭痛がする程アトスが何を考えているのか分からなかった。ローシュフォールのそれとは違っている。求める激しさも、口付けの仕方も。舌を捕らえる動きはローシュフォールよりもしなやかだった。絡めるというよりも、じれったそうになる程に甘く吸う口付け。手はうなじから背に流れて上から下へ、下から上へと優しく擦る。但し力強さは変わらずに。

「は…っ…ん、んっ」

 思わずアラミスは喘いだ。彼女の頭からはすでにダルタニヤンもポルトスも消え失せていた。

「アトス」

 ポルトスがはっとして彼の肩を叩いた。アトスは手を振ってそれに答えたが、口付けを止めようとはしない。ますますアラミスを求めていた。

「止めてよ、アトス。もういいよ」

 ダルタニヤンも思わず彼の背中を叩いた。アトスはアラミスの唇から離れ、彼女を抱き締めたままダルタニヤンに微笑んだ。

「分かったか?」

「じゅ、充分…」

「そうか」

 短く答え、アトスはアラミスを放した。

「わ、ちょっとアラミス!」

 ぼうっとしたままのアラミスがポルトスの腕の中に倒れ込んだ。ほとんど意識がない状態である。ポルトスはぺたぺたとアラミスの頬を叩いた。

「しっかりしろ、アラミス! まったくアトス、君は何て事するんだ!」

「ダルタニヤンの希望に応えてやっただけだ。たまには俺も先輩として教授しなくてはならんからな」

「おまえな、いくらなんでもアラミスは男だぞ」

「だから?」

「だからって! 普通するか? 男だぞ」

 ポルトスの腕の中でアラミスはうっすらと目を開けた。身体に力が入らない。眼の焦点さえ合わない。頭を振ってみてやっと自分がどういった状態に居たのかが認識されていく。

「男だろうが、女だろうが、キスに変わるまい。そうだな、ダルタニヤン?」

 同意を求められたダルタニヤンは、引きつった顔で答えた。

「そ、そうかもね。でも、さ、アラミスにするなんて」

「きさま…ッ」

 ポルトスの腕から素早く身体を起こし、アラミスはアトスに殴りかかっていった。

「何てことするんだっ!」

 アトスはアラミスの手を除けながら、彼女の耳に囁いた。

「上手いもんだろ?」

「そういう問題じゃない!」

「行け、アラミス! 男にキスされたんだ。殴って当然だ!」

 ポルトスが後ろで声援を送り、ダルタニヤンはもう止めてよ、と呟いていた。アラミスのパンチがアトスの腹部に決まり、アトスは少し呻いた。

「このやろうっ!」ぼかっとアラミスはアトスの顔面を殴りつけた。「僕は女じゃないぞ!」

 猛然と立ち向かっていくアラミスを見ながら、ダルタニヤンはポルトスに聞いた。

「こう言ったらアラミスは怒るかもしれないけど、アトスって見掛けによらず、上手いんだね」

「だよなぁ。あのアラミスをぼうっとさせるくらいなんだから」

「見習わなくちゃね」

 数発のパンチがアトスの顔面を目掛けて飛んで行く。さすがにいくつかは軽く避けてはいるが、命中したパンチには苦笑いを浮かべている。息せき切ってるアラミスは額に汗を浮かべ、思いっきり早いパンチをひとつ送りつけた。アトスはのけ反りながらも、そのままアラミスの腕を取った。アラミスがアトスの上になだれ込む。2人して地面に倒れ込んでいった。

「許さん!」

 アラミスは真っ赤になって怒り続け、ダルタニヤンはやっとの思いで2人を引き剥した。アラミスは肩で息をしていた。アトスの上に倒れてはいたが、素早く立ち上がり服をばたばたと叩いた。

「僕はもう、帰る!」

 吐き捨てると、3人に背を向けて歩き出した。帽子をささっと被り直す姿にどう見たって動揺が表れていた。

「さて、俺も帰るかな」

 アトスも言うとポルトスとダルタニヤンを残してあっという間に帰ってしまった。残されたダルタニヤンは、はぁと溜め息を吐いてポルトスを見上げ た。

「アトスって、何考えてるのか、よく分からない奴だね」

「付き合いは長いが、今夜ほどわからないのはなかったな」

「俺、アラミスになんかすごく悪い気がしてきた」

 ダルタニヤンは去っていくアラミスの小さな姿を見つめて言った。

「今夜のことは、誰にも言うなよ。知られたらアラミスは手当たり次第に決闘を申し込んでしまうぞ」

「俺もそう思う…。まずは俺になりそうな位だ」

 ポルトスは大声で笑った。

「そりゃあ大丈夫だ」

「どうしてさ」

「我々は仲間だからさ。たとえアトスがああいうことしたって、アラミスは友情にひびを入れたりはしない男さ」

「そうだね」

 ふと、ポルトスとダルタニヤンの2人は沈黙してしまう。2人とも、今見たばかりのキスシーンが目に焼きついて離れない。今夜は眠れそうにない2人、だった。


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アラミスはアトスとともに別の酒場へと入っていった。かなり遅い時間だったせいか、酒場は半分以上が空席で、2人は中央の柱のところに席をとった。注文はアトスがアラミスに促されてやることになった。2本の葡萄酒と、鳥の丸焼き、野菜のシチューを。

