五月。サツキ。ぼくの、二つ目の生まれた月。
手を差し伸べてくれたのはあのヒト。
十月二十三日。(お金がない)
晴天。雲の中の航行がやっと終わり、船室のウィンドウから射しこむ光に目を醒ます。
手近にあったスヌーズ機能つきの時計を見ると、既に時計の短針は真昼を示すベルを鳴らそうとしていた。
スイッチをオフに入れ、時計を置き、寝る前に考えていた今日のスケジュールを、覚醒していない頭で思い出す。
既に予定は大幅に遅れていた。
まだ温もりの残るベッドから跳ね起き、急いでクローゼットの中から服を取る。
髪を整え、用意してあったいつもの快賊団の帽子をかぶり、ロングサイズのミラーの前で全身の恰好を整える。
自分の表現できる最高の笑顔を確認し、よし、と勢いよく部屋を飛び出そうとした。
だがこういうときに限って何かはあるものね。その日は、いつも絶対に忘れることのない、
フォトスタンドの中にいるジョニーへの挨拶を忘れてしまった。
そのことに気づくこともなく、半ば扉を壊しかねないようなスピードでぼくは部屋を後にした。
ぼくは先日の戦いで手に入るはずだった賞金が財布の中にないことを確認し、絶望の淵に立たされていた。
いくら部屋の壁にかかったカレンダーを見ても、毎日欠かさずにつけているダイアリーの日付を見ても、
快賊団の誰に訊こうと、それは無常にも変わることはなく。
明日がぼくの、最愛の人のバースデイだということ。
といっても、それ以前に貯めていた金額はかなりのもので、プレゼント相応の品物を買う余裕はある。
要はぼくの愛の大きさにつりあったものが買えないということ。
これはその日にあった出来事。
自室を出た後すぐ、ぼくは想い人と遭遇した。
「おっはよ~、ジョニー。今日もカッコいいね~」
「メイ~。今日は朝から、元気いいねぇ」
彼にとって何気ない言葉が、ぼくには全て詩に聞こえる。
そのウタの旋律はとても心地よく、ぼくという音符はジョニーの低音と調和し、コンチェルトを奏でる。
他の人にはそれがただ言葉を交わしているだけだとしても。
「ん~、起きてから初めて会ったのがジョニーだからだよ。でもぼくはいつも元気だけどね。ジョニーといれば」
「そっか。ま、快賊団は今のところ目標もないし、ちょっと休息も必要だしね。おまえも、少しは休んでおけよ?」
彼がぼくの目線と合うようにかがんでサングラスを取り、笑顔をくれる。
ぼくはそれだけで、今日という名の譜面に流れる曲のテンポが速くなる。
心地いい風を感じたくなり、甲板に上がる。
途中すれ違ったクルーから、何かいいことあった? と訊かれること数回。
その度に「うん。気持ちがいいから甲板にいく」と答えていた。
甲板には先客がいた。結局、この女(?)のせいでお金は手に入んなかったのよね。はぁ……。
「? どうかしましたか?」
「い、いや。なんでもないの。気にしないで、ディズィー……さん?」
「はい」
いや、にこやかに答えられても、後ろの真っ黒い人っぽいの、怖いって。
ジョニーの意向で、この賞金首……だった彼女・ディズィーは、
ジェリーフィッシュ快賊団に所属するクルーとして保護された。
保護といっても、掃除当番に炊事当番、その他、クルーとして生活してさえいれば、
基本的な生活に関しては兎角何かを言うことはない。
つまりは、「私と同じ」立場、なのよねぇ。快賊団での位置付けは別として。
ふむ。これは「ぼくの」ジョニーの危機だわね。こんな女に誑かされでもしたら、
それこそぼくの立場ってぇもんがないよ! ヤられる前に、ちょと訊いときましょか。
……決して「ジョニーがヤる」前ではないよ?
