忍者ブログ
Admin*Write*Comment
うろほろぞ
[2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


意外な保護者

「忘れてた…どうしよう」
まだ生徒達の賑わいが残る放課後の教室で、遥は小さく呟いた。彼女の視線の先にはくしゃくしゃになってしまった藁半紙の印刷物。
手にとって開くと、そこには
『保護者参観日のお知らせ』
とある。先月配られたもので、実施日は明日になっていた。丁度今日から桐生は大阪へ行っている。帰りは明後日ということだった。
どう考えても来られる状態ではない。しかも、悪いことに日時の下には
『授業参観の後、保護者の方と生徒さんで三者面談があります』
の文字。遥は思わず机に突っ伏した。
「叱られちゃうよ~」
プリントを受け取って机に入れたところまでは覚えている。しかし、教科書を出し入れする際に、薄く柔らかなこのプリントは奥へと
追いやられてしまったらしい。その上、彼女自身もすっかり忘れてしまったため、今の状態に至ったのだった。
「遥、どうしたの?帰ろうよ」
友人達が遥を呼びに来る。しかし、彼女は元気なさそうに首を振った。
「ごめん、今日から三日間は別の道で帰るからダメなんだ。また明日ね」
「そっか。それじゃ明日ね!」
少女達は口々に別れの挨拶を言い、去っていく。遥はうかない顔でプリントをポケットに入れると、のろのろと立ち上がった。


 冬の夕暮れは早い。これでは堂島の家に着く頃には真っ暗だ。遥は少し足を速めた。どんよりとした曇り空は、彼女の心をいっそう
暗くする。白い息が彼女の口からこぼれた。
「遥じゃないか」
突然車道から声をかけられ、考え事をしていた遥は飛び上がるほど驚いた。視線を動かすと、黒塗りの車から顔を覗かせたのは彼女が
よく見知った顔だ。
「柏木のおじさん。こんにちは」
遥は礼儀正しく頭を下げる。柏木はふと何かを思い出したように、後部席のドアを開けた。
「そういえば、今日は堂島さんの本宅だったな。姐さんが言っていたよ。本部まででいいなら一緒に行こう」
「いいんですか?」
正直、距離のある堂島家に帰るのが大変だった遥は、嬉しい申し出に思わず聞き返す。柏木は微笑むと一度車を降り、遥を中へと促した。
「子供は遠慮なんかしなくていい。さ、乗って」
「ありがとう!おじさん!」
通行人はこの奇妙な取り合わせを珍しそうに眺めている。それに気付いているのかいないのか、車は何事もなかったように二人を
乗せ、再び走りだした。


「……はあ」
車内でも遥は思わず溜息をついてしまう。柏木は心配そうに彼女を見つめた。
「さっきからどうした?車に酔ったか」
遥は慌てたように首を振り、無理に笑って見せた。
「あ、違います。ちょっと悩み事があって。でももう大丈夫です。うん、大丈夫、大丈夫!」
どう見ても大丈夫ではないのだが。柏木は思ったが、本人が言いたくないものを無理に言わせることもないだろう、と追求するのをやめた。
「堂島家はどうだ?うまくやってるか」
「はい。皆さんすごくいい人ばかりです」
素直に返事をする遥を見て安心したのか、柏木は含みのある顔で笑った。
「大吾と仲がいいみたいだな。姐さんが面白がってたぞ」
意外な言葉だったのか、遥は驚きの声を上げる。
「えー!そうかなあ。だってね、おじさん。大吾お兄ちゃんはいつもすっごく意地悪なんですよ!すぐガキはうるさい、とか邪魔、だとか
 言うし。この前一緒にゲームして、私が勝ったらムキになってお兄ちゃん私に勝つまでやめないの。お兄ちゃんだってそういうところが
 子供ですよね!」
怒ったように話しているが、彼女の言葉に刺々しさはない。遥も口ではこう言っているが、本音ではないのだろう。
柏木は彼女の話に会わせるように相槌を打った。
「はは、そうなのか。それは大吾も大人気ないな」
「そうですよ。もう、早く大きくなって、大吾お兄ちゃんに『ガキ』って言わせなくするんだから」
大きくなる、か。柏木は彼女の母親をふと思い出し、目を細めた。彼女も、あの事件さえなかったら、成長した遥を見たかったろうに。
柏木は思ったより深刻な顔をしていたらしい。心配そうに自分を見つめる遥に彼は微笑んで見せた。
「遥が大きくなったら、大吾は遥に意地悪したことを後悔するぞ」
「なんでですか?」
「きっと遥は、お母さんに似て美人になるだろうからな」
柏木の言葉に、遥は思わず顔を赤らめた。今でも覚えている、綺麗だったお母さん。似ていると言われるのはどんな言葉より嬉しいが
こんな風に言われるとちょっと照れくさい。
「そ、そうかな」
「そうさ」
彼女は柏木の素直な返事に、心から嬉しそうに笑った。車は和やかな空気を乗せ、夕暮れの街を走りぬけていく。


「わざわざ堂島さんのおうちまで送ってくれてありがとう。おじさん」
本部までと言ってはいたが、始めから堂島家に送るつもりだったらしい。車は屋敷の前で停められた。深々と頭を下げる遥に柏木は
軽く手を上げた。
「そんなに離れていないから気にしないでいい。またな」
はーい。と遥は両手を上げる。車が本部の方へと走り去るのを見、遥は屋敷に入っていった。
一方、柏木は彼女の座っていた場所に何か落ちているのを見つけた。手に取ったのは藁半紙のプリント。書いてある文章を読むと
彼は遥の溜息の訳がわかった気がした。少し悩んでいたが、柏木はそれを胸ポケットに納めた。

「最悪だ……」
次の日遥は放心したように呟いた。昨日鞄やポケットを探ったがプリントが出てこなかった。どこかで落としたのだろうか、プリントを
なくしたことで更に状況は悪化している。
「今日参観日お父さんが来るんだよ~もう最悪。恥ずかしい」
横で友人の一人がぼやく。別の友人が机に腰かけ、足をばたつかせた。
「うちはお母さんが来るんだよね。化粧厚いんだろうな~。遥は?」
いきなり話をふられ、遥は慌てたように手を振った。
「う、うち?うちは来ないかも…」
横で聞いていた女子生徒は、彼女の妙な雰囲気を誤解したのか、軽く友人をたしなめた。
「ちょっと、遥にそういうこと聞いたらダメだって…」
「あ、ご、ごめん。ま、保護者来ない人も一杯いるしね。じゃ!」
友人達はその場に居辛くなったのか、遥から去っていった。誤解なのに…彼女は困ったように溜息をついた。
こうなったら、先生に謝るしかないな。そう決心し、遥は次の授業の準備をした。

 参観日の教科は国語。まあ、当たり障りのない教科といったところだ。生徒達は段落ごとにかわるがわる授業で取り上げる作品を
朗読していく。その度に後ろでは保護者達が我が子の授業風景を興味深げに眺めていた。
「派手なお母さんばっかりね」
保護者達を見、遥の横に座る少女がささやいた。なにを気合入れる必要があるのか、並ぶ母親達は皆一様にブランドものの服で
着飾ってきている。香水の香りもむせ返るようで頭が痛くなった。もしこの中におじさんがいたら、すごく居心地悪そうなんだろうな。
遥はその情景を想像し、少し笑った。
「それじゃ、次。澤村さん」
「あ、はい!」
順番が回って来たことに気付かなかった。遥は慌てて立ち上がり、教科書を手に取った。その時、何故か後ろの保護者がざわめき
口々にささやきあった。
「…あの子ですの?」
「……だそうですよ」
「やくざと仲がいいとかって、本当?」
「まあ、怖い……」
「うちの子、あの子と仲いいんですよ。大丈夫…?」
聞かないようにしているのに聞こえてくる。しかし、こういう場での噂話はもう慣れた。それに、気にしていてもしょうがないことは遥にも
よくわかっていた。姿勢よく立ち、遥が朗読を始めようとした時だった。
「すみませんね、ちょっと入らせてもらいますよ」
聞きなれた声と共に入ってきた女性がいる。遥がふと振り返るとそこには弥生が立っていた。落ち着いた色の訪問着が弥生によく
似合っていた。遥の姿を見つけると、弥生は嬉しそうに大きく手を振った。
「遥ちゃん。頑張って!」
「や、弥生さん、なんで?っていうか、恥ずかしいから名前呼ばないで…」
遥は顔を真っ赤にして俯いた。担任もあっけに取られたように弥生を見ていたが、思い出したように促した。
「さ、澤村さん。とにかく読んで…」
「はい。すみません…」
弥生は嬉しそうに微笑みながら遥の授業風景を眺めている。見慣れぬ保護者の登場に、先程噂話をしていた人々も興味津々なようだ。
再び弥生を眺めつつささやきあった。
「あの方どなたかしら」
「あの子の保護者は男の方だけだったと…」
「まさか、お付き合いなさってる方?」
「そんな方を学校に…?やあね」
最初はささやくような声だったが、自然と大きくなっていくのがわかる。遥がいたたまれなくなった時、弥生が背後の掲示板を思い切り
叩いた。
「ちょっと、さっきから何ぐずぐず言ってんだい!あなたたち、子供の授業を見に来てるんだろう?こんな時ちゃんと見てやらなかったら
 子供がかわいそうじゃないか。井戸端会議なら外でやりな!あたしに聞きたいことがあるなら逃げも隠れもしないから、後でじっくり
 顔つき合わせてお聞き。いいね!」
言われた保護者たちは何か言いたげだったが、弥生の言ってることは間違っていないこともあり、黙りこくってしまった。
弥生は担任に向かって静かに頭を下げる。
「授業中お騒がせして申し訳ありませんでした。どうぞ再開なすってくださいませ」
「あ、どうも…」
授業は何事もなかったかのように再開される。遥はちらりと弥生を見ると、彼女が目配せし、遥に微笑み返すのが見えた。

