Francois-Ⅴ
ベルイールの要塞は陥落し、鉄仮面一味は壊滅した。
その首領であった男は脱出時に鉄の仮面を脱ぎ捨て、抜け道であった海洞から島の沿岸まで潜水し、
戦いで海に転落したフランス軍兵士達にまぎれることにより、その正体を見破られることなく
海上の孤島から対岸の港町まで戻るに至った。
フランス軍の勝利の行進に加わる自分に屈辱を感じながらも、落石により大きな損傷を負った片足が
不自由な上、今の自分には何もない。それならば幾らかの傭兵金を貰えるであろうパリまで
大人しく一兵の振りをして運ばれたほうがよい、と算段したのだった。
しかしその凱旋での王や側近達、特に四銃士の姿は男にとって忌々しい以外の何者でもなかった。
勝利に喜び勇む姿に加え、アラミス、と呼ばれる銃士を気遣う黒髪の銃士の姿。
それに甘えるように寄り添う金髪の銃士は以前とは明らかに違う雰囲気を纏っていた。
マンソンを討ったことによって全て終わったと思っているのか?
それで"フランソワ"のことは全て過去に流したというのか?あの崩れ去った要塞に
全てを置いてきたというのか?
男はただ無言に、遠くからでも陽の光に輝く白馬上の金の髪を見続ける。
その気配を感じ取ったダルタニアンがアトスに小さく告げた。
「ねぇあの人、アラミスのことをずっと見てるよ」
「・・・どいつだ?」
「あの傭兵部隊の濃茶色の髪の人」
「君は目がいいな、あんな後方部隊の様子がよく見える」
「だって気持ち悪いんだ。変な気配がするっていうか、妙な視線だなって思ったら気になって」
「・・・どうせそっちのケのある傭兵だろう。よくあることさ、
アラミスはあの容姿だからか目を付けられる」
「そう・・・」
ダルタニアンもそういう趣味の男を知らないわけではない。
だが、その男にはそれとは違う、"何か"を感じてはいた。
けれど今はアラミスの不安を煽るようなことはしたくない。
穏やかな笑顔を浮かべアトスと笑い合う横顔を見て、ダルタニアンは心の底からそう思った。
***
国王は帰路途中にある領地主の館で一晩を明かすこととなり、
その兵達は近辺に陣を張り、館の下女達や近辺の村娘と思い思いに戯れの時間を過ごす事となった。
男も村女に褥中に誘われ、時間を潰していた。
「それが、本当に綺麗な銃士らしいのよ。アンタ見た?」
「さぁ?」
「金の髪に蒼い目、白い肌をしてお人形さんみたいなんだって!」
「誰から聞いたんだ?」
「館仕えをしてる娘からさぁ。何でも怪我してるとかで外れの部屋を使ってるみたい。
夜這いに行っちゃおうかしら」
「おいおい、俺の相手はもう終りかい?」
「そうねぇ・・・」
女は土臭い肌を摺り寄せて来る。
その相手しながら、男はベルイールで触れた絹のような肌を思い出していた。
***
兵達の凱旋の宴も終り、辺りが寝静まった頃。
男は村女から聞いた館の外れの一室に忍び込んだ。
寝台で静かに眠っている白い顔を見下ろす。
安らかな寝息をたて、戦の疲れからか深く寝入っていた。
張り詰めていた雰囲気は無くなり、その寝顔は幼ささえ覗く。
既に男の記憶は混濁し、ノワジーの事は断片的にしか思い出せなくなっていた。
しかし、その瞳を閉じられた顔には覚えがあり、吸い込まれるように
薔薇色の頬に手を沿わせようとする。
誰の夢を見ている?私か?それとも・・・
「触るな」
その時、音も無く扉が開き黒髪の銃士が現れた。
目には激しい憎悪の色を浮かべ、相手を射抜く。
その挑発を受け流し、男はゆっくりと笑いを浮かべた。
***
アトスに促され、二人は館の裏の森で対峙する。
「何と呼べばよい?」
「さあ、ご自由に」
「・・・鉄仮面、ではまずかろう」
「・・・さすが、"銃士隊一の知恵者"だな」
「嫌でも気が付くさ。肋骨を折ってくれた相手だ」
「私を捕まえようというのか?」
「無理だろう。あの仮面以外、お前が鉄仮面だという証拠はどこにも無い」
「ご名答だ」
男のその言葉に蔑を感じ、怒りに燃える藤色の目を細めた。
その姿にますますの可笑しさを感じて、男は更に挑発を重ねる。
「もう抱いたのか?」
「何のことだ」
「金髪の銃士殿のことだ」
「お前には関係ないことだろう」
「良ければ教えてさしあげようか?どのようにされるのがあの女の好みか」
