まだ仄かにしか日の光が入ってこない寝室で、
黄信は絶望していた。
まず、
腰が痛い。
日常では異常なほどすべての神経を研ぎ澄まし、
身体に付属しているすべての機能を使って仕事をしている。
そういった仕事を何年も続けている身、
自ずと、何をすればどこが痛むか、
それは一体いつまで続くのか、など把握出来ている・・・
はずだった。
だから、
今、
腰が痛いなどと何故思うのか、
ありえないこと・・・であるし、
腰が痛い、と言うことは昨日一昨日無理をしたのか、
なぜ、"腰"だけが痛むのか、
疑問が後から後からわきあがってくる。
その回答は、自分では導き出せなかった。
なぜなら、
昨日の記憶がすべてなかったからだ。
黄信は狭い布団の上で身じろぐ。
変な汗が頬を伝った。
――何故だ?
記憶がぶっ飛んでしまうほど、
酒に溺れる事など今までなかったし、
酒ごときで酔うなど、
エキスパートを育成する梁山泊が指南――黄信にとって、
あっていいはずがない。
酒に酔わない自信はあった。
そして昨日は、宴会などそういった類のものはなかったはず。
それがより一層黄信を混乱へと導く。
――酒を飲んだ記憶もない、昨日の昼ごろまでの記憶はある・・・。
そうなのだ。
正確に言うと、昨日の夜・・・花栄と帰宅を共にした後の記憶がない。
黄信はシーツを掻き抱く。
さらに最悪なことには、
・・・服を着ていなかった。
それがすべての混乱の現況だった。
朝、というより深夜、
常人よりは数段はやい時刻に起きた黄信は、
まず肌寒さを覚えた。
この季節、確かに変わり目で寒暖の差が日増しに強くなっていくのだが、
それでも。
ふと見て気づいた。
一糸纏わぬ、己の姿。
・・・叫ばなかったのが、せめてもの幸い。
黄信は危うく気絶しそうになったが、
何とか持ちこたえ、
そして冷静に、
極力冷静に物事を見極めようとした。
そして現在に至る。
――花栄と、いつものように共に帰宅して、それから・・・・、
それから、何をしたのか。
普段なら、
多少の酒に付き合ったり、
もしくは、
共に部下の特別稽古をつけてやったり、
説教をしたり、
様々なことが思い出されるが、
それでも、
今日に繋がるようなことは何一つ思い出されなかった。
――一体何をしたと言うのだ・・・。
黄信は絶望する。
エキスパートとして、
十数年修行し、
さらには指南役など、
身に余るほどの光栄に甘んじておきながら、
この不覚。
憤死してしまいそうになる。
黄信は未だ日の入らない寝室で、
布団の上で、身じろいでいた。
身じろいでいたために、
布団のカバーは乱れていたが、
それもただ身じろいでいたが為に出来たものなのか、
それとも違う現象から起きたものなのか、
もう判別できない。
いつも身に着けている甲冑や剣は普段なら専用の場所に収納しているはずなのに、
今日はすべて布団の回りに散らばっている。
・・・ありえない。
自分でも几帳面だと自負している。
日常の反復動作を、この自分が疎かにするはずがない。
段々、目が覚めてきた。
混乱も、多少は収まってきた。
・・・命は、ある。
一番不可思議だと思ったのが、
今自分が生きている、という事だ。
というより、
――性質の悪い、悪戯か?
自分を陥れようと、誰かが画策したのやもしれぬ。
そうは思ったものの。
――一体、誰が。
思いも付かない。
確かに部下には厳しい。
だが、怨まれるような指導はしていない。
すべて個人個人の能力に合うよう、
黄信なりに気を使ってやっているつもりだった。
だから、
余計に、
今、この摩訶不思議な状態で朝日を迎えようとしている自分が怖かった。
「よう、黄信!目覚めの気分はどうだ?」
黄信はまた、叫びそうになった。
目を見開く。
――か、花栄!?
何故、自室に花栄が!?