「君の、おごりだからなっ」

 アラミスがにっこり笑って確認すると、

「勿論。君の快気祝いだからね」

 と、アトスは笑みを浮かべた。

「快気祝いね、君が遅れたせいで、僕の怪我の治りが少し遅くなったんだぞ」

「そりゃ、悪かった」

「わかっているんならいいさ」

 運ばれてきた葡萄酒を、アトスがまあ機嫌直せ、とばかりにアラミスのグラスに注いだ。グラスに満たされた紅の液体を、一息に喉に注ぎ入れると、ふうっとアラミスは息を解いた。先刻のよりはかなり良い酒だ。

 飲み終って何となくグラスを見ていると、再びトポトポとアトスが酒を注ぎ足してきた。

「良い酒だろ?」

 顔を上げたところへ、アトスが自慢気に言ってきた。

「…うん」

 取り敢えず素直にアラミスは答えた。アトスも自分のグラスにたっぷりと注ぎ入れ、喉を震わせながら実に美味しそうに葡萄酒を飲んだ。

「今夜はもう随分飲んだみたいだが、こういった酒はまた違った趣があってじっくりと飲ませてくれるのさ」

「…酒飲みらしい言い方だな」

「遅くなった言い訳さ」

 勤務が終わって真っ直ぐ店に来ようとしたのだが、恋煩いのダルタニヤンに捕まって、ひとしきりコンスタンスの話を聞かされたんだ。とアトスはアラミスに話した。

「なるほど、あいつらは結構うまくやってるんだね」

「どうかなぁ、コンスタンスに振りまわされてるって感じが、なきにしもあらずだな」

 アトスはすでにもう何杯目かの杯を立て続けに空けている。

「そこがまたいいんだよ、きっとね」

 アラミスは数年前の自分と許婚者フランソワとの幸せな頃を想い出していた。彼も私に振りまわされている、と笑って言っていたっけ…。

「君もそう思うのか?」

 突然問われて、アラミスはアトスをちらりと眺め、「ところで、そこの鳥も食べたいんだが?」と、さりげなく話を逸らした。テーブルにはいつの間にか、大皿にはみださんばかりの鳥の丸焼きが乗っていた。

「いやあ、気付かなかった。どうぞ、どうぞ」

「空きっ腹に酒ばかりじゃ、身体を壊すからな」

 ナイフとフォークを手にして、アラミスは鳥に向かった。手は器用に食器を操り、肉をさばいていく。

 『さっきのこと… 君は何も聞かないんだな。見ていたんだろう? 
 …良い酒を注文しのは、遅れた詫ばかりでないんだろう?』

 アラミスは、黙々と食器を動かし続けた。

 『君はいつからあそこに居たんだろう……』

 焼けた鳥の美味しそうな匂いが立ち込める。二人で食べ尽くすには量が多い気がするが構わずに作業に取り組んだ。

 何かしていなければ、先刻のことを思い出してしまうし、アトスに何かを聞くのも躊躇われる。アトスが現れる前のあの出来事は余りにも驚くべきことだった。あのローシュフォールが、まさかあのようなことをするなんて、いったい誰が想像できるっていうんだ。不可抗力だったんだ。私が悪いわけじゃない…。

 だから、沈黙こそは良しとして気を紛らわそうとしているアラミスだった。そして、一応はアトスに気を遣って、さばいた肉を彼の皿にも盛ってあげた。

「いつ見ても、そのさばき方は上手いもんだ。ポルトスも、君のナイフとフォークの使い方は魔術のようだと褒めていたものな」

 珍しくアトスはアラミスのことを褒めてくる。こういった役回りは、どちらかというとダルタニヤンか、ポルトスなのだが。アトスはアトスなりにアラミスに気を遣っているようだった。

「使えない方が変なんだ」アラミスはぽつりと答えた。「だいたい、剣の使い手ともあろう剣士が、鳥の一羽ぐらいさばけなくてどうする」

「そうだな、もっともだ。だが、人間、不得意分野というものがあるのだ」

 アトスはにやりと笑って、いつものようにアラミスを見返した。

「ほら、出来たぞ。食え」

「ご苦労さん」

 アトスは右手にフォークを持つと、待ってましたとばかり、肉を思いきり頬張った。そしてアラミスも。2人が葡萄酒と鳥を代わる代わる食していると、もうひとつの注文品である野菜シチューも運ばれてテーブルは更に賑やかになった。

 その後、たらふく食べて飲んだ彼らは店を後にした。2人ともかなり酔いが回っていた。特にアラミスはアトスと店に入る前に飲んでいたのだから当然だった。

「大…丈夫か?」

「これぐらい、何とも、ないさ」

 それにしても暑いな、と呟いた。ふらつきながら歩を進める。
 今夜のアラミスはいつも以上に酒杯を空けていた。ローシュフォールとのことも、飲めば忘れられると思っていたのだが、一向に効き目はなかった。飲む程に、どうも眼の前の人物に見られたということが気にかかってしようがないのだ。

 足元が覚束なくなる程飲んだってのに、気分は全く治らないじゃないか! だいたい、なんでアトスは何も言わない。別に聞かれたって困るが、こうやってはぐらかされているようなのは気分が悪い。折角良い葡萄酒を飲んだのに!

