26.友
「メイ……さん」
「メイ!」
「エイプリル……さん」
「エイプリル、だよ」
小さく身体を強張らせて――緊張しているのかもしれない、ディズィーは一生懸命に口を動かしていた。
けれどやっぱりなんだか気恥ずかしい。
「んもう、ディズィーったら、ボク達がディズィーって呼んでるのにディズィーの方がさん付けじゃ何だか可笑しいじゃん」
ああ、メイさんが膨れっ面をしている。
さっきから自分がこんな調子だから。
「しょうがないよ、今まで呼び捨てで呼んだ事なかったん、だよ、ね?」
エイプリルさんが愛嬌のあるそばかす顔に苦笑を浮かべている。
……ごめんなさい。
「えぇと、ジョニーが迎えに行くまでおじさんと二人で暮らしてたんだっけ、ディズィーって」
「……リスとかを含めなければ、そうなります」
恐縮しきった表情で、小さくディズィーが答える。そう、あの黒髪のギアの事もディズィーはテスタメントさんと、そう呼んでいたのだから今でも身近にいる人に呼び捨てでなど話せない。
「んーでもさ、その人はディズィーより目上っていうかずっと年上って感じだったからさん付けで呼んでたんでしょ?」
「ええ……多分」
「だったら、ボク達は対等なんだからさ、やっぱり呼び捨てで呼んで欲しいなぁ。別にちゃん付けでもいいけど、やっぱり呼び捨てかな。
ね、エイプリル?」
「そうねぇ……ま、あたしはゆっくりでもいいけど」
エイプリルがそう答えると、メイは若干不満そうにまた頬を膨らませた。
「でもー、ボク達家族で、友達なんだよ?」
「友達……」
聞き慣れない言葉であるかのようにディズィーが鸚鵡返しに呟く。それを聞いてメイとエイプリルは同じに微笑んだ。
「そ、友達」
「ボク達は友達で親友なんだよ!」
なんでもないのにディズィーは泣きそうになった。
「さぁ、だから、ディズィー」
ああ、嬉しいんですけれども。
「ま、もうちょっと頑張ってみよっか」
はい、頑張ってみます。
「め、メイ……」
「お!」
「……さん」
「……」
「……」
「……すみません」
「やっぱしょうがないよ、ディズィー」
「うー」
「唸らないでよ、メイ。
ほら、これからゆっくり呼び方も変えていこうね、ディズィー」
「……はい」
だって、折角友達なんですものね。
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バンダナを巻いた、ショートカットの娘がきょろきょろと街中を歩き、こう言う。
「あの、海賊みたいな帽子かぶって、錨持った女の子見ませんでしたか?」
知らない、と横に顔を振られ、娘は消沈していた。
ありがとう、といって笑って通行人と別れ公園に入る。
はあ、と溜息を一つ。
『…全く。メイどこ行っちゃったのかしら』
彼女、ジェリーフィッシュ団のエイプリルはとりわけメイと仲がいい。
皆家族のような仲だが、それでも年の差や性格から差は多少でる。
その一つの形だった。
そういう理由といつもエイプリルがいう(自称、なのだが…)情報通をもう一つの理由にして、航海士のエイプリルが家出のメイを探すハメとなった。
『もぉ……そりゃあんたがジョニーに首っ丈ってのは解るけどさぁ』
近頃その件の男はクルーのスカウトやら何やらで出回ってばかりだ。
おまけにメイはいつもタイミング悪く帰船しないものだから入れ替わりで数日顔も見ていない。
そういうわけで恋する乙女はジョニーに会うまでは船に戻らない、と言い出した。
当然もう一人の保護者は猛反対だ。
メイはだからといって止める子じゃない。
『かえってジョニーが心配するって、なんでわかんないかな、あの子はぁ…!!』
心配するジョニーを見てて心配なのはこっちなんだから。
それだけ皆あんたのことも、ジョニーのことも心配なのに。
「貴女だったのね」
エイプリルが声の主を見るとそこにいたのは美しい金髪の女性であった。
「あ、ミリア、さんですよね?」
何度かメイに紹介してもらった覚えがあった。
あの大会で話すようになって、エイプリルにも会わせたかったの、とか言っていたっけ。
「丁度良かった!!」
エイプリルはポンと手をたたいた。
何を言いたかったか直ぐにわかったらしくミリアは(微かにだけ)微笑んで草叢を態度で示す。
まさか…と草叢を見る。
そして案の定気持ちよさそうに眠るメイの姿が…。
「ちょ…メ…!!」
