冒険航空会社モンタナ(モンタナ・ジョーンズ)同人小説
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第12章 対決
「アルフレッド、チャンさん、伏せて! 目を瞑るのよ!」
メリッサが叫ぶと、2人は一応姿勢を低くした。メリッサもまた、急ぎメカ・ローバーの中に戻る。
「何!?」
ゼロ卿が階段の途中で硬直する。
「ボス!」
急接近するケティに気付いたが、スラムも銃を片手にそれ以上の言葉を言い澱んだ。
「スラムぅ!」
右手の銃と左手で頭を庇い、スリムが兄貴分のスラムに助けを求める。
低空で侵入してきたケティの左翼端が、風と砂を巻き上げた。
風が渦を巻く。
「おわーっ!」
逃げ場をなくしたゼロ卿は、マントが風を受け階段から吹き飛ばされた。宙に浮いたところをじたばたしているうちに、その体が畑へと墜落する。
「スラムぅ、オイラ目に砂が入っちゃったよ」
「畜生! あのモンタナの野郎・・・!」
スリムとスラムも、手に武器はあるものの反撃どころではない。
メカ・ローバーから、メリッサが飛び出してきた。
「アルフレッド、チャンさん! 逃げるわよ!」
埃塗れの学者2人を先導し、メリッサがケティを指さして走る。ケティ号は、メカ・ローバーを掠めた直後、かなり強引な着地を見事やってのけていた。
客室のドアから降り、モンタナは3人を次々と押し上げてやる。
「全員、無事だったな」とモンタナは、一息つく間もなく離陸準備に入る。
副操縦席につき、アルフレッドがげんなりと萎んだ。
「僕はもう、半年はランニングをしたくないよ。足が痛いのなんのって・・・」
「まぁ」
メリッサが操縦室に入ってくるなり、笑顔で異議を唱え始めた。
「アルフレッドは、少し位ダイエットをした方がいいのよ。あんまりお部屋に閉じ籠っていると、体に悪いわよ」
「それじゃあまさか、メリッサはわざと僕達を・・・?」
「そんな訳ないじゃない! 私だって、大変だったのよ!」
礼もない上に、アルフレッドの随分な言種。急にメリッサが怒り出すのも無理はない。
「普通なら、レディを助けるのが紳士でしょ。私はその逆をやったんだから」
「違えねェや」と、モンタナは笑った。
ケティ号は綺麗な離陸を果たし、メカ・ローバーを下に見ながら東へと飛行してゆく。
「このまま逃げきれると思う?」
アルフレッドがモンタナに尋ねた。
「あのメカ・ローバーじゃあ、空は飛べねぇだろう。飛んじまえば、ケティの楽勝・・・」
キャノピーの左手に、真っ赤なものがちらついている。声を忘れたモンタナは、すごいものを見てしまったと思った。
アルフレッドとメリッサも茫然自失としてしまい、後ろからチャンが操縦室に飛び込んでくる。
4人全員が、キャノピー左手に釘付けとなってしまった。
メカ・ローバーの操縦室では、ゼロ卿がニトロ博士に罵声を飛ばしている。
「博士! これが、サブ・システムだと言うのか!?」
「何しろ予算がぎりぎりなもんでの。取り敢えずは空を飛んでおるのじゃ。文句はなかろう?」
「うぬっ! ニトロ博士、あのオンボロ飛行艇を攻撃だ!」
「お任せを」
ニトロ博士が、伝声管に大声で怒鳴る。
「スリム、スラム、ミサイルの準備じゃ!」
メカ・ローバーが口を開けた。
ちょうど喉にあたる部分では、いつもの2人組が動力係はせず、パンダ型のミサイルを慎重にセットしている。
「これ、表面が紙だよ」と言うスリムの口を、スラムが塞いで辺りに聞き耳を立てた。
「しっ! 滅多な事を言うもんじゃねェ!」
「うん、わかった」
「ったく、それもこれも・・・」
「モンタナの所為だね」
スリムとスラムは、2人なりにモンタナへの恨み節をミサイルにこめる。
メカ・ローバーのエンジンが唸りを上げ、短い尻尾に動力が伝達される。パンダ・メカは大きな体で風に逆らいゆっくりと加速度をつけた。
今回のメカ・ローバーは、人力動力ではない。いつになく大きな肺活量を誇るエンジンを搭載している。それというのも、ニトロ博士がエンジンと駆動系、つまり玉乗り技術に拘ってしまったからである。
離陸の秘密は、メカ・パンダの首に付けた風呂敷包み。その中に水素ガスを充填し、足で回転させていた2つの鉄球を地上に放棄した上で、気球のように離陸している。
前足には、巨大な扇子が左右に1つづつ。飛行の際、姿勢制御に役立てようというアイディアのようである。
首の風呂敷で浮力、尻尾のプロペラで推進力、2つの扇子でバランスを保ち、パンダ型メカ・ローバーは巨大なボディを何とか浮かせていた。
しかし、風呂敷気球の下で、コロリとしたボディが直立してしまう。空気の抵抗がかなり大きいので、前進をする姿を飛んでいるとは言いにくかった。
パンダ・メカを、モンタナはケティであっさりと追い抜いてしまう。
「遊び心でしょうか、あれは。とても真面目な感覚で作っているとも思えませんが・・・」
窓外の景色にチャンが唸る。
モンタナは、手をひらひらとさせた。
「北京に展示してみっかい? 本人曰く、芸術品なんだと」
目を見開いて、チャンが大事な鞄をどさっと落とした。
「・・・前衛芸術ですか?」
「かもな」
軽く頷いて、モンタナは笑った。
「モンタナ!」
アルフレッドが怒鳴った途端、ケティの機体が大きく振動する。
メカ・ローバーからの攻撃と思うしかない。メカ・パンダから飛来したミサイルが、至近距離で爆発したようである。
「っくそうっ!」
曲芸パンダを少々甘く見ていた事を後悔する。試しにモンタナは、ケティとメカ・ローバーの距離をの倍以上確保してみた。
メカ・パンダの中は、ゼロ卿とニトロ博士の罵声と反論が交錯している。
「はずしたではないか、馬鹿者!」
「それが、なかなか狙いが定まらなくて・・・その・・・」
ニトロ博士の言い訳が、次第に勢いを失ってゆく。
勿論、それで納得するゼロ卿ではなかった。
「飛行機のあんな手前で爆発させおって! 届いておらんではないか!」
「つまり・・・、このパンダ型ミサイルは花火を改良しておりまして、射出用の火薬を使いきってしまうと、自動的に爆発するのです」
「花火だ?」
「はい、つまり予算の関係で・・・」
「予算、予算と、何でも予算の所為にするのではないっ! 花火など使ってどうする!? そんなものの射程距離がどれだけあるというのだ!」
ゼロ卿が立ち上がった。
「えーい! もう何でもいいから、もっと撃ち込んでやれ!今度こそ奴等に、目にもの見せてやるのだ!」
ニトロ博士がパネルのスイッチを2つ3つ操作すると、プロペラがパワー全開で回転する。
心持ち、スピードが上がった。
しかし、それでも飛ぶ為に作られたケティ号には、スピードに於いて適う筈もない。
「撃ってこないね」と、アルフレッドが呟いた。
「・・・ニトロ博士、ミサイルの材料費をケチったな」
モンタナに、不敵な笑顔が浮かぶ。勝算を見出だした時、モンタナがよくする表情がこれである。
「よし。全員席について、何かにつかまれ。ちょっと荒っぽいが、やってみるぞ」
モンタナの真顔に、メリッサとチャンが急ぎ客室に戻った。渋面で抗議するのは、アルフレッドただ1人。
「そんな危ない事をしなくたって、あいつを振り切って逃げちゃえばいいのに。ミサイルを持っていたって、奴等はケティに追いつかないよ」
「いや、駄目だ」
「何で?」
「メカ・ローバーの残った所に、チャンさんを降ろす訳にはいかねぇ」
「あ、そうか・・・」
「大切なのは、諦めさせる事だ。・・・アルフレッド、俺の操縦を少しは信じろって」
アルフレッドが、無言でシート・ベルトを締めた。その表情は複雑そのもので、まだ言い足りないものを飲み込んでいる節がある。
「・・・いいよ、準備OKだよ」
「へへっ! さぁて曲芸パンダ、本当の曲芸ってぇものを教えてやるぜ!」
モンタナは操縦桿を右にきり、急旋回をかけた。わざとUターンをし、メカ・ローバーの右舷側を擦り抜けていく。
メカ・ローバーが、回頭をしながら急ぎミサイルを撃ち出した。
ところが、スピードに勝っているケティには1発も当たらない。しかも、総てのミサイルがケティに届かないうちに爆発してしまう。
「チョロチョロと・・・」
狙いあぐねて、ニトロ博士が毒づいた。旋回速度が遅いので、パンダ・メカはケティの機動力に全く追いつかずにいる。
「何とかしたまえ、ニトロ博士!」
ゼロ卿の忍耐は、既に限界を遥かに越えていた。
「何とかしましょう!」
売られた喧嘩を真っ向から買い、ニトロ博士が狙いを定めボタンを押す。
メカ・ローバーの鼻から、ワイヤーが射出される。先には矢じりが付いており、ケティ号の垂直尾翼を射抜いて止まった。
ケティに傷を付けられ、腹を立てたのはモンタナである。
「そうきたかよ!? それなら・・・」
モンタナは、ケティで高速度を保ったまま急降下と急上昇を繰り返した。
「何て奴だ!」
操縦桿の重さに、モンタナは驚く。
引っ張っているのは、気球で首を吊った直立メカ・パンダ。空気抵抗が思った以上に大きく、ケティへの負担が並ではなくなっている。
ケティは速度が上がらなくなり、強力なエア・ブレーキに泣かされた。
