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うろほろぞ
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@1

いつまでも、ずっと

 東城会を揺るがせた100億消失事件が、遠い昔話になるほど時は流れた。一時、解体寸前にまで追い込まれた東城会も、今や
事件以前よりも規模を増大させ、日本でも西の近江連合・東の東城会と呼ばれるほどに他の追随を許さない組織になっていた。
 そこまで東城会を立て直したのは、他でもない堂島大吾の力に他ならない。当初、若くして会長職に就任した大吾を不安視する
者も少なくはなかったが、彼は時間をかけ、己の行動を皆に示す事で古参含め幹部衆の信頼を勝ち取った。上がまとまれば下も
それに従う。自然、東城会は大吾を柱に結束することとなった。
 その彼が東城会六代目会長と名乗る事に対し、もう誰も異論を唱えるものはいない。名実共に、東城会の頭となった男の姿が
そこにあった。
 更に、東城会ではもう1人成長著しい人物がいた。それは遥。東城会本部に顔を出すようになった頃は、あどけない笑顔で辺りを
走り回っていた彼女はもういない。今年18才になった遥は、天然の愛嬌に加えて大人びた艶やかさも時折覗かせるようになっていた。
 相変わらず、本部で雑用をこなす彼女だが、実は少し前に桐生も狭山と暮らし始め、遥は本来なら堂島家に世話になる必要は
なかった。桐生も、年頃の彼女を心配して、暴力団である東城会には極力関わるなとも言っている。しかし、東城会本部は幼い頃から
慣れ親しんでいた場所。今更距離をとる必要もないと思っているのだろう。遥はわざわざ高校も東城会近郊の公立高校に奨学生として
進学し、学校帰りにはいつも本部に寄って帰っていた。
「こんにちはー!」
昔から変わらない元気な挨拶と共に、遥が東城会の門をくぐる。近くにいた構成員は穏やかに挨拶を返した。
「早いですね、遥さん。部活はないんですか?」
遥は高校に進学した頃から合気道部に入っていた。護身術には向かないが、何もできないよりはいいと思っているのだろう。自分の
身は自分で守るという彼女の性格の表れだった。彼女は小さく笑って首を振った。
「3年生だもん。夏のインターハイ終わったら、もう引退だよ」
「ああ、そうでしたか。もうそんな時期なんですね」
彼は大きく頷く。季節も気がつけば夏は終わり、秋になっていた。遥はそうだよ、と構成員を見上げた。
「部活が終わっちゃったのは寂しいけど、これからはここにも早く来ることができるから、ちょっと嬉しいんだ」
部活、特に運動部は遅くまで練習がある。そのため、日が暮れてから本部に寄る彼女の姿もよく見かけた。その度に組員が彼女を
送っていったり、時には堂島家に世話になってそのまま登校することもあった。まさに、ここが第二の我が家というわけだ。
 しかし、遥がそうまでして本部に来たがる理由は、構成員にはわからない。彼女は特に何も言わないし、それに関しては問いかけても
曖昧に笑うだけで答えることもなかった。しかし、ここの人間は彼女を好意的に思っている者ばかりだったため、顔を覗かせてくれるの
ならどんな理由でもかまわないと、ことさら追求もしなかった。
「それじゃ、またね」
遥は手を振って踵を返す。制服のプリーツスカートを翻し、建物に向かってかけていく姿を、彼は微笑ましく見つめていた。
 本部内に入った遥はいつものように詰め所に鞄を置き、給湯室でコーヒーを入れて真直ぐに会長室へと向かう。今日は早いから
きっと部屋の主も驚くだろう。そっと笑い、彼女は部屋の扉をノックした。
「入れ」
中から聞きなれた声がする。遥は幼い頃に一生懸命開けた扉を、すんなり押して中に入った。
「大吾お兄ちゃん、お茶ですよ~」
思いも寄らぬ少女の声に、大吾は顔を上げた。
「今日は早いじゃねえか、どうした」
遥は慣れたようにコーヒーを彼の机に置いて肩を竦めた。
「それ、門番さんにも言われたよ。部活はもう引退なの、やっと昨日引継ぎが終わったから。帰るの早いんだ」
そうか、と大吾は湯気の立つコーヒーに視線を落とす。こうやって、学校帰りに彼女の入れたコーヒーを飲むのも何年になるだろう。
これが習慣になってしまうほどの長い年月を、大吾は彼女と過ごしてきた。そんな遥も、もう高校3年生。しかもこの時期ともなれば
色々将来のことを考えることになる頃だろう。彼はふと彼女を見上げた。
「お前、学校卒業したらどうすんだ?」
それを聞き、遥は含みのある笑みを浮かべた。
「えへへー、内緒!」
「なんだよ、それ。別に言ったって構わねえだろ」
「うーん、でも、どうしようかなあ……」
彼女はもったいぶるように考え込む。大吾は舌打ちして頬杖をついた。
「気持ち悪いだろ、言えよ」
普段なら、ここまで言うと彼女は教えてくれるものだが、今日の遥は首を横に振った。
「やっぱり、もう少ししたら教えるね」
「あ、そ」
幾分不機嫌そうに素っ気無く答えた大吾を、遥は覗き込んだ。
「気になる?」
そういう仕草は、幼い頃と変わっていない。変わったのは、彼女の目線の高さだけだ。大吾は苦笑を浮かべた。
「ま、兄貴がわりとしてはな」
「そっか……」
どこか寂しげに聞こえるのは、自惚れが過ぎるだろうか。彼は横に立つ遥を見上げる。呟いたきり、窓の外を眺める彼女の横顔は
どこか思い詰めた様子で、わずかに胸をつかれた。
「どうした?」
「え?あ、なんでもないよ」
昔から長さの変わらぬ髪を揺らして、彼女は首を振る。高校生ともなれば、髪の色も変えたりするものだが、彼女の髪はいつも漆黒で
綺麗に手入れされていた。彼女が年頃になるにつれ触れることもなくなったが、おそらく昔と同じ手触りなのだろう。考えだすと無性に
確かめたくなった。
「おい」
「……なに?」
手招きされ、遥は少し近付く。更に手招きされ、彼女はまたそばに行く。やがて、不思議そうに首を傾げる遥に大吾は告げた。
「ちょっと屈め」
「え?……うん」
素直に屈んだ遥の顔が大吾に近付く。彼はふいに手を伸ばした。
「お兄ちゃん……?」
思わず声を上げた瞬間、大吾は彼女の髪を一束掴んで引っ張る。遥はその痛みに顔をしかめて叫んだ。
「い、いたたたたた!痛い、痛いってお兄ちゃん!はげちゃう~!」
「……やっぱ、かわんねえな」
遥は驚いたように視線を上げる。大吾は彼女の髪を弄びながら呟いた。
「昔のままだ」
懐かしげに目を細めた大吾は、何かを思い出しているようにも思える。遥はぽつりと呟いた。
「……昔のままじゃないよ」
驚くのは大吾の番だった、視線を動かすと彼女は苦笑を浮かべた。
「昔のままじゃ、ないもん」
それにどんな意味を含んでいるのか、彼にはわからない。遥はただ澄んだ瞳を静かに向けているだけだ。不意に緩めた手から髪は
流れ落ち、遥はそっと身を起こした。大吾が何か言おうとした時、部屋の扉がノックされた。
「ああ……入れ」
もっと彼女に言いたいこともあったが、そういうわけにもいかないようだ。やがて入室の許可を得て入ってきたのは柏木だった。
「失礼します……ああ、遥来てたんだな」
「こんにちは、柏木のおじさん!」
先ほどの表情が嘘のように、遥ははしゃいで柏木に駆け寄っていく。大吾はあっけにとられてその光景を眺めた。
「今日は早いな、部活は引退か?」
「そうなんです。だから、まっすぐこっちに来ちゃいました」
遥は笑顔で彼を見上げる。柏木は苦笑を浮かべて彼女に告げた。
「桐生がぼやいてたぞ、遥が言う事を聞かなくなったって」
「えー、言う事は聞いてます。ちゃんとここに来ることはメールしてあるし、部活も勉強もちゃんとしてます」
不満そうに声を上げる遥を、柏木は困ったように眺めた。
「そうではなくて、東城会に出入りする事についてだよ。高校生、しかも女の子が暴力団の施設に出入りするのは、一般的に見ても
 よくないことだろう。それに、所詮この世界はならず者の集まりだ。私たちの目の届かないところで、遥ちゃんに対してよくないことを
 する奴だっているかもしれない。それを心配しているんだよ、あいつは」
柏木の言う事は、間違ってはいないと思う。大吾は横で聞いていて思った。遥は歳を経るごとに、美しく成長していく。そして、今は
周囲の構成員も、もう幼い遥として見ることはできないほどに大きくなった。
 更に、本部詰めの構成員も昔からみるとだいぶん入れ替わり、彼女がここにいる理由も知らぬ人間も増えた。彼らの彼女への接し方も
大人の女性に対するそれになることも多い。その露骨さに、時折大吾が構成員達に対して釘を刺さなければいけないほどだった。
それを遥はわかっていない。長年世話になっている気安さなのか、彼女の彼らに対する接し方はあまりにも無防備で正直危機感さえ
感じていた。しかし、そう考える一方で始終ここにいた彼女がいなくなるというのも、考えられない。遥はいったいこれからどうするつもり
なのだろう。大吾が見つめていると、彼女はぽつりと呟いた。
「でも、もう少しだから」
「……え?」
思わず問い返す柏木に、遥は首を振った。
「なんでもないです。あの、ちゃんと気をつけます!おじさんの言う事もできるだけ聞きます!」
柏木は大吾と顔を見合わせ、苦笑を浮かべる。どうやら、遥はこのことについては桐生の言う事を聞く気はないらしい。

