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うろほろぞ
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q2
「殿下… そんなに怒らないで下さいよぉ。 こっちゃぁ無い脳みそ絞って、なんか気の利いた台詞を思い
付こうとしてんですから。」
「それで、か?!」
「俺にはこれが限界ですよ。 でも殿下。 こんな事ぐらいで殿下が泣いてちゃ、おかしいですぜ? 俺の
知ってる殿下は、あんな奴等の言う事なんざ気にも留めねぇで、自分の思った通りにするお方ですよ。 
貴族なんか何人束になったって、クシャナ殿下に敵いっこありませんからね! 奴等が何を企んだって、
嗅ぎ出して見返してやりゃぁ良いじゃないですか。」
微動だにせず立っているクシャナに、クロトワは自分の言葉が通じた事を確信した。
「殿下。 早くいつもの殿下に戻ってくれないと、外の護衛兵に逮捕されちまいますよ? あいつら、融通が
利かねぇから、元気無い殿下を見たら『クシャナ様に成りすましたふとどき者ぉ~!』なんつって、牢に叩き
込みかねませんぜ?」
「フッ。 フフ。 それは困るな。」
「そうですよ!」
「…済まぬ、心配をかけた。 だがもう、大丈夫だ。」
「そりゃぁ良かった。 …アッ! 待てよぉ…」
「ん? どうした?」
「そうなると、今夜飲み明かすってのは、ナシになるんですかねぇ?」
「バッ・馬鹿者!」
言葉とは裏腹に、クシャナの顔にはようやく笑いが戻った。
「そんなに酒が欲しければイヤと言う程くれてやる! 飲み過ぎて体を壊しても知らぬぞ!」
「ヘィ、そりゃありがてぇ…」
「盛大にやるぞっ! ゼストの古狸どもに見せ付けてやる… これしきの事、このクシャナには屁でもないと
な!」

「…殿・下ァ。 俺が一番の悪影響だってのは、百も承知ですがねぇ…」
「…。 そうだな。 お互い、少し気を付けた方が良いな。」
「御意に。」






認定書の束に取り掛かるクシャナを残し、クロトワはその晩の宴会の準備に城内を回った。
「おい、マシャ!」
「あ・クロトワ様。 何か?」
「おめぇ今夜は非番だろ?」
「はい。」
「ちょうど良かった! 殿下が平民兵集めて、宴会すんだ。 おめぇ、いつだったかクレネや将軍達の物
真似やってたろ? 今夜殿下にも見せてくれよ。」
「エエェッ! で・殿下に?! 宜しいんですか、そんな…」
「あぁ。 今日は貴族連中に腹ぁ立ててらっしゃるんだ。 思いっ切りアクドクやっていいぞ!」
「は・はい! 練習しておきます!」
「おぅ、楽しみにしてるぜ!」
貴族に占められた軍幹部の中で、ただ一人平民出身のクロトワは、それだけでも平民兵に人気があった
であろうが、いつもまめに彼等と付き合ったり世話をしていたので、圧倒的な人望を集めていた。 殿下の
右腕的存在でありながらも気取らず(と言うよりは、言葉遣いも直さず)、部下は皆平等に扱うので、その
人気は貴族出身の兵にも及んでいた。






次は食事の用意に調理場へ行った。
「シェケル調理長、今夜殿下が宴会開くんだ。 なんか美味いモン作ってくれねぇか?」
「宴会? 久しぶりだなぁ。 なんか考えとくよ。」
「おっ! 期待してるぜ。 それと、酒はそんな上等なんじゃなくてもいいんだ、殿下の以外は。 今日は
俺等平民を寄せ集めるんだ。」
「へぇ、どう言う風の吹きまわしだぃ?」
「あぁ、実はな…」
辺りをキョロキョロ見回してから、ちょっと近寄って低い声で続けた。
「ここだけの話だがな、ゼストの連中が花婿候補の名簿突き付けてきたんだ。 殿下はそりゃ~ご立腹で
なぁ!」
「なんてこった! そりゃ当たり前だな。 殿下もお可哀そうに…」
「まぁ、そんな訳で今は貴族一般に当て付けたいお気持ちなのさ。 お陰でこっちはお前さんの手料理に
ありつけるが、これから婿選びで一騒ぎありそうだぜ。」
「そりゃそうだな! いやぁ、いったいどうなる事やら…」
今日の出来事は、ゼストの役員だけでなく、クシャナが部屋を荒らした時に外にいた護衛兵からすぐに
町中の噂になる事は必至。 だが噂話が何よりの楽しみと自分でも認めるシェケルに、その情報をいち
早く教えたのは、点数を稼ぐ為であった。 王宮の家事を取り仕切る調理長の機嫌を取っておけば何かと
便利であると、クロトワは経験上知っていたからである。 それに何と言っても、クロトワは美味い料理が
好きであった。