一方、思わぬケティの苦戦にすっかり気をよくしている男もいる。言うまでもなくゼロ卿であった。
「よくやった、ニトロ博士! ワイヤーを巻き取って、飛行艇にしがみつけ。奴等を地上に引き摺り下ろす」
「お任せを」
ニトロ博士が、伝声管へ指示を飛ばす。
操縦室下では、ミサイルをセットしかけていたスリムとスラムが、自転車で動力を伝え、ウィンチを動かし始めた。
今回こそ楽ができると思い込んでいた2人組の落胆は、尋常ではない。
ワイヤーは、なかなか短くならなかった。
「ったく、折角でっかいエンジンを付けたんなら、ウィンチ位、そいつで動かしゃいいのによ・・・」
「結局オイラ達、こんな仕事ばっかりだね」
スラムの愚痴に、スリムが不満を重ねる。
ケティ号では、モンタナがどうにかしてワイヤーを切る方法を考えていた。このままでは、ミサイルをお見舞いされるか、ケティの尻尾に抱きつかれるかのどちらかだと思っている。
と、メカ・ローバーの首に巻きついている風呂敷気球に目が行った。
「・・・あれだ」
モンタナはケティを荷物付きのまま、再び上下に揺さぶってみる。
2回、3回と繰り返したが、なかなか上手い結果が出ない。
ところが、十数回目にして、赤パンダの首から風呂敷がするりと取れた。振動と空気抵抗で、気球だけが首から外れてしまったのである。
ケティは勢い速度を増し、メカ・ローバーを引き摺り回した。気球がなくなっただけで、空気抵抗は随分と軽減されている。
しかし、メカ・ローバーの中では右へ左へ乗員が激しく移動を強要されていた。
パンダ・メカは浮力を失い、突然ケティの言いなりである。鼻を吊られた恰好で、ケティの後方下、扇子を動かしながら上昇を試みるのが精一杯だ。
「ニトロ博士!」
シルクハットの中で、ゼロ卿の髪が逆立った。
「ワイヤーは短くなってきております。あと300メートル程巻き取る事ができれは、飛行艇を捕獲する事は可能かと・・・」
「ワイヤーなど、どうでもいい・・・」
「は?」
「ミサイルだ! ミサイルを使え! 奴等を撃墜するのだ!」
ニトロ博士が、下手に出ながら両手で長さを表現する。
「その・・・ミサイルの射程距離には、まだ少し・・・距離があり過ぎますので・・・」
「もっと他に何かないのか!?」
「何しろ予算が・・・」
「もういいっ! とにかくミサイルだ!」
渋々、ニトロ博士が伝声管にミサイルの準備を伝える。
ウィンチ係に徹していた2人のうち、スラムがさも嫌そうに壁を伝ってメカ・ローバーの喉に向かった。
ケティの為に、パンダ・メカの振動は何処にいても大きい。内部での移動には、不便がつき纏う。
「スリム、ちゃんと漕いどけよ」と、念を押した後、先程までいた部屋のドアを開ける。
すると、床に置いてあったパンダ型ミサイルが転がり出てきた。パンダの鼻がほぼ真上を向いているので、副動力室にまで落ちてきてしまったようである。
スラムの息が止まる。
スリムが、ペダルの隙間にそのミサイルを巻き込んでしまった。
爆発と同時に、スリムとスラムが副動力室から飛び出してくる。
急ぎ操縦室に上がってくると、ゼロ卿の顔が呆然としていた。既に、何かの予感は感じとっている気配がある。
「何だ、今の爆発は!?」
スラムが、息せききって下を指す。
「ボス! ミサイルに引火・・・」
ゼロ卿の顔が、蒼白になった。
「何ィ!!」
赤いパンダが、尚赤い炎に包まれる。その爆発でワイヤーも切れ、メカ・ローバーは地上に激突した。
4つのパラシュートを横目に、ケティの操縦席で、モンタナはガッツ・ポーズを作る。
「帰りの旅費が欲しかったら、雑技団でアルバイトでもするんだな! お前達なら、きっと雇ってもらえるだろうよ!」
キャノピー越しに、嫌味ったらしくゼロ卿一味への別れを告げる。
パラシュートで揺られながら、ゼロ卿がニトロ博士に食らいついた。
「ニトロ博士、事情を説明してもらおうか?」
「今少し、時間と予算を頂ければ・・・」
小さくなった老科学者に、ゼロ卿の一瞥が容赦なく刺さる。
「弁解は、罪悪と知りたまえ・・・」
上空のケティはそんな事など露知らず、東の空を目指し、パラシュートの花から見送られて念壇を後にする。
後に残されたパラシュート組が、東の空に呪詛を唱えた。
男達の声が響く。
「お前達、これで終わったと思うなよーっ!!!!」
チャンの故郷に着地をし、モンタナ、アルフレッド、メリッサの3人は、チャンと熱い握手を交わした。
足元に置いた鞄を、チャンが大事そうに持ち上げる。
「今回は、本当にありがとうございました。龍の短剣を探して下さったばかりか、西太后の財宝まで発見していただくなんて・・・。御礼の言葉もありません」
「僕達は、チャンさんのお手伝いをしただけですよ」
アルフレッドが、人のいい微笑みを浮かべた。
「そうそう。だから、もしまた何か困った事でもあったら、呼んでくれ。・・・また逢おうぜ」
陽気なウィンクを、モンタナはして見せた。チャンも、それは嬉しそうに笑顔で応える。
「ここの整理がついたら、私はまた北京に行きます。仕事の傍ら、通訳と観光ガイドをしているので、用があったら呼んで下さい。今度は、私が皆さんのお手伝いができるようになりたいです。無理・・・かもしれませんが」
「そんな事はないわよ」
首を振って、メリッサが否定をした。
「・・・ありがとうございます」
チャンの頬が、心持ち赤く染まった。
「そうそう!」
自分の鞄を開いて、アルフレッドが2つの首飾りをチャンに差し出す。
ところが、チャンが両手を立て、受取りを拒む。モンタナ達の顔が驚きに曇った。
「どうして! あんなに大切に思ってたんだろう?」
モンタナの主張は尤もで、アルフレッドやメリッサも話に同調する。
しかし、チャンの態度は頑固そのものであった。
「これを、預かって欲しいのです。いつか、この国が安定するまで・・・お願いします」
「チャンさん・・・」
渡す事も鞄に戻す訳にもいかず、アルフレッドが眉をひそめる。
「故宮でお話しした通りです。今、ここに財宝を置いていても、国の為にはならないかもしれないのです。この二振りの短剣は、もう一度私が守ってみます。ただ、その財宝は、信頼できる人の手により一度この国を出るべきなのだと感じました。・・・いつまでもこのような情勢が続く事もないでしょう。いつか、この国から戦争がなくなった時、あなた方の手で故宮に寄贈して下さい。略奪者の手に触れぬように」
チャンの顔が、優しげに、そして少し寂しげに揺れた。
モンタナ達は、チャンの心を初めて覗き込んでしまった気がし、引き下がるしかなかった。
チャンは、首飾りとの別れを惜しんでいるばかりではない。今は、それがよくわかる。
アルフレッドが、首飾りを鞄にしまい精一杯の気迫でチャンの手をもう一度握った。
「わかりました。この宝物はギルト博士に保管をお願いしてみます。中国の国情が安定した時、きっとお返ししますよ」
目を潤ませて、チャンもアメリカの考古学者に感謝を示した。
チャンを村に残し、ケティ号が離陸をする。
一度旋回してから、モンタナはケティの進路を東の日本、北海道は千歳に向けた。
副操縦席で、アルフレッドが鞄からあの首飾りを出してみる。黄金と真珠、そしてルビーの輝きが、後ろにいるメリッサの気を引いた。
「まぁ! 素敵な首飾り!」
「ああ、これが故宮で見つけた西太后の財宝なんだ」
「不思議なデザインね。形はヨーロッパ風なのに、ルビーも真珠も東洋のものよ」
「ああ、これにはきっとまだ謎がある筈なんだ。清時代の遺産、まだまだ知らない事は多いよ」
「そうね・・・」
メリッサが、アルフレッドの後ろで息を吐く。
誰も、チャンのたった一つの望みについて口にする事はなかった。
彼は、歴史研究を愛し、そして同じ位に国の平和を望んでいるのであろう。
モンタナは、アルフレッドに向かい片手を上げた。
「アガサおばさんのスパゲッティが食いてぇな」
「うん! もうママの味が恋しくて! 早く帰ろうよ、モンタナ」
「よっしゃ!」
3人を乗せ、ケティは飛行した。
日は高く、ケティと地上を同じように明るく照らしている。
モンタナは考えた。今、故宮の養心殿を見る事ができればと。
陽光が降り注ぐ中、故宮をあらためて眺める事ができれば、夕べとはまた違った顔で訪問者を迎えてくれるのかもしれない。ふと、そんな気がした。
「ありがとうよ・・・」と、一人呟く。
まだ見ぬ光景に遥かなる思いを馳せ、モンタナはケティの高度を上げた。
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第12章 対決
「アルフレッド、チャンさん、伏せて! 目を瞑るのよ!」
メリッサが叫ぶと、2人は一応姿勢を低くした。メリッサもまた、急ぎメカ・ローバーの中に戻る。
「何!?」
ゼロ卿が階段の途中で硬直する。
「ボス!」
急接近するケティに気付いたが、スラムも銃を片手にそれ以上の言葉を言い澱んだ。
「スラムぅ!」
右手の銃と左手で頭を庇い、スリムが兄貴分のスラムに助けを求める。
