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勝利荘禍難譚



プロローグ


闇と静寂。それが世界の全てだった。
首を巡らせても何も見えない。何も聞こえない。
両手を目の前に持ってくる。腕を動かした感覚はあるのに黒一色の視界は変わらなかった。
ここは一体どこなのか。何故自分はここにいるのか。
「…誰か…誰かいらっしゃいませんか?」
問いかける声は反響し、やがて消えた。
再び訪れた静寂に不安が募る。
「誰もいないんですの?」
先刻よりも大きな声で呼びかけてみる。と。
何か聞こえた。小さな、小さな音…違う、これは――
『泣いている…?』
辺りを見回して声の主を探す。でも見えるのは相変わらず闇だけ。
不意に泣き声が大きくなり、同時に視界の先がぼんやりと明るくなった。
膝を抱え込み顔を伏せて、少年が泣いている。着ている縦縞の上下お揃いの服はパジャマらしい。
悲痛な声に思わず手を差し伸べる。歩いたつもりはなかったが、互いの距離が一気に縮まった。
少年の傍らに膝をつく。
「どうしましたの? どこか痛いんですの?」
自分の不安を押し隠し、できるだけ優しく語りかけたが、少年は一向に泣き止まない。
「お姉さんが来たからにはもう大丈夫ですわ」
安心させるようにしゃくりあげる背中をそっと撫でる。小さな身体は冷えきっていて、慌てて上着を脱いで肩にかけ自分の服ごと抱きしめた。
「…けて…」
鳴咽に混じる声は小さすぎて聞き取れなかった。
「え?」
「…たす…て…」
冷たい手が自分のブラウスを握り締める。白く見えるのは淡い光の為か、力を込め過ぎて血の気が引いてしまったせいか。
突然少年が涙に濡れた顔を上げ、自分を正面から見上げた。
「助けて! ぼくの家がなくなっちゃう!」
強張った顔、切羽詰まった声。緊迫した空気が痛いほど伝わってくる。
「お願い、たす」
言いかけた言葉は突風にかき消された。何かに引っ張られたような浮遊感。あっと思う間もなく腕が離れ、少年の姿が見えなくなる。
そして、闇の中を何処までも落ちてゆく感覚。
恐怖に思わず悲鳴を上げた。
「……っ!!」
目を見開くと同時にメリルは飛び起きた。せわしなく辺りを見回して現状を把握するのに数秒を要した。
いつもと変わらない自分の部屋。カーテンの隙間から見える外は暗い。目覚まし時計はもうすぐ四時半になるところだった。
「夢…」
我知らず呟きながら、メリルは額の汗をパジャマの袖で拭った。酷く寝汗をかいていて、布地が肌に張りつく感覚が気持ち悪い。
『あの子…』
夢の中で必死に助けを求めていた少年の顔を思い起こす。
「確かめなくちゃ…」
固い表情で自分に誓うと、メリルはシャワーを浴びるべくバスルーム目指してけだるい足を動かした。


授業の合間の休み時間になると、メリルは職員室の近くに備え付けてある公衆電話に走った。携帯電話は使わなかった。通話記録に自分の携帯番号を残さない為である。先方の状況が判らない以上用心するに越したことはない。
祈るような気持ちでダイヤルする。が、コール音はするのに誰も出ない。何度かけ直しても同じだった。
食材の仕入れなどで外出する可能性はある。しかし民宿が完全に無人になることがあるだろうか。
『おじいさん…おばあさん…バドウィックさん…』
メリルの不安は増す一方だった。
努力が報われたのは昼休みになってからだった。
『…はい』
聞いたことのない男の声。メリルは咄嗟に声を半オクターブほど跳ね上げた。
「あの~、勝利荘さんですか~?」
語尾を延ばすイマドキの女子高生的口調で相手を確認する。返事はなかったが、メリルは構わず話し続けた。
「えっとぉ、予約をしたいんですけど~、六月の~」
「あいにく一杯だ。他をあたるんだな」
それだけ告げると電話は一方的に切れた。
「……」
仕方なく受話器を戻す。電話を睨むように見つめながらメリルは考え込んだ。
おそらく二十代。電話の応対は接客業としては間違いなく落第で、人手が足りなくて雇われた人物とは思えない。
何よりも、崩れた、というような声の印象が気になった。
「…マネージャー?」
整列した数字から心配そうな声の主へと視線を移す。その短い間にメリルは完璧に表情を整えた。
