「李斎、こっちです」
泰麒の小さな手が李斎の手を引っ張る。
空気はまだ冷たく、土の上には雪が溶けずに残っている。
だが、嬉しそうに李斎の手を引く泰麒の顔は紅潮していた。
「台輔、そんなに急がれてどうしたのです?」
「えっと、別に急ぐことではないのですけど、早く李斎に見せたくて」
戴の冬は身体の心まで凍り付くほどに寒い。
しかし、この幼い台輔の笑顔はいつでも小春日和で、李斎は凍てつくような寒さなど忘れてしまいそうだった。
「ここです」
そう言って小さな泰麒の手が指し示したのは、路寝の隅の方にひっそりと佇んでいる小さな園林だった。
「ここは・・・」
泰麒はなおも李斎の手を引き、園林の中へと連れて行く。
園林のほぼ中心にある花壇の前で止まると、泰麒は李斎の手を放ししゃがみ込んだ。
「見て下さい。李斎」
小さな手が包み込むように示したそれは、一輪の花だった。
「まあ、まだこんなに寒いというのに、もう花が・・・」
「もしかしたら、他の場所ではもう咲いているのかも知れないけれど、僕が一番最初に咲いているのを見たのはこれだったので」
「こんな片隅の園林でよく見つけましたね」
「僕が見つけたわけじゃないんです。驍宗様が見つけられて、僕に教えてくれたんです」
「主上が?それも不思議な話ですね。どうして主上がここへ・・・」
「それは僕がわがままを言って、驍宗様に散歩をしませんかって言ったからで」
「なるほど」
「それで、李斎にも見せて上げたいと思って。迷惑でしたか?」
「とんでもない。ありがとうございます、台輔」
李斎は息を切らせて自分の元へ駆けて来た泰麒を思い出す。
他の誰でもなく、真先に李斎の元へと来た事が何よりも嬉しかった。
「本当は摘んで行った方が早かったのだけど、やっと咲いたのに摘んでしまうのは可哀想だと思ったんです」
泰麒の心に李斎は自分の気持ちが和んでいくのを感じた。
幼い麒麟の慈悲は人々だけでなく、植物にまで及ぶのかと。
「これを見て、僕とても嬉しくなって。だって、戴の冬はとても寒くて、長くて、花が咲いているのを見られるのは、もっとずっと先だと思っていたから」
「そうですね・・・」
大地では未だ民が厳しい寒さと闘っている。
家の中に居ても、身体を寄せあっても、この凍てつく寒さに打ち勝つことはできないこともあるのだ。
それを思うと、どうして戴の民ばかりがと思わずにはいられない。
それでも、と李斎は思う。
―春は必ずやってくる
この幼い麒麟が暖かな陽射しを運んで来てくれると。
この笑顔こそが陽射しそのもの
「摘むのを迷っていたら、驍宗様が李斎の居場所を教えてくれたんです。でもお仕事中だから邪魔をしてしまってはいけないと、李斎のお仕事が終わるのを待っているつもりだったんです。けど、驍宗様が少しだけならっておしゃってくださたんです」
「そうでしたか、では主上にもお礼を申し上げねばなりませんね」
にっこりと笑う李斎に泰麒は微笑み返す。
「ああ、ここにおいででしたか」
「正頼」
園林の入り口で正頼が肩で息をしている。
「台輔は足がお早くていらっしゃる。じいやには付いてゆけませなんだ」
「ごめんなさい」
泰麒は李斎を呼びに行く際に、追い掛けて来る正頼をいつの間にか振り切ってしまっっていたのを思い出した。
「いやいや、子供が元気なのはよいことですよ。特に台輔が元気でお笑いになるだけで、白圭宮は明るくなりますからね」
「そう、ですか?」
「そうですとも」
正頼に賛同するように李斎が頷き、泰麒は照れたように笑う。
「しかし、じいやを置いていってしまったことに気がつかないとは、台輔はよほど李斎殿がお好きなのですな」
「はい。大好きです。あ、もちろん驍宗様や正頼や、他のみんなもですけど」
即答する泰麒に李斎は破顔する。
「あいかわらず、台輔は李斎を喜ばせるのがお上手だ」
李斎の手が泰麒の頬に撫でるように触れると、泰麒はくすぐったそうにすし、その手に自分の手を重ねた。
「まるで親子のようですな」
「まあ、そんな恐れ多いこと・・・」
「李斎が僕の『お母さん』に見えるのですか?それは・・・李斎が可哀想です。だって、こんなに若くて綺麗なのに」
真面目な顔で力説する泰麒。
李斎は顔を真っ赤している。
「まあ、台輔・・・」
「おやおや、台輔は女性を喜ばせる術に長けていらっしゃる」
愉快そうに笑う正頼は、堅物の主人もこれぐらい女性に対して柔軟になればいいのにと思うのだった。
「それに・・・」
「なんです、台輔?」
泰麒は正頼の袖を引っ張り、耳へと顔を近付け小声で耳打ちする。
「李斎は僕の『お母さん』よりも、驍宗様の『奥さん』のほうが似合うと思うんです」
「ほう、それは名案ですな。台輔」
二人は目を合わせるとにっこりと笑いあった。
この後、泰麒と正頼によって『仲人さん計画』が発動することになる。
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