その晩、遅くまで続いた宴会の末、好き放題飲んだ客が危ない足取りで(何人かは仲間に担がれて)帰った
後、クシャナは最後に残ったクロトワに向かって杯を掲げた。
「今宵は楽しかったぞ。 礼を言う。」
「ハッ、ありがたきお言葉!」
「特にあの、将軍連の真似をした…」
「マシャです。」
「そうそう、マシャ。 あれは笑えた! あんなに笑ったのは、久し振りだ。」
満足そうな笑みを浮かべ、片手のグラスを見詰めて寛いでいるクシャナに、クロトワは一瞬、見惚れた。
〝イ~女だよなぁ…〟
すぐにハッとして、視線を逸らすと、クシャナの近くに開けられたワインが一瓶あるのに気が付いた。
「あれ? まだ半分も残ってらぁ。 殿下、もう一杯どうです?」
「あぁ。」
注いでから自分のにも入れて、クロトワは王座の隣の床に胡坐をかいた。 クシャナ用の酒を一口飲んで、
溜息をついた。
「うめぇ~!」
「フフ。 お前が酒を飲む時の顔は、本当に幸せそうだな。」
「そりゃ本当に幸せだからですよ。 美味いモン食って、上等な酒飲んで、殿下のお顔が見られりゃ、これ
以上の幸せはありゃしませんぜ。」
「フッ、うまい事を言う。」
「ホントですよ、殿下! 俺ぁ酒や食いモンが無くったって、殿下のお側にいられりゃぁ、それだけで十分で
すよ!」

「そうか? では給料も要らぬか?」
からかうクシャナを見上げて、クロトワは笑い返した。
「殿下がそうやって笑っててくれるんなら、構いませんよ。 ひもじくたって、忘れちまう。」
「…安上がりなものだな。」
「そりゃそうですよ! 丈夫で長持ち、殺したって死なねぇムシ並みの生命力に、鋼の肉体!」
「プッハッハッハッ!」
腕を曲げて力瘤を見せるクロトワに、思わずクシャナは笑い出した。
「何が『鋼の肉体』だ! 『鼻毛の肉塊』の間違いであろう!」
「あぁ、ひでぇ… 俺ぁこう見えてもデリケートなんですぜ?」
「その顔でよくもそんな事をぬかせるな。 『デリケート』と言うより『バリケード』の方が似合う!」
王座の肘掛に凭れて、クシャナは涙が出るほど笑った。 複雑な気持ちでクロトワは苦笑した。
「ハァ… いいですよ、なんて言われようが、殿下が喜んでくれるんなら… 俺は道化にでもなりまさぁ。」
「道化か。 あいにく、それは間に合っているが?」
涙を拭って言うクシャナに、クロトワは少しズリ寄った。
「じゃぁ、殿下… 俺を番犬にしてくだせぇ。」
「番犬? 私の飼い犬になると言うのか?」
「もうクレネ達はそーだって言ってますからね。 この際開き直って、犬小屋に引っ越しますよ。」
「そうか、番犬か…」
見下ろすクシャナの目は、ほろ酔い気味で、いつに無く優しかった。
「犬にしては利口そうだな。 ほら、お手!」
差し出された彼女の左手にすかさず手を乗せると、またクシャナの笑い声が広間に響いた。
「よしよし、合格だ。 お前を番犬隊長に承認しよう。」
「ワォン!」
「ハハハ…」
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q1
『トルメキアの覇者』
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「あぁ、クロトワ殿! これから殿下のところへ?」
「そうですが…?」
「すまないがこの書類をお渡ししてくれ。 私は急用ができたので、失礼しなければならない。 頼みました
ぞ。」
「はぁ…」
そそくさと廊下を去って行く後ろ姿を眺めながら、クロトワはつい貰ってしまった認定書の束を抱え直した。
〝なんだぁ、クレネの奴、俺にこんな事を頼むたぁ… なんかあるな。〟
王代であらせられるクシャナ皇女の護衛隊の者は、全て選りすぐりの兵士である前に生粋の貴族であり、
それだけにプライドも高い。 殿下のお傍近く使え、信用されている平民あがりのクロトワは、軍人と言えど
彼等にとって煙たい存在である。 増してやその隊長のクレネとクロトワは、表面的には何事も無い様に
穏やかではあるが、事実上犬猿の仲と言えよう。 そのクレネが自分の仕事を託してきたのだから、怪しく
思って当然である。



