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うろほろぞ
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暗闇の向こうに

プロローグ


部室でユニフォームに着替えたヴァッシュは、心とは裏腹に軽い足取りで校庭に向かった。ようやく通常どおりの練習をこなせるまで体調が回復したのだ。
自分を気遣う声に笑顔で答え、ウォーミングアップをしながらそれとなく辺りを見回す。
「……あれ?」
いつもなら校庭のどこかにいる筈のマネージャーの姿がない。
『先生と話でもしてるのかな』
顧問との打ち合わせや、部員全員が着替えを済ませた後で部室の掃除をしていて、メリルが遅れてくることはこれまでにも度々あった。
 別に珍しいことじゃない。もうじき来るだろう。その時ヴァッシュは事態を深刻に捉えてはいなかった。
部活が終わった後、ヴァッシュは主将に一緒に顧問のところへ行くよう言われた。着替えを済ませ、二人で職員室に向かう。
廊下を歩きながらヴァッシュは小声でギリアムに尋ねた。
「何かあったんですか?」
「俺も知らないんだ。だが、楽しいことじゃなさそうだぞ」
部活が終わったらスタンピードと一緒に職員室に来い。そう言った時の顧問の表情を思い起こし、ギリアムは眉を顰めた。
「……来たか」
二人を迎えた顧問の顔は暗かった。ヴァッシュ達は固唾を飲んで次の言葉を待った。
「まずはこれを見てくれ」
顧問は広げた便箋と封筒を二人の前に掲げた。
「退部届……」
「マネージャーが!?」
間違いなくメリルの字だった。合宿の時と同じく、用件が簡潔に綴られている。異なるのは日付と、署名があること。
「理由を訊いたんだが、答えなかった」
遅まきながらヴァッシュは気がついた。自分が倒れてから二週間が経過したことを。ウルフウッドが指定した期限が今日だったことを。
「FDと部室の鍵も渡された。FDには新しい練習メニューなんかが入っていた」
便箋を封筒に戻すと、顧問はそれをひらひらと振った。
「こいつは『一応預かる』とだけ言っておいた。鍵はその場で返して、今もマネージャーが持ってる。皆には『家の都合でしばらく部活を休む』と説明しようと思う。幸いもうすぐ部活そのものが休止になるしな」
定期考査の一週間前から終了まで、原則として部活は全て行なわれなくなる。試合を控えた運動部の生徒が僅かに例外として認められる程度だ。
「鍵を受け取ったってことは、野球部そのものが嫌になった訳じゃないんだろうが……。何か心当たりはないか?」
「半月くらい前から元気がないなとは思ってましたが、訊いてもいつもはぐらかされてしまって……。ヴァッシュ、クラスでもあんな感じなのか?」
主将の声はヴァッシュの耳には届いていなかった。肩を揺さぶられて我に返る。
「あ……す、すみません」
ギリアムはもう一度質問をくり返した。
「……クラスの誰かと喧嘩したとか、もめているようなことは……ないと思います……」
「すると家のことか。あの条件をクリアできなかったのかも知れんな」
「でも、それならはっきりと理由を説明するんじゃないでしょうか。鍵を受け取ったっていうのも不自然ですし……」
二人の憶測が的外れだと判っていたが、ヴァッシュは自分が見聞きしたことを話す気にはなれなかった。