「澤村さん」
次の日のホームルーム後、帰宅しようとした遥は担任に呼ばれて教壇に向かった。柔和な顔の女性教諭は、彼女に笑みを浮かべる。
「あの話、希望通りになりそうよ」
「本当ですか!?」
遥は小さく飛び跳ね、両手を組む。教諭は大きく頷いた。
「内申書や、成績も考慮したけど問題ないって。詳しい事はまた話すから、放課後進路相談室に来なさい」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げた彼女に、教諭は意地悪く笑った。
「いくら合格圏内だからって、気は抜かない事!偏差値も問題ないから心配はしてないけど、もっともっと勉強しなきゃね!」
「はーい」
嬉しそうに返事する遥に彼女は誇らしげに頷いてみせた。
「3年生は来週から放課後補習をすることになるから、帰りも遅くなるわよ。休日もないと思ってね。親御さんにもそう言っておきなさいね」
「あ……はい」
急に元気のなくなる遥を笑い、教諭は教室を出て行く。遥は複雑な表情で席に戻ると、溜息と共に突っ伏した。
「どうしたの?遥」
友人が声をかけてくる。彼女は視線だけ動かして浮かない声を上げた。
「来るべき時がきたって感じ……」
「なにそれ」
首を傾げる友人に、遥はそのまま顔を伏せ、首を振った。
「なんでもないよーだ」
訳が分からないというふうに、友人は肩を竦める。ふと、彼女は遥に声をかけた。
「それより、あんた呼ばれてるよ」
遥は驚いて顔を上げ、辺りを見回した。
「え、そんなこと早く言ってよ~!誰?」
「だってあんた微妙にへこんでるから面白くって……ああ、そうそう。あの人」
彼女が指差した方には、特に顔見知りと言うわけではない少年が、廊下に落ち着きなく立っている。彼は彼女と目が合うと、小さく
頭を下げた。
「……誰?」
「あんたねえ、隣のクラスの男子じゃない」
「覚えてない……」
一生懸命思い出そうとする遥を無理やり立たせ、友人は背中を押した。
「そんなことより、こんな時に呼び出しなんて目的は一つ!早く行っておいで!」
「行きたくないよう」
友人の言葉で、これから何が起きるかはおおむね分かったらしい。遥は困ったような顔で男子生徒に向かって歩き出した。


『つきあってほしいんだけど』
『ごめんなさい、それはできません』
『あ、そう……』
その告白劇はものの数秒で終わった。沈黙をあわせれば15分くらいかかっただろうか。ただ、遥の返答の速さは、コンビニのATM
以上に速かった。それで拍子抜けしたのか、相手も二の句が告げないまま微妙な沈黙を残して去っていった。
 こういったことは頻繁にあるわけではないが、他の少女達よりは多いのかもしれない。遥は返答にも慣れてしまった。答えは一つだけ
迷う必要もない。それを聞いた友達はいつも口々に遥を責め、どうしてつきあってみないのかと疑問を投げかける。そのどれにも彼女は
答えなかった。答えられなかった。
 とはいえ、折角の好意を断るのも気分のいいものではない。それに、これから自分が言いたくないことを大吾に言わなければならない。
どんよりと落ち込んだまま、遥は本部へと向かった。
「こんにちは……」
昨日とはうってかわって沈んだ調子の遥を、門にいた構成員は驚いたように見送る。彼女はそれ以上彼と言葉も交わさず、とぼとぼと
建物の方へと歩いていった。
 ホールに入ると、本部は幾分薄暗く見えた。気分の問題だろうか、彼女は詰め所にも寄らず真直ぐに会長室へと歩いていく。途中
構成員達に声をかけられたが、遥は生返事で通り過ぎた。
 ノックをするのも忘れて扉を開いた遥は、煙草を燻らせながら窓辺から外を眺める大吾の背中を見つめた。六代目として認められた
その姿は、頼もしくて見ているとまるで桐生といるように安心する。いつでも大吾は彼女の一番だった。でも、もうこの背中を見られそうに
ない。痛む胸をおさえながら、彼女はそっと声をかけた。
「大吾お兄ちゃん」
急に声が聞こえ、大吾は驚いて振り返る。夕陽に染まった部屋の中は目に痛いほど赤い。
「何だよ、入る時はノックしろって言ったろ」
咎めるように声を上げる大吾を遥は何も言わずに見つめる。今は何だかこういう彼の表情も懐かしい。黙りこくっている遥を大吾は
訝しげに眺めた。
「どうしたんだよ」
遥は慌てて首を振り、ぎこちなく笑顔を浮かべて大吾の近くにやってきた。
「あ、な、なんでもないよ。そうだ、週末はこっちでお世話になってもいい?弥生さんにも、おじさんにも言ってあるから」
聞かれても、彼女はすでに発言力のある人間には手回し済みだ。断れるわけがない。大吾は苦笑を浮かべた。
「またかよ。お前、休みの日くらい他の奴と遊んだりしろよ」
「友達とは学校で会うもん」
そうじゃなくて、と彼は腕を組んだ。
「男とか、いるんだろ?」
遥は目を丸くする。彼からそういう話を振られるとは思わなかったため、彼女は戸惑いながら答えた。
「い、いないよ」
「マジか?」
「うん」
素直に頷く遥は、何かを隠しているようにも思えない。大吾は首を傾げた。身内の贔屓目かもしれないが、遥は同年代の少女達と
並べてみても、特に見た目も悪くないと思う。むしろ、平均と言うものがあるのなら、それより上をいっているだろう。組員達が懐いて
いるくらいだから、性格に問題があるわけでもない。それは、長く顔を合わせている大吾がよく知っていた。
 それなのに、遥は昔からこういった質問に対して、首を縦に振った記憶がない。男の影を匂わせる雰囲気すらない。この年頃なら
恋愛に興味があって当然だと思っていたが、彼女は違うのだろうか。いささか不安になりながら大吾は遥を覗き込んだ。
「お前、大丈夫か?」
「大丈夫って?」
首を傾げる彼女に、大吾は溜息をついた。
「遊びすぎるのも考えもんだがな、少しは誰かと付き合ったりしたらどうなんだ?」
「え……」
遥は短く言葉を発したまま沈黙する。彼は肩を竦めた。
「高校生にもなれば、浮いた話の一つや二つあんだろうが。それとも、お前学校で暴れたりしてんのか?そりゃあ、野郎も引くな」
「そ、そんなことしてないよ~!私、学校ではおとなしいんだから!」
「どうだか」
慌てて声を上げる彼女を、大吾は笑う。その様子を不満げに見ていた遥は、ふと視線を落として呟いた。
「……断ってるの」
「え?」
彼女は困ったように笑い、窓の外を眺めた。
「今までにも……今日だって、男の子が私に『好きだ』って言ってくれた。でも、全部断っちゃった」
「なんで」
困惑したように大吾が問いかける。遥は窓に額を当て、目を細めた。
「……その人たちには、そういう気持ちになれないんだ」
「桐生さんか?」
彼女は驚いたように大吾を振り返る。彼は苦笑を浮かべて遥を見下ろした。
「違うのか」
出会った頃から、遥の心の中を占めていたのは、一匹の龍。時を経ても、極道の間では常に語り継がれ、今なお伝説となっている男。
どれだけあがいても、大吾が越えることはできないただ1人の人物だ。何年たっても彼女が思い続けているのも納得できる。
しかし、遥は首を横に振った。
「……違うよ」
「遥?」
驚いたように声を上げた大吾を見ないように、彼女は部屋の扉へとかけていく。そして一度振り向き、微笑んだ。
「今日はおうちで夕食食べてね!待ってるから!」
「あ?ああ……」
遥は足早に部屋を出て行く。大吾は困惑した表情のまま、その場に立ち尽くしていた。
 部屋を出た遥は、大きく溜息をつき、廊下を歩いていく。結局言わなければならないことは言い出せなかった。何故今日に限って
大吾はあんな話題を口に出したのだろう。間が悪いとはこのことだと思った。彼女は力なく呟いた。
「……堂島さんちに帰ったら言おう」
彼女の視線の先では、夕陽はすでに沈みかけ、辺りでは虫の声が響き始めていた。