「やめろ!」
剣を抜き、相手の首にその先を向ける。
しかし男は微動だにせず、抜き身の剣を楽しそうに見やる。
「どうした?今の私なら簡単に殺すことができよう?」
負傷した足をわざとらしく引き摺ってみせる。
「そうだな。簡単だろう。だが・・・」
「だが・・?」
「お前を殺してしまうことが正しいことか、私には判断しかねる」
「三銃士のリーダともあろう方が、その程度の判断ができないとは情けないことだ」
「勘違いするな。フランスの為ならばお前の首をさっさと刎ね、私の名の元にこの首は鉄仮面のもので
間違いないと陛下に捧げればよいこと」
「その通りだ」
「ただ、それではお前の顔が晒される」
「何か問題でも?」
「・・・」
「では私を殺して、この森の奥にでも埋めるか?」
「そうだな・・・私の憤怒を抑えるためにもそうしたいが・・・」
「が・・・?」
「・・・お前はアラミスの"過去"と関係あるのだろう」
「"過去"か。・・・"ルネ"は"フランソワ"のことはもう過去だと言ったのか?」
「・・・」
「貴公が"フランソワ"を殺したと知ればルネはどうするかな?」
くくく・・と忍び笑いを男は立てる。
その目に浮かぶ狂気にアトスは自分の勘の正しさに呪いの言葉を呟く。
どさっ、と重さのある麻袋をアトスは男に向かって放り投げた。
「ベルイールで回収された金銀だ。それだけあれば何とでもなるだろう。さっさとここから立ち去れ」
「これは親切に」
「ただし、二度と私達の前には現れるな。次にお前の姿を見た時は間違いなく殺してやる」
「"私達"か、面白いことを言う」
「黙れ」
「あの女の心は私の物だ。永久にな」
「・・・だから陵辱したのか?」
「あれは私の所有物だ。どうしようと勝手だろう?」
「貴様・・・」
「ああ、立ち去るさ。命は惜しいからな」
男は動かない片足を引きずり、闇に消えていった。
***
重い足取りで部屋に戻ると、アラミスは身じろぎ怪訝な視線を向けた。
「アトス?」
「起きたのか?」
「うん、何だか胸騒ぎがして・・・」
「心配するな。ここは安全な館の中だ。ゆっくり眠れ」
「うん...」
立ち去ろうとするアトスの上着の裾を掴み、不安げな瞳で見上げる。
「何だ、ずいぶんな甘え様だな」
「ごめん・・・もう少し居てくれる?」
「構わないが」
寝台に腰かけ、ゆっくりと金の髪を撫でる。
美しい猫がじゃれつくように、アトスの手に頬をすりよせてくる姿にいとおしさを感じ、優しく問う。
「婚約者殿の話、聞かせてくれるか?」
「・・・フランソワのこと?」
「そう。フランソワ殿はどのような方だったのか。
君達はどのように出会い、どのように愛し合ったのか?」
「うん・・・」
「辛いか?」
静かに首を振り、大丈夫、と小さく呟く。
アラミスはやがてゆっくりと、小麦畑色の髪と瞳を持っていた優しい恋人の話を始めた。
Francois-Ⅵ
ようやく手にした機密文章を皇太后に渡し、屋敷を後にすると一人の銃士の姿がアラミスの目に入った。
「アトス?」
澄んだ夜の空気に鈴のように響くその声に、
黒髪の銃士はもたれていた壁から体を起こし優しく微笑んだ。
「済んだか?」
「皇太后様が火の内に焼べて処分されたよ」
「そうか」
柔らかな月の光に照らされ、二人は静かに歩き出した。
交わされる言葉は無いが、たまにふ、と目線が合う。
するとお互い目を細め、少しだけ笑い合う。
そしてまた、歩を進める。
セーヌの川の流れに合わせるようにゆっくり、ゆっくりと・・・
その時、心地よく頬を撫でていたはずの空気が澱み、生温い風がざぁと吹いた。
同時にぞっとするものに抱きすくめられたような感覚。
反射的に二人は振り向いた。
ゆっくりと、深い闇の中から一人の男が現れた。
見知らぬ顔にアラミスは怪訝な表情をする。
だが、アトスは次第に慣れる夜目にその男の顔を認めると同時に鈍い痛みが蘇り、低く唸った。
「貴様・・・」
「久しぶりだな。スイスまで奔走とはご苦労だったな」
「何?」
「そちらの"アラミス"殿も大変だったろう?だがこれで、愛しい"フランソワ"の事を思い出して頂けたかな?」
「何だと?」
アラミスは顔色を変え、男を睨みつけた。
なぜその名を知っている?
