その日、世界各地に散らばって黒い活動を行っていた十傑集たちは緊急招集を受け、このBF団本部に勢揃いすることとなった。
「進行中の全作戦を一時中断してまでこの招集、納得いかん」
紫煙を吐き出しながらの残月の言葉に、彼と肩を並べて足早に歩くレッドも同感だとばかりにうなずいた。
「私などせっかくF国の機密情報をあと一歩のところで手に入れられるところだったのだ。だいたいあの情報入手は組織にとっても最重要であったはず・・・」
「となると・・・よほどの事、と捉えるべきか」
「ふん、そう願いたいものだな」
薄暗い回廊を抜ければ広大なドーム型の大広間。半球状の天井及び壁面全てにはモニターパネルが隙間無く貼り付けられ、世界各地のBF団の活動状況をライブ映像で確認できる。そこは十傑集たちの主な戦略会議の場でもあり、本部の中枢と言える。
2人は明るいその大広間に足を踏み入れた、すると足元の床が音も振動も無く円柱状に立ち上り2人を先に到着していた8人と同じ目線まで持ち上げた。
「これで10人全員揃ったようだな」
「樊瑞まず説明してもらおうか、作戦を中断してまでの十傑招集とはいったい・・・」
「まぁまて幽鬼、招集の主は私ではない」
「やっぱり策士殿かね、やれやれ・・・」
セルバンテスは首を振ってみせる。
他の面々も少なからず予想していたことだったらしく溜め息をついてみせた。
「これは十傑集の皆様、お忙しい中の速やかなる帰還、ご足労でございましたな」
10人の中央に位置する場所から宙に浮いて下降する円柱状の足場、白面の策士が笑みを浮かべて登場と相成った。
忌々しげに睨み付ける多くの視線を物ともせず、孔明は白羽扇を一度あおぐ。
「私も皆様同様に時間を無駄にするのは好みませぬ故、早速本題に移りましょうか・・・先だってサニー殿から皆様は過分なる贈り物を頂戴したはず」
「うん?バレンタインチョコのことか孔明」
「そうですカワラザキ殿。我らがビッグ・ファイア様もお心の広いお方、子どもからのチョコであろうと喜んでお受け取りになられその味に大変ご満足なさっておられました」
はて、ビッグ・ファイア様は本部の地下深くの場所、睡眠カプセルの中で『その時』が来るまで長い眠りについているはずだが。孔明以外の誰もが突っ込みたかったがその隙を与えず孔明は尚も続ける。
「そこで・・・皆様は明後日が何の日かご存知ですかな?」
「燃えないゴミの日だろう」
レッドの発言に孔明の額に青筋が浮かぶが、かろうじて白羽扇で隠した。
「・・・・ヒィッツカラルド殿、お答え願いたい」
「ホワイトデー・・・か」
「左様!この日がどういう日なのか、聡明なる十傑の皆様ならご存知のはず!」
「知らん」
ほぼ半数の声に(誰かはご想像にお任せ)、膝の力が抜けた孔明は支柱より落ちそうになったが踏ん張りきった。正直頭が痛い、日々熱心に犯罪に手を染めている連中とはいえこうも世間ズレしているとは。
「私は知っているとも、バレンタインでチョコをくれた女性にささやかなお返しをする日だろう。私は当然サニーちゃんにお返しする気満々だからねぇ~」
「セルバンテス殿、貴方・・・また財力にものを言わせてお金で解決ですかな?」
「え?」
「お返しと言ってもどうせ高価な物でも買い与える気でしょうに、島ですか?服ですか?それとも宝石?いずれであっても貴方にとっては息をするよりも造作も無いこと・・・しかし、サニー殿は幼い身でありながらご自分の手であのチョコをお作りになられたのですぞ?しかもたったお一人で相当な数を、そしていっさい手を抜かず贈る者への心配りを込めて」
「う・・・・・・」
珍しく何も言えなくなったセルバンテス。
孔明はぐるりと十傑集たちを見回した。
「皆様もそのことくらいよくおわかりのはず、それに対して金に任せての返礼などとんでもない。心には心で返すのが道理。あのチョコに対する返礼はそれに見合ったものにしなければ十傑の名折れ・・・そこで、ホワイトデーのサニー殿への返礼は『手作り』に限るものとします!!」
「なんと、我にとってこの上なき難題」
「ちょっと待て、お返しは当然だとしても『手作り』とは」
「ふむ、孔明の言うことも最もだ」
「っは、くだらぬ」
様々な反応をを見せる十傑たちの前で孔明は胸を張り、高らかに宣言した。
「全ては、ビッグ・ファイアのご意志である!!!!」
同時に孔明の支柱が浮き上がり「さ、これでお開きですごくろーさん。とっとと帰ってください」と顔に書いて開いた天井の中へと彼は消えていく。
「もしかして、我々はこれだけのために集まったのか・・・?」
「・・・・・・・・・・・・」
呆然と立ち尽くす十傑集。
静まり返る大広間。
アルベルトの問いに誰も答えられなかった・・・。
さて、ビッグ・ファイア様のご意志により(孔明曰く)ホワイトデー当日の明後日までBF団の活動は完全停止することとなった。作戦の総指揮を執り行う多忙な十傑の面々に『手作り』の猶予期間を与えたというわけである。
かくして、世界はホワイトデーまで少しばかり平和となった。
世界は確かに少し平和になったのだが、十傑集たちは普段とは異なる事態に慌てた。もちろん慌てる者と、さして慌てなかった者・・・そして全く慌てない者とそれぞれなのだが。
全く慌てなかった数少ない者の一人、幽鬼は自身が管理する温室にいた。
スーツの上着を脱ぎ、シャツを腕まくりをした彼は腰をかがめてイチゴの収穫を行っていた。足元の籠には既に杏子(あんず)と無花果(いちじく)が入っており、赤いイチゴがその仲間入りとなる。
彼は最初から手作りジャムをお返しにするつもりだったので、孔明の発言に驚くことも頭を悩ますことも無かった。
「しかし幽鬼、お前がジャムなどを作れる男だったとは」
「意外と言いたげだな白昼の。私が厨房に立つ姿を想像できぬだろう?ふふふ」
実は、サニーにかつて「料理の手習い」を勧めたカワラザキは幽鬼が幼い頃にも同様に彼にも勧めていた。理由はやはりサニーの時と同じで『情操教育』の一環と言った方が早いかもしれない。今では趣味のレベルには収まりきらない腕前であったが、その事実を知るものはカワラザキぐらいだろう。