「それで、あなたは澤村さんとはどういうご関係で?」
三者面談。遥の横には弥生。その正面に担任が座っている。担任の教諭は家族構成を眺めつつ不思議そうな顔だ。
「遥ちゃんの保護者、じゃ駄目ですの?」
「いや、やはりこういうことは他人では…」
困ったような顔をしている担任に、遥は少し考えてわかりやすく話して聞かせた。
「あ、あの。この方は堂島弥生さんとおっしゃって、おじさん…えと、桐生さんの昔の勤め先の上司の奥様なんです。最近弥生さんの
 ところにもお世話になってるので、来てくださったんだと…」
担任は溜息をつき、遥を見つめた。
「そうはいってもね、澤村さん。やはりそれでは桐生さんに来ていただかないと。前から言ってたよね」
遥は深々と頭を下げ、謝った。
「ごめんなさい。でも、弥生さんは私にとって他人じゃないんです。優しい方だし、すごく私のことを思ってくださるし、まるで本当の
 お母さんみたいなんです。だから、弥生さんは責めないでください」
「遥ちゃん…」
弥生は驚いたように遥を見つめた。担任は彼女の真剣な表情で言葉に嘘はないと思ったのか、苦笑しつつ遥の肩を叩いた。
「わかった。澤村さんがそこまで言うなら、問題ないでしょう。それじゃ、本題にはいりますか」
「はい!」
遥は嬉しそうに元気な返事を返し、担任と話し始める。それとは逆に、弥生は面談の間、終始必要以上に口を開くことはなかった。


 面談も終わり、二人は校舎から出た。あれから弥生は話しかけても答えず、黙っているばかりだ。複雑な表情は遥に読み取ることが
出来ない。わけがわからず、遥は弥生にそっと問いかけた。
「弥生さん、どうしたの?私、なんか失礼なこと言ったかな。それとも誰にも参観日のこと言ってなかったこと怒ってるの?」
弥生は彼女の方を振り向き、しゃがみこむ。そして、彼女の両手を握り、首を振った。
「違う、そうじゃないんだよ。私はね、嬉しいのさ」
「嬉しい?」
「色々あったのに、遥ちゃんは私のことを他人じゃないって言ってくれたでしょう。本当のお母さんみたいだって。それが今、嬉しくて
 嬉しくて…黙ってないとみんなに言いふらして回りたいくらいなんだよ」
静かに話してはいるが、その声は震えているようだった。彼女の夫が起こした事件。全ての歯車を狂わせたあの日。遥とこうやって
暮らすようになった今でも、あの事件を弥生は責任を感じていたのだろう。遥は改めて彼女の思いを知り、驚いたように彼女を見つめて
いたが、やがてくすっと笑った。
「なんだ。弥生さんまだ気にしてたんだ。あのね、私、堂島のおうちで弥生さんにお世話になってからずっと思ってたよ。弥生さんは
 お母さんみたいだなって。参観日のことも、プリントをもらった時、一度は弥生さんに頼もうと思ったくらいなの。でも、弥生さん最近
 忙しそうだし、迷惑かけたらいけないなって思って。あ、あとすっかり忘れてたのもあるんだけど」
申し訳なさそうな顔で笑う遥を、弥生は目を細めて見つめた。その言葉だけで救われる、この少女はどれだけ誰かを『許す』ことが
できるのだろうか。それに自分は報いてやらなければ。弥生は袂で目頭を拭うと、勢いよく立ち上がった。
「め、迷惑なんて、そんなわけないでしょ。それなら今度から、こういう時は桐生じゃなくて私にお言いなさいな」
遥は声を上げて笑い、弥生を見上げた。
「うん、そうだね。あんなふうに、うるさいおばさん達叱ってくれるの弥生さんくらいだし」
「そういや、あの人たちどうしたんだろうね。後で話を聞いてやるって言ったのに」
噂好きの保護者たちは、用が済むとさっさと帰ってしまったらしい。弥生は少し残念そうな顔で肩をすくめた。
「何かにつけ、人の話を聞かない親が多くて嫌だねえ。まったく」
「あ、そうだ。弥生さんはなんで参観日のことを知ったの?」
ふと、思い出したように問いかける遥に、弥生は微笑を浮かべて答えた。
「それはね…」




 東城会本部では、柏木がてきぱきと大吾に仕事を教えつつ業務を行っていた。跡目といえど、何も知らぬ大吾一人では、今の東城会を
立て直すのは流石に無理だ。寺田が行ったワンマン人事の再編成。周囲の系列組織とも更に連携を図る必要もあった。近代化が進む
とはいえ、しきたりなどにうるさい組織だ。一度の失策が後々の遺恨にもなりかねない。そのためには経験と知識が必要になる。その
ため古参の柏木が、自ら大吾の教育係をかって出ていた。
「覚えることが山積みだな…」
思わず弱音を吐く大吾に柏木は溜息をついた。
「他にもやらなければならないことは、まだまだあるぞ。こんな調子じゃ、跡目は放棄するか?」
「ふざけんな。一度やるって決めたんだ、やってやるさ」
それでよし、と柏木は頷いた。跡目としての大吾の成長ぶりが彼には嬉しかった。頭を抱えつつも書類に目を通す大吾を見守っていると
会長室のドアがノックされた。
「どうぞ」
柏木が返事をすると、扉が小さく開き遥が顔を覗かせた。
「遥、今仕事中だ。入ってくんな」
ぞんざいにあしらう大吾に遥はつん、とそっぽを向いた。
「大吾お兄ちゃんに用じゃないもん。柏木さんにだもん」
「おや、何かな?」
遥は歩み寄った柏木にもっと近くにくるよう手招きをする。彼が不思議そうな顔で床に膝をつき、彼女と目線を合わせると、遥は柏木の
耳元でささやいた。
「おじさん、弥生さんに今日のこと教えてくれてありがとう。嬉しかったよ」
柏木は照れたように笑う遥にそっと耳打ちする。
「おせっかいかと思ったが、安心したよ。またドライブでもしようか」
「うん、楽しみにしてるね」
二人は楽しそうにささやき、そして笑いあう。一方、自分のいる場所から、二人の話が全く聞こえない大吾は不満顔だ。
「おい、二人とも。なに話してんだ?」
「気になるか?」
柏木が立ち上がり、意地悪く笑ってみせる。横では遥が彼の手をとった。
「私と柏木のおじさんとの秘密!ねっ」
「いや、気になってねえけど…おい遥、もったいぶらずに言え!」
思わず立ち上がる大吾を笑い、彼女は柏木の後ろに隠れた。
「駄目、教えてあげない。お兄ちゃん意地悪だもん」
彼女の言葉に呼応するように、柏木はわざとらしく残念そうな顔をして首を振った。
「大吾、もっと遥に優しくしておけばこんなことには……」
「お、おい、ふざけんな。柏木さん、遥に何しやがったんだよ!」
彼のうろたえぶりに二人は声を上げて笑う。結局大吾は何も教えてもらえないまま、悶々としつつその日を過ごす羽目になった。
 二日後、帰宅した桐生に学校から連絡があった。担任より、この日のことを教えられた桐生は、遥を目の前に座らせ、こっぴどく叱り
つけたという。