「あらヴァッシュさん、どうなさいましたの?」
「いや…」
落ち着かない素振りが気になって後を尾けたのだが、笑顔で質問されては言葉に詰まってしまう。人間台風は曖昧な笑みを浮かべながら次に言うべき台詞を探した。
「あ、電話使われます? ごめんなさい、お邪魔でしたわね」
「そうじゃないんだ。その…何かあったの?」
悩んだ挙げ句ヴァッシュが選んだのは直球勝負。
「何か…とおっしゃいますと?」
僅かに首をかしげ、メリルはきょとんとした表情で再び尋ねた。質問には質問を返し、決して答えない。相手の問いを封じる最良の策である。
メリルは隠し事をしている。ヴァッシュは自分の直感を確信していた。だが彼女に答える意志がないのは明白で。
これ以上の問答は時間の無駄だ。小さくため息をつくと、人間台風は再び口を開いた。
「…何でもないならいいんだ。でも…」
菫色の双眸をまっすぐ見つめる。
「困った事があったら教えてね。できるだけ力になるから」
「…はい、ありがとうございます」
前にも同じようなことを言われましたわね。いつものことではあるが、クラスメイト兼クラブメイトのあまりの心配症ぶり
にメリルはかすかに苦笑めいた笑みを浮かべた。
「さあ、お昼にしましょう。急がないと休み時間がなくなってしまいますわ」
「あのっ」
「はい?」
「…い、一緒に食べない?」
「ええ、いいですわよ」
臆病な自分を押しやり、ありったけの勇気をかき集めての発言は、拍子抜けするほどあっさり報われた。が。
「放課後の練習の様子をお聞きしたいですし」
メリルが平日部活に参加しているのは朝練だけ。放課後は生徒会の業務に追われて様子を見に行くことさえできない。マネージャーとして当然の配慮である。
歩きながらあれこれ説明する間も、ヴァッシュは落胆を悟られないよう人知れず血の滲むような努力をした。


放課後、副主将に約二十秒遅れて教室を出たウルフウッドは昇降口の手前で声をかけられ足を止めた。
「どないしたん、小っさいマネージャー。練習メニューの渡し忘れでもあったんか?」
「いえ。…実は…相談したいことがありますの」
メリルは手短かに説明した。内容は伏せたが今朝嫌な夢を見たこと、勝利荘に電話をかけ続けたがなかなか繋がらなかったこと、お昼に電話に出たのが老夫婦でもバドウィックでもなかったこと、対応がいい加減で悪い印象を受けたこと。
ウルフウッドは超常現象の類は一切信じない。夢の話だけなら『気にしなや』の一言で片づけ、決して取り合わなかっただろう。だが、電話の件は彼の脳裏に注意信号を点滅させるに充分だった。
「カタギやない印象やった、っちうことか?」
「…ええ、そうですわね」
ウルフウッドは眉根を寄せた。
消息不明だった約十年の間に、左うちわとは程遠い生活をしていたであろうバドウィックがカタギでない連中とかかわった可能性は低くはない。もしそうなら…
「で? 小っさいマネージャーはどうしたいんや?」
メリルは自分の計画を語った。
「必要なものは私が明日までに揃えます」
「…アンタも行くんか?」
確認の形をとってはいるが、ウルフウッドの言葉は暗に反対の意思表示をしたものだった。危険なことが起こっているかも知れない場所に女を行かせたくない。たとえ彼女が男勝りの性格と、人並み以上の度胸と、平均を遥かに上回る運動神経の持ち主だとしても。
「ええ」
必要最小限の返答。咄嗟に説得の足がかりが見出せず、ウルフウッドは暫し自分の髪をかき回した。
「…アンタがもし危険な目におうたらおっきいマネージャーがまた泣くで。あの子に心配かけたくないやろ? ここはおとなしゅう留守番」
「大丈夫ですわ。ミリィには内緒にしますから」
自分を見上げる瞳を見返した瞬間、トライガン学園野球部主将は自分が無駄な努力をしていることを悟った。
「判った。けどな…」
先刻聞いた計画に修正を加える。それに伴い必要な物品も若干増えることになるが。
「…こっちの方がより確実やろ? そやなかったらワイは乗らん」
ウルフウッドの提案にも一理ある。メリルはごく僅かな時間黙考した後肯首した。
「では明日の朝」
「おう。派手にやるで」
会釈して生徒会室に向かうマネージャーを見送ってから、ウルフウッドは靴を履き替え部室を目指した。