「いいよ、一人で歩けるって」

 身体を支えてきたアトスの腕を振り払い、アラミスはふらふらと歩き出した。

「意地っ張りなんだから」

「何か言ったか、アトス!」

「いや、何も」

「ふん! ふん、ふん!」 

 何かさ、言いたいことがあればはっきり言えばいいじゃないか!

 アラミスが手を払った後、アトスはアラミスを面白そうに見ていた。先刻、見られたことをかなり気にしているみたいだなと、わかってはいるのだ。

 アトスは、アラミスに話したように確かにダルタニヤンに捕まっていた。ポルトスは夜勤だし、トレヴィル邸でこのような戯言(アトスにすれば)を話すのはどうかと思い、ダルタニヤンに一緒に飲みに行かないかと誘おうとした。が、誘ってみると彼はコンスタンスと夕食を約束していると言ってアトスの誘いを断ってくる。何のことはない、ダルタニヤンは彼女との約束の時間までの暇つぶしに彼を呼び止めただけだったのだ。

 アトスは、アラミスがひとりで居ると決まって揉め事を起こすのを知っていたし、早足で約束の店へと向かった。店に着いてみると、中は荒れ放題で一目で何があったのか想像はついた。ところが店にはアラミスも、アラミスの相手になったであろう面倒を起こした者たちも居なかった。すぐに店の者がアトスを見つけて、アラミスとローシュフォールが2人して出て行ったと彼に教えてくれた。

 アトスは店の者が指差す方角へと歩いて行き、角を曲がった時にふたりを見たのだ。

 始めはローシュフォールの後ろ姿しか眼に入らなかった。彼のマントが翻り、その奥に金糸を見た時、何が起きているのかを理解した。

「おい、どこまで行く。お前の家はここだろうが」

 いつの間にか2人はアラミスの家の前に来ていた。アトスは自分の家を通り過ぎようとしていたアラミスの袖を掴んだ。

「あー本当だ。僕の家だ」

 かなり酔っているな、アトスはやれやれと手を広げた。掴んでいた袖をいきなり放されたので、アラミスの身体がぐらりと傾いだ。

「しっかりしろ」

「僕は、しっかりして、る」

 駄目だ、完全にやられている。アトスはアラミスを後ろから押して、階段から落ちないように上がって行った。

「そこらへんで寝るんじゃないぞ」

 辛うじて開いた戸口からアラミスを押し込んで声をかけた。アラミスは押されたせいで1、2歩よたつきながら、部屋の机に手を付いた。がつんと、膝を机の脚に引っかけた音がした。

「いっ…たぁ…」

「何やってんだ」

 室内に入るのは少し躇いがあったが、アトスはアラミスのそばに近付いた。

「馬鹿だな」

「……あいつも、そう、言った」

「え?」

 膝を擦りながら、アラミスがアトスを見上げた。

「ローシュフォールだよ。僕たちが、大馬鹿だってさ」

「……」

「ま、そうかもな。あいつにしてみればそうかもしれないからな」

 アトスは黙ったまま自分の帽子を外し、更にアラミスの帽子を外して机の上に乗せた。

「云いたいことは、はっきり云えよ。アトス」

 帽子に目をやっているアトスに、思い切ってアラミスは聞いてみた。アトスは不思議そうにアラミスを見返した。

「云いたいことなど、何もないが?」

「へえ、そう」

 何だ、では私の思い込みか。気にし過ぎだったか。

 アトスの帽子をひょいと手にすると、アラミスは彼に背を向けてふらつきながら戸口へと向かった。

「お休み、アトス。変なことを聞いて悪かった」

 開いたままの戸口へ優雅に手を振って彼を誘うと、アトスはしっかりとした足取りでアラミスの前に立った。

「…気にするな。お前らしくないぞ」

 アトスは、アラミスの手から彼の帽子を受け取ろうとしながら答えた。途端にアラミスが帽子を外に放り投げ出した。

「アラミス!」

「らしくない? ああ、そうかもね、けっこう酔っ払ってるし!」

 眉を顰め、アトスは手を腰に当ててアラミスを睨んできた。が、負けまいとアラミスは拳を握り締めて叫んだ。

「君はそうやって、いつも黙っているんだ!」

「……」

「お休み!」

 アラミスは金髪を強く振って顔を横に向けた。

 カツッと、アトスのブーツの音が立てられた。
 一瞬音に気を取られたアラミスが、視線を靴の先へと向けた時、突如アトスの手が伸びてきた。アトスはアラミスの顎に手をかけ、彼女の顔をむりやり自分の方へと向かせた。