「他の連中には内緒にしておいてくれ、むさい男が手料理を趣味とすると知れれば笑いのネタにされるのが落ちだ」
「笑いのネタなどと・・・私は羨ましいと思うがな」
「そう言われれば悪い気はせんなぁ」
イチゴをひとつ、後ろに立つ残月に投げてよこす。
ところで、何故残月が幽鬼の温室にいるのかというと・・・
「さて、どれを図案にさせてもらおうか」
イチゴを口に入れ、広い温室内を見渡す。無花果の木の後ろにスミレがささやかな存在感で咲いていたのが残月の目に留まった。
繊細かつ優美で知られる仙頭(スワトウ)の真っ白なレースハンカチをサニーへお返しとして贈るつもりだったが、今回の事態、残月はそのハンカチに自らの刺繍の一手間を加えることにした。真っ白なハンカチにスミレの紫色が映えるのを想像しながら彼は刺繍の図案をイメージする。
「こう見えても『針仕事』は得意でな、ふふふ意外だったか?」
「いいや、とんでもない」
幽鬼は腰を上げて苦笑した。
その2人がいる幽鬼の温室から100m離れたところにあるのはヒィッツカラルドが管理する温室。ヒィッツカラルド本人はそこにいた。様々な草木を育てている幽鬼とは違って酒好きの彼がその温室で栽培しているのは原料に使える果実か葡萄の類がほとんどだった・・・・が。
「見事に咲いて手折るのは少々惜しい気もするが」
手折る、と言いつつ彼は指を軽く鳴らす。すると目の前の赤い薔薇が花弁からポトリと頭を落し、それをすかさず手に受け取った。
温室の一番隅、実はそこだけ赤いのと白い薔薇が群生している。彼の執務室に飾られている薔薇はここでこっそり育てていたのだった。こっそり、というのは誰もそのことを知らないだけで、温室内の植物はもっぱら下級エージェントに管理を任せているが、薔薇だけは自分が手をかけ咲かせたと彼が誰にも言ったことが無いからでもある。
「お嬢ちゃんのためだ」
ヒィッツカラルドは薄く笑うと再び指を鳴らし始め、薔薇は次々と頭を落していく。薔薇を何に使うのかというと化粧水やリネンウォーター、香水にも使える無添加のローズウォーターを作るつもりだった。
と、まぁ比較的慌てることもなくすんなりと事を運ばせているのがこの3人。
では他の連中は、というと・・・・。
カワラザキはスーツから作務衣(さむい)に着替えていた。おまけにタオルを頭に巻き、足元も足袋(たび)に履き替えすっかり『職人』の様相。
孔明に疑心と反感を抱いている者のうちの一人の彼だったが、今回に限っては策士の言葉に心動かされた。しかしなかなかサニーを喜ばせられるような「手作り」が思いつかない。そんな彼が年齢を感じさせる両手で掴み取ったのは・・・
「さて、湯のみにするか茶碗にするかそれとも・・・悩むのう」
腰を下ろしていた座布団から少し上半身を浮かせ、両手にある土に体重をかける。リズムに合わせた丹念な「菊練り」はもはや素人の手つきではない。
茶道をたしなむだけでなく茶器も自分で作るカワラザキ。ついには陶芸の趣味が高じて幹部の特権でもって中庭の一部に「作業場」まで作ってしまった。
もちろん焼成するための「窯(かま)」も。
「む、あれに見える白煙は激動大人の窯のもの」
本部の南端にある温室から、茶葉の入った籠を持って出てきた十常寺は目を細めた。
幽鬼、ヒィッツカラルド・・・そしてこの十常寺の3人が十傑集で温室を持つ者たち。しかし、彼の場合その目的は他の二人とは少々異なる。温室内で育てられているのは彼の能力である「道術」「呪術」に使われる植物がほとんどだった。誰も見た事が無い奇妙に捻じ曲がった木や怪しげな香りのする花、中には恐ろしい毒草も混じっているかもしれない。それらを扱えるのは十常寺くらいなもので、BF団の世界最高水準の科学力をもってしても安定した栽培は難しい。
ところが実益ばかりでもなく唯一「趣味」の一角を温室内に設けており、それが茶葉だった。彼は土と水の段階から厳選し完璧な温度管理でこだわりの栽培を行っている。意外に繊細な一面を持ち合わせる彼が作る茶の味は好評で、たまにカワラザキや樊瑞にわけたりもしている。
「サニー嬢に我が茶が受け入れられるや否か・・・されど『ちょこれいと』に報いる術(すべ)は我に是しか無し」
十常寺は大事そうに茶葉が入った籠を抱えなおした。
緊張と静寂の中、墨の香りを血風連A(仮名)はゆっくりと鼻腔より吸い込む。
横に鎮座する血風連B(仮名)の視線は一点に集中し、さらにその後ろの血風連C(仮名)とD(仮名)も息を止め拳を握りなおす。
血風連の中でも代表格のABCDの背後には血風連E~Z、血風連A´(えーだっしゅ)~Z´、血風連あ~(以下略)と・・・怒鬼の執務室に入るだけ汗臭い男どもが入っていた。彼らの視線は怒鬼が手に持つ筆の毛先。うっかりくしゃみなどをして「怒鬼様の神聖なる精神修養」を汚そうものなら他の連中から袋叩きされる緊張で室内はピリピリしている。
その緊張の中、室内の中央にいる怒鬼は右腕を躍動させるように大きく払った。
「おお!さすが怒鬼様。見事でございます」
「書は体を現すと申しますが、まさにそれ」
「怒鬼様の人となりが書に現れておりまする」
「これならサニー様もお喜びになられるでしょう」
ABCDは力強く頷き合う。
茶もたしなめば書も得意とする怒鬼、サニーに渾身の作を贈るべくかれこれ100枚近い作品がそこらじゅうに散乱していた。その中から最も出来のいい3枚を取り出し、彼は1枚に絞るべくをおもむろに腕を組んで見定める。
『現金払い』
『根性』
『人生劇場』
達筆なのは一目瞭然なのだが、いったい・・・何を考えてのこの言葉なのかは怒鬼本人に聞くべきところだろう。
「ううむ、いずれも見事な出来栄え。言葉も含蓄溢れるものとなれば悩みまするなぁ」
血風連の多数決によりサニーに贈る1枚は『根性』となった。
以上
頭を少々悩ませるも『手作り』の品が決まったのだ。
それにしても、彼らたちは意外なことに『生産的』な趣味を持ち合わせていた。