謁見室の近くまで来ると、護衛兵が廊下に並んで警備をしていた。
「殿下は中か?」
「あ、いえ、まだ会議室の方に…」
「なんだ、まだゼストの連中が粘ってるのか?」
「いいえ、ゼストの使者方はもうお引取りになりました。 殿下はお一人で第二会議室にいらっしゃいます。」
「そうか。」
ゼストとは貴族集会で、政治的に一番勢力を持つ団体であるが、軍事国家のトルメキアにおいてはさほど
重要視されていない。 今日は月一度の王代との対談の日であった。
少し先にある会議室へ行く途中、クロトワは悪い予感がした。
〝一人で会議室に篭もって、何してるんだ? …さてはまたゼストの奴等がイヤミでも言って、クシャナの
機嫌を損ねたな。 ハハ~ン、クレネは殿下がご機嫌斜めなのを知ってて、俺に仕事を押し付けやがった
のか。 クソッ!〟

だがクロトワも宮廷生活には慣れていたので、怯む事無く、顔を無表情にしてから扉をノックした。
「誰だッ?!」
「クロトワです。 失礼します。」
クシャナに断る隙を与えず勝手に部屋に入った。 『下がれ』と言われたら、重い認定書を抱えたまま戻ら
なければならない。 他人に押し付けられた仕事でそこまでする程、クロトワはお人好しではない。
窓際で外を向いているクシャナの背中に敬礼し、報告した。
「クレネ隊長から預かった装備の認定書と、今朝申し付けられましたコルベットの製造予定表をお持ちしま
した。」

「そこへ置け。」
会議室の大きなテーブルの上にドサッと荷物を置くと、クロトワは始めて部屋の惨状に気が付いた。 あち
こちに使者達が使ったと思われるワインのグラスや容器がゴロゴロと転がっており、壁に叩き付けられて
砕けた物の破片が床にも落ちていた。 椅子の大半は無造作にひっくり返され、クシャナの足元には毎月
恒例の懇願書が細かく引き千切られ、散らばっていた。
「こりゃすげぇ… 連中とチャンバラでもしたんですか?」
「…」
「まぁ、たまにゃ奴等の肥えたケツを思いっ切り峰打ちして、痣の一つや二つくれてやりてぇ気持ちも分かり
ますがね。 程々にしねぇと後始末が大変ですぜ?」
「さ・下がれ!」
妙に上ずったクシャナの声に、クロトワは「?」と目を凝らし、彼女の後ろ姿を見直した。 すると、微かに
ではあったが、固く握られた両手の拳と、彼女の肩が、小さく震えているのが見えた。 驚きのあまり、今
言われた事も忘れてしまった。
「どうしたんですか、殿下?! いったい何があったって――」
「下がれと言った!」
今度は堪えきれず、はっきりと声が震えているのが聞こえた。 そしてクロトワは彼女の頬から床まで、光る
水滴が落ちるのを見た。

