忍者ブログ
Admin*Write*Comment
うろほろぞ
[895]  [894]  [893]  [892]  [891]  [890]  [889]  [888]  [887]  [886]  [885
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



募る想い

プロローグ


十二月三十一日、午後一時六分。
ノックの音にドアを開けたウルフウッドは、来訪者の顔をしばらく眺めた後何も言わずに扉を閉めた。
「ちょっとキミ! これはないんじゃない!?」
先刻までのにこやかな笑顔もどこへやら、ヴァッシュは慌てて拳でドアを叩き始めた。
アパートの住人の大半が帰郷や旅行の為留守なのは知っていたが、必死に抗議する情けない声やノックにしては大きすぎる音が近所迷惑なことに変わりはない。一つため息をついてから、ウルフウッドは勢いよくドアを開けた。
「わっ!」
ヴァッシュは咄嗟に飛び退り、とんでもないスピードで自分に迫ってきた扉をかろうじて避けた。彼だからできたのであって、並みの人間なら間違いなく直撃を受け昏倒しただろう。
「チッ」
「何なのその舌打ちは!?」
「四日間だけオドレの阿呆面見んで済む思とったのに…最悪の大晦日や」
野球部の合宿が昨日終わり、年内の部活は全て終了した。年明けの練習は一月四日から始まることになっている。
「仕方ないでしょ!? 連絡しようにも、野球部の名簿にキミんちの電話番号載ってなかったんだから!」
「あらへん」
「…え?」
間の抜けた表情で問い返したヴァッシュを尻目に、ウルフウッドはこともなげに言った。
「電話はあらへん」
「…じゃ、家族に連絡する時はどうするの?」
「こっちからは公衆電話でかける。向こうからは大家さんにかけてくる」
これだけ携帯電話やPHSが普及している今、電話そのものがない人というのはかなり珍しいのではないか。ぽかんと口を開けたヴァッシュの頭を容赦ない一撃が襲った。
「痛い!」
「うっさいボケ! 用があるんやったら早よ言わんかい!」
殴られたところをさすりながら、ヴァッシュはむくれたような口調で言った。
「初詣に行きませんかって」
「…何やて?」
「初詣。熊野宮神社に」
身の危険を感じ、言い終えると同時に膝を曲げ身体を低くする。逆立てた金髪の先を固く握り締められた右手が掠めた。
「何が悲しゅうてオドレと初詣せなあかんのや!?」
「俺達だけじゃないってば!!」
今度はウルフウッドがぽかんと口を開けた。
「…昼前にミリィから電話を貰ったんだ。『先輩と初詣に行くんです、よかったら四人で行きませんか』って」
目の前の男が僅かに眉根を寄せたことに気づかず、ヴァッシュは続けた。
「去年は二人で行ったんだって。その時絡まれたんだけど、逃げるに逃げられなくて困ったって言ってた」
「…マネージャーとあの子やったら足速いやろ。何で逃げられへんかったんや?」
メリルの運動神経は体育の授業でよく知っている。ミリィは二年前、一年生でただ一人ソフトボール部のレギュラーになった。二人が逃げられないとはよほど相手が悪かったのか、それとも大勢いたのか。
「訊いてみたんだけど、『今日来ればわかります!』って教えてくれなかった。…で、どうする? 行く? 行かない?」
「…行く」
憮然とした表情と声にヴァッシュは思わず苦笑した。ウルフウッドのこめかみに血管が浮かぶ。
「な~んぞおかしなことでもあったんかい」
「いや別に! なんにもありません!」
念の為に一歩引いて距離をとってから、両手と首を大きく横に振ってみせる。一番の特技は喧嘩だと断言した男のパンチを二度も食らうのはご免だ。
人間台風にとって幸いなことに、それ以上の追求はなかった。
「それじゃ今夜十一時十五分、駅北口の改札前で」
触らぬウルフウッドに祟りなし。待ち合わせの時間と場所を告げると、ヴァッシュは片手を上げて挨拶しそそくさと立ち去った。