破壊と収奪、そして血なま臭い行いを常にし何も生み出すことはない彼ら。
全てはビッグ・ファイアの御為ではあるが彼らが死んだところで残るものは何も無い。
もしかしたらその心の隙間に存在する虚しさを少しでも埋めようとしているのか。
一方で反対に完全無趣味の男が。
「贈り物をせねばならん、とは言ってなかったはずだ。あのガキに何かくれてやるつもりなどない私には関係の無いこと。貴様らは勝手にやっていろ私は知らぬ」
そう吐き捨てるとレッドはその日を境にどこかに姿をくらませた。
残る十傑は例の3名。
話はいよいよ本題に入る。
万年常夏カーニバルの男、セルバンテスに冬が到来していた。
「はぁ~~~~・・・・・・」
長い長い溜め息は魂がそのまま吐き出されるような沈痛さ。
どんよりと今にも雨が振り出しそうなしみったれた雲を背負って、周囲に「陰鬱」の気配を押し付ける。周囲といってもアルベルトの屋敷の応接間、そこにいるのはアルベルトと樊瑞だけであるが。
舌戦では引けをとらない彼だったが、今回に限って孔明の言葉に何も言い返せなかったのがよほどのショックだったらしい。
「わざわざ私の屋敷に来て落ち込むな、見苦しい」
「アルベルト、私はダメな男だ・・・」
「ああ、そうだな」
「お金でなんでもどうにかしようとする貧しい心の持ち主だ」
「それくらい知っている」
「こんなにお金を持っていても、サニーちゃんからの心のこもった贈り物に見合うお返しを持ち合わせていないなんて・・・はぁ」
「どうしたセルバンテスお主らしくもない、そうはいうが金も大事だぞ?それにお主から金を取ったら何が残るというのだ、何も残るまい?」
樊瑞からの言葉はアルベルトの辛らつなものより相当キツかったらしく、彼から優しく肩を叩かれたセルバンテスはソファの上で膝を抱え、いよいよ雲を厚くする。吐いた本人に悪気が一切無いぶん受けたダメージが深刻だった。
「ええい!鬱陶しい!!だからどうしてわざわざ私の屋敷に貴様らが来るのだっ」
「そうカッカするなアルベルト。我々が用があるのはお主ではない、ほらお主が可愛がっているB級エージェントの・・・イワンとか言ったか、あの男に用があるのだ」
「別に可愛がってはおらん、それにイワンは今は忙しい」
「なぜだ?組織の活動は完全停止しているはずだぞ?」
「厨房でクッキーを焼いている、例のなんとかデーのためだとか言ってな」
鬱々としていたセルバンテスがはっとした表情で樊瑞と顔を見合わせる。そしてお互いに何か通じ合うものがあったのか強く頷き合うと2人は一目散に厨房へ駆け出していった。
一人アルベルトは我関せずの態度で葉巻に歯を立て、新聞を広げた。
「イ・ワ・ンくぅ~ん」
常夏に戻ったセルバンテスは愛しげにイワンのスキンヘッドに頬擦りする。
一方樊瑞はガシッっと彼の両手を握り締め熱い視線を傾ける。
そしてイワンは悪寒で動けない。
「わわ、わ、私に何か御用でしょうか」
「うむ!中々察しが良いではないか、さすが衝撃が認める男だけのことはある」
「そうだとも、イワン君は最高のB級エージェントだものねぇ、ふふふ」
足元で地獄が口を広げているような寒気を、イワンは確かに感じた。
「イワン君はすごいよ、クッキー作れるんだもの私は尊敬するなぁ」
「クッキー作りは立派な特殊能力だ、十傑候補として私がA級昇進の推薦をしよう」
「いえ、謹んでお断りいたします・・・」
仕事と自分に生真面目な樊瑞は趣味を持とうと考えた事も無く、本人曰く「無趣味の面白みの無い男だ」と自分のことを評する。しかし、「サニーを育て上げる」こと自体が彼の人生で最大かつ「人としての幸福な生産的行為」でありそのお陰で彼自身心が満たされ趣味によりどころを求める必要が無かっただけだった。
もう一人のセルバンテスに至っては、お金で手に入れられない物は無く、人の心もその気になれば能力でもって誑かし(たぶらかし)自分の都合の良いように意のままに操れる。おかげで自分を満たそうと思えばいくらでも満たせるのだが、返って虚しさが膨らむ悪循環。いつまでたっても埋められない虚しさと同居する彼にご趣味は?と問えば「サニーちゃんとアルベルトだよ」と彼は笑うかもしれない。
基本的に自分で何かを作る、ということを普段しつけないがためにサニーへの手作りプレゼントにはほとほと頭を悩ませた2人だった。
「クッキーを・・・お2人にこの私が作り方をお教えするのですか?」
「そうだ。恥ずかしいことに我々2人はその・・・こういうことには非常に疎くてな。ホワイトデーではクッキーやら飴玉やらをお返しにしても良いのであろう?しかし厨房に立つことも包丁を持つことも無い我々がそんな物を作れるわけがない」
「そこでイワン大先生にお願いというわけなのだよ。作り方教えてくれないかねぇ」
「はぁ・・・・」
泣く子も黙る十傑集が2人も腰を低くして自分に懇願する様は、イワンにとって心地よいどころか気味が悪かった。
「私のようなものでお力になれるのでしたら喜んで・・・」
その言葉に2人はよし、とばかりにトレードマークのマントとクフィーヤを脱ぐとそれを大きく翻した。するとそれぞれの色のエプロンと化し、2人は嬉しげにいそいそと身に着けた。
「こう見えてもな、仙人修行時代は野宿がほとんど。今でこそ厨房などに立たぬが蛇やウサギぐらいはさばけるぞ?あれは血をよく抜いてしっかり焼かねば臭みがなぁ」
「あの・・・クッキーに蛇やウサギは使いませんので」
「私はねぇ自慢じゃないけどなーんにもできないから、ははははは」
「・・・・・・・・・」
論外だった。
まるきし役に立たない男2人に卵の割り方から教えることから始まった。
まだサニーの方が飲み込みが早かったとイワンは思うが、相手が相手だけに勤めて心を穏やかに保ちながら指導をつづける。
「そういえばアルベルトはサニーちゃんに何か作ってあげるのかね?」
「いえ、私は何も聞き及んでおりませんが」
「あやつめ、よもやサニーに何もお返ししないと言うのではないだろうな・・・ああ!セルバンテスそれは砂糖ではない塩だ!」
「早く言ってくれたまえよ!入れちゃったじゃないか」