+++++++++++



暗闇の向こうに


期末試験一週間前に突入した木曜日。さすがにスカウト合戦も行なわれず、ウルフウッドは久しぶりに静かな学校生活を送ることができた。何かと引っ掻き回してくれる人間台風も、ここ数日は声をかけてこない。
後に彼は、心を乱すものは学校以外にも存在し得る、という事実を思い起こすことになる。
帰宅途中、突然自分のものではない英和辞典が足元に落ちてきて、ウルフウッドは思わず立ち止まった。首を巡らせ、すぐ傍の歩道橋の階段に目をやる。教科書・ノート・ペンケース等々、学生の持ち物が散乱していた。
更に視線を上げる。手すりをしっかりと掴んだ少女の背中が見えた。振り向いた水色の瞳がウルフウッドを見つめる。
「すす、すみませ~ん!」
頭のてっぺんから出ているような高い声にいきなり謝られ、ウルフウッドは僅かに眉を顰めた。辞典は当たらなかった。少々驚きはしたが、詫びて貰うほどのことでもない。
「手伝って下さ~い!」
先刻の発言は謝罪ではなく、実は依頼の枕詞だったのだ。
ウルフウッドは吐息した。トンガリ頭のお人好しの親切ごっこに付き合わされた記憶が蘇る。
『歩道橋は鬼門なんやろか……』
内心ぼやいたもののそのまま立ち去ることもできず、重い足取りで階段を昇る。少女の隣まで行って、ウルフウッドはようやく事態を理解した。
仰向けに倒れそうな不安定な姿勢で、少女は左手で手すりを握り締め、右腕で小柄な老婦人の身体を抱きかかえていた。階段で転倒した老婦人を咄嗟に受け止めたまではよかったが、身動きが取れなくなってしまったのだろう。バランスが崩れれば二人とも階段の下まで転げ落ちてしまう。
ウルフウッドは意外に大柄な少女の背中に左腕を回した。二人分の体重をものともせずそのままぐいと押し上げ、仰向けの体勢を前のめりに近い形までもっていく。老婦人は階段に腰掛け、少女はその傍らに右腕をついて膝立ちになった。
「はあ~」
少女が大きく安堵のため息をついた。と、次の瞬間には立ち上がり、直立不動の姿勢をとる。
「ありがとうございました!」
勢いよく頭が下げられ、ワンテンポ遅れて金髪が揺れた。頭突きにならなかったのは、ウルフウッドが己の反射神経を存分に生かして身を引いたからである。
「あのぅ……」
遠慮がちな声に、少女は今度は勢いよく振り返った。
「ああっ、おばあさん大丈夫ですか!? 怪我はないですか!?」
「は、はい」
少女の剣幕に押され、老婦人は小さく肯いた。少女が嬉しそうに微笑む。
「よかったあ……。あ、気をつけて下さいね。けっこう急ですから」
言いながら、少女は老婦人の手を取り一緒に階段を降りていった。歩道で手を振りながら、遠ざかる後ろ姿を見送る。
ウルフウッドは教科書などを拾いながら階段を降りた。慌てた様子で鞄に次々と荷物を放り込んでいる少女に差し出す。
少女は重ねられた教科書やノートを受け取ると、にっこり笑って礼を言った。
「ありがとうございます!」
『……!』
その表情にウルフウッドの目は釘付けになった。屈託のない、まるで赤ん坊のような笑顔。
「ああっ、もうこんな時間! すみません、あたし急いでるんで失礼します!」
受け取ったものを鞄に入れる時に腕時計が見えたのだろう。少女は周囲の迷惑を省みず大声で叫ぶと、深々と一礼して猛然と走り出した。後ろ姿はすぐに人込みに紛れて見えなくなった。
「……何ちうか……パワフルな子やな……」
率直な感想を我知らず呟いたウルフウッドは、ふと視界の隅に光る物があるのに気づいてそれに近づいた。
屈み込んで拾い上げる。大きな銀色の鈴をつけた鍵だった。
『さっきの子の落としもんやろな……』
腕時計で時刻を確認し、しばらく思案する。すっくと立ちあがると、ウルフウッドは歩道橋のすぐ傍のガードレールにもたれかかった。
『三十分だけや』


