Beautiful Hair ?
「カイさん髪伸びたねー」
おかわり分の紅茶を入れようとして、
顔にかかった自分の前髪をカイが払ったのを見て、唐突にメイが言った。
巴里にある、カイの家。
メイの隣にはディズィー、少しずれてアクセルも座っており、
皆の前にある大きめのテーブルの上には、ケーキと紅茶が並べられている。
――事の発端は、4時間程前にさかのぼる。
昼の時間帯に近付くにつれ、段々と人の数が増して
賑わいだした巴里の商店街をカイは歩いていた。
歩調に合わせるように揺れる長めの上着は、警察機構の制服である。
この商店街を抜けた先に、目的の部署のある建物が建っている。
真っ直ぐそちらに歩みを進めていたカイの足が、ふと止まった。
今、見覚えのある姿が見えたような。
確かめようと少しそちらに近付くと、
傍を通り過ぎる大人に時々隠れてしまうが、
どこか頼りない足取りで歩くその人物は、確かに見知った顔だった。
黒とオレンジで統一された服と、同じくオレンジ色をした大きめの帽子。
長めの髪を、その帽子に通して高い位置で止めている。
いつも手にしている愛用の武器、船のイカリはないようだが。
どうして、こんなところに?
「メイさん?」
「…?!」
声の届くところまで近付いてから声を掛けると、
振り返りかけたメイは何故か突然、カイから逃げるように走り出す。
「ちょっ…メイさん!何で逃げるんですかっ」
「ひ、人違いよっ!私は快賊団のメイなんかじゃ…」
「…私です、カイ=キスクです!」
「!……カイさん?」
距離を離される前に追いついて名乗ると、メイは驚いたように振り返り、
カイの顔を認めてやっとその足を止める。
「なあんだ、てっきり警察の人かと思っちゃった」
「…………一応、警察です」
どうやらカイの着ている制服を見て逃げたらしい。
メイなどはその容姿や明るく活発な性格のせいで時々忘れそうになるが、
彼女の家族――ジェリーフィッシュ快賊団は、
義賊ではあるが世界中の警察機関に手配がかけられ、賞金首にもなっている。
メイとて例外ではない。
でも、
「またまた~。もし前みたいにジョニーが捕まったらよろしくね、カイさんv」
「はぁ…」
やはりこの少女を相手に逮捕しようなどという気はおきない。
にっこり笑いながら、人の行き交う往来で、
国際警察機構の長官に白昼堂々とんでもないお願いをする賞金首の少女に、
思わず返事を返してしまってから、カイは小さく笑った。
「それで、どうしてあなたがこんな所にいるんです?」
さっき思った事を聞いてみると、
メイは大きな目をきょろきょろと動かして周りを見やる。
「それが、ディズィーと買い物に来たんだけど、ここ初めてで…。
いつの間にかディズィーがいなくなっちゃって」
「つまり、ディズィーさんとはぐれてしまった訳ですね?」
「うん」
先程の心許ない歩き方に合点がいって、カイは軽く辺りを見回した。
初めて来たというメイでは、ディズィーを探している内に
自分が道に迷ってしまう事もありうる。
それに、まだ人間の暮らす世界に不慣れであるディズィーも心配である。
何より、友人が困っているのを放っておく訳にはいかない。
カイは即座に決断を下すと、少しかがむようにして、メイと目線を合わせた。
「では、私もお手伝いしますから、一緒にディズィーさんを探しましょう」
「いいの?…でもカイさん、仕事の途中じゃ」
「ああ、いいんですよ。急ぎの用ではありませんから」
それを聞いてぱっと明るくなったメイの表情につられるようにして、カイも笑った。
巴里の街は広い。
とは言っても、買い物に来たのだから、多分商店街のどこかにいるだろう。
次々とすれ違う人にも注意を配りながら、
カイとメイは1軒ずつ店を覗いて歩いていく。
ふと、何かに服を引っ張られているのに気付いて、カイは視線を落とす。
そこにあったのは、メイの手だった。
巴里の地理をよく知っている自分はともかく、そうでないメイはやはり不安なのだろう。
カイとはぐれないようにしているのか、カイの制服を掴んだまま、
必死に辺りを見回しながら、メイは一緒に歩いている。
子供扱いされるのを嫌がるメイだが
(自分も若干1名に似たような扱いをされるのでちょっと親近感を抱いてしまったりもする)、
こういうところは歳相応で、かわいらしいと思う。
知らず笑みをこぼしたカイの視界に、探している人物が飛び込んできた。
「あ、あそこにいましたよ」
「ディズィー!!」
カイが示した方向にディズィーの姿を見つけると、
メイはカイから手を放して駆けていく。
ディズィーがいたのは、ケーキ店のショーウインドウの前だった。
初めて見る色とりどりの綺麗なケーキに目を奪われて、ずっとそこにいたらしい。
「カイさんにまで御迷惑をかけてしまって、すみませんでした」
「構いませんよ。無事でなによりです」
「確かに美味しそうだよねー」
恥ずかしそうに謝るディズィーに笑顔で返すカイに対し、
ディズィーが見つかって安心したメイの視線は、すでにケーキの方にいっている。
そんな2人を見てある事を思いついたカイは、上着をポケットを探る。
「御二人共、この後はお暇ですか?」
「そうだね、買い物も済ませたし……どうして?」
不思議そうに首を傾げるメイと、同じように自分を見ているディズィーに、
少し悪戯っぽく、カイは笑いかける。
「もしよろしければ、おつかいを頼んでもよいですか?」
「おつかい、ですか?」
「私はこの後少し仕事が残ってるんですが、今日は昼には終わるんです。
だから、その間にいくつかお好きなケーキを選んで、買っておいていただけますか?
後で私の家で合流して、お茶にしましょう」
「…!うん、いいよ!」
カイの提案を理解したメイが、みるみる満面の笑顔になる。
「それじゃあ、お金を渡しておきますね。
食べられる分ならいくつでも構いませんから」
「はい。……ありがとうございます、カイさん」
カイに代金を渡されて、少し戸惑い気味だったディズィーも、
やがて嬉しそうにふわりと微笑んだ。
「さて、メイさんもディズィーさんも、私の家は御存知ないですよね」
家の場所を教えておけばよいのだが、また迷ってしまわないかといささか不安になる。
と、考え込むカイの不安を吹き飛ばすような、やけに明るい声がした。
「カイちゃん、久し振り~!あれ、珍しい。2人も一緒?」
「アクセル!」
声のした方を見るまでもなく誰か分かって、カイが呼びながらそちらに目を向ける。
そこには思った通り、本人の意思とは無関係に神出鬼没なタイムトリッパー、アクセルの姿。
「またどこかの時代から飛んできたの?」
「そうそう、ついさっき。いきなりでさ~」
メイに明るく答えるその声からは、
過酷な運命を背負った人物だという事を微塵も感じさせない。
その強さが、アクセルの良いところだと思う。
「そうだ、アクセル。1つお願いしてもいいですか?」
「ん、何?」
アクセルは突然前にいた時代から飛ばされて、行くあてがない時に
何度かカイの家に転がり込んだ事がある。案内役としては適役だろう。
「私の家の鍵を渡しておきますので、メイさんとディズィーさんの
おつかいが終わった後に、私の家までお連れしていただけませんか?
アクセルにも、お茶をご馳走しますから」
「ほんと?やりぃ。もちろんいいよ」
二つ返事で快諾してもらえて、カイはほっとする。
これがあの面倒事を嫌う男だったら。こうはいかないだろう。
とりあえず話もまとまって、カイは一度3人と別れた。
そんな経緯をへて、今に至る。
「確かに、少し伸びたかもね」
紅茶を啜りながらメイに同意するアクセルに、
カイは自分の前髪を少しつまんでみる。
「そうですか?」
自分ではあまり気にしていなかったので、そうは思わなかったのだが。
「カイさん、以前は髪が短かったんですか?」
「いや、そんなには変わらないけど。でも長くなったかな?」
最近カイと知り合ったディズィーに、カイの髪を見やってアクセルが言う。
「カイさんも1回伸ばしてみたら?
ジョニーみたいに結んだら、かっこいいかもしれないよ」
「うーん、それは……どうなんでしょうね」
「そういえば、この中で髪が短いのカイさんだけですよね」
「私は長く伸ばして、ジョニーに女らしさをアピールよ!」
「俺様は長い髪の似合うイイ男だからねー」
いつの間にやら、髪の話題で盛り上がっている。
カイは久方振りに、気心の知れた友人達との会話を楽しんだ。
「アクセル、今日は行くあてはあるんですか?
飛ばされてきたばかりだと言ってましたが」
太陽が落ちかけて、辺りの景色がオレンジ色に染まる頃。
賑わったお茶会もお開きになって、
感謝の言葉を残して帰るメイとディズィーに
続こうとしたアクセルを、カイが呼び止める。
「もしないのでしたら、泊まっていって構いませんよ」
「あ、うんッ。今日は大丈夫!どうもありがとうね」
心なしか焦ったように断るアクセルにカイは軽く首を傾げたが、
幸いその理由を追求しようとはしなかった。
「…ほんとはそのつもりだったんだけどね…」
カイの家を出たところで、アクセルは一人呟く。
メイとディズィーのおつかいが終わった後、3人はカイより早く、彼の家に着いた。
そこで預かっていた鍵を使い、アクセルが一番先に家の中へ入ったのだが。
かすかに、人のいた気配がしたのだ。
カイは朝から仕事で、一度も自宅には戻っていないはずである。
――となれば、思い当たる人物は1人しかいない。
きっと仕事に出たカイと入れ違いになって、外で暇つぶしでもしているのだろう。
だとすれば、夜に戻ってくる可能性が高い。
そんなところに、カイと一緒に自分がいたら。
その鋭い眼光だけで人が殺せそうなその男は、そっけない性格の割に、独占欲が強い。
いや、ある意味性格通りとも言えようか。
……睨まれる程度で済めばいいが、最悪、燃やされる。
触らぬソルに祟りなし、である。
「…宿探そ」
気のせいではなく背中に寒気を感じて、アクセルは足を速めた。
太陽の代わりに月が空に顔を出して、
暗くなった辺りをかすかに照らし出すようになった頃。
机の上でふと仕事の手を止めたカイは、傍に置いてある鏡をそっと覗いてみた。
自分の髪に、触れてみる。
「…長いかな」
カイ本人は全く気にしていなかったが、人からそう言われるとどうにも気になってくる。
確かに、前髪などは時々目にかかる事があるのだけれど。
後ろ髪は見えないので、今度休みの日に切りに行くとして、
前髪くらいなら邪魔にならない程度に切ってしまえるだろうか。
考えている内にどんどん髪が気になってきたカイは、
机の引出しの中を探ってハサミを取り出すと、逆の手で鏡を持つ。
そうして、前髪にハサミの刃をあてて。
「何してんだ?坊や」
ジャキン。
「あああああっ?!」
いきなりかけられた背後からの声に、驚いて勢いよく
ハサミを閉じてしまったカイが思わず悲鳴に近い声を上げる。
その夜、空に雨雲1つない巴里の市街地から小さく聞こえた雷鳴に、
カイと入れ違いで夜まで働いていたベルナルドはちょっと胸騒ぎがしたという。
カイが何をやっているのかは知らなかったが、
驚かそうとして背後から近付いていたソルは、
カイの為に紅茶を入れる事で許してもらったとか。
「カイさん髪伸びたねー」
おかわり分の紅茶を入れようとして、
顔にかかった自分の前髪をカイが払ったのを見て、唐突にメイが言った。
巴里にある、カイの家。
メイの隣にはディズィー、少しずれてアクセルも座っており、
皆の前にある大きめのテーブルの上には、ケーキと紅茶が並べられている。
――事の発端は、4時間程前にさかのぼる。
昼の時間帯に近付くにつれ、段々と人の数が増して
賑わいだした巴里の商店街をカイは歩いていた。
歩調に合わせるように揺れる長めの上着は、警察機構の制服である。
この商店街を抜けた先に、目的の部署のある建物が建っている。
真っ直ぐそちらに歩みを進めていたカイの足が、ふと止まった。
今、見覚えのある姿が見えたような。
確かめようと少しそちらに近付くと、
傍を通り過ぎる大人に時々隠れてしまうが、
どこか頼りない足取りで歩くその人物は、確かに見知った顔だった。
黒とオレンジで統一された服と、同じくオレンジ色をした大きめの帽子。
長めの髪を、その帽子に通して高い位置で止めている。
いつも手にしている愛用の武器、船のイカリはないようだが。
どうして、こんなところに?
「メイさん?」
「…?!」
声の届くところまで近付いてから声を掛けると、
振り返りかけたメイは何故か突然、カイから逃げるように走り出す。
「ちょっ…メイさん!何で逃げるんですかっ」
「ひ、人違いよっ!私は快賊団のメイなんかじゃ…」
「…私です、カイ=キスクです!」
「!……カイさん?」
距離を離される前に追いついて名乗ると、メイは驚いたように振り返り、
カイの顔を認めてやっとその足を止める。
「なあんだ、てっきり警察の人かと思っちゃった」
「…………一応、警察です」
どうやらカイの着ている制服を見て逃げたらしい。
メイなどはその容姿や明るく活発な性格のせいで時々忘れそうになるが、
彼女の家族――ジェリーフィッシュ快賊団は、
義賊ではあるが世界中の警察機関に手配がかけられ、賞金首にもなっている。
メイとて例外ではない。
でも、
「またまた~。もし前みたいにジョニーが捕まったらよろしくね、カイさんv」
「はぁ…」
やはりこの少女を相手に逮捕しようなどという気はおきない。
にっこり笑いながら、人の行き交う往来で、
国際警察機構の長官に白昼堂々とんでもないお願いをする賞金首の少女に、
思わず返事を返してしまってから、カイは小さく笑った。
「それで、どうしてあなたがこんな所にいるんです?」
さっき思った事を聞いてみると、
メイは大きな目をきょろきょろと動かして周りを見やる。
「それが、ディズィーと買い物に来たんだけど、ここ初めてで…。
いつの間にかディズィーがいなくなっちゃって」
「つまり、ディズィーさんとはぐれてしまった訳ですね?」
「うん」
先程の心許ない歩き方に合点がいって、カイは軽く辺りを見回した。
初めて来たというメイでは、ディズィーを探している内に
自分が道に迷ってしまう事もありうる。
それに、まだ人間の暮らす世界に不慣れであるディズィーも心配である。
何より、友人が困っているのを放っておく訳にはいかない。
カイは即座に決断を下すと、少しかがむようにして、メイと目線を合わせた。
「では、私もお手伝いしますから、一緒にディズィーさんを探しましょう」
「いいの?…でもカイさん、仕事の途中じゃ」
「ああ、いいんですよ。急ぎの用ではありませんから」
それを聞いてぱっと明るくなったメイの表情につられるようにして、カイも笑った。
巴里の街は広い。
とは言っても、買い物に来たのだから、多分商店街のどこかにいるだろう。
次々とすれ違う人にも注意を配りながら、
カイとメイは1軒ずつ店を覗いて歩いていく。
ふと、何かに服を引っ張られているのに気付いて、カイは視線を落とす。
そこにあったのは、メイの手だった。
巴里の地理をよく知っている自分はともかく、そうでないメイはやはり不安なのだろう。
カイとはぐれないようにしているのか、カイの制服を掴んだまま、
必死に辺りを見回しながら、メイは一緒に歩いている。
子供扱いされるのを嫌がるメイだが
(自分も若干1名に似たような扱いをされるのでちょっと親近感を抱いてしまったりもする)、
こういうところは歳相応で、かわいらしいと思う。
知らず笑みをこぼしたカイの視界に、探している人物が飛び込んできた。
「あ、あそこにいましたよ」
「ディズィー!!」
カイが示した方向にディズィーの姿を見つけると、
メイはカイから手を放して駆けていく。
ディズィーがいたのは、ケーキ店のショーウインドウの前だった。
初めて見る色とりどりの綺麗なケーキに目を奪われて、ずっとそこにいたらしい。
「カイさんにまで御迷惑をかけてしまって、すみませんでした」
「構いませんよ。無事でなによりです」
「確かに美味しそうだよねー」
恥ずかしそうに謝るディズィーに笑顔で返すカイに対し、
ディズィーが見つかって安心したメイの視線は、すでにケーキの方にいっている。
そんな2人を見てある事を思いついたカイは、上着をポケットを探る。
「御二人共、この後はお暇ですか?」
「そうだね、買い物も済ませたし……どうして?」
不思議そうに首を傾げるメイと、同じように自分を見ているディズィーに、
少し悪戯っぽく、カイは笑いかける。
「もしよろしければ、おつかいを頼んでもよいですか?」
「おつかい、ですか?」
「私はこの後少し仕事が残ってるんですが、今日は昼には終わるんです。
だから、その間にいくつかお好きなケーキを選んで、買っておいていただけますか?
後で私の家で合流して、お茶にしましょう」
「…!うん、いいよ!」
カイの提案を理解したメイが、みるみる満面の笑顔になる。
「それじゃあ、お金を渡しておきますね。
食べられる分ならいくつでも構いませんから」
「はい。……ありがとうございます、カイさん」
カイに代金を渡されて、少し戸惑い気味だったディズィーも、
やがて嬉しそうにふわりと微笑んだ。
「さて、メイさんもディズィーさんも、私の家は御存知ないですよね」
家の場所を教えておけばよいのだが、また迷ってしまわないかといささか不安になる。
と、考え込むカイの不安を吹き飛ばすような、やけに明るい声がした。
「カイちゃん、久し振り~!あれ、珍しい。2人も一緒?」
「アクセル!」
声のした方を見るまでもなく誰か分かって、カイが呼びながらそちらに目を向ける。
そこには思った通り、本人の意思とは無関係に神出鬼没なタイムトリッパー、アクセルの姿。
「またどこかの時代から飛んできたの?」
「そうそう、ついさっき。いきなりでさ~」
メイに明るく答えるその声からは、
過酷な運命を背負った人物だという事を微塵も感じさせない。
その強さが、アクセルの良いところだと思う。
「そうだ、アクセル。1つお願いしてもいいですか?」
「ん、何?」
アクセルは突然前にいた時代から飛ばされて、行くあてがない時に
何度かカイの家に転がり込んだ事がある。案内役としては適役だろう。
「私の家の鍵を渡しておきますので、メイさんとディズィーさんの
おつかいが終わった後に、私の家までお連れしていただけませんか?