〝イィッ!? クシャナが泣いてる?!?〟
一瞬、呆気に取られたが、クロトワはとっさに考えた。
〝ここで一つ、気の利いたことでも言わなけりゃ、バツが悪くなるなぁ… 泣いてるとこ見られたとあっちゃ、
余計ヘソを曲げちまうだろうし… よし、こうなりゃぁ――〟
「殿下、良かったら俺を二・三発ブン殴って下せぇ。 ムシャクシャしてる時ゃ、憎い奴のツラ思い浮かべて、
力いっぱい何かを殴り飛ばすのが一番ですぜ。」
「ウッ…」
部屋の状況からして、すでに気の済むまで癇癪を起こし、もはやクシャナにそのような気が無いと承知の
上での申し出であった。 だがそうやって飽く迄も腰の低い姿勢をとれば、彼女がやがて口を割る事を、
クロトワは心得ていた。 無茶な事を勧めれば、逆に彼女が冷静な判断をし、落ち着く事も。
「お前に当たるつもりは無い。 ここを散らかすつもりも無かったが… 外の兵は何事かと思っただろうな。
私とした事が、大人気無い…」
いささか意気消沈して、クシャナは指で涙を拭った。 その様子にクロトワはホッとし、近寄って行った。
「今度はなんて言ってきたんです? ど~せまたくだらねぇ提案を押し付けようってんでしょうが――」
「お前には関係ない。」
「エッ?」
安心した矢先に冷たくあしらわれ、さすがのクロトワも面食らった。 が、めげる程の打撃ではない。
「そりゃぁ、貴族のお偉いさんの考える事なんぞ、俺には理解できませんがねぇ。 知らぬが仏っても言い
ますし… どうです、殿下、今夜はパァッと飲んで、酔い潰れるってのは?」
「…お前は単純でいいな。 暴れるか酒を飲めば、全てが解決するとは。」
「何も、解決するなんて言ってませんぜ。 確かに気を紛らわせるだけですけどね、八方塞の時はそれでも
一時的に楽になれまさぁ。 そうしてる内に何か良い方法が見えてきたり、あっちから解決が歩いて来たり
する事もありますよ。」

「八方塞、か。 確かにそうかも知れん。」
少し考え込んでいるクシャナがまた口を開くまで、クロトワは静かに待った。
「…王代になって、もうすぐ一年になるが… クロトワ。 私は精一杯、トルメキアの為に尽くしてきたつもり
だ。」
振り向き、じっと自分を見詰めるクロトワと、クシャナは始めて目を合わせた。
「父や祖父に勝るとも劣らぬ手腕と指導力を身につけたと自負している。 帝国も近代では覚えの無いほど
安泰だ。 軍力でも、経済においても、トルメキアは世界の頂点に達したと言えよう。 なのに…」
視線を落とし、足元に散らばった紙片を見やった。 すると自ずと手が拳になり、表情が険しくなった。
「なのに、ゼストの馬鹿どもには、私はただの臓器の塊にしか見えんらしい!」
思わずクシャナは唇を噛み、散乱した紙くずを爪先で蹴った。 その勢いにひらひらと舞う紙片から彼女の
顔に視線を戻し、クロトワはそっと訊いてみた。
「それはいったい、どう言う事で?」
「…例え歴代のどの皇帝より勝っていても、女である限り、私は世継ぎを産む為の道具に過ぎん!」
「な・何を…! そのような事はけして――」
「奴等には、そうなのだ。 私の能力だけでは、不安と見える。 これが何だか分かるか?」
引き裂かれた紙片を、クシャナはまだ僅かに震える手で指差した。
「懇願所ですか?」
「名簿だ。 私の花婿候補のな。」
「エッ?! これ、全部…?」
元の姿では優に三十頁はあったであろうその紙くずに、クロトワは絶句した。
「用意周到なものよのぉ。 これでは断わろうにも、一人一人にそれらしい理由をつけるだけで一苦労だ。
増してやこれだけの中から一人も選ばぬ訳にはゆかぬ。 『帝国の為に早くお世継ぎを』等とぬかしおった
が、すぐに子ができねば我先にと王家の縁者を世継ぎに立てようとするに決まっている。 つまり、皇子を
産まぬ限り、私の統治は成り立たぬと言う訳だ。」
「やれやれ…」
「フンッ。 正に八方塞だ。」
皮肉な笑みを浮かべてクシャナは窓に向き直り、冷たいガラスに額を当てた。
暫らくその背中を眺めてから、クロトワは溜息をついた。
「ハ~ァ。 でも殿下、いつかはこうなると分かってたんですから、今更ジタバタしても仕方ないでしょう。」
「簡単に言ってくれるな! 他人事(ひとごと)だと思って…」
「そりゃぁ、他人事ですからね。 殿下が誰と結婚しようと、確かに俺には関係ありません。 でもまぁ、これ
だけ候補がいれば、中には一人ぐらい良い男がいるかも知れねぇですよ?」
「本当に、そう思うのか?」
キッと自分を睨むクシャナに、クロトワはまた溜息をついた。
「…そんな、突っ込まないで下さいよ、殿下。 ただの気休めに決まってるでしょう。」
「…」
「そりゃ、どこぞの能無し坊ちゃんの相手をしなけりゃならねぇなんて、お気持ちはお察ししますが――」
「黙れ! お前に何が分かる!」
すぐまた外を向いたが、窓の縁に置かれたクシャナの拳に、悔し涙が二滴、零れ落ちた。