「もう少し、このまま眠らせてあげてもらえるかしら…。さんざ泣いてさっき寝たばっかりだから」
そしてミリアはポツリポツリと、押し黙ったエイプリルに告げた。
「…此処でね、彼女に引き止められたの……『どうしたら、好きだって伝えられるの』ってね」
エイプリルはそっと自分の髪を撫でた。
「…」
「私には解らなかったの、なんて答えるべきか。そうしたら急に泣き出して。男も見つからないし、皆怒ってるから今船に戻れないって言い出したわ」
急に、ミリアは悲しげになった。
エイプリルはミリアの過去は知らないが、きっと辛いことがあったんじゃないか、と思う。
いつか、話せるようになる日は来るのかしら、とも。
「でもメイは幸せだわ…まだ子供で、気づけていないけれど」
何も返せない。
「…貴女、朝から、夕方今の今までずーっと探していたでしょう?」
自分の顔が赤くなるのを感じる。
必死になって気づかなかったが確かにエイプリルは昼食もとっていなかった。
「う…でも、なんで」
もしかして必死なところ見られてたとか?
それじゃかえって恥ずかしいかもしれない。
「本当は、メイも気づいていたみたいよ」
ミリアはふわりと立ち上がった。
「だから泣いてた。自分でどうしたらいいかわからなくなってしまったのね」
エイプリルはポリポリと頬を引っかいた。
「二人とも、その気持ち忘れないでいて欲しいわ………私には、もう、持てない気持ちだから」
終
「あの、海賊みたいな帽子かぶって、錨持った女の子見ませんでしたか?」
知らない、と横に顔を振られ、娘は消沈していた。
ありがとう、といって笑って通行人と別れ公園に入る。
はあ、と溜息を一つ。
『…全く。メイどこ行っちゃったのかしら』
彼女、ジェリーフィッシュ団のエイプリルはとりわけメイと仲がいい。
皆家族のような仲だが、それでも年の差や性格から差は多少でる。
その一つの形だった。
そういう理由といつもエイプリルがいう(自称、なのだが…)情報通をもう一つの理由にして、航海士のエイプリルが家出のメイを探すハメとなった。
『もぉ……そりゃあんたがジョニーに首っ丈ってのは解るけどさぁ』
近頃その件の男はクルーのスカウトやら何やらで出回ってばかりだ。
おまけにメイはいつもタイミング悪く帰船しないものだから入れ替わりで数日顔も見ていない。
そういうわけで恋する乙女はジョニーに会うまでは船に戻らない、と言い出した。
当然もう一人の保護者は猛反対だ。
メイはだからといって止める子じゃない。
『かえってジョニーが心配するって、なんでわかんないかな、あの子はぁ…!!』
心配するジョニーを見てて心配なのはこっちなんだから。
それだけ皆あんたのことも、ジョニーのことも心配なのに。
「貴女だったのね」
エイプリルが声の主を見るとそこにいたのは美しい金髪の女性であった。
「あ、ミリア、さんですよね?」
何度かメイに紹介してもらった覚えがあった。
あの大会で話すようになって、エイプリルにも会わせたかったの、とか言っていたっけ。
「丁度良かった!!」
エイプリルはポンと手をたたいた。
何を言いたかったか直ぐにわかったらしくミリアは(微かにだけ)微笑んで草叢を態度で示す。
まさか…と草叢を見る。
そして案の定気持ちよさそうに眠るメイの姿が…。
「ちょ…メ…!!」
「もう少し、このまま眠らせてあげてもらえるかしら…。さんざ泣いてさっき寝たばっかりだから」
そしてミリアはポツリポツリと、押し黙ったエイプリルに告げた。
「…此処でね、彼女に引き止められたの……『どうしたら、好きだって伝えられるの』ってね」
エイプリルはそっと自分の髪を撫でた。
「…」
「私には解らなかったの、なんて答えるべきか。そうしたら急に泣き出して。男も見つからないし、皆怒ってるから今船に戻れないって言い出したわ」
急に、ミリアは悲しげになった。
エイプリルはミリアの過去は知らないが、きっと辛いことがあったんじゃないか、と思う。
いつか、話せるようになる日は来るのかしら、とも。
「でもメイは幸せだわ…まだ子供で、気づけていないけれど」
何も返せない。
「…貴女、朝から、夕方今の今までずーっと探していたでしょう?」
自分の顔が赤くなるのを感じる。
必死になって気づかなかったが確かにエイプリルは昼食もとっていなかった。
「う…でも、なんで」
もしかして必死なところ見られてたとか?