アクセルにも、お茶をご馳走しますから」
「ほんと?やりぃ。もちろんいいよ」
二つ返事で快諾してもらえて、カイはほっとする。
これがあの面倒事を嫌う男だったら。こうはいかないだろう。
とりあえず話もまとまって、カイは一度3人と別れた。
そんな経緯をへて、今に至る。
「確かに、少し伸びたかもね」
紅茶を啜りながらメイに同意するアクセルに、
カイは自分の前髪を少しつまんでみる。
「そうですか?」
自分ではあまり気にしていなかったので、そうは思わなかったのだが。
「カイさん、以前は髪が短かったんですか?」
「いや、そんなには変わらないけど。でも長くなったかな?」
最近カイと知り合ったディズィーに、カイの髪を見やってアクセルが言う。
「カイさんも1回伸ばしてみたら?
ジョニーみたいに結んだら、かっこいいかもしれないよ」
「うーん、それは……どうなんでしょうね」
「そういえば、この中で髪が短いのカイさんだけですよね」
「私は長く伸ばして、ジョニーに女らしさをアピールよ!」
「俺様は長い髪の似合うイイ男だからねー」
いつの間にやら、髪の話題で盛り上がっている。
カイは久方振りに、気心の知れた友人達との会話を楽しんだ。
「アクセル、今日は行くあてはあるんですか?
飛ばされてきたばかりだと言ってましたが」
太陽が落ちかけて、辺りの景色がオレンジ色に染まる頃。
賑わったお茶会もお開きになって、
感謝の言葉を残して帰るメイとディズィーに
続こうとしたアクセルを、カイが呼び止める。
「もしないのでしたら、泊まっていって構いませんよ」
「あ、うんッ。今日は大丈夫!どうもありがとうね」
心なしか焦ったように断るアクセルにカイは軽く首を傾げたが、
幸いその理由を追求しようとはしなかった。
「…ほんとはそのつもりだったんだけどね…」
カイの家を出たところで、アクセルは一人呟く。
メイとディズィーのおつかいが終わった後、3人はカイより早く、彼の家に着いた。
そこで預かっていた鍵を使い、アクセルが一番先に家の中へ入ったのだが。
かすかに、人のいた気配がしたのだ。
カイは朝から仕事で、一度も自宅には戻っていないはずである。
――となれば、思い当たる人物は1人しかいない。
きっと仕事に出たカイと入れ違いになって、外で暇つぶしでもしているのだろう。
だとすれば、夜に戻ってくる可能性が高い。
そんなところに、カイと一緒に自分がいたら。
その鋭い眼光だけで人が殺せそうなその男は、そっけない性格の割に、独占欲が強い。
いや、ある意味性格通りとも言えようか。
……睨まれる程度で済めばいいが、最悪、燃やされる。
触らぬソルに祟りなし、である。
「…宿探そ」
気のせいではなく背中に寒気を感じて、アクセルは足を速めた。
太陽の代わりに月が空に顔を出して、
暗くなった辺りをかすかに照らし出すようになった頃。
机の上でふと仕事の手を止めたカイは、傍に置いてある鏡をそっと覗いてみた。
自分の髪に、触れてみる。
「…長いかな」
カイ本人は全く気にしていなかったが、人からそう言われるとどうにも気になってくる。
確かに、前髪などは時々目にかかる事があるのだけれど。
後ろ髪は見えないので、今度休みの日に切りに行くとして、
前髪くらいなら邪魔にならない程度に切ってしまえるだろうか。
考えている内にどんどん髪が気になってきたカイは、
机の引出しの中を探ってハサミを取り出すと、逆の手で鏡を持つ。
そうして、前髪にハサミの刃をあてて。
「何してんだ?坊や」
ジャキン。
「あああああっ?!」
いきなりかけられた背後からの声に、驚いて勢いよく
ハサミを閉じてしまったカイが思わず悲鳴に近い声を上げる。
その夜、空に雨雲1つない巴里の市街地から小さく聞こえた雷鳴に、
カイと入れ違いで夜まで働いていたベルナルドはちょっと胸騒ぎがしたという。
カイが何をやっているのかは知らなかったが、
驚かそうとして背後から近付いていたソルは、
カイの為に紅茶を入れる事で許してもらったとか。
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春の日差しもうららかな午後、快賊とハーフギアの少女という珍しいお客がカイの家へと訪ていた。
「それでぇ、ジョニーったら今日になっていきなりドタキャンだよー。ひどいよねぇ」
予定していたデートを反古にされた愚痴を聞かせるともなしにしゃべり続けるメイは、ソファの前のテーブルに突っ伏しぎみに、いささか行儀悪く出されたビスケットを囓る。
「まったくさぁ、男の人って仕事仕事って言えばすむって思ってるもんなのかな?」
ねえ?と水を向けられ、困ったように曖昧な笑みを浮かべてカイはお茶を注ぐ手を止める。
「さぁ…どうなんでしょうね。それよりメイさん、床に座ってると冷えますよ」
「んー、じゃあクッション借りてもいいですか?」
どうやらそのポジションが気に入ってしまったらしいメイに動くつもりはないらしい。カイから受け取ったクッションをお尻の下に敷きながら、淹れてもらった紅茶に手を伸ばす。
「あーあ、暇だよー。何かおもしろいことないかなぁ」
そう言われても、もともと娯楽にあまり縁のないカイの家にはこれといった物は置いてない。トランプくらいなら探せば出てくるかもしれないが。
「あ、あの…」
今まで黙って紅茶を飲んでいたディズィーが遠慮がちに口を開いた。
「来る途中で見かけたんですけど、苺狩りなんてどうでしょうか…」
「ああ、この先の農園の…」
「あーそれいい! 苺大好きっ
」苺という言葉に反応して顔を上げたメイの目は輝いている。言い出したディズィーはもとより、特にすることがない以上カイに否やはなかった。そうと決まれば早いもの、カイは2人の少女のお供をして、苺狩りへと出掛けたのだった。
農園のビニールハウスの中は日の光の空気が暖まっていて、ムッとするほど濃厚な苺の香りが充満している。流石に入った瞬間は3人ともわずかに顔を顰めたが、慣れてしまえばどうということはない。広いハウスの中には数組の親子連れが見られる。さしずめカイは妹のお守りをしている兄といったところだろうか。
「わー、甘くて美味しいーv」
メイはさっそく摘んだ苺にぱくつき、幸せそうに顔を綻ばせている。
「見て見て、これなんかすっごい大きい!」
「本当、すごいですね。私、栽培されてる苺って初めて見ました」
ディズィーが言うには、今まで自生しているワイルドベリーしかお目に掛かったことがないらしい。
「そうなの? じゃあ今日はいっぱい食べて帰らなきゃ損だよ」
「お土産も買えますしね」
「はいっ。そうします」
嬉しさにか頬をほんのり上気させているディズィーに、カイとメイも嬉しそうに微笑んだ。
大粒の苺は確かに見事で、口に入れると甘酸っぱさが広がってなんとも幸せな気分になる。メイとディズィーの会話を微笑ましく見守りながら、カイも春の恵みを堪能する。
そんな中で、ぽつりとディズィーが漏らした発言にメイが吹きだした。
「こんなに楽しいのだから、ソルさんもご一緒すればよかったですね」
「……そ、う…でしょうか……」
出掛ける前にキッチンで新聞を読んでいたソルに一応声を掛けたのだが、興味がなかったのか断られた。確かに苺畑の中にいるソルなんて可笑しい。というより怖いかもしれない。カイは曖昧な笑みを返すしかできなかった。
「えーっ、ソルさんに苺って可笑しいよー」
「そうかしら? ソルさんって赤が似合うから、苺も似合うと思ったんだけれど…」
苺の似合うソル!
瞬時にどんな想像をしたのか、メイは腹を抱えて蹲り、カイは必死に笑いを堪えて顔を背けた。
「メ、メイさん…。そんなに、笑ったら、失礼ですよ」
「カイさんこそー。ぷぷぷっ」
「?」
爆弾発言をかましたディズィーは何がそんなに可笑しいのかわからずに、ただただ二人の笑いが収まるのを不思議そうな顔で待つのだった。
メイとディズィーを見送った後で軽く夕飯を済ませ、カイは食後のデザートの支度に取りかかる。
「ソル。苺食べますよね?」
返事を待たずに洗った苺盛った皿をテーブルへと置き、キッチンへととって返す。戻ってきたその手には、大きなガラスボウルと砂糖と牛乳。
何をおっぱじめるんだとしばし黙って見ていれば、目の前でカイはおもむろにヘタを取った苺をボウルに入れて砂糖と牛乳をかけると底の平たい独特の形をすたスプーンで苺を潰し始めた。
「何やってんだ?」
「何って、イチゴミルクを作ってるんですけど。…ソルも食べます?」
振られてソルは心底嫌そうな顔をする。ソルにしてみれば、ただでさえ甘ったるい苺をさらに甘くするなど胸焼けがしそうな考えだった。
「……ガキかお前は」
嬉しそうにボウルの中味にぱくつくカイは、しかしソルの子供扱いに怒るでもなく、照れたように笑ってみせる。
「子供の時、こうやってボウルに一杯これを食べるのが夢だったんですよ」
「ああ、なるほどな」
子供の頃のたわいのない夢を、大人になってから実践するのはよくある話だ。
「ソルもそういった経験ってありますか?」
「なくはないが…。バケツにいっぱい食いたいって思ったことはあるな」
「え、何をですか? 教えてくれたっていいでしょう」
どこか言いにくそうにしているソルに、是が非でも聞きたくなってくる。ましてや貴重なソルの子供時代の話だ。カイが興味津々にしつこく食い下がる。
「……プリン」
ぼそりと呟かれた単語に、思わずカイは吹きだしてしまう。
「…笑うな。会ったばっかりのてめぇよりガキの頃の話だ」
「そりゃ、わかってますけど…」
ソルがプリンの好きな少年だったなんて!今の雰囲気とのギャップに笑わずにはいられない。
「今ならそれくらい食べられますよね。何なら作ってあげましょうか?」
「いらねぇ」
なかなか笑いが収まらないカイに、ソルは言うんじゃなかったと憮然とした表情でそっぽを向いた。そんなソルがまた可笑しくて、悪いと思いつつもカイは笑い続ける。
「バケツ一杯分って、卵がどれくらい必要かなぁ」
「いらねぇって言ってんだろうが…」
後日、子供の時の夢を、胸焼けとともに叶えることになるとは、ソルは思ってもみなかったのだった。
+++++++++++++++
□第3話 夏祭り
「……暑ィ」
「……暑いわ……」
「暑いねぇ……」
「暑いよぉ~……」
「暑いアルねぇ……」
「暑いですね……」
「暑ィな……」
「だぁぁっ!!暑い暑いってうざってえんだよテメェらは!!」
昼休みの教室。
ソルがいきなり立ち上がってぶち切れる。
夏の陽気のせいで、ソルの怒りのリミット値も大分低くなっているようだ。
「そんなこといったってさ旦那ぁ、暑いもんはしょーがねーでしょ」
「暑いって言っちまったら余計暑くなるだろうがっ!!」
アクセルの抗議に対しても、頭ごなしに怒鳴りつける。
「怒鳴る方が暑くなるわよ」
「……ちっ……」
ミリアに鋭く指摘され、ソルは不機嫌そうに舌打ちすると、どっかと椅子に腰をおろした。
そう、今は七月上旬。
ミリア達が転校してきてから二週間近くが経っている。
十日ほど前に衣替えはしたのだが、はっきりいってそんなものは役に立たない。
この時期は、学校生活でもベスト3に入る辛い時期だ(少なくとも作者にとっては)。
当然、私立とはいえ高校なので、クーラーは特定の教室にしかない。
「うー……プール授業やりたいよ~」
メイが暑さで体全体を「たれぱんだ」のように垂れさせて言う。
どうやら暑さには弱いタチらしい。
「今日は体育がないんでしたね……」
「どのみち涼しいのは入ってる間だけだしな……」
珍しくカイと闇慈が愚痴を言う。
「あと二時間か……長ぇよな」
「そうね……なにか後に楽しみがあれば我慢も出来るんだけど」
「楽しみ……そういえばさ」
ミリアのセリフで何か思いついたのか、アクセルが口を開いた。
「何かあるの?」
「今日、街外れの神社で夏祭りがあるんだ」
「夏祭り……」
「祭り……」
その単語に反応して、ソルまでもが黙り込む。
しばらく沈黙した後、
「あと二時間……がんばるか」
あっさりとチップが締めた。
「そうだな」
「お祭り、お祭り!」
メイに至っては、すでに垂れていた体も元に戻っている。
そして、ちょうどいい具合にチャイムが鳴る。
すぐにジョニーがやってきて、世界史の授業が始まった。
そして放課後……
ミリアは一人で教室に残っていた。
日直の仕事で日誌を書いていたら遅くなったのだ。
いつもは一緒に帰っているソルも、用事があるといって帰ってしまった。
「夏祭りね……どうせ暇だし、行ってみようかしら」
ミリアは一人で呟くと、カバンと日誌を持って教室を出た。
あとは日誌を担任の梅喧に届ければ仕事は終わりだ。
「失礼します」
職員室の扉を開けて、梅喧の机を探す。
確かに、梅喧はいた。
だが、見覚えのある顔も近くにいた。
というより、梅喧に引っ付いている。
「なー、梅喧ちゃ~ん、夏祭り一緒に行こーぜー?」
「やかましいっ!引っ付くな!暑苦しい!」
「ここクーラー効きまくってるけど?」
「揚げ足を取るなっ!!」
梅喧に引っ付いているのは、闇慈だった。
いつもの愛嬌があるような笑みを浮かべて、梅喧をからかっている。
だが、その表情はいつもより楽しそうだ。
「ねーねー、行こーってば」
「仕事が忙しいから行かん!」
梅喧は闇慈を力ずくで引っぺがすと、床にポイッと投げ捨てた。
その拍子に、日誌を持って立っていたミリアを見つける。
「お、日誌持ってきたのか」
「あ、はい。じゃ、これ」
「ご苦労さん。ああ、悪いがついでにこいつも引きずってってくれ」
梅喧は床に転がったままの闇慈を指差した。
ミリアは少し戸惑ったあと、闇慈の襟首を引っつかんで文字通り引きずっていく。
「ちょ、ちょっと待てってミリア!!」
「待たないわよ」
そのまま闇慈を引きずって職員室の外に出ると、掴んでいた襟首を離す。
「ひっでえなぁ、せっかく人が愛しい人との一時を過ごしてたっていうのによー」
闇慈が口を尖らせて言う。
それを聞いて、ミリアはこめかみを押さえてため息をつく。
「あなた……相当恥ずかしいセリフ言ってるってわかってる?」
「愛の前には恥も外聞もないんだよ」
そう言って、闇慈は懐から扇を取り出して、顔をあおぎながら笑った。
「というわけで、もういっぺん行ってこよーっと」
「仕事の邪魔すると、余計お祭りに行けなくなるわよ?」
ミリアのもっともな意見に、闇慈の動きが一瞬止まる。
「………それでも行くってのが漢だろォ?」
「しょうがないわね……」
ミリアはもう一度ため息をつくと、『100t』と書かれたお約束のハンマーを何処からともなく取り出した。
「そ……それをどうするんだぁ?」
「こうするに……決まってるでしょ!!」
ゴガギッ!!
『決まってるでしょ!!』の声と共に、ハンマーが闇慈の頭に振り下ろされた。
かなり鈍い音と共に闇慈が床に倒れふす。
「よいしょっと」
ミリアはハンマーを投げ捨て、闇慈の両足を抱えて階段を登りはじめる。
ゴンゴンと闇慈の頭が階段に打ちつけられるが、ミリアは全く取り合わない。
「…………っと。これでいいわね」
闇慈をロープでぐるぐる巻きにして何処かに吊るすと、ミリアは階段を降りていった。
「さーてと。浴衣でも出そうかしら」
ミリアの表情は、夏祭りへの期待で楽しそうだ。
「………あ、あん?」
ミリアが帰ってから少し後、闇慈は目を覚ますと、妙な浮遊感を覚えた。
というか、実際に体が宙釣りになっている。
「って、屋上―――――――――っ!?」
そう、ミリアは闇慈を屋上から吊るしていったのだ。
「誰か降ろしてくれ―――――――っ!ってゆーかミリアどこ行った―――――っ!?」
闇慈の叫びが、夕焼けで染まった学校の敷地に響き渡った。
そして数分後、闇慈は梅喧によって(半ば故意に)地上に落とされた。
時間は少し進んで大体七時過ぎ。
ミリア達の家では、浴衣の準備が始まっていた。
「えへへ、どうかな?」
浴衣を着たメイが照れたように笑いながら一回転してみせる。
「あのね……これで5回目よ、そのセリフ」
「だぁって~、せっかくジョニーと一緒に行くんだもん」
そう言うメイの格好は、確かに相当な気合が入っていた。
イルカとクジラがプリントされたかわいらしい浴衣を身にまとい、髪は滅多につけないピンクのリボンでポニーテールにまとめられている。
「あんまり完璧だと、わざとらしく思われるわよ」
「う、そうかな……」
「そうよ」
言いながら、ミリアも鏡の中の自分をのぞきこむ。
全体的に白とが基調で、淡い色合いで模様が描かれた浴衣。
ヘアスタイルはいつものまま。
いつもはしないのだが、メイにのせられて薄く化粧もしてある。
「……これなら、大丈夫よね」
「お姉ちゃん、誰に見せるつもり?」
メイが意地悪そうな目でミリアを見る。
ミリアは思いっきり動揺し、一気にうろたえはじめた。
「えーと……その……………ク、クラスの人によ」
本人にしてみれば、精一杯いつものクールな表情を作ったつもりなのだろうが、真っ赤になったその顔は、照れ隠し意外の何物でもない。
「ふーん……ま、いいけど」
「……メイ、あなた私をからかってない?」
「ちょっとだけ」
ポカッ!