今年も残すところあと僅か。普段なら残業帰りのサラリーマンが家路を急ぐ時間帯、駅前にはかなりの人がたむろしていた。
その中に、ひときわ目を引く長身の男達が人待ち顔で立っていた。
「彼女が遅れるなんて珍しいな」
小柄なメリルは人込みに紛れやすい。辺りに目を配りながらヴァッシュは小さく呟いた。
「えらい人やなぁ。これ全部初詣に行くんかいな」
「熊野宮神社はこの辺りの土地神様だからね。けっこう混雑するって聞いた」
「せやかて十一時十五分待ち合わせっちうんは中途半端やで。聞き間違えたんとちゃうか?」
「そんなことないよ! 三回確認したんだから!」
ヴァッシュはむきになって否定した。
疑問を感じたのは彼も同じだった。駅から熊野宮神社までの所用時間は徒歩で約二十分。少し早すぎるように思えたのだ。が、ミリィは『十一時十五分です』ときっぱり言った。
「…そらそうと、なんでオドレのとこにあの子から電話がいくん?」
「番号知ってるからでしょ? 自分で伝えようにもミリィはキミの家も電話番号も知らないし…電話はなかったんだけど…忙しいメリルにメッセンジャーなんてさせたくなかったんじゃないかな」
答えになっていない答え。ウルフウッドの小さなため息は白く煙り、すぐに消えた。
少し前に到着した電車がゆっくりと動き出した。その電車から降りてきた人達が次々と改札を抜ける。
周囲から頭一つ高い金髪を見つけて、ヴァッシュは右手を上げて合図した。
「遅れてすみません! …あれ? 先輩もまだなんですか?」
ミリィは謝りながらぴょこんと頭を下げ、それから不思議そうにきょろきょろと辺りを見回した。約束の時間を五分ほど過ぎている。
「一緒に来るんじゃなかったんだ」
「はい。去年もここで待ち合わせたんです」
答えながら身体を駅のほうへ向ける。人影もまばらになった構内を、目にも鮮やかな振袖姿の女が改札目指して小走りに駆けてくるのが見えた。
「せんぱーい!!」
ぶんぶんと手を振るミリィに、メリルは走りながら長い袖を左手で押さえ右手を軽く上げて応えた。三人の前に立ち、軽く息を弾ませたまま深々と一礼する。金色の髪飾りが街灯の光を反射してきらりと輝いた。
「ごめんなさい、遅くなって」
「大丈夫です先輩、あたしもさっき着いたばっかりですから! おんなじ電車だったんですねぇ」
トライガン学園のバッテリーは言葉を失っていた。マネージャーが和服で来るとは思っていなかったのだ。
「やっぱり先輩は今年も着物でしたね! 驚かせたくてナイショにしてたんです。ヴァッシュさん、ウルフウッドさん、びっくりしました?」
「…驚いたわ、ホンマ…」
「喉から手が出るほどですか?」
「それを言うなら口から心臓ですわ」
漫才めいた天然ボケとツッコミにひとしきり笑ってから、ウルフウッドはまじまじとメリルを見た。
「…けど、正月らしゅうてええな。成人式の予行練習なんか?」
「ちがいますわよ!!」
大半は医者なので全員という訳にはいかないが、毎年元旦に親族がメリルの祖父母の家に集まり、年始の挨拶と新年会をするのが習わしなのだ。メリルが振袖を着ているのは初詣の為ではなく、この後祖父母の家を訪ねるからである。
「…ですから、お参りが済んだらすぐに失礼しますわ」
 初詣を終えたら即、メリルは両親と出発しなければならない。着替える時間は皆無だ。大勢の人でごった返す中を振袖で歩くのは少々不安が残るが、背に腹はかえられない。
「正月早々忙しいんやな」
「去年も一昨年も大急ぎで帰りましたよね」
「ごめんなさい、いつもゆっくりできなくて。でも今年は駅前まで迎えにきて貰えることになりましたの。多少は時間にゆとりができましたわ」
「じゃ、おみくじひきましょうね!」
三人の会話がはずむようになってもヴァッシュは呆然と突っ立っていた。メリルに見とれていたのだ。きちんと化粧した顔はいつもより華やかで、決して着物に負けていない。初めて見るあでやかな姿に目が釘付けになっていた。
「…何や、ずっと黙りこくって」
肘で軽く小突かれて、ようやくヴァッシュは我に返った。といっても完全にではなく半分程度だったようで、呟くような声はどこか上の空だった。
「綺麗だ…」
メリルは目を丸くした後かすかに頬を染めて俯き、ミリィは嬉しそうににぱっと笑い、ウルフウッドは皮肉な笑みを薄く口元に刻んだ。
「着物がか?」
「!」
その一言に遅まきながら意識がはっきりする。
本心を押し隠して肯定すれば彼女に失礼だ。かといって否定すれば、『何が綺麗なんや?』と厳しく追及された上それをネタに当分の間からかわれる。
ヴァッシュは口をパクパクさせながらピコピコ暴れた。何を言えばいいのか、どうしたらいいのか判らない。
 盛大にうろたえている人間台風に助け船を出したのはメリルだった。俯いて自分の着物に目を落とす。
「母から譲り受けたものですの。染めも刺繍も凝っていて、本当に綺麗ですわね」
まだ言葉が出てこない。首を縦に振るのが精一杯だった。
「制服とジャージとズボン姿しか見たことがないマネージャーがいきなり和服で登場すれば驚くのも当然だとは思いますけど、まあ特大の日本人形のようなものだと思っていただければ。…そろそろ慣れて下さいました?」
菫色の双眸に見上げられて、落ち着きかけていた心拍数が再び跳ね上がる。
「はい! はい!」
まるで拳法のかけ声ですわね。信憑性に乏しい返事にメリルは苦笑いを浮かべた。
「ほなそろそろ行こか」