それじゃかえって恥ずかしいかもしれない。
「本当は、メイも気づいていたみたいよ」
ミリアはふわりと立ち上がった。
「だから泣いてた。自分でどうしたらいいかわからなくなってしまったのね」
エイプリルはポリポリと頬を引っかいた。
「二人とも、その気持ち忘れないでいて欲しいわ………私には、もう、持てない気持ちだから」
終
「おーここに居たか」
快賊団の船に戻ったジョニーは、甲板に一人居るエイプリルに口を開いた。
「あっ、ジョニーおかえりー!!収穫あった?」
手元の海図(といっても空の上なのだが)から目を離しエイプリルは元気に問う。
一方ジョニーは数歩歩いて首を軽く傾げた。
どうやらまあまあの収穫だった様だ。
少し間が空いた所でエイプリルは黙っているジョニーに話しかけた。
「どうしたの?そんな所に突っ立ったままで」
海図を型どおりに畳みながらジョニーの顔を覗き込む。
サングラスを弄りながら、珍しく言いにくそうにしてる。
だがそんなことは見せない様ないつもの軽い口調でジョニーは言った。
「なぁーエイプリル。おまえさん、明日ちょいとメイと町で買い物してきてくれないか?」
エイプリルは少し目を見開いたが、何かに気が付いたらしくあっさりと切り返す。
「だーめ。ジョニーがいってあげなよ」
「そうか」寸秒の間。
「……って、おーいおい…」
爽やかで突き抜けるような空の下には薄い雲の海が広がっている。
青い青い空の下で髪を手で押さえるエイプリルに、ジョニーは苦虫を噛み潰した顔で改めて口を開いた。
「エーイプリルーぅー…なんなんだー?、いきなりわがままっ子になってー…」
何も言わない相手に、ははぁん、と顎に手を当て笑いながらジョニーは続ける。
「最近留守ばっかだったから拗ねちまったかー?しょーがないねー。けど、俺の愛は平等(女性に限る)なのよ?」
エイプリルは肩を竦めた。
其れから少し口を尖らせて溜息混じりに呟く。
「あのねー…、明日っつったらメイの誕生日(正確には拾われた日)じゃない」
「そうそう。だから明日は二人で思う存分…」
あー、と頭を抱えて解っているのか居ないのか解らないジョニーを見た。
「だーかーらー!!それだから言ってんの!!」
メイとエイプリルはクルーの中でも仲がいい。
故にエイプリルはメイの執心ぶりを良く知っているわけで…。
「エイプリル」
ジョニーの真面目な言い方でハッとする。
帽子とサングラスで表情が見えない。
「良いか。さっきもいったよーに、俺の愛は平等(女性に限る)だ」
ジョニーは空を見た。
同じくエイプリルもつられて空を見る。
「俺たち快賊団はこの広ーい青空の下でなーんの不幸もなくやってきてる」
エイプリルは心の中でそっと、多少の経済問題はあるかな、と思いつつもそのまま口を出さなかった。
「だがね、俺たちが上から見てる、雨雲の下では苦しい思いをしているレィディーもたーくさん居るわけだ」
ジョニーはびしっと青空を指差しながらエイプリルの肩に手を置いた。
「そういうレィディー達に手を差し延べ、このビューティフルな青空の元に招くのも俺の使命なのだ。わかっておくれ」
「ジョニー…」
わかってくれたか、という顔でエイプリルを見る。
「メイの誕生日は、年に一回しかないんだよ?」
勿論皆も同じ事だ。
「お願いだから明日はジョニーが行ってあげて」
真剣なエイプリルの顔を見、ジョニーは笑いながら溜息を吐いた。
「ま、ウチの可愛ーいお嬢さんが真面目に頼むんじゃあーしょうがないな」
終
快賊団の船に戻ったジョニーは、甲板に一人居るエイプリルに口を開いた。