「云わせたいのか?」

「……アトス…」

 ふたりの視線が絡まった。アラミスはアトスの鋭い視線に思わず眼を逸らした。

「え? どうなんだ。何が聞きたい」

「……」

「云いたいことがあるのはお前の方じゃないのか」

「僕が? 放せよ、暑っ苦しい」

 顎にかけられた手をアラミスは振り解いた。が、手は離れたものの、アラミスの顔のすぐ間近にアトスの顔が迫って来た。思わず後退ると、アラミスの背は扉にぶつかった。その拍子に扉が勢いづいて閉まる。
 室内は真っ暗になり、アラミスにもアトスにも互いの顔さえ見えなくなった。アトスはそれ以上動かない気配だったが、もし今自分が顔を動かせば彼に触れてしまう。アラミスはただぎゅっと目を瞑った。
 眼を瞑ったことで、自分の動悸がアトスに聴こえるのではないかと思う程激しく高鳴るのを感じた。

 暗闇の中でアトスは何も云わなかったが、その手でアラミスの頬に優しく触れて来た。

「アトス!」

 堪り兼ねて、アラミスが声を上げる。アトスは彼女の肩を引き寄せ、更に顔を近付けてきた。アラミスは目を開き、震える手でアトスの肩を押し戻そうとした。

 段々と闇に眼が慣れてくる。それを助けるように、月明かりが窓から忍び込む。闇を散らし、互いの姿を照らし出す。月光に浮かんだアラミスの顔は蒼白だった。

 アトスの一方の手はアラミスの頬に触れ、唇は今にも触れ合いそうになる。だが互いの息が交わらんばかりのところで、アトスはアラミスを深く見つめ続けた。蒼白のアラミスの顔は、昼の銃士の面影を留めていなかった。瞳は酔ったせいもあって熱く潤み、親友であるはずのアトスの態度に怯えていた。

 胸の鼓動が高まる中、アラミスは顔を逸らすこともままならず、そのまま目を見開いてアトスに対した。どの位の間そうしていたのか、しばらくしてアトスはふっと意味ありげに笑うと、彼女の肩から手を放した。そして半歩程アラミスから離れながら、彼女の金髪をひと房手に取った。

「そうなんだよな」

「…何?」

 アトスは唇を歪ませた。そして、アラミスの流れる絹糸のような金の髪を人差し指に戯れさせた。

 …あいつも、捕まったって訳か…。

 アラミスの金糸は、指の間からさらさらと落ちて行った。アトスは、茫然としているアラミスの身体を退して、閉まった扉を開いた。

「何が、そうなんだ、アトス」

 アトスの腕を目にしながらアラミスはできるだけはっきりと聞いた。ところがアトスは彼女を見つめながらも、表情を変えようとしない。

「……別に」

「アトス!」

 何だってこの男ははっきり言わないんだ。まるで鼻で笑っているみたいに私を見る。

「お休み、明日は寝過ごすなよ」

 アトスは可笑しそうにくすくすと笑い、アラミスの頭をぐしゃりと掻き回した。

「止めろって」

 頭を振るアラミスをぽんと叩くと、するりと戸から出て行った。階段を走るように降り、アラミスが放り投げた自分の帽子を拾うと、それを後ろで見ているであろう彼女に背を向けたままひと振りして、帰っていった。

「ア、アトスのばかやろうっ。何とか云えばいいだろ!」

 思いっきりアラミスは扉を閉めた。

「くっそっ…何が云いたいんだ……」

 アラミスは天井を仰いだ。

 どうして声が震えてくるんだ。

 唇から小さな声が洩れた。

「何を彼から尋こうっていうんだ、私は!」

 突然、ローシュフォールの口付けが生々しく思い出された。その上にアトスの不思議な声が反響する。

 そうなんだよな…

 右の掌がいつの間にか唇に当てられていた。ローシュフォールが触れた唇、アトスが触れた頬、俄かに熱を持ってきているようだった。

「…あんなのは、私……」

アラミスは寝室へと駆け出して行った。


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  解 放  PT・5 其の壱





 差し伸べられた手は、アラミスが待っていた男ではなかった。

 アトスもよりもひと回り大きな掌が、アラミスの頭上にあった時、男の右の眼は黒い眼帯に覆われていたからだ。

「いい加減にしろ。治る傷も治らんぞ」

「誰のせいだ! 人をさんざん待たせといて、君が…!」

見上げたアラミスは声の主を知り、アトスとは違うその人物を認めた。

 ローシュフォール!?

 アラミスがアトスを待っていた酒場は、ローシュフォールの行きつけだったらしい。偶々訪れた時、アラミスと出会ったというわけだ。ローシュフォールが云うにはおまえが暴れていた、ということだったが。

 ローシュフォールは困った奴だといった風情で、アラミスを店から連れ出そうとした。2人が出ようと出口に向かいかけた時、先刻相手になった男たちが何やらぶつくさ言うのが聞こえてきた。

「しかたない、枢機卿様の配下の方だ。それもあの方だし…」

 どういうことだ! こいつが護衛隊だから取りあえず引こうって聞こえるぞ! 陛下を守る我々を侮辱するつもりか。

「銃士隊だぞ、私は!」

 ぎらりと睨みつけると、男たちは不適な笑いを顔に浮かべていた。

「くそっ」

「よせ」

 アラミスはもう一戦! と、構えたが、ローシュフォールに肩口を掴まれて、やんわりと緊張を解いた。まだ自分の傷は完全には癒えていないようだし、今夜の処はこいつの言う通りここは大人しくするか。だが、次に会った時に倍にして返してやるぞ!