「いった~~~~い!」
ミリアに頭を軽く殴られ、メイは頭を押さえた。
「……なんか調子狂ってきてるわ……」
「ところで、紗夢姉ちゃんは?」
「ああ、紗夢なら普段着で行くらしいわ」
「なんで?」
「さあ?」
真相は、浴衣だと絡まれた時に思いっきり暴れられないからなのだが。
どうも紗夢は人ごみに行くと、ケンカを売られやすい性質らしい。
「さてと。そろそろ行くわよ」
「あ、待ってよ~」
ミリアが部屋から出ると、メイも一緒に部屋から出てきた。
部屋の前では、紗夢が腕組みして立っていた。
「やっと終わったアルか」
紗夢はすっかり待ちくたびれた様子である。
まあ、一時間近くもあーだこーだやっていたのだから当然であるが。
ちなみに、紗夢はへそのでるTシャツにジーンズというラフな格好だ。
「ごめんなさい、でもほとんどの原因はメイよ」
「あー、ずるーい!」
「わかったからさっさといくアルよ」
言いながら三人は一階に降り、玄関で履物をはく。
ミリアとメイはゲタ、紗夢はバッシュである。
家を出ると、何人かの人々が神社のほうに向かって歩いていた。
ミリア達もそれに付いて歩く。
そして歩く事数分、ミリア達は神社に到着した。
神社とはいえかなり広く、敷地内は人があふれていた。
その頃―――――
「……暇でしょうがねえ……」
ソルは自分の部屋でごろごろとベッドに寝そべって呟いた。
「祭りでも行くか……」
二階にある自分の部屋から玄関に向かう。
玄関でスニーカーを履いていると、奥からクリフが出てきた。
「どこか行くのか?」
「祭りだ。……暇だしな」
「土産を頼むぞい」
「……さあな」
スニーカーを履き終えると、ソルは玄関を空けて外に出る。
夏特有の湿った暑苦しい空気が体にまとわりつく。
「………うざってぇな………」
言いながら、ソルは車庫に止めてある大型バイクにまたがった。
ドルルル、ドルルルッ!!
エンジンがかかり、ソルのバイクは道路を爆走し始めた。
ソルの家から神社までは、バイクならそうかからない。
しばらくバイクを走らせ、ソルは神社に到着した。
「……あいつらも来てんのか?」
ソルはバイクを所定の場所に止めながら、クラスの仲間の事を思い出して呟いた。
「まいったわね………」
ミリアは人ごみの中で立ち止まって呟いた。
あまりの人の多さに、メイや紗夢とはぐれてしまったのだ。
(ま……一人で見て歩くのもいいわね)
そう思ったミリアは、メイと紗夢を探すことをすっぱりとあきらめ、あてもなく歩き出した。
ちょうど、入ってきた鳥居が目に入る。
(あ………)
見知った顔が鳥居の近くにあった。
そこに向かってゆっくりと歩き出す。
そして、その人物からほんの数歩離れたところで、背中に声をかける。
「ソル、来てたのね」
呼びかけられたソルは、ゆっくりと振り向いた。
が。
「……誰だ?」
「ガクッ!」
ソルの返答に、ミリアはかなり盛大にずっこけた。
そう、あたかも○ちゃんファミリーのごとく。
「あのね、ソル。私、ミリアよ?」
「同名の別人か……?あいつはここまで美人じゃねェぞ」
ごす。
ミ リアが無言で放った肘の一撃が、ソルの顔面を捉えていた。
「……ミリア=レイジか」
「だから!さっきからそう言ってるでしょうが!!」
ミリアがキレたように叫ぶ。
「悪ィな。浴衣なんぞ着て大人しくしてたからわからなかった」
スパーーンッ!!
何処からともなく取り出されたハリセンがソルの頭を引っぱたいた。
「……バカにしてない?」
「そんなつもりはねェんだが」
「まぁいいわ……ところでさっきも言ったけど、来てたのね」
「ああ。こういう祭りとかは嫌いじゃねェからな」
ソルが何処となく楽しそうにいう。
表情は相変わらずの仏頂面だが、ミリアから見ればなんとなくわかる。
「一緒に回らない?丁度、メイや紗夢とはぐれてたのよ」
「別にかまわねェぞ」
ミリアとソルは並んで鳥居をくぐった。
人の多さに、もうはぐれてしまいそうになる。
「おい」
ソルが何か言いたそうに口を開く。
「なに?」
「…………なんでもねェ。はぐれんなよ」
ソルはポケットに手を突っ込んで歩き始める。
ミリアもなるべくはぐれないように後を追った。
「……そう言えば、闇慈達も来てるのかしらね」
「なんだそりゃ?」
ミリアは、闇慈と梅喧の事をソルに話した。
「……来てんじゃねェのか」
「と言うか、居たわ」
ミリアが指し示す方向には、確かに闇慈と梅喧が居た。
大量の空の酒瓶と共に。
「はっはっは!!意外と強えじゃねえか闇慈!!」
「いやいやいや!!梅喧ちゃんにはかなわないって!!」
地べたに座り込み、酒を飲んでは大笑いしている。
どうやら二人で十升近く空けたらしい。
凄まじいまでの飲みっぷりである。
その近くでは、チップとアクセルがぶっ倒れていた。
おそらくはとばっちりを食って酔いつぶれたのだろう。
「……凄いわ……」
「飲むか?」
「結構よ」
とその時、闇慈がソル達に気づいて大声で叫ぶ。
「おー!ソルにミリア!!お前達も飲めー!!」
「……逃げるぞ」
ソルの言葉にミリアも無言でうなずく。
二人は、関わり合いになる前にサッサと逃げ出した。
「……はぐれたな」
ソルは一人で呟いた。
どうやら、逃げる最中にミリアとはぐれてしまったらしい。
この人ごみでは仕方ない事だが。
「……探すか」
ソルは来た道を再び戻って歩き出した。
「あ、ソル!!」
道を戻る途中で、誰かに呼びとめられる。
辺りを見てみると、少し離れたところでメイが手を振っていた。
隣には、ジョニーもいる。
「相変わらずイカレた格好だな」
「そいつぁ違うな。これは俺のポリシーだ」
言ってジョニーはズボンのベルトに手をかける。
ジョニーの服装は、素肌に黒コート、そして黒ズボンと言うお馴染みの格好だ。
はっきり言って、この暑さの中では見ているだけで暑苦しい。
「まぁ、テメェの格好なんざどうでもいい」
ソルは勝手に話を締めくくる。
「あれ、お姉ちゃんと一緒じゃないの?」
ミリアがいない事に気づいたメイが不思議そうに言う。
「はぐれちまった」
「そりゃデンジャーだな……」
「何処行ったか見てねェか?」
「う~ん……ゴメン、見てない……」
「そうか……」
ソルはそれだけ言うと、再び歩いていこうとする。
「あ、待って待って!」
「まだ何かあんのか?」
「綿アメ買っていったほうがいいよ」
「あぁ?」
「ほら、お姉ちゃん甘いもの好きだし。ご機嫌取りに、ね」
「……………ありがとよ」
ソルはわずかに苦笑しながら言い、ヒラヒラと手を振って歩き出した。
「がんばってね~」
背後で、メイが声を上げるのが聞こえた。
「ふぅ………」
ボヤーッとした闇の中。
リアは神社の裏にある石段に座り込んでため息をついていた。
りには誰もいない。
ルとはぐれた後、人のいない方へと歩いていたらここに出たのだ。
と意識を同化させるかのように、ミリアは目を閉じる。
祭りのざわめきが少し遠くミリアの耳に届く。
ジャリッ……
ミリアの耳に、ざわめきに混じって砂利を踏む音が聞こえた。
「………?」
ミリアが顔を上げると、そこにはソルが立っていた。
片手に途中で買ったらしい綿アメを持って。
「……ほらよ」
言って、ぶっきらぼうに綿アメを差し出す。
「………」
しばらくミリアが呆けていると、ソルは小さく舌打ちする。
「……いらねぇんなら捨てるぞ」
「………食べるわ」
ひょいっ、とソルの手から綿アメを奪い取り、ミリアはそれにかぶりつく。
ミリアが綿アメを食べている間に、ソルはミリアの隣に腰を下ろす。
「………何処に行ってたのよ」
「……こいつを買ってたんだよ」
ソルは、ポケットの中から何かを取り出す。
それは、線香花火とライターだった。
「あ………」
「やるか?」
「……ええ」
ミリアは片手で綿アメ、片手で線香花火を持つ。
ソルは片手にライターをもって、ミリアの線香花火に火をつける。
線香花火の火は少し燃えた後、玉になり、そして火花を散らす。
「綺麗………久しぶりだわ、線香花火なんて」
うっとりとした様にミリアが呟く。
「……ガキの頃は良くやったもんだがな」
ソルの方は、二、三本ほどまとめて火をつける。
当然、火玉は大きくなる。
「……それって、禁止されてるんじゃ……?」
「細けぇことは気にすんな」
ソルの線香花火も火花を散らし始める。
が、まとめて点けたので火玉はすぐに落ちてしまった。
それを追うようにミリアの火玉も落ちる。
「………終わっちまったな」
「そうね………」
ミリアはフッ、と目を伏せる。
そして、すぐに真剣な顔つきになってソルの方に向き直った。
「ソル………本当はあなた、私の事どう思ってるの?」
「………さあな」
ぶっきらぼうに言って、ソルはライターをいじる。
「………ちゃんと答えて………」
「…………しゃあねぇな…………」
ぐいっ、とミリアの体がソルに引き寄せられる。
次の瞬間、ミリアの眼前にソルの顔があった。
もっと言えば、唇が唇でふさがれていた。
しばらくそのままでいた後、ソルが唇を離す。
「………っ………!!」
あまりの事に、ミリアの頭に爆発寸前まで血が上る。
だが、爆発するよりも早くソルの口が次の言葉をつむぐ。
「今のじゃ、答えにはならねェのか?」
「あ……」
ようやくミリアは気づく。
答えは言葉とは限らない。
想いを伝えられるのは言葉ダケジャナイ―――
「………ずいぶんと甘ぇな」
「……綿アメ食べてたもの……当たり前よ」
ミリアは恥ずかしげに俯いて言う。
口調だけはなんとかいつものとおりだったが。
ミリアの態度に、ソルは満足げに口元だけで笑い、立ちあがる。
「さてと……また行くか?」
「そうね………」
ミリアも立ちあがり、浴衣についた砂を払う。
「………そらよ」
石段を降りたところで、ソルの手が差し出される。
ただし、今度は何も持っていない。
「え……?」
ミリアは、何の事かわからずに首をかしげる。
「……今度は、はぐれんじゃねぇぞ」
相変わらずのぶっきらぼうな言い方だった。
だが、それでも今のミリアにとっては最高に嬉しい心遣いだ。
「ええ………!」
ミリアは差し出されたソルの手を握り返し、歩き出した。
顔には出さなかったが、心の底からの幸せをかみしめながら……。
+++++++++++++
□第四話 ~Shade of shadow~
ゾクッ…。
背筋に悪寒が走り、ミリアは寒そうな仕草で腕をさすった。
「どうしたアル、姉さん?」
「ん……ちょっと寒気がね」
そう言いながらミリアはコーヒーを一口すする。
「でも、大したものじゃないから」
「それならいいアルが……」
「無理しないでね」
「心配しなくても大丈夫よ」
心配する紗夢とメイに、ミリアは微笑を返した。
その後は、ミリア達は何事もなく朝食を食べ終えた。
しかし学校に近づくにつれて、ミリアは嫌な感覚に捕われ始めた。
嫌悪するものが近づいてくるような感覚。
そして学校に到着するや否や、視線を感じるようになる。
蛇のような執念とお気に入りの人形を見るような愛情の入り混じった奇妙な視線。
何度か視線の主を探ってはみたが、結局わからずじまいであった。
不安になりつつも、ミリアは何とか一日を乗り切った。
授業は終わり、放課後となる。
だが、ソルと並んで教室を出たところでミリアは不意に立ち止まった。
「……どうした、オイ?」
少し先まで進んでしまったソルも足を止め、ミリアを振り返る。
「何か……いるわ」
ミリアが言うと同時に、奇妙な叫び声が辺りに響き渡る。
「……リアァァァァァァァァァァァァッ!!」
叫び声は段々と音量を増す。
「ミリアァァァァァァァッ!!
なぜ私を捨てたぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
はっきりとミリアの名前が聞き取れる。
そして、叫び声を発しながらミリアに向かって爆走している男がいた。
ミリア求めて三千里、姑息なストーカー男のザトー=ONEである。
「ミリアァァァァァァァッ!!もう一度私の元に……」
「なんであなたがここにいるのよ!!」
ドガァッ!!
飛びついてきたザトーに、ミリアの強烈なフックがカウンターで入る。
ベギボギバギッ!!
何かが折れる嫌な音がして、ザトーは壁にめり込んだ。
「……モロにカウンターで入ったとはいえ、とんでもねー威力だな……」
ソルがぼそりと呟いた。
と、ザトーの走ってきた方向から別の男が現われる。
ザトーのためならたとえ火の中水の中、本気で飛び込むヴェノムである。
「ああっ!!ザトー様!!」
ヴェノムは壁にめり込んだザトーを見るなり、すぐさま救出活動に入る。
「……何者だ、そいつらは?」
一連の騒ぎをぼーっと見ていたソルが口を開く。
「前にいた学校で私に付きまとっていた男とその部下よ……まさか転校してくるなんて」
ミリアが言い終わると同時に、文字通りザトーが壁から引っ張り出された。
「ザトー様、お怪我は……?」
ヴェノムはザトーの前に跪いて言う。
「うむ、あちこちの骨が折れているが我が愛に支障はない」
「さすがザトー様……」
「……単なるバカだろうが」
ソルが無常にもツッコミをいれるが、ザトー達はまったく気にしない。
「さあ、ミリアよ。私の元に戻ってこい」
「絶対にイヤよ。誰があなたの元になんか」
ミリアは髪をかきあげつつ、冷たく言い放つ。
「ミリア!!君はザトー様が施した恩を忘れたのか!!」
ヴェノムが激昂して叫ぶ。
「確かに感謝はしているわ。美しさ故にイジメられていた私に格闘術を教え、
あなたをK.Oできるまでに強くしてくれた事。
でも、それだけ。感謝する事はあってもそれ以外の感情は私にはないわ」
「何を言う!!ザトー様は素晴らしい御方だ!!君も早くザトー様を崇拝するのだ!!」
ヴェノムは更にまくし立てる。
「そもそもザトー様は君に捨てられたショックで目の光を失われ、
さらに奇妙な生命体に寄生されてしまったのだ!!その責任をとりたまえ!!」
「……後者は私と関係無いわ」
「心の隙につけ込まれたのだ!!ああ、おいたわしやザトー様……」
ヴェノムはそこまで言うと、虚空を見つめてブツブツと何事か呟き始めた。
「………電波でも来てるのか、アイツは」
「思考回路自体はまともなはずよ。方向は悪いけど」
その会話を聞いて、ザトーがふいにソルの方を向いた。
「……貴様、何者だ!!」
「あぁ?」
「何者だと聞いているのだ!!」
ザトーはソルを指差して叫ぶ。
「ソル=バッドガイよ。私の恋人」
「なに!?」
「そういうわけであなたの元にはもどれないの。さようなら、ザトー」
そういいつつ、ミリアはソルの後ろに回って脇腹をつつく。
合わせろ、と言っているのだ。
「ま、そう言うわけだ……」
ソルはザトーに向けて言う。
一方のザトーはというと……下を向いて何事か呟いている。
「そうか、そういうことか………」
カッ!!とザトーが顔を上げ、ソルに向かって突進する。
「貴様がいなければミリアはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ザトーの全力を込めた拳がソルに迫る。
だが。
「ボディが甘ぇんだよ!!」
ドゴシャアァァァァァァッ!!
ザトーの拳をかわしたソルのフックが、ザトーのボディに叩きこまれた。
またもやカウンターを食らったザトーは後ろに吹っ飛んで壁に激突する。
「チッ…」
舌打ちしながらソルが腕を軽く上げると、ミリアがザトーを追って突進する。
「いくわよっ!!」
走り込んだミリアが軽く跳躍し、右足を高々と振り上げる。
「跳びカカト落とし(ティミョネリチャギ)っ!!」
ドゴゲシャッ!!