「あっ、ジョニーおかえりー!!収穫あった?」
手元の海図(といっても空の上なのだが)から目を離しエイプリルは元気に問う。
一方ジョニーは数歩歩いて首を軽く傾げた。
どうやらまあまあの収穫だった様だ。
少し間が空いた所でエイプリルは黙っているジョニーに話しかけた。
「どうしたの?そんな所に突っ立ったままで」
海図を型どおりに畳みながらジョニーの顔を覗き込む。
サングラスを弄りながら、珍しく言いにくそうにしてる。
だがそんなことは見せない様ないつもの軽い口調でジョニーは言った。
「なぁーエイプリル。おまえさん、明日ちょいとメイと町で買い物してきてくれないか?」
エイプリルは少し目を見開いたが、何かに気が付いたらしくあっさりと切り返す。
「だーめ。ジョニーがいってあげなよ」
「そうか」寸秒の間。
「……って、おーいおい…」
爽やかで突き抜けるような空の下には薄い雲の海が広がっている。
青い青い空の下で髪を手で押さえるエイプリルに、ジョニーは苦虫を噛み潰した顔で改めて口を開いた。
「エーイプリルーぅー…なんなんだー?、いきなりわがままっ子になってー…」
何も言わない相手に、ははぁん、と顎に手を当て笑いながらジョニーは続ける。
「最近留守ばっかだったから拗ねちまったかー?しょーがないねー。けど、俺の愛は平等(女性に限る)なのよ?」
エイプリルは肩を竦めた。
其れから少し口を尖らせて溜息混じりに呟く。
「あのねー…、明日っつったらメイの誕生日(正確には拾われた日)じゃない」
「そうそう。だから明日は二人で思う存分…」
あー、と頭を抱えて解っているのか居ないのか解らないジョニーを見た。
「だーかーらー!!それだから言ってんの!!」
メイとエイプリルはクルーの中でも仲がいい。
故にエイプリルはメイの執心ぶりを良く知っているわけで…。
「エイプリル」
ジョニーの真面目な言い方でハッとする。
帽子とサングラスで表情が見えない。
「良いか。さっきもいったよーに、俺の愛は平等(女性に限る)だ」
ジョニーは空を見た。
同じくエイプリルもつられて空を見る。
「俺たち快賊団はこの広ーい青空の下でなーんの不幸もなくやってきてる」
エイプリルは心の中でそっと、多少の経済問題はあるかな、と思いつつもそのまま口を出さなかった。
「だがね、俺たちが上から見てる、雨雲の下では苦しい思いをしているレィディーもたーくさん居るわけだ」
ジョニーはびしっと青空を指差しながらエイプリルの肩に手を置いた。
「そういうレィディー達に手を差し延べ、このビューティフルな青空の元に招くのも俺の使命なのだ。わかっておくれ」
「ジョニー…」
わかってくれたか、という顔でエイプリルを見る。
「メイの誕生日は、年に一回しかないんだよ?」
勿論皆も同じ事だ。
「お願いだから明日はジョニーが行ってあげて」
真剣なエイプリルの顔を見、ジョニーは笑いながら溜息を吐いた。
「ま、ウチの可愛ーいお嬢さんが真面目に頼むんじゃあーしょうがないな」
終
この風に吹かれ
何を想うのか
冴え冴えと過ぎるのは
その優しい笑顔
その穏やかさは
暖かな微風の悪戯か……
「……あれ?どしたの、おじさん?」
ある日の昼下がり。草原の真中で寝転がっていたポチョムキンは、ふと耳に聞こえてきた声に首をめぐらせた。可愛らしい少女の声だったが、何せ自分がこれだけの巨漢なため、大体の位置が分かってもそれを目に留めるのが難しい。
どうしたものか無言で困っていると、目の前に一人の少女が顔を覗かせてきた。栗色の髪に、オレンジ色の快賊帽。ポチョムキンは、ああ、と納得したように目を細める。