低空で侵入してきたケティの左翼端が、風と砂を巻き上げた。
風が渦を巻く。
「おわーっ!」
逃げ場をなくしたゼロ卿は、マントが風を受け階段から吹き飛ばされた。宙に浮いたところをじたばたしているうちに、その体が畑へと墜落する。
「スラムぅ、オイラ目に砂が入っちゃったよ」
「畜生! あのモンタナの野郎・・・!」
スリムとスラムも、手に武器はあるものの反撃どころではない。
メカ・ローバーから、メリッサが飛び出してきた。
「アルフレッド、チャンさん! 逃げるわよ!」
埃塗れの学者2人を先導し、メリッサがケティを指さして走る。ケティ号は、メカ・ローバーを掠めた直後、かなり強引な着地を見事やってのけていた。
客室のドアから降り、モンタナは3人を次々と押し上げてやる。
「全員、無事だったな」とモンタナは、一息つく間もなく離陸準備に入る。
副操縦席につき、アルフレッドがげんなりと萎んだ。
「僕はもう、半年はランニングをしたくないよ。足が痛いのなんのって・・・」
「まぁ」
メリッサが操縦室に入ってくるなり、笑顔で異議を唱え始めた。
「アルフレッドは、少し位ダイエットをした方がいいのよ。あんまりお部屋に閉じ籠っていると、体に悪いわよ」
「それじゃあまさか、メリッサはわざと僕達を・・・?」
「そんな訳ないじゃない! 私だって、大変だったのよ!」
礼もない上に、アルフレッドの随分な言種。急にメリッサが怒り出すのも無理はない。
「普通なら、レディを助けるのが紳士でしょ。私はその逆をやったんだから」
「違えねェや」と、モンタナは笑った。
ケティ号は綺麗な離陸を果たし、メカ・ローバーを下に見ながら東へと飛行してゆく。
「このまま逃げきれると思う?」
アルフレッドがモンタナに尋ねた。
「あのメカ・ローバーじゃあ、空は飛べねぇだろう。飛んじまえば、ケティの楽勝・・・」
キャノピーの左手に、真っ赤なものがちらついている。声を忘れたモンタナは、すごいものを見てしまったと思った。
アルフレッドとメリッサも茫然自失としてしまい、後ろからチャンが操縦室に飛び込んでくる。
4人全員が、キャノピー左手に釘付けとなってしまった。
メカ・ローバーの操縦室では、ゼロ卿がニトロ博士に罵声を飛ばしている。
「博士! これが、サブ・システムだと言うのか!?」
「何しろ予算がぎりぎりなもんでの。取り敢えずは空を飛んでおるのじゃ。文句はなかろう?」
「うぬっ! ニトロ博士、あのオンボロ飛行艇を攻撃だ!」
「お任せを」
ニトロ博士が、伝声管に大声で怒鳴る。
「スリム、スラム、ミサイルの準備じゃ!」
メカ・ローバーが口を開けた。
ちょうど喉にあたる部分では、いつもの2人組が動力係はせず、パンダ型のミサイルを慎重にセットしている。
「これ、表面が紙だよ」と言うスリムの口を、スラムが塞いで辺りに聞き耳を立てた。
「しっ! 滅多な事を言うもんじゃねェ!」
「うん、わかった」
「ったく、それもこれも・・・」
「モンタナの所為だね」
スリムとスラムは、2人なりにモンタナへの恨み節をミサイルにこめる。
メカ・ローバーのエンジンが唸りを上げ、短い尻尾に動力が伝達される。パンダ・メカは大きな体で風に逆らいゆっくりと加速度をつけた。
今回のメカ・ローバーは、人力動力ではない。いつになく大きな肺活量を誇るエンジンを搭載している。それというのも、ニトロ博士がエンジンと駆動系、つまり玉乗り技術に拘ってしまったからである。
離陸の秘密は、メカ・パンダの首に付けた風呂敷包み。その中に水素ガスを充填し、足で回転させていた2つの鉄球を地上に放棄した上で、気球のように離陸している。
前足には、巨大な扇子が左右に1つづつ。飛行の際、姿勢制御に役立てようというアイディアのようである。
首の風呂敷で浮力、尻尾のプロペラで推進力、2つの扇子でバランスを保ち、パンダ型メカ・ローバーは巨大なボディを何とか浮かせていた。
しかし、風呂敷気球の下で、コロリとしたボディが直立してしまう。空気の抵抗がかなり大きいので、前進をする姿を飛んでいるとは言いにくかった。
パンダ・メカを、モンタナはケティであっさりと追い抜いてしまう。
「遊び心でしょうか、あれは。とても真面目な感覚で作っているとも思えませんが・・・」
窓外の景色にチャンが唸る。
モンタナは、手をひらひらとさせた。
「北京に展示してみっかい? 本人曰く、芸術品なんだと」
目を見開いて、チャンが大事な鞄をどさっと落とした。
「・・・前衛芸術ですか?」
「かもな」
軽く頷いて、モンタナは笑った。
「モンタナ!」
アルフレッドが怒鳴った途端、ケティの機体が大きく振動する。
メカ・ローバーからの攻撃と思うしかない。メカ・パンダから飛来したミサイルが、至近距離で爆発したようである。
「っくそうっ!」
曲芸パンダを少々甘く見ていた事を後悔する。試しにモンタナは、ケティとメカ・ローバーの距離をの倍以上確保してみた。
メカ・パンダの中は、ゼロ卿とニトロ博士の罵声と反論が交錯している。
「はずしたではないか、馬鹿者!」
「それが、なかなか狙いが定まらなくて・・・その・・・」
ニトロ博士の言い訳が、次第に勢いを失ってゆく。
勿論、それで納得するゼロ卿ではなかった。
「飛行機のあんな手前で爆発させおって! 届いておらんではないか!」
「つまり・・・、このパンダ型ミサイルは花火を改良しておりまして、射出用の火薬を使いきってしまうと、自動的に爆発するのです」
「花火だ?」
「はい、つまり予算の関係で・・・」
「予算、予算と、何でも予算の所為にするのではないっ! 花火など使ってどうする!? そんなものの射程距離がどれだけあるというのだ!」
ゼロ卿が立ち上がった。
「えーい! もう何でもいいから、もっと撃ち込んでやれ!今度こそ奴等に、目にもの見せてやるのだ!」
ニトロ博士がパネルのスイッチを2つ3つ操作すると、プロペラがパワー全開で回転する。
心持ち、スピードが上がった。
しかし、それでも飛ぶ為に作られたケティ号には、スピードに於いて適う筈もない。
「撃ってこないね」と、アルフレッドが呟いた。
「・・・ニトロ博士、ミサイルの材料費をケチったな」
モンタナに、不敵な笑顔が浮かぶ。勝算を見出だした時、モンタナがよくする表情がこれである。
「よし。全員席について、何かにつかまれ。ちょっと荒っぽいが、やってみるぞ」
モンタナの真顔に、メリッサとチャンが急ぎ客室に戻った。渋面で抗議するのは、アルフレッドただ1人。
「そんな危ない事をしなくたって、あいつを振り切って逃げちゃえばいいのに。ミサイルを持っていたって、奴等はケティに追いつかないよ」
「いや、駄目だ」
「何で?」
「メカ・ローバーの残った所に、チャンさんを降ろす訳にはいかねぇ」
「あ、そうか・・・」
「大切なのは、諦めさせる事だ。・・・アルフレッド、俺の操縦を少しは信じろって」
アルフレッドが、無言でシート・ベルトを締めた。その表情は複雑そのもので、まだ言い足りないものを飲み込んでいる節がある。
「・・・いいよ、準備OKだよ」
「へへっ! さぁて曲芸パンダ、本当の曲芸ってぇものを教えてやるぜ!」
モンタナは操縦桿を右にきり、急旋回をかけた。わざとUターンをし、メカ・ローバーの右舷側を擦り抜けていく。
メカ・ローバーが、回頭をしながら急ぎミサイルを撃ち出した。
ところが、スピードに勝っているケティには1発も当たらない。しかも、総てのミサイルがケティに届かないうちに爆発してしまう。
「チョロチョロと・・・」
狙いあぐねて、ニトロ博士が毒づいた。旋回速度が遅いので、パンダ・メカはケティの機動力に全く追いつかずにいる。
「何とかしたまえ、ニトロ博士!」
ゼロ卿の忍耐は、既に限界を遥かに越えていた。
「何とかしましょう!」
売られた喧嘩を真っ向から買い、ニトロ博士が狙いを定めボタンを押す。
メカ・ローバーの鼻から、ワイヤーが射出される。先には矢じりが付いており、ケティ号の垂直尾翼を射抜いて止まった。
ケティに傷を付けられ、腹を立てたのはモンタナである。
「そうきたかよ!? それなら・・・」
モンタナは、ケティで高速度を保ったまま急降下と急上昇を繰り返した。
「何て奴だ!」
操縦桿の重さに、モンタナは驚く。
引っ張っているのは、気球で首を吊った直立メカ・パンダ。空気抵抗が思った以上に大きく、ケティへの負担が並ではなくなっている。
ケティは速度が上がらなくなり、強力なエア・ブレーキに泣かされた。
一方、思わぬケティの苦戦にすっかり気をよくしている男もいる。言うまでもなくゼロ卿であった。
「よくやった、ニトロ博士! ワイヤーを巻き取って、飛行艇にしがみつけ。奴等を地上に引き摺り下ろす」
「お任せを」
ニトロ博士が、伝声管へ指示を飛ばす。
操縦室下では、ミサイルをセットしかけていたスリムとスラムが、自転車で動力を伝え、ウィンチを動かし始めた。
今回こそ楽ができると思い込んでいた2人組の落胆は、尋常ではない。
ワイヤーは、なかなか短くならなかった。
「ったく、折角でっかいエンジンを付けたんなら、ウィンチ位、そいつで動かしゃいいのによ・・・」