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彼女の気持ち

「遥、帰ろう!」
下校の時間になり、女子生徒たちは口を揃えて声をかける。日直で、日誌を職員室に持って行ってきたばかりの遥は大きく頷いた。
「校門までならいいよ」
「えー!また遥、駅の方に行っちゃうの?」
少女の1人が口を尖らす。堂島家に世話になる際は、いつもの下校ルートと違い、電車に乗って帰るので友人とは校門を出た後は
正反対の道になるのだ。遥は申し訳なさそうに手を合わせた。
「ごめんね、月曜からまた一緒に帰ってくれる?」
別にいいけど、と別の女子生徒が首をかしげた。
「遥って二つ家があるわけ?今日帰るのはどういうおうちなの?」
「えー……と」
説明に困って彼女は口ごもる。回りくどく、桐生の、昔の、仕事先の、上司の家と言ってもいいのだが、どうして昔の上司の家に
世話になるのだと聞かれたりしたら、今度こそ説明のしようがない。さんざん悩んだ挙句、遥は答えた。
「と、遠い親戚、かな?」
言った後に彼女は思う。桐生は弥生を姐さんだと言っていた。「姉さん」と変換すれば、保護者の兄弟なわけだから、親戚だと言っても
大きく言えば間違ってはいない、はず。恐る恐る友人を見ると、彼女達は顔を見合わせた。
「親戚かあ」
「いいなあ、うちも家から離れて過ごしたいな」
どうやら不信感は抱かれてないようだ。遥は胸をなでおろす。少女達は彼女を促した。
「ほら、行こう。遥」
「あ、うん」
遥は手早く荷物をまとめ、皆について歩く。教室を出たので携帯の電源をそっと入れると、メールが一件届いていた。
「あれ……」
遥は幾分歩く速度を遅めてメールを確認する。差出人は、彼女のよく知っている人物からだった。
『校門前、早く出て来い』
驚いて彼女は立ち止まる。こんな場所にその人物がいること自体、ありえない事だ。しかし、その人がこういった悪戯をするようにも
思えない。悩んでいると、少し離れたところで友人が声を上げた。
「遥、何やってんの?早く~!」
「あ、う、うん!」
遥は小走りに彼女達の方へかけていく。半信半疑のまま、彼女は靴を履き替え校門へと急いだ。


 道路わきに停めた車の中で、男は不機嫌そうに煙草をふかしている。少し離して停めているとはいえ、小学校の前に車を止めて
若い男が人待ち顔をしているのは、不審者以外の何物でもない。
「何やってんだ、あいつ……」
呟いた時、遠くから遥が出てくるのが見えた。彼女は、何かを探すように辺りを見回している。男は大きく溜息をつき車から降りた。
「遥、こっちだ」
声を聞き、遥は視線を動かす。彼女は男を見つけると顔を輝かせた。
「あ、大吾お兄ちゃん!本当にいた!」
嬉しそうにかけて行く遥を見て、そばにいた数人の少女達は顔を見合わせる。大吾は腕を組み、彼女を見下ろした。
「本当にいた、って人を珍獣みたいに言うな」
「だって、お兄ちゃんがこんなところに来てるとは思わなかったんだもん」
口を尖らす遥に、大吾は大きく溜息をついた。
「メール送っただろ、出てくるの遅えんだよ」
「日直だったんだもん。それに、教室内では携帯の電源入れるの禁止なんだよ」
日直、教室、懐かしい単語の連続に、大吾は遠い目をする。そういえば、自分が小学生時代は携帯がなかった。今はそういう校則が
あるのか。時代の流れとは恐ろしいものだと思った。
「ねえ、遥。この人誰?」
二人のやり取りを眺めていた少女達が、好奇心に負けて問いかけてくる。遥は大吾をちらりと見上げ、曖昧に笑った。
「えと……お世話になってるおうちの人」
少女達はその瞬間黄色い声を上げた。その異様な雰囲気に、大吾はわずかに後ずさる。この小さくて騒がしい生き物は一体なんだ。
遥も流石に友人の反応に驚いているらしい、言葉もなく固まってしまう。彼女達はかっこいい、だの、大人、だの、ちょっと怖そう、だの
言いたい放題だ。やがて、それぞれの感想が出尽くした頃、1人が大吾に小走りに寄ってきた。
「あ、あの、私、遥と仲良くさせてもらってます、神田といいます!」
大吾は驚いたように少女を見下ろす。こういう時は何て言うものなのだろう。彼は戸惑いながらもわずかに笑みを浮かべ、小さく
頭を下げた。
「それは……どうも」
「私、野本です!」
後ろの方でもう1人が手を上げる。それにつられるように次々と、中村です、打田です、と手を上げだす。名前を聞いて一体、どうしろと
いうんだ。困ったように遥を見ると、彼女は手を体の後ろで組んだまま、その状況をぼんやり眺めていた。この年頃の少女達は
何を考えているのかさっぱり分からない。大吾は無難に切り上げる事にした。
「それじゃ、今後とも、こいつと仲良くしてやってくれ。ちょっと急ぐし、こいつは連れて行くから」
はーい!と少女達は大きく手を振る。大吾は乾いた笑いを浮かべ、手を振り返すと車に乗り込んだ。
「遥、乗れ」
「あ、うん。みんな、またね」
遥は助手席に乗って皆に手を振る。少女達が見送る中、車は滑らかに加速していった。