壁にぶつかってバウンドしたザトーの頭にミリアのカカト(テコンドー式)が決まった。
ザトーは硬いリノリウムの床に顔面を打ちつけ、そのまま動かなくなる。
「ザトー様!!」
ヴェノムはザトーに走りよって脈や瞳孔を見る。
「おのれ………貴様ら、憶えていろ!!」
そう言い捨て、ヴェノムはザトーを担いで走り去った。
その姿が見えなくなると、ソルはミリアの肩に手をかける。
「……お前の知り合いは変な奴らしかいねえな」
「じゃあ……あなたも『変な奴』なのね?」
しばらく黙り込んだあと、観念したようにソルが口を開く。
「………俺が悪かった」
「よろしい」
ミリアはしたり顔で頷いた。
薄暗い部屋の中で、ザトーは一人椅子にもたれていた。
「ザトー様」
闇の中で気配が動き、ヴェノムが音もなく現われる。
「手はずは全て整いました」
「そうか……」
「あとは指令を出すだけで計画は発動します」
「……ご苦労だったな」
「いえ」
「……よし、やれ!!そしてミリアを再び我が手に!!」
「はっ!!」
ヴェノムは鋭く返事をして答えると、懐から携帯を取り出して何処かにかける。
しばらくのコール音の後、電話の相手は答えた。
「私だ……そうだ、指令を出す」
たっぷり五呼吸は間を開けて、ヴェノムは口を開く。
「ミリア=レイジを誘拐せよ」
ピンポーン………
インターホンがなる。
が、メイか紗夢が出るだろうとおもい、ミリアは再び雑誌に目を向けた。
ピンポーン………
再びインターホンがなる。
「あ、そうだった……」
メイはジョニーの家に泊まりに行き、紗夢は夕飯の仕度に追われている。
ミリアは雑誌を置いて立ちあがり、玄関に向かう。
「どちらさまで……」
言いながらミリアは玄関のドアを開ける。
「………ムグ!?」
来訪者の顔を見るか見ないかのうちに、ミリアの口に布が当てられる。
何かの薬品が染みこませてあったらしく、ミリアは簡単に意識を失った。
来訪者達は止めてあった灰色のバンにミリアを押し込み、逃げ去った。
「………?姉さん?」
ミリアが戻ってこない事に気付いた紗夢は玄関に顔を出す。
「…………!?」
玄関にはミリアの姿はなく、代わりに一枚の紙切れが落ちていた。
『東埠頭・第一倉庫で待つ ザトー=ONE』
「大変アル……!!」
呟いた紗夢は家の電話を取ってダイヤルを押し始めた。
ピーリリピリリピーリピー………
ソルは突然鳴り出した携帯の音で目を覚ました。
「……誰だ?」
やや不機嫌そうな声で電話に出る。
『ソル!!大変アル、姉さんが!!』
「……ミリアがどうした」
『さらわれたアル!!あのザトーって奴に!!』
「あぁ!?どういうことだ!?」
『たった今、誰かに……東埠頭・第一倉庫で待つって紙だけが残ってて……』
「東埠頭の第一倉庫だな!?」
それだけ聞けば十分だった。
携帯を切り、部屋の隅に立てかけてあった封炎剣を引っつかむ。
階段を五段飛ばしに飛び降り、文字通り家から飛び出す。
「どうしたんじゃい、ソル!!」
居間にいたクリフが、あまりの騒音に何事かと顔を出した。
「ミリアがさらわれた!!」
ソルはそれだけ言うとバイクに飛び乗り、エンジン全開で走り出す。
「……これはただ事ではないのう……」
言うが早いか、クリフは物置に駆け込み、ドタバタと何かを探し始めた。
物置から出て来たとき、その手に握られていたのは巨大な剣であった。
「……ここか」
ソルは封炎剣を手に、第一倉庫へと歩き出す。
「ソル!!」
突然の自分を呼ぶ声に、ソルは身構えつつ素早く振り向く。
が、そこにいたのはカイにアクセルに闇慈に……ようするにいつものメンバーであった。
「……何の用だ」
「ミリアさんがさらわれたそうだな、ソル。私達も協力する」
「……どういうつもりだ?」
「ミリアがさらわれたとあっちゃあ、人事じゃすまないからな」
「そういうこと。旦那も水臭いねぇ、声かけてくれりゃ協力するのに」
「テメェら………何故ここにいる?」
「ワタシが呼んだアル」
その声と共に紗夢とメイ、そして教師陣の面々が現われる。
「……テメェら……」
「ま、生徒がさらわれたとあっちゃあな」
梅喧がぶっきらぼうに言う。
「………チッ、勝手にしろ!!」
「話はまとまったようじゃな」
クリフが肩に斬竜刀をかつぎながら笑う。
ソルは倉庫のシャッターに向けて封炎剣を構える。
「タイィィィィランレイィヴ!!」
ドゴオォォォォォォォン!!
巨大な火球がシャッターをひしゃげさせ、吹っ飛ばす。
「行くぞ!!」
ソルが倉庫内に飛び込み、続いて他のメンバーも中に踏みこむ。
「……随分と歓迎されたもんだな」
中に入るなり、ジョニーが皮肉っぽく漏らす。
倉庫の中には、ザトーの部下であるチンピラ軍団が待機していたのだ。
その数およそ三百人。
「………誰がこようとブッ倒すだけだ」
言ってソルは封炎剣を手に、一団に向かって突っ込んだ。
「オォラア!!」
封炎剣から炎を立ち上らせ、チンピラを一気に打ちのめす。
だがさすがに戦い慣れしているのか、ソルの攻撃はイマイチ当たりにくい。
「ソル、跳ぶんじゃ!!」
クリフの声に従い、ソルは大きくジャンプした。
「ソウルリヴァイヴァー!!」
ガガガガガガガッ!!
まさに竜の牙ともいうべき一撃がチンピラ数人を叩きのめす。
鬼神の一撃のごとき技であった。
ちなみに、ソル達のテンションゲージは全員MAXである。
そして他のメンバーも、あちこちで激しい戦いを繰り広げていた。
「悪は許さん!!はあぁっ!!」
どこかのテコンドー格闘家のようなことを言いつつ、カイは奥義を繰り出す。
「ライド・ザ・ライトニング!!」
ビシッ!!ベシッ!!ドガッ!!
カイのまとった雷球に弾き飛ばされ、チンピラは壁に激突して気絶する。
「ミストファイナー!!」
シャシャシャシャシャシャッ!!
ジョニーが素早い居合を連続で繰り出し、相手の動きを止める。
「山田さーーーーーーーーん!!」
どごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!
動きが止まったチンピラ達を、メイが呼び出したクジラがまとめて押しつぶす。
当然、一発KOである。
「畳返しっ!!」
ベシッベシッベシッ!!
梅喧の放った連続畳返しがチンピラ達を次々と宙に浮かべる。
「一誠奥義・彩っ!!」
ガガガガガガガガガッ!!
宙に浮かんだチンピラ達の体を闇慈の巨大な扇でベキベキ打たれる。
梅喧と闇慈の見事な連携で、チンピラ達はあえなくKOとなった。
「ついて来れるか?」
ドシュッ!!ズシャッ!!ザシュッ!!
チップは目にもとまらぬ速さで跳びまわりながら次々と相手を倒していく。
「いくぜ!!秘密兵器だ!!」
ボゥッ!!ドガァッ!!
アクセルの放つ炎をまとった鎖鎌の一撃がチンピラ数人をまとめて打ち倒す。
いろんな意味で地獄絵図を作り出しているのはファウストとポチョムキンであった。
「ごーいんぐまいうぇい!!」
ファウストが体だけを回転させたままチンピラの群れに突っ込む。
そして着地するや否や地面を泳ぐ。
「はっずれー!!」
ザクッ!!
そして一人のチンピラを再起不能に陥れたあと、爆弾を取り出して着火する。
「アフローーーーーーーー!!」
とまあ、こんな具合に。
ポチョムキンはポチョムキンで、
「心の歪んだ青少年と体と体でぶつかり合い、更正させる!!これぞ真の教育!!」
などと叫びつつ、
「ポチョムキンバスター!!」
と、人を殺しかねない投げ技を放ったりしている。
「うおおおおっ!!久しぶりに熱い闘い……いや、ぶつかり合いよ!!」
「それにしてもキリがないアル……っ!!」
後ろから襲ってきたチンピラに裏拳を叩きこみつつ紗夢は呟く。
「ソル!!カイ!!」
「なんだ!!」
「なんですか!?」
梅喧の声に、ソルとカイが大声で答える。
「お前ら、二人で先に行け!!先に頭を潰しちまった方が早い!!」
「わかりました!!行くぞ、ソル!!」
「言われるまでもねぇ!!」
ソルとカイは二階へと続く階段を見つけ、それを一気に駆け上がる。
そして二階にたどり着いた二人を待っていたのは、キューを構えたヴェノムだった。
「やはり貴様らか……だが、ここから先に行かせるわけにはいかない」
ヴェノムの姿を目にしたカイは、封雷剣を構えて走り出す。
「ソル!!先に行け!!」
「ここは頼むぜ、坊や」
「その呼び方をやめろ!!」
カイは怒鳴りながらもヴェノムに向かって突っ込む。
「スタンディッパーロマキャンスタンディッパーロマキャンスタンディッパー
ロマキャンライド・ザ・ライトニング!!!」
「ぐほあぁぁぁぁ!!」
いきなりの連続攻撃にヴェノムは吐血してぶっ倒れる。
「ま、待て!!今のはどう考えてもゲージ二本は使っているぞ!?」
「悪は許さん!!そういうことで今の私のテンションゲージはトレーニングモードでのMAX状態だっ!!!」
「そ、そんなの認めんぞ!!反則……ぶはっ!!」
ジャキーン!!
それ以上追求するなと言わんばかりにヴェイパースラストがヴェノムを吹っ飛ばす。
「くっ、だが私も負けるわけにはいかん!!」
ヴェノムがキューを槍投げのようなスタイルで構える。
「ダークエンジェル!!」
ヴェノムの眼前に紫色のエネルギー弾が生まれ、カイに向かって飛び始める。
「負けるかぁーーーーーーーーッ!!」
封雷剣を構えて走るカイの雄叫びがフロア内に響き渡った――――。
ガン、ガン、ガン………
鉄網の階段を上るソルの足音がやけに大きく響く。
階段を上りきったフロアの中央にはやはりというか、ザトーが待ち構えていた。
「テメエ……ミリアはどうした!!」
怒りを剥き出しにした表情でソルが叫ぶ。
「ククク……そこにいるだろう?」
ザトーは喉の奥で笑い、ソルからは死角になっていた背後の壁を指差した。
ミリアは両手を頭の上で拘束されて眠っている。
「危害を加えたりはしていない。助けたければ……」
「テメエをぶっ倒すしかねえようだな………!!」
ソルの右手に握られた封炎剣が高熱を放ち始める。
「来い!!ミリアを失うと同時に身につけた私の力を見せてやろう!!」
「御託はいらねえ!! いくぞ!!」
大きく吠えるとともに、ソルはザトーに向かって全力疾走する。
対してザトーは腕組みをしたまま動こうともしない。
「オォォラァ!!」
封炎剣が唸りを上げてザトーに迫る。
ザシュッ………!!
肉の裂ける音。
だが、実際に血を流していたのはザトーではなく、ソルのほうだった。
「チッ………」
ソルの脇腹から肩にかけて、かなり大きな傷が走っていた。
ソルは片膝をついてザトーの方に目を向ける。
正確にはザトーではない。
自分の肉を裂いた影の腕を、だ。
ザトーの足元から2mほどの高さまで、影で造られた腕があった。
「これが私の力……影を操る力だ!!」
「………そんなもんか?」
ソルはつまらなそうに呟いた。
「………なんだと?」
ソルの呟きを聞いたザトーが気色ばむ。
「そんなもんかって言ってんだ……テメェの力は」
「ふざけるなっ!!」
ザトーはできうる限りの量の影を全てソルへと向ける。
「再起不能は覚悟しろっ!!」
影は牙を持つ獣の形をとり、ソルへと殺到する。
だが影がソルへと届く寸前、ソルは大きく跳びあがった。
ギリギリの所で影を避け、ザトーへと跳びかかる。
「バンディットリヴォルバー!!」
空中で放った回し蹴りは、ザトーの顔面をまともに捉える。
そして着地するや否や、封炎剣を地面に擦り付ける。
その摩擦熱で炎を生み出し、ソルは炎をまとって飛び上がる。
「ヴォルカニックヴァイパー!!」
ザトーは炎に焼かれながら空中へと浮く。
「落ちろっ!!」
追加攻撃の回し蹴りがザトーを強制的に地上へ戻す。
受身を取ることもかなわず、ザトーは床に激突し、気絶状態になった。
「くれてやる!!タイランレイィィヴ!!」
ドガァァァァァァァァァァァァァッ!!
ソルの放った巨大な火球がザトーの体を猛烈な勢いで壁へと叩きつける。
「認めんぞォォォォォォォォォォォォォっ!!」
壁をぶち破り、ザトーは絶叫を残しつつ海へと落ちる。
「……………やれやれだぜ」
お決まりの勝ちゼリフを口にし、ソルはミリアの拘束を解く。
いまだに眠りつづけるミリアを左手で抱き、右手の甲でミリアの頬を軽く叩く。
「………いつまで寝てやがる」
「ん………」
軽く身じろぎしてミリアの目が開かれる。
「………私………そう、助けに来てくれたのね、ソル」
記憶をかき集め、自分がさらわれた事は理解したらしい。
「俺だけじゃねえ……感謝するなら下にいる奴らにも感謝しとけ」
「下………?」
「まああの野郎が上ってこない所を見ると………」
カン、カン、カン………
ソルが言う側から階段を登る音がする。
「…………」
ソルは傍らにおいていた封炎剣を再び構えなおす。
が、上ってきた人物の姿を見て、緊張を解く。
「ご苦労だったな、坊や」
息を弾ませて上ってきたカイに、ソルはからかうような口調の声をかける。
「その呼び方を止めろ!!………しかし」
カイはミリアと、壁にあいた大穴を見て再び口を開く。
「決着はついたようだな、ソル」
「………一応な………オラ、もう立てるだろうが」
ソルはミリアの頭を軽く小突く。
「痛いわね」
「そのくらいなんでもねえだろうが……さっさといくぞ」
ソルは封炎剣を肩に担いでさっさと階段を降りてしまった。
「………相変わらずの無愛想ですね。もう少しこう何と言うか………」
「ロマンチックに、とか?」
「そうです」
カイの答えに、ミリアは軽く微笑んだ。
「照れ隠しなのよ……ソルの無愛想はね。もっとも、それだけじゃないと思うけど」
「そういうものですか?」
「そういうものよ」
そう言って、ミリアも階段を降りる。
そしてカイも、多少首をかしげながら階段を降りた。
「お、王子さまとお姫さまの登場だね」
上から降りてくるソルとミリアを見て、闇慈が茶化すように言う。
床にはチンピラ達が死屍累々と(死んでないけど)横たわっている。
「どうやらうまくいったようじゃの」
クリフが腰を軽く叩きながら言った。
「みんな………」
闇慈達の姿を見るなり、ミリアはその場に立ち尽くした。
「…………ありがとう」
ミリアは素直に礼を述べた。
「………何を柄にもなく感動してやがる」
「別に、そんなんじゃ……」
ソルの茶化しにミリアはまともに引っかかる。
「涙流しながら言っても説得力ねえな」
「え!?え!?」
ミリアは慌てて目を指でぬぐう。
「………冗談だ」
「あのねぇ!!」
ミリアは頬を膨らませてソルを睨む。
「………まぁいいわよ。ザトーに何かされたわけでもないし」
「ともあれ、これで一件落着デスね」
ぐ~~~~~~~…………
ファウストがシメた瞬間、誰かの腹の虫が泣いた。
「そう言えば……今何時だ?」
「八時。さすがに腹が減ってもおかしくない時間だぜ?」
「どうせだしさ、なんか食って帰らない?」
アクセルの提案にみんなが賛成し、一行は街へと繰り出した。
そして、食事中にソルが出血多量で病院送りになったのはまた別のお話。
続く。
「みんなーーーーーーーーっ!! 大ニュースだーーーーーーーーーっ!!」
朝、みんなが雑談する教室に突如飛びこんできた大声に、教室中が騒然となった。
叫んでいたのは、2-G一の情報通で忍者マニアのチップ。
「今日、転校生が来るらしいぞ!それも三人もだ!」
「おいおい、マジ!?」
ひときわ興味深そうに、制服をいい具合に着崩した闇慈が声を上げた。
「マジだよ、マジ。それも姉妹三人だってハナシだぜ」
チップの発言に、教室のあちこちで歓声が上がる。
「姉妹三人が一緒のクラスと言うのも珍しい話ですね」
クラス委員のカイも興味を持ったらしく、話に加わってくる。
「何でも、校長と理事長の一存で決まったらしいぜ」
「あの校長と理事長ならやりそうなことだよな…」
「「ふぇーーーーっくしょん!!」」
理事長室では、校長のポチョムキンと理事長のクリフが同時にくしゃみをしていた。
「誰か噂でもしているのか?」
「大方2-Gの転校生の事じゃろ」
クリフは手もとの茶をずずっ、とすすった。
「しかし、姉妹三人を同じクラスにして良かったのでしょうか」
「なぁに、あの姉妹はちとワケありじゃからの。特例と言う事で何とかなるじゃろ」
「だといいのですが………」
ポチョムキンは菓子器の中から煎餅を取り出し、一口かじる。
「茶がうまいのう……」
クリフは平和この上なしと言った口調で呟いた。
「転校生ねえ……と言っても、旦那は興味ないか」
窓際の隅の方に座って話を聞いていたアクセルが、後ろの席のソルに話し掛けた。
「………」
返事をするのも面倒なのか、ソルは目を閉じたままうなずきもしない。
「つれないなぁ……せめて返事ぐらいしてよ」
「……興味ねえ」
その返事を聞いて、アクセルはこれだよと言わんばかりに手で額を打った。
と同時に、教室の戸がガラッと開く。
「おい、みんな席につけ!」
担任の梅喧がいつもどおりの口調で叫ぶ。
「どうせもうチップのせいでわかってるんだろうが、今日は転校生を紹介する!」
梅喧の声で、廊下にいた三人の女子が教室に入ってきた。
「三人姉妹のミリア、紗夢、メイだ。じゃ、自己紹介しろ」
梅喧がそう言って教壇から降りた。
代わりに三姉妹が教壇に登る。
「長女のミリア=レイジです」
「次女の紗夢 蔵土縁アル!」
「三女のメイでーす!!」
三姉妹の自己紹介が終わると、教室は男子の歓喜の声で包まれた。
が、ソルだけは頬杖を付いてボーッと窓の外を見つめていた。
ひとしきり騒いだあと、梅喧がみんなを静める。
「よし。じゃあ席は…そうだな、ミリアはソルの隣、紗夢はカイの後ろ、メイは闇慈の隣だ」
梅喧は指で指し示しながら席を指定した。
(……ソル?)
