昼下がりのBF団本部。
樊瑞の屋敷にある執務室は重厚なデザインのデスクと家具、大き目のソファセットが置かれている。手入れの行き届いた庭に面するバルコニーへ続く窓は大きく、暖かくなり始めた午後の日差しを惜しみなく室内へ注いでいた。
十傑集リーダーの主な役目、それは主にBF団全体の事務処理担当を示すため、ここ何年か樊瑞は最前線へ出ることもまれだった。
自宅と机に縛られる時間が相当に増えると、それまでほとんど埃をかぶったままだった机も椅子も絨毯すらもいつしかそれなりの物に取って代わった。部下に見繕わせているうちにそうなってしまったのだ。
書類の束に目を通しサインをする樊瑞の横で、その書類をまとめ、整理しているサニーがふと、時計に目をやった。
「おじ様、ティータイムですわ。少しお休みになってはいかが?」
「うん?…ああ、そうだな」
書類から目を上げ、樊瑞も頷く。
サニーはうきうきと書類を置きにっこり笑った。
「では、お茶を。玉露のおいしいのをカワラザキのおじ様にいただいたんですの」
育ちがいいのか大人びているのか、少女の口調ではない。
「玉露と聞いては引くわけにはいかんな!」
「きゃ!」
頭上からの声。
唐突にマスク・ザ・レッドが目の前に現れ、サニーは小さく悲鳴をあげた。
腰を浮かし臨戦体勢を取りかけた樊瑞は相手がレッドとわかり、取り合えずは座り直す。
「…どこから出てきたのだ、レッド」
「天井だ」
「お茶に呼んだのかね、サニー」
悪びれる様子のまったくないレッドに呆れ、樊瑞はサニーに水を向ける。
「いいえ」
首を振るサニーに、心外だとレッドが言い募る。
「茶を飲みに来い、と言っただろ。来てやったんだ、感謝するがいい」
「…お主には直接言ってないと思うが」
「同じ事だ」
呆れ顔の樊瑞と、引く気のないレッドに挟まれ、サニーは微笑んだ。
「大勢でいただいたほうが楽しいですわ。どうぞいらしてくださいませ、レッドのおじ…」
「お兄様だ!」
言い終える前に言い直され、サニーは困ったように樊瑞を見た。
苦笑しながら頷く樊瑞に頷き返し、サニーは困ったように笑いながら「どうぞ、レッドのお兄様」と言い直す。
「よし。菓子は好きか、サニー・ザ・マジシャン。どうだ、好きだろう?子供だからな。これをくれてやろう!」
ご満悦の表情でレッドが印籠のごとく差し出したのは虎屋の羊羹だった。
「まあ!これは和菓子ね。私、とっても久しぶりに見ました」
「怒鬼の奴がどうしても持っていけと言うのでな!」
「嬉しい!怒鬼のお兄様によろしくお伝えくださいね」
サニーがさりげなく怒鬼に対しては”お兄様”と言った事に樊瑞は気づいたが、ご機嫌のレッドは気づかないようだった。
「ありがとうございます、レッドの…お兄様!」
背伸びをしてレッドの頬にキスをする。
と、ガタッと樊瑞が椅子を蹴って立ち上がり、レッドはぽかんと口を開けた。
しかし次の瞬間にはレッドが下卑た笑いと共に樊瑞を見やる。
「…おい、このガキはこんな事まで仕込まれているのか?」
「下衆な物言いをするな!欧米ではごく普通の挨拶だろうがっ」
くたびれたように再び椅子へ崩れる樊瑞を、サニーが不安げな顔で振り返る。
「私、何かおかしなことをしたんでしょうか…?」
「…気にするな。文化の違いという奴だ」
不安そうな顔をするサニーを宥め、樊瑞はがしがしと頭を掻いた。
今まさにサニーがしたような”挨拶”としてのキスをやめさせるため、先日もサニーと話したばかりだった。
ひと言で言えば、要するに、こそばゆい。挨拶としてのキスであることは重々承知していても、欧米で育ったわけではない樊瑞にとっては近しすぎる挨拶であり、面映くこそばゆい。何だか困った気分になるのだ。