小学校を後にしてから、遥はしばらく黙ったまま窓の外を眺めていたが、ふと思い出したように大吾を見た。
「お兄ちゃん、車乗れたんだ」
大吾はああ、と正面を見つめたまま苦笑を浮かべた。
「免許は持ってたからな。ムショに入った後にも、一応手続きだけはしてあったんだ。まあ、遊んでる分には車がなくてもやっていけたし
 東城会で仕事をするようになったら、それこそ運転する機会もなくなったからな。たまに忘れねえようにこうやって車に乗る事にしてんだ」
「それで、わざわざ来てくれたの?」
首を傾げる遥に、大吾は肩を竦めた。
「車動かしてくるって言ったら、お袋が『ついでに遥も連れて帰っておいで』ってうるせえのなんの。まあ、ここまで来るとなると仕事も
 休めるし。それで仕方なくな」
「……そっか」
遥は幾分残念そうに窓の外に視線を移す。信号で車を停め、大吾は彼女の頭を小突いた。
「どうしたんだよ」
「なんでもないよう」
遥は頭を押さえて首を振る。彼は首をかしげていたが、やがて信号も変わる。車を出しながら、大吾は口を開いた。
「お前と同い年の女ってのは、みんなああなのか?」
「え?何で?」
驚いたように視線を向ける遥に、大吾は溜息をついた。
「なんつーか、元気だよな」
「元気だもん」
素直に突っ込む遥に、大吾は首を振った。
「そうじゃなくて……やたらとやかましい」
遥は苦笑を浮かべ、視線を落とした。
「そうだね、私もよくお兄ちゃんにうるさいって言われるもんね」
「ああ、そうだな」
大吾は小さく笑う。それを聞いて遥はそっと溜息をついた。
 彼女は同級生が大吾に対して騒いでいるのを見て、正直うんざりしていた。自分も傍から見たらこうなのだろうかと思う。彼の周りで
うるさく付きまとっている姿は、同じ年代である自分から見ても気持ちのいいものではない。大吾が困っている顔を見ると、尚更実感する。
堂島家で世話になっているからと色々してはいたが、結局自分は周囲の好意に甘えてしたつもりでいるだけの子供なのだと思った。
沈黙している遥に苦笑を浮かべ、大吾は続けた。
「でも、甘かった」
「甘かった?」
顔を上げる遥に、大吾は頷いた。
「さっきのガキどもと並べてみたら、お前の方が何倍もマシだった」
「え……」
遥は言葉を失う。彼はハンドルを切りながら言葉を続ける。
「うちでも、本部でも、自分の分をわきまえて動ける奴だからな、お前は。もしあいつらを本部に入れてみろ、あの調子で引っかき
 まわされんのがオチだ」
この言葉はどう捉えたらいいのだろう。彼女は慌てたように声を上げた。
「で、でも私だって迷惑かけたりするよ。本当は私みたいな子供は、本部にいちゃいけないんだよね。でも皆さんすごく優しいから
 やかましいのを我慢してくれてるんでしょう?」
あのな、と大吾は遥を睨んだ。
「仕事に支障が出るくらい迷惑な存在なら、その時点で本部には入れねえよ。そのことは、お前がうちに来た頃に本部を歩かせて
 その様子を組員に報告させた。もちろんその組員からの評価も含めてな。その上での決定だ。いくらお袋のお気に入りだからって
 本部はガキが無条件にいていい場所じゃねえんだ」
初めて聞いた事実に、遥は目を丸くした。自分の知らないところで、そんなことが行われていたなんて思わなかった。どうりで本部に
立ち入った当時の組員は厳しい目をしていると思った。それも全て自分が最低限ここにいていい存在かどうか見定めていたのだ。
黙りこくった彼女に、大吾は苦笑を浮かべた。
「お前、ずっとそんなこと考えてたのか?」
「……うん」
遥は小さく頷く。大吾は彼女の頭を乱暴に撫でた。
「ばーか」
「ばかだもん」
そっぽを向く遥を笑い、彼はハンドルを握る。彼女はふと大吾の横顔を眺め、ぽつりと呟いた。
「あとね、お兄ちゃんが他の子に笑ってるのを見るの、ちょっと嫌だったんだ」
「は?」
驚いたように彼女を見る大吾に、遥は不満そうに声を上げた。
「大吾お兄ちゃん、私にはあんな風に笑ってくれないもん」
「お前な……それは無理」
うんざりしたように首を振る彼を見て、遥は運転席に身を乗り出した。
「何で?」
問われ、大吾は噛み付くように怒鳴った。
「なんでお前に作り笑いしなきゃいけねえんだよ、面倒くせえな!」
「作り笑い……」
そう、と彼はきまりが悪そうに宙を睨んだ。
「あそこでガキども睨んでみろ、即行先公呼ばれんだろ。不審者扱いされて警察に引き渡しになったら、シャレになんねえだろうが」
「そ、そうだね……」
遥は納得したように頷く。大吾は彼女をちらりと眺め、溜息混じりに告げた。
「そんなに俺、お前に冷たいか?」
「うん」
「……今すぐ車から飛び降りろ」
「あ、嘘、嘘!わざわざ迎えに来てくれる、優しいお兄ちゃんです!」
どうだかな。大吾は慌ててフォローを入れる遥に肩を竦め、アクセルを踏み込んだ。車は加速して高速に乗る。遥は彼を覗き込み
そっと微笑んだ。
「また車に乗せてね」
「わかんね」
素っ気無く答える大吾を怒るわけでもなく、遥は何かを思い描くように遠い目をした。
「それで、二人で遊びに行こうよ。お弁当持って。また海もいいよね、山もいいな。上流の綺麗な川とかで水遊びしたいよ。前にテレビで
 見てすごく涼しそうだったんだ。あとねえ、天体観測したいな。授業で星座の探し方教えてもらったの。それでね……」
「お前な、そんなに沢山休みが取れるわけねえだろ」
次々にあふれ出す彼女の提案に、大吾は呆れる。遥はそれを聞いて彼を覗き込んだ。
「少しだったら、付き合ってくれるの?」
しまった、と大吾は言葉を詰まらせる。遥の期待に満ちた目が、彼女の方を向いていなくてもわかる。彼はしばらく沈黙していたが
やがて根負けしたように声を上げた。
「まあな」
「やったー!今から計画立てちゃうよ、いいよね!」
遥は無邪気にはしゃいでいる。大吾は小さく溜息をついて彼女を眺めた。
「言っとくが、いつになるかわかんねえからな」
「うん、わかってる」
頷いてはいるが、彼女の頭の中はもう二人で遊ぶ計画でいっぱいのようだ。何を言っても上の空の彼女に呆れ、大吾は前を走る車に
視線を向けた。さて、この先彼女が提案した計画をこなすためには、どれだけ休みをとればいいだろう。そして、それを申請した時の
弥生の渋い顔が目に浮かぶようだ。
まあ、何とかなるか。彼は呟くと、わずかに表情を和らげた。


「喧嘩の極意」

 平日の繁華街は暇をもてあましたような人々が行き交う。周囲を取り囲むのは、色あせた看板や、ひび割れたビルの壁。
道路には破れて汚れきったチラシが木枯らしに舞った。
 夜とはうってかわって閑散とした飲み屋街を歩く少女がいる。赤いランドセルを背負ってはいるが、今の時刻は学校に
行くにはあまりにも遅すぎた。あてどもなく歩く少女の顔は目に見えて暗い。時折小さな口から吐き出される溜息が彼女の
心中を物語っていた。
 少女は、ふと広場の近くにあるゲームセンターに立ち寄った。プリクラ、UFOキャッチャー、格闘ゲーム……所持金の
少ない彼女にはどれも高価だ。しかし、今の少女にはお金はあってもゲームをやる気もないのだろう、めまぐるしく変わる
リプレイ画面をぼんやり眺めていた。
「お嬢ちゃん、どうしたの?」
ふいに声をかけられた。
驚いてふりむくと、後ろには三人の若い男が笑っている。しかし、その笑顔は気分を不快にさせるだけの下卑たものだった。
「……どうもしない」
臆せず返答する少女に面食らったのか、青年達は一瞬顔を見合わせ、また笑った。何度見ても、嫌な笑いだ。
「お嬢ちゃん不良?ダメだよ~こんなところに一人でいたら」
「悪ーい奴に攫われちゃうよ?」
「だ・か・ら、俺達がおうちまで送って行ってあげるよ。ね?」
少女は眉をひそめた。この人たちと関わってはいけない、離れなければ。本能がそう言っていた。
「結構です。さよなら」
冷たく告げて去ろうとしたが、男の一人がランドセルを掴んだ。
「お~っと。遠慮しないでよ~大丈夫だって、ちゃんと送るからさ。」
「でも、その前に楽しいところに寄ろうね!」
「馬っ鹿。おまえそんな本当のこと~」
何がおかしいのか、三人は大声で笑っている。少女は掴んだ手を振りきろうとするが、子供の力ではどうにもならない。
男は声を低めて少女にささやいた。
「逃げないでよ……こんなところに一人でいるのが悪いんだよ?」
ひどい悪寒がはしった。店員を呼ぼうにも、運が悪く店内にはいない。怖い。助けて!少女が悲鳴を上げようとした時だった。
「あらららら~?自分らワシの大切な知り合いに何か用?」
三人が思わず声のした方を向くと、一人の男が立っていた。短く刈り上げた髪、痩せぎすだがよく鍛えられた体に纏った
黄色のジャケットがよく目立つ。そして、一番目をひくのは、男の左目を覆う黒い眼帯だ。少女は男をよく知っていた。
「真島のおじさん!」
男達は彼の登場に一瞬ひるんだが、自分達が多勢の余裕か、男……真島に声を荒げた。
「な、なんだよお前。ウザいんだよ。あっちいけよ!」
「痛い目見んぞ!あぁ?!」
口々に発せられる怒声に、真島の口元には笑みが浮かんだ。ただし、目は鋭いままだ。
「ええなぁ、そのキャンキャン鳴く声。この街で、そんな口叩く奴はもうおれへんと思たんやけどなぁ。
 久々に言われたら……なんか興奮してきたわ」
軽口をたたきつつも威圧感に満ちた声は、かつて少女が幾度も聞いた狂気の潜むあの声だ。ただ、興奮気味の男達には
そのただならぬ雰囲気が伝わっていないようだ。一人が真島の胸倉を掴もうと詰め寄った
「あんまりふざけた口きいてたら殺すぞオッサン!」
「おじさん!」
思わず少女が叫ぶ。しかし、掴みかかろうとした男は、仲間達に背を向けたきり一言も発さない。真島は心底だるそうに
首を回した。
「な、なにしてんだよ。早くやっちまえよ!」
別の男が声を上げる。しかし、黙りこくった男はそのまま崩れ落ちるように倒れこんだ。真島は拍子抜けしたように顔をかいた。
「なんや、蹴りひとつでダウンかいな。桐生ちゃんならこれくらい余裕で避けとるで」
「こ、この……!ふざけんな!」
少女を捕まえていた男がもう一人に彼女を押し付け、真島に向かっていく。右、左と拳を繰り出すが、彼にはかすりもしない。
むしろ真島は避けるのを楽しそうにしている。玩具を見つけた子供のような顔だ。
「くそ……なんで当たんねえんだよ!」
「そりゃあ、簡単なことや」
真島は打ってきた男の腕を掴むとあっという間に体を屈め、投げ飛ばした。男はくぐもった声を上げ、仰向けのまま
立ち上がれずにいる。彼はそこに近づき、男の顔を覗き込んだ。
「ワシの方が強い。それだけやろ」
次の瞬間、躊躇いなく男の顔に真島の足がめり込んだ。出会ってわずか何秒かで二人が床に這った。残りの一人は
目の前の光景が信じられずに立ちつくしている。
「さて、最後はお前やな。どうしよかな~?」
自分に視線が向けられ、流石に危険を悟ったのか男は少女から手を離した。
「あ、や、俺はやめようっていったんです、けど。こいつらが勝手に。あは、あはは、し、失礼します!」
「待てや!」
逃げようとした男に、真島はそこにあった椅子を投げつける。それは見事に後頭部に直撃し、男はそのまま倒れこんだ
しかし、まだ意識はあるらしい。這いずって逃げようとしている男を追い詰めるように、真島はゆっくり歩み寄った。
「ワシがどうしよか悩んでるときに逃げるからやんか~悪い子やなあ」
「す、すみません!もうしないんで、許してください!」
「何言うてんねんな。許すもなにも、この子のことは関係あれへん。ワシは無駄に威勢のいい自分らと遊びたいだけや」
「か、金ならこれだけあります!ほ、他に何もないです!足りないなら他の奴のも渡します!!」
言うが早いか、男はあたふたと自分の財布から紙幣を掴み、他の倒れてる男達のポケットからも金を抜き取り、差し出した。
受け取った真島は金を数え、大げさに溜息をつき、かぶりを振った。
「三人でしめて6万7千円!この子となんぞしようと思ったにしてはしょぼい、しょぼいわ自分ら!ま、それはおいといて。
 ええか?ワシはお金が欲しいんと違うねん。さっきみたいな威勢で遊んで欲しいだけやねん……来いや」
横で聞いていた少女でさえ、最後の声は身がすくんだ。言われた当人はすでに戦意を喪失している。
真島は男の正面にしゃがみこみ、大きく溜息をついた。
「しかたないわ。じゃ、今日はこの金で許したろ」
一瞬ほっとした男の後頭部を引っ掴み、真島は床にその顔を叩きつけた。嫌な音がして、男は動きを止めた。
「しまった。手が滑ってもうた。かんにんな」
しれっと言い、立ち上がると真島は両手をはらった。そして、呆然としている少女に今度は至極無邪気に笑いかけた
「正義のヒーロー登場や。遥ちゃん」


