いつも通りの賑やかな時が数日間流れていった。或る夕刻、アラミスたち4人はいつものように飲みに行った。その帰り道、彼らは川沿いの穏やかな風を受けつつ歩いていた。
「ねえ、ポルトス」
「何だ、ダルタニヤン?」
「ポルトスって恋人にさ…」
「俺の、恋人?」
「うん、どうやって口説いたのさ」
真剣な表情でダルタニヤンが質問を仕掛けた。余りポルトスは恋人のことを語りたがらないが、いつになく真剣な顔に、彼も精一杯真面目に答えた。
「それはだな、何事も誠実にそしてまめに相手に対することだ。花は欠かさず、愛の言葉は極上に、身なりも美しく、だ。なあ、アラミス」
「そうそう」
「じゃあ俺なんて、本当、子供っぽくコンスタンスに対しているのかなぁ」
ダルタニヤンは耳の後ろをポリポリと掻いた。銃士たちはそんな彼を微笑ましく思い、笑った。
「ダルタニヤン、子供っぽいかもしれないけれど、君の誠実さは充分彼女に伝わっているよ」
アラミスはダルタニヤンをまるで自分の弟のように思っていた。きっとダルタニヤンにとってコンスタンスとの恋は初めてのものだろう。自分だって彼の年頃の時にフランソワに会った。初めての恋に夢中になって、全てを賭けて彼を愛した。
自分の幸せは過去のものだが、ダルタニヤンの恋はまだ始まったばかり、自分の分も幸せになって欲しい。そう想って彼の肩を叩いた。
「だとは、思うんだけど。…アラミス、君はとても格好いいし、女性に事欠かないかもしれない。こんな悩みは持ったことなどないんだろう」
ダルタニヤンはにっこり笑ってアラミスを見た。
「私が? 悩みも何も、私にはそのような人はいないからな」
「アラミスはね、将来偉い坊さんになるために常日ごろ論文を書いたりしている、らしいんだよ」
ポルトスはにやにや笑って言う。
「ええ! 信じらんないよ。いつだって女性に騒がれているっていうのに!」
「人を外見で判断してはいけないな、ダルタニヤン」
アトスも後から静かにつけ加えてくる。アラミスは何となく気まずい思いがしてきた。この間の夜のことが思い出されたからだ。けれどあの夜以来アトスは何も云って来ないし…。ローシュフォールだって町中で出会ったっていつもと変わらない。
「でもさ、アトス。アトスだって昔は恋をしたこともあっただろう?」
ダルタニヤンの突っ込みにポルトスが思わず吹き出した。アトスほど恋の話を嫌う人間はいないからだ。ポルトスが自慢気に恋人の事を話し出すと、酒瓶と杯を持ってすっと席を外す程、避けている。
「やめとけ、ダルタニヤン。アトスはそういう話はしないぞ」
「そういう事だ。俺はそういった話題は好きじゃない。恋の相談はポルトスだけに絞って聞くべきだ」
「ポルトスだけぇ? いやいや僕はアラミスにだって、アトスにだって聞きたい」
「ダルタニヤン、きっとアトスは昔つらい恋でもして、懲りちゃったんだよ」
ポルトスが、俺はずっとそう思っているとアトスを見ながら言った。アトスは苦笑いをして手を振った。
「どうとでも解釈すればいい」
「アラミスは? ねえ、どうすればコンスタンスとキスできると思う?」
「キス?」
「充分してるじゃない、か」
アラミスもポルトスもアトスも呆れて一斉に答えた。
ダルタニヤンはコンスタンスと会う度に迫る程積極的に出ているじゃないか! 3人は各々心の中で叫んだ。
「違うよ! ああいうのじゃなくってだよ」
慌ててダルタニヤンは彼らに抗議をするが、3人の彼を見る眼は…。
「だからさ、俺も大人の恋ってのをしたいわけ」
「大人の恋だって?」
ポルトスはアラミスと顔を見合わせた。
「俺だって、会う度に『コンスタ~ンス、好きだよ』って言うのは簡単さ。でもそうじゃなくって、アラミスがするみたいに女性に優しく言葉をかけてみたりして、相手の女性をぼうっとさせてみたいんだよ」
「なるほど」
ぽんとポルトスは手を打った。アラミスは照れたように少し赤くなり、アトスはふむふむと頷いていた。
