「大晦日」
大晦日の街はどこかせわしない。暮れや正月がイベント化してしまっていても、人には一年の総仕上げのような気持ちがどこかに
あるのだろう。桐生は遥に買い物の荷物持ちを頼まれ、近くの商店街に付き合っていた。
「えっと、黒豆は終わったから、あとはお煮しめに、栗きんとんに……海老をゆでてお酢であえてと。田作は買ったらいいか」
長い二人暮しで遥も料理上手になった。今では授業で調理実習などを行うと、賞賛の嵐だという。今年はおせちを全部作るのだと
意気込んでいるようだ。彼女の成長を桐生は微笑ましく見守った。
「おじさん、これも買っていい?」
遠くで遥が商品を手に持って声を上げる。なんだかよくはわからないが、重要なものなのだろう。彼は頷いた。
「ああ、好きにしろ」
今年は色々あった。血なまぐさいことばかりで、遥には辛い目にあわせてばかりだった。桐生は彼女の横顔を見つめる。
俺達はただ、静かに、平凡な暮らしを求めていた。それなのに周囲はそれを許すことなく、いつしか大きな陰謀の渦中に巻き込まれ
ている。時に死と隣り合わせになる時も、遥は何も言わずただ心配そうに見守っていてくれた。ありがたいものだ。
「よう、桐生じゃないか」
聞きなれた呼び声に振り向くと、そこには伊達の姿があった。その後ろで沙耶が小さく頭を下げる。
「伊達さん、どうしたんだ?」
「お前と同じだよ。お姫様の荷物持ちさ」
伊達はうんざりした様子で苦笑する。沙耶は挨拶もそこそこに遥のところへ行き、なにやら話し込んでいるようだ。桐生は伊達をつれて
人ごみから少し離れた。
「こんなところで会うとはな」
煙草を出しながら桐生が笑う。伊達も煙草をくわえるとライターを取り出し、火をつけながら答えた。
「ま、買い物とは別に、お前達がどうしてるのか気になってたのもあったんだがな」
「俺達が?」
煙を吐き出し、伊達は頷いた。
「いろいろあったろ?今年もよ」
「……まあな」
人波は途切れることなく二人の目の前を行き来する。桐生は灰を落とした。
「大阪で、遥をよそに預けようとしたことがあってな」
「おい、本当か?」
驚いたように目を見開く伊達に、桐生は苦笑した。
「色々あって、やめたんだが…すごい勢いで遥に叱られた」
「お前な……そりゃあ遥も怒るだろ」
「あいつの幸せが、よくわかってなかったんだ。俺みたいなやっかいごとを抱えてる人間に育てられて、まともな人生おくれるわけない
だろ。俺はもう慣れたが、あいつには冷たすぎると思ったんだよ。世間の目ってやつがさ」
伊達は視線を娘達に向ける。二人は楽しそうに買い物を続けていた。あの一件でも、一つ間違えば彼女達が危機や不幸にみまわれる
こともあったかもしれない。桐生の気持ちが、大切な娘を持つ伊達にも痛いほど分かった。
「だがな、俺達は選んじまった。あいつらを守り、慈しみ、育てる道を」
毅然と言い放った伊達を、桐生は静かに見つめる。
「……ああ、そうだ。だからもう迷わない。俺は命張っても遥を守る。そう決めた」
伊達は桐生を見返した。その目つきは、初めて会った時と変わらず鋭いが、今は限りなく優しい。
「生きろよ、桐生。もう二度と、諦めるな」
「そのつもりだ」
二人は再び彼女達の方を眺めた。沙耶が大きな声で値切るのが聞こえてくる。
「おじさん!これとあれ買うから半額にして!」
「おじょうちゃん、それは痛いよ~」
「それじゃ、その値段でこれとこれもつけてください」
「ちっちゃいお嬢ちゃんも言うねえ。仕方ない、売った!」
二人は飛び上がって喜んでいる。いやはや、すごいもんだ。伊達は肩をすくめて溜息をついた。
「このあとどうする?よかったらうちで蕎麦でも食うか?」
桐生は少し考え、答える。
「そうだな、遥がどういうかだが…」
そのとき、遥が桐生に声をかけた。
「おじさーん!沙耶ちゃんがみんなで年越ししないかって!行こうよ~」
「……だとさ。悪いな、伊達さん。親子水入らずの邪魔して」
かまわないさ。伊達はそう言って笑う。二人の視線の先に、大きな袋を両手に持った娘達が歩いてくるのが見えた。
「来年はいい年にしたいな、桐生」
「そうだな。努力はしてみるさ」
二人は煙草を消し、歩き始めた。誰よりも大切な家族の下へ。
-終-
(2006・12・31)
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