-------------




今年も残すところあと僅か。普段なら残業帰りのサラリーマンが家路を急ぐ時間帯、駅前にはかなりの人がたむろしていた。
その中に、ひときわ目を引く長身の男達が人待ち顔で立っていた。
「彼女が遅れるなんて珍しいな」
小柄なメリルは人込みに紛れやすい。辺りに目を配りながらヴァッシュは小さく呟いた。
「えらい人やなぁ。これ全部初詣に行くんかいな」
「熊野宮神社はこの辺りの土地神様だからね。けっこう混雑するって聞いた」
「せやかて十一時十五分待ち合わせっちうんは中途半端やで。聞き間違えたんとちゃうか?」
「そんなことないよ! 三回確認したんだから!」
ヴァッシュはむきになって否定した。
疑問を感じたのは彼も同じだった。駅から熊野宮神社までの所用時間は徒歩で約二十分。少し早すぎるように思えたのだ。が、ミリィは『十一時十五分です』ときっぱり言った。
「…そらそうと、なんでオドレのとこにあの子から電話がいくん?」
「番号知ってるからでしょ? 自分で伝えようにもミリィはキミの家も電話番号も知らないし…電話はなかったんだけど…忙しいメリルにメッセンジャーなんてさせたくなかったんじゃないかな」
答えになっていない答え。ウルフウッドの小さなため息は白く煙り、すぐに消えた。
少し前に到着した電車がゆっくりと動き出した。その電車から降りてきた人達が次々と改札を抜ける。
周囲から頭一つ高い金髪を見つけて、ヴァッシュは右手を上げて合図した。
「遅れてすみません! …あれ? 先輩もまだなんですか?」
ミリィは謝りながらぴょこんと頭を下げ、それから不思議そうにきょろきょろと辺りを見回した。約束の時間を五分ほど過ぎている。
「一緒に来るんじゃなかったんだ」
「はい。去年もここで待ち合わせたんです」
答えながら身体を駅のほうへ向ける。人影もまばらになった構内を、目にも鮮やかな振袖姿の女が改札目指して小走りに駆けてくるのが見えた。
「せんぱーい!!」
ぶんぶんと手を振るミリィに、メリルは走りながら長い袖を左手で押さえ右手を軽く上げて応えた。三人の前に立ち、軽く息を弾ませたまま深々と一礼する。金色の髪飾りが街灯の光を反射してきらりと輝いた。
「ごめんなさい、遅くなって」
「大丈夫です先輩、あたしもさっき着いたばっかりですから! おんなじ電車だったんですねぇ」
トライガン学園のバッテリーは言葉を失っていた。マネージャーが和服で来るとは思っていなかったのだ。
「やっぱり先輩は今年も着物でしたね! 驚かせたくてナイショにしてたんです。ヴァッシュさん、ウルフウッドさん、びっくりしました?」
「…驚いたわ、ホンマ…」
「喉から手が出るほどですか?」
「それを言うなら口から心臓ですわ」
漫才めいた天然ボケとツッコミにひとしきり笑ってから、ウルフウッドはまじまじとメリルを見た。
「…けど、正月らしゅうてええな。成人式の予行練習なんか?」
「ちがいますわよ!!」
大半は医者なので全員という訳にはいかないが、毎年元旦に親族がメリルの祖父母の家に集まり、年始の挨拶と新年会をするのが習わしなのだ。メリルが振袖を着ているのは初詣の為ではなく、この後祖父母の家を訪ねるからである。
「…ですから、お参りが済んだらすぐに失礼しますわ」
 初詣を終えたら即、メリルは両親と出発しなければならない。着替える時間は皆無だ。大勢の人でごった返す中を振袖で歩くのは少々不安が残るが、背に腹はかえられない。
「正月早々忙しいんやな」
「去年も一昨年も大急ぎで帰りましたよね」
「ごめんなさい、いつもゆっくりできなくて。でも今年は駅前まで迎えにきて貰えることになりましたの。多少は時間にゆとりができましたわ」
「じゃ、おみくじひきましょうね!」
三人の会話がはずむようになってもヴァッシュは呆然と突っ立っていた。メリルに見とれていたのだ。きちんと化粧した顔はいつもより華やかで、決して着物に負けていない。初めて見るあでやかな姿に目が釘付けになっていた。
「…何や、ずっと黙りこくって」
肘で軽く小突かれて、ようやくヴァッシュは我に返った。といっても完全にではなく半分程度だったようで、呟くような声はどこか上の空だった。
「綺麗だ…」
メリルは目を丸くした後かすかに頬を染めて俯き、ミリィは嬉しそうににぱっと笑い、ウルフウッドは皮肉な笑みを薄く口元に刻んだ。
「着物がか?」
「!」
その一言に遅まきながら意識がはっきりする。
本心を押し隠して肯定すれば彼女に失礼だ。かといって否定すれば、『何が綺麗なんや?』と厳しく追及された上それをネタに当分の間からかわれる。
ヴァッシュは口をパクパクさせながらピコピコ暴れた。何を言えばいいのか、どうしたらいいのか判らない。
 盛大にうろたえている人間台風に助け船を出したのはメリルだった。俯いて自分の着物に目を落とす。
「母から譲り受けたものですの。染めも刺繍も凝っていて、本当に綺麗ですわね」
まだ言葉が出てこない。首を縦に振るのが精一杯だった。
「制服とジャージとズボン姿しか見たことがないマネージャーがいきなり和服で登場すれば驚くのも当然だとは思いますけど、まあ特大の日本人形のようなものだと思っていただければ。…そろそろ慣れて下さいました?」
菫色の双眸に見上げられて、落ち着きかけていた心拍数が再び跳ね上がる。
「はい! はい!」
まるで拳法のかけ声ですわね。信憑性に乏しい返事にメリルは苦笑いを浮かべた。
「ほなそろそろ行こか」