「自分からの恋じゃなくって、彼女からの熱烈な思いってのが欲しいんだな」
「そうなんだよ、ポルトス!」
「確かに今のままじゃ」
アラミスはダルタニヤンとコンスタンスの恋の現場を想像しながらぼそりと言った。
「やっぱり、アラミスだってそう思うだろ」
聞き止めたダルタニヤンは絶望せんばかりに溜め息と共に言葉を吐いた。アラミスが思い出し笑いらしきものでくすりと笑う。
「アラミス、笑うなんてダルタニヤンに失礼だぞ」
「だって…」
「いいんだよ、だからこうやって恥を忍んで聞いているんだ。ねえ、どうしたらいい?」
「僕に聞かれてもね。ポルトスの意見の方が実用的だと思うよ」
「アラミスの優しい言葉ってのは、自然に出てくるモンみたいだからなあ」
「失礼だな、君は」
アラミスはポルトスを睨んでみる。ポルトスはだってそうだろ、と笑って答えてきた。
「ダルタニヤン、君は君らしくコンスタンスに接しているし、彼女はアラミスが喋る流暢な言葉で惑わされたりはしない女の子だよ」
「ポルトス! 君は僕が女性を惑わしてるというのかっ」
アラミスは真っ赤になっていた。
「違ったかい?」
「僕はそんなつもりなどないねっ。女性達はみんなそれぞれに素敵なところを持っているからそれを素直に褒めているだけだよ」
「それが、僕にはできないんだよー」
ダルタニヤンは嘆き、ポルトスは更に大きく笑った。アラミスはちらっとアトスを覗き見た。彼は穏やかにダルタニヤンを見ている。その表情の下に何を隠しているんだ、こいつ。アラミスは一人むっとしていた。ポルトスに何だかんだと言われても、別に対した事はない。が、どうしたってアトスの心が気にかかる。
「言葉なんか、どうだっていいんだ。君の素直な行動で、コンスタンスは君を好いているよ」
アラミスは気分を直そうとしながらダルタニヤンに向かった。
「そうそう、アラミスの言う通り」
ポルトスもうんうんと頷く。
「じゃあさ…、もうひとつだけ、これがちょっと難問なんだ」
「言ってみろ」
と答えるポルトスにダルタニヤンは耳を貸して欲しいと頼み、小声で聞いた。
「何と! キスの仕方だって?」
ポルトスは折角ダルタニヤンが小声で聞いたのに大きな声で喋った。
「う、そんなデッカイ声でぇ」
「キスの仕方って?」
興味深そうにアラミスは聞く。
「俺なんて、なんかコンスタンスにただ迫っているだけだし、女性がうっとりとするような仕方なんて分んないんだもの。君達だったら、そういうキスを知っていると思って」
「おお、それならばアラミスに聞いた方がいい」
「何で、僕なんだ。ポルトス、君が教えてやればいいだろう。僕はそんなのは聞かれても困る」
「困る、ってことは…」
言い掛けたポルトスはアラミスが余りにも睨むので言葉を飲み込んだ。
「分かったって、そう睨むなアラミス。いいかダルタニヤン、うっとりするようなキスっていうのはな、まず情熱的に相手を見つめて、徐に彼女の額に手をやり、抵抗感とか不安感とかを取ってあげるように静かに触れる。
ここでいくつか愛の言葉、そうだな『あなたはまるで震えている小鳥のように愛らしい』とか何とか言う。そして指で彼女のかわいい上を向いた鼻の頭を触って、顔を寄せるんだ。で…」
ポルトスが、どうも自分の恋人を思い出してへらへらしだしたので、聞いている3人は笑い出した。
「ポルトス~、そんなのは俺だってできるよ。俺が知りたいのはキスの仕方さ」
「なに、そんなのは君にもできるって? よく言うな。人が一生懸命教えてやろうっていうのに…」
「怒るな、ポルトス。ダルタニヤンが知りたがっているのはどうもそういった過程とは違うみたいだ」
「そう、分かっているね、アラミス!」
瞳をキラキラさせて、ダルタニヤンはアラミスを見つめた。
「おい、期待するな。そういうのは僕たちだって教えられるものか」
アラミスが急いで断る。
「まあ、知りたいのなら然るべき女性に教えて貰った方がいい」
ポルトスが胸を張って答えた。