そのつもりはまるで無くとも、レッドに揶揄されたように光源氏の真似事をしている気分になってしまう。
そもそも、シチュエーションからして既にそうなのだからどうしようもないのだが。
いい年をした自分が引き取る手前、後見人としての責任を果たさねばと樊瑞は思い定めていた。亡きアルベルトのためにも、本当に光源氏のようなことになるわけにはいかない。
とはいえ、ちょっとした弾みにかわいいキスをされてしまう事は多々あるし、その素直さと共に彼女の美徳であるとも思ってはいる。
だが。
「…おじ様?」
不安げに見上げてくる少女に、樊瑞はため息を押し殺した。
自分以外の人間に対してまでは言及していなかったことを樊瑞は深く後悔した。この先サニーが十傑集のメンバーと顔を合わせる機会は格段に多くなるはずなのだ。身内には甘いとはいえBF団は悪の秘密結社であり、個々人の理由は違えど、結論からすれば女子供をどうこうすることに抵抗のある者は十傑集にはいない。
レッドは物騒な笑みをもらし、サニーの目線までひょいとかがんだ。
「どうせなら口にしてほしいもんだ」
「口、ですか?」
不思議そうに首を傾げるサニーに樊瑞が慌てる。
「サニー!ちょっと待ちなさい!!」
「わかりました、はい」
止める間もなくサニーはちゅ、と唇を掠めるようにレッドのそれに触れさせる。
少女が赤くなって困り果てるのを期待していたレッドが今度こそ固まった。
「サニー!!」
「はい、おじ様」
「それはいかんとアルベルトにも言われただろう!!!」
「あら、でも、赤ちゃんにするご挨拶ですもの。別に…」
「あ、赤ちゃん…だと?」
その言葉にようやくレッドが口を開く。
彼の場合は女子供は殺戮の対象であり、そもそも性的暴力どうこうというのはあまり興味が無い。
樊瑞はいまいましそうにレッドを見、サニーを見て今度こそ大きな溜息をついた。
「…セルバンテスがな、そう言ってサニーにしておった」
「変態だな」
「まさしく」
既に亡いクフィーヤ姿のおじ様への暴言に、サリーは眉を吊り上げる。
「まあ!ひどい!!セルバンテスのおじ様はお優しいステキな方ですわ!」
いくらおじ様方でもそれ以上酷いことをおっしゃるのは許しません、と怒るサニーに、樊瑞は溜息しか出ない。赤ん坊の頃から親しんだ彼女にとって”ステキなおじ様”なのはわかっているが、それを周囲で見聞きする側にとっては必ずしもそうではない。亡き幻惑のセルバンテスは守備範囲の広いことで有名だったのだ。
「それがアルベルトにバレてな」
「おお、それは血を見たのだろうな!」
血生臭そうな話の成り行きに嬉々として目を輝かせるレッドを、嫌そうに見ながらも樊瑞が頷く。
「うむ。わしもそこに居合わせたのだが…何しろサニーはセルバンテスの膝の上におってアルベルトは衝撃波を撃てん」
-----
バタン!と派手な音とともに樊瑞の執務室のドアが開けられた。
「おい、茶!」
開口一番、言い放つのはマスク・ザ・レッド。
ノックもされずに開け放たれたドアに、サニー・ザ・マジシャンは一瞬ぽかんと口を開けたが、すぐに微笑んだ。
「お久しぶりです、レッドのお兄様、それに怒鬼のお兄様」
自然体でふんぞり返るレッドの後ろには、直系の怒鬼が無言で詫びるようにたたずんでいる。
樊瑞はもはや顔も上げずに書類を目を落としたまま「まだおやつの時間には早いぞ」と呟いた。
それを無視してレッドが首をひねる。
「…久しぶり?久しぶりだったか?」
「この前いらしてからひと月ぶりですわ、お兄様」
怒鬼を振り返るレッドに、サニーがにっこり笑う。
納得したのかニヤリとレッドが物騒な笑みを返した。
「ああ、あの後すぐに作戦に参加したからな!何人殺ってきたか当ててみるか?」