「結局オイラ達、こんな仕事ばっかりだね」
スラムの愚痴に、スリムが不満を重ねる。
ケティ号では、モンタナがどうにかしてワイヤーを切る方法を考えていた。このままでは、ミサイルをお見舞いされるか、ケティの尻尾に抱きつかれるかのどちらかだと思っている。
と、メカ・ローバーの首に巻きついている風呂敷気球に目が行った。
「・・・あれだ」
モンタナはケティを荷物付きのまま、再び上下に揺さぶってみる。
2回、3回と繰り返したが、なかなか上手い結果が出ない。
ところが、十数回目にして、赤パンダの首から風呂敷がするりと取れた。振動と空気抵抗で、気球だけが首から外れてしまったのである。
ケティは勢い速度を増し、メカ・ローバーを引き摺り回した。気球がなくなっただけで、空気抵抗は随分と軽減されている。
しかし、メカ・ローバーの中では右へ左へ乗員が激しく移動を強要されていた。
パンダ・メカは浮力を失い、突然ケティの言いなりである。鼻を吊られた恰好で、ケティの後方下、扇子を動かしながら上昇を試みるのが精一杯だ。
「ニトロ博士!」
シルクハットの中で、ゼロ卿の髪が逆立った。
「ワイヤーは短くなってきております。あと300メートル程巻き取る事ができれは、飛行艇を捕獲する事は可能かと・・・」
「ワイヤーなど、どうでもいい・・・」
「は?」
「ミサイルだ! ミサイルを使え! 奴等を撃墜するのだ!」
ニトロ博士が、下手に出ながら両手で長さを表現する。
「その・・・ミサイルの射程距離には、まだ少し・・・距離があり過ぎますので・・・」
「もっと他に何かないのか!?」
「何しろ予算が・・・」
「もういいっ! とにかくミサイルだ!」
渋々、ニトロ博士が伝声管にミサイルの準備を伝える。
ウィンチ係に徹していた2人のうち、スラムがさも嫌そうに壁を伝ってメカ・ローバーの喉に向かった。
ケティの為に、パンダ・メカの振動は何処にいても大きい。内部での移動には、不便がつき纏う。
「スリム、ちゃんと漕いどけよ」と、念を押した後、先程までいた部屋のドアを開ける。
すると、床に置いてあったパンダ型ミサイルが転がり出てきた。パンダの鼻がほぼ真上を向いているので、副動力室にまで落ちてきてしまったようである。
スラムの息が止まる。
スリムが、ペダルの隙間にそのミサイルを巻き込んでしまった。
爆発と同時に、スリムとスラムが副動力室から飛び出してくる。
急ぎ操縦室に上がってくると、ゼロ卿の顔が呆然としていた。既に、何かの予感は感じとっている気配がある。
「何だ、今の爆発は!?」
スラムが、息せききって下を指す。
「ボス! ミサイルに引火・・・」
ゼロ卿の顔が、蒼白になった。
「何ィ!!」
赤いパンダが、尚赤い炎に包まれる。その爆発でワイヤーも切れ、メカ・ローバーは地上に激突した。
4つのパラシュートを横目に、ケティの操縦席で、モンタナはガッツ・ポーズを作る。
「帰りの旅費が欲しかったら、雑技団でアルバイトでもするんだな! お前達なら、きっと雇ってもらえるだろうよ!」
キャノピー越しに、嫌味ったらしくゼロ卿一味への別れを告げる。
パラシュートで揺られながら、ゼロ卿がニトロ博士に食らいついた。
「ニトロ博士、事情を説明してもらおうか?」
「今少し、時間と予算を頂ければ・・・」
小さくなった老科学者に、ゼロ卿の一瞥が容赦なく刺さる。
「弁解は、罪悪と知りたまえ・・・」
上空のケティはそんな事など露知らず、東の空を目指し、パラシュートの花から見送られて念壇を後にする。
後に残されたパラシュート組が、東の空に呪詛を唱えた。
男達の声が響く。
「お前達、これで終わったと思うなよーっ!!!!」
チャンの故郷に着地をし、モンタナ、アルフレッド、メリッサの3人は、チャンと熱い握手を交わした。
足元に置いた鞄を、チャンが大事そうに持ち上げる。
「今回は、本当にありがとうございました。龍の短剣を探して下さったばかりか、西太后の財宝まで発見していただくなんて・・・。御礼の言葉もありません」
「僕達は、チャンさんのお手伝いをしただけですよ」
アルフレッドが、人のいい微笑みを浮かべた。
「そうそう。だから、もしまた何か困った事でもあったら、呼んでくれ。・・・また逢おうぜ」
陽気なウィンクを、モンタナはして見せた。チャンも、それは嬉しそうに笑顔で応える。
「ここの整理がついたら、私はまた北京に行きます。仕事の傍ら、通訳と観光ガイドをしているので、用があったら呼んで下さい。今度は、私が皆さんのお手伝いができるようになりたいです。無理・・・かもしれませんが」
「そんな事はないわよ」
首を振って、メリッサが否定をした。
「・・・ありがとうございます」
チャンの頬が、心持ち赤く染まった。
「そうそう!」
自分の鞄を開いて、アルフレッドが2つの首飾りをチャンに差し出す。
ところが、チャンが両手を立て、受取りを拒む。モンタナ達の顔が驚きに曇った。
「どうして! あんなに大切に思ってたんだろう?」
モンタナの主張は尤もで、アルフレッドやメリッサも話に同調する。
しかし、チャンの態度は頑固そのものであった。
「これを、預かって欲しいのです。いつか、この国が安定するまで・・・お願いします」
「チャンさん・・・」
渡す事も鞄に戻す訳にもいかず、アルフレッドが眉をひそめる。
「故宮でお話しした通りです。今、ここに財宝を置いていても、国の為にはならないかもしれないのです。この二振りの短剣は、もう一度私が守ってみます。ただ、その財宝は、信頼できる人の手により一度この国を出るべきなのだと感じました。・・・いつまでもこのような情勢が続く事もないでしょう。いつか、この国から戦争がなくなった時、あなた方の手で故宮に寄贈して下さい。略奪者の手に触れぬように」
チャンの顔が、優しげに、そして少し寂しげに揺れた。
モンタナ達は、チャンの心を初めて覗き込んでしまった気がし、引き下がるしかなかった。
チャンは、首飾りとの別れを惜しんでいるばかりではない。今は、それがよくわかる。
アルフレッドが、首飾りを鞄にしまい精一杯の気迫でチャンの手をもう一度握った。
「わかりました。この宝物はギルト博士に保管をお願いしてみます。中国の国情が安定した時、きっとお返ししますよ」
目を潤ませて、チャンもアメリカの考古学者に感謝を示した。
チャンを村に残し、ケティ号が離陸をする。
一度旋回してから、モンタナはケティの進路を東の日本、北海道は千歳に向けた。
副操縦席で、アルフレッドが鞄からあの首飾りを出してみる。黄金と真珠、そしてルビーの輝きが、後ろにいるメリッサの気を引いた。
「まぁ! 素敵な首飾り!」
「ああ、これが故宮で見つけた西太后の財宝なんだ」
「不思議なデザインね。形はヨーロッパ風なのに、ルビーも真珠も東洋のものよ」
「ああ、これにはきっとまだ謎がある筈なんだ。清時代の遺産、まだまだ知らない事は多いよ」
「そうね・・・」
メリッサが、アルフレッドの後ろで息を吐く。
誰も、チャンのたった一つの望みについて口にする事はなかった。
彼は、歴史研究を愛し、そして同じ位に国の平和を望んでいるのであろう。
モンタナは、アルフレッドに向かい片手を上げた。
「アガサおばさんのスパゲッティが食いてぇな」
「うん! もうママの味が恋しくて! 早く帰ろうよ、モンタナ」
「よっしゃ!」
3人を乗せ、ケティは飛行した。
日は高く、ケティと地上を同じように明るく照らしている。
モンタナは考えた。今、故宮の養心殿を見る事ができればと。
陽光が降り注ぐ中、故宮をあらためて眺める事ができれば、夕べとはまた違った顔で訪問者を迎えてくれるのかもしれない。ふと、そんな気がした。
「ありがとうよ・・・」と、一人呟く。
まだ見ぬ光景に遥かなる思いを馳せ、モンタナはケティの高度を上げた。
PR
冒険航空会社モンタナ(モンタナ・ジョーンズ)同人小説
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第11章 メカ・ローバー暴走す
「遅い! 遅過ぎるぞ、ギルトの弟子共は!」
用意されたミルクティを優雅に飲み干し、ゼロ卿がティーカップを床に投げつけた。美しい陶器の食器が、金属製の床で四散する。
そのかけらを、さも残念そうにスリムが掃除にやってきた。
「あーあ、ボス、また割っちゃって。・・・もう予備のカップはないんですよ」
「何ィ!?」
塵取りに消えていく陶器のかけらが硬質な軽い音を立てる。
割ってしまってから、ゼロ卿は後悔した。煙草をやらないゼロ卿にとって、口がさみしい時は、飲み物がないといられない。
女性の呆れた溜め息が漏れる。
メリッサは、これ見よがしにミルクティーを一口啜って、カップをソーサーに置いた。
ゼロ卿の視線が羨ましげにメリッサのティーカップへと注がれる。しかし、ゼロ卿もプライドにかけてか、それ以上は態度に出さなかった。
「えーい、ギルトの弟子共め! 何もかも、あいつらの所為だ! 一体、何時間待たせるつもりなのだ、奴等は…!」