何をするでもなくウルフウッドはじっと待った。再び会える保証など何もない。それなのに何故待つ気になったのか、彼自身にも判らなかった。
四十分ほど経過した頃、人込みの中にあの顔を見つけてウルフウッドは足早に近づいた。約十分の誤差はこの際黙殺することにして。
「よう」
「ひゃあっ!」
悲鳴に通りすがりの人々が思わず振り返った。こちらに向けられる視線が痛い。
少女と目が合う。途端に少女はウルフウッドに微笑みかけた。
「あ、さっきの関節な人」
カンセツ……? ウルフウッドは内心戸惑った。さっぱり意味が判らない。
「さっきは助けて下さってありがとうございました!」
また頭を下げようとするのをウルフウッドは手で制した。カンセツの意味を考えるのをとりあえず中断する。
「ええて。そんななんべんも礼言わんでも。それよりこれ、アンタのとちゃう?」
拾った鈴付きの鍵を差し出す。
「はいっそうです、あたしのです!」
自分の手ごと鍵を握り締められ、ウルフウッドは小さく呻いた。手のひらに鍵の尖った部分が刺さり、手全体を力一杯圧迫されている。どちらも痛い。
「あの時落としたの、拾ってくれたんですよね? ……もしかして、ずっとここで待っててくれたんですか?」
答えはなかったが、ミリィは嬉しそうに笑った。
ぶんぶんと腕を振り回されたが、ウルフウッドは手の痛みを忘れていた。自分に向けられている笑顔の為に。
「ほんとにほんとにありがとうございますっ!」
ようやく呪縛から解放され、自分より少しだけ小さい手に鍵を載せる。赤くなった手を見られないよう、さりげなくポケットに突っ込んだ。
「……何でそないににこにこ笑えるんや……?」
落としもん拾っただけやんか。
少女は目を丸くしてウルフウッドを見つめたが、やがてにぱっと笑って説明した。
「嬉しいからです! 誰かに優しくしてもらったら嬉しいですよね!」
誰かに『ありがとう』って言ってもらうのも嬉しいですけど。続いた台詞はウルフウッドの耳を素通りした。
この笑顔が見たかったんやな……。ウルフウッドはようやく自分の行動の理由を悟った。つられるように自然と口元に笑みが浮かぶ。
「その制服、トライガン学園のですよね?」
「ああ、せやけど……」
少女がまた嬉しそうににっこり笑った。見ているだけで心が暖かくなる。
「トライガン学園って優しい人がいっぱいいるんですねぇ。これなら先輩ものーぷろぐらむ、毎日楽しく学校に通えます!」
「先輩?」
「はいっ、あたしの大っ好きな先輩がトライガン学園に通ってるんです!」
ウルフウッドはみぞおちの辺りが急に重くなったのを自覚した。先刻まで感じていた暖かさも消えてしまった。
「あ、あたし、ドレイクちゃんを迎えに行かなきゃならないんです! 失礼します! ほんとにありがとうございました!」
再び深くお辞儀をすると少女は駆け出した。あっという間に姿が見えなくなる。
「……名前、訊きそびれてしもた……」
訊いてどないすんねん。心の中で自分にツッコミを入れつつ、ウルフウッドは釈然としない気持ちのまま自宅目指して歩き始めた。







++++++++




暗闇の向こうに


「もーいーくつ寝ーるーとー、きーまーつーしーけ~~ん♪」
能天気に笑えない替え歌を歌ったクラスメイトが、悪友に容赦ない関節技を食らって悲鳴を上げる。が、いつもなら乱入して騒ぎを大きくするヴァッシュが、今は机に突っ伏したまま起き上がろうともしない。腑抜けた顔でぼんやりと眺めているだけだ。
「ヴァッシュ~、どうしたんだよ。まあだ調子悪いのか?」
いつの間にかじゃれあっていた筈の二人が自分の席の前に立っていて、ヴァッシュは慌てて飛び起きた。声をかけられるまで気がつかなかった。
「え……ううん、もう大丈夫! アイムファインセンキュウ!」
両腕を上げてまずはガッツポーズ、続けてボディビルダーのようなポーズを次々ととる。しかし二人の怪訝そうな表情は変わらなかった。
「……お前……いつからマッスル愛好家になったんだ?」
「いや~、僕はマッスルより野球でハッスルするほうが好きだな~」
「で、古文と漢文に膝を屈するんだよな」
「上手い、座布団一枚!」
「笑点やってるんじゃないんだから……」
「事実だろ?」
鋭い指摘に頬を膨らませたものの、ヴァッシュは反論できなかった。にわかトリオの漫才に周囲から笑いが起こる。
ヴァッシュは教卓に近いメリルの席に視線を走らせた。椅子に腰掛けた後ろ姿しか見えない。この騒ぎが聞こえない筈はないのに振り向きもしない。
隣に視線を移す。我関せず、といった雰囲気でウルフウッドは教科書を開いている。一夜漬けなのかも知れない。
期末試験は明日木曜日から始まる。土曜日までの三日間は灰色の生活だが、それが終われば試験休みに冬休み。クリスマスとお正月も控えている。これで成績表と宿題がなければ幸せなのだろうが。
マネージャーが退部届を出してから一週間余りが経過した。表情は相変わらず暗く、口数もめっきり減っている。ヴァッシュもギリアムも何度か話をしようとしたのだが、それを察したメリルが席を立ったり他の誰かに話しかけたりしてしまうので、二人ともずっときっかけを掴めずにいた。
ウルフウッドのほうにも動きはない。野球部には近づかないし、ヴァッシュの見る限りメリルと親しくなったようにも思えない。お互い顔を見ようともしないのだ、むしろ今まで以上に疎遠になったような気さえする。
『どういうつもりなんだ……』
自分の疑問と苛立ちが全てウルフウッドに向けられていることをヴァッシュは自覚していた。その臨界点が近いということも。
その日の放課後、ヴァッシュはウルフウッドに『話がある』と声をかけた。いつになく固い表情にウルフウッドは軽く眉を上げ、無言のまま肯いた。
二人が向かったのは野球部の部室だった。部員で鍵を持っているのは主将とマネージャーだけなので、ヴァッシュはドアの前で足を止めた。ここなら人が来ることはまずない。
「何や、こないなところに連れて来て」
口の端を僅かに上げてウルフウッドが問いかける。ふてぶてしく見える笑みにヴァッシュの神経は逆なでされた。
「キミ……どういうつもりなんだよ……」
普段より低い声。それが怒りを押さえているからだと目の前の男は判っているだろうか。
「どうって……何がや」
「……マネージャーは結論を出した。退部届を出したんだ! それなのにキミは……!」
「……話、聞いとったんか。立ち聞きとはずいぶん悪趣味なことするんやな」
揶揄するような口調。ヴァッシュの頭に血が上った。
「平気で約束を破る奴に言われたくない!」
「……ワイは『考えてもええ』て言うたんや。約束した覚えはあらへん」
次の瞬間、鈍い音と同時にウルフウッドの身体は大きく揺らいだ。