ドアの前に所在なげな表情で人間台風が立っていた。鍵がなくて入れなかったのだ。
「遅かったね。すぐ来ると思ってたのに」
「ちょうどええ。トンガリ、オドレ明後日何か予定あるか?」
「明後日?」
曜日の関係で飛び石となったゴールデンウィークの連休初日である。
「部活があるのに旅行の予定を入れられる訳ないでしょ。練習以外何もないよ」
「ほならええ。これからも入れるんやないで。おさげのマネージャーに丸め込まれんなや」
「何でここでジェシカが出てくるのさ」
答えはなかった。駆けてくる後輩に気づいて、ウルフウッドが口を閉ざした為に。
どこか釈然としないままヴァッシュは部活にいそしんだ。今日も校庭にメリルの姿はなく、野球部はいつものように練習を終えた。


「どういうことですのっ!?」
怒りに満ちた声に突然耳朶を打たれ、校庭の隅で思い思いに準備運動をしていた野球部員達は一斉に動きを止め声の主を見やった。いつも欠かさない朝の挨拶を省略した黒髪のマネージャーが、柳眉を逆立てて主将を睨みつけていた。
「…何のことや」
「自主トレのことですわ! 放課後やってますでしょう!?」
「あああれか。甲子園目指すんやったらそのくらいやって当然やろが」
「そんなお話私は聞いてません!」
メリルの剣幕にウルフウッドは不快そうに眉をひそめた。
「…何でそないなこといちいち小っさいマネージャーに報告せなあかんのんや」
「練習メニューは個人の体力や弱点に応じて作ってあるんです! 勝手に練習量を増やしたりしたら故障者が続出するだけです! 地区予選まであと三ヶ月足らずだというのに」
「だからやっとるんやないか。試合に勝たな意味なんぞあらへん。勝てるチームを作るんがワイの務めや」
「故障者ばかりのチームでは勝てる試合も勝てなくなります!」
「怪我した奴はおらんで」
「これからも怪我をしないと言いきれますの!?」
「ワイは大丈夫や」
「自分を基準に考えないで下さい!」
無言の睨み合い。ウルフウッドの視線は三年生でさえ背筋が寒くなるほど苛烈だが、メリルは臆することなくそれを真正面から受け止めている。
「…もいっぺん言う。ワイの務めは勝てるチーム作りや」
「…私の仕事は野球部員から故障者を出さないことです」
「小っさいマネージャーは甲子園に行きたくないんか?」
「行きたいです。野球部員全員の望みですもの、当然でしょう?」
再び沈黙。
「…目的はおんなじでも」
「選択する手段が異なるようですわね」
主将が僅かに目を細めた。
遅まきながら、ヴァッシュは事態を収拾するべく二人の間に割って入った。
「ちょ、ちょっと主将落ち着いて。マネージャーも」
大きな手に肩を、小さな手に背中を押され、人間台風は蚊帳の外へと押し出された。ぬくもりを感じたのは同時、力を入れるタイミングも見事に一致している。そのあうんの呼吸に、ヴァッシュはよろめきつつも妙な感動を覚えた。
嫉妬という棘が混じった苦い感動を。
周囲をぐるりと見渡してから、ウルフウッドはおもむろに口を開いた。
「明日の練習は中止!」
意外な怒号に部員達はどよめいた。
再び小柄なマネージャーに向き直ると、黒髪の男は口の端を吊り上げるようにして笑った。
「明日、顔貸してもらうで。今後の野球部についてじっくり話し合おうやないか」
「ええ、望むところですわ」
厳しい表情で見返し、メリルは主将の申し出を承諾した。傍目には売られた喧嘩を言い値で買ったようにしか見えない。まさか暴力沙汰にはならないとは思うが、そう断言できる者は誰もいなかかった。拭い切れない不安が
胸に広がる。
「マ、マネージャー!?」
裏返りかけた声での呼びかけに、メリルはようやく表情を和らげて先刻押しのけたピッチャーを見上げた。
「すみません副主将、生徒会の仕事がありますの。申し訳ありませんが今日の部活は休ませていただきます」
「あ…はい、いってらっしゃい頑張って」
我ながら間の抜けた返答だと思う。視界の隅に『何言うとんねんこのど阿呆』と書いてある相棒の顔が見えた。
『いつもならこういうことはウルフウッドに言うのに…』
最古参のマネージャーに無視された形になった主将は、そんな彼女に文句を言うこともせず、練習を始めるべく部員達に指示を出している。目には目を、無視には無視を、ということか。