言葉には出さないが、蒼い炎がゆらゆらとその瞳で揺れる。
その揺らめきに宿る想いを辿るように、男はゆっくりと言葉を綴り始めた。
「ねぇ金髪の銃士殿。君は"フランソワ"を忘れてはいけないんだよ?
君の心の中でしかもう彼は生きていないんだ。
なのに彼を"過去"にしてしまうとは・・・酷いじゃないか」
露骨に顔をしかめ、風に巻き上がる金髪に彩られた顔を覗き込む。
その口調は緩やかだが、拒む事も逆らう事も許さない絶対的な支配が細い体を突き抜けた。
「今回の事件は無事解決した様だけど、また君が彼を忘れる日が来たら、
"フランソワ"は何度でも君の前に現れるよ。そしてその度に君は走る事となる。
彼の面影を追ってね」
男の紡ぐ言葉は蒼の炎の揺らぎを益々大きくする。
アラミスは必死に口を開こうとするが、体中が硬直し動くことができなかった。
「彼はこの国を揺るがすカードを沢山持っているから・・・
君が彼から離れようとする度に彼はカードを切っていくよ?
彼を過去にしようとすれば、その度に"フランソワ"は君の前に姿を変え形を変え現れ続ける。
今回は紙切れだったね?次は何かな?」
それは恐ろしい呪縛の言葉だった。
鉄仮面事件から幾つもの季節は過ぎていた。
パリの喧噪の中に少しづつ彼を過去にし、新しい愛を手に入れたいと願っていた。
もう、それでいいと・・・思っていた。
喘ぐ様にアラミスは息をし、訴える。
「お前は・・・誰だ?アトス、この男は・・・誰だ?」
アトスは答えない。答えられない。
ただ頭を振り、アラミスにこの場から離れるように促す。
その姿に男は更に挑発を繰り返した。
「"フランソワ"は今でも君を愛しているんだよ?」
「お前は誰だと聞いている!!」
その言葉に男は心底可笑しそうに、アラミスを見下ろした。
そしてアトスを見やる。
"言ったらどうなるかな?"とその目は語っていた。
できることならアラミスの耳を塞ぎ、この場から立ち去りたかった。
だが既に手遅れだった。
アラミスは男を全身で睨み付け、その場を動こうとしない。
その様子に男は少しだけ肩を竦めてアラミスの体にゆっくりと舐め回すように目線を送った。
その気味悪さに思わず後ずさる。
それに合わせて男は歩を進める。
"この感覚、、、どこかで・・・"
アラミスの思案を辿るように男はゆっくりと口を開いた。
「ベルイールの夜を忘れたかい?それとも初めて男と、私と肌を重ねた
ノワジーの森での事のほうが君にとって印象深いかな?」
その言葉を反芻し、混乱する頭を必死で整理する。
得体の知れない冷や汗がじっとりと全身を濡らしていった。
大きく肩で息をすると切れ切れに、必死で失いそうだった言葉を返す。
「何を・・・言って・・・いる?」
「傷跡のある肌も良いが、染み一つ無い肌のほうが私は好みだな。・・・ルネ」
頭の中でパズルがぱちん、と音を立てて組み合わさった。
体が凍りつき、心臓が早鐘を打ち始める。呼吸が荒くなる。
この男が鉄仮面だということか?