そんな、ある日の遥の話。

-終-
(2007・1・30)
PR
@@@

新年会
(可愛い子には…3)

 一月、特に松の内は慌しい。それは堂島の家でも同様だ。東城会で一定の地位を持っていれば年始に来る者も少なくない。
特に三日は、本部で東城会の幹部他が一堂に会する新年会が執り行われる。その準備で何ヶ月前から堂島家は目の回る忙しさだった。
「やっと今日を迎えられるねえ」
三日の朝、弥生は感慨深げに微笑んだ。疲れた様子ではあるが、達成感のようなものもあるのだろう。遥は彼女にお茶を入れた。
「弥生さん、頑張ってたから。大吾お兄ちゃんも」
弥生は礼を言い、彼女の入れてくれたお茶を飲む。
「でも、今日が済むまでは安心できないからね。遥ちゃんも家のことお手伝いしてくれてありがとうね」
「何にもしてないよ。皆さんのご飯作ったりとか、それくらいで」
遥は恥ずかしげに笑う。弥生はお茶を飲んでしまうと、彼女の頭を撫でて立ち上がった。
「さ、支度支度。遥ちゃんもね」
「私も?」
首をかしげる遥に、弥生は優しく微笑んだ。


「お袋。支度出来たか?俺先に行くぞ」
弥生の部屋の外で大吾が声をかけた。彼は正月らしく、正装の黒の紋付を堅苦しそうに着ている。その姿はいつものくだけた服装より
大人びて見えた。
「もう済むよ。ちょっとお待ち」
いつまで待たせんだよ、と小さく呟いた時だった。彼女の部屋の襖が開き、小さな影が飛び出してきた。
「お待たせ、大吾お兄ちゃん」
朱に金糸銀糸をふんだんに織り込んだ着物がひらりと舞った。身にまとっているのは遥。同じ布で作られた髪飾りをつけ、ご満悦だ。
大吾はしばらくその姿を眺めていたが、ふと我に返り意地の悪い顔をした。
「馬子にも衣装って、知ってるか」
「それ、私に言ってるの?」
「他に誰が」
「意地悪!」
大吾はむくれる遥を見て声を上げて笑う。それを聞きつけ弥生が部屋から出てきた。
「大吾っ!遥ちゃんをからかわないの!」
「おお怖。支度が済んだら行くぞ、二人とも」
肩をすくめて足早に去る大吾を遥は慌てて追いかける。しかし、慣れない格好のため、足捌きがうまくいかず態勢を崩した。
転ぶ、そう思い目をかたく閉じた瞬間、大きな腕が彼女を支えた。
「走んなよ、コケるぞ」
大吾だった。軽口をたたいてはいたが、ちゃんと遥のことも気にかけていたらしい。遥は素直に頭を下げた。
「ありがとう」
「…ガキはすぐ転ぶからな。ばーかばーか」
「ばかって言った方がばかなんだもん!大吾お兄ちゃんのばかー!」
余計な一言で遥は再び怒り出す。腕の中で暴れる彼女を、大吾は右手で荷物でも持つように横抱きにした。
「うるさいなあ、お前は。お袋、先にこの怪獣持ってくぞ。コケて家壊したら危険だから」
「怪獣じゃないもん!家なんて壊れないもん!はなしてー!おろしてー!」
騒ぎつつ去っていく二人の後ろでは、弥生が疲れたように大きく溜息をついた。
「あの子は…心配なら心配って言ったらいいのに。素直じゃないんだから」


 新年の挨拶や儀礼的なものは関係者のみで行われる。その間、遥は当然その場にいることはできない。彼女は言われたとおり
別室で待機だ。しかし、それも顔合わせ程度で時間にしてみたら長いものではない。ほどなくして、会は宴席へと変わり遥も顔を
のぞかせることを許可してもらった。
「うわー……」
思わず声が漏れる。広いホールにいかつい男達がさざめいている。その中で遥は当然かなり目立った。下手に歩き回ると、どうしても
視線を集めてしまう。彼女は隅で大人たちが行き交うのを眺めていた。
「どこのお姫様かと思ったら、遥か?」
「柏木のおじさん」
目の前には、すらりとした男が立っていた。ダブルのダークグレーのスーツはきちんとプレスされていて、着こなしも隙がない。
彼女に向けられた笑顔はとても優しい。その実直そうな顔に深く刻まれた古傷は、彼の今までの生き様を物語っていた。
遥はやっと見知った人物に会い、笑顔を浮かべた。
「あけましておめでとうございます。桐生のおじさんももうすぐ来ると思います」
「ああ、おめでとう。去年はあいつも遥も大変だったな」
「おじさんもね」
遥が彼を覗き込む。柏木はうんざりしたように溜息をついた。
「まったくだ。あんな揉め事はこれっきりに願いたいね。命がいくつあっても足りやしない」
遥が声を上げて笑った時、大吾が二人のもとへやってきた。
「柏木さん、ご挨拶が遅れてしまって…今年もよろしくお願いします」
深々と頭を下げるのは敬意の表れだ。柏木は頭を上げさせ、彼の肩を叩いた。
「大吾君か、どうだ?会長の椅子は慣れたか?」
「まだまだだな。今は会長なんて呼ばれる資格はないさ」
「資格なんて後からついてくるもんだ。頑張れよ」
柏木の言葉が心強い。大吾は素直に返事した。と、柏木は急に声を潜める。
「ときに大吾君、ヒルズの後なんだがな。現場から郷田龍司の遺体は発見されなかったそうだ」

 大吾の表情が変わる。あのビルで桐生と戦い、敗れた龍司。万に一つも生きていないだろうと思っていたが。
彼の様子を伺いながら、柏木は話を続けた。
「あの後、桐生やあの女刑事を逃がすことだけを考えていたからな。龍司のことまでは気にも留めていなかった。大方
 遺体は警察に発見されて被疑者死亡ってことになるかと思っていたんだが、一向にその気配はない。疑問に思っていたら
 近江からその場にいた人間とは別に、この一件の首謀者とされる逮捕者が出た。当然そいつはダミーだがな。このことで
 近江が何を守ったかわかるか?大吾」
大吾は上目遣いに柏木を見ると、搾り出すような声をあげた。
「郷田、龍司か……」
「確証はない。もし生きていたとするなら、会長も本部長も失ってガタガタになった組を誰に任せるか。それは自ずと明らかだろう。
 あの短期間であれだけの人数を集めたカリスマ性、桐生と渡り合った腕っ節、反旗を翻したとはいえ、前会長の息子という
 血筋も影響力は侮れないだろう。これだけの人物を近江が放っておくはずはない。全ては奴が生きていたら、だが」
大吾の目が輝きを増した気がする。柏木は見ていてそう思った。龍司は大吾にとって比類なき好敵手だ。いつも彼は最後の戦いに
自分が加われなかったことを残念がっていた。その男が生きている。そう思うだけで血が沸き立つ思いなのだろう、大吾はわずかに
震えているようでもあった。
「あ、桐生のおじさん!」
横で二人の話をぼんやり聞いていた遥が、突然嬉しそうな声を上げる。視線を向けると、桐生がいつもとは違い、窮屈そうに地味な
色のスーツにネクタイを締めてやってくるのが見えた。桐生は遥の姿を見て驚いた顔をする。
「遥、その格好はもしかして姐さんが?」
「うん、着せてもらった。どうどう?似合う?」
くるくる回る遥を桐生は溜息をついて眺めていたが、やがて優しく微笑んだ。
「ああ、似合ってる。そうだ、お前に頼まれた年賀状だ。うちに来てたのを持って来といたぞ。」
正月からずっと堂島の家にいた遥は、桐生に頼みごとをしていたようだ。歓声を上げて桐生からそれを受け取った。
「ありがとう!あ、書いてない子結構いるかも。お返事しなきゃ。むこうで書いてくるね!」
遥は大切そうに年賀状を抱え、走って行った。落ち着きのない奴だ、桐生は苦笑して大吾達に歩み寄った。
「柏木さん、お久しぶりです。大吾もよくやってるみたいだな」
「よう、桐生。お前も怪我は心配なさそうだな」
柏木が煙草に火をつけ、微笑む。大吾は小さく会釈した。
「どうも。おかげさまで何とかやってる」
「俺は何もしてないさ」
桐生は肩をすくめてみせる。柏木はそれを楽しそうに見ていたが、客の中に知人を見つけたのか小さく手を上げ、二人に告げた。
「それじゃ、俺はそろそろ他の奴にも挨拶に行くからな。あとは二人でゆっくりやってくれ」
桐生と大吾は頭を下げ、柏木を見送る。彼の姿が見えなくなると、桐生は壁にもたれた。
「大吾、どうした?」
「何がだ?」
「やけに嬉しそうだ」
大吾は彼の言葉に驚いたようだったが、彼の横に立つと、腕を組み俯いた。
「桐生さん、龍司は本当に死んだんですかね」
桐生は思わず大吾を見つめる。彼の表情はここから窺い知ることが出来ない。桐生は煙草に火をつけ、煙を吐き出した。
「さあなぁ。あの時は俺も生きてるのが不思議なくらいだったからな。ただ、あいつなら生きていても不思議じゃない」
「何故だ?」
桐生は灰を落とし、遠い目をする。
「言ってみれば…命のやりとりをした者同士だけの勘ってやつか。俺だって生き残ったんだ、あいつもわからんさ」
二人は沈黙する。勘でもいい。龍司には生きていてほしかった。もし生きていたら、大吾には話したいことが沢山あった。
あいつの生き様、考え方、行動、そのどれもが羨ましかったような気がする。
「あのままくたばっちまったのかよ……」
大吾が消え入りそうな声で呟いた時だった。遠くから遥が歩いてくるのが見えた。
「大吾お兄ちゃん。さっき事務所の方でペン借りたら、お兄ちゃん宛ての年賀状がこっちにきてたよ」
「そんなの後で見るからほっとけよ。ガキはあっち行け」
軽くあしらう大吾に遥はむくれたが、横にいた桐生に面白そうに告げた。
「おじさんあのね、お兄ちゃん宛ての年賀状、すごく個性的な猪さんが描いてあったのよ。」
「遥、人の葉書を勝手に見たら駄目だろう」
「ごめんなさい。でもね、一枚だけすっごい大阪弁だったからつい……」
大吾は彼女の話に引っかかった。大阪弁?友人に関西の人間はいないはずだ。しかもあえて本部に出してくることもない。
大阪と聞いて思いつくのは一人の男だけ。思わず大吾は彼女に詰め寄った。
「遥、その年賀状持ってきてるか?!」
「え?う、うん。後で見るんじゃないの?」
大吾は遥が差し出した葉書をひったくる。あて先には乱暴な字で本部の住所と『堂島大吾へ』と書いてあるだけだ
急いで通信面を見ると、かろうじて猪とわかる絵が描いてあり、その下に何行か文章が殴り書きされていた。