歩幅は狭く、内股気味に、しずしずと足を進める。当然のことながらいつもの速さで歩くことなどできない。三人もメリルのペースに合わせてゆっくり歩いた。
 時折先を急ぐ人が四人の間をすり抜けていくのだが、大半がメリルに――正確には彼女の帯にぶつかった。その度に小柄な身体がよろめく。
メリルの左隣をミリィが、その横をウルフウッドが歩いている。ヴァッシュはわざと半歩遅れてメリルの右斜め後ろを歩くようにした。
 左腕を自然に垂らし、後ろから人が近づくとメリルを庇うように横に伸ばす。大抵はいきなり目の前に現れた腕に驚いて足を止めるので、衝突は避けられるようになった。
「どないしたトンガリ。並んで歩ったらええやん」
「でもほら、四人も並んで歩いたら社会の迷惑でしょ?」
「そらまあオドレは図体でかいしな」
「人のこと言える!?」
ようやく山道に入った。舗装されていない急な坂を登るのは、ジーンズにスニーカーの三人はともかく草履のメリルにとって大変なことだ。どうしてもこれまで以上にペースを落とさざるを得ない。
『十一時十五分待ち合わせにしたのはこの為か』
ミリィとウルフウッドが先頭で、その後ろにメリル、しんがりにヴァッシュという順で並んだ。すぐ横をたくさんの人が追い越してゆく。
「ごめんなさい、私のせいで遅くなってしまって」
「かまへんて。別に競争しとる訳やあらへんのやし」
熊野宮神社の長い階段は人が溢れていて、のろのろ進むのがやっとだった。
階段の中ほどで四人は新年を迎えた。
「明けましておめでとうございます」
「今年もよろしくお願いします」
「ま、ひとつよろしゅう」
「いえいえこちらこそよろしくです」
互いに挨拶を交わして、いつになく改まった雰囲気に苦笑する。
ようやく賽銭箱の前にたどり着いた四人は、神妙な表情で神様に願い事をした。誰もが無言の中、ミリィだけは願い事を小声で呟いていた。
「志望校に受かりますように。家族みんなが健康でありますように。ガトーミルフィーユとセイロンティーがおいしいお店に巡り会えますように。それから…」
 つつがなく初詣を済ませると、ミリィはメリルの手を引きお守りやおみくじを扱う一角を目指して走り出した。
「先輩、あそこです!」
「ちょ、ちょっとミリィ」
このままではメリルが転んでしまう。ヴァッシュは慌ててミリィの肩を掴んで引き止めた。
「そんなに急がなくても大丈夫だよ。おみくじは逃げたりしないから」
「あ…はい、すみません」
先輩が走れないことを思い出し、ミリィは素直に謝った。
「あたッ!」
人の波を縫うようにして歩き始めてすぐ、ヴァッシュは後頭部に感じた衝撃に思わず声を上げた。ウルフウッドに殴られたのだ。
「何でぶつのさ!?」
「蚊が止まっとった」
 本音は言えなかった。その子に気安く触るんやない、と。
「真冬にいる訳ないでしょ!?」
頭をさすりながらぶつぶつ文句を言っている人間台風を無視して、ウルフウッドは何事もなかったかのように足を進めた。