「ってことは、コンスタンスを裏切って、他の女性とってことか?」
ダルタニヤンは怒ってポルトスに噛み付いた。ポルトスはさっと彼の前から避けてアトスの影に隠れた。
「言い過ぎだな、ポルトス」アトスは冷や汗をかいているポルトスにやんわりと言い、ダルタニヤンを見た。「まあ、まあダルタニヤン、君にはそんな事はできないし、かといって我々がキスの仕方なるものを簡単に教える事など出来ない」
「ああ、もうどうしたらいいんだ」
「アラミスを見張っていればいいよ」
頭を抱えるダルタニヤンに、アトスの後ろか身体の大きなポルトスが言った。
「どういうことだっ」
気色ばんだアラミスはポルトスの胸倉を掴んだ。
「だって、君は女性を口説くがあんなにも上手いし、キスぐらいダルタニヤンに見せてやれよ」
「何て事言うんだ! 僕はそんな誰彼となくキスなどするものかっ」
「ふむ…」
怒りまくっているアラミスに向かって、アトスはなるほどなといった顔をしていた。
「何だよ、アトス」
アラミスは先日の夜が胸の中に閃くように甦って来るのを感じた。
ローシュフォールにああされたのは、僕のせいじゃないぞ。
「いや、何でもない」
何でもないって顔かよ。はっきり聞けばいいんだ。僕は言ってやるよ、そうしたら… あれは無理やりだったんだって…。僕はフランソワ以外、あんな事された事はないんだからな。
「アトスはさ、恋の話が苦手だって言うけど、キス位はした事はあるだろ?」
いきなりダルタニヤンはアトスに聞いた。たじろぎながらアトスは、まあなと答えた。それも小さな声で。
「なら、君を張ってみる!」
「どうして俺なんだ!」
「ポルトスじゃあ余り勉強になりそうもないし、アラミスはいつだってクール過ぎるし、君がもしするなら、それはなかなか見応えがあるかも」
「馬鹿な事を!」
アトスとアラミスが同時に叫んだ。
「アトスを張っていたってそんな場面は一生おがめんぞ!」
アトスは矢継ぎ早に言うアラミスを、吃驚した顔で見つめた。
「多分、そうだが」
アトスはにやりと笑ってアラミスの肩に手をかけた。
「アトス?」
ポルトス、ダルタニヤン、アラミスが彼の名を口にした。
「一度だけ、見せてやろう」
手に力を込めて、アトスはアラミスの身体を引き寄せた。アラミスの腰に手を回し、彼女の金の髪に隠れたうなじに手を当て、硬直したアラミスに口付けたのだった。
「げっ、アトス!」
ポルトスが声を上げ、ダルタニヤンは茫然と口付けをしている2人を見ていた。
アラミスは思いっきり口付けをしてくるアトスの肩を引き剥そうと懸命だった。
それは、意外な程、艶めかしい口付けだった。見ている方だってどうしたらいいか思案する位だったし、されているアラミスにしてみればそれ以上のものだった。
アトスの口付けは、ポルトスが言ったような、『額に手をやり、まずは相手の不安感を取り除いてから』の口付けなんてものではない。腰に回された手は力強かったし、頭は固定され半ば強制的な姿勢で受ける口付けだった。
初めからアトスはアラミスの抵抗を考えていたと見える。普段のアラミスだったのならば、アトスに殴りかかっていることだろう。けれどアトスはアラミスの動きを熟知していた。殴られる前に、アラミスの身体をそのまま大きな胸に抱き締めたのだか ら。アラミスは身を捩ろうとするものの、動きを封じられているためそれは徒労に終わる。
『放せ、どういうつもりなんだよ!』
アラミスは頭痛がする程アトスが何を考えているのか分からなかった。ローシュフォールのそれとは違っている。求める激しさも、口付けの仕方も。舌を捕らえる動きはローシュフォールよりもしなやかだった。絡めるというよりも、じれったそうになる程に甘く吸う口付け。手はうなじから背に流れて上から下へ、下から上へと優しく擦る。但し力強さは変わらずに。
「は…っ…ん、んっ」
思わずアラミスは喘いだ。彼女の頭からはすでにダルタニヤンもポルトスも消え失せていた。
「アトス」