「快賊団の…どうした?」
「どうもしないよ!おじさんがこんな所に倒れてるから…。」
ぴょん、と小首をかしげながら言う快賊団の少女…メイを見ながら、ポチョムキンは別に倒れていたわけでは無いのだが、と心の中で思う。持ち前の寡黙な性格のせいで、それを口に出す事は無かったのだけれど。メイが、ポチョムキンの前に膝をついて座った。
心配そうに覗き込んでくるのを、怪訝な目で眺めていると、彼女は小声で何事か呟いた。聞き取れずに聞き返す前に、彼女は立ち上がってパタパタと移動していく。何だろう、と思って状態を起こそうとすると、足の方から叱咤の声が飛んできた。
「おじさん動かないで!ボクを潰す気!?」
「い…いや…。」
メイの言葉の意味は相変わらず分からないままだったが、ポチョムキンはとりあえずその叱咤の声に従うままに動きを止める。
しばらく、足元でメイがせっせと動き回っている気配を感じていると、やがて彼女がピコピコと音を立てながら目の前に戻ってきた。むぅ、と頬を膨らませながら、人差し指を立てて声を張り上げる。
「おじさん、足怪我してる!ボク治療道具持ってくるから、動かないでね?」
「……怪我?」
「うん。待っててよ?」
それだけ言って、メイは返事も待たずに走り去っていった。後には、呆然とその背中を見送るポチョムキンの巨体が残される。彼は、言われたとおりに動かないままでいたが、だんだんメイの言っていた「怪我」というのがどのくらいのものなのか気になり始めていた。メイに指摘されるまで、気付かなかったぐらいなのだ。
頭を擡げて、足元を見てみる。よく見えないが、確かに赤いものが見える、気がする。彼は頭をまた草の上に戻し、溜め息をついた。
「…全く気付かなかった…。」
自分はそこまで鈍くないと思っていたのに。痛みさえも無かったから、てっきり無傷か、傷があっても塞がっているものとばかり思っていた。まさか、現在進行形で血が流れていようとは。少し、自分に呆れが来る。
やがて、瞼の上に腕を載せて目を閉じていると、あのピコピコと言う音が遠くから戻ってきた。目を開ける前に、彼女はポチョムキンの顔の前に腰を屈めて来た。
「おじさん、あのね、治療するけど。」
「…何だ?」
「ボク、こういうの慣れてないから、痛いかも。」
目を開けて、申し訳無さそうな彼女を見て、ポチョムキンは小さく笑った。大きな手を伸ばして、彼女に負担がかからないようにそっと優しく撫でる。無骨な手だが、意外と優しいその手つきに、メイは少し驚いたように目を見開いた後、くすぐったそうに笑った。
「じゃ、さっさとやっちゃうね?」
「ああ…世話をかける。」
早速、足元にメイが走って行く。それを見送って数秒後、足に何か痛みらしきものが走った。いや、痛くは無いのだが、足元でメイが何かしているらしいことは分かる。本当に、自分などのためによくやってくれるものだ。その小さな喜びを抱きながら、ポチョムキンは自らの足に触れる小さな手を感じていた。
が、それもしばらくして、ポチョムキンはふとした事に気付く。慌てて、彼は頭を擡げて、未だせっせと手を動かしているメイに視線を投げかけた。それに気付いて、メイが顔を上げる。
「ん~?おじさん、どうかした?」
「いや…大変だろう?こんな巨体に治療を施すのは…。」
ポチョムキンの危惧は、メイのように小さな人間が、自分のような巨漢の中の巨漢を治療するのはかなり疲れるのでは無いかというものだったのだが。その予想に反して、メイはかなり元気な声で応えてくれた。