『龍は死なん
 近江は今度こそ天下とったるわ
 手始めにお前の東城会潰したるから覚悟せいや
 ワシが怖くなければまた関西に来てみ
 直々に遊んだるわ。ほな』

 そして、隅の方にもう一文。

『猪てお前に似とる。まっすぐ突っ込んで行ってまんまと罠に引っかかるとこがな』

差出人の名前はない。しかし、誰が書いたか大吾にはすぐわかった。
龍は生きていた。
確かに生きていた。
「あいつ……」
大吾が呻くように呟く。桐生は彼の手の中の葉書を見、何もかも分かったように微笑んだ。
「これから大変だな、六代目」
「ああ、ぼやぼやしてらんねえ」
葉書を握りつぶし、大吾は顔を上げた。その顔は迷惑そうでもあったが、嬉しそうでもある。彼はもう一度文面を眺め、
腹立たしく声を上げた。
「しかし、相変わらずムカつく奴だな…このふざけた猪はなんだよ、子供か。それに、俺はお前なんか怖くねえっての!
 遥!年賀状の余りあるか?ちょっと貸せ!俺が正しい猪の姿を見せてやる!」
「あ、あるけどちょっと待ってよ~もう!大吾お兄ちゃん引っ張らないで!ねえおじさん助けて~!」
遥は悲鳴を上げて大吾に引っ張られていく。桐生は二人を見送りながら苦笑しつつ呟いた。
「どっちが子供なんだかな…」
その時、騒ぎを聞きつけ弥生がやってくる。母親らしい呆れた顔で桐生に問いかけた。
「桐生。あの子、大声上げてどうしたんだい?恥ずかしいねえ、まだ挨拶も済んでないってのに」
「さて、待ち人来たりってやつじゃないですか?」
弥生はわけがわからないという風に首をかしげた。
 その後、遥曰く『似たりよったり』な絵と、思いつく限りの罵倒の言葉を詰め込んだ年賀状が近江に届くことになる。
それを受け取った一人の男が、見るなり屋敷中に響き渡る笑い声をあげたとか。真偽のほどは定かではない。

-終-
(2007・1・11)
(1・16矛盾箇所修正)
@@

月見酒
(可愛い子には……その2)

 怒声、刃、銃声、血飛沫、断末魔の声。

 やめて、もう誰も死なないで――!

 目が覚めれば見慣れない天井。ぼんやりする頭で、自分が堂島の家に世話になっていることを思い出した。さっきのは何?
今でも震えがおさまらない。あれは夢?いや、かつて目の前で起こったこと?遥は小さい手を握り締め、大きく溜息をついた。
気がつくと喉が渇いていた。水をもらおう、遥は起き上がると音を立てないように部屋を出た。
「お台所どこだったっけ」
広い屋敷はいいのだが、未だどこになにがあるのか迷う。寝起きの頭なら更に混乱する。夜中のため誰に聞くわけにもいかず
遥は歩を進めた。
「うわ……」
庭に面した廊下に出ると、遥は思わず声を上げた。夜空には綺麗な満月が浮かんでいた。堂島の庭園は大きな池が特徴の
純和風である。時折池を泳ぐ鯉が水音を立てて行き交った。それらが一幅の絵のように見事に調和していた。
 しばらく眺めていると、人の気配を感じた。長い廊下の中ほどに、柱にもたれ座っている人物が居る。遥はそれが誰なのかすぐに
わかった。彼女は少し考えていたようだったが、そっと足音を忍ばせてその人物に近寄っていった。彼女はすぐ近くまで忍び寄ると
突然声を上げた。
「わっ!」
しかし、言われた方は微動だにしない。男はゆっくり振り向くと無愛想に告げた。
「気付いてるぞ、遥」
「ちぇー。大吾お兄ちゃんつまんないんだ」
「これくらい気付かないと、この稼業はすぐ死ぬぞ」
死ぬ。遥はその言葉で先ほどの夢を思い出し、表情を強張らせる。急に黙った彼女に気付き、大吾は顔を覗き込んだ。
「どうした」
「……なんでもない。あ、お酒飲んでたの?」
遥は不自然に話を逸らす。大吾は不審に思ったが、問いただすきっかけもつかめず曖昧に返事をした。
「あ?ああ、まあな。おまえはどうした?」
「喉が渇いちゃって。ずっとお台所探してたの」
「なんだ、そんなことか。ちょっと待ってろ」
大吾は部屋に入っていく。そういえばすぐそこは大吾の私室である。遥の部屋から大分離れているが、いつのまにかこんなところまで
来てしまっていたらしい。遥は、寝ぼけすぎ…と顔を赤らめた。
「ほら、これ飲めよ」
大吾がミネラルウォーターのペットボトルを持ってやってくる。自室に常備してあるらしい。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「コップあるぞ。」
使っていないコップを渡してもらい、遥はやっと水にありつくことができた。コップに入れた水を一気に飲み干すと大きく息を吐いた。
「五臓六腑にしみわたるよ……」
「おまえな。子供の言うことじゃねえだろ」
大吾は彼女の素直な感想に笑った。遥もつられて笑顔を見せる。大吾は水と一緒に持ってきた自分のジャケットを遥にかけた。
「風邪ひくぞ」
「あ、ごめんなさい。いろいろありがとう」
「お前に風邪ひかせたら桐生さんにぶん殴られそうだ」
彼はもとの場所に座る。傍らには日本酒の一升瓶とコップ、あとちょっとしたおつまみが置いてある。飲み始めたばかりだったのだろう
そのどれもあまり減ってなかった。
「月が綺麗だね。大吾お兄ちゃんはお月見?」
「ああ。なんだか眠れなくてな」
「私も、変な夢見ちゃって……」
夢?大吾が聞き返すと、遥は彼の隣に座り頷いた。
「目の前でいろんな人が死んじゃうの。すごく怖いんだけど、動けなくて。桐生のおじさんも……死んじゃいそうで、何も出来なくて…」
「遥……」
大吾が何か言おうとするが、遥はそれをさえぎるように話し続ける。まるでこのまま話すのをやめたら悪いことが起きるかのように。
「大吾お兄ちゃんは死なない?桐生のおじさんも死なないよね?私の大好きな人はみんな死んじゃう。みんな私を置いていっちゃう。
 もうやなの。誰かが死ぬのを見るのも、泣くのを見るのも……!」
「遥!」
大吾に肩をつかまれ、遥は驚いたように彼を見る。大吾は溜息をつき、淡々と語り始めた。
「俺はこんな立場だから、何があるか分からない。桐生さんだって、カタギに戻ったとはいえ、またあんなことがあったら東城会は
 頼らざるを得ないだろう。そうなったらあの人だって死に直面することもあるかもしれない。こればっかりは、覚悟するしかないんだ。
 この世界にいる限りはな」
「そんなの嫌だよ。死なないって言って欲しいのに」
夢のせいか、今夜の遥はいつになく弱気だ。しかし、いくつもの修羅場を目の当たりにし、人の死も見続けてきたのだ。それは様々な
経験を経た大人ならまだしも、幼い心には負担が大きすぎる。彼女の思いは痛いほど分かるが、大吾はあえて突き放した。
「言うだけなら簡単だ。でも、そんなことで誤魔化したくない。お前もまた極道の世界に関わる人間だから。だからせめて覚悟だけは
 しておけ。どんな形で別れても後悔しないように」
「覚悟……」
「遥なら、わかるよな?桐生さんの生き様をずっと見てきたんだから」
遥は小さく頷いたが、表情はまだまだ納得できてないようだ。大吾はそっと彼女の頭に手を置いた。
「努力は、してやる」
「お兄ちゃん……」
「俺は強くなる。今よりもっとだ。強くなれば、それなりに立ち回れるだろ。これで…我慢しろよな」
遥はしばらく大吾を見つめ、そして大きく頷いた。
「我慢する。私も今よりもっと強くなるよ。ありがとう、大吾お兄ちゃん」
大吾は彼女の返事を聞き、ほっとしたように笑顔を見せた。が、すぐに我ながら恥ずかしいことを言ったと彼女から手をどけた。
「お、俺はぐずる餓鬼は見るのも嫌なんだよ」
遥はそんな大吾を笑い、空を仰いだ。月が変わらず二人を照らし出している。
私も強くならなければ。いつまでもあの人の側にいるために。この月のように、大好きな人たちをずっと穏やかに見守っていられるように。