ミリアはその名を聞いた瞬間、一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、すぐに元の表情に戻る。
だが、机の間を通って自分の席につこうとしたその時、ミリアは驚愕で目を見開いた。
「………ソル?」
「……………」
ミリアは無意識にソルの名を呼んだ。
それに気づいたソルは目だけをミリアの方に向けたが、それで何をするでもない。
「あれ、知り合いなの?旦那」
「まあな」
アクセルの問いに、ソルは珍しく反応した。
「あなた……何でこんなところにいるの?」
「こんなところも何も俺はここの生徒だ」
「おい、早く席につけよ」
梅喧が声をかけてきたので、ミリアはそれ以上何も言わずに席についた。
そして朝のホームルームが滞りなく終わり、梅喧がいなくなると、紗夢とメイには
男女問わず周りに人が集まった。
だが、ミリアの側にはアクセル、チップ、闇慈がいるだけだ。
この三人が一緒にいる事はよくあるのだが、そうなると大抵は人が近寄らない。
騒ぎに巻き込まれて一緒くたに怒られることがあるからだ。
「ミリアと旦那、昔なんかあったの?」
「別に……何もないわ」
アクセルの問いに、ミリアはそっけなく答える。
だが、闇慈が更に深読みして突っ込んでくる。
「けど、ただの知り合いってワケやなさそうだけどな」
「本当に何もないの。私が卒業した中学校でほんの少し一緒だっただけ」
「ほんの少し?」
「ソルが転校していったのよ」
ミリアは横目でソルを盗み見た。
ソルはミリアの事などまったく意に介さず、机に突っ伏して熟睡している。
(……そうよ……私はソルとは何でもない……ただの知り合い………)
「ん~……まあ、そういうことにしておこうか」
「……どういう意味?」
ミリアは眉間にしわを寄せてアクセルを軽くにらむ。
「いろいろとね」
そう言うと、アクセルは自分の席についた。
と同時にチャイムが鳴って、チップと闇慈も自分の席に戻る。
「一時間目は世界史だよん。旦那の机から教科書引っ張り出して使いなよ」
「ソルはどうするのよ」
「大丈夫大丈夫。授業時間は旦那寝っぱなしだから」
確かに、チャイムが鳴ってもなおソルが起きる気配はない。
(何しに学校に来てるのかしら……?)
ミリアは心の中で首を傾げたが、考えるのを止めてソルの机から世界史の教科書を引っ張り出す。
「いよーし!!今日もエレガントに……」
「あーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
世界史担当のジョニーが入ってくるなり、メイが叫んだ。
「ジョニー!」
「ん?おお、メイじゃないか」
ジョニーの方もメイに気づいたらしい。
「な、なんだぁ?ジョニーセンセ、メイと知り合いなのか?」
チップがまだ混乱した様子で口を開く。
「ああ、俺がメイのいた中学校に教育実習に行ったことがあってな」
「なんか……すげェ偶然だな」
「偶然じゃないもん、運命だもん!」
チップの言葉に、メイが少しむくれて言う。
「おいおいメイ、みんなの前では止めようぜ?あとで二人っきりで、ナ」
最後の方はメイに耳打ちする。
「いよーし!!マーベラスな2-Gの諸君!今日もエレガントに授業を始めよう!!」
「起立!」
クラス委員長であるカイが号令をかける。
「礼!」
カイの号令でみんながいっせいに例をする。
ちなみにその間もソルは熟睡したままだ。
「えへへ………ジョニー…………」
そしてメイは恍惚とした表情でジョニーをじっと見つめていた。
ジョニーの授業は実に面白くわかりやすい。
何しろ、ジョニーは世界中を直に見てきているのだ。
どこかの地名が出てくると、それにまつわるエピソードなどを話してくれる。
生徒のチャチャにも独特の言葉さばきで応答し、それでいて、大事なところはさりげなく
強調する。
そのおかげで、生徒の間では『ジョニーに授業を持たれれば赤点なし』といった逸話まで存在している。
そして、いつものようにみんなに惜しまれつつ授業が終わった。
「じゃ、今日はここまで。また次の時間だ」
ジョニーはそう言って颯爽と教室から去っていく。
「どうだった?世界史の授業は」
アクセルがミリアに話し掛けてきた。
どうやら、アクセルは性質的にミリアを気に入ったらしい。
「あんなに面白い授業は始めてだわ……いい先生ね」
「だろ?あの先生、人気高いんだぜ」
「そうみたいね……」
ミリアはアクセルから視線をそらしてメイの方に視線をめぐらせる。
「ジョニー……えヘヘ」
視線の先では、すっかりのぼせ上がって幸せオーラをまとったメイがいた。
「すっかりのぼせ上がってるわね……」
「メイちゃんか……ほんとジョニー先生命って感じだったなぁ」
「そうアルねぇ……あの子思いこみ激しいアルから……」
いつのまにか、紗夢が二人の近くにやってきていた。
「ミリア姉さんとは大違いアル」
「そうだろうなぁ……ミリアってクールだし、ああはなりそうにないよなぁ」
アクセルも紗夢に調子を合わせる。
ミリアの方は別になんと言われようと気にならないらしく、ふぅ、と軽くため息をついただけだった。
「ま、クールなのはある意味旦那も同じだよな」
アクセルは視線でソルを指しながら言った。
ソルは世界史の時間中ずーっと眠りつづけ、まだ眠っている。
「………端からそうは見えないけど」
「この人、何しに学校に来てるアル?」
「私も同じ事を考えたわ」
「さあ?大方昼飯目当てだと思うけど」
「昼飯?」
ミリアと紗夢がオウム返しにアクセルに尋ねる。
「ああ、ミリアと紗夢はまだ知らなかったっけ。この学校、学食はタダなんだよ」
「ようするに、タダでたっぷりお昼を食べようと………」
「そ。まあ結構食べるしねえ、旦那は」
アクセルはそう言って面白そうに笑った。
「…………はぁ」
ミリアの方は対照的にこめかみを押さえてため息をつく。
「どうしたアルか?姉さん」
「頭が痛くなってきたわ……」
ミリアはもう一度ため息をつく。
キーン、コーン、カーン、コーン……………
「っと!席に戻るアル」
紗夢は少し急いで自分の席に戻る。
「そう言えば、次の時間は?」
「んー?生物だよ」
ミリアはまたソルの机から生物の教科書を引っ張り出した。
「お、きたきた。テスタメント先生だよ」
「委員長、たのむ」
「起立!」
テスタメントの合図で、カイは号令をかける。
「礼!」
みんなが礼をして着席すると、テスタメントは教師用の教科書を開く。
「それでは、今日は遺伝の法則について―――」
テスタメントが黒板に文字を書き始めると、ソル以外の全員がノートにそれを書き写す。
そして、生物の授業は別段何事もなく終わった。
「どうだった?テスタメント先生は」
「別に…普通の人ね。少し面白味に欠けるわ」
「ところがね。あの先生、ワケのわからない研究ばっかりしてるんだよ」
アクセルが意味深な口調で言う。
「暗闇でも育つ『ダーク野菜』とか、一週間で実がなる『バイオ柿』とかのね」
「……それって、考えようによってはすごい研究なんじゃ?」
「いや、成功した事はないみたいだから」
「全然だめじゃない……ところで次の時間は?」
「ん、三・四時間目は美術」
「じゃあ、教室移動ね」
「旦那起こしていかないと………」
そう言って、アクセルはソルの肩をゆすった。
「……今何時だ」
「だいたい11時ってとこかな。次、美術だよ」
「ああ」
ソルは短く答えて机の中を引っ掻き回す。
筆箱を奥の方から文字通り引っ張り出し、席を立つ。
「……行くぞ」
ソルはいつもの仏頂面で、ミリアとアクセルに呼びかけた。
ソル自身はさっさと歩いていってしまう。
「遅らせてる本人が言う言葉じゃないわ……」
「まあまあ」
アクセルがなだめるように言う。
こういうときの彼の『まあまあ』は誰にでも良く効くのだ。
「……まあいいわ。とりあえず案内して」
「あ、そうか。まだ場所がわかんないのか」
「わかってたら一人で行ってるわ」
「さようで」
アクセルとミリアはソルの後に続いて歩き出した。
「んきゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ソル達が美術室のすぐ近くまできたとき、美術室から悲鳴が聞こえた。
「何…?」
「あー……まあ、大方想像はつくけどね」
アクセルはまたかと言わんばかりの顔でつぶやいた。
そして美術室に足を踏み入れると、悲鳴の主と原因が一度にわかった。
「メイ……あなただったのね、さっきの悲鳴」
「うぅ~……驚いたよぉ……」
メイが教壇の近くの床にぺたんと尻餅をついている。
「ここまで驚かれたのは初めてだな……だが、驚かせてしまってすまない」
ポチョムキンが深々と頭を下げる。
そう、悲鳴の主はメイ、その原因は美術教師であるポチョムキンである。
職員室にいたジョニーから場所を聞いて、勢い勇んで飛び込んできたところをポチョムキンと鉢合わせしたと言うわけだ。
まあ見慣れない人間には怖いだろう。
何しろ上半身裸で異常発達している怖い顔の人間が絵筆をガチャガチャいじっているのだから。
「というわけで、美術教師のポチョムキンだ。校長でもあるがな」
「はい……」
メイは少し恥ずかしそうに呟いた。
ちなみにミリアが驚かなかったのは、転校手続きのときにポチョムキンを見たことがあったからである。
「おい、立てるか?」
ソルがメイを見下ろしながら尋ねた。
「うー……腰が抜けちゃってるよぉ」
「しょうがないわね……よいしょっと」
ミリアがメイを背負って立ち上がった。
「で、この子どうすればいいのかしら」
「そうだな、三時間目は出席扱いにして置くから保健室に連れて行ってやりなさい」
ポチョムキンが言うと、アクセルがすばやく反応した。
「あ、だったら俺達も行きますよ。まだミリア場所わかんないだろうし。ね、旦那」
「ああ。ミリアまで腰抜かしかねねぇからな……」
「それはかまわないが…君達は三時間目には帰ってくるんだぞ」
「判ってますって。じゃ、行ってきます」
すでに歩き出したミリアを追って、ソルとアクセルも歩き出した。
「ねえ、『お姉ちゃんまで腰抜かしかねない』ってどういう意味?」
ミリアの背に背負われたまま、メイがソルに話し掛ける。
「あぁ?ありゃあ……まぁ、行けばわかる」
ソルはそう言って、意味ありげに口元に笑みを浮かべた。
「……気になるわね」
「すぐにわかる。おっと、ここだ」
ソルが『保健室』と書かれたプレートのついた部屋の前で立ち止まった。
「ファウストせんせー!急患なんですけどー!」
アクセルが保健室のドアをノックしながら言う。
「開いてマスよー」
「失礼しまーす」
アクセルが保健室の扉を開けて中に入る。
ソルとミリアもそれに続く。
「どうしましたー?」
「んきゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「っ!!」
振り向いたファウストの顔に、メイは思いっきり悲鳴をあげた。
ミリアも声には出さなかったが、死ぬほどびっくりしたらしい。
ぺたん。
「あらら。ほんとにミリアも腰抜かしちゃった」
「……まあ当然と言えば当然の結果だな」
「心外デスねぇ。私の顔でそんなにびっくりしマスかぁ?」
「そんな紙袋かぶってれば誰でもびっくりするよっ!」
メイが床に座り込んだまま大声で抗議する。
ミリアのほうもまだ立ち直ってはいないらしい。
「だよなぁ……俺もはじめて見た時は心臓二秒くらい止まったもんな、マジで」
「たまに剣道部に化物退治の依頼までくる始末だからな……」
「なんだか酷い言われようデスねぇ。で、患者さんはどなたデスカ?」
ファウストは大して傷ついてもいないような口調で言った。
「っと、そうだった。えーっと、校長先生見てこの子が腰抜かしちゃって………」
そう言って、アクセルがメイを指す。
「で、たった今アンタを見てこいつが腰抜かした」
ソルがミリアを指す。
「というわけで、こいつら二人を休ませてやってくれ」
「はいハイ。えーっと、2-Gのミリアさんとメイさんね」
ファウストはアクセルとソルから名前を聞いて、記録帳に書き込んでいく。
「はい、ご苦労様。この子達ベッドまで運んだら教室に戻ったほうがいいデスよ」
「そうするぜ……アンタの面は心臓に悪ぃ」
ソルはそう言って、ミリアを抱えあげてベッドまで運ぶ。
アクセルも、メイを背負い上げてベッドまで運んだ。
「じゃあ、あばよ。もう美術室までの道はわかってるだろ」
「校長先生にはちゃんと言っといてあげるから、ゆっくり休みな」
「ちょ……ちょっと!」
ミリアが声をあげるが、もう遅い。
ソルとアクセルは、保健室から出て行ってしまった。
(はっきり言ってこの校医まともじゃないわよ!?)
心の中でミリアは叫んだ。
が、時すでに遅し。
仕方なくミリアはカーテンを引き、ベッドに横になった。
隣のメイもそれに習う。
「……この学校……すごいわ」
ミリアが誰に言うでもなく呟いた。
「うーん……でも僕はジョニーに会えたからうれしいな」
「……そう」
「お姉ちゃんは?ソルに会えて嬉しくないの?」
「……嬉しいわけ、ないわ」
そう言ってミリアは寝返りを打ち、メイに背を向けた。
「あんな……あんな別れ方したんだもの」
「お姉ちゃん……」
メイはミリアに声をかけるが反応がない。
泣いているわけではなさそうだが。
「……ごめんね」
一言だけ言うと、メイは掛け布団を頭までかぶった。
「恋愛問題デスか……難しいデスねえ」
カーテンの外で、しっかりと話を聞いていたファウストがポツリと呟いた。
「それじゃ、お世話になりました」
「また、具合が悪くなったらいつでも来てください。あと、悩み相談にも乗りますよ」
「はい。じゃ、失礼します」
ミリアはファウストに礼をすると、保健室から出て行った。
メイの方は、二重にショックを受けたのがまずかったらしく、もう一時間保健室に
いることになったのだ。
(それにしても……あの先生に悩みを打ち明ける人なんているのかしら……?)
美術室への帰り道でミリアはそんなことを考えてみたが、頭が痛くなってきたので考えるのをやめた。
「おっ、ミリア復活したね」
美術室に入るなり、アクセルが声をかけてくる。
(ものすごく不安だったわ……)
(何で?)
(……言わなくてもわかると思うけど)
(ファウスト先生のこと?大丈夫だって。あの人ああ見えても紳士だから)
(とてもそうは見えないわ……)
「戻ってきたのかね」
アクセルとミリアが小声で会話していると、ポチョムキンがミリアを見つけて近寄ってきた。
「驚いただろう。あいつのあの格好は何とかしろと言ってるんだがね……」
「それはもう心臓が止まるかと……え?あいつ?」
「ああ、私とあいつは高校が同じでね。昔は二人そろって有名人だったものだよ」
「……想像は出来ます」
ミリアはまたこめかみに頭痛を覚えた。
今日はよくよく頭痛に悩まされる日だなとミリアは思う。
「ところで……メイ君はどうした?」
「あ、メイならまだ保健室で寝てます。二重のショックがよくなかったらしくて」
「ふむ……そうか。それなら仕方ないな」
ポチョムキンは持っていた出席簿にさらさらと書き込んだ。
「君の場所は紗夢くんやソルの近くだ。やることは彼らに聞くといいだろう」
「はい」
ミリアは一つ返事をすると、紗夢の所に歩いていった。
「あ、姉さん。もう大丈夫アルか?」
「ええ……紗夢、あなた保健室には行かないほうがいいわ……」
「……努力はするアル」
ミリアの表情から何かを感じ取った紗夢は、そう言って作業に没頭する。
「ところで、何をすればいいの?」
「文化祭に展示する絵を描くアル」
「何でもいいの?」
「自分の想像だけで描けっていう珍しい題材アル」
「そう……」
ミリアも、それっきり画用紙に向かって押し黙った。
鉛筆を紙の上で滑らせ、何度も消しゴムをかけて描き直す。
そしてようやくデッサンが5割がた完成したところで授業が終わった。
ちなみにミリアが描いているのは森の絵だ。
昼食には紗夢の作った弁当を食べ、五・六時間目の数学・英語も滞りなく終わった。
そして放課後。
ミリアは部活動でも見て回ろうかと思っていた。
「紗夢は帰宅部……メイは水泳部……ね」
ちなみにメイが水泳部に入部した理由は、なんてことはない、ジョニーが顧問をしていたからだ。
どこまでもジョニー一直線な子である。
「私はどうしようかしら……」
ミリアはカバンを掴んで歩き出した。
学校の中をふらふら歩くのもいいと思ったらしい。
「おい」
だが、教室を出たとたんに誰かに呼び止められた。
「……ソル?」
ミリアは警戒するような視線をソルに向ける.