いい奴だと思ってた。子供に優しくて、親を大切にしていて。それなのに……
「ウルフウウーッド!! …………おまえッ……!」
それ以上は言葉にならなかった。固く握り締めた拳を震わせながら、ヴァッシュはその場に立ち尽くした。
左の頬を腫らしたウルフウッドがゆっくりと姿勢を戻し、ヴァッシュを睨みつける。嵐の前の静けさを思わせる沈黙の時間。
「やめて下さい!」
緊迫した雰囲気は悲鳴のような声に破られた。
ヴァッシュはいきなり後ろから抱きすくめられた。みぞおちの辺りに回された華奢な腕。それが誰のものなのか、目で確認するまでもなかった。
「マネージャー……」
呟くような声で呼んでみる。が、左腕の横から覗いている顔がヴァッシュに向けられることはなかった。
「ウルフウッドさん、行って下さい! 早く!」
私ではこの人を止められない。だから早く。
小さく肯くとウルフウッドは踵を返した。そのまま早足に去ってゆく。
「ま……待てッ!」
「駄目!」
本当は、腕を振りほどくこともそのままの体勢で後を追うこともできた。しかしヴァッシュは必死に自分にしがみつくメリルの姿に怒りが急速にしぼんでいくのを感じた。ため息と共に全身の力が抜けていく。
「……どうして……」
あんな奴を庇うんだ。やっぱりキミはアイツのことを……
メリルはそっと腕を緩めるとヴァッシュから離れた。ウルフウッドの姿はもう見えなくなっている。
「ごめんなさい、後を尾けたりして。……あなたが……とても恐い顔をしてたから……」
顔を背けたままメリルは謝った。辛そうな横顔がヴァッシュの胸を締め付ける。
いつも相手の目をまっすぐに見て話をしていた彼女。それが今はこちらを見ようともしない。
「……キミとも話がしたかったんだ。……どうして」
「ごめんなさい! 私、帰らないと」
逃げるように走り出したメリルの肩を掴むと、ヴァッシュは強引に自分のほうを向かせた。俯いてしまったメリルの表情は見えない。
「キミが野球部をやめることはない! さっきので判っただろ!? アイツは約束を守るつもりなんてないんだ!!」
「……あの時……聞いてらしたんですの?」
動揺したヴァッシュの隙を突いて、メリルは逞しい腕を振り払いヴァッシュから離れた。
「……最後の……ところだけ」
「……誰かに約束を守って欲しいなら、まず自分が約束を守らなければいけませんわ」
相手が自分の思うとおりに行動しないからといって、こちらから約束を破棄するようなことはできない。それでは相手の信頼は永遠に得られない。
メリルの口元が微妙に歪んだ。微笑むように、自嘲するように。
「詰めが甘かったのは失敗でしたけど……私はまだ諦めていませんの」
自分が退部届を出した後のウルフウッドの言動を思い起こす。ともすると見逃してしまいそうなほどささやかな、それまでとは異なる対応。あれは……
「……マネージャー……」
「元、ですわ」
メリルはようやく顔を上げ、ヴァッシュを見つめた。
「……お願いですから喧嘩なんてしないで下さい。怪我でもしたらどうするんですか。……それに、この世はラブ&ピース、なのでしょう?」
微笑んでいるのに哀しそうに見える表情。僅かに語尾が震えた。
「私……もう帰ります。……さよなら」
走り去るメリルをヴァッシュは追うことができなかった。最後のたった四文字の言葉が心に重くのしかかった。