「遠慮しておきますわ。さあ、どうぞ。この間おじ様がベルギーで買ってきてくださったチョコレートはいかが?」
血生臭い話を楽しげに始めようとするレッドを、サニーは子供にするようにあしらう。
「チョコレートか!」
喜色満面でレッドはソファへ移動しようとして、ふとサニーを振り返る。
上から下まで眺め首をひねると、怒鬼がどうした、と言いたげにレッドを覗きこんだ。
「おい怒鬼、こいつこの前より大きくなってないか?」
前はこのあたりに頭があったぞ、と自分のスーツの合わせ目あたりに手をかざす。
今のサニーは、その合わせ目よりは明かに頭の位置が高い。
”こいつ”と言われたことに憤慨しかけたサニーは溜息をつき苦笑した。悪気があって言っているのではなく、知らないのだ。お兄様は悪ガキなのだわ、とサニーは思う。
「成長期というやつだ」
「そうなんです。お洋服もくつも、何だか小さくなってしまって…」
気に入らない報告書があったのか不機嫌な樊瑞の言葉を、サニーが困ったように引き継ぐ。
それを不思議そうにレッドは眺めた。
「そうか、だからここも出っ張って…」
サニーの胸元へひょいと伸ばしかけたレッドの手を怒鬼が掴む。
サニーとレッドが不思議そうに怒鬼を見ると、無言のまま首を横に振った。
首をかしげる二人に、彼はサニーの背後を指差した。
「あら、おじ様」
「何だ?俺の分のチョコレートはやらんぞ」
さすがは十傑集というべき素早さでサニーのすぐ後ろへ立った樊瑞は、苦りきった顔でサニーの肩をわずかに自分のほうへ引き寄せた。
「…すまんな、怒鬼」
溜息のように言葉をかけられ、怒鬼はただ頷く。
その様子にレッドは不満げに口を尖らせた。
「なんだ怒鬼、お前の分を樊瑞にやるのか?」
「もう…レッドのお兄様ったら。チョコレートはちゃんと皆さんにお出しします!」
俺が食ってやろうと思っていたのに、と今にもぶーぶー言い出しそうなレッドに負けぬ勢いで唇を尖らせ、サニーが言い返す。
一回り以上年若いレッドと、軽く二回り以上は下のサニーの言い合いに、本当に頭痛がしそうだと樊瑞は思った。
お前は今どこを触ろうとしたのだ、とか。
チョコレートなど好き好んで自分が山ほど食うものか、とか。
どこから収拾をつければいいのか考えるのも嫌になり、樊瑞はその場を放棄した。
「ああもう、いい加減にしなさい。サニー、お茶をいれてくれないか」
ばさり、とピンクのマントをひるがえしサニーの背を押す。
少女は尖らせたままの唇で、それでも「はい、おじ様」と応えた。
「あ、おい、俺にチョコレートを選ばせろ!」
キッチンへ向かうサニーの小さな背中を追って、レッドの赤いマフラーがひらりと舞う。
肩で溜息をつく樊瑞に知らぬふりで怒鬼はソファに落ち着いた。
泰然自若、無言を通す青年は元々そういう性質なのだろうが、どうにも気苦労の増えた樊瑞にとっては羨ましいようにも思える。
何しろ、今この瞬間ですらキッチンで二人きりのレッドが先ほどの続きを始めはしないかと気が気ではない。
もちろん、気が弱い子ではないのだから、もし何かあればサニーは大声を出すだろうが、そんな目に少女が遭う事自体が樊瑞には許せないのだ。
かといって、わざわざ追いかけてレッドを引きずってくるというのも大人げない。ましてや十傑集候補にまでなっているサニーが最低限でも自分の身を守れないようでは困るのだ。
まだ昼前の明るい窓の外は青い空に鳥など鳴いている。
ひとつ首を振り、樊瑞がどさりとソファへ座った。
ごとり、と音を立ててテーブルに日本の酒らしい瓶が置かれる。
詫びの代わりにとでも言いたげに、怒鬼はやはり無言で酒瓶を樊瑞のほうへ押しやった。