怒りのやり場をなくした右手が、ステッキを振う。スリムが慌てて逃げ出すと、ゼロ卿は目標を失い、ステッキは意味もなく8を描いて空を切った。
「はっ!」
メカ・ローバーの操縦席で、ニトロ博士が鼻に皺を寄せ不快を示す。あのステッキだが、かつて一度も老科学者には下ろされた事がない。それを知ってか、半ば外野顔でこの騒動を傍観している節がある。
マントを翻し、ゼロ卿が展望のよい操縦室の前部に行く。その後ろ姿に向かって、メリッサが心中で一言呟いた。
「まぁ、こんなに埃が・・・」
囚われているにしては縛られる事もなく、メリッサに対する扱いはかなり良いものがあった。軽い食事が、昨日から間隔を置ききちんと三度出ている。水は十分積んでいるのか、食後・食間の飲み物については、モンタナ達との旅行よりも頻繁に出てくる程であった。
メカ・ローバーの両目の部分が、前面に設けられた二つの席になっている。左目の席に座るニトロ博士の横、右目の席へゼロ卿がどっかと陣取った。
「ニトロ博士」
双眼鏡から目を離し、白衣の男がゼロ卿を睨む。
「まだじゃ」
ニトロ博士が、短くそう答えた。
「ギルトの弟子共の姿なんぞ、何処にも見えん。ここまで戻ってくるのに手間取っておるのじゃろう。もう少し待つしか・・・」
言いかけた言葉が、喉の奥で萎む。
ゼロ卿が、すさまじい形相で博士を一瞥し、立ち上がった。
「ニトロ博士、お前が現状をどう分析するかなど、私には関係がないのだ。お前は、言われた事をやっておればよい。いいか!」
ニトロ博士が、口の中で呪詛を唱える。
しかしそれもまた、ゼロ卿の恐ろしげな態度で、二の句が告げられなくなった。
「何か文句があるのか?」
「いえいえ、・・・見張りを続ければいいんじゃろ?」
苛々と席を立つゼロ卿の後ろ姿に、ニトロ博士もまた堪えきれない愚痴を零す。
「全く、十分おきに来おってからに・・・」
ゼロ卿の姿が、階段下に消えた。
日は既に東の空を離れて久しく、現地時間で11時を半分過ぎたところであった。
ゼロ卿がモンタナ達に許した時間は、今日の朝まで。
それが今は、もう昼近く。ゼロ卿でなくとも、確かに遅いと思ってしまう。
メリッサは、つまらなそうに冷めかけたミルクティーを手元のスプーンでかき回す。未だ現れないモンタナ達への、メリッサなりの抗議だった。
乾いた布でポットの下を押さえ、スリムがメリッサの様子を伺う。
「あの・・・お茶のお替わりは?」
「いえ、結構よ。ありがとう」と、メリッサはカップの上を手でそっと塞いだ。
スリムが腰を屈め、メリッサに耳打ちする。
「ボスが最後のティーカップを割っちゃったから、お茶が余っちゃってるの。もしよかったら、飲んで」
「まぁ」
事情を知ると、メリッサはまこと優雅な仕種で紅茶を飲み干す。白くて長い指がカップを置くと、スリムに優しく微笑んだ。
「それなら、もう一杯いただこうかしら」
「うん! 飲んで、飲んで!」
スリムがカップに紅茶をなみなみと注ぐ。柔らかい香りが、再び辺りに広がった。
ふと辺りを見ると、いつものメンバーに比べ1人ばかり足りない気がする。メリッサは思いついて、スリムにさりげなく尋ねてみた。
「お食事を運んで下さるのは、いつもあなたなのね。もう1人の男の方は? いないの?」
スリムが更に、身を屈める。
「ホントは内緒なんだけど、スラムは今、買い物に行ってるんだ」
「お買い物?」
「うん。・・・ギルトの弟子共があんまりボスを待たせるでしょ。だから、ティーカップがなくなっちゃったの。こういう時は、いっつもスラムが買いに行くんだよ」
「まぁ、大変」
メリッサは、いい加減な相槌を打った。
「でも、大丈夫だよ。バイクで出たから、すぐに戻ってくると思うんだ」
「そうなの・・・」
メリッサは、横目で操縦席のニトロ博士を観察した。双眼鏡を覗き込み、相変わらずぶつぶつ言いながら窓の外を伺っている。
「ところで・・・」
「なに? お替わり?」
慌てて、メリッサは両手でポットを拒んだ。
「いえ、違うの。その・・・もし、このままモンタナ達が現れなかったら、私は一体どうなるのかしら?」
「それは、オイラにはわからないよ」と、スリム。
「でも、ボスの考える事だから、きっと殺されちゃうんだよ。特に今日は、機嫌が悪いから。・・・痛かったら、大変だね」
身の毛もよだつ可能性を、悪びれもせずいともあっさり声に出す。
あのゼロ卿の様子ならば、本当にやりかねないと思う部分は多々あった。
しかし、メリッサは特に動揺する風にも見せず、紅茶を一口飲むと、スリムに流し目を使う。
「ねぇ・・・」
「お替わり?」
自信の流し目であっただけに、プライドの傷付いたメリッサの手が、微かに震える。
「レディの頼みを、聞いて下さらない?」
「うん、いいよ」
内容も聞かないうちに、スリムが承諾をした。巨漢のスリムは、ゼロ卿の命令とスラムの入れ知恵さえなければ、大旨良心的な態度を取る。
「あっ! でも、逃がしてくれっていうのは、駄目だよ。オイラがボスに怒られちゃう」
「そんな事、わかっているわ。・・・そうではなくて、ゼロ卿に、私をどうするつもりなのか聞いてきて欲しいのよ」
スリムがにこりと頷いた。
「そんなんなら、いいよ。ボスに聞いてきてあげる」
「ゼロ卿は、メカ・ローバーの外に出たみたいよ。外の空気でも吸っているのではなくて?」
「わかった! そいじゃあ、行ってくるね!」
ポットを持ったまま、スリムが階下に消えていく。
メリッサが、ニトロ博士に気付かれないよう音を静め立ち上がる。
と、どうした事が、再びスリムが戻ってきた。慌てて席につくメリッサに、スリムが「どうしたの?」と問う。
「い、いえ・・・。何でもないわよ」
「逃げようったって、駄目だからね」
「わかっているわよ」
スリムが、手にしているティーポットを、簡易テーブルの上に置く。
「オイラが戻ってくるまで、お替わりは自分でしててね。すぐに戻るけど」
「わかったわ」
今度こそスリムが階段を降り、辺りは静かになった。耳をすましても、階段を昇る人の気配はしてこない。
メリッサはそっと立ち上がると、ティーカップとポットを床に置き、簡易テーブルからテーブルクロスを外した。足音を忍ばせ、テーブルクロスを持ってニトロ博士の後ろに近付く。
「えいっ!」
気合い一発、ニトロ博士の頭にそれを被せると、四つあるクロスの角を引っ張り手早く結んでしまった。
不意を突かれた見張り役は、たまらない。慌てて被りものを外そうとしたが、双眼鏡を覗いていたので、両手もまたテーブルクロスに巻き込まれている。
「こらーっ! こ、これを外さんかぁ!」
怒鳴りながらばたついてみても、手が結び目に届かないので何もできなかった。
「ちょっと失礼」
一言断って、メリッサはニトロ博士の横からメカ・ローバーの操縦席パネルを覗き見る。
各種メーターやボタン、レバーの類いが、席の随所に設置されていた。車しか運転した事のないメリッサには、見てもわからないものが幾つか混じっている。
しかし、時間がない。まず、このメカ・ローバーを発進させなければ。
メリッサは、当てずっぽうでレバーの一つを引いた。
何も起こらない。
「そうね、まずエンジンをかけなくっちゃ」
ぼこぼこと膨らむテーブルクロスの風船には目もくれず、メリッサは片っ端からボタンを押し始めた。
幾つか押しているうち、操縦席に振動が走る。どうやら、エンジンがかかったようである。
次に、目についたレバーを手当たり次第に上げ下げてみる。
「きゃあ!」
がっくん。
操縦席にいる2人は、宙に浮いた。
その直後、メカ・ローバーが猛烈な速度で後退を始める。簡易テーブルが倒れ、陶器の壊れる音がした。
袋詰めのニトロ博士とメリッサは、2人揃ってパネルに叩きつけられ息が詰まる。
そこで、何かを押す音がした。ニトロ袋が、先程のレバーを逆に下げてしまったようだ。
「えっ?」
今度は、後退したその勢いで、メカ・ローバーが猛進を始めた。
ニトロ博士はシートに、メリッサは床にまたも叩きつけられる。
「あ痛ったぁ・・・」
ようやく立ち上がり、神経質に服の埃を払う。
操縦席では、袋を被った状態でニトロ博士がぐにゃりとしている。二度もおかしな恰好で打ちつけられた為、目を回してしまったのであろう。
左目の操縦席に用意されたガラスから、外を眺めてみる。
と、メカ・ローバーの胸にあった筈の昇降用タラップが収納されている事に気がついた。しかも、ゼロ卿とスリム、そしてスラムまでもが全速力で何もない畑を走っている。
メリッサは、思案げに眉をひそめた。これでは今更外に出る訳にもいかない。
かわいそうかとも思ったが、メリッサはそのまま当てずっぽうの操縦でメカ・ローバーを暴走させた。今止めても、悪党共の得にしかならないからである。
操縦席の遥か下、玉乗りパンダの玉が、ゼロ卿一味のすぐ後ろにまで迫っていた。あたふたと走る姿のゼロ卿は、この上もなく滑稽に映る。
ゼロ卿が、スリムとスラムに何がしかをわめいているらしい。盛んに後ろを振り返り、メカ・ローバーとの距離を気にしている。
「こんな騒動は、ちょっとレディには相応しくないのだけれど・・・」