「ったく…、何の見返りがあるわけでなし、いつもつまらんケンカで命を縮めようとしている馬鹿の集まりが銃士隊だな」

 アラミスの先に立ち、ローシュフォールは日頃彼が思っていることを溜め息混じりに話しながら歩いた。

 銃士隊をあからさまに馬鹿にした言動は、後ろから付いて来ていたアラミスの歩みを止めた。

「…じゃあ首飾り騒動の時、大ケガをした僕たち3人は皆、大馬鹿か? ロンドンに行くダルタニヤンをあんたらの妨害から守って」

 街の中にローシュフォールひとりだけの靴音が響いた。
 靴音と、アラミスの澄んだ声が混じり合う。ローシュフォールはアラミスが彼の背中に冷たい視線を投げかけているのを感じて立ち止まり、肩越しに振り返った。ローシュフォールが振り返ったと同時に風が2人の間を吹き抜けていった。

 風はアラミスの髪をふわりと撫ぜて通り過ぎる。揺れたアラミスの前髪が、店の窓から漏れる微かな光りを受けて煌いた。
 男の眼は意外な輝きに思わず細められた。数度瞬きをした後、じっとアラミスを見つめると、ローシュフォールのひとつだけの瞳にアラミスと固い友情で結ばれた3人の男たちが重なった。

 輝くばかりに青春を謳歌している者たち、自分にはないものを簡単にも手に入れている者たち、妬ましい思いは彼らを見る度に強くなっていった。
 確かに、今の自分がこうしてリシュリュー猊下の御為に生きていることは自分が選んだ道だ。が、そのために失ったものも多くある。けれどもこうした人生を後悔をしているというわけではない。
 では何がこんなにも自分を焦らせる。

 それは…手放したものの中にたったひとつだけどんな思いをしても欲しかったものが入っているからだ。

 『アラミス』という人間を。

 手に入れられないのならばいっそ殺してでも奪いたいほどに、俺の心におまえがいるのだ。

 ローシュフォールはアラミスの喉元から胸元にかけて眼を走らせつつ、心の中で笑った。

「俺は、そういうお前たちが大嫌いなんでな」

 アラミスは一瞬大きく眼を見開いた後、唇の端を微笑むように引き上げた。そして首を少し傾け、何故なのだといった風にローシュフォールに瞳で問いかけた。

 ローシュフォールはその問いに激情で以て応えを返してきた。アラミスの細い腕をその手に掴み、建物の壁にいきなり押しつけたのだ。

 不意を突かれて、アラミスには力を込める時間さえなかった。ローシュフォールの力はアラミスを容易くその腕に抱いた。

 唇が触れた。

 声を出そうと唇を開いたアラミスが後悔した時、すでにローシュフォールの口付けは深く彼女を捕らえていた。

「ん……っ」

 掴まれた腕が痺れて思うように動かせない。ローシュフォールの体重と、体温の温かさが直に伝わってくる。眩暈を感じる程の激しさは、隠してきた本能を眠りから覚まそうとしているようだった。ローシュフォールの腕の中でアラミスはなんとか逃げようともがいていた。だが男の激しさの前に、次第に諦めが全身を包み、アラミスの中の何かが更に力を奪っていった。

「…う……」

 息苦しさと、どうにもならない苛立ち、多くの感情がアラミスに襲いかかった。うなじにあてられたローシュフォールの手が弛められた。だがそれはアラミスにとって一瞬の安息にしかならず、彼女は今まで以上の動揺を受ける羽目になった。ローシュフォールの手がアラミスの胸元に移動したのだ。ローシュフォールはアラミスの隠された胸をいとも容易く、明確な意思をもって触れたのだった。

 知っていて!

 ああ…以前からな

 言葉はなかった。触れた唇と、手の力強さが、2人の会話であった。
 身じろぎして尚も逃れようとするアラミスに、ローシュフォールの指は胸の頂きがあるべきところをなぞっていった。

 やめろ!

 この果実は誰のものだ? いままでに誰かが触れたか? 俺が、この果実を口に含むまで、隠しておくか?

 手を放せ!

 激しく求めてくる口付けに、アラミスは一言たりと彼に訴えることはできなかった。

 アラミスの白い喉に2人の唾液が流れ落ちて行った。
 ローシュフォールの唇がさまざまにアラミスを求める度に、淫らな音が夜のパリの街角に漏れた。互いの靴が土を踏み乱す音と重なって、更に男はアラミスを腕に抱き続けた。

 彼が、女だということはだいぶ以前から気付いていた。どうして男のなりをしているのか、そんなことはローシュフォールにはどうでもよかった。そして、なによりもアラミスがドレスで彼の前に現れたのなら、ここまで恋い焦がれるようなことは決してなかったのだ。

 この時代、女が自由を手に入れるには男の姿になるのが手っ取り早い方法だ。おそらくアラミスはそういった女のひとりなのだろう。
 そのようにローシュフォールは自分なりにアラミスに対して解釈をしていた。またローシュフォールは自由を手にして、己の想うままに生きようとしている女に敬意さえ抱いていた。

