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うろほろぞ
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  解 放  PT・5 其の壱





 差し伸べられた手は、アラミスが待っていた男ではなかった。

 アトスもよりもひと回り大きな掌が、アラミスの頭上にあった時、男の右の眼は黒い眼帯に覆われていたからだ。

「いい加減にしろ。治る傷も治らんぞ」

「誰のせいだ! 人をさんざん待たせといて、君が…!」

見上げたアラミスは声の主を知り、アトスとは違うその人物を認めた。

 ローシュフォール!?

 アラミスがアトスを待っていた酒場は、ローシュフォールの行きつけだったらしい。偶々訪れた時、アラミスと出会ったというわけだ。ローシュフォールが云うにはおまえが暴れていた、ということだったが。

 ローシュフォールは困った奴だといった風情で、アラミスを店から連れ出そうとした。2人が出ようと出口に向かいかけた時、先刻相手になった男たちが何やらぶつくさ言うのが聞こえてきた。

「しかたない、枢機卿様の配下の方だ。それもあの方だし…」

 どういうことだ! こいつが護衛隊だから取りあえず引こうって聞こえるぞ! 陛下を守る我々を侮辱するつもりか。

「銃士隊だぞ、私は!」

 ぎらりと睨みつけると、男たちは不適な笑いを顔に浮かべていた。

「くそっ」

「よせ」

 アラミスはもう一戦! と、構えたが、ローシュフォールに肩口を掴まれて、やんわりと緊張を解いた。まだ自分の傷は完全には癒えていないようだし、今夜の処はこいつの言う通りここは大人しくするか。だが、次に会った時に倍にして返してやるぞ!

「ったく…、何の見返りがあるわけでなし、いつもつまらんケンカで命を縮めようとしている馬鹿の集まりが銃士隊だな」

 アラミスの先に立ち、ローシュフォールは日頃彼が思っていることを溜め息混じりに話しながら歩いた。

 銃士隊をあからさまに馬鹿にした言動は、後ろから付いて来ていたアラミスの歩みを止めた。

「…じゃあ首飾り騒動の時、大ケガをした僕たち3人は皆、大馬鹿か? ロンドンに行くダルタニヤンをあんたらの妨害から守って」

 街の中にローシュフォールひとりだけの靴音が響いた。
 靴音と、アラミスの澄んだ声が混じり合う。ローシュフォールはアラミスが彼の背中に冷たい視線を投げかけているのを感じて立ち止まり、肩越しに振り返った。ローシュフォールが振り返ったと同時に風が2人の間を吹き抜けていった。

 風はアラミスの髪をふわりと撫ぜて通り過ぎる。揺れたアラミスの前髪が、店の窓から漏れる微かな光りを受けて煌いた。
 男の眼は意外な輝きに思わず細められた。数度瞬きをした後、じっとアラミスを見つめると、ローシュフォールのひとつだけの瞳にアラミスと固い友情で結ばれた3人の男たちが重なった。

 輝くばかりに青春を謳歌している者たち、自分にはないものを簡単にも手に入れている者たち、妬ましい思いは彼らを見る度に強くなっていった。
 確かに、今の自分がこうしてリシュリュー猊下の御為に生きていることは自分が選んだ道だ。が、そのために失ったものも多くある。けれどもこうした人生を後悔をしているというわけではない。
 では何がこんなにも自分を焦らせる。