だが・・・それよりも・・
自分の出した答えを振り払うかのようにアラミスは叫んだ。
「違う!お前とフランソワは似ても似つかぬ!」
「あんなに愛した男の顔を忘れてしまうとは、つれないことだ。
確かに人相が変わった上に髪も目もだいぶ濃くなり、声も擦れてしまったがなぁ・・・」
まるで他人事のように口ずさむ。
その言葉にアラミスはもう一度、男の顔を見る。目、鼻、頬、唇・・・
真っ青になって固まったままのアラミスをを庇うようにアトスがアラミスの前に出た。
ぎりぎりと歯ぎしりを立て、低く唸るように言葉を吐き出した。
「次に会ったら殺すと言ったはずだ」
「だから、二人で居る所にお邪魔することにした」
男はにやり、と笑う。
この女の前で殺せるものなら、殺してみろ、ということだった。
そして少しずつ二人との距離を詰める。
その靴音は夜の闇に不気味なほどに響いていた。
一刻も早くこの場を離れなくてはいけない。
そう感じたアトスは相手を切りつけた。
動きを止めるには充分な切り口であり、その隙に無理矢理にでもアラミスとこの場を離れる・・・はずであった。
だが肉までざっくり切れ、闇の中にも鮮やかな赤に足を染めながら、
それでも男は歩みを止めること無く近づいてきた。
アトスは驚愕で目を見開いた。痛みを感じていない?
そんなはずはない。間違いなく切り付けた。切りつけた時は白い肉が見えた。
辺りに充満する血の匂いが何よりそれを物語っている。
だが男はやはり、"それ"に気にする様子も無い。
一歩、一歩、歩を進める度に赤い血がどろどろと流れ出す。
どんよりと、澱んだ空気が辺りを包み込む。
それが恐怖であるとは認めたくない。
しかし得体の知れないもの、自分とは異質なものであると体中で警報が鳴り響き、禍々しさが纏わりついた。
「動かないで・・・」
その時、震える声が吐息を漏らすように響いた。
男はゆっくりと足を止め、アトスは振り向いた時に見た姿に狼狽した。
ふらふらとアラミスは男に近づいていく。
「これ以上、血が流れたら死んでしまう・・・」
鼻先をくすぐる黒髪も目に入らず、その肩をすり抜け、
泣きそうな顔をして男の顔に探るように視線を送り続ける。
その瞳を優しく見つめ返す表情に今度こそは間違いなくフランソワの面影を見つけると、
アラミスは男に駆け寄った。
どくどくと血が流れ出る傷口を押さえ、腰を落とすように促す。
男はそれに大人しく従い、必死で止血の処置をするアラミスを抱えるようにその体に寄り掛かった。
絶望的な思いに囚われアトスは言葉を失くす。
だが動くわけにいかない。アラミスを此処に残していくわけにはいかない。
屈辱を噛み締め、ぐっと地を踏みしめたその思いを打ち砕くように、アラミスは呟いた。
「アトス・・・私達を二人にして」
知らない国の言葉を聞くようにアトスはアラミスの声を聞いた。
だが、更に蒼白呆然としている銃士に向かって男は勝利者の笑みを浮かべ残酷な言葉を投げ突けた。
「心配せずとも、"アラミス"殿はお返しする」
「!」
侮辱の言葉に唇を震わせ表情を強張らせる銃士に視線を送りながら、自分の胸の中の金髪をゆっくりと撫でる。
次にその白い頬に手を添わせ、自分のほうを向かせると言い聞かせるように優しく微笑んだ。
「私なら大丈夫。戻りなさい」
「けれど!」
空の月を見上げてその耳元で小さく、優しく囁いた。
「次の満月の夜、ノワジーのあの館で・・・」
そう言って、耳朶に触れるか触れないかの口付けをした。
甘い疼きに体を震わせる姿を満足そうに見やると、体を起こし、闇に消えようとする。
その姿を追おうとするアラミスの体に強い力が走った。
「行くな」
アトスの手がその細い肩を押さえつける。
薄い唇を噛み、刺すような視線を湛えた藤色の瞳がアラミスを見ていた。
「わかっているのか?」
「・・・」
「わかっているのか!?あの男は!!」
ベルイールの要塞は陥落し、鉄仮面一味は壊滅した。
その首領であった男は脱出時に鉄の仮面を脱ぎ捨て、抜け道であった海洞から島の沿岸まで潜水し、
戦いで海に転落したフランス軍兵士達にまぎれることにより、その正体を見破られることなく
海上の孤島から対岸の港町まで戻るに至った。
フランス軍の勝利の行進に加わる自分に屈辱を感じながらも、落石により大きな損傷を負った片足が
不自由な上、今の自分には何もない。それならば幾らかの傭兵金を貰えるであろうパリまで
大人しく一兵の振りをして運ばれたほうがよい、と算段したのだった。
しかしその凱旋での王や側近達、特に四銃士の姿は男にとって忌々しい以外の何者でもなかった。
勝利に喜び勇む姿に加え、アラミス、と呼ばれる銃士を気遣う黒髪の銃士の姿。
それに甘えるように寄り添う金髪の銃士は以前とは明らかに違う雰囲気を纏っていた。
マンソンを討ったことによって全て終わったと思っているのか?