 何のことはない、ドレスを着たごく普通の女などローシュフォールには願い下げだったからだ。普通の女なんぞいつでも簡単に落とせるし、そのような女はローシュフォールの心を掻き立てはしないからだ。

 しかし、アラミスが女だと知った時、初めて己の生きている場所がこの恋から程遠いものだと気付かされた。

 だからこそ、彼等を憎んだのだ。

 だからこそ、彼等を妬まずにはいられなかったのだ。

 アトス、アラミス、ポルトス、ダルタニヤンの四銃士の仲間たちを。

 この恋を抹殺しようと、幾度思ったかしれない。この恋ほど危険に満ちたものはないのだ。あいつは俺が築き上げてきたものを根こそぎ引っくり返してしまうだろう。けれども危険と隣合わせの恋ほど、この男が求めていたものにほかならない。それに気づくにはまだ至らなかったが。

 目が覚めて、今日こそはと思いながら、いつの間にかアラミスの姿を捜している自分に愕然とした。しかし、らしくないと笑ってごまかし、酒で忘れようとすればするほどにあいつの笑い声が聞こえ、折角の決心が脆くも崩れ去っていくのだ。
 今夜も、そういった夜だったはずなのだ。だが…。

 想像していた通りに、アラミスの身体は細くしなやかだった。触れた唇は柔らかく、絡め捕った逃げる舌はわき上がる欲望をあざ笑うかのように滑らかだった。洩れた声は全身の血が逆流するほどの感動を与えてくれた。

 渡したくない。

 お前は私のものだ。

 語る筈のなかった言葉が、情熱に狂った男の喉から迸り出た。

「何で、お前はそちらにいるのだ」

 俺の手の届かぬところにいるのだ、と。

 唇は離され、ローシュフォールはアラミスの碧き双眸を覗き込んだ。彼の眼に映ったのは驚愕をたたえた瞳だけであった。

 はっとしたアラミスが何かを云おうとした時、彼らの背後で革靴が砂利を踏む音がした。ローシュフォールは店にいた男たちが後をつけて来たのかと思い、振り返った。彼等はこのように口付けをしている俺たちのことを何と思うだろうかと、半ば面白く思いながら。
 その期待は振り返った途端に破られた。背後に立っていたのは、いま最も出会いたくない男だったのだ。

「アト……」

 男の名を告げようとするアラミスの腕を解いた。

 銃士アトスはマントに風を含ませつつ、彼等2人を、特にローシュフォールを悠然と眺めていた。

「…アラミス、待たせたな」

「あ、ああ…」

 ほう、何も言わんのか。

 ローシュフォールは、興味深げにアトスを見守っていた。

 アラミスはローシュフォールの脇をすっと通り抜けて、アトスの横に並んだ。

 似合いだな。渡したくはない女とこの男は、憎いほどに美しい。敗北を認めたわけではないが、この男と張り合うことこそ我が楽しみではないか? そんな内なる声が聞こえてくる。

「失礼する。今夜、こいつは俺と約束をしているのでね」

 笑いも怒りもせずに、アトスはローシュフォールにさらりと言ってのけた。

「そのようだな。だが、余り待たせるものではないぞ」

「ご忠告感謝する。ローシュフォール殿」

「なに、感謝するほどのことではない」ローシュフォールはアトスの横に立ち尽くしているアラミスを見つめた。「おかげで私には良い夜であった」

 アラミスはローシュフォールに真っ直ぐな視線を返して来た。つい今し方、この腕に抱かれ、その力を失するほどに口付けをした女。だが、自分に注ぐこの視線は、まるで何もなかったかの如くではないか? 思っていた通り気丈な女だ。……一体アラミスはこの男、アトスをどう想っているのであろうか。銃士隊の中でも謎の多いこの人物を。

「あの店での待ち合わせは止された方が賢明だな、アトス殿」

「…のようだな。…では、失礼する。行くぞ」

「では、失礼いたします。…ローシュフォール殿…」

 ローシュフォールは、素早く会釈してアトスを追おうとしたアラミスに低い声で声をかけた。

「飲み過ぎるでないぞ。お前は危な過ぎる」

 去りかけたアラミスは、つかつかとローシュフォールのところに引き返して来た。手は剣の柄にかけ、碧い瞳は怒りに燃え、睫毛は震えていた。

「2度と、私に触れるな! 今度このような真似をしたら、殺してやる」

「そうか? ではそうするがいい」

 ローシュフォールは笑って答えた。アラミスは構わず背を向けると、走ってアトスの後を追って路地に姿を消した。

「さて、今夜はどこで飲み直すかな」

 ローシュフォールはひとり呟くと、彼等とは反対方向に背を向けた。歩き出すと風に乗って路地に消えた筈の2人の会話が聞こえてきた。

「おごりだって言ってたな、アトス。これから君と待ち合わせる時は、ずーっと君のおごりだからな」

「参ったな…、まあ今夜はたっぷり食ってくれ」

「当たり前だっ」

 簡単に手に入れられるものには興味はない。権力も、財力も、地位も…。己のすべてを賭けて手に入れるもの程愛しいものはない。だからいつか、私はお前をも手に入れるだろう。