「今帰ったで~」
「あ、真島さん。お帰り……?」
真島が帰ると、真島組の事務所がにわかに活気が出る。しかし、今日はいつもと違うようだ。皆、真島の影から顔を覗かせた
少女、遥に目が釘付けだ。
「あの、真島さんこの子どこかで……」
思わず口を開いた男を遥は以前見たことがあった。自分が攫われた時に見た顔だ。真島は手を振った
「細かいことは言いっこなしや。そだ、これでなんか甘いもん買うてきて。それと……遥ちゃん飲むもん何がいい?」
真島の差し出した『これ』とは、さっきの男から貰った金だ。遥は急に聞かれたので、慌てて考えた。
「え、あの……それじゃあ『なっちゃん』」
「『なっちゃん』やて。それも買うてきたって。」
「あ、はい!今すぐ!」
組員が金を受け取ると事務所を出ていく、その背中に真島は声をかけた
「ええか?!『なっちゃん』の一番美味しいとこやで!」
「は?はい!」
遠くで返事がする。なっちゃんの一番美味しいとこ?遥は少々悩んだが放っておいた。
「ま、座りや。」
 真島は遥に事務所の一番奥にあるソファーに遥を促した。あの後、遥をこのまま街中に置いておいたら補導されかねないと
自分の事務所に来ることを提案した。彼にしては至極まともな意見だったので、なんとなく遥も承諾した。学校へ行く気には
到底なれなかったのだ。遥は真島を前にして少し緊張しながら頭を下げた
「あの、さっきはありがとう……ございます」
「タメ口でええて。さっきのことはかめへんよ。ワシも暴れたかったしな」
沈黙。遥は何を話していいか分からない。真島は目の前にどっかり座ったまま窓の外を眺めている。
彼は以前会った時と印象が全く違った。あのときは桐生に対しての戦意に満ち、好敵手との戦いを前に気分が高揚していた。
触れば切り裂かれそうな危うい感覚。それが今は影も形もない。
「桐生ちゃんは知ってんのか?」
ぽつりと尋ねられる。遥が学校に行ってないことについてだろう。それはこの姿と、この時間街を徘徊していることから
用意に見当はつく。遥は首を振った。
「ううん……」
「そか」
再び沈黙する。パーテーションの向こうでは、組員達が帳簿をつけたり電話したりと普通に会社のようだ。
遥が珍しそうに眺めているのを見て、真島は笑った。
「めっちゃ普通やろ」
「う、うん」
「やくざ言うてもやらなあかんことは沢山あんねん。取立て行ったり、みかじめ回収したり。ワシは面倒やから全部
 あいつら任せやけどな」
へえ、と遥は男達を見つめた。時折興味深く遥を見る組員と目が合う。そのたびに男達は遥に会釈をした。
「礼儀正しいんだね」
「何もしてへんカタギにはな。ま、ワシがみっちり教育したったから当然やけどな!」
自慢げに胸をはる真島を見て、遥は思わず笑った。それを見て彼は指をさす。
「ああ、笑った。初めてみたわ」
真島の言葉に遥は驚く。そういえば、この人と会うときはいつも殺伐としていて、笑っていられる状況ではなかった。
彼の思わぬ指摘に、恥ずかしそうに俯くと彼は頬杖をついた。
「なんか、あったんか」
「え……?」
「ガッコ、行かへんねやろ?ま、言いたないんならいいけど」
遥の表情が曇る。しばらく黙っていたが、視線を膝に落としたまま口を開いた。
「……言われるの」
「あ?」
「学校の子に言われるの。『おまえの保護者はやくざだ』って。『犯罪者だ』って……。黒板に書かれたり、ノートに落書き
 されたりするし……だから、行きたくない」
あちゃー……と真島は頭をかく。予想通りの答えだったらしい。
「ま、あながち違うとも言えんしな。ええやん、言わせとき」
「嫌!」
思わず大きな声を出した遥を真島は驚いた顔で見つめた。事務所も一瞬静かになったが、やがて元の喧騒に包まれた。
「私ならなんとだって言われてもいいの。落書きだって私のことだったら我慢する。ただ、桐生のおじさんのことだけは、
 そういうこと言って欲しくないの。でもいつまでも言われるから……もう聞きたくなくて」
「遥ちゃんは、どうしたいんや?」
遥は黙る。彼女にもどうしたらいいか分からなかった。どうしたらこの嫌な状況から抜け出せるのか。ただ、こうやっていても
何も変わらないことはわかる。それに、経済的にも余裕がないのに、学校に行かせてくれている桐生にも申し訳なかった。
「喧嘩、したらええねん」
真島の言葉に遥は顔を上げた。彼は笑っている。
「ワシならそうする。言うてほしないって、そう言って聞いてもらえんかったら拳で決着つけたらええねん」
「む、無理だよ。先生に叱られちゃうよ」
「先公なんてほっとき。口で言って分からん相手に理屈なんて通じひん。ワシが勝ったら言うのやめてて約束させや」
「相手は男の子だよ。5人くらいいるのに」
突然出てきた遥をいじめている相手の詳細に、真島は両手をテーブルに叩きつけた。その音の大きさに遥がすくみ上がる
「なんやて!男5人がかりで女の子いじめてるやて?男の風上にも置けんやっちゃ!言うてみ、ワシが話しつけたる!」
「い、いいよ。おじさんは気にしないで……」
「いくない!まったく今日びのガキは大勢で女に絡むんか。しょーもな。ええか?こうなったらやっぱり喧嘩や!拳や!
 人数合わんかったら武器でも何でも使ったらええねん。これで五分五分や」
五分五分か?遥は考えこんだが、上手く丸め込まれている気がして武器の件は考えるのをやめた。
「でも、喧嘩なんてしたらショーガイで捕まっちゃう」
ニュースで聞きかじった単語を出す。おそらくこういうことなのだろうと思っていた。捕まったりしたらそれこそ桐生に
迷惑がかかる。それだけはごめんだ。しかし、真島は親指を立ててみせた。
「大丈夫、相手に先一発殴らせれば、後は十分正当防衛や!」
「そういう問題じゃないよ~」
泣きそうな声を上げる遥を笑い、真島は長い足を組んだ。
「それは半分冗談としてやな。」
半分本気だったんだ。遥は心の中で突っ込む。どうも真島の話には突っこみを入れたくなるのは何故なのだろう。
「やってみ、喧嘩」
遥はまっすぐに真島を見つめた。