「ねぇねぇ、ディズィーさん。……むぅ、言いにくいな。ディズって呼んでもいい?」
「ええ、構いませんけど。なんでしょうか」
言葉遣いは丁寧……と。ちょっと改め。で、何から訊いたものか。
「えーと……あ、あのね。ちょっと訊きたいんだけど。あ、あの黒い髪の人って、アナタの何なの?」
う、これでは「ぼくはあの人が気になります」っていってるみたいじゃない。
ぼくはジョニーのことが訊きたいのにー。失敗だよ。
「あ、テスタメントのことですか? 彼は……」
「彼は……よくわからないんです。でも、私を守るって。そういっていました」
困惑、してるね。つまりは「ありがた迷惑」なわけね、彼は。
独りにしてくださいとか何とか、闘ってても結構言ってたしね。
「君は、彼のこと何にも想ってないの?」
「? はい? どういう……意味ですか?」
「え……っと、時にディズ。あなたおいくつ?」
「おいくつ……?」
「ああ、年齢のこと。何歳ですか? っていうことね」
見た目は……十八とかそのへんだけど。
もともとギアにニンゲンの尺度が当てはまるかどうか疑問だしね。
「えっと、生まれてから……三年が経ちました」
「それホント?」
「はい。両親が逃がしてくれる前の、最後の夜に……そう、教えてくれました……」
う。思い出したくない過去……。それはぼくにもあるし。この娘も同じ、か。
「ご、ごめんね」
「いいんです。両親もまだ、死んだわけではないですし。きっと元気にしています」
「じゃあ、あらためて訊くけど。好きなヒトって、いるの?」
「……メイさんは、どうなんですか?」
「あ、ぼく?」
「ぼくはね、ジョニーイノチって感じ。あのヒトがいるからこそ、今ぼくはここにいるわけだし」
ぼくをはじめこのディズもそうだけど、快賊団のクルーのほとんどはジョニーにひろわれた孤児だった。
あるものは親に捨てられ、あるものは親を殺された。……ぼくも後者だ。
でもそのときの記憶も、今はない。あるのは手を差し伸べてくれたジョニーだけ。
ぬいぐるみだけ持っていたぼくの前にかがんで、笑顔で立っていた彼。
ぼくにはその時彼がメシアのように見えたのかな。この人についていこうって、
そう思えた。
ぼくには絶対に忘れられない、ぼくの存在理由そのもの。
「素敵ですね、そういうのって」
少し寂しげな表情で彼女はそういった。そのときの彼女は、とても弱く、思えた。
彼女を背中から守り続ける二枚の羽根も、言葉の意味を理解したかのようにその場に漂う風を纏っていた。
ぼくはその言葉の意味が凄く気になった。
「それってどういうこと? あなたにもいるんじゃないの? そう想えるヒトが」
「よく……わかりません。私の周りには動物たちしかいなかったら」
ヒトは怖れの対象であり、ヒトは脅かすモノ。
彼女は静かに暮らしていた森での生活をニンゲンに追われ、この間の一件が起こってしまった。
彼女を守ってくれていたものは、ヒトの侵入を拒んでいた森と、その森にいた動物。
そして、彼女に中に棲んでいるモノ、だった。
「でも、大事なヒトなら、います」
「ジョニーさん」
「ちょっ……!」
「に、メイさん。それに快賊団のみなさん。あとはネクロとウンディーネに……」
……曰く、彼女にとって初めての人たちがジェリーフィッシュ快賊団なのだそうで。
ネクロとウンディーネは姿かたちを変え、常に彼女を守り続けているから。
他にあげられた人はテスタメントとか、ポチョムキンとか(これは以外)。
彼女はヒトの感情とか、かなり敏感で。感受性が優れているって言えるかもしれない。
人がどんな思いで自分とその力を交えたのかという部分を強く心に受け止めていた。
でも……。
「でも、それじゃあ……ぼくは……」
彼女は少し困った顔で微笑んだだけだった。
十月二十四日。(ジョニーの誕生日。兼、記念日)
「ジョニー誕生日オメデ、トー!」