それで"フランソワ"のことは全て過去に流したというのか?あの崩れ去った要塞に
全てを置いてきたというのか?
男はただ無言に、遠くからでも陽の光に輝く白馬上の金の髪を見続ける。
その気配を感じ取ったダルタニアンがアトスに小さく告げた。
「ねぇあの人、アラミスのことをずっと見てるよ」
「・・・どいつだ?」
「あの傭兵部隊の濃茶色の髪の人」
「君は目がいいな、あんな後方部隊の様子がよく見える」
「だって気持ち悪いんだ。変な気配がするっていうか、妙な視線だなって思ったら気になって」
「・・・どうせそっちのケのある傭兵だろう。よくあることさ、
アラミスはあの容姿だからか目を付けられる」
「そう・・・」
ダルタニアンもそういう趣味の男を知らないわけではない。
だが、その男にはそれとは違う、"何か"を感じてはいた。
けれど今はアラミスの不安を煽るようなことはしたくない。
穏やかな笑顔を浮かべアトスと笑い合う横顔を見て、ダルタニアンは心の底からそう思った。
***
国王は帰路途中にある領地主の館で一晩を明かすこととなり、
その兵達は近辺に陣を張り、館の下女達や近辺の村娘と思い思いに戯れの時間を過ごす事となった。
男も村女に褥中に誘われ、時間を潰していた。
「それが、本当に綺麗な銃士らしいのよ。アンタ見た?」
「さぁ?」
「金の髪に蒼い目、白い肌をしてお人形さんみたいなんだって!」
「誰から聞いたんだ?」
「館仕えをしてる娘からさぁ。何でも怪我してるとかで外れの部屋を使ってるみたい。
夜這いに行っちゃおうかしら」
「おいおい、俺の相手はもう終りかい?」
「そうねぇ・・・」
女は土臭い肌を摺り寄せて来る。
その相手しながら、男はベルイールで触れた絹のような肌を思い出していた。
***
兵達の凱旋の宴も終り、辺りが寝静まった頃。
男は村女から聞いた館の外れの一室に忍び込んだ。
寝台で静かに眠っている白い顔を見下ろす。
安らかな寝息をたて、戦の疲れからか深く寝入っていた。
張り詰めていた雰囲気は無くなり、その寝顔は幼ささえ覗く。
既に男の記憶は混濁し、ノワジーの事は断片的にしか思い出せなくなっていた。
しかし、その瞳を閉じられた顔には覚えがあり、吸い込まれるように
薔薇色の頬に手を沿わせようとする。
誰の夢を見ている?私か?それとも・・・
「触るな」
その時、音も無く扉が開き黒髪の銃士が現れた。
目には激しい憎悪の色を浮かべ、相手を射抜く。
その挑発を受け流し、男はゆっくりと笑いを浮かべた。
***
アトスに促され、二人は館の裏の森で対峙する。
「何と呼べばよい?」
「さあ、ご自由に」
「・・・鉄仮面、ではまずかろう」
「・・・さすが、"銃士隊一の知恵者"だな」
「嫌でも気が付くさ。肋骨を折ってくれた相手だ」
「私を捕まえようというのか?」
「無理だろう。あの仮面以外、お前が鉄仮面だという証拠はどこにも無い」
「ご名答だ」
男のその言葉に蔑を感じ、怒りに燃える藤色の目を細めた。
その姿にますますの可笑しさを感じて、男は更に挑発を重ねる。
「もう抱いたのか?」
「何のことだ」
「金髪の銃士殿のことだ」
「お前には関係ないことだろう」
「良ければ教えてさしあげようか?どのようにされるのがあの女の好みか」
「やめろ!」
剣を抜き、相手の首にその先を向ける。
しかし男は微動だにせず、抜き身の剣を楽しそうに見やる。
「どうした?今の私なら簡単に殺すことができよう?」
負傷した足をわざとらしく引き摺ってみせる。
「そうだな。簡単だろう。だが・・・」
「だが・・?」
「お前を殺してしまうことが正しいことか、私には判断しかねる」
「三銃士のリーダともあろう方が、その程度の判断ができないとは情けないことだ」