そんな表情がありありと浮かび上がる。
花栄はそれに気づいたのか気が付かなかったのか、
さらに言葉を続ける。
「まぁしかし、昨日は無理をさせた。すまなかったな。」
謝られる。
黄信は、訳がわからずも、
このなにも着ていない自分を見られるのが嫌で、
というより恥ずかしくて、
思わず布団を強く握り締めた。
花栄は謝った後、気味が悪いほど爽やかに微笑んでいる。
「か、花栄、おぬしが、なぜここに・・・?」
はぁ?と花栄はいつもの調子で聞き返す。
「何言ってんだ、お前。昨日はあれだけ盛り上がったつぅのに・・・。」
ぼりぼりと頭を掻きながら、
幾許か照れたように、
「まぁその、何だ、お前も今日はつらいかもしれぬが・・・」
歯切れが悪い。
――なぜ顔がにやけているのだ?
黄信は不審に思った。
まさか、花栄が・・・。
あらぬことが思い浮かぶ。
しかし、
――花栄がなぜこの黄信を陥れる必要がある?
必死に否定する。
乱れた髪が邪魔で、
黄信は肩先まである髪を掻き揚げた。
「っ・・と、お前、今日はちゃんと用心しろよ?」
「は?」
何の事か分からず聞き返した。
さっきから何をわけのわからないことをいっているのか・・・・。
黄信は花栄が来たことで平常心を失いかけてはいたものの、
なんとか持ちこたえている。
「だから、その・・・アレが、見えるし。」
アレって何だ。
「・・・それと、ちょいと昨日は激しくしたから、腰がつらいかもしれねぇな。」
何で腰が痛いのを知っている。
「お前、やっぱりまだ動くのつらいのか?服も着てない・・・し。」
目線が泳いでいる。
黄信は苛苛してきた。
こうもはっきりしない花栄は初めてだ。
が、先ほどからニヤニヤニヤニヤ下世話な笑いが収まっていないところをみると、
本当に花栄が自分に何かしたのではないか、
という疑いが、黄信のなかで再発しだした。
――まさか。
布団の中で、多少は温まった掌を握り締めながら、
黄信は、
「花栄、・・・昨夜、俺に何かしたか?」
「何したって・・・お前、覚えてないのか?」
呆然とした。
花栄もあまりに本気で何もわかってなさそうな黄信を見て、
呆気にとられている。
日はやっと入ってきて、大分部屋が明るくなってきた。
窓の桟から漏れる光が、黄信と花栄を照らし始める。
「・・・本当に、覚えてないのか?」
最初に口を開いたのは、花栄。
「本当の本当に、覚えていないのか!?」
「だから、一体何の事をいっているのだお前は!!」
「いやだから本気かぁお前!昨日何したってナニしたんだよ!!!」
「分けがわからぬことをほざくな阿呆!!俺に何するって何だ!!!」
「だからっ、・・・お前を、抱いたんだよ・・・・。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
昨日の夜から記憶がない。
花栄と帰宅して、
一緒にこの自室にもどって、
それから、
それから・・・・。
「な・・・?」
「思い出したか?」
目線がかち合った。
思い出せない。
まったくもって、思い出せない。
「思い出せぬ・・・。」
はぁ、と花栄は盛大な溜息をついた。
黄信は抱いたという刺激的な、かつ下世話な言の葉に恥ずかしくなり、
思わず下を向いた。
「・・・まぁ、思い出せなくても、これから夜は何回もあるし。」
花栄はその持ち前の明るさからか、
それとも単に目の前にある現実から目を背けたかったのか、
己に言い聞かせるようにそういった。
黄信は、
・・・・保身の為に、わざと思い出せないようなっているのか。
人間の脳とは真に不思議よ、と納得した。
日はもう完全に朝の位置につき、
もうそろそろ早朝練習が始まる。
黄信は多少の腰の痛みをこらえて、
花栄は現実逃避しそうになる自分を制御して、
いつもとおなじように、
まるで何事もなかったかのように、
出勤していった。
そんな初夜だった。
黄信は絶望していた。
まず、
腰が痛い。
日常では異常なほどすべての神経を研ぎ澄まし、
身体に付属しているすべての機能を使って仕事をしている。
そういった仕事を何年も続けている身、
自ずと、何をすればどこが痛むか、
それは一体いつまで続くのか、など把握出来ている・・・
はずだった。
だから、
今、
腰が痛いなどと何故思うのか、
ありえないこと・・・であるし、
腰が痛い、と言うことは昨日一昨日無理をしたのか、
なぜ、"腰"だけが痛むのか、
疑問が後から後からわきあがってくる。
その回答は、自分では導き出せなかった。
なぜなら、
昨日の記憶がすべてなかったからだ。
黄信は狭い布団の上で身じろぐ。
変な汗が頬を伝った。
――何故だ?