aa



 風の谷を去って二日、順調にトルメキアへの距離を縮めるバカガラスの内奥、クロトワは数枚の紙を携え、クシャナの私室を訪れた。


 「殿下、先ほど入った本国からの電信ですが……」


 軽いノックの音とともに用件を述べる、が……常ならば間を置かずに下りるはずの入室の許可がないことに、珍しいこともあるものだとクロトワは小首を傾げた。

 大の男が取るようなポーズではないのだが、下がり気味の眉に垂れ目のこの男だと妙に愛嬌がある。


 「殿下、いらっしゃらないんで?」


 暗号を解読次第持って来いと言われたのが半時ほど前のこと。

 己が下した命令を忘れて休むような女ではないと思うのだが、と何度か繰り返し扉を叩いても、一向に答えが返ってくる気配はない。

 一分一秒を争う中身ではないものの、さりとて自分の手元でとどめ置くのにはいささか問題がある。


 「さて、どうしたもんかね……ットットット」


 半ばヤケクソに扉を強く押した、その次の瞬間、鈍い音と痛みを同時に感じ、クロトワは部屋の内側で尻餅をついていた。

 無用心かつありえないことだが鍵が開いていたらしい。

 反射的に目をつぶって叱責の声に備えるが、五秒十秒と時間が経ってもクシャナの冷たいが美しい声が響くことはなかった。


 「……おいおい、どうなってんだ」


 誰も好んで罵倒されたくはないが、こうまで予想と違う状況になるのも気持ちが悪い。

 加えて一国の皇女の私室に無断で入るなどという不敬罪(この場合は不可抗力の感が否めなくはあるが)を犯している以上、解読された電信を置いてサッサと退散するのが最善の道であろうと、クロトワは立ち上がり、そして、三歩も進まないうちにその歩みを止めた。


 (こりゃ反則だろ)


 執務机の上、緩やかなカーブを描く黄金の髪に目を瞬かせ、クロトワは泣き笑いのような複雑な表情を浮かべた。

 つい数日前には旧世界を燃やしたバケモノを従えて蟲どもと対峙していた女の、歳より幾分幼く見える横顔に、健康な成人男性らしく彼女をネタに日々妄想していた不埒なアレコレはあっけなく霧散する。

 皇女でありながら侵攻軍の将軍という肩書きを背負っているような女なのに、この稚けなさはなんなのだろう。


 (どうも調子が狂っちまうな)


 伏したまま起きる気配のないクシャナは心なしか寒そうに身体を震わせている。

 その姿に、またぞろ女を感じないではないが、無防備な寝顔を目にすると毒気が抜かれてしまう。

 ……まあ、実際のところ、現在の身分差でこの女を抱くことなどできるはずもないのだから、完全な一人相撲ではあるのだが。


 しばしの逡巡の後、クロトワはハァと深く溜め息をつくと、纏った深青のマントを無造作にクシャナの肩へと落とした。

 腐海の瘴気から逃れるため、十分以上に高度をとって飛行している今夜は、いくら室内といえども冷え込む。

 貧乏軍人の安物であっても目覚めるまでの寒さをしのぐには事足りるだろう。

 
 (ったく、カワイイったらねぇな)


