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「香水」

 あの街を離れ、幾月。小さいながらも部屋を借り、二人で静かに生きていた。あの場所であったことは、
お互いにまだ口にしようとしない。思い出すだけで、胸が疼くあの出来事を、ごく自然に、あたりまえに思い出すには
まだ時間が必要なようだ。

そしてまた、冬が来る。

 木枯らしが通りを吹き抜け、投げ捨てられた空き缶が高い音をたてて転がっていく。少しでも早く帰ってやりたい、
桐生はスーパーのレジ袋を風に煽らせながら足を速めた。
「遥、今帰った……」
 部屋に入ると、遥がこちらに背を向けて座っている。ドアの音に気付かなかったのだろうか。しかし、それほど集中して
何をしているのか、彼は後ろから静かに近づいた。近くまで来ると、そっと覗き込む。遥は両手で大事そうになにかを
包み込んでいた。そして、時折それに顔を寄せては目を閉じ微笑を浮かべた。
「帰ったぞ」
「きゃっ!!」
あえて少し大きな声で告げると、遥は文字通り飛び上がって驚いた。その様を驚くように眺める桐生に、彼女は抗議した
「もう、おじさん!いきなり帰ってきたらびっくりするよ~」
「前に言われたように、電話したはずだがな」
「そ、そういうことじゃなくって。あ、そんなことよりご飯作ろうよ。おなか空いたね!」
遥は手に持っていたものを自分専用の引き出しにしまうと、桐生を後ろから押しやった。あまりにも不自然な遥の言動に
疑問を覚えたが、今は詮索するのをやめた。
「にんじん~じゃがいも~た~ま~ねぎ~カレーはらくちん~」
機嫌がいいのか、遥が自作の歌を歌いながら野菜を洗い、切っている。幼い遥に火は危ないので、調理は桐生だ。
 一緒に暮らすようになって、こういうことも上手くなった。最初の頃はおよそ人の食べるものではない物体が
できていたものだが。そんなことを考えつつ、ぼんやり歌を聴きながら、ガス台の前で材料が来るのを待った。
「おじさん、はい」
「ああ」
流し台は遥には高すぎるので、踏み台を使っている。料理の時は、いつもより近くに遥の顔が見えた。彼女が差し出した
材料を受け取ろうとした時だった。一瞬桐生の動きが止まる。

『……馬、よく……ね』

(なんだ?何か一瞬……香り?)
「……おじさん?どうか、した?」
心配そうに尋ねる遥の声に我に返る。少し首を振り、今度はしっかり受け取った。
「いや、なんでもない」
「変なの」
声を立てて笑い、遥は台から飛び降りた。皿を並べ始める彼女を眺め、桐生は首をかしげた。
(何か、思い出しそうだった。とても懐かしかった事のような気がする)

 夕食を終え、遥は座卓で宿題をしている。桐生はテレビをつけ、見るともなしに眺めていた。
「あ、そうだ。学校からプリント来てたんだ!」
遥が慌てて立ち上がる、恐らく保護者宛の書類だろう。提出が遅くなると何かとどやされるのだが。桐生は苦笑した。
「そういうのは早く出しとけと言っただろ?」
「すっかり忘れてたよ~あれ、どこに入れたかな……」
遥が泣きそうな声をあげて引き出しを引っ掻き回す。その時、引き出しの中のものが落下した。
「あ!嫌!!」
悲鳴のような声を聞き、桐生は反射的に落ちてきたものをキャッチした。
「これは……」
自分の手の中にある物を見、思わず声を上げる。これは、遥と出会ったときにねだられて買い与えたフランス製の
香水だった。
「見つかっちゃった」
照れたように笑い、遥は香水瓶を桐生から返してもらう。
「まだ持ってたのか」
苦笑する桐生に、彼女は大きく頷いた。
「うん、ほとんど使ってないもの」
「香水をつけてるのか?」
大人びた香水を使う彼女が想像できない。まさか学校につけて行ってるわけではないだろうに。桐生の問いかけに
遥はゆっくり首を横に振った。
「香りをかぐだけ。だって、これ……お母さんの香りだから」
「由美の……」
うん、遥は香水瓶に視線を落とした。
「最初はね、お母さんに似合う香りだなって思ったの。でね、もし一緒に暮らせるようになったら、これをあげようかと
思ったんだ。それでね、二人でこれをつけて歩くの。親子で一緒の香りって、なんかいいよね……」
桐生は黙っていた。今はただ彼女の話を最後まで聞いてやろうと思った。遥は顔を上げる。
「あのね、お母さんに抱きしめてもらった時、驚いたの!同じ香水だったんだよ。私が選んだ香水、
 お母さんも好きだったんだね。だから、この香水はお母さんの香りなの。宝物なんだ」
由美の最後の抱擁。あのときの母の顔をした由美を、桐生は今でも鮮明に覚えている。自愛に満ちた、聖母のような顔だった。
桐生は少しずつ、かみ締めるように話し始めた。
「遥、お前を産む前から、その香水は由美のお気に入りだ」
「ほんと?やっぱり!」
「香水なんて、なんでも同じだと思ってたが……それだったんだな。」

『由美、なんか今日は違わねえか?』
『すごい。一馬、よく気付いたね。ちょっと香水変えてみたんだ』
『……いいな、お前に合ってる』
『あら、貴方がこんなこと言うなんて雪でも降るんじゃない?』
『ひでえな。まぁ、間違っちゃいないが』
『嘘よ、嘘。そんなに合ってる?嬉しいよ、一馬!』

 それからずっと、由美はその香水だった。桐生は遥を見つめた。
「遥のセンスは間違いないな。由美は、その香水がよく似合ってた」
「そうかぁ……」
遥は嬉しそうに瓶を眺め、おもむろに香水を空中に吹きつけた。部屋の一角が由美の香りに満ちる。
「おじさん、私、この香水が似合うようになるかな?」
そう言って笑う遥はあどけないがとても綺麗だ。桐生は立ち上がり、遥の頭を乱暴に撫でた。
「さあなぁ、お前次第だな」
さらりとかわされ、遥は不満顔で頬を膨らませた。
「え~そんなふうに言うの~?いいもん、がんばるもん!」
「煙草買ってくる。カギ閉めといてくれ」
遥を残し、桐生は部屋を後にした。冷えた空気の下、月だけが彼を見ていた。言葉を紡ぐたびに息が白くこぼれた。
「なれるさ、遥なら……」
ジャケットの袖口から香水の残り香が漂う。桐生はそこに唇を押しあてて、由美を思い出すようにそっと目を閉じた。
由美、俺は生きる。
どれだけ格好悪くても、命張っても、遥だけを守って生きるから。
不器用にしか生きられない俺達を
どうか見守っていてくれ。
なぁ、由美……

-終-
(20061129)
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