安全地帯
いつも、いつでも思考は止まることがなくて連綿と続いていく記憶の集合体をなんども構築しては壊す。その先に幾つもの可能性を考えては幸せになったり苦しくなったり。考え込みすぎなのは分かってるんだけどそれも性分なんだから仕方ない。
時々酷く、息が詰まる。
だけど、唐突なくらいに思考を吹き飛ばしてくれる奴がたまに居たりする。
彼女は今日も健在で、いつのまにか普通に呼吸できてる自分に気付いたりする。
今まで自分のペースでやってきて関わること、関わらせないことになんとなく慣れてきていた俺の中にずかずか踏み込む闖入者。
だから―――彼女との距離はいつも空けてる。
久し振りに出会った瞬間殴られた。
オレが何したってんだ。ただ、呼んだだけなのに。
―――前みたいに。
「ベルナルデリ保健協会でございます!!!」
敬礼なんかされながら名刺を差し出されて、なんとはなしに名刺に目を落とした。
ミリィ・トンプソン。メリル・ストライフ。
……そんな事はわかってる。
キミタチとは四ヶ月ずっと一緒に居たんだしさ。
無茶苦茶なとこも優しいとこも今時珍しいくらい素直なとこも知ってる。
再会は一瞬で、どやどやと踏み込んできた船の皆にあっという間に見えなくなって。
ジェシカを首にぶら下げたまま、大きくなったなぁなんて頭の隅で感動しながら俺の目はなんとはなしに彼女を追ってみたりしてた。
殴られた頭はずきずきしてたけど、エミリオが虚空に消えて行った時のどうしようもない思いとか口に出せない つかえ みたいなものが少し楽になってる気がした。
知らない間に心の奥まで気を抜いた隙に入ってきてるから。
―――油断してるとやべえ
なんて、改めて気を引き締めたりする。
夜は嫌いだ。
眠りにつく前に思い出す。沢山の「死」の事を。
目を見開いたまま天井をずっと眺めたりして気を紛らわしたりもするけど思い出しかけたら止まらない。さっき目覚めたばかりのウルフウッドも一騒ぎした後すぐ眠りについたようだし、眠れないのは僕だけか。
そっとシーツを除けて足を床に下ろす。ひんやりとした床の感触が足裏に心地よかった。
ドアを閉めてもまだウルフウッドは眠ったままだった。
すうすうと安らかな寝息にドアごしにお休みと呟いて、気配を殺したままシップの一角へ向かう。
いくつかあるドーム上の屋根を持つ「庭」はジオプラントと半球から透けて見える満天の星空が気にいってた。レムと一緒に見た宇宙船の丸窓からの星空に似てる。
軽い音を立てて開いたドアから身を滑り込ませて久し振りの「大地」に寝転んだ。
土のぬくもりに訳もなく零れそうになった涙を、頬を撫でる草の感触に埋める。
ごろんとそのまま仰向けに身体を反転させて目を開いて、そして俺は悲鳴を少し噛み殺した。
「やあ」
経験を駆使して笑顔を作り、ひらひら手を振る。
本当は内心、どうしていつもこうタイミングよく来るんだ?なんて疑問が山積みなんだけど。
昔映像で見たイルカの事なんか思い出す。どうやってか知らないけど傷付いた人や病人の所に寄ってくるらしい。見たところさしずめ彼女は砂海のイルカだ。
そしてまた俺は気付くのだ。
俺的安全地帯――誰も寄せ付けず誰にも入られない筈の私的距離――の中に彼女が居ることに。
「お散歩ですの?」
「は?」
彼女――メリル・ストライフとの会話はいつもかみあわねえ。
ぽすんと隣に座られて逃げる機会を逸した。
何よりまずいのは彼女がここに居ることに違和感を覚えない自分自身。
「すいません」
「な?何が?」
「殴ったりして」
「いや。そんなに痛くなかったし」
「今日じゃなくて……その」
なんだか必死にピコピコしている彼女をみながら、はっと理解する。
彼女が言いたいのは―――あの時のことだ。
ぎくりとした。自分でも忘れようとしていた罪。月に穿たれた傷痕。
君が俺を…殴ったって?
ふっ、と何かが頭を過ぎった。
誰かが…泣いてた。
あの時、ナイブズと同調して世界が―――視えた。
連続する憎しみの波動。生まれいずる祝福の賛美歌は逃げ出す人々の悲鳴。
コワイ コワイ コワイ コワイ
半身を通して伝わってきた幾つもの思念の塊。
片隅で…誰かが泣いてた。
呼吸が荒くなる。肌が引き攣れるような感覚に背筋を冷や汗が伝った。
視界が朱色に染まる。酷く乾いた無彩色の光景の中、ぽたりと落ちた血がじわりと視界を埋めていく。
(思い…出したくない)
エリクスと呼ばれ過ごした二年間。思い出す度に吐いた。
身体の中の毒を全て吐き出してしまいたかった。
微かな記憶の断片が躯の中を抉る度に抱き締めてくれた優しい腕は今此処にはない。
(思い出しちゃ…いけない……)
「ヴァッシュさん?」
きょとんと平和な顔に、一瞬凶暴な――そう、憎悪に最も似かよった感覚――が湧き上がる。
指先から震えのように振動が、心臓に届く前に。
(誰の所為だと思ってんだ)
はぁ、と一つ重い息をついて俺は視線を上げた。つられるようにメリルもそれにあわせる。
視線の高さが違うから、同じ物を見ていてもきっと違うように見えているんだろう。
例えば、あの月とか。
猫の瞳みたいに細く切れそうなナイフの月。失われていく現実感。
どんどん曖昧になっていく何かを掴みたくて何度も何度も唱える言葉はもう意味をなさない。
無意味な記号の羅列になっていって。
「綺麗な、月ですわね」
「ああ」
消えていく月が、未来を予言しているのだとしても。
君に対する思いを表現する言葉さえ、俺は持ってない。
この危険な安全地帯の中、入ってくる誰かを予想はしていなかったから。
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