暗闇の向こうに


苦行に近い三日間が終わった。最後のテストの終了を告げるチャイムが鳴った時、誰もが心の中で歓喜の叫びを上げたことだろう。
部活も今日から解禁になる。放課後、校庭や体育館に久しぶりに生徒達の声が戻ってきた。
「なあヴァッシュ、マネージャーどうかしたのか?」
顧問からの簡単な説明では納得できないのだろう。ウォーミングアップをしながら、ヴァッシュは先輩同輩関係なくかわるがわる同じことを訊かれた。一年生の部員は他にもいるが、メリルと同じクラスなのは彼だけだった。
「僕も知りたいんですよ……」
誰に尋ねられても曖昧な笑顔で同じ台詞を返す。
「主将も知らないって言うしなあ……」
首をかしげながらも、部員達はヴァッシュから離れていった。
練習再開初日ということもあり、その日は比較的軽いメニューで早めに終了した。西の空にはまだ赤みが残っている。
「お疲れ様でしたー!」
全員で挨拶して部室に向かう。着替えながらヴァッシュは小さくため息をついた。
自宅に戻ると、ヴァッシュはいつものようにバスルームに向かった。制服を脱ぎ、全身を泡だらけにして汗を流す。
セーターにジーンズというラフな格好に着替え、タオルで濡れた髪をごしごし拭う。何か飲もうと冷蔵庫に行きかけて、留守電のランプが点滅しているのに気づく。
件数表示を見てぎょっとする。七件。
スタンピード家に電話がかかってくることはあまりない。大抵は母宛の仕事の話で、ヴァッシュ宛には母から『帰りが遅くなる』旨の連絡がたまにあるくらいだ。
朝家を出る時には留守録は一件もなかった。ヴァッシュは慌てて留守録を解除した。
『ヴァッシュさん、先輩が来ないんです』
『携帯に電話しても連絡が取れなくて』
『先輩、急用ができたとか言ってませんでしたか?』
メッセージは全てミリィからだった。状況がよく判らないまま、ヴァッシュはミリィの自宅に電話をかけた。
『はい、トンプソンです』
「もしもし」
『ヴァッシュさん! 先輩がどこにいるか知りませんか?』
挨拶そっちのけでミリィは話し始めた。
今日の放課後、ミリィはメリルと買い物に行く約束をしていた。しかし、几帳面な先輩が待ち合わせの時刻を過ぎても来ない。不思議に思い自宅の留守電をチェックしたがメッセージはなく、携帯に電話しても応答はなかった。
ミリィは仕方なく自宅に戻った。携帯やPHSは持っていないので、連絡があるとすれば自宅だからだ。その後も携帯に電話をしたがやはり出ない。メリルの自宅にも電話をかけ家政婦の中年女性に尋ねたが連絡はないという。
「……何も言ってなかったけど……」
会話そのものがないのだから、メリルのスケジュールなど知りようもない。今日二人で買い物に行くことさえ初耳だった。
『そうですか……』
ヴァッシュに訊けば判ると思っていただけに、ミリィの落胆は大きかった。
「そんな暗い声を出さないで。僕が心当たりを探してみるから」
『それじゃあたしも』
「彼女から連絡があるかも知れないだろ? キミは家にいて。何か判ったらすぐ電話するから」
落ち込むミリィを何とかなだめると、ヴァッシュはコートに袖を通し自転車の鍵を掴んで家を飛び出した。