「勘違いするな。フランスの為ならばお前の首をさっさと刎ね、私の名の元にこの首は鉄仮面のもので
間違いないと陛下に捧げればよいこと」
「その通りだ」
「ただ、それではお前の顔が晒される」
「何か問題でも?」
「・・・」
「では私を殺して、この森の奥にでも埋めるか?」
「そうだな・・・私の憤怒を抑えるためにもそうしたいが・・・」
「が・・・?」
「・・・お前はアラミスの"過去"と関係あるのだろう」
「"過去"か。・・・"ルネ"は"フランソワ"のことはもう過去だと言ったのか?」
「・・・」
「貴公が"フランソワ"を殺したと知ればルネはどうするかな?」
くくく・・と忍び笑いを男は立てる。
その目に浮かぶ狂気にアトスは自分の勘の正しさに呪いの言葉を呟く。
どさっ、と重さのある麻袋をアトスは男に向かって放り投げた。
「ベルイールで回収された金銀だ。それだけあれば何とでもなるだろう。さっさとここから立ち去れ」
「これは親切に」
「ただし、二度と私達の前には現れるな。次にお前の姿を見た時は間違いなく殺してやる」
「"私達"か、面白いことを言う」
「黙れ」
「あの女の心は私の物だ。永久にな」
「・・・だから陵辱したのか?」
「あれは私の所有物だ。どうしようと勝手だろう?」
「貴様・・・」
「ああ、立ち去るさ。命は惜しいからな」
男は動かない片足を引きずり、闇に消えていった。
***
重い足取りで部屋に戻ると、アラミスは身じろぎ怪訝な視線を向けた。
「アトス?」
「起きたのか?」
「うん、何だか胸騒ぎがして・・・」
「心配するな。ここは安全な館の中だ。ゆっくり眠れ」
「うん...」
立ち去ろうとするアトスの上着の裾を掴み、不安げな瞳で見上げる。
「何だ、ずいぶんな甘え様だな」
「ごめん・・・もう少し居てくれる?」
「構わないが」
寝台に腰かけ、ゆっくりと金の髪を撫でる。
美しい猫がじゃれつくように、アトスの手に頬をすりよせてくる姿にいとおしさを感じ、優しく問う。
「婚約者殿の話、聞かせてくれるか?」
「・・・フランソワのこと?」
「そう。フランソワ殿はどのような方だったのか。
君達はどのように出会い、どのように愛し合ったのか?」
「うん・・・」
「辛いか?」
静かに首を振り、大丈夫、と小さく呟く。
アラミスはやがてゆっくりと、小麦畑色の髪と瞳を持っていた優しい恋人の話を始めた。
Francois-Ⅵ
ようやく手にした機密文章を皇太后に渡し、屋敷を後にすると一人の銃士の姿がアラミスの目に入った。
「アトス?」
澄んだ夜の空気に鈴のように響くその声に、
黒髪の銃士はもたれていた壁から体を起こし優しく微笑んだ。
「済んだか?」
「皇太后様が火の内に焼べて処分されたよ」
「そうか」
柔らかな月の光に照らされ、二人は静かに歩き出した。
交わされる言葉は無いが、たまにふ、と目線が合う。
するとお互い目を細め、少しだけ笑い合う。
そしてまた、歩を進める。
セーヌの川の流れに合わせるようにゆっくり、ゆっくりと・・・
その時、心地よく頬を撫でていたはずの空気が澱み、生温い風がざぁと吹いた。
同時にぞっとするものに抱きすくめられたような感覚。
反射的に二人は振り向いた。
ゆっくりと、深い闇の中から一人の男が現れた。
見知らぬ顔にアラミスは怪訝な表情をする。
だが、アトスは次第に慣れる夜目にその男の顔を認めると同時に鈍い痛みが蘇り、低く唸った。
「貴様・・・」
「久しぶりだな。スイスまで奔走とはご苦労だったな」
「何?」
「そちらの"アラミス"殿も大変だったろう?だがこれで、愛しい"フランソワ"の事を思い出して頂けたかな?」
「何だと?」
アラミスは顔色を変え、男を睨みつけた。
なぜその名を知っている?