何度も失敗を重ねた末、どうにかこうにか「食べられる」クッキーが出来上がり、2人は大満足のままにアルベルトの屋敷をあとにする。イワンも戦場跡のような厨房を綺麗に片付け・・・
「それではアルベルト様、私はこれで失礼いたします」
「うむ」
イワンが帰ったのを確認してアルベルトはようやく腰を上げた。
趣味:戦うこと
何も生み出さない最も非生産的行為を趣味とする男がここにいる。
厨房の調味料を入れる棚の横にある「だれでもかんたんに作れるクッキー」の本。
イワンがサニーのために常備してある子ども向けの本だ。
苦々しげな顔しながら手に取ったのは黒いエプロンを身に着けたアルベルト。
「くそ、なぜ私がこんなことをせねばならんのだ」
じゃあ、しなきゃいいじゃん。と誰か突っ込もうならどうなるか、幸いココには彼以外に誰もいなかったから被害者は出なかったが・・・そう、誰もいないはずだったのだ。
「アルベルト様・・・何を?」
忘れ物を取りに戻ったイワンが見たのは、いるはずの無い厨房に立つ主人の見慣れない格好と、手に持つことは絶対に無いであろう本。
「もしかしてサニー様にクッキーを・・・」
「イワン」
瞬歩、というやつだった。
それはB級やA級も凌駕する人間離れした身体能力を有する十傑集の動き。
イワンが瞬きをした瞬間、彼の目と鼻の先に鬼のような顔をした男が立っていた。
「あ、あるべると様・・・」
「イワン、お前が有能なのは口が軽くないということも含めての評価だ」
「は・・・はい」
「 わ か っ て い る な 」
「は・・・・・・・・い」
サニーがホワイトデーというものを知ったのは、一番最初に幽鬼から手作りジャムを手渡されてから。
「え、幽鬼様がこれをお作りに?」
「ふふ、お嬢ちゃんへのお返しに見合えばいいのだが」
「こんな・・・私のために・・・ありがとうございます幽鬼様」
それは三種類のジャムが瓶詰めされ、綺麗にラッピングまでされている。カワラザキからは小ぶりの茶碗と大きめの茶碗の一対。「せっかくだから樊瑞のも作ってみたのだよ」と言われてもらった。残月からは見事な花の刺繍が施されたレースハンカチ、ヒィッツカラルドからは手の甲へのキスとともに香水瓶に入ったローズウォーター、十常寺からは茶壷に入った香り豊かな特級茶葉、怒鬼からは漢字が苦手なためその意味がわからないが額に入れられた見事な書。
おまけにアキレスからどうやって作ったかは謎のキャンディ、イワンから10種類の詰め合わせクッキーに孔明からは手編みのブランケット。そして
「これはビッグ・ファイア様よりサニー殿へとのことです」
それは美しい水色ビーズ細工の蝶のブローチだった。
「皆様、お忙しいのに・・・」
サニーは次々と樊瑞の屋敷へと訪れる十傑たちから手渡された「手作り」の品を丁寧に部屋に並べた。自分のために時間と手間をかけて作ってくれた心のこもった贈り物に心から感激したのか、少し涙が出そうだった。
「サニー入ってもよいか?」
ノックされたドアの向こうから樊瑞の声、サニーはドアを開けた。
「おお、たくさん皆からもらったな」
「はい、皆様には本当にどうお礼を申し上げれば・・・」
「これはなサニー、お前へのお礼なのだ。ありがたく受け取っておきなさい」
樊瑞の背後からもう一人、セルバンテスがひょっこり顔を覗かせる。
「サニーちゃん、私からのも受け取ってくれるかね?」
スーツの胸元から取り出したのはいびつな形のクッキーが5枚入ったラミネート袋。さんざん失敗作を積み上げてどうにか形になったのがこのの5枚だけだったのだ。
「私も、その・・・作ってみたのだ」
樊瑞も同じ数のいびつな形のクッキーで、サニーは2人からそれを受け取った。
「・・・・・・・・・」
「ん?どうしたサニー」
顔を俯かせて無言になってしまったのにいぶかしむ。
「ごめんよ、こんなかっこ悪い形のクッキーで・・・」
途端、サニーはセルバンテスに抱きついた。横にいた樊瑞はどうして抱きつくのが自分でないのかちょっぴり納得いかなかったが今はそんなことを言っている時ではない。
サニーは感激のあまり泣き出してしまった。
「サニーちゃんがこんなに喜んでくれて・・・ああ、手作りにして本当に良かった」
そういってサニーを優しく抱きしめるセルバンテスに虚しさは・・・無かった。
ホワイトデーもあと一時間で終わる深夜。
サニーが幸せに包まれて安らかに眠る寝室の壁より不審な影がにじみ出る。
「ふん、随分ともらいおって」
影は直ぐに赤い仮面をつけた人の形になった。
レッドは机の上に置いてあるい様々な品物の中からびつな形のクッキーを見つけると、当然のように摘んで食べようとしたが・・・
「・・・・・」
サニーの幸せそうな寝顔を見て止めた。
周囲を見渡しベッドサイドのテーブルにガーベラが一輪飾られているのを見つけると、スーツの胸元からなにやら取り出し花瓶にそれを押し込んだ。
レッドは再び影と化して壁に溶け込もうとしたが・・・別の気配を感じた。
窓の方を見れば何者かが二階にも関わらずそこから入ってきた。
-----ん?あれは・・・・
その不審者はほとんど影と同化して気配が死んでいるためにレッドに気づかないのか、誰もいないものとして大股で眠るサニーへと歩み寄る。身体をかがめてサニーの頭を撫でるのが暗い部屋でも良くわかった。
不審者もまた胸元から何か取り出すと、サニーの枕元に置く。
「味の保証はできんからな」
再びサニーの頭を撫でた時、一瞬だけ雲間から覗いた月明かりに照らされ浮かび上がった不審者の表情。それは一度も見たことも無いもので、レッドは妙な気分になる。
不審者は来た時と同じように窓から出て行った。
そしてレッドもまた、何も見なかった事にして壁の中へと消えていった。
サニーが目を覚ましてまず目に入ってきたのは枕元にあった焦げが少しついた5枚のクッキーが入った袋だった。目を丸くしてそれを見つめる彼女の横では、ベッドサイドのテーブルの上で赤いリボンが巻かれた摘みたての野菊の花束が一輪のガーベラを窮屈そうに押しやっていた。