記憶がぶっ飛んでしまうほど、
酒に溺れる事など今までなかったし、
酒ごときで酔うなど、
エキスパートを育成する梁山泊が指南――黄信にとって、
あっていいはずがない。
酒に酔わない自信はあった。
そして昨日は、宴会などそういった類のものはなかったはず。
それがより一層黄信を混乱へと導く。
――酒を飲んだ記憶もない、昨日の昼ごろまでの記憶はある・・・。
そうなのだ。
正確に言うと、昨日の夜・・・花栄と帰宅を共にした後の記憶がない。
黄信はシーツを掻き抱く。
さらに最悪なことには、
・・・服を着ていなかった。
それがすべての混乱の現況だった。
朝、というより深夜、
常人よりは数段はやい時刻に起きた黄信は、
まず肌寒さを覚えた。
この季節、確かに変わり目で寒暖の差が日増しに強くなっていくのだが、
それでも。
ふと見て気づいた。
一糸纏わぬ、己の姿。
・・・叫ばなかったのが、せめてもの幸い。
黄信は危うく気絶しそうになったが、
何とか持ちこたえ、
そして冷静に、
極力冷静に物事を見極めようとした。
そして現在に至る。
――花栄と、いつものように共に帰宅して、それから・・・・、
それから、何をしたのか。
普段なら、
多少の酒に付き合ったり、
もしくは、
共に部下の特別稽古をつけてやったり、
説教をしたり、
様々なことが思い出されるが、
それでも、
今日に繋がるようなことは何一つ思い出されなかった。
――一体何をしたと言うのだ・・・。
黄信は絶望する。
エキスパートとして、
十数年修行し、
さらには指南役など、
身に余るほどの光栄に甘んじておきながら、
この不覚。
憤死してしまいそうになる。
黄信は未だ日の入らない寝室で、
布団の上で、身じろいでいた。
身じろいでいたために、
布団のカバーは乱れていたが、
それもただ身じろいでいたが為に出来たものなのか、
それとも違う現象から起きたものなのか、
もう判別できない。
いつも身に着けている甲冑や剣は普段なら専用の場所に収納しているはずなのに、
今日はすべて布団の回りに散らばっている。
・・・ありえない。
自分でも几帳面だと自負している。
日常の反復動作を、この自分が疎かにするはずがない。
段々、目が覚めてきた。
混乱も、多少は収まってきた。
・・・命は、ある。
一番不可思議だと思ったのが、
今自分が生きている、という事だ。
というより、
――性質の悪い、悪戯か?
自分を陥れようと、誰かが画策したのやもしれぬ。
そうは思ったものの。
――一体、誰が。
思いも付かない。
確かに部下には厳しい。
だが、怨まれるような指導はしていない。
すべて個人個人の能力に合うよう、
黄信なりに気を使ってやっているつもりだった。
だから、
余計に、
今、この摩訶不思議な状態で朝日を迎えようとしている自分が怖かった。
「よう、黄信!目覚めの気分はどうだ?」
黄信はまた、叫びそうになった。
目を見開く。
――か、花栄!?
何故、自室に花栄が!?