クルー全員からの祝福を受ける彼。
あたりを見回せば、女性ばかりで男が一人もいないことに恐怖すら感じる。
何か作為的なもの……と。
ジョニーの前には長いテーブルが並べられ、さながらハイソサエティのようなテーブルクロスの上は、
煌びやかな食器と盛りつけられた料理で賑わされていた。
そのテーブルの周りを取り囲むようにクルーが席についている。
盛大にパーティは続く。だがその場にディズの姿は、ない。
そしてプレゼントが彼に渡されていった。
ぼくは最後にバースデイプレゼントを渡すことになっていた。
パーティを計画していたときは一番初めに渡すはずだったものを、
みんなに特大のプレゼントがあるといって、無理にお願いして順番を変えてもらった。
「ジョニー……あのね」
目の前にはジョニーがいる。
「どしたの? メイ。急におとなしくなっちゃって」
ぼくにプレゼントは、なかった。プレゼントを買い忘れたわけではない。
でも、それは今、渡すべきものではないと思った。
なぜなら今回のプレゼントに、最も相応しいものが他にあったから。
とても盛大で騒がしかったパーティルームは、一転して静寂に包まれていた。
その場の雰囲気を察してなのか、それとも私のプレゼントに注目しているのか。
どちらにしても、ぼくにとってはちょっとやりにくい状況だった。
「ぼくはね、ジョニーが大好きで、その大きさにあったものを選びたかったの。
でも、今回はちょっと違うものを、選んでみたの。きっと気に入ると思うの」
ぼくはジョニーの前を離れて、部屋のドアノブに手をかける。
いつもの調子で、「拍手で迎えて下さい!」と大声でいうと、
ドアノブを回して静かにドアをあける。
「ほぅ……これまたぁ……」
そこにはディズがいた。
今までとは違い、快賊団のセーラー服を着ている彼女は、
気恥ずかしげに部屋の中に一歩、また一歩とその脚をゆっくりと進める。
そして部屋の中央にあるテーブルの横を通り、彼の座る席へと近づく。
「お誕生日おめでとうございます、ジョニーさん」
まだ照れの残る表情で笑うディズはジョニーに向かって一礼する。
その動作にあわせて、ふぁさ、と音を立てて羽根が舞う。
彼女の心情に合わせて、羽根に棲む二人も今までのディズにはない感情の現れに心を躍らせているようだった。
「どう……かな」
「これ、お前さんがコーディネート、したのかい?」
「うん。っても、サイズ合わせただけだけどね」
軽く照れてみる。
「どうでしょうか……」
不安そうにディズがジョニーに尋ねる。
くるりと彼女はその場で一回転してみせると、クルーから賛美の声があがる。
「どうもこうもしねぇよ。似合ってんよ、ディズィー」
「ありがとう……ございます……!」
ディズと話をした後、私は買い物に出かけずに彼女を誘った。
まだ少し他のクルーとぎこちないディズは、船の中に居場所を感じることができず、
甲板に上がってきていたのだった。
ぼくは悲しげにそのことを打ち明けてくれたディズに対して、
とても思い違いをしていたことを理解した。
そのお詫びと、船の新しい一員として、彼女に服を仕立ててあげることにした。
既製の服では、その羽根と尾をしまっておくことができずに今まで着られなかったのだ。
ちょっと短い丈の、パンツタイプのセーラー服。彼女のスタイルがよかったので、
それが一層小さく見えてしまって、本人も見ているぼくもちょっと恥ずかしかった。
それでも、服を直しているときの彼女との会話はとても弾んだ。
彼女は、何も知らないだけの、ただの女の子だった。
感情というものを知っていくうちに、普通に笑って、普通に泣いて、
普通にコイをするであろう、一人の女の子であった。
ただ今はそれがわからないだけ、知らないだけ。たったそれだけの。
「ジョニー。お願いがあるの。今日をディズの記念日にしてくれない?