END
「進行中の全作戦を一時中断してまでこの招集、納得いかん」
紫煙を吐き出しながらの残月の言葉に、彼と肩を並べて足早に歩くレッドも同感だとばかりにうなずいた。
「私などせっかくF国の機密情報をあと一歩のところで手に入れられるところだったのだ。だいたいあの情報入手は組織にとっても最重要であったはず・・・」
「となると・・・よほどの事、と捉えるべきか」
「ふん、そう願いたいものだな」
薄暗い回廊を抜ければ広大なドーム型の大広間。半球状の天井及び壁面全てにはモニターパネルが隙間無く貼り付けられ、世界各地のBF団の活動状況をライブ映像で確認できる。そこは十傑集たちの主な戦略会議の場でもあり、本部の中枢と言える。
2人は明るいその大広間に足を踏み入れた、すると足元の床が音も振動も無く円柱状に立ち上り2人を先に到着していた8人と同じ目線まで持ち上げた。
「これで10人全員揃ったようだな」
「樊瑞まず説明してもらおうか、作戦を中断してまでの十傑招集とはいったい・・・」
「まぁまて幽鬼、招集の主は私ではない」
「やっぱり策士殿かね、やれやれ・・・」
セルバンテスは首を振ってみせる。
他の面々も少なからず予想していたことだったらしく溜め息をついてみせた。
「これは十傑集の皆様、お忙しい中の速やかなる帰還、ご足労でございましたな」
10人の中央に位置する場所から宙に浮いて下降する円柱状の足場、白面の策士が笑みを浮かべて登場と相成った。
忌々しげに睨み付ける多くの視線を物ともせず、孔明は白羽扇を一度あおぐ。
「私も皆様同様に時間を無駄にするのは好みませぬ故、早速本題に移りましょうか・・・先だってサニー殿から皆様は過分なる贈り物を頂戴したはず」
「うん?バレンタインチョコのことか孔明」
「そうですカワラザキ殿。我らがビッグ・ファイア様もお心の広いお方、子どもからのチョコであろうと喜んでお受け取りになられその味に大変ご満足なさっておられました」
はて、ビッグ・ファイア様は本部の地下深くの場所、睡眠カプセルの中で『その時』が来るまで長い眠りについているはずだが。孔明以外の誰もが突っ込みたかったがその隙を与えず孔明は尚も続ける。
「そこで・・・皆様は明後日が何の日かご存知ですかな?」
「燃えないゴミの日だろう」
レッドの発言に孔明の額に青筋が浮かぶが、かろうじて白羽扇で隠した。
「・・・・ヒィッツカラルド殿、お答え願いたい」
「ホワイトデー・・・か」
「左様!この日がどういう日なのか、聡明なる十傑の皆様ならご存知のはず!」
「知らん」
ほぼ半数の声に(誰かはご想像にお任せ)、膝の力が抜けた孔明は支柱より落ちそうになったが踏ん張りきった。正直頭が痛い、日々熱心に犯罪に手を染めている連中とはいえこうも世間ズレしているとは。
「私は知っているとも、バレンタインでチョコをくれた女性にささやかなお返しをする日だろう。私は当然サニーちゃんにお返しする気満々だからねぇ~」
「セルバンテス殿、貴方・・・また財力にものを言わせてお金で解決ですかな?」
「え?」
「お返しと言ってもどうせ高価な物でも買い与える気でしょうに、島ですか?服ですか?それとも宝石?いずれであっても貴方にとっては息をするよりも造作も無いこと・・・しかし、サニー殿は幼い身でありながらご自分の手であのチョコをお作りになられたのですぞ?しかもたったお一人で相当な数を、そしていっさい手を抜かず贈る者への心配りを込めて」
「う・・・・・・」
珍しく何も言えなくなったセルバンテス。
孔明はぐるりと十傑集たちを見回した。
「皆様もそのことくらいよくおわかりのはず、それに対して金に任せての返礼などとんでもない。心には心で返すのが道理。あのチョコに対する返礼はそれに見合ったものにしなければ十傑の名折れ・・・そこで、ホワイトデーのサニー殿への返礼は『手作り』に限るものとします!!」
「なんと、我にとってこの上なき難題」
「ちょっと待て、お返しは当然だとしても『手作り』とは」
「ふむ、孔明の言うことも最もだ」
「っは、くだらぬ」
様々な反応をを見せる十傑たちの前で孔明は胸を張り、高らかに宣言した。
「全ては、ビッグ・ファイアのご意志である!!!!」
同時に孔明の支柱が浮き上がり「さ、これでお開きですごくろーさん。とっとと帰ってください」と顔に書いて開いた天井の中へと彼は消えていく。
「もしかして、我々はこれだけのために集まったのか・・・?」
「・・・・・・・・・・・・」
呆然と立ち尽くす十傑集。
静まり返る大広間。
アルベルトの問いに誰も答えられなかった・・・。
さて、ビッグ・ファイア様のご意志により(孔明曰く)ホワイトデー当日の明後日までBF団の活動は完全停止することとなった。作戦の総指揮を執り行う多忙な十傑の面々に『手作り』の猶予期間を与えたというわけである。
かくして、世界はホワイトデーまで少しばかり平和となった。
世界は確かに少し平和になったのだが、十傑集たちは普段とは異なる事態に慌てた。もちろん慌てる者と、さして慌てなかった者・・・そして全く慌てない者とそれぞれなのだが。
全く慌てなかった数少ない者の一人、幽鬼は自身が管理する温室にいた。
スーツの上着を脱ぎ、シャツを腕まくりをした彼は腰をかがめてイチゴの収穫を行っていた。足元の籠には既に杏子(あんず)と無花果(いちじく)が入っており、赤いイチゴがその仲間入りとなる。
彼は最初から手作りジャムをお返しにするつもりだったので、孔明の発言に驚くことも頭を悩ますことも無かった。
「しかし幽鬼、お前がジャムなどを作れる男だったとは」
「意外と言いたげだな白昼の。私が厨房に立つ姿を想像できぬだろう?ふふふ」
実は、サニーにかつて「料理の手習い」を勧めたカワラザキは幽鬼が幼い頃にも同様に彼にも勧めていた。理由はやはりサニーの時と同じで『情操教育』の一環と言った方が早いかもしれない。今では趣味のレベルには収まりきらない腕前であったが、その事実を知るものはカワラザキぐらいだろう。
