G B ~宿の御代~(TRIGUN)
砂地を行く三つの影。
一人、その後ろを少し離れて二人。
よろよろ、よろよろと情けない足取りだ。
陽炎が時折その姿を揺らめかせる。
ぜぇ はぁ ぜぇ はぁ
「……ああ!また置いていかれてますわ!」
「センパイ~あたしもうだめです~」
後ろで力なく呟いている二人に眼をやって―――これまたかなり疲労しているような男は、猫背のまま、また前を向いて歩き出した。後ろではまだ何やら声が聞こえる。いっそやめてしまえばいいのにそれでもあの二人はどこまでもついて来るのだ。妙に前向きに、積極的に。
「水~~水が…飲みたいですわ……」
「私もお水……それから…ガトーミルフィーユに……セイロンティーがのみたいですぅ……」
ぱったん
呂律の回らぬ舌で言った直後、軽い音を立ててミリィが砂に倒れこむ。
「ミリィ!」
あわてて膝をついてメリルは後輩を抱き起こした。ふと前を見ると、歩いていくヴァッシュの背中だけが見える。立ち止まりもしない背中。赤いコートが霞んで見えた。
(……また逃げられてしまいますわ…お仕事…しないと……今月のボーナスが……)
そこでがくんとそのままメリルも前のめりに倒れこんだ。
(あ…諦めたかな?)
不意に声が聞こえなくなったのを怪訝に思ったヴァッシュは数歩歩いて振り返る。
と、そのまま言葉を失った。
二人とも倒れている。
「―――!」
荷物を放り出して慌てて駆け戻る。
「お…おい!しっかりしろ!」
ぺちぺちと二人の頬を軽く叩くが反応がない。
「冗談じゃねぇぞ。ったく!」
焦りながら周りを見渡すが当然ながら何もない。
次の街まではあと数十ヤーズ。
お前ら……わざとやってねぇか……?
半分以上本気で考えながら、ぐったりした身体の下に手を差し入れて担ぎ上げる。脱力した人間の身体はかなり重い。それでも、見捨てていくことなど出来る筈はなくて。
おかしな二人だと思う。
最初から印象は強烈だった。
一人は自分と同じくらいの身長で、もう一人はこれまた子供のように小さくて。
人間台風と恐れられた彼に躊躇なく笑顔を向けてきた。
『お会いできたことを星の巡りに感謝いたしますわ』
『へ?』
むしろキミ達のほうが台風みたいだ。
両肩に二人を担いだまま顔を顰めてヴァッシュは膝を起こした。額を伝った汗が目の中に入って数度目を瞬く。細めた目で地平線を見やれば、視界は揺らめいていた。
彼の限界も近いようだ。三人分の荷物を腕に持ち、男はぎり、と歯を食いしばる。
ここが気力と体力と根性の見せ所。
そして。
この星一番のガンマンは
その腕に銃ではなく二人の娘を抱いて歩いているのだ。
うららかな昼下がり。
砂漠で倒れてから二日後のこと。
店の屋外に張り出したテラスで安穏とミリィが呟く。
「まぁた、見失っちゃいましたね~」
「そうですわね」
でもすぐに見つかりますわよ、と気楽なことを呟いてメリルはテーブルの上に置いてあったコップを一気にあおった。隣でミリィは美味しそうに食べかけのガトーミルフィーユにフォークをつきたてている。
メリルはふわりとそこから風に舞い落ちる小さな紙切れを、地に落ちる寸前に掬い取って再度目を走らせてから苦笑をもらした。変なところで律儀なのだ。あの男は。
借りは返した、と書いてあるその紙切れは病院の前まで運ばれた二人の上に置いてあったらしい。
追加オーダーを頼もうと顔を上げたメリルの視界の隅で何かが動く。
ひらひらと目立つ赤いコートにとさか頭。リズムでも口ずさんでいるようでひょこひょことその金髪が上下している。
「ほら。見つけましたわ」
にたり。
そうとしか形容の出来ない笑みで二人の娘は顔を見合わせる。
そして次の瞬間翻るコートの裾。
店のテラスの手摺を蹴って駆け出す二つの影。
お仕事第一、ベルナルデリ保険会社。
二人はその中でも優秀な部類に入る。
風のように駆けていく二人の客の姿を見送って、ふと机に目をやったウェイトレスの上ずった声が彼らの背中を追う。
「お客様!お代金は・・・!?」
答える声はない。既に路地を曲がった男を追いかけて二人とも消え去った後だった。
「食い逃げ……!」
飲みかけのカップの中でくるりとストローが回って、そちらに目を移した店員はそこにある一枚の紙切れを手に取った。そのまま声に出して読み上げる。
「『借りはかえしたぜ……』…ヴァッシュ…、…ヴァッシュ・ザ・スタンピード!?」
跳ね上がって悲鳴になった店員の声と共にその名前に反応した周囲の客が顔色を変えてがたりと席を立つ。逃げ出す人々の叫び。
「ヴァッシュ・ザ・スタンピードだ―!ヴァッシュ・ザ・スタンピードが現れたぞー!」
さしずめ、狼がきたぞー!と云うかのごとく。
だがその相手は狼よりも更に性質が悪い。見る間に通りをばたばたと波のように窓が閉まっていく。
中で泣き出した子供の声。
こうして、この星中に彼の悪名が轟いていくのだ。
(何だ……?)