ポルトスがはっとして彼の肩を叩いた。アトスは手を振ってそれに答えたが、口付けを止めようとはしない。ますますアラミスを求めていた。
「止めてよ、アトス。もういいよ」
ダルタニヤンも思わず彼の背中を叩いた。アトスはアラミスの唇から離れ、彼女を抱き締めたままダルタニヤンに微笑んだ。
「分かったか?」
「じゅ、充分…」
「そうか」
短く答え、アトスはアラミスを放した。
「わ、ちょっとアラミス!」
ぼうっとしたままのアラミスがポルトスの腕の中に倒れ込んだ。ほとんど意識がない状態である。ポルトスはぺたぺたとアラミスの頬を叩いた。
「しっかりしろ、アラミス! まったくアトス、君は何て事するんだ!」
「ダルタニヤンの希望に応えてやっただけだ。たまには俺も先輩として教授しなくてはならんからな」
「おまえな、いくらなんでもアラミスは男だぞ」
「だから?」
「だからって! 普通するか? 男だぞ」
ポルトスの腕の中でアラミスはうっすらと目を開けた。身体に力が入らない。眼の焦点さえ合わない。頭を振ってみてやっと自分がどういった状態に居たのかが認識されていく。
「男だろうが、女だろうが、キスに変わるまい。そうだな、ダルタニヤン?」
同意を求められたダルタニヤンは、引きつった顔で答えた。
「そ、そうかもね。でも、さ、アラミスにするなんて」
「きさま…ッ」
ポルトスの腕から素早く身体を起こし、アラミスはアトスに殴りかかっていった。
「何てことするんだっ!」
アトスはアラミスの手を除けながら、彼女の耳に囁いた。
「上手いもんだろ?」
「そういう問題じゃない!」
「行け、アラミス! 男にキスされたんだ。殴って当然だ!」
ポルトスが後ろで声援を送り、ダルタニヤンはもう止めてよ、と呟いていた。アラミスのパンチがアトスの腹部に決まり、アトスは少し呻いた。
「このやろうっ!」ぼかっとアラミスはアトスの顔面を殴りつけた。「僕は女じゃないぞ!」
猛然と立ち向かっていくアラミスを見ながら、ダルタニヤンはポルトスに聞いた。
「こう言ったらアラミスは怒るかもしれないけど、アトスって見掛けによらず、上手いんだね」
「だよなぁ。あのアラミスをぼうっとさせるくらいなんだから」
「見習わなくちゃね」
数発のパンチがアトスの顔面を目掛けて飛んで行く。さすがにいくつかは軽く避けてはいるが、命中したパンチには苦笑いを浮かべている。息せき切ってるアラミスは額に汗を浮かべ、思いっきり早いパンチをひとつ送りつけた。アトスはのけ反りながらも、そのままアラミスの腕を取った。アラミスがアトスの上になだれ込む。2人して地面に倒れ込んでいった。
「許さん!」
アラミスは真っ赤になって怒り続け、ダルタニヤンはやっとの思いで2人を引き剥した。アラミスは肩で息をしていた。アトスの上に倒れてはいたが、素早く立ち上がり服をばたばたと叩いた。
「僕はもう、帰る!」
吐き捨てると、3人に背を向けて歩き出した。帽子をささっと被り直す姿にどう見たって動揺が表れていた。
「さて、俺も帰るかな」
アトスも言うとポルトスとダルタニヤンを残してあっという間に帰ってしまった。残されたダルタニヤンは、はぁと溜め息を吐いてポルトスを見上げ た。
「アトスって、何考えてるのか、よく分からない奴だね」
「付き合いは長いが、今夜ほどわからないのはなかったな」
「俺、アラミスになんかすごく悪い気がしてきた」
ダルタニヤンは去っていくアラミスの小さな姿を見つめて言った。
「今夜のことは、誰にも言うなよ。知られたらアラミスは手当たり次第に決闘を申し込んでしまうぞ」
「俺もそう思う…。まずは俺になりそうな位だ」
ポルトスは大声で笑った。
「そりゃあ大丈夫だ」
「どうしてさ」
「我々は仲間だからさ。たとえアトスがああいうことしたって、アラミスは友情にひびを入れたりはしない男さ」
「そうだね」
ふと、ポルトスとダルタニヤンの2人は沈黙してしまう。2人とも、今見たばかりのキスシーンが目に焼きついて離れない。今夜は眠れそうにない2人、だった。