疾走するパンダの操縦席で、メリッサは首を捻った。
先程までは、紛れもなく囚われのヒロインであったのに、今は一人メカ・ローバーを駆る操縦者。これでは、またモンタナに何か言われてしまいそうである。
白いものが視界に入る。正体を確かめようとして、メリッサは目を細め微笑む。
空に舞っていたのは、モンタナの操縦するケティ号の姿であった。
「おい!」
ケティの操縦席で、モンタナは畑を爆走するメカ・ローバーにあんぐりと口を開けた。パンダ・メカは、右に左にと3人組の男達を追い回している。
メカ・ローバーに追われているのは、ゼロ卿一味。そして、その操縦席に見えるのは、囚われている筈のメリッサではないか。
「もしかしたら、何かやらかすんじゃねェかなとは思ったけど、まぁさかここまでやってくれるとは・・・」
モンタナの本音は、嫌味ではなく讃美だった。
「どうするの、モンタナ?」
副操縦席に座り、アルフレッドも同じ光景をキャノピー越しに眺めている。戸惑いはモンタナ以上で、完全に思考が停止しているらしい。
「あのメカ・ローバーに乗り移る方法がありゃあ、一番なんだが」
パンダ型メカを空から分析し、モンタナは悔しそうに舌打ちをした。
「・・・っくそう! このままじゃ何もできねェ。一旦、着地するぞ」
「ゴメンね、モンタナ。僕が君の代わりにケティを操縦できないばっかりに・・・」
「いいって」と、モンタナは陽気に首を動かした。
「俺があっちに行っちまったら、お前はこいつを着地させられねェだろう。気にすんな。離着陸は、一番難しいんだ」
モンタナの心遣いに、アルフレッドの劣等感が少しばかり軽くなる。
「・・・メリッサが操縦してるんだ、モンタナ。ケティが潰されない所にね」
「あったりめェよ! 俺の大事なケティが、あんなのに壊させてたまるか!」
モンタナはケティを大きく左に旋回させ、メカ・ローバーの後方に600メートルは距離が確保できるよう着地させた。 ケティを降りたモンタナ、アルフレッド、チャンの3人から、真っ赤なパンダの尻が見える。
「さぁて、どうやってあれに近付くかだが・・・」
遠目にメリッサの奮闘ぶりを傍観していたモンタナであったが、背筋に何か走るものがある事を知った。
メカ・ローバーの頭が、こちらを向いている。Uターンしているのである。
「モンタナさん・・・」
チャンがモンタナの腕にしがみついた。
「わ・・・バカ! よせ、こっちに来るな! ・・・メリッサぁ!」
メカ・ローバーの使う玉乗りの玉が、次第に大きく見えてくる。
それに合わせ、ゼロ卿一味もモンタナ達を目標に走っていた。こちらを巻き込んで、メリッサにメカ・ローバーを止めさせようという魂胆であろう。
600メートルの余裕など、あっという間に100をきった。
「ケティに戻れ!」
モンタナは2人に声をかけたが、チャンが思わぬ行動に出た。
余程驚いたのだろう、チャンはアルフレッドの手を引いて走り始めてしまったのである。
「仕方ねェ!」
モンタナは急ぎケティを発進させる。滑走していた跡を、チャンとアルフレッド、そしてゼロ卿一味に赤パンダが追随していた。
「畜生…!」
チャンとアルフレッドの影に、ゼロ卿一味の影が重なる。目の前の出来事ながら、モンタナには手も足も出なかった。
5人は一緒になりながら、息も絶え絶えにメカ・ローバーの前を走っている。
モンタナはケティの高度を下げ、メカ・ローバーの操縦席にケティの操縦席を向けてみる事にした。
パンダ・メカの右舷から機体を近付け、正面を飛び抜ける際、メリッサと目を合わせる。
視界を遮るようにメカ・ローバーの前を通り、右手の空へ上昇をかけた。
一瞬の対面であったものの、上手くいったようである。
メリッサも元々同じ事を考えていたらしく、パンダ・メカは突如スピードを落とし停止した。
「君は、本当のお嬢様だ」
がっくんという激しい止まり方が、いかにも彼女らしい。もしニトロ博士が側にいたら、大した剣幕になっているのであろう。
メカ・ローバーの前で、足の動かなくなった5人が転がった。今のうちにケティを着地させ、あの2人とメリッサを助け出す事ができればと、モンタナは思う。
しかし、メカ・ローバーの操縦席でメリッサが何やらジェスチャーをしているのを見、考えが変わった。
もう一度低空で旋回し、メリッサの動作を確認する。両手を下ろす動作の後に、腕をクロスさせる。下りてくるなというサインのつもりとモンタナは見た。
畑に根が生えていた筈の五人が動き出す。ゼロ卿がステッキを振り回し、メリッサに向かって何かをわめいていた。
「あいつら…」
モンタナは、ぎりりと唇を噛む。
アルフレッドの後ろにスリムが、チャンの後ろにスラムがついた。
悪党共の手に銃があるとしたら、メリッサもメカ・ローバーから降りない訳にはいかないであろう。アルフレッドとチャンが人質になっている。
面白い事に、これだけ上空を旋回しながら、あのゼロ卿が一度空を見上げたきりであった。
まず、メカ・ローバーの奪回が先決という事のようである。上空にいるモンタナには、全く以て目もくれない。
操縦席でメリッサが、再びジェスチャーを始めた。今度は、両手を下に下ろす動作をしきりと繰り返すのみである。
遠くから見たメリッサが、笑っているように感じられた。
「やれってか・・・」
伝わるか、伝わらないか。モンタナはケティの操縦席からメリッサに、親指を立て、右手で精一杯のGOサインを示した。
メリッサが、ジェスチャーを止める。どうやら、通じたらしい。
「少しばっかり危険かもしれねぇが、4の5の言ってらんねェか。・・・行くぞ、ケティ!」
メカ・ローバーの胸が開き、昇降用のタラップが現れる。
タラップが地面に下りた。
メリッサが、赤パンダの胸から顔を覗かせる。
真っ先にゼロ卿が、タラップを駆け上がろうとする。
モンタナはタイミングを計ると、ケティの機体を真横に倒す。ケティは失速し、メカ・ローバーのタラップ下目掛け際どい低空飛行を敢行した。
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第11章 メカ・ローバー暴走す
「遅い! 遅過ぎるぞ、ギルトの弟子共は!」
用意されたミルクティを優雅に飲み干し、ゼロ卿がティーカップを床に投げつけた。美しい陶器の食器が、金属製の床で四散する。
そのかけらを、さも残念そうにスリムが掃除にやってきた。
「あーあ、ボス、また割っちゃって。・・・もう予備のカップはないんですよ」
「何ィ!?」
塵取りに消えていく陶器のかけらが硬質な軽い音を立てる。
割ってしまってから、ゼロ卿は後悔した。煙草をやらないゼロ卿にとって、口がさみしい時は、飲み物がないといられない。
女性の呆れた溜め息が漏れる。
メリッサは、これ見よがしにミルクティーを一口啜って、カップをソーサーに置いた。
ゼロ卿の視線が羨ましげにメリッサのティーカップへと注がれる。しかし、ゼロ卿もプライドにかけてか、それ以上は態度に出さなかった。
「えーい、ギルトの弟子共め! 何もかも、あいつらの所為だ! 一体、何時間待たせるつもりなのだ、奴等は…!」
怒りのやり場をなくした右手が、ステッキを振う。スリムが慌てて逃げ出すと、ゼロ卿は目標を失い、ステッキは意味もなく8を描いて空を切った。
「はっ!」
メカ・ローバーの操縦席で、ニトロ博士が鼻に皺を寄せ不快を示す。あのステッキだが、かつて一度も老科学者には下ろされた事がない。それを知ってか、半ば外野顔でこの騒動を傍観している節がある。
マントを翻し、ゼロ卿が展望のよい操縦室の前部に行く。その後ろ姿に向かって、メリッサが心中で一言呟いた。
「まぁ、こんなに埃が・・・」
囚われているにしては縛られる事もなく、メリッサに対する扱いはかなり良いものがあった。軽い食事が、昨日から間隔を置ききちんと三度出ている。水は十分積んでいるのか、食後・食間の飲み物については、モンタナ達との旅行よりも頻繁に出てくる程であった。
メカ・ローバーの両目の部分が、前面に設けられた二つの席になっている。左目の席に座るニトロ博士の横、右目の席へゼロ卿がどっかと陣取った。
「ニトロ博士」
双眼鏡から目を離し、白衣の男がゼロ卿を睨む。
「まだじゃ」
ニトロ博士が、短くそう答えた。
「ギルトの弟子共の姿なんぞ、何処にも見えん。ここまで戻ってくるのに手間取っておるのじゃろう。もう少し待つしか・・・」
言いかけた言葉が、喉の奥で萎む。
ゼロ卿が、すさまじい形相で博士を一瞥し、立ち上がった。
「ニトロ博士、お前が現状をどう分析するかなど、私には関係がないのだ。お前は、言われた事をやっておればよい。いいか!」
ニトロ博士が、口の中で呪詛を唱える。
しかしそれもまた、ゼロ卿の恐ろしげな態度で、二の句が告げられなくなった。
「何か文句があるのか?」
「いえいえ、・・・見張りを続ければいいんじゃろ?」
苛々と席を立つゼロ卿の後ろ姿に、ニトロ博士もまた堪えきれない愚痴を零す。
「全く、十分おきに来おってからに・・・」
ゼロ卿の姿が、階段下に消えた。