ジェリーフィッシュ快賊団のクルーとしての、初めての日に」
「お前さん。誰に向かってそんなことを言っているわーけー?」
「ジョニー……」
「この俺が、許さないとでも思ってるの?」
「じゃぁ……」
「あー……。ようこそ、ジェリーフィッシュ快賊団へ、お姫様……。
わたくし、快賊団団長の、ジョニーと申します。以後、お見知りおきを……」
席を立ってサングラスをはずし、振り上げたその手を、孤を描くようにゆっくりと下ろす。
それと同時に深く一礼し、顔を上げてあの時と変わらないスマイルを彼女に向ける。
五月のあの日、わけもわからずぼくが快賊団に入ったときと同じ笑顔で。
それがぼくはとても嬉しくて。そしてディズも。
でも、彼の笑顔がぼくだけのものではないのが少し寂しくて。
それが彼のいいところではあるのだけれど。
だから……ぼくはまだ彼の隙間に入りきれていないから……。
このプレゼントは待ち惚け。
いつの日か、彼の隙間にぼくが、ぼくの隙間に彼が入りきったときこそ。
これを渡そう。
金額なんか関係ないと、大事なのはそのココロだと知ったぼくが選んだ、
ジュエルにも勝る二つのタカラモノ。それは彼の好きなギターと……。
十一月某日。(カワリハジメタアタシタチ)
あの日を境に、ディズもぼくも変わりはじめた。
今では彼女もすっかり快賊団に馴染んでいる。
「そういえばメイさん。結局渡さなかったんですね」
その日はぼくとディズが料理当番で、ちょうど二人で晩の買出しをしているときだった。
リープに渡されたメモの通りの買い物と、少し時間が余ったのでショッピングをしていた。
ジョニーへのプレゼントのときも、ぼくとディズは一緒に買い物をしていたから、
本当のプレゼントは彼女とぼくだけの秘密っていうことね。
「ああ、プレゼント? あはは、ぼくにはまだ早いってわかったから。
だから今はおあずけなの」
「いいですね、そういうの。私はまだかなぁ……」
「だいじょうぶ! ディズにもいいヒトが現れるって!
だってこんなにかわいいんですもの」
「そうでしょうか……」
「自信持ちなさいって。このメイさんが言うんだから、間違いないよ!
あ、ジョニーだけはダメだからね」
「はい」
クス、と笑ってディズは少し駆け足になった。
何処かにいる名前も知らないアナタへ。
あたしのコイは、まだまだ続きます。
ん? プレゼントのもう一つは何かって?
それは……ヒミツです。
手を差し伸べてくれたのはあのヒト。
十月二十三日。(お金がない)
晴天。雲の中の航行がやっと終わり、船室のウィンドウから射しこむ光に目を醒ます。
手近にあったスヌーズ機能つきの時計を見ると、既に時計の短針は真昼を示すベルを鳴らそうとしていた。
スイッチをオフに入れ、時計を置き、寝る前に考えていた今日のスケジュールを、覚醒していない頭で思い出す。
既に予定は大幅に遅れていた。
まだ温もりの残るベッドから跳ね起き、急いでクローゼットの中から服を取る。
髪を整え、用意してあったいつもの快賊団の帽子をかぶり、ロングサイズのミラーの前で全身の恰好を整える。
自分の表現できる最高の笑顔を確認し、よし、と勢いよく部屋を飛び出そうとした。
だがこういうときに限って何かはあるものね。その日は、いつも絶対に忘れることのない、
フォトスタンドの中にいるジョニーへの挨拶を忘れてしまった。
そのことに気づくこともなく、半ば扉を壊しかねないようなスピードでぼくは部屋を後にした。
ぼくは先日の戦いで手に入るはずだった賞金が財布の中にないことを確認し、絶望の淵に立たされていた。
いくら部屋の壁にかかったカレンダーを見ても、毎日欠かさずにつけているダイアリーの日付を見ても、
快賊団の誰に訊こうと、それは無常にも変わることはなく。
明日がぼくの、最愛の人のバースデイだということ。
といっても、それ以前に貯めていた金額はかなりのもので、プレゼント相応の品物を買う余裕はある。
要はぼくの愛の大きさにつりあったものが買えないということ。
これはその日にあった出来事。