-------------



「やったあ! 先輩ほら見て下さい! 大吉です!」
嬉しそうに声を上げ、ミリィはメリルに自分のおみくじを見せた。
「よかったですわね。…あら、『進学:平常心を失わず信神努力せよ 入学出来る』ですって。受験勉強にも力が 入りますわね」
「あうっ…ヴァ、ヴァッシュさんとウルフウッドさんはどうでした?」
哀しきかな灰色の受験生。ミリィは小さく呻くと、トライガン学園野球部のバッテリーに問いかけた。
「ワイは中吉や」
「僕も中吉。『苦あれば楽あり』だって。波瀾万丈の一年ってことなのかな」
「先輩はどうでした?」
自分のおみくじを読む前に三人の分を見ていたメリルは、慌てて折り畳まれた紙片を開いた。
「…凶」
僅かに表情を曇らせメリルは答えた。八つの瞳が小さな手に集中する。
「『家庭:争い事多し 恨まず嘆かず和やかに過ごしなさい』やて」
「『病気:無理は禁物 己を過信するべからず』…先輩、気をつけて下さいね」
「で、でもそんなに悪いことばっかりじゃないよ。ほら、『失物:遅くなって出る』だって」
「そんなにむきにならなくても大丈夫ですわ。鵜呑みにして落ち込んだりしませんから」
メリルはくすくす笑いながら、必死にフォローするヴァッシュを安心させるように言った。
「一応結んできますね」
ああは言ったものの、信心深い祖父母の影響か多少は気になる。メリルは一人鳥居の近くにある大きな木に歩み寄った。既にたくさんのおみくじが飾りのように結びつけられている。
低い枝はあらかた白い紙に埋め尽くされていた。草履で背伸びをして手を差し伸べても、メリルの身長では空いているところに届かない。
不意に高い位置の枝がしなって、メリルの頭の近くまできた。驚いて辺りを見回す。枝を掴んだヴァッシュが自分のすぐ横に立っていた。
「はい、どうぞ」
「あ…ありがとうございます」
メリルがおみくじをしっかり結ぶのを待って、ヴァッシュはそっと手を離した。木の葉がざわめく音と共に枝は元の位置に戻った。
「わざわざこの為に来て下さったんですの?」
お守りを物色しているミリィ達のほうへ歩きながら、メリルは隣の男を見上げた。
「いや…去年絡まれて大変だったって話を聞いてたから。男が傍にいたほうが安全でしょ? その恰好じゃ満足に走れないだろうし。…そう言えば、去年はどうやって逃げたの?」
「ミリィのお陰ですわ」
お参りを済ませて階段を下りる途中で、メリルとミリィは大学生風の二人組の男に声をかけられた。ナンパらしいがつきあうつもりも時間もない。
しばらく無視していたがしつこく話しかけてくる。逃げようにも、人が多すぎるのとメリルが草履履きなので全力疾走できない。
どうしたものかとメリルが思案し始めた時、ミリィが口を開いた。
『わかりました! あたしと勝負して下さい! あたしが負けたらつきあいます!』
駅前まで移動してから勝負となった。種目は腕相撲。
「結果はミリィの圧勝でした」
いい気分の酔っ払いに『女の子に負けるなんて情けねえぞ!』『それでも男か!』などとやじられ、男達はすぐに姿を消した。
「私一人では対応に困ったと思いますの。あの時は本当に助かりましたわ」
ヴァッシュは心の中でその二人組に同情した。声をかけたくなる気持ちは判る。でも、彼女達は可愛いだけの女の子ではないのだ。
幸い去年は何事もなく済んだが、今後悪どい連中に遭遇しないとも限らない。思い起こせばメリルはこれまでも何度も危ない目に遭っている。
『やっぱり目が離せないな』
できるだけ傍にいよう。ヴァッシュは密かに決意を固めた。


