■L. das Licht 光
日没間近の美しい黄昏時、鴎が飛びたつ季節。
海辺が見える人気の無い場所に停められたのは漆黒の車。
二人乗りの高級車ブガッティ・アトランティック・クーペから降り立ったのは、吸血鬼と見まごう様な恐ろしさと美しさを兼ね揃えた貴族の男。向かえの扉にゆったりと近づきドアを開けてやり手を差し伸べる。それに重ねられる手は、紅梅重ねのエキゾチックな衣装がよく似合う少女のもの。
「ご覧。陽の光は美しいだろう?」
そう言って男はもう殆ど癖になってしまっている、影の在る微笑みをした。
時折、何の気紛れか、男は少女を連れて外へ出る。外の光に憧れる心を格別持っている訳ではない少女でも、この時間は好きだった。
ゆっくりと沈んでゆく陽の何と美しいことか。長く尾を引く薄橙の光が目に眩しい。男は長く美しい手でそっと太陽を指した。
「お前の眼差しにあの天球は答えてくれよう。お前に光を注いでくれよう。」
「…そのわたくしのお隣に居る伯爵には、光が届かないと仰るのですか?」
「いつか話した通り。私の体はもはや人ではなく、心は私自身で錠をかけた。生の賜物も温かさも、ただ無残なものとしてしか受け取れないこの私の上に、あの気高い天球はもはや、光を注いではくれまい。」
男が言っていることはきっと間違いだが…彼の固定された価値観の中ではその色こそが真実なのだろう。
「……それは、あまりに哀しいと想いませんか。陽の光は等しくあるもの。どうして貴方だけを避けたりするでしょう?今の御自分が見えませんか?ならばわたくしが見たままをお話しましょう。」
エデは伯爵をまっすぐ見上げて、一つ息をついてから微笑んで話し始めた。
「伯爵。貴方は今、わたくしと共に陽の光の元に居ます。貴方は光に柔らかく彩られて、肌の冷たさは和らぎその影は山吹、髪は蘇芳。過去の貴方の色でしょうか、とてもよくお似合いで…。それは間違いなく、陽の贈り物です。」
ふ、と目が少し見開き、口が動く。自虐にも似た哀しい笑みだ。
「面白い。一時だけでも、人間に戻れたかのような錯覚を覚えるな。」
「心の錠を開けてくださいませ。後は、貴方の御心次第…。」
男の顔が淡く歪んだ。エデは哀しい顔を一瞬浮かべて、すぐに仄かな笑みを作る。解っているのだ、お互いを縛る鎖は、心に絡んで喰い込み血を流していることを。抱えた闇は底へ底へと沈んで、もうどうにもならなくなっていることくらい。好んでこの世界に居るんじゃない。ただ、何を見てもこの世界に還ってしまうだけなのだ。暗く冷たい牢獄に、復讐という業火の海に。
「でも…」
独りは淋しいから。全て、最後は独りになるとしても、今は共に。
貴方がわたくしを想い陽の元に連れて来て下さるなら、貴方と共に光を浴びましょう。
貴方が復讐という業火の海に身を投げ入れるなら、貴方と共に罰を甘受しましょう。
少女は彼の本当の心が、痛みが、苦しみが、痛いほど同調してしまうものだから。
だから彼を咎めることも光をあてようとも思わず、また思う資格が無いと感じてしまう。
けれど、この痛みが解るから、彼と共に在れることが赦される気がした、そしてそれだけが望みだった。
「どこに在っても、わたくしの心は永遠に貴方と共に。」
16/03/2006.makure
PR