「ねえ、ポルトス」
「何だ、ダルタニヤン?」
「ポルトスって恋人にさ…」
「俺の、恋人?」
「うん、どうやって口説いたのさ」
真剣な表情でダルタニヤンが質問を仕掛けた。余りポルトスは恋人のことを語りたがらないが、いつになく真剣な顔に、彼も精一杯真面目に答えた。
「それはだな、何事も誠実にそしてまめに相手に対することだ。花は欠かさず、愛の言葉は極上に、身なりも美しく、だ。なあ、アラミス」
「そうそう」
「じゃあ俺なんて、本当、子供っぽくコンスタンスに対しているのかなぁ」
ダルタニヤンは耳の後ろをポリポリと掻いた。銃士たちはそんな彼を微笑ましく思い、笑った。
「ダルタニヤン、子供っぽいかもしれないけれど、君の誠実さは充分彼女に伝わっているよ」
アラミスはダルタニヤンをまるで自分の弟のように思っていた。きっとダルタニヤンにとってコンスタンスとの恋は初めてのものだろう。自分だって彼の年頃の時にフランソワに会った。初めての恋に夢中になって、全てを賭けて彼を愛した。
自分の幸せは過去のものだが、ダルタニヤンの恋はまだ始まったばかり、自分の分も幸せになって欲しい。そう想って彼の肩を叩いた。
「だとは、思うんだけど。…アラミス、君はとても格好いいし、女性に事欠かないかもしれない。こんな悩みは持ったことなどないんだろう」
ダルタニヤンはにっこり笑ってアラミスを見た。
「私が? 悩みも何も、私にはそのような人はいないからな」
「アラミスはね、将来偉い坊さんになるために常日ごろ論文を書いたりしている、らしいんだよ」
ポルトスはにやにや笑って言う。
「ええ! 信じらんないよ。いつだって女性に騒がれているっていうのに!」
「人を外見で判断してはいけないな、ダルタニヤン」
アトスも後から静かにつけ加えてくる。アラミスは何となく気まずい思いがしてきた。この間の夜のことが思い出されたからだ。けれどあの夜以来アトスは何も云って来ないし…。ローシュフォールだって町中で出会ったっていつもと変わらない。
「でもさ、アトス。アトスだって昔は恋をしたこともあっただろう?」
ダルタニヤンの突っ込みにポルトスが思わず吹き出した。アトスほど恋の話を嫌う人間はいないからだ。ポルトスが自慢気に恋人の事を話し出すと、酒瓶と杯を持ってすっと席を外す程、避けている。
「やめとけ、ダルタニヤン。アトスはそういう話はしないぞ」
「そういう事だ。俺はそういった話題は好きじゃない。恋の相談はポルトスだけに絞って聞くべきだ」
「ポルトスだけぇ? いやいや僕はアラミスにだって、アトスにだって聞きたい」
「ダルタニヤン、きっとアトスは昔つらい恋でもして、懲りちゃったんだよ」
ポルトスが、俺はずっとそう思っているとアトスを見ながら言った。アトスは苦笑いをして手を振った。
「どうとでも解釈すればいい」
「アラミスは? ねえ、どうすればコンスタンスとキスできると思う?」
「キス?」
「充分してるじゃない、か」
アラミスもポルトスもアトスも呆れて一斉に答えた。
ダルタニヤンはコンスタンスと会う度に迫る程積極的に出ているじゃないか! 3人は各々心の中で叫んだ。
「違うよ! ああいうのじゃなくってだよ」
慌ててダルタニヤンは彼らに抗議をするが、3人の彼を見る眼は…。
「だからさ、俺も大人の恋ってのをしたいわけ」
「大人の恋だって?」
ポルトスはアラミスと顔を見合わせた。
「俺だって、会う度に『コンスタ~ンス、好きだよ』って言うのは簡単さ。でもそうじゃなくって、アラミスがするみたいに女性に優しく言葉をかけてみたりして、相手の女性をぼうっとさせてみたいんだよ」
「なるほど」
ぽんとポルトスは手を打った。アラミスは照れたように少し赤くなり、アトスはふむふむと頷いていた。
「自分からの恋じゃなくって、彼女からの熱烈な思いってのが欲しいんだな」
「そうなんだよ、ポルトス!」
「確かに今のままじゃ」