二人の間に大きな亀裂が入っているのを感じて、ヴァッシュは小さくため息をついた。



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勝利荘禍難譚



その日は自主トレも中止された。部活中、口をへの字に曲げた主将に声をかける者はいなかった。
一人を除いて。
唯一の例外は家に帰ろうとするウルフウッドの横を自転車を押しながら歩いていた。
「どうしたんだよ、皆の前でマネージャーとあんな口論するなんて…」
「いつもなら熱くなるのは俺の方で、ストッパー役はお前じゃないか」
「何かあったのか?」
返事はない。表情は固いまま。
部室を出て以降ずっと沈黙を守っていたウルフウッドが口を開いたのは、彼が自宅の鍵を開けた直後だった。
「ちと寄ってけ」
「…は?」
「コーヒーくらい出したるわ。インスタントやけどな」
黒髪に縁取られた顔に浮かんだ皮肉な笑み。それは、普段見慣れたいつもの表情。
申し出の意図は理解どころか見当さえつかなかったが、ヴァッシュは遠慮なく主将の部屋に上がることにした。
鍋で沸かした湯でウルフウッドがコーヒーを煎れている間も、副主将はひたすら頭をフル回転させていた。とにかく話を聞き出して解決の糸口を掴まなければならない。でもどうすれば…
「どないした? 冷めてまうで」
「あ、いや…ありがとう」
熱いコーヒーをすすってから、ヴァッシュは確固たる方針を見出せないまま話を切り出した。
「今日は変だよ、キミ。休みなしを決行した時だって、反対した部員を怒鳴ったりしなかったのに…」
ウルフウッドは答えない。無表情でコーヒーを飲んでいる。
「…忙しいだろうからって、練習メニューを組んでくれてるマネージャーに相談しないで自主トレを始めたのはまずかったかなって思ってる。俺達みたいに体力余ってる奴ばっかりじゃないし、怪我をしたら大変だっていう彼女の主張も判るし…」
やはり答えはない。俯き加減で手にしたマグカップに視線を落としている。長めの前髪のせいで表情は判らない。
「マネージャーには俺から謝る。何とか冷静になってもらうから、キミも明日はケンカ腰にならないで」
ヴァッシュはそこで言葉を切った。顔を伏せた男の肩が震えているのに気づいた為に。
「…ウルフウッド?」
とうとう堪えきれなくなり、ウルフウッドはそれまでの不機嫌ぶりが嘘のように爆笑した。
息も絶え絶えになるまで笑い続けた後、目尻に浮かんだ涙を拭いながら主将はおかしそうに言った。
「オドレも騙されたか。迫真の演技やったっちうことやな」
「演技?」
ようやく落ち着きを取り戻したウルフウッドは、昨日のメリルとのやりとりをヴァッシュに話した。
「…でな、部員には内緒で勝利荘の様子を見に行くことになったんや」
「それで部活を休みにする為にあんな派手に口論した訳ね。納得」
「小っさいマネージャーは『内密にしたい』言うてな、ワイと二人で行くつもりやったようやけど」
ヴァッシュの眉間に皺が刻まれた。
メリルの考えは判る。でも、頭では理解できても感情が猛烈に反発する。『自分は部外者扱いなのか』と。
半年ほど前、胸にわだかまった疑問が再び蘇る。二人は互いをどう思ってるんだろう…。
「オドレも巻き込むことにした」
相棒の気持ちに構わず、ウルフウッドは自分の予測を説明した。話が進むにつれてヴァッシュの表情が厳しくなっていく。
「…危険な状況かも知れないのか…」
「ホンマは小っさいマネージャーは置いていきたいんやけどな」
重苦しい沈黙が六畳間を満たした。
無言の状態を打破したのは主将だった。
「ワイかオドレがどっかの学校のワンゲル部員になりすまして、合宿の下見と称して勝利荘に行く。特大のリュックに隠れた小っさいマネージャーを背負ってな」
「変装して、だろ?」
ヴァッシュの言葉にウルフウッドは口元に笑みを刻んだ。
何もなければいい。しかし、何かトラブルが起きていて、それに首を突っ込んだことが公になったら、最悪の場合野球部は公式試合への出場を自粛せざるを得なくなる。自分達のことは誰にも気づかれてはならない。