「他の連中には内緒にしておいてくれ、むさい男が手料理を趣味とすると知れれば笑いのネタにされるのが落ちだ」
「笑いのネタなどと・・・私は羨ましいと思うがな」
「そう言われれば悪い気はせんなぁ」
イチゴをひとつ、後ろに立つ残月に投げてよこす。
ところで、何故残月が幽鬼の温室にいるのかというと・・・
「さて、どれを図案にさせてもらおうか」
イチゴを口に入れ、広い温室内を見渡す。無花果の木の後ろにスミレがささやかな存在感で咲いていたのが残月の目に留まった。
繊細かつ優美で知られる仙頭(スワトウ)の真っ白なレースハンカチをサニーへお返しとして贈るつもりだったが、今回の事態、残月はそのハンカチに自らの刺繍の一手間を加えることにした。真っ白なハンカチにスミレの紫色が映えるのを想像しながら彼は刺繍の図案をイメージする。
「こう見えても『針仕事』は得意でな、ふふふ意外だったか?」
「いいや、とんでもない」
幽鬼は腰を上げて苦笑した。
その2人がいる幽鬼の温室から100m離れたところにあるのはヒィッツカラルドが管理する温室。ヒィッツカラルド本人はそこにいた。様々な草木を育てている幽鬼とは違って酒好きの彼がその温室で栽培しているのは原料に使える果実か葡萄の類がほとんどだった・・・・が。
「見事に咲いて手折るのは少々惜しい気もするが」
手折る、と言いつつ彼は指を軽く鳴らす。すると目の前の赤い薔薇が花弁からポトリと頭を落し、それをすかさず手に受け取った。
温室の一番隅、実はそこだけ赤いのと白い薔薇が群生している。彼の執務室に飾られている薔薇はここでこっそり育てていたのだった。こっそり、というのは誰もそのことを知らないだけで、温室内の植物はもっぱら下級エージェントに管理を任せているが、薔薇だけは自分が手をかけ咲かせたと彼が誰にも言ったことが無いからでもある。
「お嬢ちゃんのためだ」
ヒィッツカラルドは薄く笑うと再び指を鳴らし始め、薔薇は次々と頭を落していく。薔薇を何に使うのかというと化粧水やリネンウォーター、香水にも使える無添加のローズウォーターを作るつもりだった。
と、まぁ比較的慌てることもなくすんなりと事を運ばせているのがこの3人。
では他の連中は、というと・・・・。
カワラザキはスーツから作務衣(さむい)に着替えていた。おまけにタオルを頭に巻き、足元も足袋(たび)に履き替えすっかり『職人』の様相。
孔明に疑心と反感を抱いている者のうちの一人の彼だったが、今回に限っては策士の言葉に心動かされた。しかしなかなかサニーを喜ばせられるような「手作り」が思いつかない。そんな彼が年齢を感じさせる両手で掴み取ったのは・・・
「さて、湯のみにするか茶碗にするかそれとも・・・悩むのう」
腰を下ろしていた座布団から少し上半身を浮かせ、両手にある土に体重をかける。リズムに合わせた丹念な「菊練り」はもはや素人の手つきではない。
茶道をたしなむだけでなく茶器も自分で作るカワラザキ。ついには陶芸の趣味が高じて幹部の特権でもって中庭の一部に「作業場」まで作ってしまった。
もちろん焼成するための「窯(かま)」も。
「む、あれに見える白煙は激動大人の窯のもの」
本部の南端にある温室から、茶葉の入った籠を持って出てきた十常寺は目を細めた。
幽鬼、ヒィッツカラルド・・・そしてこの十常寺の3人が十傑集で温室を持つ者たち。しかし、彼の場合その目的は他の二人とは少々異なる。温室内で育てられているのは彼の能力である「道術」「呪術」に使われる植物がほとんどだった。誰も見た事が無い奇妙に捻じ曲がった木や怪しげな香りのする花、中には恐ろしい毒草も混じっているかもしれない。それらを扱えるのは十常寺くらいなもので、BF団の世界最高水準の科学力をもってしても安定した栽培は難しい。
ところが実益ばかりでもなく唯一「趣味」の一角を温室内に設けており、それが茶葉だった。彼は土と水の段階から厳選し完璧な温度管理でこだわりの栽培を行っている。意外に繊細な一面を持ち合わせる彼が作る茶の味は好評で、たまにカワラザキや樊瑞にわけたりもしている。
「サニー嬢に我が茶が受け入れられるや否か・・・されど『ちょこれいと』に報いる術(すべ)は我に是しか無し」
十常寺は大事そうに茶葉が入った籠を抱えなおした。
緊張と静寂の中、墨の香りを血風連A(仮名)はゆっくりと鼻腔より吸い込む。
横に鎮座する血風連B(仮名)の視線は一点に集中し、さらにその後ろの血風連C(仮名)とD(仮名)も息を止め拳を握りなおす。
血風連の中でも代表格のABCDの背後には血風連E~Z、血風連A´(えーだっしゅ)~Z´、血風連あ~(以下略)と・・・怒鬼の執務室に入るだけ汗臭い男どもが入っていた。彼らの視線は怒鬼が手に持つ筆の毛先。うっかりくしゃみなどをして「怒鬼様の神聖なる精神修養」を汚そうものなら他の連中から袋叩きされる緊張で室内はピリピリしている。
その緊張の中、室内の中央にいる怒鬼は右腕を躍動させるように大きく払った。
「おお!さすが怒鬼様。見事でございます」
「書は体を現すと申しますが、まさにそれ」
「怒鬼様の人となりが書に現れておりまする」
「これならサニー様もお喜びになられるでしょう」
ABCDは力強く頷き合う。
茶もたしなめば書も得意とする怒鬼、サニーに渾身の作を贈るべくかれこれ100枚近い作品がそこらじゅうに散乱していた。その中から最も出来のいい3枚を取り出し、彼は1枚に絞るべくをおもむろに腕を組んで見定める。
『現金払い』
『根性』
『人生劇場』
達筆なのは一目瞭然なのだが、いったい・・・何を考えてのこの言葉なのかは怒鬼本人に聞くべきところだろう。
「ううむ、いずれも見事な出来栄え。言葉も含蓄溢れるものとなれば悩みまするなぁ」
血風連の多数決によりサニーに贈る1枚は『根性』となった。
以上
頭を少々悩ませるも『手作り』の品が決まったのだ。
それにしても、彼らたちは意外なことに『生産的』な趣味を持ち合わせていた。
破壊と収奪、そして血なま臭い行いを常にし何も生み出すことはない彼ら。
全てはビッグ・ファイアの御為ではあるが彼らが死んだところで残るものは何も無い。