アラミスはダルタニヤンとコンスタンスの恋の現場を想像しながらぼそりと言った。
「やっぱり、アラミスだってそう思うだろ」
聞き止めたダルタニヤンは絶望せんばかりに溜め息と共に言葉を吐いた。アラミスが思い出し笑いらしきものでくすりと笑う。
「アラミス、笑うなんてダルタニヤンに失礼だぞ」
「だって…」
「いいんだよ、だからこうやって恥を忍んで聞いているんだ。ねえ、どうしたらいい?」
「僕に聞かれてもね。ポルトスの意見の方が実用的だと思うよ」
「アラミスの優しい言葉ってのは、自然に出てくるモンみたいだからなあ」
「失礼だな、君は」
アラミスはポルトスを睨んでみる。ポルトスはだってそうだろ、と笑って答えてきた。
「ダルタニヤン、君は君らしくコンスタンスに接しているし、彼女はアラミスが喋る流暢な言葉で惑わされたりはしない女の子だよ」
「ポルトス! 君は僕が女性を惑わしてるというのかっ」
アラミスは真っ赤になっていた。
「違ったかい?」
「僕はそんなつもりなどないねっ。女性達はみんなそれぞれに素敵なところを持っているからそれを素直に褒めているだけだよ」
「それが、僕にはできないんだよー」
ダルタニヤンは嘆き、ポルトスは更に大きく笑った。アラミスはちらっとアトスを覗き見た。彼は穏やかにダルタニヤンを見ている。その表情の下に何を隠しているんだ、こいつ。アラミスは一人むっとしていた。ポルトスに何だかんだと言われても、別に対した事はない。が、どうしたってアトスの心が気にかかる。
「言葉なんか、どうだっていいんだ。君の素直な行動で、コンスタンスは君を好いているよ」
アラミスは気分を直そうとしながらダルタニヤンに向かった。
「そうそう、アラミスの言う通り」
ポルトスもうんうんと頷く。
「じゃあさ…、もうひとつだけ、これがちょっと難問なんだ」
「言ってみろ」
と答えるポルトスにダルタニヤンは耳を貸して欲しいと頼み、小声で聞いた。
「何と! キスの仕方だって?」
ポルトスは折角ダルタニヤンが小声で聞いたのに大きな声で喋った。
「う、そんなデッカイ声でぇ」
「キスの仕方って?」
興味深そうにアラミスは聞く。
「俺なんて、なんかコンスタンスにただ迫っているだけだし、女性がうっとりとするような仕方なんて分んないんだもの。君達だったら、そういうキスを知っていると思って」
「おお、それならばアラミスに聞いた方がいい」
「何で、僕なんだ。ポルトス、君が教えてやればいいだろう。僕はそんなのは聞かれても困る」
「困る、ってことは…」
言い掛けたポルトスはアラミスが余りにも睨むので言葉を飲み込んだ。
「分かったって、そう睨むなアラミス。いいかダルタニヤン、うっとりするようなキスっていうのはな、まず情熱的に相手を見つめて、徐に彼女の額に手をやり、抵抗感とか不安感とかを取ってあげるように静かに触れる。
ここでいくつか愛の言葉、そうだな『あなたはまるで震えている小鳥のように愛らしい』とか何とか言う。そして指で彼女のかわいい上を向いた鼻の頭を触って、顔を寄せるんだ。で…」
ポルトスが、どうも自分の恋人を思い出してへらへらしだしたので、聞いている3人は笑い出した。
「ポルトス~、そんなのは俺だってできるよ。俺が知りたいのはキスの仕方さ」
「なに、そんなのは君にもできるって? よく言うな。人が一生懸命教えてやろうっていうのに…」
「怒るな、ポルトス。ダルタニヤンが知りたがっているのはどうもそういった過程とは違うみたいだ」
「そう、分かっているね、アラミス!」
瞳をキラキラさせて、ダルタニヤンはアラミスを見つめた。
「おい、期待するな。そういうのは僕たちだって教えられるものか」
アラミスが急いで断る。
「まあ、知りたいのなら然るべき女性に教えて貰った方がいい」
ポルトスが胸を張って答えた。
「ってことは、コンスタンスを裏切って、他の女性とってことか?」
ダルタニヤンは怒ってポルトスに噛み付いた。ポルトスはさっと彼の前から避けてアトスの影に隠れた。