「何が起きとるのか確認するのが第一。ヤバイ状況やったら証拠を集めて匿名で警察に届けるのが第二や。リュックとか変装の小道具とか、必要なモンは全部小っさいマネージャーが用意して今日ここへ届けてくれる。いつになるか判らんけど…どないする?」
「待つよ。キミさえ構わなければ、だけど」
一人暮らしのウルフウッドの部屋をメリルが訪ねるというのは面白くない。
ピッチャーは内心の不満を見事に押し隠したが、キャッチャーは自分の感情を素直に表現した。思いきり顔を顰めてみせたのである。
「オドレと二人っきりかい…」
「誘ったのはキミでしょ」
「気色悪いことぬかすなっ!!」
怒鳴りながら素早く立ち、言い終わる前に相手の背後に回り込んだ。そして。
くり出された怒りの鉄拳を後頭部にまともに受け、ヴァッシュは謎の悲鳴を上げて痛む頭を抱えた。そのまま床を見つめるような体勢でじっと動かない。
しばらくしてから、人間台風は殴られたところをさすりながら肩越しに振り返った。加害者を見上げる目には涙が浮かんでいる。
「…ってー…何も殴ることないだろ!? 罪のないジョークなのに」
「今度笑えん冗談ゆうたら拳じゃ済まさへんで」
声色は絶対零度。
更に言い募ろうとしていた男は顔を引き攣らせて沈黙し、飲み込んだ言葉のかわりに息を吐いた。
それぞれが自分の思考に沈んでどのくらい経ってからだったか。
廊下を近づいてくるかすかな音に、男達は揃ってドアへ目をやった。
台車を押すようなその音はだんだん大きくなっていき、部屋の前で止まった。続いてノックの音。
家主は誰何することなく扉を開けた。


「すみません、遅くなって」
セーターとカーディガンのアンサンブルにスラックスというラフな恰好で、メリルは申し訳なさそうに頭を下げた。
華奢な身体の左右に大きなスーツケースが置かれている。手には小さな鞄と紙袋。
「そんな待ってへん、大丈夫や。…えらい荷物やなあ。迎えにいった方がよかったか?」
言いながら靴を履き、二つのスーツケースに手を伸ばす。様子を見に来たヴァッシュと手分けして荷物を室内に運び込んだ。
「大丈夫ですわ。近くまでタクシーで来ましたから」
お邪魔します、と一礼して部屋に入ると、メリルは早速トランクから中身を取り出し始めた。登山用の大きなリュック、ビデオカメラ、MDプレーヤーと録音用マイクなどが床に並べられる。
その中の一つ、金髪のカツラを手にすると、ウルフウッドは無言のまま隣の男にそれをかぶせた。
「ちょっ…突然何!?」
「ワンゲル部員はオドレに決定や」
「はぁ?」
ストレートの髪に輪郭の大半を隠された状態でヴァッシュは間の抜けた声を上げた。カツラがずれていて毛先の長さが左右で異なるのはご愛敬である。
「ワイの顔立ちやと金髪は不自然やからな」
金髪のウルフウッドを想像し、すぐさまそれを打ち消した人間台風は、こみ上げる吐き気を堪えながらカツラをとり首を縦に振って了承の意を示した。逆立てていた髪は見事に崩れてしまったがどうしようもない。
「スーツなんですけど…」
バッテリーは声の主へと視線を移した。
「父のものを持ってきましたの」
それは一目で上等と判る黒のスーツだった。
「とりあえず着てみよか」
ウルフウッドは学ランを脱ぐと上着だけ羽織ってみた。
「…無理そうですわね」
胸板が厚くボタンがかけられない。肩や腕にゆとりがなく、袖丈も短いように思える。ズボンははいていないが
おそらく寸足らずだろう。
「ワイもこの手の服は持ってへんしなぁ…」
計画を変更せなあかんか…。ウルフウッドが眉根を寄せた時、右手を挙げてヴァッシュが質問した。
「あのさ…スーツを何に使うの?」
「あ、ごめんなさい。ヴァッシュさんはご存知ないんでしたわね。変装用ですの」
「スーツで変装?」
「ヤッちゃんにな」
キャッチャーは不敵な笑みを浮かべて相棒を見やり、ピッチャーは彼の意図を瞬時に理解した。
ワンゲル部員はいわば正攻法の偵察。もしその手の連中が勝利荘にいるのなら、同業者と思われた方が近づき
やすいかも知れない。
「そうや、オドレ、この手の服持ってへんか?」
「あるにはあるけど…」
ヴァッシュの脳裏に浮かんだのはレムの結婚式の時に着た礼服。
「よっしゃ、明日持ってきいや」
「え!?」