「おい遥、もうそろそろ寝とけ…」
時間を気にして大吾が話しかけるが、返事がない。見ると、彼女は大吾にもたれかかったままぐっすりと寝入っていた。
「自分の部屋で寝ろよ。おい」
何度か揺するが彼女は目を覚まさない。大吾は溜息をつき、遥を抱き上げた。
「話したいだけ話して寝ちまいやがって、やっぱり子供だな…」
一緒に居ると、時々驚くほど大人の顔をする遥だが、こういう時には普通の子供なのだと安心する。
こいつの泣き顔は見たくないよな、桐生が彼女を大切にする気持ちも分かる気がする。大吾は彼女を部屋へと運んでいった。
起こさないように布団に寝かせ、部屋を出た瞬間だった。
「何か音がすると思ったら、大吾。あんた何やってんの」
「お、お袋!」
弥生は大吾と遥の部屋のドアを交互に見、怪訝な顔をする。
「そこは遥ちゃんの部屋……あ、あんたまさか!」
「わーーーー!!ご、誤解、誤解だ!」
「お黙りっ!遥ちゃんは桐生から預かった大切な娘さんなんだよ!ちょっとおいで!」
弥生は問答無用で大吾を自室まで引っ張っていく。大吾の声が空しく邸内に響き渡った。
「だから誤解だって!遥、遥起きろ!起きて説明してやってくれ、遥あああああ!!」
その頃遥は微笑を浮かべて寝返りを打った。なにやら楽しい夢を見ているようだ。
一方大吾は3時間かかって誤解を解き、その夜は桐生にまで説教される夢を見たという。
次の日遥は出会い頭に大吾から鉄拳を食らうことになるのは言うまでもない。

-終-
(2006・12・21)
@

「可愛い子には……」

「すっごいお屋敷。入れてもらえるのかな……」
遥は堂島家の前にいた。重厚な純和風の巨大な門は硬く閉ざされ、外界との接触を拒んでいる。
中の様子は高い塀に阻まれ、小さな遥には窺うことすら不可能だ。彼女は深呼吸をし、門に近づく。
そして、高い位置にあるインターホンを目一杯背伸びして押した。
「こんにちは。桐生一馬さんの……えっと、知り合いで遥といいますが、開けてください」


 事の発端はこれより一週間前。遥はヒルズの一件からしばらくして、怪我も全快した桐生と穏やかに暮らしていた。
しかし、以前と変わったことも増えた。桐生が家を空けることが多くなったのだ。原因は恋人、狭山の存在に他ならない。
 彼女の存在は、この一件で桐生にとってかけがえのないものになった。度々関東にも訪ねては来てくれるが、彼女もさすがに
仕事柄忙しい日々を送っている。彼女の負担になりたくないのだろう、桐生が関西に顔を出すこともあった。なにしろ関東と関西は
距離が離れすぎている。必然的に月に三、四日は桐生が不在となる。そのため遥はその期間自らヒマワリに戻っていた。
 とはいえ、桐生が遥を蔑ろにしているわけではない。彼は狭山と約束がない限り極力遥の側にいるよう努めていたし、遥のことなら
どんな約束や問題よりも優先していた。保護者としては何の問題もない、むしろ過保護なほどの気遣いを見せる桐生が遥には何より
嬉しかった。
 ただ、そのような気遣いをされるほど、遥は嬉しい気持ちと同時に申し訳ない気持ちにもなる。互いの気持ちを確認しあった狭山と
桐生は、今なによりも側にいたい時期だろう。自分のちょっとした用事のせいで、二人の約束が反故になることが遥には辛かった。
「ずっと、ヒマワリにいたほうがよかったかな……」
遥が呟いた時、目の前に黒塗りの高級外車が停まった。今までの経験から、その車が異様な雰囲気を醸し出しているのがわかる。
身をすくませた瞬間ドアが開き、中から着物を粋に着こなした女性が出てきた。
「遥ちゃん……?だったかしら。初めまして」
美しい人だ。凛とした刃のようなこの女性に、母の面影を見た。その強い瞳が、どこか母……由美に似ていた。
しかし、今まで見たこともない人だ。遥は戸惑いを隠せない。
「あの……どなたですか?」
おずおずと問いかけると、女性は優しく微笑んだ。
「私は、堂島弥生。東城会六代目の母です。四代目……いや、桐生にはいつもお世話になってます」
そういえば、以前桐生に聞いたことがある。五代目会長代行は女性で、いざとなったら男でもかなわない強い心を持った人だと。
遥は慌てて頭を下げた。
「は、遥です。初めまして!あの、おじさん…桐生さんは今こっちにはいないんですけど……御用ですか?」
「あらあら、桐生はあのお嬢さんのところかい?四課の刑事さんとはあの人も酔狂だね」
弥生は呆れたように溜息をつくと、遥と目線を合わせた。
「でも、今回はあなたに会いに来たの。この後予定はあるかな?私とお食事でもしましょう、遥ちゃん」
「私に?」