「言い過ぎだな、ポルトス」アトスは冷や汗をかいているポルトスにやんわりと言い、ダルタニヤンを見た。「まあ、まあダルタニヤン、君にはそんな事はできないし、かといって我々がキスの仕方なるものを簡単に教える事など出来ない」
「ああ、もうどうしたらいいんだ」
「アラミスを見張っていればいいよ」
頭を抱えるダルタニヤンに、アトスの後ろか身体の大きなポルトスが言った。
「どういうことだっ」
気色ばんだアラミスはポルトスの胸倉を掴んだ。
「だって、君は女性を口説くがあんなにも上手いし、キスぐらいダルタニヤンに見せてやれよ」
「何て事言うんだ! 僕はそんな誰彼となくキスなどするものかっ」
「ふむ…」
怒りまくっているアラミスに向かって、アトスはなるほどなといった顔をしていた。
「何だよ、アトス」
アラミスは先日の夜が胸の中に閃くように甦って来るのを感じた。
ローシュフォールにああされたのは、僕のせいじゃないぞ。
「いや、何でもない」
何でもないって顔かよ。はっきり聞けばいいんだ。僕は言ってやるよ、そうしたら… あれは無理やりだったんだって…。僕はフランソワ以外、あんな事された事はないんだからな。
「アトスはさ、恋の話が苦手だって言うけど、キス位はした事はあるだろ?」
いきなりダルタニヤンはアトスに聞いた。たじろぎながらアトスは、まあなと答えた。それも小さな声で。
「なら、君を張ってみる!」
「どうして俺なんだ!」
「ポルトスじゃあ余り勉強になりそうもないし、アラミスはいつだってクール過ぎるし、君がもしするなら、それはなかなか見応えがあるかも」
「馬鹿な事を!」
アトスとアラミスが同時に叫んだ。
「アトスを張っていたってそんな場面は一生おがめんぞ!」
アトスは矢継ぎ早に言うアラミスを、吃驚した顔で見つめた。
「多分、そうだが」
アトスはにやりと笑ってアラミスの肩に手をかけた。
「アトス?」
ポルトス、ダルタニヤン、アラミスが彼の名を口にした。
「一度だけ、見せてやろう」
手に力を込めて、アトスはアラミスの身体を引き寄せた。アラミスの腰に手を回し、彼女の金の髪に隠れたうなじに手を当て、硬直したアラミスに口付けたのだった。
「げっ、アトス!」
ポルトスが声を上げ、ダルタニヤンは茫然と口付けをしている2人を見ていた。
アラミスは思いっきり口付けをしてくるアトスの肩を引き剥そうと懸命だった。
それは、意外な程、艶めかしい口付けだった。見ている方だってどうしたらいいか思案する位だったし、されているアラミスにしてみればそれ以上のものだった。
アトスの口付けは、ポルトスが言ったような、『額に手をやり、まずは相手の不安感を取り除いてから』の口付けなんてものではない。腰に回された手は力強かったし、頭は固定され半ば強制的な姿勢で受ける口付けだった。
初めからアトスはアラミスの抵抗を考えていたと見える。普段のアラミスだったのならば、アトスに殴りかかっていることだろう。けれどアトスはアラミスの動きを熟知していた。殴られる前に、アラミスの身体をそのまま大きな胸に抱き締めたのだか ら。アラミスは身を捩ろうとするものの、動きを封じられているためそれは徒労に終わる。
『放せ、どういうつもりなんだよ!』
アラミスは頭痛がする程アトスが何を考えているのか分からなかった。ローシュフォールのそれとは違っている。求める激しさも、口付けの仕方も。舌を捕らえる動きはローシュフォールよりもしなやかだった。絡めるというよりも、じれったそうになる程に甘く吸う口付け。手はうなじから背に流れて上から下へ、下から上へと優しく擦る。但し力強さは変わらずに。
「は…っ…ん、んっ」
思わずアラミスは喘いだ。彼女の頭からはすでにダルタニヤンもポルトスも消え失せていた。
「アトス」
ポルトスがはっとして彼の肩を叩いた。アトスは手を振ってそれに答えたが、口付けを止めようとはしない。ますますアラミスを求めていた。
「止めてよ、アトス。もういいよ」