「オドレの服ならサイズもちょうどええやろ」
「困るよソレ! もし破ったりしたら…」
母に大目玉食らうのは間違いない。
「このスーツじゃ変装にならんやん。…それとも何か? 小っさいマネージャーのおとんの服なら破ってもええ、言うんか?」
「…判ったよ」
メリルのこととなると弱い。ヴァッシュはしぶしぶ承知した。
明日の打ち合わせを済ませた後、デタラメーズは同時に紙袋へと目を向けた。食欲をそそる香ばしい匂いはそこから立ち上っている。
「たこ焼きを買ってきましたの。よろしかったらどうぞ」
「いいの!?」
紙袋からプラスチック製のパックと缶入りの烏龍茶を取り出しながら、メリルは心底嬉しそうな人間台風に肯いてみせた。
「ありがとう、おなかペコペコだったんだ!」
「おおきに。ほな遠慮なく」
『いただきます』と言いつつたこ焼きに手を伸ばした二人に間髪入れず雷が落ちた。
「駄目です! 手を洗ってからにして下さい!」
「…は~い」
よい子に返事をした後バッテリーは先を争うように流しに行き、両手を泡だらけにしてきちんと手を洗った。
「…どうぞ、召し上がれ」
マネージャーの許可を貰い、二人は早食い競争でもしているかのように勢いよく食べ始めた。彼らにとって幸いなことにたこ焼きは少し冷めてしまっていて火傷する心配はなかった。
「それじゃ私は失礼しますわ」
ヴァッシュは三つ目のたこ焼きを飲み込むことに失敗した。ひとしきり咳込んだ後涙目のままメリルを見つめる。
「…一緒に食べないの?」
「ごめんなさい。急いで帰らなければならないんですの」
今日はドイツ語のレッスンの日なのである。
「送ろうか?」
「大丈夫ですわ、タクシーを使いますから」
玄関までついてきた副主将の『タクシーを拾うまで付き合う』という申し出を感謝しつつも辞退し、メリルは靴を履いてから厳しい表情で向き直った。
「食べ終わったら早く帰って、ちゃんとご飯を食べて下さいね。ウルフウッドさんもですわよ。たこ焼きでは夕食になりませんから」
バッテリーが肯くのを確認し、ようやく小柄なマネージャーは笑みを浮かべた。
「それじゃ明日」
「うん、また明日」
「気ぃつけてな」
ウルフウッドは座ったまま手を振ってマネージャーを見送った。
扉が閉まり気配が完全に消えてから座卓に戻ったヴァッシュは、たこ焼きの七割がなくなっていることに気づいて憤慨した。


翌朝、人間台風は待ち合わせよりも十分ほど早くキャッチャーの家に着いた。スーツの試着の為である。
「…大丈夫そうやな」
ウルフウッドは両腕をぶんぶん振り回して着心地を確認した。胸元は多少きつい感じがするが、動くのに大きな支障はない。この際贅沢は言っていられなかった。
「破らないでよね、汚さないでよね」
「わかっとるて!」
カツラとつけ髭と丸眼鏡で変装したヴァッシュに涙声で懇願され、ウルフウッドは半ば呆れながら請け負った。
約束の七時を二十分過ぎたがメリルは来ない。
「どうしたんだろ…」
つけ髭だけ外したヴァッシュが誰に言うともなく呟いた。
自分が家を出るまでに電話はなかった。ウルフウッドに連絡しようにも電話はない。大家さんにかける訳にもいかないだろう。
あと五分待って来なかったら携帯に電話してみよう。バッテリーがそう結論を出した時ドアがノックされた。
「遅かったやん、小っさい」
言いながら扉を開けて、ウルフウッドは絶句した。
「…すみません、説得しきれませんでした」
そこに立っていたのは、困惑と若干の疲労が入り交じった表情のメリルと、その後ろで頬を膨らませているミリィだった。
どういうことなんですか、と詰め寄るミリィをなだめてとりあえず部屋に入ると、メリルは簡単に事情を説明した。
「今日の話し合いが心配で、自分も立ち会いたくて朝から私の家の前で待ってたそうなんです。でも、私の服装があまりにも普段と違うので『おかしい』と察したらしくて…」
ジーパンにスニーカー、厚手のシャツ、ドットボタンのついたジャンパー。確かに彼女らしからぬコーディネートである。
「ヴァッシュ先輩もウルフウッド先輩も仮装してるなんて絶っ対変です!」
ウルフウッドは黒のスーツを着込み、ヴァッシュが持ってきた整髪料で髪をオールバックにしている。ヴァッシュの外見は前述のとおり。疑問に思わない方が不思議だ。
