一歩が重い、重くて胸がひどく痛んだ。体が不調ではない、心が受け止めきれていない。しかし断ることもできず、無碍にもできない。
官邸に向かう速度を、李斎は速めるしかなかった。既に真夜中、早朝までの時間は限られている。官邸に入り園林を横切って臥室へと向かう。人払いは万全だ、万全でなければ困る。
そして牀榻に腰掛ける人物は、にこやかに笑って李斎を迎えたのだが。
「……主上」
「どうした……?」
不安げな表情に待人である驍宗は立ち上がり、安心させるつもりで抱きしめようとした。しかし李斎はそれを拒み、一歩後ろに下がった。
「何があった」
「何もございません」
「何もなくて……なぜ拒む?」
あれだけ愛し合い、気持ちを確かめ合った。隠れた付き合いとなっても良い、と互いの心に誓約を交わして。
「少し……少しだけ時をいただけませんでしょうか」
体を重なりあい、深く愛し合った。忍ぶ恋も受け入れた――けれどそれは頭の中で理解しただけだった。心が追いついてくれない。早急に思いを添い遂げたせいなのか。
「早急すぎたのかもしれんな……とにかく着替えたほうが良い。鎧は重かろう」
言って驍宗は臥室を立ち去った。隣室で待っていてくれているのだろう。
「申し訳……ございません」
去ってから嗚咽交じりで謝ってしまう。なんて弱いのだろう、なぜ受け止めきれないのだろう。その場に崩れ落ちて、ただただむせび泣いた。
腫れ上がった目元に触れて抱き上げる。着替るには時間がかかると思い臥室に戻れば、床に倒れている李斎の姿に驚愕した。顔を覗き込めば涙の痕が残っていて、泣き疲れてしまったらしいと結論付けた。牀榻に体を横たわらせて鎧を剥ぎ取る。衾褥をかけて髪をなで上げた。
「恋沙汰に関しても早急すぎるのかもしれんな……」
政務に関してもそうだ、早急すぎて少し緩めなければいけないと感じてしまうことがあった。恋に関しても、李斎に早急な証を求めたのかもしれない。
「すまぬ……」
静かに詫びるようにそっと口づけて、その晩は何事もなく時が流れた。
一月後、何事もなく日々は過ぎ、公式の場で驍宗と李斎は顔を見合わせることもあったが、そこではあくまで王と将軍、私的な会話は一切なかった。
そんなある日、李斎の官邸に文が来届いた。驍宗からのもので、内容に目を通せば酒の誘いだった。あの晩は泣き疲れて、一人で動揺して拒んでしまった。詫びねばならない。
それに――心の整理は終えている。
ゆっくりと考える時間ができた、一つ一つ振り返り、己の心と向き合って、向き合ったからこそ……。
「お疲れ様です、主上」
「……今夜は大丈夫なのか?」
「はい」
臥室に驍宗を通し、椅子を薦めて体を静める。用意された杯に酒を注いでから、李斎もまた腰掛けた。
「申し訳ございませんでした」
「いや……私も悪いからな」
「いえ、主上は」
「早急すぎたようだからな。少しずつ育めばよいものを……」
「ですが、私が主上でございましたら早急になるかと」
限られた時間で愛を育む、戴はまだ多忙を極め、一時の蜜月を味わい一晩でそれは覚める。互いに切り替え、戴のために心血を注ぐ。だが二人の時はその時間を味わいたい。
「ですが、私も考える時間が欲しかったのは事実でございます。ありがとうございます」
「礼を言う必要はない、私が謝らなければならん」
「そんな主上に……いえ、驍宗様がお気を使われる必要は……」
「李斎」
名を告げて押し黙る。
「私は李斎に拒まれ、嫌悪されるのを恐れている。それだけ……李斎?」
静かに立ち上がり、李斎は何も考えず唇を唇で塞いだ。
「もう何もおっしゃられなくとも……わかります。ですから……何も言わず……」
何も考えず、ただ受け止めて欲しい、愛して欲しい。
驍宗の愛を求めて抱き締め、それに答えて腕を伸ばし強く抱き締める。
この時だけは身分を考えてはいけない。
只の男と女になろうと言ったはずなのに、忘れてしまう。
忘れてはいけない、忘れなければ――こんなにも素直に愛し合えることができるから。
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