 勝手に入室した非礼と電信の暗号が解読された次第を紙の余白に走り書き、一礼するとクロトワは部屋を後にした。





 「……ふん、タヌキめ」

 閉ざされた扉の向こう、やや憮然とした声が呟いた言葉を知るよしもなく。






ホームスイートホーム



「―――自分が、ですか」
「そう言ったつもりだが。おまえにそう聞こえなかったのなら、私の言葉が
足りなかったのかも知れんな―――」
「とんでもない、ただ本国への報告程度ならなにも俺でなくても事は足
りるんじゃあないかと思いましてね」
「『ただの報告』にはならんだろう。なにしろ本国のあの連中、下らん矜
持とやらを後生大事にしている様な馬鹿共ばかりだからな」
「…まあ、否めませんがね―――いえ、自分はそのような評を下す立
場にはありませんので、なんとも」
「…はは!だから貴様のような狸が相手で丁度いいのだ、クロトワ!」
「…そりゃ…自分にゃあ勿体ないお言葉で、殿下」


往復二日、報告に三日―――五日間に及ぶ任務を、クシャナ言うと
ころの『馬鹿共』相手にこなすのはやはりそれなりの激務だった。
「…あのジジイ共」
まったく、思い出してもむかっ腹の立つ。
結局のところ奴等も、現況報告とそれに基づいてクシャナが決定した
事項について文句のつけ様などないことはよくわかってるんだろう。
そう、わかっている。わかっていてそれでも、勿体ぶった態度で、礼儀上
だけはまだ奴等の同意を得なきゃならねえこっちの事情を盾に、ああだ
こうだと口をはさむ―――しかも最後は奴等お得意の嫌味付きで。
『あの方も我等の同意を求めるならば自ら足を運ぶのが道理であろう』
『このような所にわざわざおいで下さる程お暇ではないということでは?』
『ああなる程。それ故古参の参謀殿を遣わされたのだな』
『だが肩書きだけで使者の人選をなさるとは…まったく殿下らしい!』
『おや、それでは我等が彼の出自を問うている様ではありませんか』
『いやこれは済まぬ。どうかお気を悪くなされるな』
『いえ―――本来ならば、自分の様な平民出はこのような宮中深くへ
足を踏み入れること許されぬ身。それをこうして快くお迎え下さった閣
下のお心遣い、誠に痛み入ります』
そうして深く頭を下げた俺を見ると奴等は満足そうな笑みを浮かべた。

俺自身、ああいう事にはもう慣れて別段どうとも思わなくなっちまった。
それでもあんな胸の悪くなる様な顔を見ながら高価な酒を飲むよりゃ、
宿営地への帰途、どこかの店でいい女と談笑しながら飲む安酒の方
がよっぽど美味いだろう。
「―――ああクソ、今日はどこまでもついてねぇな」
俺があたりをつけていたその小国は、どうやら腐海に沈んだらしい。
「…ついてねぇのは、この国の連中か。まあこればっかりはどうにもならね
えからな」
眼下に広がる亡国の跡地に一瞥くれて、俺はそこを後にした。