もしかしたらその心の隙間に存在する虚しさを少しでも埋めようとしているのか。
一方で反対に完全無趣味の男が。
「贈り物をせねばならん、とは言ってなかったはずだ。あのガキに何かくれてやるつもりなどない私には関係の無いこと。貴様らは勝手にやっていろ私は知らぬ」
そう吐き捨てるとレッドはその日を境にどこかに姿をくらませた。
残る十傑は例の3名。
話はいよいよ本題に入る。
万年常夏カーニバルの男、セルバンテスに冬が到来していた。
「はぁ~~~~・・・・・・」
長い長い溜め息は魂がそのまま吐き出されるような沈痛さ。
どんよりと今にも雨が振り出しそうなしみったれた雲を背負って、周囲に「陰鬱」の気配を押し付ける。周囲といってもアルベルトの屋敷の応接間、そこにいるのはアルベルトと樊瑞だけであるが。
舌戦では引けをとらない彼だったが、今回に限って孔明の言葉に何も言い返せなかったのがよほどのショックだったらしい。
「わざわざ私の屋敷に来て落ち込むな、見苦しい」
「アルベルト、私はダメな男だ・・・」
「ああ、そうだな」
「お金でなんでもどうにかしようとする貧しい心の持ち主だ」
「それくらい知っている」
「こんなにお金を持っていても、サニーちゃんからの心のこもった贈り物に見合うお返しを持ち合わせていないなんて・・・はぁ」
「どうしたセルバンテスお主らしくもない、そうはいうが金も大事だぞ?それにお主から金を取ったら何が残るというのだ、何も残るまい?」
樊瑞からの言葉はアルベルトの辛らつなものより相当キツかったらしく、彼から優しく肩を叩かれたセルバンテスはソファの上で膝を抱え、いよいよ雲を厚くする。吐いた本人に悪気が一切無いぶん受けたダメージが深刻だった。
「ええい!鬱陶しい!!だからどうしてわざわざ私の屋敷に貴様らが来るのだっ」
「そうカッカするなアルベルト。我々が用があるのはお主ではない、ほらお主が可愛がっているB級エージェントの・・・イワンとか言ったか、あの男に用があるのだ」
「別に可愛がってはおらん、それにイワンは今は忙しい」
「なぜだ?組織の活動は完全停止しているはずだぞ?」
「厨房でクッキーを焼いている、例のなんとかデーのためだとか言ってな」
鬱々としていたセルバンテスがはっとした表情で樊瑞と顔を見合わせる。そしてお互いに何か通じ合うものがあったのか強く頷き合うと2人は一目散に厨房へ駆け出していった。
一人アルベルトは我関せずの態度で葉巻に歯を立て、新聞を広げた。
「イ・ワ・ンくぅ~ん」
常夏に戻ったセルバンテスは愛しげにイワンのスキンヘッドに頬擦りする。
一方樊瑞はガシッっと彼の両手を握り締め熱い視線を傾ける。
そしてイワンは悪寒で動けない。
「わわ、わ、私に何か御用でしょうか」
「うむ!中々察しが良いではないか、さすが衝撃が認める男だけのことはある」
「そうだとも、イワン君は最高のB級エージェントだものねぇ、ふふふ」
足元で地獄が口を広げているような寒気を、イワンは確かに感じた。
「イワン君はすごいよ、クッキー作れるんだもの私は尊敬するなぁ」
「クッキー作りは立派な特殊能力だ、十傑候補として私がA級昇進の推薦をしよう」
「いえ、謹んでお断りいたします・・・」
仕事と自分に生真面目な樊瑞は趣味を持とうと考えた事も無く、本人曰く「無趣味の面白みの無い男だ」と自分のことを評する。しかし、「サニーを育て上げる」こと自体が彼の人生で最大かつ「人としての幸福な生産的行為」でありそのお陰で彼自身心が満たされ趣味によりどころを求める必要が無かっただけだった。
もう一人のセルバンテスに至っては、お金で手に入れられない物は無く、人の心もその気になれば能力でもって誑かし(たぶらかし)自分の都合の良いように意のままに操れる。おかげで自分を満たそうと思えばいくらでも満たせるのだが、返って虚しさが膨らむ悪循環。いつまでたっても埋められない虚しさと同居する彼にご趣味は?と問えば「サニーちゃんとアルベルトだよ」と彼は笑うかもしれない。
基本的に自分で何かを作る、ということを普段しつけないがためにサニーへの手作りプレゼントにはほとほと頭を悩ませた2人だった。
「クッキーを・・・お2人にこの私が作り方をお教えするのですか?」
「そうだ。恥ずかしいことに我々2人はその・・・こういうことには非常に疎くてな。ホワイトデーではクッキーやら飴玉やらをお返しにしても良いのであろう?しかし厨房に立つことも包丁を持つことも無い我々がそんな物を作れるわけがない」
「そこでイワン大先生にお願いというわけなのだよ。作り方教えてくれないかねぇ」
「はぁ・・・・」
泣く子も黙る十傑集が2人も腰を低くして自分に懇願する様は、イワンにとって心地よいどころか気味が悪かった。
「私のようなものでお力になれるのでしたら喜んで・・・」
その言葉に2人はよし、とばかりにトレードマークのマントとクフィーヤを脱ぐとそれを大きく翻した。するとそれぞれの色のエプロンと化し、2人は嬉しげにいそいそと身に着けた。
「こう見えてもな、仙人修行時代は野宿がほとんど。今でこそ厨房などに立たぬが蛇やウサギぐらいはさばけるぞ?あれは血をよく抜いてしっかり焼かねば臭みがなぁ」
「あの・・・クッキーに蛇やウサギは使いませんので」
「私はねぇ自慢じゃないけどなーんにもできないから、ははははは」
「・・・・・・・・・」
論外だった。
まるきし役に立たない男2人に卵の割り方から教えることから始まった。
まだサニーの方が飲み込みが早かったとイワンは思うが、相手が相手だけに勤めて心を穏やかに保ちながら指導をつづける。
「そういえばアルベルトはサニーちゃんに何か作ってあげるのかね?」
「いえ、私は何も聞き及んでおりませんが」
「あやつめ、よもやサニーに何もお返ししないと言うのではないだろうな・・・ああ!セルバンテスそれは砂糖ではない塩だ!」
「早く言ってくれたまえよ!入れちゃったじゃないか」
何度も失敗を重ねた末、どうにかこうにか「食べられる」クッキーが出来上がり、2人は大満足のままにアルベルトの屋敷をあとにする。イワンも戦場跡のような厨房を綺麗に片付け・・・