樊瑞の屋敷にある執務室は重厚なデザインのデスクと家具、大き目のソファセットが置かれている。手入れの行き届いた庭に面するバルコニーへ続く窓は大きく、暖かくなり始めた午後の日差しを惜しみなく室内へ注いでいた。
十傑集リーダーの主な役目、それは主にBF団全体の事務処理担当を示すため、ここ何年か樊瑞は最前線へ出ることもまれだった。
自宅と机に縛られる時間が相当に増えると、それまでほとんど埃をかぶったままだった机も椅子も絨毯すらもいつしかそれなりの物に取って代わった。部下に見繕わせているうちにそうなってしまったのだ。
書類の束に目を通しサインをする樊瑞の横で、その書類をまとめ、整理しているサニーがふと、時計に目をやった。
「おじ様、ティータイムですわ。少しお休みになってはいかが?」
「うん?…ああ、そうだな」
書類から目を上げ、樊瑞も頷く。
サニーはうきうきと書類を置きにっこり笑った。
「では、お茶を。玉露のおいしいのをカワラザキのおじ様にいただいたんですの」
育ちがいいのか大人びているのか、少女の口調ではない。
「玉露と聞いては引くわけにはいかんな!」
「きゃ!」
頭上からの声。
唐突にマスク・ザ・レッドが目の前に現れ、サニーは小さく悲鳴をあげた。
腰を浮かし臨戦体勢を取りかけた樊瑞は相手がレッドとわかり、取り合えずは座り直す。
「…どこから出てきたのだ、レッド」
「天井だ」
「お茶に呼んだのかね、サニー」
悪びれる様子のまったくないレッドに呆れ、樊瑞はサニーに水を向ける。
「いいえ」
首を振るサニーに、心外だとレッドが言い募る。
「茶を飲みに来い、と言っただろ。来てやったんだ、感謝するがいい」
「…お主には直接言ってないと思うが」
「同じ事だ」
呆れ顔の樊瑞と、引く気のないレッドに挟まれ、サニーは微笑んだ。
「大勢でいただいたほうが楽しいですわ。どうぞいらしてくださいませ、レッドのおじ…」
「お兄様だ!」
言い終える前に言い直され、サニーは困ったように樊瑞を見た。
苦笑しながら頷く樊瑞に頷き返し、サニーは困ったように笑いながら「どうぞ、レッドのお兄様」と言い直す。
「よし。菓子は好きか、サニー・ザ・マジシャン。どうだ、好きだろう?子供だからな。これをくれてやろう!」
ご満悦の表情でレッドが印籠のごとく差し出したのは虎屋の羊羹だった。
「まあ!これは和菓子ね。私、とっても久しぶりに見ました」
「怒鬼の奴がどうしても持っていけと言うのでな!」
「嬉しい!怒鬼のお兄様によろしくお伝えくださいね」
サニーがさりげなく怒鬼に対しては”お兄様”と言った事に樊瑞は気づいたが、ご機嫌のレッドは気づかないようだった。
「ありがとうございます、レッドの…お兄様!」
背伸びをしてレッドの頬にキスをする。
と、ガタッと樊瑞が椅子を蹴って立ち上がり、レッドはぽかんと口を開けた。
しかし次の瞬間にはレッドが下卑た笑いと共に樊瑞を見やる。
「…おい、このガキはこんな事まで仕込まれているのか?」
「下衆な物言いをするな!欧米ではごく普通の挨拶だろうがっ」
くたびれたように再び椅子へ崩れる樊瑞を、サニーが不安げな顔で振り返る。
「私、何かおかしなことをしたんでしょうか…?」
「…気にするな。文化の違いという奴だ」
不安そうな顔をするサニーを宥め、樊瑞はがしがしと頭を掻いた。
今まさにサニーがしたような”挨拶”としてのキスをやめさせるため、先日もサニーと話したばかりだった。
ひと言で言えば、要するに、こそばゆい。挨拶としてのキスであることは重々承知していても、欧米で育ったわけではない樊瑞にとっては近しすぎる挨拶であり、面映くこそばゆい。何だか困った気分になるのだ。
そのつもりはまるで無くとも、レッドに揶揄されたように光源氏の真似事をしている気分になってしまう。