「―――これは参謀殿!帰営は明晩の予定では?」
「まあいろいろあってな」
曖昧に返して窓のむこうに目を向けると、クシャナの部屋に灯が見えた。
「殿下はまだお休みではないのか?」
「はっ!先程食事を終えられ、今はお部屋で古文書をお読みです」
「そうか。ならば帰営のご報告だけでもしておこう」
部下にそう告げ廊下を進む内に、本国での三日間で腹の底に溜まっ
たどす黒い澱の様な物がふいにその存在を消した。
懐かしの我が家、か…俺は喉の奥で小さく笑って部屋のドアを叩いた。
「殿下、おくつろぎのところ失礼します」
返事のないそのドアに首を捻りながらもう一度それを繰り返すと、今度
は微かに返事らしいものが耳に届いた。
「殿下―――ああ、お休みでしたか。じゃあ明日また出直して―――」
「…クロトワか」
クシャナは背もたれに身体を預ける格好で、うすく目を開けそう呟いた。
「この馬鹿者…あの程度の連中を言いくるめるのにどれだけかかってい
るのだ」
「これでも殿下の仰った期日には間に合わせたつもりなんですがね…」
「おかげでこちらは普段おまえが片手間に揮う人事の采配に要らぬ労
を費やして、ほとほと疲れた…」
「そりゃあ申し訳ありませんでした」
苦笑いしながら椅子の前に進み出ると彼女は、どうかしているな、と言
葉を継いだ。
「は?」
「その程度の事でこうしておまえの夢…幻、を…みるとは」
「―――殿下、ちょっと失礼しますよ」
そう断って身体を屈めると、クシャナは目を閉じて規則正しい寝息をた
てている。
「やっぱりな…眠ってやがらぁ。ハッ!道理で随分可愛らしい事言ってく
れると思ったぜ」
声を殺して笑いながら屈めた身体を起こそうとして、ほの白いその肌が
目の端に留まった。
「なにも…外で安酒ひっかけてくることはねぇな。ここに帰ってくりゃそれな
りの酒と―――ちょっと見ねぇ様ないい女が揃ってらあ」
そう言って、椅子の横の小さな机に置かれた酒を一杯煽る。
無意識に、自分の右手がクシャナのその顔に伸びているのに気がつい
て、俺は薄明りの中暫く、それを他人の手でも見るようにみつめていた。

「―――おい!さっきのおまえ、ちょっと来い!」
「は!なんでありましょうか、参謀殿!」
「いいか、今日俺が帰営したことは誰にも言うな―――つまり今夜俺
はここに居なかったってことだ。わかったな」
「…は?」
「俺は当初の予定通り、明晩帰営する。わかったな?復唱してみろ」
「は…『参謀殿は予定通り、明晩帰営される』…で?」
「よし、それでいい。それとさっきのシップを出しておけ。直ぐに出る」
「は…承知、しました…」


不思議そうな顔で下がったそいつの後姿を見送って俺は天井を仰いだ。
「まったく―――『どうかしてる』のは俺の方だぜ…」






畏れ多くも、風の谷のナウシカで『クロトワとクシャナ殿下』を。
冷静に考えてみるとこの二人に胸が高鳴らなかったいままでの私が
おかしい。(冷静に考えてそれですか)
クロトワの「なにがあったんだか知らねえが…可愛くなっちゃってまぁ」は、
なんとも優しくていやらしくて最高です。
補足すると、もちろんクロトワは殿下に手を出したりはしてません。
ただ自分の中にそういう感情もあったということに驚いてるだけです。






金色の



「どうしたお嬢さん、こんな所で護衛も連れずに―――」
どこか寂しそうに見えたその小さな背中にそう声を掛けると、振り返った
少女の驚くくらい強い眼差しに見据えられて、俺は少し身体を退いた。


「侍女が、死んだ。私の身代わりに」
短く吐き捨てるように言ったその言葉から、この少女がこの宮中で、侍
女を持てる程度の身分にあって、絶えずその身に危険が付き纏う様な
立場にあることがわかる。
「とりあえず座ったらどうです、顔色が悪い」
俺が庭に置かれた石椅子を指して言うと、少女は鬱陶しげに眉を寄
せた。
「…で、こんな所で一人寂しく泣いてたってぇ訳ですか」
「―――無礼な男だな、貴様。私が泣いていた様に見えるか」
「見えませんな。どっちかって言やあ殺した奴の息の根を止めてやるって
感じですかね」
「ああ。出来ることならそうしてやりたいが…私はここから出られない」
深く考えずに言った言葉を軽く肯定されて、俺は少なからず戸惑った。
「…まあ、仕えた相手にそこまで言って貰えりゃあそいつも本望でしょう」
「死んで…本望もなにもあるものか」
ああ、こりゃあなにを言っても聞かねえな…俺が肩を竦めてうすく笑うと、
少女はちらりとこっちを見て、その服…おまえは軍人か?と訊いてきた。
「ええまあ。役付きでもなんでもない平民出の一兵卒ですが―――」
「死ねば将軍も歩兵も変わりない」
「…はあ、そりゃあまあ、そうですね」
小賢しいことを言いやがる、そう内心舌打ちしながら頷くと、少女は真
っ直ぐ前を見つめたまま、ひとり言の様に言う。
「この世界では…あと何人死ねば民は幸せになれるのだろうな。それと
も永遠に続く果てしない犠牲の上にしか、民の安寧は有り得ないのだ
ろうか…」
「…ええと、そりゃあ…なんとも」
面倒臭ぇのに声掛けちまったな…喉の奥で呟いて顔を上げると、いくら
か低く、それでもしっかりした声で少女は続けた。