自室を出た後すぐ、ぼくは想い人と遭遇した。
「おっはよ~、ジョニー。今日もカッコいいね~」
「メイ~。今日は朝から、元気いいねぇ」
彼にとって何気ない言葉が、ぼくには全て詩に聞こえる。
そのウタの旋律はとても心地よく、ぼくという音符はジョニーの低音と調和し、コンチェルトを奏でる。
他の人にはそれがただ言葉を交わしているだけだとしても。
「ん~、起きてから初めて会ったのがジョニーだからだよ。でもぼくはいつも元気だけどね。ジョニーといれば」
「そっか。ま、快賊団は今のところ目標もないし、ちょっと休息も必要だしね。おまえも、少しは休んでおけよ?」
彼がぼくの目線と合うようにかがんでサングラスを取り、笑顔をくれる。
ぼくはそれだけで、今日という名の譜面に流れる曲のテンポが速くなる。
心地いい風を感じたくなり、甲板に上がる。
途中すれ違ったクルーから、何かいいことあった? と訊かれること数回。
その度に「うん。気持ちがいいから甲板にいく」と答えていた。
甲板には先客がいた。結局、この女(?)のせいでお金は手に入んなかったのよね。はぁ……。
「? どうかしましたか?」
「い、いや。なんでもないの。気にしないで、ディズィー……さん?」
「はい」
いや、にこやかに答えられても、後ろの真っ黒い人っぽいの、怖いって。
ジョニーの意向で、この賞金首……だった彼女・ディズィーは、
ジェリーフィッシュ快賊団に所属するクルーとして保護された。
保護といっても、掃除当番に炊事当番、その他、クルーとして生活してさえいれば、
基本的な生活に関しては兎角何かを言うことはない。
つまりは、「私と同じ」立場、なのよねぇ。快賊団での位置付けは別として。
ふむ。これは「ぼくの」ジョニーの危機だわね。こんな女に誑かされでもしたら、
それこそぼくの立場ってぇもんがないよ! ヤられる前に、ちょと訊いときましょか。
……決して「ジョニーがヤる」前ではないよ?
「ねぇねぇ、ディズィーさん。……むぅ、言いにくいな。ディズって呼んでもいい?」
「ええ、構いませんけど。なんでしょうか」
言葉遣いは丁寧……と。ちょっと改め。で、何から訊いたものか。
「えーと……あ、あのね。ちょっと訊きたいんだけど。あ、あの黒い髪の人って、アナタの何なの?」
う、これでは「ぼくはあの人が気になります」っていってるみたいじゃない。
ぼくはジョニーのことが訊きたいのにー。失敗だよ。
「あ、テスタメントのことですか? 彼は……」
「彼は……よくわからないんです。でも、私を守るって。そういっていました」
困惑、してるね。つまりは「ありがた迷惑」なわけね、彼は。
独りにしてくださいとか何とか、闘ってても結構言ってたしね。
「君は、彼のこと何にも想ってないの?」
「? はい? どういう……意味ですか?」
「え……っと、時にディズ。あなたおいくつ?」
「おいくつ……?」
「ああ、年齢のこと。何歳ですか? っていうことね」
見た目は……十八とかそのへんだけど。
もともとギアにニンゲンの尺度が当てはまるかどうか疑問だしね。
「えっと、生まれてから……三年が経ちました」
「それホント?」
「はい。両親が逃がしてくれる前の、最後の夜に……そう、教えてくれました……」
う。思い出したくない過去……。それはぼくにもあるし。この娘も同じ、か。
「ご、ごめんね」
「いいんです。両親もまだ、死んだわけではないですし。きっと元気にしています」
「じゃあ、あらためて訊くけど。好きなヒトって、いるの?」
「……メイさんは、どうなんですか?」
「あ、ぼく?」
「ぼくはね、ジョニーイノチって感じ。あのヒトがいるからこそ、今ぼくはここにいるわけだし」
ぼくをはじめこのディズもそうだけど、快賊団のクルーのほとんどはジョニーにひろわれた孤児だった。
あるものは親に捨てられ、あるものは親を殺された。……ぼくも後者だ。
でもそのときの記憶も、今はない。あるのは手を差し伸べてくれたジョニーだけ。
ぬいぐるみだけ持っていたぼくの前にかがんで、笑顔で立っていた彼。