そもそも、シチュエーションからして既にそうなのだからどうしようもないのだが。
いい年をした自分が引き取る手前、後見人としての責任を果たさねばと樊瑞は思い定めていた。亡きアルベルトのためにも、本当に光源氏のようなことになるわけにはいかない。
とはいえ、ちょっとした弾みにかわいいキスをされてしまう事は多々あるし、その素直さと共に彼女の美徳であるとも思ってはいる。
だが。
「…おじ様?」
不安げに見上げてくる少女に、樊瑞はため息を押し殺した。
自分以外の人間に対してまでは言及していなかったことを樊瑞は深く後悔した。この先サニーが十傑集のメンバーと顔を合わせる機会は格段に多くなるはずなのだ。身内には甘いとはいえBF団は悪の秘密結社であり、個々人の理由は違えど、結論からすれば女子供をどうこうすることに抵抗のある者は十傑集にはいない。
レッドは物騒な笑みをもらし、サニーの目線までひょいとかがんだ。
「どうせなら口にしてほしいもんだ」
「口、ですか?」
不思議そうに首を傾げるサニーに樊瑞が慌てる。
「サニー!ちょっと待ちなさい!!」
「わかりました、はい」
止める間もなくサニーはちゅ、と唇を掠めるようにレッドのそれに触れさせる。
少女が赤くなって困り果てるのを期待していたレッドが今度こそ固まった。
「サニー!!」
「はい、おじ様」
「それはいかんとアルベルトにも言われただろう!!!」
「あら、でも、赤ちゃんにするご挨拶ですもの。別に…」
「あ、赤ちゃん…だと?」
その言葉にようやくレッドが口を開く。
彼の場合は女子供は殺戮の対象であり、そもそも性的暴力どうこうというのはあまり興味が無い。
樊瑞はいまいましそうにレッドを見、サニーを見て今度こそ大きな溜息をついた。
「…セルバンテスがな、そう言ってサニーにしておった」
「変態だな」
「まさしく」
既に亡いクフィーヤ姿のおじ様への暴言に、サリーは眉を吊り上げる。
「まあ!ひどい!!セルバンテスのおじ様はお優しいステキな方ですわ!」
いくらおじ様方でもそれ以上酷いことをおっしゃるのは許しません、と怒るサニーに、樊瑞は溜息しか出ない。赤ん坊の頃から親しんだ彼女にとって”ステキなおじ様”なのはわかっているが、それを周囲で見聞きする側にとっては必ずしもそうではない。亡き幻惑のセルバンテスは守備範囲の広いことで有名だったのだ。
「それがアルベルトにバレてな」
「おお、それは血を見たのだろうな!」
血生臭そうな話の成り行きに嬉々として目を輝かせるレッドを、嫌そうに見ながらも樊瑞が頷く。
「うむ。わしもそこに居合わせたのだが…何しろサニーはセルバンテスの膝の上におってアルベルトは衝撃波を撃てん」
-----
バタン!と派手な音とともに樊瑞の執務室のドアが開けられた。
「おい、茶!」
開口一番、言い放つのはマスク・ザ・レッド。
ノックもされずに開け放たれたドアに、サニー・ザ・マジシャンは一瞬ぽかんと口を開けたが、すぐに微笑んだ。
「お久しぶりです、レッドのお兄様、それに怒鬼のお兄様」
自然体でふんぞり返るレッドの後ろには、直系の怒鬼が無言で詫びるようにたたずんでいる。
樊瑞はもはや顔も上げずに書類を目を落としたまま「まだおやつの時間には早いぞ」と呟いた。
それを無視してレッドが首をひねる。
「…久しぶり?久しぶりだったか?」
「この前いらしてからひと月ぶりですわ、お兄様」
怒鬼を振り返るレッドに、サニーがにっこり笑う。
納得したのかニヤリとレッドが物騒な笑みを返した。
「ああ、あの後すぐに作戦に参加したからな!何人殺ってきたか当ててみるか?」
「遠慮しておきますわ。さあ、どうぞ。この間おじ様がベルギーで買ってきてくださったチョコレートはいかが?」