そんな表情がありありと浮かび上がる。
花栄はそれに気づいたのか気が付かなかったのか、
さらに言葉を続ける。
「まぁしかし、昨日は無理をさせた。すまなかったな。」
謝られる。
黄信は、訳がわからずも、
このなにも着ていない自分を見られるのが嫌で、
というより恥ずかしくて、
思わず布団を強く握り締めた。
花栄は謝った後、気味が悪いほど爽やかに微笑んでいる。
「か、花栄、おぬしが、なぜここに・・・?」
はぁ?と花栄はいつもの調子で聞き返す。
「何言ってんだ、お前。昨日はあれだけ盛り上がったつぅのに・・・。」
ぼりぼりと頭を掻きながら、
幾許か照れたように、
「まぁその、何だ、お前も今日はつらいかもしれぬが・・・」
歯切れが悪い。
――なぜ顔がにやけているのだ?
黄信は不審に思った。
まさか、花栄が・・・。
あらぬことが思い浮かぶ。
しかし、
――花栄がなぜこの黄信を陥れる必要がある?
必死に否定する。
乱れた髪が邪魔で、
黄信は肩先まである髪を掻き揚げた。
「っ・・と、お前、今日はちゃんと用心しろよ?」
「は?」
何の事か分からず聞き返した。
さっきから何をわけのわからないことをいっているのか・・・・。
黄信は花栄が来たことで平常心を失いかけてはいたものの、
なんとか持ちこたえている。
「だから、その・・・アレが、見えるし。」
アレって何だ。
「・・・それと、ちょいと昨日は激しくしたから、腰がつらいかもしれねぇな。」
何で腰が痛いのを知っている。
「お前、やっぱりまだ動くのつらいのか?服も着てない・・・し。」
目線が泳いでいる。
黄信は苛苛してきた。
こうもはっきりしない花栄は初めてだ。
が、先ほどからニヤニヤニヤニヤ下世話な笑いが収まっていないところをみると、
本当に花栄が自分に何かしたのではないか、
という疑いが、黄信のなかで再発しだした。
――まさか。
布団の中で、多少は温まった掌を握り締めながら、
黄信は、
「花栄、・・・昨夜、俺に何かしたか?」
「何したって・・・お前、覚えてないのか?」
呆然とした。
花栄もあまりに本気で何もわかってなさそうな黄信を見て、
呆気にとられている。
日はやっと入ってきて、大分部屋が明るくなってきた。
窓の桟から漏れる光が、黄信と花栄を照らし始める。
「・・・本当に、覚えてないのか?」
最初に口を開いたのは、花栄。
「本当の本当に、覚えていないのか!?」
「だから、一体何の事をいっているのだお前は!!」
「いやだから本気かぁお前!昨日何したってナニしたんだよ!!!」
「分けがわからぬことをほざくな阿呆!!俺に何するって何だ!!!」
「だからっ、・・・お前を、抱いたんだよ・・・・。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
昨日の夜から記憶がない。
花栄と帰宅して、
一緒にこの自室にもどって、
それから、
それから・・・・。
「な・・・?」
「思い出したか?」
目線がかち合った。
思い出せない。
まったくもって、思い出せない。
「思い出せぬ・・・。」
はぁ、と花栄は盛大な溜息をついた。
黄信は抱いたという刺激的な、かつ下世話な言の葉に恥ずかしくなり、
思わず下を向いた。
「・・・まぁ、思い出せなくても、これから夜は何回もあるし。」
花栄はその持ち前の明るさからか、
それとも単に目の前にある現実から目を背けたかったのか、
己に言い聞かせるようにそういった。
黄信は、
・・・・保身の為に、わざと思い出せないようなっているのか。
人間の脳とは真に不思議よ、と納得した。
日はもう完全に朝の位置につき、
もうそろそろ早朝練習が始まる。
黄信は多少の腰の痛みをこらえて、
花栄は現実逃避しそうになる自分を制御して、
いつもとおなじように、
まるで何事もなかったかのように、
出勤していった。
そんな初夜だった。
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