ぼくにはその時彼がメシアのように見えたのかな。この人についていこうって、
そう思えた。
ぼくには絶対に忘れられない、ぼくの存在理由そのもの。
「素敵ですね、そういうのって」
少し寂しげな表情で彼女はそういった。そのときの彼女は、とても弱く、思えた。
彼女を背中から守り続ける二枚の羽根も、言葉の意味を理解したかのようにその場に漂う風を纏っていた。
ぼくはその言葉の意味が凄く気になった。
「それってどういうこと? あなたにもいるんじゃないの? そう想えるヒトが」
「よく……わかりません。私の周りには動物たちしかいなかったら」
ヒトは怖れの対象であり、ヒトは脅かすモノ。
彼女は静かに暮らしていた森での生活をニンゲンに追われ、この間の一件が起こってしまった。
彼女を守ってくれていたものは、ヒトの侵入を拒んでいた森と、その森にいた動物。
そして、彼女に中に棲んでいるモノ、だった。
「でも、大事なヒトなら、います」
「ジョニーさん」
「ちょっ……!」
「に、メイさん。それに快賊団のみなさん。あとはネクロとウンディーネに……」
……曰く、彼女にとって初めての人たちがジェリーフィッシュ快賊団なのだそうで。
ネクロとウンディーネは姿かたちを変え、常に彼女を守り続けているから。
他にあげられた人はテスタメントとか、ポチョムキンとか(これは以外)。
彼女はヒトの感情とか、かなり敏感で。感受性が優れているって言えるかもしれない。
人がどんな思いで自分とその力を交えたのかという部分を強く心に受け止めていた。
でも……。
「でも、それじゃあ……ぼくは……」
彼女は少し困った顔で微笑んだだけだった。
十月二十四日。(ジョニーの誕生日。兼、記念日)
「ジョニー誕生日オメデ、トー!」
クルー全員からの祝福を受ける彼。
あたりを見回せば、女性ばかりで男が一人もいないことに恐怖すら感じる。
何か作為的なもの……と。
ジョニーの前には長いテーブルが並べられ、さながらハイソサエティのようなテーブルクロスの上は、
煌びやかな食器と盛りつけられた料理で賑わされていた。
そのテーブルの周りを取り囲むようにクルーが席についている。
盛大にパーティは続く。だがその場にディズの姿は、ない。
そしてプレゼントが彼に渡されていった。
ぼくは最後にバースデイプレゼントを渡すことになっていた。
パーティを計画していたときは一番初めに渡すはずだったものを、
みんなに特大のプレゼントがあるといって、無理にお願いして順番を変えてもらった。
「ジョニー……あのね」
目の前にはジョニーがいる。
「どしたの? メイ。急におとなしくなっちゃって」
ぼくにプレゼントは、なかった。プレゼントを買い忘れたわけではない。
でも、それは今、渡すべきものではないと思った。
なぜなら今回のプレゼントに、最も相応しいものが他にあったから。
とても盛大で騒がしかったパーティルームは、一転して静寂に包まれていた。
その場の雰囲気を察してなのか、それとも私のプレゼントに注目しているのか。
どちらにしても、ぼくにとってはちょっとやりにくい状況だった。
「ぼくはね、ジョニーが大好きで、その大きさにあったものを選びたかったの。
でも、今回はちょっと違うものを、選んでみたの。きっと気に入ると思うの」
ぼくはジョニーの前を離れて、部屋のドアノブに手をかける。
いつもの調子で、「拍手で迎えて下さい!」と大声でいうと、
ドアノブを回して静かにドアをあける。
「ほぅ……これまたぁ……」
そこにはディズがいた。
今までとは違い、快賊団のセーラー服を着ている彼女は、
気恥ずかしげに部屋の中に一歩、また一歩とその脚をゆっくりと進める。
そして部屋の中央にあるテーブルの横を通り、彼の座る席へと近づく。
「お誕生日おめでとうございます、ジョニーさん」
まだ照れの残る表情で笑うディズはジョニーに向かって一礼する。
その動作にあわせて、ふぁさ、と音を立てて羽根が舞う。
彼女の心情に合わせて、羽根に棲む二人も今までのディズにはない感情の現れに心を躍らせているようだった。
「どう……かな」