 それは…手放したものの中にたったひとつだけどんな思いをしても欲しかったものが入っているからだ。

 『アラミス』という人間を。

 手に入れられないのならばいっそ殺してでも奪いたいほどに、俺の心におまえがいるのだ。

 ローシュフォールはアラミスの喉元から胸元にかけて眼を走らせつつ、心の中で笑った。

「俺は、そういうお前たちが大嫌いなんでな」

 アラミスは一瞬大きく眼を見開いた後、唇の端を微笑むように引き上げた。そして首を少し傾け、何故なのだといった風にローシュフォールに瞳で問いかけた。

 ローシュフォールはその問いに激情で以て応えを返してきた。アラミスの細い腕をその手に掴み、建物の壁にいきなり押しつけたのだ。

 不意を突かれて、アラミスには力を込める時間さえなかった。ローシュフォールの力はアラミスを容易くその腕に抱いた。

 唇が触れた。

 声を出そうと唇を開いたアラミスが後悔した時、すでにローシュフォールの口付けは深く彼女を捕らえていた。

「ん……っ」

 掴まれた腕が痺れて思うように動かせない。ローシュフォールの体重と、体温の温かさが直に伝わってくる。眩暈を感じる程の激しさは、隠してきた本能を眠りから覚まそうとしているようだった。ローシュフォールの腕の中でアラミスはなんとか逃げようともがいていた。だが男の激しさの前に、次第に諦めが全身を包み、アラミスの中の何かが更に力を奪っていった。

「…う……」

 息苦しさと、どうにもならない苛立ち、多くの感情がアラミスに襲いかかった。うなじにあてられたローシュフォールの手が弛められた。だがそれはアラミスにとって一瞬の安息にしかならず、彼女は今まで以上の動揺を受ける羽目になった。ローシュフォールの手がアラミスの胸元に移動したのだ。ローシュフォールはアラミスの隠された胸をいとも容易く、明確な意思をもって触れたのだった。

 知っていて!

 ああ…以前からな

 言葉はなかった。触れた唇と、手の力強さが、2人の会話であった。
 身じろぎして尚も逃れようとするアラミスに、ローシュフォールの指は胸の頂きがあるべきところをなぞっていった。

 やめろ!

 この果実は誰のものだ? いままでに誰かが触れたか? 俺が、この果実を口に含むまで、隠しておくか?

 手を放せ!

 激しく求めてくる口付けに、アラミスは一言たりと彼に訴えることはできなかった。

 アラミスの白い喉に2人の唾液が流れ落ちて行った。
 ローシュフォールの唇がさまざまにアラミスを求める度に、淫らな音が夜のパリの街角に漏れた。互いの靴が土を踏み乱す音と重なって、更に男はアラミスを腕に抱き続けた。

 彼が、女だということはだいぶ以前から気付いていた。どうして男のなりをしているのか、そんなことはローシュフォールにはどうでもよかった。そして、なによりもアラミスがドレスで彼の前に現れたのなら、ここまで恋い焦がれるようなことは決してなかったのだ。

 この時代、女が自由を手に入れるには男の姿になるのが手っ取り早い方法だ。おそらくアラミスはそういった女のひとりなのだろう。
 そのようにローシュフォールは自分なりにアラミスに対して解釈をしていた。またローシュフォールは自由を手にして、己の想うままに生きようとしている女に敬意さえ抱いていた。

 何のことはない、ドレスを着たごく普通の女などローシュフォールには願い下げだったからだ。普通の女なんぞいつでも簡単に落とせるし、そのような女はローシュフォールの心を掻き立てはしないからだ。

 しかし、アラミスが女だと知った時、初めて己の生きている場所がこの恋から程遠いものだと気付かされた。

 だからこそ、彼等を憎んだのだ。

 だからこそ、彼等を妬まずにはいられなかったのだ。

 アトス、アラミス、ポルトス、ダルタニヤンの四銃士の仲間たちを。

 この恋を抹殺しようと、幾度思ったかしれない。この恋ほど危険に満ちたものはないのだ。あいつは俺が築き上げてきたものを根こそぎ引っくり返してしまうだろう。けれども危険と隣合わせの恋ほど、この男が求めていたものにほかならない。それに気づくにはまだ至らなかったが。

 目が覚めて、今日こそはと思いながら、いつの間にかアラミスの姿を捜している自分に愕然とした。しかし、らしくないと笑ってごまかし、酒で忘れようとすればするほどにあいつの笑い声が聞こえ、折角の決心が脆くも崩れ去っていくのだ。
 今夜も、そういった夜だったはずなのだ。だが…。

 想像していた通りに、アラミスの身体は細くしなやかだった。触れた唇は柔らかく、絡め捕った逃げる舌はわき上がる欲望をあざ笑うかのように滑らかだった。洩れた声は全身の血が逆流するほどの感動を与えてくれた。