日は既に東の空を離れて久しく、現地時間で11時を半分過ぎたところであった。
ゼロ卿がモンタナ達に許した時間は、今日の朝まで。
それが今は、もう昼近く。ゼロ卿でなくとも、確かに遅いと思ってしまう。
メリッサは、つまらなそうに冷めかけたミルクティーを手元のスプーンでかき回す。未だ現れないモンタナ達への、メリッサなりの抗議だった。
乾いた布でポットの下を押さえ、スリムがメリッサの様子を伺う。
「あの・・・お茶のお替わりは?」
「いえ、結構よ。ありがとう」と、メリッサはカップの上を手でそっと塞いだ。
スリムが腰を屈め、メリッサに耳打ちする。
「ボスが最後のティーカップを割っちゃったから、お茶が余っちゃってるの。もしよかったら、飲んで」
「まぁ」
事情を知ると、メリッサはまこと優雅な仕種で紅茶を飲み干す。白くて長い指がカップを置くと、スリムに優しく微笑んだ。
「それなら、もう一杯いただこうかしら」
「うん! 飲んで、飲んで!」
スリムがカップに紅茶をなみなみと注ぐ。柔らかい香りが、再び辺りに広がった。
ふと辺りを見ると、いつものメンバーに比べ1人ばかり足りない気がする。メリッサは思いついて、スリムにさりげなく尋ねてみた。
「お食事を運んで下さるのは、いつもあなたなのね。もう1人の男の方は? いないの?」
スリムが更に、身を屈める。
「ホントは内緒なんだけど、スラムは今、買い物に行ってるんだ」
「お買い物?」
「うん。・・・ギルトの弟子共があんまりボスを待たせるでしょ。だから、ティーカップがなくなっちゃったの。こういう時は、いっつもスラムが買いに行くんだよ」
「まぁ、大変」
メリッサは、いい加減な相槌を打った。
「でも、大丈夫だよ。バイクで出たから、すぐに戻ってくると思うんだ」
「そうなの・・・」
メリッサは、横目で操縦席のニトロ博士を観察した。双眼鏡を覗き込み、相変わらずぶつぶつ言いながら窓の外を伺っている。
「ところで・・・」
「なに? お替わり?」
慌てて、メリッサは両手でポットを拒んだ。
「いえ、違うの。その・・・もし、このままモンタナ達が現れなかったら、私は一体どうなるのかしら?」
「それは、オイラにはわからないよ」と、スリム。
「でも、ボスの考える事だから、きっと殺されちゃうんだよ。特に今日は、機嫌が悪いから。・・・痛かったら、大変だね」
身の毛もよだつ可能性を、悪びれもせずいともあっさり声に出す。
あのゼロ卿の様子ならば、本当にやりかねないと思う部分は多々あった。
しかし、メリッサは特に動揺する風にも見せず、紅茶を一口飲むと、スリムに流し目を使う。
「ねぇ・・・」
「お替わり?」
自信の流し目であっただけに、プライドの傷付いたメリッサの手が、微かに震える。
「レディの頼みを、聞いて下さらない?」
「うん、いいよ」
内容も聞かないうちに、スリムが承諾をした。巨漢のスリムは、ゼロ卿の命令とスラムの入れ知恵さえなければ、大旨良心的な態度を取る。
「あっ! でも、逃がしてくれっていうのは、駄目だよ。オイラがボスに怒られちゃう」
「そんな事、わかっているわ。・・・そうではなくて、ゼロ卿に、私をどうするつもりなのか聞いてきて欲しいのよ」
スリムがにこりと頷いた。
「そんなんなら、いいよ。ボスに聞いてきてあげる」
「ゼロ卿は、メカ・ローバーの外に出たみたいよ。外の空気でも吸っているのではなくて?」
「わかった! そいじゃあ、行ってくるね!」
ポットを持ったまま、スリムが階下に消えていく。
メリッサが、ニトロ博士に気付かれないよう音を静め立ち上がる。
と、どうした事が、再びスリムが戻ってきた。慌てて席につくメリッサに、スリムが「どうしたの?」と問う。
「い、いえ・・・。何でもないわよ」
「逃げようったって、駄目だからね」
「わかっているわよ」
スリムが、手にしているティーポットを、簡易テーブルの上に置く。
「オイラが戻ってくるまで、お替わりは自分でしててね。すぐに戻るけど」
「わかったわ」
今度こそスリムが階段を降り、辺りは静かになった。耳をすましても、階段を昇る人の気配はしてこない。
メリッサはそっと立ち上がると、ティーカップとポットを床に置き、簡易テーブルからテーブルクロスを外した。足音を忍ばせ、テーブルクロスを持ってニトロ博士の後ろに近付く。
「えいっ!」
気合い一発、ニトロ博士の頭にそれを被せると、四つあるクロスの角を引っ張り手早く結んでしまった。
不意を突かれた見張り役は、たまらない。慌てて被りものを外そうとしたが、双眼鏡を覗いていたので、両手もまたテーブルクロスに巻き込まれている。
「こらーっ! こ、これを外さんかぁ!」
怒鳴りながらばたついてみても、手が結び目に届かないので何もできなかった。
「ちょっと失礼」
一言断って、メリッサはニトロ博士の横からメカ・ローバーの操縦席パネルを覗き見る。
各種メーターやボタン、レバーの類いが、席の随所に設置されていた。車しか運転した事のないメリッサには、見てもわからないものが幾つか混じっている。
しかし、時間がない。まず、このメカ・ローバーを発進させなければ。
メリッサは、当てずっぽうでレバーの一つを引いた。
何も起こらない。
「そうね、まずエンジンをかけなくっちゃ」
ぼこぼこと膨らむテーブルクロスの風船には目もくれず、メリッサは片っ端からボタンを押し始めた。
幾つか押しているうち、操縦席に振動が走る。どうやら、エンジンがかかったようである。
次に、目についたレバーを手当たり次第に上げ下げてみる。
「きゃあ!」
がっくん。
操縦席にいる2人は、宙に浮いた。
その直後、メカ・ローバーが猛烈な速度で後退を始める。簡易テーブルが倒れ、陶器の壊れる音がした。
袋詰めのニトロ博士とメリッサは、2人揃ってパネルに叩きつけられ息が詰まる。
そこで、何かを押す音がした。ニトロ袋が、先程のレバーを逆に下げてしまったようだ。
「えっ?」
今度は、後退したその勢いで、メカ・ローバーが猛進を始めた。
ニトロ博士はシートに、メリッサは床にまたも叩きつけられる。
「あ痛ったぁ・・・」
ようやく立ち上がり、神経質に服の埃を払う。
操縦席では、袋を被った状態でニトロ博士がぐにゃりとしている。二度もおかしな恰好で打ちつけられた為、目を回してしまったのであろう。
左目の操縦席に用意されたガラスから、外を眺めてみる。
と、メカ・ローバーの胸にあった筈の昇降用タラップが収納されている事に気がついた。しかも、ゼロ卿とスリム、そしてスラムまでもが全速力で何もない畑を走っている。
メリッサは、思案げに眉をひそめた。これでは今更外に出る訳にもいかない。
かわいそうかとも思ったが、メリッサはそのまま当てずっぽうの操縦でメカ・ローバーを暴走させた。今止めても、悪党共の得にしかならないからである。
操縦席の遥か下、玉乗りパンダの玉が、ゼロ卿一味のすぐ後ろにまで迫っていた。あたふたと走る姿のゼロ卿は、この上もなく滑稽に映る。
ゼロ卿が、スリムとスラムに何がしかをわめいているらしい。盛んに後ろを振り返り、メカ・ローバーとの距離を気にしている。
「こんな騒動は、ちょっとレディには相応しくないのだけれど・・・」
疾走するパンダの操縦席で、メリッサは首を捻った。
先程までは、紛れもなく囚われのヒロインであったのに、今は一人メカ・ローバーを駆る操縦者。これでは、またモンタナに何か言われてしまいそうである。
白いものが視界に入る。正体を確かめようとして、メリッサは目を細め微笑む。
空に舞っていたのは、モンタナの操縦するケティ号の姿であった。
「おい!」
ケティの操縦席で、モンタナは畑を爆走するメカ・ローバーにあんぐりと口を開けた。パンダ・メカは、右に左にと3人組の男達を追い回している。
メカ・ローバーに追われているのは、ゼロ卿一味。そして、その操縦席に見えるのは、囚われている筈のメリッサではないか。
「もしかしたら、何かやらかすんじゃねェかなとは思ったけど、まぁさかここまでやってくれるとは・・・」
モンタナの本音は、嫌味ではなく讃美だった。
「どうするの、モンタナ?」
副操縦席に座り、アルフレッドも同じ光景をキャノピー越しに眺めている。戸惑いはモンタナ以上で、完全に思考が停止しているらしい。
「あのメカ・ローバーに乗り移る方法がありゃあ、一番なんだが」
パンダ型メカを空から分析し、モンタナは悔しそうに舌打ちをした。
「・・・っくそう! このままじゃ何もできねェ。一旦、着地するぞ」
「ゴメンね、モンタナ。僕が君の代わりにケティを操縦できないばっかりに・・・」
「いいって」と、モンタナは陽気に首を動かした。
「俺があっちに行っちまったら、お前はこいつを着地させられねェだろう。気にすんな。離着陸は、一番難しいんだ」
モンタナの心遣いに、アルフレッドの劣等感が少しばかり軽くなる。
「・・・メリッサが操縦してるんだ、モンタナ。ケティが潰されない所にね」
「あったりめェよ! 俺の大事なケティが、あんなのに壊させてたまるか!」