「全然!ボク、ちょっと大きい人治療したぐらいじゃへばらないよ。」
「そ、そうか…。なら良いが。」
「それにさ、ボク労働の後の風好きなんだ。」
メイの嬉しそうな言葉に、ポチョムキンが反応する。それに気付いたかどうかは定かでは無いが、彼女はてきぱきと手を動かしながら言葉を紡いで行く。
「汗かいてるとさ、吹いてく風がとっても気持ち良いの!」
「……風邪を引くぞ。」
「もう!そんなヘマしないってば!」
メイが頬を膨らませているのが想像できて、ポチョムキンはくくっ、と笑い声を漏らした。それを敏感に聞き取ったメイが、今度こそ本当に頬を膨らませる。「もう!」と言って、彼女はポチョムキンの傷口を軽く叩いた。それは大して、というよりも全く痛くないのだが、ポチョムキンはとりあえず小さく声をあげてみる。大人の大人気ない冗談のつもりだったのだが、メイは本気に取ってしまったらしく。
「ごごごごめん!痛かった!?痛かったよね、ボク怪力で…あぁぁごめん!」
「い…いや、痛くは無かった…冗談だから、気にするな。」
ポチョムキンが逆におろおろしながらいうと、メイはほっとした表情を浮かべつつ、それでも心配そうに足元から声を投げかけてくる。
「本当に大丈夫?痛かったら言っていいからね?」
「大丈夫だ。心配するな。」
低い声でそう告げると、メイは「うん!」と元気よく返事をして、もうすぐ終わるから、と言いながら傷口に手をかけ始めた。ポチョムキンのさっきの冗談をまだ気にしているのか、気持ち程度丁寧な手つきになっている。それを心地よく思いながら、ポチョムキンは目を閉じた。
足には痛みがなく、まるでマッサージでも受けているような感覚に、睡魔が押し寄せてくる。仕事疲れだろうか。別に睡魔を堪える必要は無いはずなのだが、律儀なポチョムキンはメイ一人に労働させておいて自分だけ眠っているなどという事はできなかった。必死で眠気を耐えている間にも、睡魔はその力を増していき、ついにポチョムキンはうとうとと眠りの中に沈んでいってしまった。足元では、まだメイが心地よいぐらいの治療を施してくれている……。
・・ ・・ ・・
「おじさーん…寝ちゃった~?」
ふと目を開けば、そこにはメイの顔があった。驚きのあまり、一瞬息が詰まる。が、メイの方は別に気にしていないようで、ああ起きた、というぐらいのテンションで微笑みかけてくる。彼女は、自分を見つめてくるポチョムキンの頭に手を伸ばしてわしゃわしゃと掻き回した。その行動が唐突過ぎて、ポチョムキンは一瞬何の反応もできなくなる。それを見ながら、メイは楽しげに笑った。
「ね、治療終わったから、もう立ってもいいよ。」
「…ああ。」
ポチョムキンは、緩慢な動作で上体を起こした。足を見やれば、やや不器用に巻かれた包帯が目に入る。血が染みていないところを見ると、きちんと血が止まったのを確認してから巻いてくれたのだろう。こんなに小さいのに、親切で的確な判断のできる子だ。きっと、保護者が良いのだろう。大きな手で包帯の上から触れてみると、その包帯が何故かしっとりと濡れていて。別に水をかけたような湿り方でもなかったのだが、気になって彼はメイを伺い見た。そして、その時ようやく、彼女が汗をびっしょりとかいているのに気付く。
そんなに動き回らなければならないような体はしていないはずだが、と気にしていると、視線に気付いたメイが「えへへ」と笑った。
「これ、一旦シップまで包帯取りに行ってたもんだから…。」