 それまで待っているがいい、アラミス…。

 ローシュフォールは、アラミスの暖かさの残る指先で、なくした右の眼の眼帯をさも大切そうに触れた。そして光りの届かぬ闇の中へと歩いて行った。
op
「不用心ではないか。」
突然の声に、アラミスは驚いて振り向いた。水音が騒ぎ、雫が床に砕ける。
青い瞳が、程なくして木戸を背に立つ侵入者の影を見つけた。
「アトス!」
呼ばれて彼は薄明かりの下、腕を組んだままで、頷いた。憮然とした表情の相手を見返す。
視線の先、水を湛えた肌の上に、暗い光が滲んで流れた。
「大胆なことだな、鍵もかけずに湯浴みとは。」
「…玄関は鍵がかかっていただろう。」
「その鍵を私に与えたのはお前だが。」
「こんな所まで入って来るとは思わなかった。」
不機嫌な声。
「だから。」
アトスはひっそりと彼女の許に歩み寄り、その手を捕らえ、唇を寄せる。
「お前は、私に対して不用心すぎると言っているんだ。」
湿気に満ちた部屋の中、潜めた声はこもって、近く響く。
「離せ。」
口づけの作る音を避けるように、アラミスは顔を背けた。退こうとする腕を、しかしアトスは離さずにゆっくりとキスで埋めていく。
肩を、首をつたう水滴を集めるようにして、次第に長く、甘く。息を継ぎ、濡れた髪を分けて白いうなじを辿り、舌で嬲る。
「やめ…」
抗議の言葉も深く奪われ、絡めた水音の間にわだかまって消えていった。流され始めた意識に眉を寄せ、アラミスは懸命に耐える。


こんな強引なやり方は、アトスらしくない。

追い詰める吐息。逃れようもなく目を閉じて、彼女は思う。

けれど。
彼にその強引さを強いているのも、また自分なのだと分かっている。
この男はどうしようもなく見抜いている。今もまだ雨に迷う私を。


うなだれる金の髪を弄いながら、アトスは先刻の出来事を思い返した。

雨の中で、偶然にアラミスを見つけた。水煙に滲むその姿を、美しいと思った。
雨粒を避けようともせず、張り詰めた瞳でひた走り、去っていく。
翻るドレスの、濡れた衣擦れの音がいつまでも耳に残った。
未だ彼女を、走らせるもの。今も自分には明かさぬ顔をして。
その何ものかを思い、雨を受けると、重く強い感情がいつの間にか自分をここまで導いていた。

苦い焦燥に駆られ、アトスは再び腕に力を込める。l


「は…っ」
熱を奪うように、冷えた手が肌の上を侵していく。
わななく体を、その度執拗に腕に捕らえ、引き寄せると、また味わう。胸を、腰を。
仰のいた首元を淫らに吸いながら、探る。全て、彼女の女を暴きながら。折れそうな膝に触れ、なめらかな腿を伝い。
「…っく」
びく、と体が跳ねた。長い指が内側を教える。緩く、速く。次第に深く。抗おうとするほどに絡めとられて。沿おうとすれば焦らすように。
内壁を滑り混ぜる、冷たさと疼き。
「ん…っや…あ」
抑えきれず声が漏れる。吐息はやがて喘ぎとなって、霞む意識を揺らした。黒髪が肌を過ぎて、それすら耐えがたく感じられる。
嫌悪も秘密も、征服していくほどの熱。もはや力の入らなくなった体は再び水の中に沈み始める。
「…も、やめ…」
落ちそうで落ちられぬ快楽の長さに、アラミスはむせび、赦しを乞うた。
「も……許し…、て…」
その声は、震えるほどに甘くアトスを刺す。貫いてしまいたい。
衝動を抑え、アトスは彼女の全てが充分に潤むまで待った。
奪えるだけ、奪うために。どうせ奪い尽くせぬのだから。
そして、ぐったりと柔らかな体を水からすくい上げる。
「ア…トス…っ」
きつく体を寄せて。瞬間、圧倒的な熱が、彼女を砕いた。


「こんなことをして…。」
まだ下がりきらない息を混ぜて、アラミスは呟いた。交わりの後の匂いが、湯気にこもる。
「…。」
アトスは答えず、また金の髪に口付けた。余韻に任せた無言が続く。
「アトス、」
しばらくしてアラミスは何事か言いかけ、けれどやはり口をつぐんだ。
明日、私は銃士をやめる。
告げるべきなのに、言えぬのはなぜか。熱に溶けたままの体を湯に預けながら、彼女はひたすら
黒い瞳を見上げ、胸を痛めた。

 
ppp
「じゃあポルトスは頼んだよ。」
「雨が降りそうだから急ごう。」

戸口を出ると共に駆け出しながら、ボナシュー家を二人の銃士は出て行った。
今日は久し振りに四人の銃士が集まった。一番の若僧の祝福のために。
銃士としての生活も安定してきたことだし、彼は遂に所帯を持つことに決めたとのことで、そのお祝いだった。
幸せそうな微笑を絶やさない彼女と、いくら気をつけても顔がゆるみっ放しの彼と、傍で見ているだけで幸せのお裾分けに十分ありつける。
その幸せに当てられてか、巨漢の銃士は自分の腹を幸せにすることに励み、幸せのあまり動けなくなってしまったので今夜は幸せの帳の中で過ごすことになった。