「これ、お前さんがコーディネート、したのかい?」
「うん。っても、サイズ合わせただけだけどね」
軽く照れてみる。
「どうでしょうか……」
不安そうにディズがジョニーに尋ねる。
くるりと彼女はその場で一回転してみせると、クルーから賛美の声があがる。
「どうもこうもしねぇよ。似合ってんよ、ディズィー」
「ありがとう……ございます……!」
ディズと話をした後、私は買い物に出かけずに彼女を誘った。
まだ少し他のクルーとぎこちないディズは、船の中に居場所を感じることができず、
甲板に上がってきていたのだった。
ぼくは悲しげにそのことを打ち明けてくれたディズに対して、
とても思い違いをしていたことを理解した。
そのお詫びと、船の新しい一員として、彼女に服を仕立ててあげることにした。
既製の服では、その羽根と尾をしまっておくことができずに今まで着られなかったのだ。
ちょっと短い丈の、パンツタイプのセーラー服。彼女のスタイルがよかったので、
それが一層小さく見えてしまって、本人も見ているぼくもちょっと恥ずかしかった。
それでも、服を直しているときの彼女との会話はとても弾んだ。
彼女は、何も知らないだけの、ただの女の子だった。
感情というものを知っていくうちに、普通に笑って、普通に泣いて、
普通にコイをするであろう、一人の女の子であった。
ただ今はそれがわからないだけ、知らないだけ。たったそれだけの。
「ジョニー。お願いがあるの。今日をディズの記念日にしてくれない?
ジェリーフィッシュ快賊団のクルーとしての、初めての日に」
「お前さん。誰に向かってそんなことを言っているわーけー?」
「ジョニー……」
「この俺が、許さないとでも思ってるの?」
「じゃぁ……」
「あー……。ようこそ、ジェリーフィッシュ快賊団へ、お姫様……。
わたくし、快賊団団長の、ジョニーと申します。以後、お見知りおきを……」
席を立ってサングラスをはずし、振り上げたその手を、孤を描くようにゆっくりと下ろす。
それと同時に深く一礼し、顔を上げてあの時と変わらないスマイルを彼女に向ける。
五月のあの日、わけもわからずぼくが快賊団に入ったときと同じ笑顔で。
それがぼくはとても嬉しくて。そしてディズも。
でも、彼の笑顔がぼくだけのものではないのが少し寂しくて。
それが彼のいいところではあるのだけれど。
だから……ぼくはまだ彼の隙間に入りきれていないから……。
このプレゼントは待ち惚け。
いつの日か、彼の隙間にぼくが、ぼくの隙間に彼が入りきったときこそ。
これを渡そう。
金額なんか関係ないと、大事なのはそのココロだと知ったぼくが選んだ、
ジュエルにも勝る二つのタカラモノ。それは彼の好きなギターと……。
十一月某日。(カワリハジメタアタシタチ)
あの日を境に、ディズもぼくも変わりはじめた。
今では彼女もすっかり快賊団に馴染んでいる。
「そういえばメイさん。結局渡さなかったんですね」
その日はぼくとディズが料理当番で、ちょうど二人で晩の買出しをしているときだった。
リープに渡されたメモの通りの買い物と、少し時間が余ったのでショッピングをしていた。
ジョニーへのプレゼントのときも、ぼくとディズは一緒に買い物をしていたから、
本当のプレゼントは彼女とぼくだけの秘密っていうことね。
「ああ、プレゼント? あはは、ぼくにはまだ早いってわかったから。
だから今はおあずけなの」
「いいですね、そういうの。私はまだかなぁ……」
「だいじょうぶ! ディズにもいいヒトが現れるって!
だってこんなにかわいいんですもの」
「そうでしょうか……」
「自信持ちなさいって。このメイさんが言うんだから、間違いないよ!
あ、ジョニーだけはダメだからね」
「はい」
クス、と笑ってディズは少し駆け足になった。
何処かにいる名前も知らないアナタへ。
あたしのコイは、まだまだ続きます。
ん? プレゼントのもう一つは何かって?
それは……ヒミツです。
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