 渡したくない。

 お前は私のものだ。

 語る筈のなかった言葉が、情熱に狂った男の喉から迸り出た。

「何で、お前はそちらにいるのだ」

 俺の手の届かぬところにいるのだ、と。

 唇は離され、ローシュフォールはアラミスの碧き双眸を覗き込んだ。彼の眼に映ったのは驚愕をたたえた瞳だけであった。

 はっとしたアラミスが何かを云おうとした時、彼らの背後で革靴が砂利を踏む音がした。ローシュフォールは店にいた男たちが後をつけて来たのかと思い、振り返った。彼等はこのように口付けをしている俺たちのことを何と思うだろうかと、半ば面白く思いながら。
 その期待は振り返った途端に破られた。背後に立っていたのは、いま最も出会いたくない男だったのだ。

「アト……」

 男の名を告げようとするアラミスの腕を解いた。

 銃士アトスはマントに風を含ませつつ、彼等2人を、特にローシュフォールを悠然と眺めていた。

「…アラミス、待たせたな」

「あ、ああ…」

 ほう、何も言わんのか。

 ローシュフォールは、興味深げにアトスを見守っていた。

 アラミスはローシュフォールの脇をすっと通り抜けて、アトスの横に並んだ。

 似合いだな。渡したくはない女とこの男は、憎いほどに美しい。敗北を認めたわけではないが、この男と張り合うことこそ我が楽しみではないか? そんな内なる声が聞こえてくる。

「失礼する。今夜、こいつは俺と約束をしているのでね」

 笑いも怒りもせずに、アトスはローシュフォールにさらりと言ってのけた。

「そのようだな。だが、余り待たせるものではないぞ」

「ご忠告感謝する。ローシュフォール殿」

「なに、感謝するほどのことではない」ローシュフォールはアトスの横に立ち尽くしているアラミスを見つめた。「おかげで私には良い夜であった」

 アラミスはローシュフォールに真っ直ぐな視線を返して来た。つい今し方、この腕に抱かれ、その力を失するほどに口付けをした女。だが、自分に注ぐこの視線は、まるで何もなかったかの如くではないか? 思っていた通り気丈な女だ。……一体アラミスはこの男、アトスをどう想っているのであろうか。銃士隊の中でも謎の多いこの人物を。

「あの店での待ち合わせは止された方が賢明だな、アトス殿」

「…のようだな。…では、失礼する。行くぞ」

「では、失礼いたします。…ローシュフォール殿…」

 ローシュフォールは、素早く会釈してアトスを追おうとしたアラミスに低い声で声をかけた。

「飲み過ぎるでないぞ。お前は危な過ぎる」

 去りかけたアラミスは、つかつかとローシュフォールのところに引き返して来た。手は剣の柄にかけ、碧い瞳は怒りに燃え、睫毛は震えていた。

「2度と、私に触れるな! 今度このような真似をしたら、殺してやる」

「そうか? ではそうするがいい」

 ローシュフォールは笑って答えた。アラミスは構わず背を向けると、走ってアトスの後を追って路地に姿を消した。

「さて、今夜はどこで飲み直すかな」

 ローシュフォールはひとり呟くと、彼等とは反対方向に背を向けた。歩き出すと風に乗って路地に消えた筈の2人の会話が聞こえてきた。

「おごりだって言ってたな、アトス。これから君と待ち合わせる時は、ずーっと君のおごりだからな」

「参ったな…、まあ今夜はたっぷり食ってくれ」

「当たり前だっ」

 簡単に手に入れられるものには興味はない。権力も、財力も、地位も…。己のすべてを賭けて手に入れるもの程愛しいものはない。だからいつか、私はお前をも手に入れるだろう。

 それまで待っているがいい、アラミス…。

 ローシュフォールは、アラミスの暖かさの残る指先で、なくした右の眼の眼帯をさも大切そうに触れた。そして光りの届かぬ闇の中へと歩いて行った。
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