ボナシュー家を出て数分も経たない内に雨は本降りになって来る。帽子も上着も全く役に立ちはしない。
「お前の家の方が近いだろう。今晩は泊めてくれ。」
年かさの銃士は承諾されるものとして、既にもう一人の家へ向かっていた。

玄関を入った時、既に二人はセーヌ川へ飛び込んだと言っても信じられるほどずぶ濡れだった。
家主は慌てて火を起こし、上着だけ脱ぐと奥の部屋へ引っ込んだ。しばらくして戻って来るが困った顔をしている。
「すまないがアトスが着られるようなサイズの着替えが無いんだ。」
ワイン壜を片手に勝手に一杯やっていた彼は少し目線を上げてから、一口飲んだ。
「そんなことは分かっているさ。シーツの一枚でも貸してもらえたら幸いかな。」

アトスはワインを飲みつつ、着ている物を全て脱いでそこら中の椅子に引っ掛けて、シーツを身にまとった。
その間アラミスは、また奥の部屋で着替えを済ませていたらしい。部屋着姿で髪を拭きながら現れる。
「ああ、冷える。俺にもワインをくれないか。」
春先の夜に浴びた雨はかなり体を冷やしていた。
二人は一本のワインを杯に注がずにそのまま回し飲みしながら火に当たる。
しばらくは若い二人のこれからについて、穏やかではない推測など冗談を交えて語り合った。

「所詮俺達は汚れた大人だよなぁ。」
若い二人には何の過去も無い。やましいことなんて尚更無い。
アラミスはこれから全てが始まるとも言える二人を思いながら、少し妬ましい気持ちを交えて溜息をついた。
「大人には大人の楽しみがあるさ。」
「例えばどんな?」
ここで何も考えていなかったと言えば嘘になる。彼女は十分に承知していた。
これはこれからの行為に対する間接的な賛同の返事。

暖炉の火から顔を上げてアトスを見つめるアラミスに、彼は深く接吻をする。
「悪くないね。」
微笑みながらアラミスが見つめる。どうやら及第点だったらしい。
「どうせなら奥へ行こう。」
軽やかな足取りの彼女に手を引かれて、二人は寝室へ向かう。
さっさと寝台へ潜り込む彼女の姿に少々困惑を感じながらも、彼も後を追って潜り込んだ。
まだ体の冷えは解消されていなかったので、お互いの体温を感じるのが心地良かった。

しばらくはお互いのこういう関係が物珍しくてじゃれ合っていたが、アトスの纏っていたシーツが解けてしまい素っ裸になっていることに気付いた。
これでは不公平だとの穏やかに苦情を申し立てるとアラミスは素直に自分の着ている物を脱いだ。
彼女は素肌を晒しても全く臆する事無く、シーツでアトスを包んでみたりと益々はしゃぎ始める。
「おいおい、大人の楽しみはどうしたんだ?」
彼の予想を裏切る展開に多少動揺しながらも、素肌で抱き締めて拘束する。
アラミスは両手をアトスの首に巻き付けて、妖しく微笑みながら応えた。
長く、深く、たっぷりと彼の口を犯すことで。

―――――――――――――――――――――――

「・・・・・ちょっと意外。」
「何が?」
裸のまま台所からワインを手に戻ってきたアトスに、アラミスは声を掛けた。
「うん、とても良かった。女嫌いで通ってるからさ、すっごい下手だったらどうしようかと思ってた。」
と重ねて言って、自分の言った内容に大笑いしていた。
アトスは口に含んだワインで思わずむせる。
寝台で体を起して髪を手ぐしで整えているアラミスの横に彼は体を添わせながら、
「ほぅ、誰と比べているのかな?」
と、素肌のままの乳房を鷲掴みにする。
彼女は顔をしかめながらも、興味津々な笑みを満面に浮かべて問う。
「なぁ、普段どうしてるんだ?」
「秘密。そっちこそどうなんだ?久し振り・・・・って訳でも無さそうだったが?」
「秘密。俺は誰かさんと違って男嫌いって訳でも無いからね。」

顔を見合わせては自然と笑みがこぼれる。
「汚れた大人ってのも気楽で楽しいよね。」
と声を立てて笑うアラミスに、
「ああ、ダルタニャンが聞いたら卒倒するだろうけどな。」
と答えて二人で更に笑い合った。


恋愛感情なんて無い、只の遊び、気紛れ。朝になって家を出たら今まで通りの関係。
きっと若者達の幸せに当てられてたのだ。約一名の幸せは食べ物に向かったけれど、自分達は自分達でのぼせ上がっていたのだろう。
しかし、たまにはこんな風に過ごすのも悪くない、勿論相手が承諾してくれたら・・・・・だが。
二人とも密かにそう考えてはいたが、口には出さない。出した方が負け。
ひょっとしたら既に何かが動き出しているのかも知れない。
だけどまだ気付かない振り。
だけどもしかしたら・・・・・。
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