言葉には出さないが、蒼い炎がゆらゆらとその瞳で揺れる。
その揺らめきに宿る想いを辿るように、男はゆっくりと言葉を綴り始めた。
「ねぇ金髪の銃士殿。君は"フランソワ"を忘れてはいけないんだよ?
君の心の中でしかもう彼は生きていないんだ。
なのに彼を"過去"にしてしまうとは・・・酷いじゃないか」
露骨に顔をしかめ、風に巻き上がる金髪に彩られた顔を覗き込む。
その口調は緩やかだが、拒む事も逆らう事も許さない絶対的な支配が細い体を突き抜けた。
「今回の事件は無事解決した様だけど、また君が彼を忘れる日が来たら、
"フランソワ"は何度でも君の前に現れるよ。そしてその度に君は走る事となる。
彼の面影を追ってね」
男の紡ぐ言葉は蒼の炎の揺らぎを益々大きくする。
アラミスは必死に口を開こうとするが、体中が硬直し動くことができなかった。
「彼はこの国を揺るがすカードを沢山持っているから・・・
君が彼から離れようとする度に彼はカードを切っていくよ?
彼を過去にしようとすれば、その度に"フランソワ"は君の前に姿を変え形を変え現れ続ける。
今回は紙切れだったね?次は何かな?」
それは恐ろしい呪縛の言葉だった。
鉄仮面事件から幾つもの季節は過ぎていた。
パリの喧噪の中に少しづつ彼を過去にし、新しい愛を手に入れたいと願っていた。
もう、それでいいと・・・思っていた。
喘ぐ様にアラミスは息をし、訴える。
「お前は・・・誰だ?アトス、この男は・・・誰だ?」
アトスは答えない。答えられない。
ただ頭を振り、アラミスにこの場から離れるように促す。
その姿に男は更に挑発を繰り返した。
「"フランソワ"は今でも君を愛しているんだよ?」
「お前は誰だと聞いている!!」
その言葉に男は心底可笑しそうに、アラミスを見下ろした。
そしてアトスを見やる。
"言ったらどうなるかな?"とその目は語っていた。
できることならアラミスの耳を塞ぎ、この場から立ち去りたかった。
だが既に手遅れだった。
アラミスは男を全身で睨み付け、その場を動こうとしない。
その様子に男は少しだけ肩を竦めてアラミスの体にゆっくりと舐め回すように目線を送った。
その気味悪さに思わず後ずさる。
それに合わせて男は歩を進める。
"この感覚、、、どこかで・・・"
アラミスの思案を辿るように男はゆっくりと口を開いた。
「ベルイールの夜を忘れたかい?それとも初めて男と、私と肌を重ねた
ノワジーの森での事のほうが君にとって印象深いかな?」
その言葉を反芻し、混乱する頭を必死で整理する。
得体の知れない冷や汗がじっとりと全身を濡らしていった。
大きく肩で息をすると切れ切れに、必死で失いそうだった言葉を返す。
「何を・・・言って・・・いる?」
「傷跡のある肌も良いが、染み一つ無い肌のほうが私は好みだな。・・・ルネ」
頭の中でパズルがぱちん、と音を立てて組み合わさった。
体が凍りつき、心臓が早鐘を打ち始める。呼吸が荒くなる。
この男が鉄仮面だということか?