 弥生は遥を連れ、とある料亭に向かった。通りに看板がないのは、そのようなものが必要ないという証である。堂島の名前を出して
通されたのは、静かな庭園内にある茶室のような離れ。庭の敷石に沿って蝋燭の灯りが幻想的に揺れていた。
「本日はどのように」
「そうだね、私はお任せするわ。この子には…子供の好きそうなものを」
「かしこまりました」
給仕が去ると、弥生は髪を整え小さく息を吐いた。
「わるかったね、急にこんなところに連れてきて。警護の面でいろいろあるからあまり賑やかな場所はよくなくてね」
もう取り仕切ってはいないとはいえ、一応会長代行を務めた人間である。影響力を考えると狙われたりすることも少なくないのだろう。
遥は首を振った。
「私のことは気にしないでください」
そうかい?弥生は言いつつ運ばれてきたビールのグラスを手に取った。
「遥ちゃんも、乾杯」
「あ、はい。乾杯」
遥は慌ててジュースを手に取る。弥生は微笑んで一気にビールを飲み干した。
「よかった。遥ちゃんが来てくれて」
「そういえば、なんでおばさんは私のことを?」
首をかしげる遥を弥生は少し悲しそうな瞳で眺めた。
「一度、謝らなければならないと……思っていたから」
遥はグラスを置いた。弥生が自分に謝らなければならない理由とは、なんなのだろう。
「謝る?どうしてですか?」
「そうだね、急に言われてもわからないね」
弥生は苦笑する。少しの沈黙の後、彼女は静かに顔を上げた。
「あなたのお母さんや、錦山、桐生達の運命を狂わせた発端。それを生み出したのは、他でもない私の夫なのだから。
 ……あなたは、そのことを知っているんだろう?」
遥は視線を落とした。桐生が刑務所に入る原因となった事件、はっきりとは聞いてはいないが、何があったのかは周囲の人たちの
話をつなぎ合わせたら容易に想像できた。あの時、母に何があったのかも。
「もう、終わったことですから」
搾り出すように遥は告げた。弥生は眉をひそめ、首を振る。
「終わってなんかいない、少なくとも私には。どんな償いをしたって償いきれるものじゃない。本当に、申し訳なかったね」
「もう、もういいんです。だって、変な話だけどあのことがなかったら私は生まれなかったし、おじさんにも会えなかった。
 お母さんが死んでしまったのはすごく悲しいけど、今でも少し泣きそうになるけど、もう平気だし……今の生活も好きなんです。」
それを聞き、彼女は大きく溜息をついた。遥に理解があればあるほど、心が痛んだ。
「強い子だね、話に聞いた由美さんとよく似ていること。あの人も、なんであんなできた人に酷いことを……馬鹿だね」
「そのひとがお母さんを好きになった理由は、よくわかります」
遥が弥生の顔を覗き込む。彼女は驚いて遥を見返した。
「だって、お母さんはおばさんによく似ているもの。すごく綺麗で、とっても強くて、優しいの」
似ていた?由美という女と私が?弥生は思わぬ言葉に胸を突かれた。
 考えてもみなかった、そんなこと。あのひとはいつも何も言わない。強引で、思い通りにならないとすぐ怒っていたあのひと。
外に女も沢山いた。由美という女に入れあげた時も、いつもの病気だと思った。その由美に似ている?それでは何故あのひとは
その女を自分のものにしようとしたの。私なら、すぐ側にいたのに。いつもあなたの後ろにいたのに。
 弥生はしばらく遥を見つめ、ふと俯くと目頭を押さえた。再び顔を上げたときには弥生は元の優しい彼女だった。
「……もう、仕方ないね、男ってやつは!手当たり次第に女作って、そうかと思えば突然『惚れてた』とか言いだしてさ。
 あたし達の気持ちなんて何にも分かっちゃいないんだから!」
「ほんとだね、何にもわかっちゃいないんだから」
彼女のまねをして言った遥がやけに大人びていて、弥生は声を上げて笑った。
「遥ちゃんも言うね。よし、今日はおなか一杯食べようか!」
「うん!」
二人は運ばれてきた料理を食べながら、大いに笑って大いに語った。こんな風に過ごせる日が来ることを、初めに思いもしなかった。
罵られることさえ覚悟していた弥生には、嬉しい誤算だったようだ。その間にも夜は更け、月が優しく満ちている。


「遥ちゃん、もしよければなのだけど」
帰りの車中で弥生がきりだした。遥が首をかしげると、弥生は驚くべき申し出をしてきた。
「あなた、うちの子にならない?」

 弥生からの申し出の内容はこうだった。由美の件のお詫びも兼ねて、遥のことはこれから自分が世話させて欲しい。もし、このままの
生活が送りたいのであれば、桐生が不在な時だけでも自宅に滞在してくれればいい、とのことだった。
 正直、桐生の不在時のみにヒマワリにいるのは遥も肩身が狭かった。ヒマワリの経営状態も良くなってはきているが、まだまだ園児
たちを養うのに金銭面で苦労が絶えないという話もきいたことがある。そして、一番遥が気を遣ったのは他の園児たちと自分との境遇
の差である。自分は他の園児達とは違い、家族ができている。外で待っている家族がいるのに、その人物がいない間だけここにいる
というのは、いくら以前ヒマワリにいたからとはいえ他の子供達に言わせたら我侭というものだった。遥は心を固めた。

「おじさん、私おじさんがいないときは堂島さんのおうちにいる。だから、おじさんは気にしないでいつでも留守にしてもいいよ」
ある日の夕食時、のんびりお茶をすすっていた桐生は文字通り噴きだした。
「な…んだって?遥、堂島さんって誰だ。堂島っていったら俺の知っている限りでは……」
ひとしきりむせた後、やっと言葉を発した桐生は目に見えてうろたえていた。遥はお茶にまみれたテーブルを拭きながら頷いた。
「うん、おじさんも知ってる堂島弥生さんのおうち。来てもいいって言われたの」
それを聞き、桐生は遥が食器を全て片付けて目の前に座るまで沈黙していた。
「遥、ヒマワリでなにかあったのか?」
「なにもないよ。でも、ヒマワリはお金がないし、少しでも子供が減ったら助かるんじゃないかなって思ったの。」
「なんで、堂島の家なんだ?」
「おばさんがね『他の女のところに通いつめて寂しい思いをさせる男なんて捨てて、うちに来なさい』って言ってた。あ、これ私が考え
 たんじゃないよ。おばさんがそのまま言えって」
桐生は頭を抱える。そんなことまで話したのか遥……しかし、弥生に迷惑をかけるわけにはいかないのだが。彼は遥を見つめた。
「俺は遥に寂しい思いをさせたのか?それなら俺は狭山とは……」
「そんなこと言ったらおじさんのこと嫌いになるから」
遥は怒ったように告げた。その妙な気迫に桐生は口ごもる。
「私は寂しくないよ。でも、いろいろ考えたの。考えて堂島さんのおうちに行こうと思ったの。それに、ずっとあっちにいるわけじゃないよ。
 おじさんが留守にするときだけ。ね、いつもとかわらないよね?」
「……姐さんに、聞いてみる」
それだけ言って、桐生は外に出た。携帯をかけると、弥生はすぐに出た。
『桐生かい?前は世話になったね…』
「弥生姐さん、遥のことですが…本気ですか?」
『何言ってんだい。あの子から何も聞いてないのかい?遥ちゃんの言ったことが全部だよ』
「しかし、姐さんに迷惑をかけるわけには…」
『ああもう、女の決めたことに四の五の言いなさんな!男なら黙って見守っておやり!』
ぷつりと電話は切れてしまった。こうまで言われては桐生も反対のしようがない。肩を落として帰ると、玄関で待っていた遥に苦笑した。
「姐さんに、迷惑かけないようにな」
「うん!」


 そして、本日遥は晴れて桐生の許しを得、堂島の本宅に来たというわけだ。インターホンでニ、三言話すと大きな門が開いた。
入ってもよいということだろう。遥は門をくぐった。
「うわー……」
目の前には広々とした石畳が伸び、左右には白い砂利を敷き詰めた空間が広がっている。目の前には豪奢な純和風の建物が見える。
遥が珍しそうに辺りを眺めながら歩いていくと、更に珍しそうに警備の組員達が彼女を眺めた。建物にたどり着くと組員の一人が
遥に応対した。
「姐さんから話は伺ってます。こちらに」
建物もかなり広い。会長の本宅というくらいだから当然か。案内されるまま奥へ行くと、私室に弥生が待っていた。
「あぁ、来たね」
「はい。よろしくおねがいします」
弥生は早速自宅の中の一室へ遥を案内する。
「ここにいる間はこの部屋が遥ちゃんの部屋だよ。自由に使いな」
この部屋も広い。この部屋だけで桐生と住んでいるマンションくらいあるだろうか。荷物を置くと、弥生はすまなそうに告げた。
「来たばかりで申し訳ないけど、今日は私も東城会本部にいなければいけなくてね。遥ちゃんももしよかったら来るかい?」
東城会本部。何度か桐生の口から聞いた場所だ。彼女は元気よく返事した。
「はい!行きます!」
 東城会本部は本宅から程近い場所にある。以前ここで桐生が大立ち回りをやらかしたのを、遥は街頭で見たことがあった。
ここも本宅に負けず広大な敷地を有している。本部の大きさは関東を代表する組織、東城会の規模を物語っていた。
二人を乗せた車は本部の正面に停められる。建物に続く道の両側に組員達がずらりと並んだ。
「姐さん、お疲れ様です」
皆は頭を下げる。しかし、いつもと違い、頭を下げた先には弥生のものとは違う小さな足が見えた。
「え……?」
上目遣いに見るとそこの先で少女が笑っている。
「こんにちは!」
「あ、こ、こんにちは」
遥の無邪気な挨拶につられ、組員は挨拶を返してしまう。弥生はその様を愉快に眺め、皆に言い渡した。
「ちょっと故あって、これからちょくちょくこの子がここに来ることになるから、そのつもりで。ある程度自由にさせてやって」
はい、と皆は返事をする。遥は小さく頭を下げると、弥生の後を追った。