「少し話してェことがある」
一方的に言い、ソルはミリアに背を向けて歩き出した。
こういう行動をされると、はっきり言って断りづらい。
「ちょっと!……もう!」
ミリアは不満をもらしながらも、ソルを追って軽く駆け出した。
+++++++++++++++++
□Time goes by
第二話~過去と本音~
ソルとミリアは校舎を抜け、裏庭に来ていた。
めったに人は来ないので、告白や密談に良く使われる場所だ。
「……用件は何?」
ミリアは相変わらずの警戒姿勢で言う。
ソルのほうは、ミリアに背を向けたまましばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「………部活、どうすんだ?」
「まだ、決めてないわ……まさかそんなこと言うためにここに連れてきたの?」
ミリアは眉間にしわを寄せて訝しげな視線をソルの背に向けた。
当のソルは、またしばらく沈黙したあと、ゆっくりとミリアの方を向いた。
「……………そう警戒すんな」
ミリアの今にも逃げ出しそうな体勢を見て、ソルが言う。
「別になんかしようとしてるわけじゃねえ」
「……信用できないわ……」
少し辛そうに目を伏せ、ミリアが呟く。
「私を弄んで捨てた男の……言う事なんか」
「…………悪かった」
(うっそだろぉ!?)
(旦那もやるねぇ、ミリアを弄んで捨てるなんて)
(なんか、ソルの意外な一面だな)
近くの茂みの中から、ソル達には聞こえない位の声がした。
茂みの中にいるのは、チップ・アクセル・闇慈・メイ・紗夢だ。
なぜ彼らがここにいるのかはいたって簡単。
ソルとそれを追いかけるミリアをアクセルが偶然見かけ、面白そうだということで、
他の四人を携帯を使って呼び出したのだ。
(なあ、メイと紗夢はこのこと知ってたのか?)
(ソルと姉さんが付き合ってたってのは知ってたアル)
(でも、捨てられたなんてお姉ちゃん全然言ってなかったよ)
(シッ!!またなんか喋るぞ!!)
闇慈が他の三人の口を閉じさせる。
しばらく沈黙していた二人だったが、それを破ったのはミリアだった。
「……謝られても……許せないわ」
「………………」
ミリアは目を伏せ、ソルは何も言わずに黙っていた。
「私が……どんなに悲しい思いをしたかわかる?」
「………」
「……訳も言わずに別れ話持ちかけて………そのまま転校していくなんて……」
ミリアは痛む部分を押さえるように右頬に手を当てた。
「最低よ………」
(へー……ミリアも結構つらい恋してたんだなー)
(さあ、ソルはどう出るアル?)
「………悪かった」
「………それしか言う事はないの?」
ミリアはソルの目を真っ向から見据える。
ソルはミリアの視線を受けてなお、無表情のままだった。
「あの時は……俺もどうかしてた」
(げっ!旦那が自分の非を認めてる!!)
(すげえ女だな、ミリア)
アクセルにとチップに感嘆されつつ、ソルとミリアは話を続ける。
「………だからって………」
ミリアはそこで言葉を切る。
「許せると………思う?」
大粒の涙がミリアの目からこぼれていた。
涙はミリアの頬を伝い、地面に流れ落ちた。
「………とりあえず泣くんじゃねえ」
「無理よ………そんなの」
ミリアは泣き声で声を絞り出す。
「………泣かれるとどうして良いかわかんねえんだよ」
無表情だったソルが、後悔するような表情を浮かべる。
ミリアはハッとしたように、瞳をソルの方に向ける。
「あの時もだ……お前がいきなり泣き出したからな………」
ソルの口調が自虐的なものに変わった。
「……………逃げ出しちまったんだよ……お前からな………」
(ソルが逃げ出したってのはなんか意外アルね)
(旦那って女の扱い手馴れてそうだけどねえ)
(純情だったんじゃねぇの?)
「………許せねえってのも……しょうがねえよな」
ソルが悲しそうに微笑した。
ミリアは今だ泣きつづけている。
「……もう泣くな」
ソルは人差し指でミリアの両目にあふれていた涙をすくった。
ミリアは一瞬びくっと身をすくませるが、結局されるがままになっていた。
「……殴って気が済むなら殴れ。罵って気が済むなら罵ってくれ」
涙をすくいながらソルが言う。
「俺にできる事なら………何でもする」
「………わかったわ」
パァンッ!!
ミリアの平手がソルを打ち、ソルの頬が鳴った。
茂みの中のアクセル達はいきなりの音に驚いて顔をしかめる。
「………痛ぇ………」
「こんなものじゃなかったわ………私の痛みは」
ミリアは厳しい表情のままもう一発ソルの頬を打つ。
バキッ!!
「………マジで痛ぇぞ」
「当たり前よ……拳で打ったんだから」
ミリアは手を開いてぶらぶら振っている。
ミリア自身も少し痛かったらしい。
(普通女が拳で殴るか?)
(姉さんらしいアル……)
「でも……スッキリしたわ」
ミリアが口元に微笑を浮かべて言う。
その目には、もう涙はない。
「許したわけじゃないわよ。でも、あなたを恨んだりはしてない」
「………………」
「で…………こう言うのもなんだけど………」
ミリアは一旦言葉を切って、きょろきょろと辺りを見回す。
顔を真っ赤にしてソルに向き直り、ミリアにしては珍しく、上目遣いにソルを見る。
そして、ものすごく恥ずかしそうに口を開いた。
「………私と、また付き合ってくれる?」
恥ずかしくなったのか、すぐに目をそらす。
「……ああ」
ソルも照れているのか、ぶっきらぼうに返す。
「………ありがとう、ソル」
そう言って―――ミリアが笑った。
悲しみの欠片もない、穏やかな微笑。
だがそれは……非常に―――魅力的な表情だった。
「やっと笑いやがったか…………」
ソルが照れ隠しに悪態をつくが、ミリアは全く気にしない。
「………そのツラがずっと見たかったんだよ」
そう言ってソルもホッとしたような表情を浮かべた。
「さてと………一段落ついたところで………」
ソルはアクセル達の隠れている茂みのほうを睨みつける。
アクセル達もドキッとしてざわめく。
(バ、バレたか?)
(あの声で気づくわけねえだろ!?)
(いや、旦那だったらありうるんじゃ……)
「俺が気づかねえとでも思ったのか?とっととツラ出せ」
底冷えするような声でソルはアクセル達に告げた。
(やっばりバレてたーーーーー!!)
(ど、どうするの?)
「出てこねぇならこっちから行くぞ」
ソルは茂みに向かってゆっくりと歩き出す。
(や、やべぇぞ!!)
(ほ、ほんとにどうするアル!?)
(き、決まってんだろォ?)
(逃げるっきゃない!!)
そう言って、アクセル達はいきなり立ち上がって一目散に駆け出した。
「逃がすか!ライオットスタンプ(炎なし)!!」
だんっ!!
ソルは後ろに飛び、校舎の壁を蹴ってアクセル達に蹴りかかる。
どがっ!!
「どわっ!?」
一番後ろを走っていた闇慈が背中を蹴られて倒れこむ。
「きゃっ!?」
「うわっ!?」
「あたっ!!」
「ぐわっ!!」
続いて、メイ・アクセル・紗夢・チップの順に将棋倒しになった。
「テメェら……覚悟できてんだろうなァ?」
ソルは指や首をゴキゴキ鳴らしている。
ミリアもあえて止めはしない。
「ソ、ソル、手加減して……くれるよね?」
「安心しな……女には手加減してやる」
「だ、旦那ァ、俺達は………」
「…マジで行くぜ?」
ソルはアクセル達を一瞥すると、苦笑したように口元を曲げた。
「「「た、助けてくれェェェェェェェェェェっ!!」」」
アクセル達男三人衆の悲痛な叫びが裏庭に響き渡った。
「いったぁ~~~~い……」
「自業自得よ」
メイが漫画のようなタンコブを押さえてうなっていると、ミリアがもっともな意見を言う。
紗夢もメイと同じように頭を押さえている。
二人ともソルのゲンコツを頭に食らったのだ。
ちなみに男三人衆は……ボコボコになってそこらに転がっていた。
「……?ちょっと待って……あなた達いつからあそこに居たの?」
ミリアが不意に思いついてメイに問う。
メイの方はきょとんとしてミリアに答えた。
「いつからって……最初から」
「と、いうことは………まさか………」
ミリアの動きがぎこちなくなる。
メイはちょっと意地悪く笑う。
「えへへ……ぜぇ~んぶ見てました」
ピキッ。
ミリアが完全に固まる。
だがその直後、凄まじい怒りのオーラがミリアの背後に立ち上った。
「あ~な~た~た~ち~~~~!!!!」
地獄の底から響くようなミリアの怒りの声と共に、二度目の悲痛な叫びが響き渡った。
「ひ~~ん………もっとイタイ~~~~~」
「メイが余計な事言うからアル………」
二段になったタンコブや頭を押さえてメイと紗夢が言った。
「ああ………明日学校に来るのがつらいわ…………」
ミリアが心底つらそうに言う。
明日学校に来たら今日の事はクラス中に広まっているだろう。
チップと闇慈によって。
男三人衆は更にボコボコにされ、ボロ雑巾のようになって転がっている。
多分骨の一本や二本は折れているだろう。
とくにチップと闇慈は口封じのために喉もやられている。
どのみち、明日には治っているだろうが。
(まあ……ソルの本音がわかったのはうれしかったけど……)
ミリアが誰にも聞こえないように呟いた。
その表情はいつものクールな表情に戻っている。
が、その奥に潜んでいた影はもうない。
「また、よろしくね……ソル」
「……ああ」
ミリアがソルに向かって微笑んだ。
ちなみに、微笑む前に紗夢とメイは頭をどつかれて気絶させられている。
空は六月の夕暮れでオレンジ色に染まっていた。
「さてと……帰るか」
ソルが伸びをしながら言う。
「そう言えば、あなたどうやって通ってるの?」
「バイク。乗ってくか?」
「そうね、送ってってもらうわ」
ソルとミリアは並んで歩いて裏庭を後にした。
手を繋いだりはしていないものの、その姿は……どことなく楽しそうに見えていた。
その日の夜……
「あー……誰か……俺らを病院に運んでくれぇ………」
深夜の裏庭に、消え入りそうなアクセルの呟きがむなしく響いた。
翌日、ファウストによる緊急手術が保健室で行われたという噂が流れた。
朝、みんなが雑談する教室に突如飛びこんできた大声に、教室中が騒然となった。
叫んでいたのは、2-G一の情報通で忍者マニアのチップ。
「今日、転校生が来るらしいぞ!それも三人もだ!」
「おいおい、マジ!?」
ひときわ興味深そうに、制服をいい具合に着崩した闇慈が声を上げた。
「マジだよ、マジ。それも姉妹三人だってハナシだぜ」
チップの発言に、教室のあちこちで歓声が上がる。
「姉妹三人が一緒のクラスと言うのも珍しい話ですね」
クラス委員のカイも興味を持ったらしく、話に加わってくる。
「何でも、校長と理事長の一存で決まったらしいぜ」
「あの校長と理事長ならやりそうなことだよな…」
「「ふぇーーーーっくしょん!!」」
理事長室では、校長のポチョムキンと理事長のクリフが同時にくしゃみをしていた。
「誰か噂でもしているのか?」
「大方2-Gの転校生の事じゃろ」
クリフは手もとの茶をずずっ、とすすった。
「しかし、姉妹三人を同じクラスにして良かったのでしょうか」
「なぁに、あの姉妹はちとワケありじゃからの。特例と言う事で何とかなるじゃろ」
「だといいのですが………」
ポチョムキンは菓子器の中から煎餅を取り出し、一口かじる。
「茶がうまいのう……」
クリフは平和この上なしと言った口調で呟いた。
「転校生ねえ……と言っても、旦那は興味ないか」
窓際の隅の方に座って話を聞いていたアクセルが、後ろの席のソルに話し掛けた。
「………」
返事をするのも面倒なのか、ソルは目を閉じたままうなずきもしない。
「つれないなぁ……せめて返事ぐらいしてよ」
「……興味ねえ」
その返事を聞いて、アクセルはこれだよと言わんばかりに手で額を打った。
と同時に、教室の戸がガラッと開く。
「おい、みんな席につけ!」
担任の梅喧がいつもどおりの口調で叫ぶ。
「どうせもうチップのせいでわかってるんだろうが、今日は転校生を紹介する!」
梅喧の声で、廊下にいた三人の女子が教室に入ってきた。
「三人姉妹のミリア、紗夢、メイだ。じゃ、自己紹介しろ」
梅喧がそう言って教壇から降りた。
代わりに三姉妹が教壇に登る。
「長女のミリア=レイジです」
「次女の紗夢 蔵土縁アル!」
「三女のメイでーす!!」
三姉妹の自己紹介が終わると、教室は男子の歓喜の声で包まれた。
が、ソルだけは頬杖を付いてボーッと窓の外を見つめていた。
ひとしきり騒いだあと、梅喧がみんなを静める。
「よし。じゃあ席は…そうだな、ミリアはソルの隣、紗夢はカイの後ろ、メイは闇慈の隣だ」
梅喧は指で指し示しながら席を指定した。
(……ソル?)
ミリアはその名を聞いた瞬間、一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、すぐに元の表情に戻る。
だが、机の間を通って自分の席につこうとしたその時、ミリアは驚愕で目を見開いた。
「………ソル?」
「……………」
ミリアは無意識にソルの名を呼んだ。
それに気づいたソルは目だけをミリアの方に向けたが、それで何をするでもない。
「あれ、知り合いなの?旦那」
「まあな」
アクセルの問いに、ソルは珍しく反応した。
「あなた……何でこんなところにいるの?」
「こんなところも何も俺はここの生徒だ」
「おい、早く席につけよ」
梅喧が声をかけてきたので、ミリアはそれ以上何も言わずに席についた。
そして朝のホームルームが滞りなく終わり、梅喧がいなくなると、紗夢とメイには
男女問わず周りに人が集まった。
だが、ミリアの側にはアクセル、チップ、闇慈がいるだけだ。
この三人が一緒にいる事はよくあるのだが、そうなると大抵は人が近寄らない。
騒ぎに巻き込まれて一緒くたに怒られることがあるからだ。
「ミリアと旦那、昔なんかあったの?」
「別に……何もないわ」
アクセルの問いに、ミリアはそっけなく答える。
だが、闇慈が更に深読みして突っ込んでくる。
「けど、ただの知り合いってワケやなさそうだけどな」
「本当に何もないの。私が卒業した中学校でほんの少し一緒だっただけ」
「ほんの少し?」
「ソルが転校していったのよ」
ミリアは横目でソルを盗み見た。
ソルはミリアの事などまったく意に介さず、机に突っ伏して熟睡している。
(……そうよ……私はソルとは何でもない……ただの知り合い………)
「ん~……まあ、そういうことにしておこうか」
「……どういう意味?」
ミリアは眉間にしわを寄せてアクセルを軽くにらむ。
「いろいろとね」
そう言うと、アクセルは自分の席についた。
と同時にチャイムが鳴って、チップと闇慈も自分の席に戻る。
「一時間目は世界史だよん。旦那の机から教科書引っ張り出して使いなよ」
「ソルはどうするのよ」
「大丈夫大丈夫。授業時間は旦那寝っぱなしだから」
確かに、チャイムが鳴ってもなおソルが起きる気配はない。
(何しに学校に来てるのかしら……?)