だが・・・それよりも・・
自分の出した答えを振り払うかのようにアラミスは叫んだ。
「違う!お前とフランソワは似ても似つかぬ!」
「あんなに愛した男の顔を忘れてしまうとは、つれないことだ。
確かに人相が変わった上に髪も目もだいぶ濃くなり、声も擦れてしまったがなぁ・・・」
まるで他人事のように口ずさむ。
その言葉にアラミスはもう一度、男の顔を見る。目、鼻、頬、唇・・・
真っ青になって固まったままのアラミスをを庇うようにアトスがアラミスの前に出た。
ぎりぎりと歯ぎしりを立て、低く唸るように言葉を吐き出した。
「次に会ったら殺すと言ったはずだ」
「だから、二人で居る所にお邪魔することにした」
男はにやり、と笑う。
この女の前で殺せるものなら、殺してみろ、ということだった。
そして少しずつ二人との距離を詰める。
その靴音は夜の闇に不気味なほどに響いていた。
一刻も早くこの場を離れなくてはいけない。
そう感じたアトスは相手を切りつけた。
動きを止めるには充分な切り口であり、その隙に無理矢理にでもアラミスとこの場を離れる・・・はずであった。
だが肉までざっくり切れ、闇の中にも鮮やかな赤に足を染めながら、
それでも男は歩みを止めること無く近づいてきた。
アトスは驚愕で目を見開いた。痛みを感じていない?
そんなはずはない。間違いなく切り付けた。切りつけた時は白い肉が見えた。
辺りに充満する血の匂いが何よりそれを物語っている。
だが男はやはり、"それ"に気にする様子も無い。
一歩、一歩、歩を進める度に赤い血がどろどろと流れ出す。
どんよりと、澱んだ空気が辺りを包み込む。
それが恐怖であるとは認めたくない。
しかし得体の知れないもの、自分とは異質なものであると体中で警報が鳴り響き、禍々しさが纏わりついた。
「動かないで・・・」
その時、震える声が吐息を漏らすように響いた。
男はゆっくりと足を止め、アトスは振り向いた時に見た姿に狼狽した。
ふらふらとアラミスは男に近づいていく。
「これ以上、血が流れたら死んでしまう・・・」
鼻先をくすぐる黒髪も目に入らず、その肩をすり抜け、
泣きそうな顔をして男の顔に探るように視線を送り続ける。
その瞳を優しく見つめ返す表情に今度こそは間違いなくフランソワの面影を見つけると、
アラミスは男に駆け寄った。
どくどくと血が流れ出る傷口を押さえ、腰を落とすように促す。
男はそれに大人しく従い、必死で止血の処置をするアラミスを抱えるようにその体に寄り掛かった。
絶望的な思いに囚われアトスは言葉を失くす。
だが動くわけにいかない。アラミスを此処に残していくわけにはいかない。
屈辱を噛み締め、ぐっと地を踏みしめたその思いを打ち砕くように、アラミスは呟いた。
「アトス・・・私達を二人にして」
知らない国の言葉を聞くようにアトスはアラミスの声を聞いた。
だが、更に蒼白呆然としている銃士に向かって男は勝利者の笑みを浮かべ残酷な言葉を投げ突けた。
「心配せずとも、"アラミス"殿はお返しする」
「!」
侮辱の言葉に唇を震わせ表情を強張らせる銃士に視線を送りながら、自分の胸の中の金髪をゆっくりと撫でる。
次にその白い頬に手を添わせ、自分のほうを向かせると言い聞かせるように優しく微笑んだ。
「私なら大丈夫。戻りなさい」
「けれど!」
空の月を見上げてその耳元で小さく、優しく囁いた。
「次の満月の夜、ノワジーのあの館で・・・」
そう言って、耳朶に触れるか触れないかの口付けをした。
甘い疼きに体を震わせる姿を満足そうに見やると、体を起こし、闇に消えようとする。
その姿を追おうとするアラミスの体に強い力が走った。
「行くな」
アトスの手がその細い肩を押さえつける。
薄い唇を噛み、刺すような視線を湛えた藤色の瞳がアラミスを見ていた。
「わかっているのか?」
「・・・」
「わかっているのか!?あの男は!!」
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