「それじゃ、私はちょっと行ってくるから。遥ちゃんは自由に歩きまわっていて。用事が終わったら二人で買い物に行こうね」
「おばさん、お仕事頑張ってね!」
遥の言葉を聞き、弥生は無言で戻ってきた。きょとんとしている遥に彼女は詰め寄る。
「ずっと気になってたんだけど。おばさんはやっぱり嫌だなぁ、遥ちゃん。まったく、郷田のガキの『オバハン』といい、どいつもこいつも
 人を年増扱いして私最近落ち込んでいるの。……だから、名前で呼んでね?というか、名前で呼びな。」
笑顔ではあるが、弥生のただならぬ雰囲気が恐怖を感じる。遥は何度も頷いた。
「は、はい。お仕事頑張ってください……弥生さん」
それで満足したのか、弥生は嬉しそうな顔で手を振り去っていった。遥はほっとして辺りを見回す。
 高い天井。広いホール。中では何人もの組員が歩き回っていた。皆がせわしなくしていると遥も何かしなければいけないような
気になる。しばらくきょろきょろしていたが、やがて奥へと歩いていった。


「それで、神室町の件の事後処理はできているか?協力してくれた外部の系列組員達への謝礼も考えないとな」
本部の一室で、せわしなく指示を出す青年がいる。まだ若い彼の言葉を年上の組員がよく聞いている。関西やジングォン派との
一件で東城会もかなりの打撃を受けた。それをここまで立て直せたのは青年の生来の資質と並々ならぬ努力に他ならないだろう。
今やこの六代目会長堂島大吾は組員達の大多数の支持を得ていた。
「失礼しまーす」
「あと、殺された幹部の後釜、候補を出しといてくれ。直に会って話をしてみた…」
「皆さんお疲れ様です~お茶どうぞ」
「おい……」
「あ、コーヒーがいいですか?ちょっと待ってくださいね」
「なんでこんなところに子供がいるんだよ!」
大吾が思わず立ち上がる。目の前にはお盆を持った遥が首をかしげている。当然のようにお茶をすすっている組員達は、逆に大吾の
反応に驚いていた。
「姐さんが連れていらっしゃったんですよ。今日、突然に」
「お袋が?」
改めて遥を見る。彼女は思い出したように深々と頭を下げた。
「弥生さんにお世話になることになりました遥ですよろしくお願いします。えっと……お兄さん、だれ?」


 大吾は一時休憩ということにして組員達を外に出すと、遥がここに来ることになった経緯を聞いた。話を聞けば確かに遥を世話したい
という母の気持ちも納得できるが、こんな少女を東城会にまで連れてくるとはつくづく酔狂としか言いようがなかった。
 そういえば、桐生と行動していた時彼から彼女の存在を聞いたことがある。それが彼女だったのかと今納得した。小さいのにこんな
ところでも萎縮しない度胸、大人の中で場を読み臨機応変に対応する機転は、それまで彼女が生きてきた世界で叩き込まれたのに
他ならない。それと、彼女もまた桐生の背中を見て育ったのだ。大吾は遥に昔の自分を見る思いだった。
「大吾お兄ちゃんは東城会の六代目なの?」
お兄ちゃん、突然遥にこう呼ばれ大吾は面食らう。今まで兄貴とは呼ばれていたが、遥にこんな風に呼ばれると気恥ずかしいものだ。
彼は遥に背を向けると照れたように何度か咳払いをした。
「あ、ああ……そう認められればいいと思うけどな」
「誰も認めてくれないの?」
素直に聞き返す遥をちらりと見、大吾は窓にもたれかかって宙を睨んだ。
「周りだけじゃない。自分でもまだ認めちゃいない。俺はあの時何もできなかった。龍司には軽くあしらわれて、桐生さんの後をついて
 歩いていただけだ。人としても、極道としても俺はまだヒヨっ子なんだ。こんな状態で六代目なんて恥ずかしくて言えやしねえよ」
「お兄ちゃんは、すごいな。ちゃんと弱い自分とも向き合えるんだね」
思わず遥を見ると、彼女は両手を後ろで組み俯いた。彼女の綺麗な黒髪が肩をすべる。
「私はまだダメ。自分の気持ちから逃げちゃって……あ、私と一緒にしたらだめだよね。ごめんなさい」
「いいんじゃないのか?」
顔を上げた遥の目前に大吾が歩み寄る。その表情はとても優しい。
「俺も最初は逃げたぜ、いろんなものから。でもな、そんなことやっててもいつか嫌でも向かい合う時が来るんだ。自分の気持ちって
 奴に。だから、それまで目一杯逃げとけ」
「いいのかな?」
「構うかよ。お前がどんな気持ちから逃げたいのかはわからないけどな。そうだな、小学生ならテストの0点隠してる事とか?」
「もう!そんなことじゃないよ~!」
怒り出す遥をかわしながら、大吾は声を上げて笑う。
「もしくは逆上がりができないことだろ!」
「違うよ!大吾お兄ちゃんの意地悪!」
遥が大吾に抗議するうち、二人は場所を忘れて追いかけっこを始めた。と、その時部屋の扉がけたたましく開く。
「大吾!遥!ここをどこだと思ってるんだい!静かにおし!」
弥生が文字通り仁王立ちだ。二人は姿勢を正して頭を下げる。
「すみませんでした……もうしません」
「悪い」
まったく、と弥生は両手を腰に当て溜息をついた。
「会った当日に仲がいいこと。遥ちゃんはおいで、大吾はやることやんな」
遥が先に部屋を出て行った弥生の後をついていくと、大吾に呼び止められた。
「おまえ…遥っていったか?」
「うん」
「ま、なんだ……よろしくな」
遥は嬉しそうに大きく手を振った。
「また遊んでね、お兄ちゃん!」
大吾が小さく手を振り返すと、彼女と入れ替わりに組員が入ってきた。彼は慌ててその手を下ろす。
「これから少し賑やかになりますね。うちも」
「そうだな。腑抜けてもらうのも困るが、少しくらいならいいんじゃないか?」
はは、と男は笑うと興味深く大吾を見た。
「大吾さんがあんなに楽しそうなのは初めて見ました。よかったですね、妹さんができて」
「ば、馬鹿野郎。子供に付き合ってやってるんだよ!ほら、続きやるぞ」
大吾は思わぬツッコミにわざと声を荒げ、席についた。
 ま、嫌ではなかったけどな。彼は小さく笑い、少し冷えてしまったが彼女の入れてくれたお茶を飲んだ。仕事はまだまだ終わりそうに
ない。