「口でもなんでもいいからとことん話してみ。ええやないか殴りあったって。タマの取り合いするわけでなし。
 後で親が何か言ってきたら桐生ちゃんに任せたらええ。子の不始末の責任を取る。それが親っちゅうもんやろ。」
遥は真島の言葉を黙って聞いている。素直に聞けるのは、彼もまたこの世界で『親』の立場だからなのだろう。
それにな、と真島は大げさに声を潜めた
「もし女に喧嘩で負けたら男は親にもよう言わんて。プライドの塊やからな!それでも親に泣きつくような女々しい奴
 やったらワシに言いや。親共々ナシつけたるわ」
「……うん!私、もう一度話し合ってみる。ダメなら喧嘩、してみるよ」
ふっきれたような遥の笑顔に、真島は満足そうに頷いた。
「よっしゃ!じゃワシの喧嘩の極意教えたろ。それにはまず、あれ食ってからな」
真島が指さすと、丁度事務所に買いだしに行っていた組員が戻ってくる。預けられたお金全部でお菓子を買ったのか、
前が見えないくらいの紙袋を抱えていた。
「か、買って来ました」
「ご苦労さん。さ、お待ちかねの『なっちゃん』やで遥ちゃん。一番美味しいところや」
「ありがとう……ね、真島のおじさん」
「なんや?」
「なっちゃんの一番美味しいところって、どこ?」
遥の素直なツッコミに、組員達が声をかみ殺して笑っている。真島は絶望をにじませた表情で頭を抱えた。
「アカン!アカンわ遥ちゃん。そんな無垢なツッコミ、桐生ちゃんそっくりや!ボケ殺しや~ってアホ!」
真島はおもむろに菓子を置いていた組員の頭を殴る。なんともいい音がした。組員は何故殴られたのかわからないまま
素直に謝った。
「す、すみません」
「まあええわ。遠慮せず食べや。これはあいつらから遥ちゃんへの迷惑料や」
遥の目の前に、食べきれないほどのお菓子が並ぶ。彼女は嬉しそうにお礼を言い、ジュースを飲んだ。
 その時事務所の外で騒がしい物音がする。気がつけば他の組員達は一人も事務所にいなかった。
「なんや、えらい騒がしいな」
遠くでは「落ち着いてください」「何もしてません」などと叫ぶ声、そして物が壊されるような音も立て続けに聞こえた。
その尋常でない雰囲気で何が起きたのかわかったのか、真島はこのうえなく嬉しそうな顔をした。
「このことになると人の話を聞かんなあ、あの男は」
「なんなの?おじさん」
「まあ、待っときや遥ちゃん。もうすぐ正真正銘の正義のヒーローが来るで」
もしかして……遥が一人の人物を思ったとき、事務所の扉がけたたましく蹴破られた。
「遥!」
その人物は遥の名を呼ぶ。それは彼女が思い描いていた男だった。
「桐生のおじさん!」
かけ寄ろうとする遥を制して真島が立ち上がった。
「ヒーロー登場やな桐生ちゃん。」
「兄さん、何故遥をこんなところに!」
「ナンパしたんや。な?遥ちゃん」
「真島のおじさん。そんなこと言っちゃダメだよ~」
真島は桐生の怒りを煽ってたのしんでいるようだ。遥がいさめるのも聞いていない。
「遥を返してもらいます」
「いややなあ。そうや、遥ちゃんうちの組においで。お茶運びとかさせたるし。ええマスコットや」
「兄さん!」
のらりくらりと話を茶化す真島に業を煮やして桐生は真島に殴りかかった。真島は拳を受け流して下段に流し、上体を
下げさせると、すかさずヘッドロックをかけた。
「に、兄さ……」
「頭に血い上った桐生ちゃんなんて相手にならんわ。やりあうのはまたな。遥ちゃんは昼間に街にいたから連れてきた
 だけやし。頼むわ、落ち着いたって」
真島の冷静さが伝染したのか、桐生は状況を把握できたようだ。真島が彼を解放すると深々と頭を下げた。
「す、すみません。大変な勘違いをしてしまって……」
「ええ、ええ。貸しにしとくわ。遥ちゃん、桐生ちゃん落ち着いたから来いや」
遥が申し訳なさそうにやってきた。桐生は腰に手を当てて彼女を見下ろす。
「昼間に街にいたのは本当か?」
「うん」
「学校は行かなかったのか?」
「……うん」
「そうか」
桐生は俯く彼女の前にしゃがみこんで、まっすぐに彼女の目を見つめた。そして、彼女に手を伸ばすと、その大きな手で
彼女の頬をぱちん、と叩いた。痛みよりその行為に驚いている遥に桐生はぽつりと告げた。
「心配した」
「うん」
「……無事でよかった」
「ごめん、なさい……」
大きな瞳から涙がこぼれる。叱られたことより桐生にそんな悲しい顔をさせていることが辛くて、胸が苦しい。
「痛かったか?」
遥は首を横に振る。ほっとしたように桐生は頭を撫でた。彼女は桐生の首に抱きついて少しだけ泣いた。
「はいお2人さんそこで終了~さっさと帰りや。」
真島の声で我に返ったのか、桐生は顔を赤らめて立ち上がった。あれだけの大立ち回りをしでかしたからか
ばつが悪い。
「すみません、兄さん。今日はこれで。後ほどお詫びにあがります」
「ええよ。そのかわり、ちょっと遥ちゃんと話させてや」
桐生は首をかしげる。いつの間にこんなに仲良くなったんだろう、この二人。真島は彼女にお菓子を全部渡して
にやりと笑った。
「喧嘩の極意や遥ちゃん」
「あ、うん!」
身構える遥に、真島は腕を組んで告げた。
「目を逸らさんことや。」
「目を……?」
「そうや。喧嘩中何があっても、こいつ、と決めたらそいつから目を逸らさんこっちゃ。逸らしたら負ける、
 絶対逃げたらアカン。」
遥は大きく頷く。桐生は何がどうなっているのかわからないようだ。
「ワシが言えるんはそれだけや。いっちょ『男』の意地見せて来いや!」
「うん!ありがとう、真島のおじさん!」
「兄さん、遥に変なこと教えないでください」
桐生の言葉に真島はがっくり肩を落とした。
「突っ込む場所違うがな……やっぱボケ殺しや桐生ちゃん」


 後日、遥はいじめっ子相手に完全勝利を得ることとなる。いじめっこたちは幸いにも真島の言った通り表沙汰にはせず、
いじめも鳴りを潜めた。こうして、ようやく遥は学校での安息の日々を過ごす事となる。
 この事件がきっかけで、遥は時折真島と会っているようだ。桐生はそれを容認してはいるが、心中穏やかではないようだ。
どうか遥は人の道を踏み外さないようにと、当分由美の遺影前で祈る姿があったという。

-終-
(20061204)
 
^^^

「冬の贈り物」

「遥ちゃんじゃない?」
突然呼び止められ、振り向くとブレザーの制服を着た少女が立っていた。
その少女に以前会ったような気がする。遥は記憶を手繰り寄せ、慎重にその名を呼んだ。
「え……っと。沙耶ちゃん、だよね?」
「あたりー。結構前に会ったきりだもんね、覚えてないか。」
沙耶が残念そうな顔をするのを見、遥は慌てて訂正した。
「覚えてるよ!でも、なんか今日の沙耶ちゃんはいつもと違うから…」
そう、今日の沙耶は以前会った時と違っていた。紙の色は落ち着いたブラウン、化粧もナチュラルで前のような派手さは
微塵も感じなかった。それを聞くと沙耶は少し顔を赤らめて笑う。
「あぁ、お父さんがうるさいんだよね。やれスカートの丈が短いだの、化粧が濃いだの、喋り方が乱暴だの……
 確かに前の私は派手すぎたよね。あ、それとも今の私地味すぎ?」
問われ、遥は笑顔で大きく首を振った。
「そんなことないよ!沙耶ちゃん、そっちのほうが可愛い!」
彼女の素直な感想に、いささか沙耶も照れたのか小声で礼を言った。
「沙耶ちゃん、今日はどうしたの?大きな紙袋だね」
ずっと気になっていた。彼女が抱えている茶色の大きな紙袋。遥に尋ねられ沙耶はああ、と袋を覗いた。
「あ、これ?これは……そうだ、遥ちゃんもやってみる?」