ここに引っ越してから訪ねてきたのはアパートの大家と新聞の勧誘員くらいだ。だからドアを激しくノックされた時、ウルフウッドはしつこい勧誘が来たのだろう、としか考えなかった。
「新聞ならお断りやで」
言いながらドアを開ける。が、予想に反してそこにいたのは顔を強張らせたヴァッシュだった。
「……またオドレか」
不愉快そうな態度に臆することなく、ヴァッシュは厳しい声で問いかけた。
「マネージャーは来てないのか?」
「あ? マネージャーって、メリルっちう小っさい嬢ちゃんのことかいな」
「来てないのか!?」
ウルフウッドは眉を上げるとドアを目一杯開けた。玄関に女物の靴はない。六畳一間のがらんとした室内がヴァッシュの位置からもよく見えた。
「……何なら家捜ししてみるか?」
険しい表情で無言のまま睨み合う。互いの視線がまともにぶつかり、見えない火花を散らした。
先に目をそらせたのはヴァッシュだった。大きく息を吐き、同時にいきり立っていた肩の力を抜く。
「……悪かった。突然押しかけて、妙なことを訊いたりして」
再び交渉の機会を得たメリルがウルフウッドと会っていると思ったのだが、どうやら違うらしい。しかし、彼女が後輩との約束を無断で破るとしたらそれくらいしか考えられなかった。
「今日の放課後、マネージャーとは会わなかったか?」
「野球部の元マネージャーやったら、クラスで見かけただけや。話もしてへん」
「……邪魔したな」
わざわざ元をつけた言い方が癪に障ったが、ヴァッシュはそれだけ言うと踵を返した。背後でドアの閉まる音がし、足音がそれに続いた。
「……何でついて来るの」
「ワイのせいで何かあった思われるんは心外やからな」
「キミには関係ないでしょ」
冷たく一瞥しても無駄だった。帰る気はこれっぽっちもないらしい。
ヴァッシュが電話ボックスに入ると、ウルフウッドはガラスに寄りかかるようにして立った。こちらの応対を聞かれてしまうのが気になったが、注意したところで従う筈はない。ヴァッシュは仕方なくそのままミリィの家へ電話した。
『はい……』
三回のコールの後、風邪でも引いているかのような声で返事があった。かけ間違えたか、とヴァッシュは一瞬ひやりとしたが、その声はだいぶ変わっているもののミリィのものだった。
「もしもし?」
『ヴァ……シュさ……。……せん……先輩……が……』
そのまま泣き崩れたらしい気配。尋常でない雰囲気を感じて、ヴァッシュは必死に呼びかけた。
「どうしたんだ!? 何があった!?」
『……さ……さっき……先輩……の家……に……電話が……あったって……』
「……ごめん、怒鳴ったりして。……落ち着いて。大丈夫、何も恐いことはないから」
思わず声を荒げてしまったことを後悔しつつ、ヴァッシュは泣きじゃくるミリィをなだめた。
「電話って? 本人がかけてきたの?」
『……殺してやるって……』
「殺してやるって……ちょっと待った、何の話だ」
ミリィはただ泣くばかりで、とても口がきける状態ではない。
「……とにかく僕はメリルの家に行ってみるから! キミはそこにいるんだ。いいね!?」
これでは埒があかない。ヴァッシュはそれだけ言うとミリィの返事を待たずに電話を切った。