弥生と遥はデパートの子供服売り場に来ていた。色とりどりの子供らしい衣装が所狭しと並んでいて、弥生は次から次へと
店員に持ってこさせ、遥に当ててくる。
「ちょっと、遥ちゃんこれいいんじゃない?似合うわ~買ったげる」
「あ、そんな、いいですから。あまり弥生さんにこういうことさせたらおじさんに叱られてしまいます」
遥が恐縮すると、弥生はいいんだよ、と手を振った。
「桐生には私が言っとくから。それに私、一度でいいから娘とこういうことしたかったの。息子なんて親に迷惑ばっかりかけて、
 そうかと思えばいつのまにか大人になってるし。可愛くないったら。どうせ桐生だって服のことに無頓着なんだから、
 遥ちゃんが同じ服着ているのにも気付かないんでしょ。あ、これ包んでくださる?支払いはカードでね」
「困ります~ちょっとお世話になるだけなのに……」
遥はその買い物の量に驚き、困り果ててしまった。弥生はまだまだ買う気のようだ。引き止めても止まってくれる人ではないだろう。
それにね、弥生は遥を見つめて嬉しそうに笑った。
「さっきの大吾、あんなリラックスした顔は久しぶりだったから、遥ちゃんには感謝しているの。あの一件からすぐ跡目に決めてしまった
 から、事後処理や引継ぎ、それに新しい仕事も出てきたでしょう?あの子は気が休まる暇もなかったと思うの。それを遥ちゃんが
 息抜きさせてくれたから、そのお礼もね」
「はあ……」
何もしてないんだけど、遥は悩む。弥生は商品を受け取ると近くの組員に持ってくるよう指示した。
「遥ちゃんは、大吾をどう思う?仲良くできそう?」
「大吾お兄ちゃんは優しいです。すごくしっかりしてるし、なんか気が合うかもしれないです」
弥生はくすくす笑い、遥の頭を撫でた。
「それはきっと桐生のせいね」
「おじさんの?」
「あなたも大吾も桐生の後を追いかけて生きてきたから。大吾なんて自分の親よりも桐生のことを尊敬してたんだよ。
 どこか似るのかね、同じ男の側にいると……」
遥は弥生の言っていることがなんとなくわかる気がした。大吾と自分は同じ人を見ている。昔も今も、あの龍を背負った広い背中を。
遥はそれを頼りにして、大吾はそれを越えようとする。きっと、自分達は根本的な部分で同志なのだ。遥はそれがなんとなく嬉しくて
歩く弥生を追い越して振り向いた。
「だったらいいな。弥生さんも、さっき叱られた時お母さんみたいだった。ありがとう!」
「なんだい、叱られてありがとうなんて……」
言いながらも、弥生は綺麗に微笑んでいた。
 由美、桐生、あんたたちはこの少女をいい子に育てたね。私も及ばずながらこの子の成長に協力させてもらうよ……
二人はまるで親子のように微笑みあい、人波に消えていった。

-終-
(2006・12・19)
tr

母の日―白―

 5月のこの日は、花屋がいつもよりも華やかに赤やピンクに彩られる。誰もがその花に目を奪われ、ある者は嬉しそうに、そして
ある者は恥ずかしそうに、店員に花束を注文していた。
 その中で、遥は視線を彷徨わせていた。彼女の求めている花は、こんなに鮮やかなものではない。その様子を見ていた店員は
優しい笑顔を遥に向けた。
「何を探してるの?」
声をかけてもらい、遥はほっとしたような顔で告げた。
「白のカーネーション、二本ください」


 今日は母の日、学校の友人は今頃赤いカーネーションとプレゼントを買って、自分の母親に渡している頃だろう。遥はそれを少し
羨ましく思いながら、由美の眠る墓地へと向かった。空はすっきりと晴れ渡り、日差しは暑いくらいだが涼しい風のおかげで丁度いい。
遥は腕にしっかりと抱えたカーネーションを見つめた。純白のその花は、亡くなった母に捧げるものだと前に聞いた事がある。しかし
そんな理由抜きでも、由美には白いカーネーションが似合うと遥は思う。小さく微笑んで、彼女は一つの墓の前に立った。
「お母さん、久しぶり」
そっと囁いて、彼女は墓石を掃除する。ここには頻繁に来ることはないが、由美の月命日には錦山のそれとも重なっている事もあり
桐生と共に墓参りに来ている。そのため、特に荒れた様子はない。
 遥は慣れたように花入れに水を入れ替え、そっとカーネーションを挿した。それは風に応じてわずかに揺れる。彼女は手を合わせながら
目を閉じ、目の前に由美がいるかのように話しかけた。
「お母さん、私は元気だよ。おじさんとも毎日仲良くやってる。去年はここで寺田のおじさんと会ってから、色々あったんだ。
 怖い事も、悲しい事も、いっぱい……」
そこまで話し、彼女は顔を上げた。
「でもね、ちゃんと終わったよ。もう、誰も泣かないで済むと思うの。それにね、いいこともあったんだよ。桐生のおじさん、大切な人が
 できたの。誰だと思う?刑事さんなんだよ、マル暴の。なんかすごいよね」
うふふ、と口を押さえて遥は笑う。しかし、帰ってくるのは木々の葉の立てる音だけ。
「薫さんって言うの。しっかりした、綺麗な人だよ。そういえば、ここにも一回来てくれたよね。うん、すごく優しくて、素敵な人。
 ちゃんと、仲良くできるよ。大丈夫。でも、お母さんはどう?少し寂しい?……本当は私も、少し寂しいんだ」
遥は墓の前の石段に腰を下ろすと、膝を抱えた。
「どうしてだろう、喜んであげなきゃいけないのにね。おじさんと薫さんが仲良くしてるのを見たら、私が邪魔みたいに思えちゃう。
 薫さんもね、私にすごく気を遣ってくれるんだけど、たまに少し複雑な顔して私を見るときがあるの。きっと、私がお母さんに似てる
 からだね。なんかその気持ち、少し分かる。でも、こんなこと言ったら、きっとおじさん困っちゃうと思うの。だから、ここだけの秘密ね」
風に白いカーネーションが揺れる。彼女は気分を変え、今思い出したように手を合わせた。
「学校も毎日楽しく行ってるよ。この前、算数のテストで100点取っちゃった!体育のバスケットでも大活躍だったんだよ~
 友達もいっぱいいるよ。みんなすごくいい人だから、いじめられたりしてないから安心して。あとね、家庭科で先生に手際がいいって
 褒められちゃった。毎日やってるからだね。お母さんは、料理上手だったっておじさんに聞いたよ。いろいろ教わりたかったな……」
遠い目をして、遥は抱えた膝に頭を乗せる。この声は、天国に届いているのだろうか。しかし、それを知る術はどこにもない。
「神室町には、ほとんど行ってないよ。おじさんが、もう行くなって。お母さんや、麗奈さんがいたお店も、まだあのままみたい。
 いろんなことがあったけど、私あの町嫌いじゃないよ。だって、あの街で私はおじさんと出会ったんだもん。それに、お母さんとも
 会えた。あの時抱きしめてくれて、すごく、嬉しかったよ」
今でも覚えてる、自分を包む由美の温もり。でも、その直後に母は帰らぬ人となった。もっと幸せになっていいはずの人だったのに。
思わず泣きそうになり、遥は慌てて目を擦った。
「泣かないよ。あの時決めたの。泣かないで頑張る。お母さんに言われたとおり、逃げたりしないって」
跳ねるように立ち上がり、遥は空を仰いだ。こんなことでは、由美に心配させてしまう。彼女はそっと微笑み、墓に向かって告げた。
「ありがとう、お母さん。私を産んでくれて。お母さんやお父さんの分まで、幸せに、なるから」
その時、足音が近付くのが聞こえた。こんな時期に墓参りの人も珍しい、遥は視線を動かした。
「やっぱりここだったのか」
遥を見つけて微笑む男に、彼女は驚いたように声を上げた。
「おじさん……!どうして?」
男は桐生だった。彼はいくつか花束を抱え、やってきた。
「『ちょっと出てくる』とだけ書置きしてあったら、何かあるんだろうと思ってな。そういえば今日は母の日かと思ったら、大方ここだろうと
 思った」
桐生は持ってきた花を三つ並んだ墓の花入れに挿していく。最後に由美の墓に花を生ける際は、遥が生けた花を折らないように
慎重に挿した。彼は両手を合わせしばらく拝んでいたが、遥に向き直って苦笑を浮かべた。
「墓参りなら、言ってくれたらいいだろう」
遥は困ったように俯き、体を揺らした。
「母の日ってだけだし、お母さんに会うだけなのに、つき合わせちゃうの申し訳ないから」
「馬鹿」
桐生は遥を小突いた。思わず見上げる彼女に、桐生は微笑んだ。
「由美に会いに行くのを、俺が迷惑だと思うか?」
「おじさん……」
彼は墓に向き直り、そっと呟いた。
「今でも、由美は俺にとって大切な女で、何より大事な遥の母親だ。それはこれからもずっと変わらない」
遥は桐生の腕を掴んで顔を寄せ、嬉しそうに微笑んだ。
「……うん」
五月の空に、一陣の風。二人は寄り添いあったまま、長い間墓の前に立ち尽くしていた。
かけがえのない人と出会わせてくれた母に――女に、心から感謝を。

  • ABOUT
うろほらぞ
Copyright © うろほろぞ All Rights Reserved.*Powered by NinjaBlog
Graphics By R-C free web graphics*material by 工房たま素材館*Template by Kaie
忍者ブログ [PR]