冬にしては暖かな昼下がり、二人は公園のベンチに並んで腰掛けていた。遥の両手には竹製の長い棒が二本。
そこから濃紺の毛糸が伸びている。遥は教えてもらいながらたどたどしい手つきで毛糸と格闘している。
「沙耶ちゃんは編み物やるんだ、私に出来るかな~」
彼女の袋の中身は編み物セットだった。沙耶は笑顔で答える。
「元々こういうことが好きだったんだよね。高校に上がってからはしなかったんだけどさ。
 大丈夫、遥ちゃんならできるよ。私も小学校の低学年くらいからマフラー編めたもん」
「でも、いいの?毛糸と編み棒使っちゃって」
「大丈夫。家にも編み棒はあるし、毛糸は色を迷っちゃって各色多めに買ってあるんだ」
「ありがとう、沙耶ちゃん!」
沙耶は喜ぶ遥の頭を優しく撫でた。
「これであの時のお礼ができるとは思ってないけど、お詫びくらいになるかな?」
沙耶がホストのために起こした事件のことを言っているのだろう。遥は彼女の顔を覗き込んだ。
「沙耶ちゃんが伊達のおじさんと仲良くできて、今幸せならいいんだよ?」
「遥ちゃん……」
「それに、こうやってると沙耶ちゃんと私、姉妹みたい。お姉さんができたみたいで嬉しいな!」
屈託のない笑顔だ。沙耶は嬉しそうに礼を言うと、編み物の説明を再開した。


1時間後、沙耶は説明を終え遥に告げた。
「それじゃ、私は家に帰るね。遥ちゃんはまだここにいるの?」
「うん。外もあったかいし、早く編みたいから!」
「そっか。それじゃ、気をつけてね」
「沙耶ちゃん、ありがとう~!」
お互いに手を振り合って別れ、遥は再びマフラーを編み始める。基本さえ掴めばあとはその繰り返しだ。
せっせと編み進めていると、ふと声をかけられた。
「あれ、遥ちゃん?」
目の前に、髪を短く刈った男が驚いた顔で立っていた。桐生の舎弟だったシンジだ。
「シンジくんだ。どうしたの?」
「そっちこそどうしたんだ?何、編み物?」
「うん。マフラー!桐生のおじさんにあげるんだ!」
桐生の名を聞き、シンジの目の色が変わった。
「き、桐生の兄さんに……」
「うん」
頷く遥にシンジは突然両手を合わせた。
「それ!少しやらせてください!」
しばらくぽかんとしていた遥は、とまどいがちに編み棒を差し出した。
「……いいよ」
「恩に着ます!!」
遥はさっき習ったとおりに編み方をシンジに伝える。元来不器用な男らしく、一生懸命さは認めるが一向に上達しない。
しかし、三、四段編むと満足したようにそれを返した。
「ありがとうございます!それじゃ、俺まだ用があるんで!」」
「うん。シンジ君ばいば~い」
シンジは鼻歌交じりに去っていく。遥はまた一人作業を進めた。公園では暇をもてあましている会社員の男や、
タクシーの運転手などが時間をつぶしている。時折見知ったホームレスが通りかかって遥に挨拶をした。
そんな中、遥は時間も忘れ編み物に没頭していた。
「遥ちゃん」
しばらくの後、名前を呼ばれた。手を止めて声の方を向くと、上品な女性と腕を組みこちらを見ている男がいた。
「えっと~あの人は……」
名前が出なくて悩んでいると、男の隣にいた女性が不満げな声を上げた。
「一輝さ~ん。この子誰?」
それで遥もやっと思い出す。あのホストクラブにいた人だ。
「ああ!一輝お兄ちゃんだ」
名を呼んでくれたのが嬉しいのか、女性を待たせて彼が寄ってきた。
「何やってるの?」
「編み物。マフラーを桐生のおじさんに編むのよ」
「編み物か。懐かしいな……前にそういうのが好きな女の子がお客様にいてね…ちょっと貸して」
遥が編み棒を手渡すと一輝は器用にすいすい編んでいく。二段くらい編んだだろうか、彼は極上の笑顔で返してくれた。
「桐生さんによろしく」
「は~い。お兄ちゃんもがんばってね~」
一輝が去り、そして遥はまた一人になった。
「遥」
低音の心地よい声がした。杖をついてたたずむ男。髭を蓄えた厳しい顔つきが、今は少し和らいでいる。
「風間のおじさん」
「シンジに聞いたよ。編み物だって?一馬も幸せ者だな」
遥の隣に座ると風間は彼女に缶ジュースを渡した。暖かいロイヤルミルクティーは冷えた手にぬくもりを与えた。
「ありがとう、おじさん」
「マフラー、よくできているな、遥」
遥はミルクティーを飲みながら嬉しそうに笑った。
「えへへ。でもね、いろんな人が編んでくれちゃった」
そうか。風間は少し考える。そしておもむろにその編み棒を手にとった。
「では自分も参加させてもらおうかな」
「できるの?おじさん」
「こういうものは、少し観察すればどういう構成なのかわかるものさ」
そういうもの?遥は疑問に思ったが、黙っていた。風間は自分の発言を裏付けるように自己流で編んでいく。
遥も横から覗いたが、完璧だ。
「これでいいのだろう?」
「すごーい。風間のおじさんって何でもできるんだね!」
「……なんでも、というわけではないがね」
彼は寂しそうに微笑み、席を立った。
「そろそろ戻らないとな。遥、あまり外にいたら風邪をひくぞ」
風間にとって、編み物は口実で、実は遥が心配だったようだ。遥は大きく手を振った。
「はーい!ありがとう、風間のおじさん!」
風間が去り、しばらくすると少し陽が傾いてきた。そろそろこの街も夜に侵食されていくだろう。
マフラーもだいぶんできてきた。このぶんだと今日できるかも。遥が嬉しく思ったときだった。
「あっれ~。遥チャンやないか~!!」
幾度か聞いた訛りの強い口調に、遥は思わず手を止めた。
「あ、おじさんは……」


 夜になり、桐生は伊達と賽の河原で落ち合った。ちょっとした近況報告と、これからバンタムで一杯飲りにいくか
などと話していた時、遥がやっと戻ってきた。
「遅いぞ。なにやってた」
桐生が叱ると彼女は素直に頭を下げた。
「ごめんなさい。伊達のおじさんこんばんは。大変だった……終わらなくて……」
「終わらなくて?」
伊達が聞き返す。遥は少々疲れた顔だったが、思い出したように手に持っていたものを桐生に差し出した。
「そうだ、これ!マフラーなんだけどおじさんにプレゼント!」
「これ……遥が?」
驚いたようにマフラーを眺め、桐生は問いかけた。
「うん。頑張ったんだよ~巻いてみて、おじさん!」
「やるなぁ、桐生。幸せ者め」
伊達に冷やかされ、桐生は照れくさそうに頭をかくと、マフラーを首に巻いた。とても暖かい。
嬉しそうに微笑むと、桐生は遥の頭を撫でた。
「ありがとうな、遥」
遥も桐生の反応に嬉しそうだ。彼女はマフラーに触れて話し始めた。
「よかった。でもね、そのマフラーすごいのよ。いろんな人が編んでくれたの」
「……え?」
遥は桐生からマフラーを渡してもらうと説明を始めた。
「ここからここまでがシンジくん。ここからここまでが一輝お兄ちゃんかな」
シンジお前何やってんだ……しかも編目がガタガタだ。一輝も酔狂なことを……しかも結構な腕だなこれ。
桐生は呆れたように溜息をついた。
「でね、ここからここまでが風間のおじさん!」
「か、風間のおやっさん?」
よくみると機械のように正確で丁寧な編目。俺のために……?しかし、編み物?おやっさんが?
遥は興奮して二人に話して聞かせた。
「すごいんだよ。すいすい~って教えてあげてもないのにできちゃうの。上手だよね!」
「……あの人なら、出来そうなところがすごいな桐生」
伊達がマフラーを覗き込んで呟いた。確かに。遥はそれを広げて説明を続けた。
「でね、ここから最後までが真島のおじさん!」
「真島の兄さん?!」
今まで隠れてた部分が見せられる。そこにいたのは一面の龍。しかも丁寧に編みこんである。
「もうね、大変だったんだから。おじさんにマフラー編んでるって言ったら『やらせてくれ』って言われてそのまま
 編み棒返してくれないし。途中まで編んだら『ちょっと毛糸買ってくるわ』って真島のおじさん沢山毛糸買ってきたの。
 そのままその龍編んじゃって『完璧や~~惚れ惚れする出来やな~~』だって。でもすごいよね。
 ちゃんと龍だよね~」
遥は感心したように何度も頷く。そこで、少し疲れたように溜息をついた。
「だからこんなに遅くなっちゃったんだ。真島のおじさん完璧を目指す人なんだね……あ、そうだ。おじさんが
『桐生ちゃん、これであったまって、わしとやりあう日まで風邪ひかんようにな~』だって」
聞いているうちにだんだんマフラーが重くなってくる。なんだろう、この感覚は……伊達はそんな桐生の肩を
そっとたたいて声をかけた。
「……まぁ、いいじゃねえか。千人針みたいでよ。」
「伊達さん……フォローにもなってない」
そんな二人の心中を知ってか知らずか、遥はずっと満面の笑みで桐生におねだりを続けていた。
「ねえねえ、おじさん。マフラー巻いてみんなに見せて歩こうよ~どうしたの?頭抱えて。ねえ、おじさんってば~!」