「それではアルベルト様、私はこれで失礼いたします」
「うむ」
イワンが帰ったのを確認してアルベルトはようやく腰を上げた。
趣味:戦うこと
何も生み出さない最も非生産的行為を趣味とする男がここにいる。
厨房の調味料を入れる棚の横にある「だれでもかんたんに作れるクッキー」の本。
イワンがサニーのために常備してある子ども向けの本だ。
苦々しげな顔しながら手に取ったのは黒いエプロンを身に着けたアルベルト。
「くそ、なぜ私がこんなことをせねばならんのだ」
じゃあ、しなきゃいいじゃん。と誰か突っ込もうならどうなるか、幸いココには彼以外に誰もいなかったから被害者は出なかったが・・・そう、誰もいないはずだったのだ。
「アルベルト様・・・何を?」
忘れ物を取りに戻ったイワンが見たのは、いるはずの無い厨房に立つ主人の見慣れない格好と、手に持つことは絶対に無いであろう本。
「もしかしてサニー様にクッキーを・・・」
「イワン」
瞬歩、というやつだった。
それはB級やA級も凌駕する人間離れした身体能力を有する十傑集の動き。
イワンが瞬きをした瞬間、彼の目と鼻の先に鬼のような顔をした男が立っていた。
「あ、あるべると様・・・」
「イワン、お前が有能なのは口が軽くないということも含めての評価だ」
「は・・・はい」
「 わ か っ て い る な 」
「は・・・・・・・・い」
サニーがホワイトデーというものを知ったのは、一番最初に幽鬼から手作りジャムを手渡されてから。
「え、幽鬼様がこれをお作りに?」
「ふふ、お嬢ちゃんへのお返しに見合えばいいのだが」
「こんな・・・私のために・・・ありがとうございます幽鬼様」
それは三種類のジャムが瓶詰めされ、綺麗にラッピングまでされている。カワラザキからは小ぶりの茶碗と大きめの茶碗の一対。「せっかくだから樊瑞のも作ってみたのだよ」と言われてもらった。残月からは見事な花の刺繍が施されたレースハンカチ、ヒィッツカラルドからは手の甲へのキスとともに香水瓶に入ったローズウォーター、十常寺からは茶壷に入った香り豊かな特級茶葉、怒鬼からは漢字が苦手なためその意味がわからないが額に入れられた見事な書。
おまけにアキレスからどうやって作ったかは謎のキャンディ、イワンから10種類の詰め合わせクッキーに孔明からは手編みのブランケット。そして
「これはビッグ・ファイア様よりサニー殿へとのことです」
それは美しい水色ビーズ細工の蝶のブローチだった。
「皆様、お忙しいのに・・・」
サニーは次々と樊瑞の屋敷へと訪れる十傑たちから手渡された「手作り」の品を丁寧に部屋に並べた。自分のために時間と手間をかけて作ってくれた心のこもった贈り物に心から感激したのか、少し涙が出そうだった。
「サニー入ってもよいか?」
ノックされたドアの向こうから樊瑞の声、サニーはドアを開けた。
「おお、たくさん皆からもらったな」
「はい、皆様には本当にどうお礼を申し上げれば・・・」
「これはなサニー、お前へのお礼なのだ。ありがたく受け取っておきなさい」
樊瑞の背後からもう一人、セルバンテスがひょっこり顔を覗かせる。
「サニーちゃん、私からのも受け取ってくれるかね?」
スーツの胸元から取り出したのはいびつな形のクッキーが5枚入ったラミネート袋。さんざん失敗作を積み上げてどうにか形になったのがこのの5枚だけだったのだ。
「私も、その・・・作ってみたのだ」
樊瑞も同じ数のいびつな形のクッキーで、サニーは2人からそれを受け取った。
「・・・・・・・・・」
「ん?どうしたサニー」
顔を俯かせて無言になってしまったのにいぶかしむ。
「ごめんよ、こんなかっこ悪い形のクッキーで・・・」
途端、サニーはセルバンテスに抱きついた。横にいた樊瑞はどうして抱きつくのが自分でないのかちょっぴり納得いかなかったが今はそんなことを言っている時ではない。
サニーは感激のあまり泣き出してしまった。
「サニーちゃんがこんなに喜んでくれて・・・ああ、手作りにして本当に良かった」
そういってサニーを優しく抱きしめるセルバンテスに虚しさは・・・無かった。
ホワイトデーもあと一時間で終わる深夜。
サニーが幸せに包まれて安らかに眠る寝室の壁より不審な影がにじみ出る。
「ふん、随分ともらいおって」
影は直ぐに赤い仮面をつけた人の形になった。
レッドは机の上に置いてあるい様々な品物の中からびつな形のクッキーを見つけると、当然のように摘んで食べようとしたが・・・
「・・・・・」
サニーの幸せそうな寝顔を見て止めた。
周囲を見渡しベッドサイドのテーブルにガーベラが一輪飾られているのを見つけると、スーツの胸元からなにやら取り出し花瓶にそれを押し込んだ。
レッドは再び影と化して壁に溶け込もうとしたが・・・別の気配を感じた。
窓の方を見れば何者かが二階にも関わらずそこから入ってきた。
-----ん?あれは・・・・
その不審者はほとんど影と同化して気配が死んでいるためにレッドに気づかないのか、誰もいないものとして大股で眠るサニーへと歩み寄る。身体をかがめてサニーの頭を撫でるのが暗い部屋でも良くわかった。
不審者もまた胸元から何か取り出すと、サニーの枕元に置く。
「味の保証はできんからな」
再びサニーの頭を撫でた時、一瞬だけ雲間から覗いた月明かりに照らされ浮かび上がった不審者の表情。それは一度も見たことも無いもので、レッドは妙な気分になる。
不審者は来た時と同じように窓から出て行った。
そしてレッドもまた、何も見なかった事にして壁の中へと消えていった。
サニーが目を覚ましてまず目に入ってきたのは枕元にあった焦げが少しついた5枚のクッキーが入った袋だった。目を丸くしてそれを見つめる彼女の横では、ベッドサイドのテーブルの上で赤いリボンが巻かれた摘みたての野菊の花束が一輪のガーベラを窮屈そうに押しやっていた。
END
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