++++++++




暗闇の向こうに


メリルの家を目指してヴァッシュは必死にペダルをこいだ。後ろにはウルフウッドが乗っている。
「何でキミまで……来なくていいってば」
「さっきも言ったやろ。ワイのせいで何かあった思われるんは心外なんや」
「思ってないよ。もう誤解は解けたんだから」
どれだけ言葉を費やしてもウルフウッドは納得しない。押し問答している時間が惜しくて、ヴァッシュはしぶしぶ同行に同意したのだった。
呼び鈴を鳴らす。玄関から飛び出してきた目を充血させたミリィの姿にウルフウッドは目を丸くした。
「ア、アンタあの時の」
「どうしてキミがここに……」
「ヴァ……ュ……さん…………ふ……ふええええええええええええ」
ぽろぽろと零れる涙を服の袖で拭う。二人は慌ててミリィを連れて玄関に駆け込んだ。
玄関で三人を出迎えたのはメリルの父だった。血の気が引いて青白く見える顔に、焦燥の色がはっきりと見てとれる。
「スタンピード君……」
「何があったんですか!?」
「……とにかく中へ」
三人はメリルの父に応接間に案内された。ヴァッシュはウルフウッドを『クラスメイトです』と紹介した。家政婦から電話があった時のことを聞く。
「最初に旦那様はいるか、と訊かれたんです。こちらからお名前をお尋ねしても答えませんでしたし、いたずらかと思ったんですが、声が真剣なのに気づいて……。旦那様に伝えるよう言われました。『俺の娘は殺された、だからお前の娘を殺してやる』と……」
ハンカチで口元を覆いながらそう言うと、家政婦は顔を伏せて泣き出した。
「……判った。度々すまなかったね」
家政婦の肩に手を置き、メリルの父は穏やかな声で言った。背広のポケットから白い錠剤の入った小さな瓶を取り出す。
「鎮静剤だ。これを飲んで、向こうの和室で少し休みなさい」
噛んで含めるように言い聞かせ、ドアのところまで付き添う。静かにドアを閉めて応接間のソファに戻ると、男は大きなため息をついた。
「このことは、出張中の妻には知らせていません」
「何か心当たりはありませんか?」
「……あります」
一週間ほど前、ひき逃げされたアイリーンという名の女子高生が急患として運び込まれた。その時にはもう呼吸も心臓も停止していて、手を尽くしたが蘇生できなかった。
「葬式に行ったんですが、父親には塩を撒かれ、恋人と思しき青年には殴られそうになりました。『俺の娘は』と言ったのなら、電話をかけたのは父親のほうでしょう」
「……その人の住所を教えて下さい。僕が行ってみます」
「私の娘のことです。私が」
気持ちは判るが、メリルの父はいつ倒れても不思議ではないくらい消耗している。ヴァッシュは失礼を承知の上で話を遮った。
「もしその人がお嬢さんを連れ去ったのなら、あなたを見て逆上してしまうかも知れません。あなたが行くのは危険です」
ヴァッシュの言うことにも一理ある。メリルの父は苦悩の表情で肯いた。
ミリィは『一緒に行く』と言い張ったが、ヴァッシュは承諾しなかった。
「まだ誘拐だと決まった訳じゃない。その電話だってイタズラか只の嫌がらせかも知れないし」
「でも……」
何か判ったらすぐに電話をすると約束しても納得しないミリィに、ヴァッシュは真摯な声で言った。
「約束したろ? 『キミの大切な先輩を必ず守ってみせる』って。……僕を……信じてくれないか」
もしメリルが危険な目に遭っているのなら、絶対キミを巻き込みたくないって考える。だから、キミはここにいて欲しい。
「安心し。アンタの分はワイが働いたる」
ミリィはウルフウッドの顔をまじまじと見た後、『あ、あの時の』と小さく呟いた。
「トンガリとワイ、二人だけじゃ足りんか?」
「……わかりました、おとなしく待ってます。だから……先輩を……」
ヴァッシュは再び泣き出したミリィの頭をそっと撫で、ウルフウッドは励ますように彼女の肩を軽く叩いた。
二人がストライフ家を出た時には西の空もすっかり暗くなっていた。空の大半が薄い雲で覆われていて星はほとんど見えない。
「僕はアイリーンの家に行ってみる。キミは……」
「ワイは本人の足取りを追う。行動が掴めなくなったとこで何ぞあったんやろ。それが判れば手がかりが見つかるかも知れん」
真の動機を隠す為に犯人がわざとあんな電話をかけてきた可能性もある。娘を交通事故で亡くした父親が無関係だったとしたら、そこでヴァッシュにできることはなくなってしまう。
「……写真を借りたのはその為だったんだ」
「そういうことや。オドレも一枚持っとけ」
ウルフウッドは写真をヴァッシュに押しつけ踵を返した。メリルの父に書いて貰った、ストライフ家の電話番号を書き添えた駅までの簡単な地図に目をやり、そのまま駅に向かって歩き出す。
 ヴァッシュは写真に視線を落とした。場所がどこなのかは判らないが私服のメリルが微笑んでいる。
『メリル……無事でいてくれ!』
祈るような気持ちで声には出さずに叫ぶ。写真をコートのポケットにしまい、代わりに地図を取り出して目的地を確認する。
ヴァッシュは自転車にまたがると、ペダルにかけた足に力を込め一気に加速した。