新防具誕生
「愛の手編みマフラー」 防御力+1000
効果:殺しても死なない。女にモテモテ(ホストスキルUP)。
    その代わりにヒートゲージは溜まらない。(嘘)

-終ー


^^

「香水」

 あの街を離れ、幾月。小さいながらも部屋を借り、二人で静かに生きていた。あの場所であったことは、
お互いにまだ口にしようとしない。思い出すだけで、胸が疼くあの出来事を、ごく自然に、あたりまえに思い出すには
まだ時間が必要なようだ。

そしてまた、冬が来る。

 木枯らしが通りを吹き抜け、投げ捨てられた空き缶が高い音をたてて転がっていく。少しでも早く帰ってやりたい、
桐生はスーパーのレジ袋を風に煽らせながら足を速めた。
「遥、今帰った……」
 部屋に入ると、遥がこちらに背を向けて座っている。ドアの音に気付かなかったのだろうか。しかし、それほど集中して
何をしているのか、彼は後ろから静かに近づいた。近くまで来ると、そっと覗き込む。遥は両手で大事そうになにかを
包み込んでいた。そして、時折それに顔を寄せては目を閉じ微笑を浮かべた。
「帰ったぞ」
「きゃっ!!」
あえて少し大きな声で告げると、遥は文字通り飛び上がって驚いた。その様を驚くように眺める桐生に、彼女は抗議した
「もう、おじさん!いきなり帰ってきたらびっくりするよ~」
「前に言われたように、電話したはずだがな」
「そ、そういうことじゃなくって。あ、そんなことよりご飯作ろうよ。おなか空いたね!」
遥は手に持っていたものを自分専用の引き出しにしまうと、桐生を後ろから押しやった。あまりにも不自然な遥の言動に
疑問を覚えたが、今は詮索するのをやめた。
「にんじん~じゃがいも~た~ま~ねぎ~カレーはらくちん~」
機嫌がいいのか、遥が自作の歌を歌いながら野菜を洗い、切っている。幼い遥に火は危ないので、調理は桐生だ。
 一緒に暮らすようになって、こういうことも上手くなった。最初の頃はおよそ人の食べるものではない物体が
できていたものだが。そんなことを考えつつ、ぼんやり歌を聴きながら、ガス台の前で材料が来るのを待った。
「おじさん、はい」
「ああ」
流し台は遥には高すぎるので、踏み台を使っている。料理の時は、いつもより近くに遥の顔が見えた。彼女が差し出した
材料を受け取ろうとした時だった。一瞬桐生の動きが止まる。

『……馬、よく……ね』

(なんだ?何か一瞬……香り?)
「……おじさん?どうか、した?」
心配そうに尋ねる遥の声に我に返る。少し首を振り、今度はしっかり受け取った。
「いや、なんでもない」
「変なの」
声を立てて笑い、遥は台から飛び降りた。皿を並べ始める彼女を眺め、桐生は首をかしげた。
(何か、思い出しそうだった。とても懐かしかった事のような気がする)

 夕食を終え、遥は座卓で宿題をしている。桐生はテレビをつけ、見るともなしに眺めていた。
「あ、そうだ。学校からプリント来てたんだ!」
遥が慌てて立ち上がる、恐らく保護者宛の書類だろう。提出が遅くなると何かとどやされるのだが。桐生は苦笑した。
「そういうのは早く出しとけと言っただろ?」
「すっかり忘れてたよ~あれ、どこに入れたかな……」
遥が泣きそうな声をあげて引き出しを引っ掻き回す。その時、引き出しの中のものが落下した。
「あ!嫌!!」
悲鳴のような声を聞き、桐生は反射的に落ちてきたものをキャッチした。
「これは……」
自分の手の中にある物を見、思わず声を上げる。これは、遥と出会ったときにねだられて買い与えたフランス製の
香水だった。
「見つかっちゃった」
照れたように笑い、遥は香水瓶を桐生から返してもらう。
「まだ持ってたのか」
苦笑する桐生に、彼女は大きく頷いた。
「うん、ほとんど使ってないもの」
「香水をつけてるのか?」
大人びた香水を使う彼女が想像できない。まさか学校につけて行ってるわけではないだろうに。桐生の問いかけに
遥はゆっくり首を横に振った。
「香りをかぐだけ。だって、これ……お母さんの香りだから」
「由美の……」
うん、遥は香水瓶に視線を落とした。
「最初はね、お母さんに似合う香りだなって思ったの。でね、もし一緒に暮らせるようになったら、これをあげようかと
思ったんだ。それでね、二人でこれをつけて歩くの。親子で一緒の香りって、なんかいいよね……」
桐生は黙っていた。今はただ彼女の話を最後まで聞いてやろうと思った。遥は顔を上げる。
「あのね、お母さんに抱きしめてもらった時、驚いたの!同じ香水だったんだよ。私が選んだ香水、
 お母さんも好きだったんだね。だから、この香水はお母さんの香りなの。宝物なんだ」
由美の最後の抱擁。あのときの母の顔をした由美を、桐生は今でも鮮明に覚えている。自愛に満ちた、聖母のような顔だった。
桐生は少しずつ、かみ締めるように話し始めた。
「遥、お前を産む前から、その香水は由美のお気に入りだ」
「ほんと?やっぱり!」
「香水なんて、なんでも同じだと思ってたが……それだったんだな。」

『由美、なんか今日は違わねえか?』
『すごい。一馬、よく気付いたね。ちょっと香水変えてみたんだ』
『……いいな、お前に合ってる』
『あら、貴方がこんなこと言うなんて雪でも降るんじゃない?』
『ひでえな。まぁ、間違っちゃいないが』
『嘘よ、嘘。そんなに合ってる?嬉しいよ、一馬!』

 それからずっと、由美はその香水だった。桐生は遥を見つめた。
「遥のセンスは間違いないな。由美は、その香水がよく似合ってた」
「そうかぁ……」
遥は嬉しそうに瓶を眺め、おもむろに香水を空中に吹きつけた。部屋の一角が由美の香りに満ちる。
「おじさん、私、この香水が似合うようになるかな?」
そう言って笑う遥はあどけないがとても綺麗だ。桐生は立ち上がり、遥の頭を乱暴に撫でた。
「さあなぁ、お前次第だな」
さらりとかわされ、遥は不満顔で頬を膨らませた。
「え~そんなふうに言うの~?いいもん、がんばるもん!」
「煙草買ってくる。カギ閉めといてくれ」
遥を残し、桐生は部屋を後にした。冷えた空気の下、月だけが彼を見ていた。言葉を紡ぐたびに息が白くこぼれた。
「なれるさ、遥なら……」
ジャケットの袖口から香水の残り香が漂う。桐生はそこに唇を押しあてて、由美を思い出すようにそっと目を閉じた。
由美、俺は生きる。
どれだけ格好悪くても、命張っても、遥だけを守って生きるから。
不器用にしか生きられない俺達を
どうか見守っていてくれ。
なぁ、由美……

-終-
(20061129)
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