「―――私はあと何人、殺せばいい」
そういう事か…俺は自分の察しの悪さに呆れる気持ちで少女を見た。
「そればっかりは誰にもわかりませんな。ただ、国の政を担うあなた方の
四肢として働くのも俺達民草の仕事なんです。だからあんた達は…そ
んなこたぁ気にせずに、国を―――世界を、上手く回す事だけ考えてく
れてりゃそれでいいんですよ」
「そうか…」
我ながら上手くまとめたもんだ、そう思いながら口端を弛めると、そいつ
は揶揄を含んだ口調で、貴公の御高説を拝聴出来て光栄の極みだ、
と慇懃に言った。
その可愛げのねぇ言い様に顔を顰めた俺を見て鷹揚に笑う少女の元
に、安堵の声を上げて駆け寄ってくる衛兵の姿があった。
「―――ああ殿下!こちらにおいででしたか…お捜し申し上げました。
あの様なことが起きたばかりだと言うのに…クシャナ殿下の御身に何か
事あってはと―――」
「…なんだって?」
「大事無い、この者が護衛として付いていた。そう心配するな」
「…このお嬢さんが、クシャナ殿下だと―――?」
「無礼者が!なんという口のきき方…貴様一体どこの隊の所属だ!」
「止めろ、よい。忌憚ない、中々に面白い意見を聞かせて貰った礼だ。
無礼の数々は不問に処す」
間抜け面でその姿を凝視している俺に、その少女は―――クシャナ
殿下はそう言うと、衛兵と共に宮中へと消えて行った。


六年後、出自やら血統やらに煩い役付きへの昇進人事で、異例の
決定があった。
トルメキア帝国辺境派遣軍参謀、これが今日から俺の肩書きだとよ。
その後、同日付で同軍司令官になった上官に挨拶に行った俺は、そ
こでもう一度、そいつに間抜け面を披露する羽目になった。

「―――クシャナ、殿下…」
「おまえがクロトワか。そう堅苦しく構えられても困るのだが―――木偶
の様に突っ立っていられるのも困りものだな。とりあえず座れ」
「…は」
「何をそう驚いているのだ。たまには飾り物でない司令官が居ても可笑
しくはないだろう」
「…は」
椅子の肘掛に置かれたその腕が、澄んだ金属音を響かせる。
「…」
「―――どうした。そんなに珍しいか、私のこの義肢が」
あの時と同じ様に、揶揄を含んだ口調でそう言って笑う殿下の顔を見
て、俺もほんのちょっと口端を持ち上げた。
「…いや、俺も司令官になりゃあ黄金で鎧の一つでも作れるものかと
思いましてね」
肩を竦めてそう返すと、彼女は目を見開いて暫く俺を凝視してから横
を向き、くつくつと喉を鳴らせた。
「…っく、ははは!ああ出来るだろうさ、私の座るこの玉座を脅かす程
の働きをすれば叶うだろう―――出自だの血統だのに拘る馬鹿者共
に一泡吹かせてやるがよい!」
言に劣らぬ働き期待しているぞ、殿下はそう続けて部屋を出て行った。


あの少女が失った、その腕一本分くらいの覚悟は俺にだってあるだろう
―――白布から覗く金色を遠く見ながら、俺は自分の左腕を撫でた。



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