風の季節
その秋の日曜日、堂島の家には桐生と遥がやってきた。
「こんにちは~」
「お久しぶりです。姐さん」
玄関先に並ぶ二人は、まるで親子だと大吾は思った。弥生はいつも通り、きりっと和服を着て、桐生に言った。
「桐生、わざわざウチまで来てもらって悪いね。本部だと話せないからさ・・・柏木は奥で待ってるよ」
「わかりました」
「遥ちゃん。悪いけど、ウチのぼんくらと待っててくれるかい?」
「はい」
遥が頷く。今日は大吾が遥を預かる事になったのだ。大吾は内心ため息をついていた。もっと大きな女なら、喜びそうな事はいくらでもわかる。ただ、相手は十歳のガキだ。
「大吾さん。よろしくお願いします」
遥はぺこっと頭を下げた。
「ああ」
大吾も釣られて、頭を下げた。
広い庭の見える和室で、遥は縁側に腰を下ろすと庭を眺めていた。堂島の庭は、ちょっとした庭園みたいなものだ。
「大吾さん、紅葉、いつ頃になるんですか?」
遥が振り返りながら聞いてくる。
「さあな。もう少し先じゃねーの?」
答えると、遥は一瞬表情を曇らせ、視線を戻した。大吾から見えるのは、小さな背中だけだ。
どうしたもんかとため息をつく。灰皿と煙草をもって、遥の隣に座ってみた。驚いた遥が、黒目がちの瞳で見上げてくる。
「煙草、吸っていいか?」
聞くと、遥はこくりと頷いた。
「はい。大丈夫です」
「ん」
火をつけて、煙を吐き出す。自分にとって見慣れた庭の、葉の色づく頃なんて知らないのは、もしかしたら変なのかもしれないと思う。
「大吾さん」
「ああ?」
かけられた声に遥を見ると、真剣な表情があった。
「あの、私、ここにいますから、大吾さんはお出かけしてもいいですよ」
「そりゃダメだろ。お袋に叱られる」
「でも、私、邪魔みたいだから」
シュンと遥が項垂れた。一瞬、自分が罪人のように思えた。良く分からないからという理由で、傷つけたかもしれない。小さな手が、スカートを握っていた。その手の甲が、やけに赤い。
「遥。ちょっと手、見せてみろ」
「え?」
驚きつつも、遥は両手を差し出した。小さな手を掴んで、手のひらを見る。その指先は、見事にあかぎれを作っていた。
「どうしたんだ?これ」
「あ、あの・・・ちょと洗剤変えたら、こんなんなっちゃって」
遥が耳まで赤くなりながら答えた。小さくても、遥は一人前に家事をやっていると聞いた。桐生は、この手を知っているのだろうか?恐らく気付いても、そのままにしているんだろう。
「酷いぞ、これは」
「そ、そうですか?」
両手をつかまれたままの遥は、赤くなりながら答えてくる。
「・・・これから、薬買いに行こう。俺が買ってやるから」
「で、でも」
「いいから。どうせ桐生さん達の話し合い、すぐに酒盛りになるさ。ちょっとくらい出かけてもバレねえよ。それとも、俺と一緒じゃイヤか?」
遥は首を左右に振る。初心な反応だと大吾は思った。大人になれば、きっと誰もが放っておけない女になりそうだ。
「じゃあ、行くか」
手を離し、立ち上がると、遥はしばらく自分の手を見ていた。
「行こうぜ、遥」
大吾は右手を差し出す。遥はその右手と大吾の顔を交互に見上げていた。
「手ェ、繋ぐんだよ。危ないからな」
「あっ・・・はい」
赤くなりながら、遥は手を重ねてきた。きゅっと握ると、小さな手は折れそうだ。耳を真っ赤にして、遥は俯いている。
「さ、行くぞ」
大吾が歩き出し、遥がついてきた。歩幅を遥に合わせつつ、大吾は小さな遥をちょっと気に入った自分を発見していた。
その日の夜、桐生家のテーブルには、可愛いピンクの入れ物が置かれていた。
「遥、これ何だ?」
桐生が聞く。台所を終えた遥が戻ってきて、テーブルの上の入れ物の蓋を開けた。
「ハンドクリームだよ。大吾さんに買ってもらったの。手が荒れてるからって」
遥は幸せそうな表情で、手にクリームを塗る。それは丁寧に、指先まで塗りこんで、その後しばらく手のひらを眺めると、嬉しそうに笑った。
「クリーム塗るのが、そんなに楽しいのか?」
「え?」
桐生の問いかけに遥は驚く。
「蕩けそうな顔してたぞ」
「そ、そうかな・・・いい匂いがするから・・・」
耳まで赤くなった遥から、視線を新聞に戻した桐生は、明日、大吾に一言いわなくてはと思った。
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