ミリアは心の中で首を傾げたが、考えるのを止めてソルの机から世界史の教科書を引っ張り出す。
「いよーし!!今日もエレガントに……」
「あーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
世界史担当のジョニーが入ってくるなり、メイが叫んだ。
「ジョニー!」
「ん?おお、メイじゃないか」
ジョニーの方もメイに気づいたらしい。
「な、なんだぁ?ジョニーセンセ、メイと知り合いなのか?」
チップがまだ混乱した様子で口を開く。
「ああ、俺がメイのいた中学校に教育実習に行ったことがあってな」
「なんか……すげェ偶然だな」
「偶然じゃないもん、運命だもん!」
チップの言葉に、メイが少しむくれて言う。
「おいおいメイ、みんなの前では止めようぜ?あとで二人っきりで、ナ」
最後の方はメイに耳打ちする。
「いよーし!!マーベラスな2-Gの諸君!今日もエレガントに授業を始めよう!!」
「起立!」
クラス委員長であるカイが号令をかける。
「礼!」
カイの号令でみんながいっせいに例をする。
ちなみにその間もソルは熟睡したままだ。
「えへへ………ジョニー…………」
そしてメイは恍惚とした表情でジョニーをじっと見つめていた。
ジョニーの授業は実に面白くわかりやすい。
何しろ、ジョニーは世界中を直に見てきているのだ。
どこかの地名が出てくると、それにまつわるエピソードなどを話してくれる。
生徒のチャチャにも独特の言葉さばきで応答し、それでいて、大事なところはさりげなく
強調する。
そのおかげで、生徒の間では『ジョニーに授業を持たれれば赤点なし』といった逸話まで存在している。
そして、いつものようにみんなに惜しまれつつ授業が終わった。
「じゃ、今日はここまで。また次の時間だ」
ジョニーはそう言って颯爽と教室から去っていく。
「どうだった?世界史の授業は」
アクセルがミリアに話し掛けてきた。
どうやら、アクセルは性質的にミリアを気に入ったらしい。
「あんなに面白い授業は始めてだわ……いい先生ね」
「だろ?あの先生、人気高いんだぜ」
「そうみたいね……」
ミリアはアクセルから視線をそらしてメイの方に視線をめぐらせる。
「ジョニー……えヘヘ」
視線の先では、すっかりのぼせ上がって幸せオーラをまとったメイがいた。
「すっかりのぼせ上がってるわね……」
「メイちゃんか……ほんとジョニー先生命って感じだったなぁ」
「そうアルねぇ……あの子思いこみ激しいアルから……」
いつのまにか、紗夢が二人の近くにやってきていた。
「ミリア姉さんとは大違いアル」
「そうだろうなぁ……ミリアってクールだし、ああはなりそうにないよなぁ」
アクセルも紗夢に調子を合わせる。
ミリアの方は別になんと言われようと気にならないらしく、ふぅ、と軽くため息をついただけだった。
「ま、クールなのはある意味旦那も同じだよな」
アクセルは視線でソルを指しながら言った。
ソルは世界史の時間中ずーっと眠りつづけ、まだ眠っている。
「………端からそうは見えないけど」
「この人、何しに学校に来てるアル?」
「私も同じ事を考えたわ」
「さあ?大方昼飯目当てだと思うけど」
「昼飯?」
ミリアと紗夢がオウム返しにアクセルに尋ねる。
「ああ、ミリアと紗夢はまだ知らなかったっけ。この学校、学食はタダなんだよ」
「ようするに、タダでたっぷりお昼を食べようと………」
「そ。まあ結構食べるしねえ、旦那は」
アクセルはそう言って面白そうに笑った。
「…………はぁ」
ミリアの方は対照的にこめかみを押さえてため息をつく。
「どうしたアルか?姉さん」
「頭が痛くなってきたわ……」
ミリアはもう一度ため息をつく。
キーン、コーン、カーン、コーン……………
「っと!席に戻るアル」
紗夢は少し急いで自分の席に戻る。
「そう言えば、次の時間は?」
「んー?生物だよ」
ミリアはまたソルの机から生物の教科書を引っ張り出した。
「お、きたきた。テスタメント先生だよ」
「委員長、たのむ」
「起立!」
テスタメントの合図で、カイは号令をかける。
「礼!」
みんなが礼をして着席すると、テスタメントは教師用の教科書を開く。
「それでは、今日は遺伝の法則について―――」
テスタメントが黒板に文字を書き始めると、ソル以外の全員がノートにそれを書き写す。
そして、生物の授業は別段何事もなく終わった。
「どうだった?テスタメント先生は」
「別に…普通の人ね。少し面白味に欠けるわ」
「ところがね。あの先生、ワケのわからない研究ばっかりしてるんだよ」
アクセルが意味深な口調で言う。
「暗闇でも育つ『ダーク野菜』とか、一週間で実がなる『バイオ柿』とかのね」
「……それって、考えようによってはすごい研究なんじゃ?」
「いや、成功した事はないみたいだから」
「全然だめじゃない……ところで次の時間は?」
「ん、三・四時間目は美術」
「じゃあ、教室移動ね」
「旦那起こしていかないと………」
そう言って、アクセルはソルの肩をゆすった。
「……今何時だ」
「だいたい11時ってとこかな。次、美術だよ」
「ああ」
ソルは短く答えて机の中を引っ掻き回す。
筆箱を奥の方から文字通り引っ張り出し、席を立つ。
「……行くぞ」
ソルはいつもの仏頂面で、ミリアとアクセルに呼びかけた。
ソル自身はさっさと歩いていってしまう。
「遅らせてる本人が言う言葉じゃないわ……」
「まあまあ」
アクセルがなだめるように言う。
こういうときの彼の『まあまあ』は誰にでも良く効くのだ。
「……まあいいわ。とりあえず案内して」
「あ、そうか。まだ場所がわかんないのか」
「わかってたら一人で行ってるわ」
「さようで」
アクセルとミリアはソルの後に続いて歩き出した。
「んきゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ソル達が美術室のすぐ近くまできたとき、美術室から悲鳴が聞こえた。
「何…?」
「あー……まあ、大方想像はつくけどね」
アクセルはまたかと言わんばかりの顔でつぶやいた。
そして美術室に足を踏み入れると、悲鳴の主と原因が一度にわかった。
「メイ……あなただったのね、さっきの悲鳴」
「うぅ~……驚いたよぉ……」
メイが教壇の近くの床にぺたんと尻餅をついている。
「ここまで驚かれたのは初めてだな……だが、驚かせてしまってすまない」
ポチョムキンが深々と頭を下げる。
そう、悲鳴の主はメイ、その原因は美術教師であるポチョムキンである。
職員室にいたジョニーから場所を聞いて、勢い勇んで飛び込んできたところをポチョムキンと鉢合わせしたと言うわけだ。
まあ見慣れない人間には怖いだろう。
何しろ上半身裸で異常発達している怖い顔の人間が絵筆をガチャガチャいじっているのだから。
「というわけで、美術教師のポチョムキンだ。校長でもあるがな」
「はい……」
メイは少し恥ずかしそうに呟いた。
ちなみにミリアが驚かなかったのは、転校手続きのときにポチョムキンを見たことがあったからである。
「おい、立てるか?」
ソルがメイを見下ろしながら尋ねた。
「うー……腰が抜けちゃってるよぉ」
「しょうがないわね……よいしょっと」
ミリアがメイを背負って立ち上がった。
「で、この子どうすればいいのかしら」
「そうだな、三時間目は出席扱いにして置くから保健室に連れて行ってやりなさい」
ポチョムキンが言うと、アクセルがすばやく反応した。
「あ、だったら俺達も行きますよ。まだミリア場所わかんないだろうし。ね、旦那」
「ああ。ミリアまで腰抜かしかねねぇからな……」
「それはかまわないが…君達は三時間目には帰ってくるんだぞ」
「判ってますって。じゃ、行ってきます」
すでに歩き出したミリアを追って、ソルとアクセルも歩き出した。
「ねえ、『お姉ちゃんまで腰抜かしかねない』ってどういう意味?」
ミリアの背に背負われたまま、メイがソルに話し掛ける。
「あぁ?ありゃあ……まぁ、行けばわかる」
ソルはそう言って、意味ありげに口元に笑みを浮かべた。
「……気になるわね」
「すぐにわかる。おっと、ここだ」
ソルが『保健室』と書かれたプレートのついた部屋の前で立ち止まった。
「ファウストせんせー!急患なんですけどー!」
アクセルが保健室のドアをノックしながら言う。
「開いてマスよー」
「失礼しまーす」
アクセルが保健室の扉を開けて中に入る。
ソルとミリアもそれに続く。
「どうしましたー?」
「んきゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「っ!!」
振り向いたファウストの顔に、メイは思いっきり悲鳴をあげた。
ミリアも声には出さなかったが、死ぬほどびっくりしたらしい。
ぺたん。
「あらら。ほんとにミリアも腰抜かしちゃった」
「……まあ当然と言えば当然の結果だな」
「心外デスねぇ。私の顔でそんなにびっくりしマスかぁ?」
「そんな紙袋かぶってれば誰でもびっくりするよっ!」
メイが床に座り込んだまま大声で抗議する。
ミリアのほうもまだ立ち直ってはいないらしい。
「だよなぁ……俺もはじめて見た時は心臓二秒くらい止まったもんな、マジで」
「たまに剣道部に化物退治の依頼までくる始末だからな……」
「なんだか酷い言われようデスねぇ。で、患者さんはどなたデスカ?」
ファウストは大して傷ついてもいないような口調で言った。
「っと、そうだった。えーっと、校長先生見てこの子が腰抜かしちゃって………」
そう言って、アクセルがメイを指す。
「で、たった今アンタを見てこいつが腰抜かした」
ソルがミリアを指す。
「というわけで、こいつら二人を休ませてやってくれ」
「はいハイ。えーっと、2-Gのミリアさんとメイさんね」
ファウストはアクセルとソルから名前を聞いて、記録帳に書き込んでいく。
「はい、ご苦労様。この子達ベッドまで運んだら教室に戻ったほうがいいデスよ」
「そうするぜ……アンタの面は心臓に悪ぃ」
ソルはそう言って、ミリアを抱えあげてベッドまで運ぶ。
アクセルも、メイを背負い上げてベッドまで運んだ。
「じゃあ、あばよ。もう美術室までの道はわかってるだろ」
「校長先生にはちゃんと言っといてあげるから、ゆっくり休みな」
「ちょ……ちょっと!」
ミリアが声をあげるが、もう遅い。
ソルとアクセルは、保健室から出て行ってしまった。
(はっきり言ってこの校医まともじゃないわよ!?)
心の中でミリアは叫んだ。
が、時すでに遅し。
仕方なくミリアはカーテンを引き、ベッドに横になった。
隣のメイもそれに習う。
「……この学校……すごいわ」
ミリアが誰に言うでもなく呟いた。
「うーん……でも僕はジョニーに会えたからうれしいな」
「……そう」
「お姉ちゃんは?ソルに会えて嬉しくないの?」
「……嬉しいわけ、ないわ」
そう言ってミリアは寝返りを打ち、メイに背を向けた。
「あんな……あんな別れ方したんだもの」
「お姉ちゃん……」
メイはミリアに声をかけるが反応がない。
泣いているわけではなさそうだが。
「……ごめんね」
一言だけ言うと、メイは掛け布団を頭までかぶった。
「恋愛問題デスか……難しいデスねえ」
カーテンの外で、しっかりと話を聞いていたファウストがポツリと呟いた。
「それじゃ、お世話になりました」
「また、具合が悪くなったらいつでも来てください。あと、悩み相談にも乗りますよ」
「はい。じゃ、失礼します」
ミリアはファウストに礼をすると、保健室から出て行った。
メイの方は、二重にショックを受けたのがまずかったらしく、もう一時間保健室に
いることになったのだ。
(それにしても……あの先生に悩みを打ち明ける人なんているのかしら……?)
美術室への帰り道でミリアはそんなことを考えてみたが、頭が痛くなってきたので考えるのをやめた。
「おっ、ミリア復活したね」
美術室に入るなり、アクセルが声をかけてくる。
(ものすごく不安だったわ……)
(何で?)
(……言わなくてもわかると思うけど)
(ファウスト先生のこと?大丈夫だって。あの人ああ見えても紳士だから)
(とてもそうは見えないわ……)
「戻ってきたのかね」
アクセルとミリアが小声で会話していると、ポチョムキンがミリアを見つけて近寄ってきた。
「驚いただろう。あいつのあの格好は何とかしろと言ってるんだがね……」
「それはもう心臓が止まるかと……え?あいつ?」
「ああ、私とあいつは高校が同じでね。昔は二人そろって有名人だったものだよ」
「……想像は出来ます」
ミリアはまたこめかみに頭痛を覚えた。
今日はよくよく頭痛に悩まされる日だなとミリアは思う。
「ところで……メイ君はどうした?」
「あ、メイならまだ保健室で寝てます。二重のショックがよくなかったらしくて」
「ふむ……そうか。それなら仕方ないな」
ポチョムキンは持っていた出席簿にさらさらと書き込んだ。
「君の場所は紗夢くんやソルの近くだ。やることは彼らに聞くといいだろう」
「はい」
ミリアは一つ返事をすると、紗夢の所に歩いていった。
「あ、姉さん。もう大丈夫アルか?」
「ええ……紗夢、あなた保健室には行かないほうがいいわ……」
「……努力はするアル」
ミリアの表情から何かを感じ取った紗夢は、そう言って作業に没頭する。
「ところで、何をすればいいの?」
「文化祭に展示する絵を描くアル」
「何でもいいの?」
「自分の想像だけで描けっていう珍しい題材アル」
「そう……」
ミリアも、それっきり画用紙に向かって押し黙った。
鉛筆を紙の上で滑らせ、何度も消しゴムをかけて描き直す。
そしてようやくデッサンが5割がた完成したところで授業が終わった。
ちなみにミリアが描いているのは森の絵だ。
昼食には紗夢の作った弁当を食べ、五・六時間目の数学・英語も滞りなく終わった。
そして放課後。
ミリアは部活動でも見て回ろうかと思っていた。
「紗夢は帰宅部……メイは水泳部……ね」
ちなみにメイが水泳部に入部した理由は、なんてことはない、ジョニーが顧問をしていたからだ。
どこまでもジョニー一直線な子である。
「私はどうしようかしら……」
ミリアはカバンを掴んで歩き出した。
学校の中をふらふら歩くのもいいと思ったらしい。
「おい」
だが、教室を出たとたんに誰かに呼び止められた。
「……ソル?」
ミリアは警戒するような視線をソルに向ける.
「少し話してェことがある」
一方的に言い、ソルはミリアに背を向けて歩き出した。
こういう行動をされると、はっきり言って断りづらい。
「ちょっと!……もう!」
ミリアは不満をもらしながらも、ソルを追って軽く駆け出した。
+++++++++++++++++
□Time goes by
第二話~過去と本音~
ソルとミリアは校舎を抜け、裏庭に来ていた。
めったに人は来ないので、告白や密談に良く使われる場所だ。
「……用件は何?」
ミリアは相変わらずの警戒姿勢で言う。
ソルのほうは、ミリアに背を向けたまましばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「………部活、どうすんだ?」
「まだ、決めてないわ……まさかそんなこと言うためにここに連れてきたの?」
ミリアは眉間にしわを寄せて訝しげな視線をソルの背に向けた。
当のソルは、またしばらく沈黙したあと、ゆっくりとミリアの方を向いた。
「……………そう警戒すんな」
ミリアの今にも逃げ出しそうな体勢を見て、ソルが言う。
「別になんかしようとしてるわけじゃねえ」
「……信用できないわ……」
少し辛そうに目を伏せ、ミリアが呟く。
「私を弄んで捨てた男の……言う事なんか」
「…………悪かった」
(うっそだろぉ!?)
(旦那もやるねぇ、ミリアを弄んで捨てるなんて)
(なんか、ソルの意外な一面だな)
近くの茂みの中から、ソル達には聞こえない位の声がした。
茂みの中にいるのは、チップ・アクセル・闇慈・メイ・紗夢だ。
なぜ彼らがここにいるのかはいたって簡単。
ソルとそれを追いかけるミリアをアクセルが偶然見かけ、面白そうだということで、
他の四人を携帯を使って呼び出したのだ。
(なあ、メイと紗夢はこのこと知ってたのか?)
(ソルと姉さんが付き合ってたってのは知ってたアル)
(でも、捨てられたなんてお姉ちゃん全然言ってなかったよ)
(シッ!!またなんか喋るぞ!!)
闇慈が他の三人の口を閉じさせる。
しばらく沈黙していた二人だったが、それを破ったのはミリアだった。
「……謝られても……許せないわ」
「………………」
ミリアは目を伏せ、ソルは何も言わずに黙っていた。
「私が……どんなに悲しい思いをしたかわかる?」
「………」
「……訳も言わずに別れ話持ちかけて………そのまま転校していくなんて……」
ミリアは痛む部分を押さえるように右頬に手を当てた。
「最低よ………」
(へー……ミリアも結構つらい恋してたんだなー)
(さあ、ソルはどう出るアル?)
「………悪かった」
「………それしか言う事はないの?」
ミリアはソルの目を真っ向から見据える。
ソルはミリアの視線を受けてなお、無表情のままだった。
「あの時は……俺もどうかしてた」
(げっ!旦那が自分の非を認めてる!!)
(すげえ女だな、ミリア)
アクセルにとチップに感嘆されつつ、ソルとミリアは話を続ける。
「………だからって………」
ミリアはそこで言葉を切る。
「許せると………思う?」
大粒の涙がミリアの目からこぼれていた。
涙はミリアの頬を伝い、地面に流れ落ちた。
「………とりあえず泣くんじゃねえ」
「無理よ………そんなの」
ミリアは泣き声で声を絞り出す。
「………泣かれるとどうして良いかわかんねえんだよ」
無表情だったソルが、後悔するような表情を浮かべる。
ミリアはハッとしたように、瞳をソルの方に向ける。
「あの時もだ……お前がいきなり泣き出したからな………」
ソルの口調が自虐的なものに変わった。
「……………逃げ出しちまったんだよ……お前からな………」
(ソルが逃げ出したってのはなんか意外アルね)
(旦那って女の扱い手馴れてそうだけどねえ)
(純情だったんじゃねぇの?)
「………許せねえってのも……しょうがねえよな」
ソルが悲しそうに微笑した。
ミリアは今だ泣きつづけている。
「……もう泣くな」
ソルは人差し指でミリアの両目にあふれていた涙をすくった。
ミリアは一瞬びくっと身をすくませるが、結局されるがままになっていた。
「……殴って気が済むなら殴れ。罵って気が済むなら罵ってくれ」
涙をすくいながらソルが言う。
「俺にできる事なら………何でもする」
「………わかったわ」
パァンッ!!
ミリアの平手がソルを打ち、ソルの頬が鳴った。
茂みの中のアクセル達はいきなりの音に驚いて顔をしかめる。
「………痛ぇ………」
「こんなものじゃなかったわ………私の痛みは」
ミリアは厳しい表情のままもう一発ソルの頬を打つ。
バキッ!!
「………マジで痛ぇぞ」
「当たり前よ……拳で打ったんだから」
ミリアは手を開いてぶらぶら振っている。
ミリア自身も少し痛かったらしい。
(普通女が拳で殴るか?)
(姉さんらしいアル……)
「でも……スッキリしたわ」
ミリアが口元に微笑を浮かべて言う。
その目には、もう涙はない。
「許したわけじゃないわよ。でも、あなたを恨んだりはしてない」
「………………」
「で…………こう言うのもなんだけど………」
ミリアは一旦言葉を切って、きょろきょろと辺りを見回す。
顔を真っ赤にしてソルに向き直り、ミリアにしては珍しく、上目遣いにソルを見る。
そして、ものすごく恥ずかしそうに口を開いた。
「………私と、また付き合ってくれる?」
恥ずかしくなったのか、すぐに目をそらす。
「……ああ」
ソルも照れているのか、ぶっきらぼうに返す。
「………ありがとう、ソル」
そう言って―――ミリアが笑った。
悲しみの欠片もない、穏やかな微笑。
だがそれは……非常に―――魅力的な表情だった。
「やっと笑いやがったか…………」
ソルが照れ隠しに悪態をつくが、ミリアは全く気にしない。
「………そのツラがずっと見たかったんだよ」
そう言ってソルもホッとしたような表情を浮かべた。
「さてと………一段落ついたところで………」
ソルはアクセル達の隠れている茂みのほうを睨みつける。
アクセル達もドキッとしてざわめく。
(バ、バレたか?)