肝心の包帯を忘れてきていたとは、聡明な彼女も微妙に抜けているな、とポチョムキンは吹き出した。何とも、愛らしい少女だ。そんな事を考えているとは露知らず、単純に笑われた所にだけ捻ね始める。むぅ~、と声を出す彼女に微笑みかけながら、ポチョムキンはまたふわりとメイの頭に手を置いた。優しく撫でてやれば、単純なもので、メイは嬉しそうに首を竦める。それを何ともなしに眺めていると、ふと穏やかな風が吹いた。感じるか感じないか程度の微風なのに、それはふわりとメイの髪を揺らして。その様子が印象的で、ポチョムキンはついその様子を見つめてしまった。
視線に気付いて、メイが首を傾げる。どうしたの、と笑顔で言われて、ポチョムキンは我に返った。が、先程のメイの笑顔を忘れたくないために、いそいそとズボンの後ろのポケットから小さなメモ帳と彼の筆圧にも耐える鉛筆を取り出す。小首を傾げて不思議そうに見つめてくるメイに、ポチョムキンは静かに問い掛けた。
「手当ての礼といっては難だが、…一枚描きたい。良いだろうか?」
「え…ボク?」
「ああ。是非描かせてほしい。」
ポチョムキンが言うと、メイは少し照れたようにはにかんで、小さく頷いた。それを合図に、ポチョムキンはメモ帳のページをめくり、まだ何も書いていないところにさらさらとメイの顔を書き写し始めた。ふわりと、微風に彼女の髪が揺れるたびに、優しい気持ちになる。その靡く髪の一筋まで、キャンバスに描けたら良いのに。
そんな願いを込めてポチョムキンが絵を描き上げると、早く見たくて仕方が無かったらしいメイが横から覗き込んできた。見やすいように手渡してやると、メイはそれを受け取り、ほんのりと頬を染めた。一人前の女性のように恥じらいを見せる彼女に、ポチョムキンは愛しさを感じる。メイは、俯きながらメモ帳をポチョムキンに手渡し、ぽつぽつと言葉を紡いだ。
「ボク、そんなに美人じゃないよ…?」
「そんな事は無い。太陽のように明るくて、風のように穏やか。充分だろう?」
「…だってボクまだガキだよ?」
「これからだ。」
ポチョムキンは、メモ帳のそのページを丁寧に切り取って、メイに差し出した。驚くメイに、「礼だ」と言って手渡す。本当は彼女のこの笑顔を忘れたくないがために描いたものだが、一度描いてしまえばこの頭から離れていく事は無い。それなら、これは渡してしまっても構わない。自分の分は、また後で描けばいいのだから。
似顔絵を受け取って、しばらくそれを眺めていたメイは、嬉しそうに表情を綻ばせた。「これからか」と小さく呟いたのが、ポチョムキンの耳にも届く。メイは、未だ上体を起こした状態のままのポチョムキンの額に優しく口付けると、悪戯っぽく片目を閉じた。ただし、妙に恥ずかしそうなものではあったのだが。
「お礼のお礼!それじゃおじさん、もう怪我しないようにね!」
「ああ…世話になった。」
「じゃあね~!」
メイは、赤く紅潮した顔を隠すように踵を返し、ぴこぴこぴこぴこ、と可愛らしい音を立てながら走っていった。汗をかくほど頑張って手当てをしてくれたのに、まだ走るほどの元気があるとは。そんな事を考えながら、ポチョムキンは口付けられた額にそっと手を触れた。あのぬくもりが、まだそこに残っているような気がして。そのまま数分間、彼は固まったように動かず、メイの走り去る姿を見えなくなるまで見送っていた。
彼の体と、メイの栗色の髪を、本日数度目の穏やかな微風が優しく撫でていく……。
この風に吹かれ
何を想うのか
優しく穏やかに
それは駆けていく
この胸に暖かく
緩やかに吹き抜けて
それはまるで微風の如く
この風に吹かれ
大切な何かを想う……
fin