「…せめて変装って言ってくれないかな」
「ごまかそうったって駄目です!」
ぴしゃりと言われ、ヴァッシュは低く呻いて口をつぐんだ。
小さく吐息すると、ウルフウッドはやむなく勝利荘の様子を見に行くのだと打ち明けた。いきさつと予測は説明しなかったが、三人の雰囲気から感じるものがあったのだろう。ミリィはきっと顔を上げると力強く宣言した。
「あたしも行きます!」
「え!?」
異口同音に短く言った後三人がかりで説得を試みたが、ミリィは耳を貸そうとしない。
「ヴァッシュ先輩っ」
「はいっ!」
大柄な後輩に睨まれ、ヴァッシュは背筋を伸ばして元気よく返事をした。
「ここまで自転車で来ましたよね。下に停めてあるの見ましたよ」
「…ソレガ何カ?」
「あたしを家まで送って下さい。で、あたしが着替え終わったらまた二人で戻りましょう!」
行く気満々である。
「いや、あの、でもね」
「もし置いてけぼりにしたら…あたし、大騒ぎしますからね~~~」
目が据わっている。本気なのは疑いようもない。
後ろ襟を掴まれ半ば引きずられるようにして、ヴァッシュはミリィと共に部屋を出ていった。
「ちょ、ちょっと待って、コレは外させてよお~~~」
一度閉まった扉が開き、玄関にカツラと眼鏡が置かれた後再び閉められた。
「……」
残された二人は長い沈黙の後、揃って特大のため息をついた。







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勝利荘禍難譚



ヴァッシュ達を待つ間、ウルフウッドはスーツを脱ぎ普段着に着替え、髪型もいつもどおりに戻した。地元であの姿を見られるのはまずいと判断した為である。変装道具はヴァッシュのリュックに入れた。
再びウルフウッドの家で落ち合い、四人は駅へと向かった。
二度の乗り換えの後、メリルは周囲を見回し他に乗客がいないことを確認してから、真剣な面持ちでミリィを見つめた。
「あなたの変装はほとんどできませんけど…でも、できるだけのことはしましょう」
髪を梳き、二つに分けて三つ編みを作りお団子にする。急遽コンビニで買った大判のハンカチで頭を覆う。髪の色を少しでも隠そうとしたのだ。
同じくコンビニで買った眉墨でソバカスを書く。それだけでも随分雰囲気が変わった。
「…そうだ、本名を呼んだらまずいですよね」
ミリィの指摘に三人は顔を見合わせた。
言われてみればそのとおりである。単独行動のウルフウッドとリュックに隠れるメリルには必要ないが、ヴァッシュとミリィはあった方がいいかも知れない。
偽名が決まるまで一分もかからなかった。
「がんばりましょーね、エリクス先輩!」
「…そうだね、後輩君」
無邪気な笑顔での呼びかけに、ヴァッシュは複雑な思いを押し隠しつつ同意した。
駅に着くと、男達は変装する為誰もいないトイレに入った。メリル達は改札からは死角になる場所で二人を待った。
「…トンガリ」
低い声に真摯な響きを感じてヴァッシュは思わず振り返った。
「何?」
身支度する手は休めずに、ウルフウッドは言葉を紡いだ。
「…おっきいマネージャーにはどうも緊迫感が足らん。まるで遠足気分や。せやから…」
いったん言葉を区切ると、黒髪の男は声を潜めて言った。
「マネージャーのこと、頼むわ。守ってやってくれ」
ウルフウッドは三人と別行動せざるを得ない。ヴァッシュの運動神経を信頼していない訳ではないが、喧嘩なら自分の方が得意だという確信がある。万一の事態に遭遇した場合にすぐ自分が駆けつけられないのはやはり不安
だった。
「…判ってる。お前こそこっちの心配ばっかりしてドジ踏むなよ」
返事の代わりにウルフウッドの服を詰めたミリィのリュックが結構な勢いで飛んできた。それを難なく受け止め、ヴァッシュは鏡の前に立つ相棒に向かって親指を立ててみせた。
キャッチャーのリアクションはなかった。髪を整えるので両手が塞がっていたのである。
ミリィが兄から無断借用してきたというサングラスをかけると、ウルフウッドはメリルが用意した手術用のゴム手袋を手にはめた。つけ髭とカツラをつけ丸眼鏡をかけたヴァッシュもワンゲル部員らしく軍手をはめる。指紋を残さない