血生臭い話を楽しげに始めようとするレッドを、サニーは子供にするようにあしらう。
「チョコレートか!」
喜色満面でレッドはソファへ移動しようとして、ふとサニーを振り返る。
上から下まで眺め首をひねると、怒鬼がどうした、と言いたげにレッドを覗きこんだ。
「おい怒鬼、こいつこの前より大きくなってないか?」
前はこのあたりに頭があったぞ、と自分のスーツの合わせ目あたりに手をかざす。
今のサニーは、その合わせ目よりは明かに頭の位置が高い。
”こいつ”と言われたことに憤慨しかけたサニーは溜息をつき苦笑した。悪気があって言っているのではなく、知らないのだ。お兄様は悪ガキなのだわ、とサニーは思う。
「成長期というやつだ」
「そうなんです。お洋服もくつも、何だか小さくなってしまって…」
気に入らない報告書があったのか不機嫌な樊瑞の言葉を、サニーが困ったように引き継ぐ。
それを不思議そうにレッドは眺めた。
「そうか、だからここも出っ張って…」
サニーの胸元へひょいと伸ばしかけたレッドの手を怒鬼が掴む。
サニーとレッドが不思議そうに怒鬼を見ると、無言のまま首を横に振った。
首をかしげる二人に、彼はサニーの背後を指差した。
「あら、おじ様」
「何だ?俺の分のチョコレートはやらんぞ」
さすがは十傑集というべき素早さでサニーのすぐ後ろへ立った樊瑞は、苦りきった顔でサニーの肩をわずかに自分のほうへ引き寄せた。
「…すまんな、怒鬼」
溜息のように言葉をかけられ、怒鬼はただ頷く。
その様子にレッドは不満げに口を尖らせた。
「なんだ怒鬼、お前の分を樊瑞にやるのか?」
「もう…レッドのお兄様ったら。チョコレートはちゃんと皆さんにお出しします!」
俺が食ってやろうと思っていたのに、と今にもぶーぶー言い出しそうなレッドに負けぬ勢いで唇を尖らせ、サニーが言い返す。
一回り以上年若いレッドと、軽く二回り以上は下のサニーの言い合いに、本当に頭痛がしそうだと樊瑞は思った。
お前は今どこを触ろうとしたのだ、とか。
チョコレートなど好き好んで自分が山ほど食うものか、とか。
どこから収拾をつければいいのか考えるのも嫌になり、樊瑞はその場を放棄した。
「ああもう、いい加減にしなさい。サニー、お茶をいれてくれないか」
ばさり、とピンクのマントをひるがえしサニーの背を押す。
少女は尖らせたままの唇で、それでも「はい、おじ様」と応えた。
「あ、おい、俺にチョコレートを選ばせろ!」
キッチンへ向かうサニーの小さな背中を追って、レッドの赤いマフラーがひらりと舞う。
肩で溜息をつく樊瑞に知らぬふりで怒鬼はソファに落ち着いた。
泰然自若、無言を通す青年は元々そういう性質なのだろうが、どうにも気苦労の増えた樊瑞にとっては羨ましいようにも思える。
何しろ、今この瞬間ですらキッチンで二人きりのレッドが先ほどの続きを始めはしないかと気が気ではない。
もちろん、気が弱い子ではないのだから、もし何かあればサニーは大声を出すだろうが、そんな目に少女が遭う事自体が樊瑞には許せないのだ。
かといって、わざわざ追いかけてレッドを引きずってくるというのも大人げない。ましてや十傑集候補にまでなっているサニーが最低限でも自分の身を守れないようでは困るのだ。
まだ昼前の明るい窓の外は青い空に鳥など鳴いている。
ひとつ首を振り、樊瑞がどさりとソファへ座った。
ごとり、と音を立ててテーブルに日本の酒らしい瓶が置かれる。
詫びの代わりにとでも言いたげに、怒鬼はやはり無言で酒瓶を樊瑞のほうへ押しやった。
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