アイリーンの自宅は、周辺の家に明かりが灯っているのとは対称的に真っ暗だった。家の周りを何回か走ったが、しんと静まりかえっていて人の気配がない。呼び鈴を押しても電話帳で番号を調べて電話しても、反応は全くなかった。
『留守なのか?』
あるいは家の中でじっと息を潜めているのか。メリルも一緒に。
考えても答えが出る筈もない。ヴァッシュは中間報告の為ストライフ家に電話を入れた。待ちかねていたようなミリィの声が耳に飛び込んできた。
『あ、ヴァッシュさんよかった! ウルフウッドさんから連絡があったんです!』
ミリィはトライガン学園の最寄り駅の名を挙げた。
『手がかりが見つかったみたいです! 北口の改札で待ってるって』
「判った! これからすぐに向かう!」
息を切らして駆けつけたヴァッシュに気づいたウルフウッドは、手を軽く振った後少し離れたところにある誰もいないベンチを指差した。自転車をベンチの横に停め、二人並んで腰掛ける。
「何か判ったのか!?」
その答えは言葉ではなく現物で示された。ウルフウッドが持っている、彼のものではない鞄。
「それ、メリルの……! どこに!?」
「そこの柱んとこに置いてあったそうや」
忘れ物として届けられていたのを、『同じクラスだから』とわざわざ自宅から取ってきた生徒手帳を提示し、更に一筆書いて、本人の代理としてウルフウッドが受け取ったのだ。
震える手で鞄を受け取り、いろいろな方向から注意深く見る。壊れたり汚れたりしているところはない。誰かに連れ去られたのだとしても、手荒に扱われた訳ではなさそうだ。ヴァッシュは小さく安堵のため息をついた。
「……悪いとは思ったんやけど、中身を調べさして貰った。オドレも見てみい」
後ろめたい気持ちを押さえ、ヴァッシュはそっと鞄を開けるとベンチに中身を並べていった。
教科書やノート、筆記用具。ハンカチなどの小物。生徒手帳。スケジュール帳。携帯電話。
『あの子がいくらかけても駄目だった訳だ』
定期入れ。財布。
「金が抜かれた様子はなかった。物盗りやあらへんことは確かやな」
「財布の中まで見たの!?」
非難がましい声を上げた刹那目の前に小さな紙を数枚突き出され、喉まで出かかった山のような文句はどこかへ消えた。
街灯の明かりでよく見ると、それらは全てレシートだった。本屋やコンビニ、合宿の帰りに三人で入った喫茶店のものもある。
『……!』
あることに気がついてヴァッシュは愕然とした。
日付はどれも先週の月曜日から水曜日――彼女が退部届を出してから部活休止期間前まで、時刻は野球部が練習をしていた間だ。普段なら校庭にいる時間、メリルは家に帰らず時間を潰していたのだ。自分が退部したことを家の人には話していない……いや、話せなかったのだろう。
「今日付のレシートは一枚もあらへん。学校出てまっすぐ駅まで来て、ここで何かあった……」
ウルフウッドは周囲を見回した。寒い中、家路を急ぐOLやサラリーマンの姿が目に入る。
「こっち北口にはバス停にタクシー乗り場、コンビニもある。騒ぎがあったんなら誰かしら気がつきそうなもんやけど、駅員もコンビニの店員も知らん、ゆうとった」
これだけ人の目があるところで、相手に騒がれず誰にも気づかれずに女子高生を誘拐するのは難しいだろう。しかし、別の場所でメリルを攫った犯人がわざと鞄を駅前に置いたというのも不自然だ。自分の意志で行動しているのなら鞄を置いていった理由が判らない。いくら何でも財布は持っていく筈だ。
「そっちのほう、どうやった?」
「誰もいなかったよ。呼び鈴や電話にも無反応だった」
荷物を鞄に戻しながらヴァッシュは答えた。
あらかた作業を終えた時、ある疑問がヴァッシュの頭を掠めた。もう一度荷物を全部出し、小さなポケットの中まで確認する。
「……ない」
ウルフウッドは怪訝そうな表情で隣に座る男を見やった。
「部室の鍵がない!」
 いつも必ず持ってたのに。いつも制服のポケット……
 ヴァッシュの頭の中で、ひとつの仮説が組み上がった。
 もし電話をかけたのが本当にアイリーンの父親なら。もしその人がメリルを連れ去ろうとして彼女に声をかけたのだとしたら。
娘を失った悲しみに自暴自棄になっているアイリーンの父親を犯罪者にしない為に、メリルは説得を試みるのではないか。事件を表沙汰にしない為に、この場では大声を出したり抵抗したりせず相手の指示に従ったのではないか。
 どこでもできる話じゃない。第三者のいないところ、誰にも邪魔されない静かなところ……部活が終わった野球部の部室はうってつけの場所だ。
ヴァッシュは手短に自分の考えをウルフウッドに説明した。
「ホンマにおるんか……?」
ウルフウッドは否定的だった。メリルがアイリーンの父親に誘拐されたという証拠はない。百歩譲ってそうだったとしても、何故説得しようとするのか、何故その場が野球部の部室なのか。第一、退部届を出した元マネージャーが何故今でも部室の鍵を持っているのか。
「メリルが退部届を出した時、先生が受け取らなかったんだよ」
「その後返したんとちゃうか?」
確かにそう考える方が妥当だ。でも。
「万が一ってことがあるじゃない。ここから学校まではそんなに時間もかからないし、念の為確認してから次の行動を考えてもいいでしょ?」
ヴァッシュは既に自転車にまたがっている。
「僕は一人でも行くよ。行くの? 行かないの?」
「……判った」
再びウルフウッドは自転車の後ろに乗った。



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