「ずいぶん買い込んだね」
階段を下りながら、ヴァッシュはたくさんのお守りで膨らんだ紙袋を抱えたミリィに率直な感想を述べた。
「はい! あげたい人がたくさんいるんです!」
ミリィの笑顔にウルフウッドの胸中は複雑なものになった。その中に彼女の言う『大っ好きな先輩』の分が含まれているのかも知れないのだ。恋愛成就のお守りがなかったのがせめてもの救いだった。
「自分の分は買いましたの?」
「…忘れてました。…でもでも、大吉のおみくじがありますから大丈夫です!」
引き返そうと提案される前にミリィは言った。先輩に時間の余裕がないことは判っている。自分の為に迷惑をかけたくない。
「でも」
「メリルさん!」
聞き覚えのある、しかしお近づきになりたくない男の声。メリルは口をつぐみヴァッシュの顔は微妙に引きつった。
それとなく視線を巡らせる。階段を上る人達の中にキールがいた。
ヴァッシュはメリルに、休み明けの練習メニューについて矢継ぎ早に質問した。会話に夢中で気がつかなかったことにしようと考えたのだ。幸い辺りは大勢の人の声でざわついていて不自然な話ではない。
ことさら声を大きくした男の意図をすぐに察し、メリルはひとつひとつ丁寧に説明していった。
「メリルさん! メリルさぁん!」
懸命に名を呼ぶ姿が気の毒に思えたが、ここで甘い顔を見せれば増長するのは目に見えている。二人はひたすら無視し続けた。
「せんぱ」
メリルに声をかけようとしたミリィを止めたのはウルフウッドだった。
 理由は知らないが、何かと口実を設けてわざわざ自分達のクラスにやってくるあの男をマネージャーが避けているのは転入してすぐに判った。あの男が声をかける前にヴァッシュがメリルに話しかけ、それとなくガードしているのを何度も見たことがある。
『恋のさやあてっちう奴か…?』
他人のことに首を突っ込む気は毛頭ない。ウルフウッドはずっと見て見ぬふりをしていた。
キールとすれ違い、彼の声が届かないほど距離が開いてから、ヴァッシュとメリルは揃ってため息をついた。
「先輩、よかったんですか? 先輩のこと必死に呼んでましたけど」
「いいのよミリィ…ちょっと訳ありなの」
「何ぞあったんか?」
げんなりといった表情のメリルに代わってヴァッシュが口を開いた。
「一時期野球部にいた奴なんだ。名前はキール・バルドウ。夏合宿の時マネージャーに惚れたらしくて、顔を合わせる度に『僕は君が好きだ! 僕と付き合って欲しい!!』って凄かったんだから。いっくらマネージャーが断ってもつきまとうし、迷惑だよね」
「いい加減諦めて下さるといいんですけど…」
再び吐息したメリルとは対照的にミリィは拳を固めて憤慨した。
「それじゃまるでストーカーじゃないですか! 大丈夫ですか!? 出かけると後尾けられるとか、イタズラ電話とか、家に変なもの送りつけられるとか、中傷ビラまかれたりとか」
「大丈夫ですわ。そんな悪質なものではありませんから」
「いっそ誰かとつきおうたことにすればアイツも諦めるんとちゃう?」
「え!?」
当事者以上に素っ頓狂な声を上げたのは人間台風だった。
「ナイスアイディアです、ウルフウッドさん! ぜひお願いします!」
「ええっ!?」
ヴァッシュは絶叫して周囲の冷たい視線の的となり、何度も頭を下げて謝罪した。メリルは呆然と目を見開き、ウルフウッドは大きくよろめいて、共にそのまま硬直する。
「…ど…どうしてそういう人選になるんですの?」
問いかける声は僅かに上ずっていた。
もし本当に実践するなら、キールが諦めるまで仲睦まじいところを見せつけなければならない。しかしウルフウッドが公衆の面前で異性と仲良くするところなど想像すら不可能だった。勿論自分も同様である。
「言いだしっぺがやるのは当然ですよね!」
「いや、その、ワイは」
「これで先輩も安心です!」
「…」
無邪気に喜んでいるミリィに『冗談でした』とはとても言えない。
「や、でも、やっぱり…そ、そういうことをふりでするのはよくないんじゃ」
「よかったあ、これで鼻を高くして眠れます!」
『それを言うなら枕を高くして』と訂正する気力のある者はいなかった。
小さく咳払いをして気を取り直すと、メリルは明るい笑顔の後輩に微笑みかけた。
「…素敵なアイディアですわね。でも、それは最後の手段にしますわ。ヴァッシュさんには普段からさっきのように助けていただいてますし、これからはウルフウッドさんも協力して下さるでしょうから」
ウルフウッドはぶんぶんと音を立てそうなくらい勢いよく何度も肯いてみせた。
「心配かけてごめんなさい。ありがとう、ミリィ」
「いえそんな…でも、何かあったら絶っ対教えて下さいね」
「ええ」
受験生の後輩に余計な心配をさせたくない。肯首しながらメリルは正反対の決意をしていた。