ダルタニヤンも思わず彼の背中を叩いた。アトスはアラミスの唇から離れ、彼女を抱き締めたままダルタニヤンに微笑んだ。
「分かったか?」
「じゅ、充分…」
「そうか」
短く答え、アトスはアラミスを放した。
「わ、ちょっとアラミス!」
ぼうっとしたままのアラミスがポルトスの腕の中に倒れ込んだ。ほとんど意識がない状態である。ポルトスはぺたぺたとアラミスの頬を叩いた。
「しっかりしろ、アラミス! まったくアトス、君は何て事するんだ!」
「ダルタニヤンの希望に応えてやっただけだ。たまには俺も先輩として教授しなくてはならんからな」
「おまえな、いくらなんでもアラミスは男だぞ」
「だから?」
「だからって! 普通するか? 男だぞ」
ポルトスの腕の中でアラミスはうっすらと目を開けた。身体に力が入らない。眼の焦点さえ合わない。頭を振ってみてやっと自分がどういった状態に居たのかが認識されていく。
「男だろうが、女だろうが、キスに変わるまい。そうだな、ダルタニヤン?」
同意を求められたダルタニヤンは、引きつった顔で答えた。
「そ、そうかもね。でも、さ、アラミスにするなんて」
「きさま…ッ」
ポルトスの腕から素早く身体を起こし、アラミスはアトスに殴りかかっていった。
「何てことするんだっ!」
アトスはアラミスの手を除けながら、彼女の耳に囁いた。
「上手いもんだろ?」
「そういう問題じゃない!」
「行け、アラミス! 男にキスされたんだ。殴って当然だ!」
ポルトスが後ろで声援を送り、ダルタニヤンはもう止めてよ、と呟いていた。アラミスのパンチがアトスの腹部に決まり、アトスは少し呻いた。
「このやろうっ!」ぼかっとアラミスはアトスの顔面を殴りつけた。「僕は女じゃないぞ!」
猛然と立ち向かっていくアラミスを見ながら、ダルタニヤンはポルトスに聞いた。
「こう言ったらアラミスは怒るかもしれないけど、アトスって見掛けによらず、上手いんだね」
「だよなぁ。あのアラミスをぼうっとさせるくらいなんだから」
「見習わなくちゃね」
数発のパンチがアトスの顔面を目掛けて飛んで行く。さすがにいくつかは軽く避けてはいるが、命中したパンチには苦笑いを浮かべている。息せき切ってるアラミスは額に汗を浮かべ、思いっきり早いパンチをひとつ送りつけた。アトスはのけ反りながらも、そのままアラミスの腕を取った。アラミスがアトスの上になだれ込む。2人して地面に倒れ込んでいった。
「許さん!」
アラミスは真っ赤になって怒り続け、ダルタニヤンはやっとの思いで2人を引き剥した。アラミスは肩で息をしていた。アトスの上に倒れてはいたが、素早く立ち上がり服をばたばたと叩いた。
「僕はもう、帰る!」
吐き捨てると、3人に背を向けて歩き出した。帽子をささっと被り直す姿にどう見たって動揺が表れていた。
「さて、俺も帰るかな」
アトスも言うとポルトスとダルタニヤンを残してあっという間に帰ってしまった。残されたダルタニヤンは、はぁと溜め息を吐いてポルトスを見上げ た。
「アトスって、何考えてるのか、よく分からない奴だね」
「付き合いは長いが、今夜ほどわからないのはなかったな」
「俺、アラミスになんかすごく悪い気がしてきた」
ダルタニヤンは去っていくアラミスの小さな姿を見つめて言った。
「今夜のことは、誰にも言うなよ。知られたらアラミスは手当たり次第に決闘を申し込んでしまうぞ」
「俺もそう思う…。まずは俺になりそうな位だ」
ポルトスは大声で笑った。
「そりゃあ大丈夫だ」
「どうしてさ」
「我々は仲間だからさ。たとえアトスがああいうことしたって、アラミスは友情にひびを入れたりはしない男さ」
「そうだね」
ふと、ポルトスとダルタニヤンの2人は沈黙してしまう。2人とも、今見たばかりのキスシーンが目に焼きついて離れない。今夜は眠れそうにない2人、だった。
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