(あの声で気づくわけねえだろ!?)
(いや、旦那だったらありうるんじゃ……)
「俺が気づかねえとでも思ったのか?とっととツラ出せ」
底冷えするような声でソルはアクセル達に告げた。
(やっばりバレてたーーーーー!!)
(ど、どうするの?)
「出てこねぇならこっちから行くぞ」
ソルは茂みに向かってゆっくりと歩き出す。
(や、やべぇぞ!!)
(ほ、ほんとにどうするアル!?)
(き、決まってんだろォ?)
(逃げるっきゃない!!)
そう言って、アクセル達はいきなり立ち上がって一目散に駆け出した。
「逃がすか!ライオットスタンプ(炎なし)!!」
だんっ!!
ソルは後ろに飛び、校舎の壁を蹴ってアクセル達に蹴りかかる。
どがっ!!
「どわっ!?」
一番後ろを走っていた闇慈が背中を蹴られて倒れこむ。
「きゃっ!?」
「うわっ!?」
「あたっ!!」
「ぐわっ!!」
続いて、メイ・アクセル・紗夢・チップの順に将棋倒しになった。
「テメェら……覚悟できてんだろうなァ?」
ソルは指や首をゴキゴキ鳴らしている。
ミリアもあえて止めはしない。
「ソ、ソル、手加減して……くれるよね?」
「安心しな……女には手加減してやる」
「だ、旦那ァ、俺達は………」
「…マジで行くぜ?」
ソルはアクセル達を一瞥すると、苦笑したように口元を曲げた。
「「「た、助けてくれェェェェェェェェェェっ!!」」」
アクセル達男三人衆の悲痛な叫びが裏庭に響き渡った。
「いったぁ~~~~い……」
「自業自得よ」
メイが漫画のようなタンコブを押さえてうなっていると、ミリアがもっともな意見を言う。
紗夢もメイと同じように頭を押さえている。
二人ともソルのゲンコツを頭に食らったのだ。
ちなみに男三人衆は……ボコボコになってそこらに転がっていた。
「……?ちょっと待って……あなた達いつからあそこに居たの?」
ミリアが不意に思いついてメイに問う。
メイの方はきょとんとしてミリアに答えた。
「いつからって……最初から」
「と、いうことは………まさか………」
ミリアの動きがぎこちなくなる。
メイはちょっと意地悪く笑う。
「えへへ……ぜぇ~んぶ見てました」
ピキッ。
ミリアが完全に固まる。
だがその直後、凄まじい怒りのオーラがミリアの背後に立ち上った。
「あ~な~た~た~ち~~~~!!!!」
地獄の底から響くようなミリアの怒りの声と共に、二度目の悲痛な叫びが響き渡った。
「ひ~~ん………もっとイタイ~~~~~」
「メイが余計な事言うからアル………」
二段になったタンコブや頭を押さえてメイと紗夢が言った。
「ああ………明日学校に来るのがつらいわ…………」
ミリアが心底つらそうに言う。
明日学校に来たら今日の事はクラス中に広まっているだろう。
チップと闇慈によって。
男三人衆は更にボコボコにされ、ボロ雑巾のようになって転がっている。
多分骨の一本や二本は折れているだろう。
とくにチップと闇慈は口封じのために喉もやられている。
どのみち、明日には治っているだろうが。
(まあ……ソルの本音がわかったのはうれしかったけど……)
ミリアが誰にも聞こえないように呟いた。
その表情はいつものクールな表情に戻っている。
が、その奥に潜んでいた影はもうない。
「また、よろしくね……ソル」
「……ああ」
ミリアがソルに向かって微笑んだ。
ちなみに、微笑む前に紗夢とメイは頭をどつかれて気絶させられている。
空は六月の夕暮れでオレンジ色に染まっていた。
「さてと……帰るか」
ソルが伸びをしながら言う。
「そう言えば、あなたどうやって通ってるの?」
「バイク。乗ってくか?」
「そうね、送ってってもらうわ」
ソルとミリアは並んで歩いて裏庭を後にした。
手を繋いだりはしていないものの、その姿は……どことなく楽しそうに見えていた。
その日の夜……
「あー……誰か……俺らを病院に運んでくれぇ………」
深夜の裏庭に、消え入りそうなアクセルの呟きがむなしく響いた。
翌日、ファウストによる緊急手術が保健室で行われたという噂が流れた。
「…メイ?何しているの?」
甘い匂いに惹かれて、台所にやってきたディズィーは、忙しそうに働く背中に声を掛けた。
「あ、ディズィー。十四日はバレンタインだから、ジョニーにチョコをあげるの!」
片手にボウルを持って、ピンクのフリルの付いた可愛いエプロンを着たメイが、にっこり笑って振り向いた。
ディズィーは、そもそも『バレンタインデー』というものが何なのか理解できなかったらしく、首を傾げている。
「バレン…タイン…?」
「そっ。お世話に成った人に感謝の気持ちを込めてプレゼントしたりするんだけど、『ジャパン』では、この日だけは特別に、女の子が好きな男の子に告白して良い日なんだって」
昨日対戦した、ハヤい人が言ってたんだ~。なんてさり気なく酷い事を言っているメイの言葉は、既にディズィーに届いていない。
《女の子が好きな人に告白する日》
頬を赤らめているディズィーを見て、メイは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「は・は~ん。ふ~ん。成る程ねぇ」
メイが一人、納得したように頷くと、我に返ったディズィーが言った。
「な、何?」
「良いよ。ディズィーも一緒に作ろう」
何処からともなく、メイが同じ様なフリルのエプロンを取り出して差し出した。それをぎこちなく受け取るディズィー。
その様子を満足げに見て、メイが駄目押しを出した。
「ソルさんに、あげるんでしょう?」
瞬間、ディズィーの顔が爆発的に赤くなった。
「メメメメメメメイ!」
「違うの?」
「……違わない……」
聞き取れるか取れないかのか細い声で、肯定の言葉が返ってきた。
「よォし!」
二月十四日 パリ
男は街中(まちなか)を歩いていた。何時もならこの時間は宿で寝ているのだが、今日は宿の主人に掃除をするとかで追い出された。
特にする事も無く、昼間でもやっている酒場にでも行こうと思い立ち、表通りを歩いていた。 ふと、店先に並べられた小さなソレが目に入った。
(……)
「それが気になるかえ?」
店の主と思しき、老人が笑った。
「ここに有る物は、儂が全部作った。後継者が居なくて儂の代で終わりじゃ。兄さん、安くしとくよ? 」
「……商売上手だな、爺さん」
男は楽しげに笑った。老人も笑う。
結局、寄り道の成果を抱える羽目に成った。懐に仕舞った小さな包み。──渡せる訳が無いというのに。
らしくない事をしている自分を自覚し、苦笑いを漏らしてその寂れた酒場の扉に手をかけようとした矢先。
「ソル!勝負しろっ!」
転ばなかったのは天の采配か?取り敢えず、信じてもいない神に感謝する位に唐突で、酷く目眩がした。
「……またテメエかよ」
心底うんざりした表情で、頭を押さえて男──ソルは言った。
「今日という今日は逃がさんぞ!」
街中だというのに、しっかり《封雷剣》を構え、臨戦態勢を取っている。
「あ、あの、カイさん?」
背後に控えていた金髪の女性が躊躇(ためら)いがちに声を掛けた。はっと我に返って、カイは顔を赤らめた。
「…すみません、マリーナさん。」
ソルは、普通は俺に謝るんじゃねえか? とか思いつつも、口には出さない。
「この男を見ると、つい……」
妙な癖つけてんじゃねえよ、と再び心の中で毒づいた。
「……?ソラリアさんは?」
「え──?」
カイにそう言われて、マリーナも辺りを見回す。今までそこに居たのに──。
「「あっ」」
カイとマリーナの声が重なった。
「そる~♪」
いつの間にかソルの背後に回っていたマリーナにそっくりな少女、ソラリア。勢い良くジャンプをしてソルに飛びついた。
「ぐあっ」
二人の身長差から、良いカンジに首にヒットして(しかもギアの力で)、ソルが呻いた。
「そる?」
そのままぶらさがって居るソラリアを猫の子の様に首根っこを掴んで
引っぺがした。
「テメエ、俺を殺す気かっ」
右腕一本で自分と同じ目線まで持ち上げると、怒鳴る。
「ちがう~。そらりあは、そるにぷれぜんと!」
「ああ?」
駄々っ子の様に、頬を膨らまして地団駄を踏む(ぶら下がっているので、正確には暴れているだけだが)ソラリアの言葉に、いまいち要領を得ず、カイに視線だけで問う。
「……今日は、バレンタインデーでしょう?ソラリアさんが、どうしてもあなたに逢いたいと言うので、探したんです」
……職権乱用じゃねえのか?
突っ込み疲れて、ソルは盛大に溜め息をついた。
その様子を見て、ソラリアは、白いワンピースの裾を風に躍らせながら笑っている。手は青い鱗を隠す為なのだろう、長い手袋をしているし、頭にはとがった耳を隠す為の布が巻かれ、首には相変わらず無骨なソルの額当てが掛けられている。
それでも、ソルを見て、嬉しそうに笑っているその姿は年相応の少女のソレで、とても、ギアとは思えない。
ソラリアはいそいそと懐から綺麗に包装された箱を取り出した。
「はいっ!そらりあが、ぷれぜんと!」
「ちっ……」
取り敢えず、受け取ってみる事にした(このパターンでいくと、受け取らなかった場合、ソラリアとカイのダブル攻撃がきそうな雰囲気だった)。
「あける、あける!」
早く中を見て欲しいのだろう、期待の眼差しでソルを見詰めるソラリア。
開けてみて、思わず顔がほころんだ。
「こりゃあ…」
「うれしい?」
ソラリアから贈られたのは、一本の酒だった。かなり度のキツイ、ソル好みの辛口蒸留酒。
「かいが、そる、おさけすきっていったから、まりーなが、じぶんがうれしいものっていったから、これ!」
今、とてつもない事を聞いた気がしたのは気の所為だろうか?ソラリアは相変わらずニコニコと笑っている。
「…?おい、これ、テメエが呑んで、決めたのか……?」
「のんだ。おいしいの、すき♪」
まあ、彼女はただの少女じゃなくてギアだしぃ~?毒素はギア細胞が中和・分解してくれるから……。ねぇ?
一気に疲れが増したのは、決してソルの気の所為じゃない。
「帰る……」
そんな呟きが頭上から聞こえてきた。
「ちょっディズィー!せっかく作ったんだよ?勿体無いじゃん!」
慌ててメイが引き止める。この日の為に、何度も失敗して、試行錯誤を重ねてきたというのに
「……だって、私…。渡せっ…ないっ!」
零れた涙が、地面を濡らすのとほぼ同時にディズィーは身を翻した。
メイとディズィーは、彼らの行動を一部始終、物陰から見ていた。
ソル達の知り合いと思しき少女が彼(ソル)に何をあげたのか、何を話していたのかは分からないが、随分楽しそうだった。それだけで、何かが悲しかった。
自分の知らない、ソル。──もっとも、自分も彼と知り合ってからまだ、ほんの少しの時間しか経って無いのだが。
「む~」
メイはディズィーの後姿を見ながら唸っていた。せっかくあのディズィーが、自分からやりたいと言い出し、初めて我侭(わがまま)を通してこんな所まで来たのに。
二月十四日 夜・メイシップ
「ご馳走様…」
夕食時。食べ始めて数分もしないうちに、ディズィーは箸を置いた。
「どうした、具合でも悪いのか?」
一番上席に座っているジョニーが訊いた。ディズィーは、困った様な笑みを浮かべて首を振った。
「いえ、大丈夫です。済みません」
そのまま食堂を出て行ってしまった。ジョニーの隣に座っていたメイが、昼間の事を、そっと耳打ちした。
「…成る程、ね」
ジョニーの唇が苦笑い気味に歪められた。室内(で、しかも夜)だというのにサングラスをしているので、その瞳(め)がどんな風なのかは、メイには分からなかった。──その瞳は、実に楽しそうに笑っていた…。
その酒場は、特に流行っているわけでもなければ、表通りの便利の良い所に在るわけでもない。
それでも、いつも一定の──何人かの常連客が入っていた。ソルもその一人だった。
店の主人は無愛想だが、酒を愛している人種の様で、彼なりのこだわりを持っていた。そのこだわりを理解できる人々だけが、ゆっくりした時間と、うまい酒を嗜む為に通う店。
もう閉店間際で、客はソルしか居ない。グラスに入った、琥珀色の液体をゆっくりと揺らす。
その時、カラン、と扉に付けられた鐘が鳴った。
入ってきた人物は、その様子に臆する事も無く、ソルの隣に腰を下ろした。
「テメエか」
その男──ジョニーは、実に楽しげに唇の端を持ち上げる。
「ウチのお嬢を泣かせるな、と言った筈だが?」
「?何の話だ?」
『お嬢』が誰を示しているか位は、解る。男の言葉も、覚えている。だが、泣かせた覚えは─ ─無い。
「昼間の一件さ。隊長さんに頼まれて、アンタの場所を教えたのは、俺だ。ソラリアの事も知っている。……お前さんは今日が何の日か知っているか? 」
いまいち煮え切らない言葉に、幾らかの殺気を含んだ眼で先を促す。ジョニーは相変わらず余裕で、楽しげだ。
「バレンタインデー。…《女の子が、好きな男に告白する日》ってね。『ジャパン』の風習みたいなもんさ」
ようやくこの男の言いたい事が解った。恐らくは、昼間の一件を『アイツ』が見ていた。…… 誤解している。
「…ちっ」
ソルは舌打ちして席を立ち、店主に酒代を放った。
「急いでくれよ?もう、三、四十分で日付が変わっちまうからな」
ククク、と、咽喉の奥で忍び笑いをしている。
ソルは、もう一度舌打ちすると、闇の中に身を投じた。
「なぁ、店主。間に合うと思うかい?」
「さあね。ワシには解らん。間に合っても、間に合わなくっても、アンタに楽しい時間だろうよ」
店主は無愛想な表情のまま、ジョニーに酒を差し出した。──ジョニーもまた、この店の常連客の一人だった。
窓の外は、月が出ている。何時も綺麗だと思うその月は、今日は歪んでいた。ベッドの上で、膝を抱えるディズィー。
赤いリボンで──ソレも自分で選んだ、あの人の色──ラッピングして、受け取って貰えるだろうか?
ドキドキしていた楽しい時間。同時に昼間の光景が浮かんできて、視界が一瞬クリアになってまた歪む。
でも、もう終わり──時計の針は、十二の所で重なろうとしている。入り口近くにある屑籠にその包みを放り投げた。
歪ん出視界で、入る筈も無く、扉に当たってあえなく落下した。
──ぎぃ──。
扉の開く音がした。入って来た人物は、随分と息が切れている。
「メイ?ごめん、今は……」
「シケたツラしてんじゃねえよ、馬鹿が」
聞こえる筈の無い声。居る筈の無い人。
「ソル…さん!…どう…して…?」
ソルは少しばかり息を整えると、足元に転がった包みを拾い上げて、ベッドの傍まで来た。
「…昼間のアイツはな、ソラリアという。俺たちと同じ──」
ディズィーの目が見開かれた。他にまだ、ギアが居る…?
「少し前に、造られた。まぁ、何だ……妹みてえなモンだ」
ソルは、居心地悪そうに部屋を見回して、舌打ちした。
「……間に合わなかったか……」
視線の先にあるのは時計。僅かにずれた長針と単身が十四日が終わった事を告げている。
そんなソルの様子を見ていたディズィーの視界は、歪みっぱなしだ。
「…んなに泣くなよ。……悪かったな」
ソルの無骨な指が、ディズィーの涙を拭った。
「いい……です。来て…くれましたから……」
濡れた瞳のまま、笑う。何よりも美しい笑み。何よりも大切な──。
ごく自然な動きでソルの顔が近づいてくる。ソルの唇がディズィーのそれに触れたか触れないかのところで、すぐに離れていく。
「ありがたく、頂いてくぜ」
心持ち赤い気がするソルの横顔が告げた。その手には赤いリボンの包み。扉が閉じかけ、再び開かれる。
「ソルさん?」
声を掛けると、返事の代わりに、小さな包み放られた。何とか落とさずに受け取る事が出来た
「またな。…ディズィー」
何時もの不敵な笑みがそう告げると、扉は閉じられた。慌てて追おうとしたが、その小さな包みが気になった。
包装紙を破かない様にそっと包みを広げる。
出てきたのは、指輪だった。銀で出来た指輪の表面は、緻密な細工が施してある。また、光の加減か、浮き彫りにされた模様の縁が蒼く見える。
「ありがとう、ソルさん……」
また涙が零れたが、それはもう、悲しみの色ではなかった。
余談だが、次の日から、ディズィーのセーラー服の襟元から銀色の鎖が覗いていたらしい。それに気付いたジョニーがからかい混じりにそれを指摘したところ、ガンマ・レイを喰らって大怪我をしたそうな。
因みに、完治した後、ソルにその事を言ってナパームデスを喰らったとか。懲りない男デス。ま、二人の反応を楽しんでるみたいだけど。