-----------




キール・バルドウ対策を話し合いながら歩いていると、ようやく駅の明かりが見えてきた。
 バス停の少し手前に停まっている大型車にヴァッシュは見覚えがあった。気づいたメリルが足を速める。
「お父様、お母様」
運転席にメリルの父が、その後ろに和服姿の中年の女がいた。髪の色は違うが、整った顔立ちは親子だけあってく似ている。
「早くなさいメリル。皆さんをお迎えしなければならないんですから、遅れる訳にはいきませんのよ」
叱責するような高い声が四人の耳朶を打った。バッテリーは自分が感じた印象を確認するようにそっと目配せし、ミリィの身体は緊張に強張った。
娘と同じ色の瞳がメリルの背後の三人に向けられる。目が合った刹那、ヴァッシュはしゃちほこばって深々と一礼した。
「あ、あの、はじめまして。ヴァッシュ・ザ・スタンピードといいます。マネージャーにはいつもお世話になってます」
自分を見つめる瞳に僅かに宿る非好意的な光。ヴァッシュはちくちくするような痛みを感じた。
「こちらこそ、娘が大変お世話になっております。…私達、とても急いでおりますの。申し訳ありませんけどこれで失礼させていただきますわ」
返事にはそつがなかった。が、いかにも儀礼的で暖かみに乏しかった。
「それじゃ皆さん、私はここで。ゆっくりできなくてごめんなさい」
軽く頭を下げて短く挨拶すると、メリルは助手席に乗り込んだ。
「…なんちうか…きっついオバちゃんやったな」
言葉を返す間もなく走り出した車が見えなくなってから、ウルフウッドはぼそりと呟いた。
ヴァッシュも全く同感だった。何か失礼なことをしたかと自分の言動を振り返ってみる。
「…やっぱり『ヴァッシュ・ザ・スタンピードと申します』って言ったほうがよかったかなぁ」
「たぶん、そうゆう問題じゃないです」
ミリィは顔を曇らせるとため息をついた。
「ヴァッシュさん、先輩のことマネージャーって呼びましたよね。それが気に入らなかったんだと思います。…先輩のお母さん、部活みたいな勉強に関係ないことは無駄だって考えてるみたいなんです。うちの中学は部活は必須なんですけど、もし自由参加だったらどんな部でも入部させなかったんじゃないかって思うんですよね」
ヴァッシュは夏合宿の時にメリルから聞いた話を思い出した。野球部への入部を母親に猛反対された、と。
「あの人の前に立つと緊張しちゃうっていうか、ちょっと恐いっていうか…あ、あの、嫌いだってことじゃないんです! 先輩のお母さんだし、病院を大きくしたのはあの人の手腕だって言われてて、すごい人なんだなって思うんです。けど、その…」
「判るよ。何となく苦手なんでしょ? …実は僕もそう感じた」
「ま、あんま会いたいとは思わんな」
「…何だ、みんなおんなじだったんですね」
三人は顔を見合わせて笑った。
軽く何か食べよう、という話になった。ファーストフードの店を目指して歩きながら、ヴァッシュは小さく吐息した。
『大丈夫かな…』
高校受験に失敗した時にはずいぶんいろいろ言われたらしい。一族の恥さらし、なんて心を抉るような言葉もあったという。
また酷いこと言われたりしないといいけど…。
何もできない自分をもどかしく思いながら、ヴァッシュは祈るような気持ちで満天の星を仰いだ。