往来の真中、異様な気配にヴァッシュは背後を振り返った。
ごう、と隅で巻いた風とともにばたばたと遠くからドアや窓が閉まっていくのが見える。
「何が……起こったんだ?」
きょとんと目を瞬いた彼の耳にかすかに聞こえる『災害』やら『悪魔』の単語。
嫌な予感がするかしないかのうちに聞こえる叫び声。
「ヴァッシュ・ザ・スタンピードが現れたぞ―――!」
(……やべぇ。もうばれたか!)
今日の宿はまだとってはいない。こんなところで野宿はごめんである。
本日の宿を求めて彼は走り出した。だが音速に勝てるはずも無い。
次々と閉まるドアに舌打ちをしながら数度ドアを叩いて、また次の場所へと駆けていく。
そして唯一風に揺れている酒場のドアを見つけたとき、彼は安堵のあまり記憶の隅にある思い出の女性へと感謝を捧げた。
有難う、レム!!この世にはまだ希望が残っているんだ!
だがその希望が一瞬にして打ち砕かれるのをまだ彼は知らない。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
駆け込んだ店の中。
肩で息をしながら顔を上げたヴァッシュはそのまま凍りついた。
酒場の中にはむさい男たちが十数名。一塊で何やら怪しい相談事の最中のご様子であった。
一斉にぎろりと視線を向けられて彼の額を汗が伝う。
「お邪魔……みたいスね」
入る場所を間違えた。それもとんでもなく。
視線を逸らさぬようにじりじりと後ずさった彼の背中に不意に何かがぶつかる。
怪訝に思い首だけで振り返ると、そこには至近距離で満面の笑顔があった。
一拍の空白。
「うわぁあああああああ!!?なんでキミが!」
悲鳴のような声を出したヴァッシュの腕を誰かが掴む。
つられるように下を向いてそのまま絶句する。
「探しましたわ。ヴァッシュさん」
にっこりと笑顔を浮かべた保険屋の二人組み。
前門の虎、後門の狼。
がくりと落ち込みかけたヴァッシュの頭は、ふとある解答をはじき出した。
(あ、そうか。このままここを出ちゃえばいいんだ)
出るタイミングを逸していたところなのだ。これを機会に店を出てしまえば…
曖昧な笑いを浮かべながら背で保険屋二人を押しつつ酒場を出ようと試みる。
「それじゃ、そゆことで。お邪魔しまし…」
「あーーーーーーーーーっ!」
唐突なミリィの叫びに全員がびくりと身を強張らせた。
ヴァッシュの肩越しに男たちの一人を指差したミリィが笑顔のままで口を開く。
「あの人知ってます~。確か先日指名手配されてた賞金く……」
慌てて身体を返しミリィの口を抑えたヴァッシュの所為で語尾はもがもがとくぐもって聞こえなくなった。
……が、
がたん、と背後で一斉に立ち上がる物音にヴァッシュは僅かに反応する。
(やるしかないか……)
数秒の沈黙を、床を打ったコルク栓が裂いた時が戦闘の合図。
眼前の二人を外に向かって突き飛ばすと同時に、ホルスターから抜いた銃を振り向かずに背後に向けて撃つ。
速度の為に一発にすら聞こえる弾丸は過たず狙いどおりを打ち抜いた。
背後がすっかり沈黙してからヴァッシュは振り返り手の中でくるりと銃を回す。
「もっと穏やかに行きまショ?」
愛と、そして平和をモットーに。
自分擦れ擦れの壁やテーブルを打ち抜かれて度肝を抜かれている男たちからは返事さえもない。
今回は騒ぎにならなかった。
戦意を削がれた男達に背を向けたヴァッシュは淡い満足とともに外へ向けて歩き出し、
「危なーーーーーーーーーーい!!」
ドアを開いた瞬間、眼前に何かが迫った。ブロックも出来ずそのまま弾き飛ばされる。
まともに男たちの中に突っ込んだヴァッシュは一瞬気を失っていたかもしれない。
ぐらぐらする頭を何度か振って彼は回りの状況を確かめた。
すぐ傍に落ちているスタンガンの弾。殺気立つ男達。
顔を上げれば反動でまだ揺れているドアの向こう側に銃を構えた二人の娘の姿がある。
「加勢しますわヴァッシュさん」
(加勢……?)
胡乱な顔つきで見つめていると二人の指がトリガーにかかって。
「うわぁぁあああああ!!!!!」
そして。
この砂の星で最強のはずの凄腕ガンマンは
これから数秒二人の娘の銃弾から必死の形相で逃げ回ることになる。
日もとっぷり暮れて。
座り込んだヴァッシュと少し離れてミリィとメリル。
「くしゅん」
小さくくしゃみをしたメリルを見やってヴァッシュは呆れた顔になる。
「君達だけでもどこかに泊まったら?」
「どうぞお気使いなく」
そっけない返事の娘に暫し沈黙のち、ヴァッシュはふぅと溜息をつく。
「これも使いなよ」
投げてきた毛布にメリルは僅かに目を見開く。
「それじゃあなたが…」
「ドウゾお気使いなく」
茶化すように云った後、背を向けた男にむけて小さく言葉が返される。
「……ありがとうございます」
ヴァッシュは一夜の宿と引き替えの、その言葉に背を向けたまま柔らかい笑みを浮かべた。
暫くしてすぅすぅと聞こえてきた小さな寝息に安心する。
そして改めて夜の冷気に身を震わせた。
「……ちょっと…寒すぎねぇか…」
そして。
この惑星一のガンマンは
今、全身を襲う寒気と震えに悩まされているのであった。
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