為だ。切符の指紋はハンカチで綺麗に拭った。
「…行くぞ」


にせワンゲル部員達は肩を並べて山道を登っていった。特大のリュックにはビデオカメラや録音機器と一緒にメリルが入っている。
「ごめんね。窮屈でしょ」
「大丈夫ですわ」
呟くような声で呼びかけると小さな声で返事がきた。辛そうな口調ではないことに人間台風はほっと胸をなで下ろした。
空は快晴、緑は豊か。ミリィは鳥のさえずりに合わせて鼻歌を歌っている。目的を忘れられたらまさにハイキングである。
が、そんな行楽気分は程なく粉砕された。
勝利荘へ至る唯一の道を塞ぐように車が停まっていた。その前に男達がたむろしている。外見や服装はバラバラだが、二人を見る目には友好的な雰囲気は微塵もない。
ミリィの顔を見られないよう背に庇いつつ、ヴァッシュはにこやかに話しかけた。
「あのー、勝利荘って民宿がこの先にある筈なんですけど…」
「無駄足だったな。閉鎖されたぜ」
顔を上下に分断する縫い傷のある男がぶっきらぼうに答えた。
「え、そんな連絡もらってないっスヨ?」
「急だったんだ。とっとと帰んな」
「それじゃおじいさんとおばあさん」
「か・え・れ、っつってんだよ」
何故か顔と胸に星が描かれている上半身裸の巨漢がヴァッシュを見下ろしながら凄んだ。
人間台風はホールドアップしつつ素早く辺りを見回した。全員の姿勢が変わっている。後ろに手を回している奴がいるのはおそらく隠し持った武器を掴んでいるから。
『逆らえば問答無用って訳か』
自分一人ならともかく、マネージャーがいる今は絶対に無茶はできない。ヴァッシュはため息をつくと後ろにいる後輩に呼びかけた。
「しょうがない。帰ろう」
踵を返して今来た道を引き返す。背中に突き刺さるような視線を感じながら。
どうやらウルフウッドの予測が的中しているようだ。メリルが電話した時に出たのもあいつらの仲間だろう。
『これからどうするか…』
三人は無事なのか、それだけでも確かめたい。
「あ」
ミリィが声を上げたのに一拍遅れて背中を叩かれた。ヴァッシュは思わず足を止め、どちらに先に声をかけるべきか迷った。
と、今度は右肩に近い位置を叩かれた。くり返し軽い衝撃が来る。
肩越しに背後を確かめる。連中の姿はもう見えない。
「ちょっと、こっちに」
後輩の手を引いて右手の繁みをかき分ける。数メートル進んだところでリュックを降ろし、口を開けた。
脱皮するように小柄なマネージャーは狭い空間から抜け出した。
「大丈夫?」
答えないまま、俯き加減だったメリルがゆっくりと顔を上げる。
菫色の双眸に見上げられた時、ヴァッシュは奇妙な違和感を覚えた。
「道はあるよ」
メリルは言った。まぎれもないメリルの声で。
だが違う。口調も、微妙なイントネーションも。
「道っていえないかも知れないけど。お兄ちゃん達はからだが大きいから大変かな」
メリルが同学年の自分を『お兄ちゃん』と呼ぶ筈がない。僅かに首をかしげて考え込む表情もどこか子供じみていて、いつもの彼女らしくない。訳が判らずヴァッシュは困惑した。
「道って、勝利荘に行ける道のこと?」
ミリィは先輩の異変に臆することなく声をかけた。メリルがこっくりと肯く。
「あたしたちを案内してくれる?」
「うん」
「行きましょう!」
副主将をまっすぐ見てそう言ったミリィの表情は明るかった。
三人の安否を確認する唯一の方法は現地に赴くこと。ウルフウッドが連中をうまく言いくるめられる保証はない。
「…道案内、よろしくな」
「うん!」
元気一杯の返事はやはり普段のメリルとは明らかに違う。それなのにヴァッシュより付き合いの長いミリィに不安を感じている様子はない。
「こっちだよ」
『悩んでる暇はないか』
とにかく勝利荘に行かなくちゃ。ヴァッシュは軽く頭を振って意識を切り替えた。
確かに道はあった。獣道で、人間が歩く為のものではなかったが。
当然のことながらお世辞にも歩きやすいとは言えない。急な斜面を駆け上がったり、薮の中を分け入ったり、伸び放題の下草に足をとられそうになったり…悪路に四苦八苦しながら二人はメリルの道案内で進んでいった。




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