三が日が過ぎ、今年初の練習に部員全員が顔を揃えた。
「今日からビシバシいくぞ。まあ勘が鈍るほど休みはなかったし、大丈夫だな」
新年の挨拶を省略した顧問の言葉はなかなか厳しい。
「怪我には注意するように。ではウォーミングアップ始め!」
ギリアムの声にめいめいがストレッチを始める。両手を組んで手のひらを上に向け、そのまま伸びをして背筋を伸ばしながら、ヴァッシュはそれとなくメリルのほうを見た。
彼女の様子に変わったところはない。校庭の一角でファイルを手に顧問と話をしている表情もいつもと同じだ。
『よかった…』
ヴァッシュは密かに胸をなで下ろした。
新学期が始まった。ヴァッシュは久しぶりに顔を合わせたクラスメイトと他愛のないことを話しては爆笑した。
 始業式の翌日、休みボケしている生徒達に活を入れる為か、国語・数学・英語の抜き打ちテストが行なわれた。
「やられた…」
机に突っ伏し、ヴァッシュは情けない表情で呻いた。冬休みの宿題がほとんど出なかったのをいいことに、ここ数日ろくに勉強していなかった。数学と英語はともかく、国語は答案返却日が恐い。
四時間目のホームルームで担任が何やら話をしていたが、その内容はヴァッシュの耳を見事に素通りした。
「へあ――あ」
ホームルーム終了を告げるチャイムと同時に、ヴァッシュは再び机に倒れ込み深く息を吐いた。鞄を手に教室を出ていくクラスメイトの声に手だけ挙げて応える。
 今日の授業は午前中だけ。早く食事を済ませて部活に行かなければならないのだが、ショックが大きすぎて空腹も感じない。
「ヴァッシュさん」
近づいてきた人に名前を呼ばれ、顔だけ上げて弱々しく微笑む。声の主は成績の心配とは無縁だ。
「まいったよ。前もって判ってれば少しは勉強したんだけどね」
「…思わしくなかったんですの?」
「漢文の問題があんなに出るなんて…マネージャーの脳みそ少し分けて欲しいよ」
常日頃の努力の差なのだから羨むこと自体筋違いな話なのは判っているが、つい詮無いことを言ってしまう。
テストの話はタブーですわね。そう判断したメリルは唐突に話題を変えた。
「お昼はどうなさいます?」
「食欲ないよ。…もし赤点だったらどうしよう。母さんとレム、二人がかりでお説教だ…」
ヴァッシュの母は子供の前で涙を見せたのはただ一度きりという気丈な人で、それだけに怒ると恐い。レムはその気になれば歯に衣着せずいくらでもきついことを言える。
「恐ろしい…よく考えたら恐ろしい話だなオイ!! どうすんだ、シャレにならん!!」
ぶつぶつ呟くヴァッシュの顔を大量の冷や汗が伝う。心なしか顔色も悪くなっていくようだ。
 メリルは自分の世界に入り込みつつあるピッチャーを呼び戻すべく再度話しかけた。
「あ、あの、トライガン学園の生徒会役員選挙って変わってますのね。こういう方法、初めて聞きましたわ」
「へ?」
「…ホームルームの時間寝てらしたんですの?」
「起きてたよ。覚えてないだけ」
とんでもない答えにメリルは思わず吹き出した。声を上げて笑うマネージャーの姿に、ヴァッシュも何とか気を取り直して起き上がった。
一緒に昼食を摂りながら、メリルはホームルームでの話をヴァッシュに説明した。
トライガン学園の生徒会は生徒の自主的な組織の中では最大の権限を持つ。部を総括して予算の配分を行ない、各種行事では運営委員会の更に上の存在として活動する。それだけに仕事は多岐にわたり、その責任は重い。
歴代の生徒会役員候補者に立候補した者はいない。全て他者による推薦である。創立当初、激務といっても過言ではない役員の仕事をこなすに相応しい人を選ぶ為に敢えてこのような方法をとったのが、そのまま伝統として残っているのだ。
「…推薦期間は今日から一週間。〆切翌日に候補者の発表があって、次の日に選挙が実施されるそうです」
会長と副会長は各一名、書記・会計・会計監査は各二名選出する。投票するのは一・二年生だけ。二ヶ月後に卒業する三年生は選挙に参加できない。自分の学園生活の要を委ねる人を自ら選べ、ということだ。
「ふーん…でもそれでうまくいくのかなあ」
ヴァッシュは首をかしげた。やりたくないのに押しつけられた人だっていた筈だ。
「後で先輩に訊いてみましょう」
放課後、部活を終え帰ろうとしているギリアムを引き止める。何故か残っていたウルフウッドも交え、三人を代表してヴァッシュが尋ねた。
「推薦っていっても、初めの頃はいざ知らず今じゃ有名無実だな。やりたい奴が友達に頼んで自分を推薦して貰う。実質立候補と同じさ」
「ああ、なるほど」
ヴァッシュはようやく納得した。それならやる気のある人が集まるだろう。
「演説も一人につき二種類やるんだ。候補者本人と推薦した奴の応援演説。候補者が多いと選挙も時間がかかって大変らしい。去年は必要な人数と候補者が同じで信任投票みたいなもんだったが、今年はどうなるかな」
この時点では、その場にいる全員にとって生徒会役員選挙は対岸の火事だった。




------------

PR
vp9 * HOME * vp11
  • ABOUT
うろほらぞ
Copyright © うろほろぞ All Rights Reserved.*Powered by NinjaBlog
Graphics By R-C free web graphics*material by 工房たま素材館*Template by Kaie
忍者ブログ [PR]