モンタナはケティを大きく左に旋回させ、メカ・ローバーの後方に600メートルは距離が確保できるよう着地させた。 ケティを降りたモンタナ、アルフレッド、チャンの3人から、真っ赤なパンダの尻が見える。
「さぁて、どうやってあれに近付くかだが・・・」
遠目にメリッサの奮闘ぶりを傍観していたモンタナであったが、背筋に何か走るものがある事を知った。
メカ・ローバーの頭が、こちらを向いている。Uターンしているのである。
「モンタナさん・・・」
チャンがモンタナの腕にしがみついた。
「わ・・・バカ! よせ、こっちに来るな! ・・・メリッサぁ!」
メカ・ローバーの使う玉乗りの玉が、次第に大きく見えてくる。
それに合わせ、ゼロ卿一味もモンタナ達を目標に走っていた。こちらを巻き込んで、メリッサにメカ・ローバーを止めさせようという魂胆であろう。
600メートルの余裕など、あっという間に100をきった。
「ケティに戻れ!」
モンタナは2人に声をかけたが、チャンが思わぬ行動に出た。
余程驚いたのだろう、チャンはアルフレッドの手を引いて走り始めてしまったのである。
「仕方ねェ!」
モンタナは急ぎケティを発進させる。滑走していた跡を、チャンとアルフレッド、そしてゼロ卿一味に赤パンダが追随していた。
「畜生…!」
チャンとアルフレッドの影に、ゼロ卿一味の影が重なる。目の前の出来事ながら、モンタナには手も足も出なかった。
5人は一緒になりながら、息も絶え絶えにメカ・ローバーの前を走っている。
モンタナはケティの高度を下げ、メカ・ローバーの操縦席にケティの操縦席を向けてみる事にした。
パンダ・メカの右舷から機体を近付け、正面を飛び抜ける際、メリッサと目を合わせる。
視界を遮るようにメカ・ローバーの前を通り、右手の空へ上昇をかけた。
一瞬の対面であったものの、上手くいったようである。
メリッサも元々同じ事を考えていたらしく、パンダ・メカは突如スピードを落とし停止した。
「君は、本当のお嬢様だ」
がっくんという激しい止まり方が、いかにも彼女らしい。もしニトロ博士が側にいたら、大した剣幕になっているのであろう。
メカ・ローバーの前で、足の動かなくなった5人が転がった。今のうちにケティを着地させ、あの2人とメリッサを助け出す事ができればと、モンタナは思う。
しかし、メカ・ローバーの操縦席でメリッサが何やらジェスチャーをしているのを見、考えが変わった。
もう一度低空で旋回し、メリッサの動作を確認する。両手を下ろす動作の後に、腕をクロスさせる。下りてくるなというサインのつもりとモンタナは見た。
畑に根が生えていた筈の五人が動き出す。ゼロ卿がステッキを振り回し、メリッサに向かって何かをわめいていた。
「あいつら…」
モンタナは、ぎりりと唇を噛む。
アルフレッドの後ろにスリムが、チャンの後ろにスラムがついた。
悪党共の手に銃があるとしたら、メリッサもメカ・ローバーから降りない訳にはいかないであろう。アルフレッドとチャンが人質になっている。
面白い事に、これだけ上空を旋回しながら、あのゼロ卿が一度空を見上げたきりであった。
まず、メカ・ローバーの奪回が先決という事のようである。上空にいるモンタナには、全く以て目もくれない。
操縦席でメリッサが、再びジェスチャーを始めた。今度は、両手を下に下ろす動作をしきりと繰り返すのみである。
遠くから見たメリッサが、笑っているように感じられた。
「やれってか・・・」
伝わるか、伝わらないか。モンタナはケティの操縦席からメリッサに、親指を立て、右手で精一杯のGOサインを示した。
メリッサが、ジェスチャーを止める。どうやら、通じたらしい。
「少しばっかり危険かもしれねぇが、4の5の言ってらんねェか。・・・行くぞ、ケティ!」
メカ・ローバーの胸が開き、昇降用のタラップが現れる。
タラップが地面に下りた。
メリッサが、赤パンダの胸から顔を覗かせる。
真っ先にゼロ卿が、タラップを駆け上がろうとする。
モンタナはタイミングを計ると、ケティの機体を真横に倒す。ケティは失速し、メカ・ローバーのタラップ下目掛け際どい低空飛行を敢行した。
冒険航空会社モンタナ(モンタナ・ジョーンズ)同人小説
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第10章 西太后の財宝
カンテラは、小さな石組を闇の中から浮かび上がらせていた。壁面は僅かに弧を描いており、手前側にふくらんでいる。
最初は、次の扉とも考えたが、3人は考えを改めた。抜け道に入る前、これとよく似たものを目の当たりにしている事を思い出す。
「井戸、かもしれないね」
「この向こうがな」
モンタナは、先程と全く同じように、石組の一番下、床に接している下の一列を丁寧に手で触れてみた。
一つ一つ探るうちに、前の井戸と同様、六連の石を発見する。
「ちょっと下がってろよ」
床に跪くと、モンタナは再び石の端と端に手を当て、石を押してみた。
やはり固定されてはいない。石は動いて、石組の向こうへと消えた。
途端に、今まで以上の勢いで風が吹き下ろしてくる。それも、トンネルに入ってから望むべくもなかった新鮮な空気の味がする。
「外に出たんだ!」
石の壁が手前に一度スライドし、ゆっくりと上ってゆく。アルフレッドのみならず、チャンとモンタナもまた満足そうに見上げていた。
口を開いてゆく隙間に、モンタナはカンテラの明りを近付ける。
壁の向こうに、石で囲んだ小部屋程の空間が見えた。四角い空間ではない。風で落ちてきたのか、落ち葉も幾つか舞っている。
「ゴール間近ってとこだな」
モンタナは井戸の中に用心深く足を踏み入れてみた。
筒状になったそこは、先程の井戸よりもかなり浅く掘られていた。見上げた時の空の見え方が、実に広く感じられる。
その分、壁面からくる圧迫感がかなり弱い。
アルフレッドとチャンが、それぞれ自分の鞄を抱きしめ息をつく。これ以上の冒険は望まないと、その全身から滲み出てくるものがあった。
二人は、なかなかよく似ている。
リュックを下ろすとモンタナは、ロープの付いた三つ股の鍵の手を取り出し、井戸の上に向かって投げた。一度は失敗したものの、二度目には、モンタナの手に張りのある手応えが返ってくる。
「先に行くぞ」と、モンタナはロープを手繰り井戸を昇り始めた。腰に力を入れ、ロープを引きつける手と足の踏ん張りで垂直の井戸へ果敢に挑む。
井戸の一番上の石に手を伸ばし、モンタナは井戸から脱出をした。
まず周りを確かめ、人のいない事を下に知らせる。そして、チャン、アルフレッドの順番に、井戸から引き摺り上げてやった。
アルフレッドとチャンは、慣れない全身運動で、すっかり呼吸が荒くなっている。井戸に寄りかかってしゃがみ込み、なかなか言葉を発さなかった。
一足早く、モンタナは周りの様子を観察し、その並々ならぬ施設の様子に、低く口笛を吹く。
井戸は、赤い塀で囲まれたその一角にあった。塀の上には瓦葺きが施され、赤く塗られた塀にも緑と黄色の飾りが豪奢に花を添えている。
モンタナは思い出した。故宮の正門、南の午門にこれと同じ朱が塗られていた事を。この塀は外壁よりも低いが、豪華さに於いて遥かに勝っている。
そして。
流石のモンタナも、息を飲んだ。
自分の後ろから、大きな屋根を冠とした木造の建物がモンタナを見下ろしている。
大きな屋根には瓦が整然と並べられており、美しいがその大きさから何やら言い知れぬ威圧感を受けた。軽々しい好奇心が萎んでしまいそうな程、それは豪華というより荘厳と呼ぶべき威厳をたたえている。
最初、モンタナは東洋の寺かと思った。が、もしここが故宮なら、寺というのもおかしい気がする。
白い石を積んだその上に建つ建物は、朱塗りの柱に支えられており、東洋的な美しさで、モンタナを強く魅きつけていた。
全容見たさに、カンテラを翳す。が、手元の明りだけでは、少々心もとない。
侵入者の持つ小さなカンテラなど、その建物は大きさ一つで一蹴していた。わかっていた事であるのに、モンタナは自分のした行為をつい失笑してしまう。
人の手になる照明で、この建物の全貌を暴く事などできるのであろうか。
否。モンタナには、わかっていた。
この建物の屋根を灯し、その姿を一望する事ができるのものは、おそらくこの世にただ一つ。天上より人の有りようを見下ろしている、かの太陽だけなのである、と。
人は、建物の威風でその権威を表すのを好むという。この建物がそれをも目的としているのなら、効果は絶大だったろうと、モンタナは息を詰めた。
建物の纏っている暗闇に、自然と身を固くする。
明りがなければ自分の手元さえ定かではない、夜の闇。この闇が自分達の味方であると信じていたのだが、建物は夜の侵入者に警告を発していた。
夜だからこそ、分をわきまえ近付かぬようにと。
望まれていない、秘密を暴こうとしている者である事を、モンタナは思い知らされた。罪悪感と好奇心が、脳の真ん中でせめぎあう。
井戸に近付き、チャンにわかるよう建物を指さす。
「チャンさん、あの建物は?」
「え・・・と」
すっかり呼吸の整ったチャンが、井戸から離れ目を丸くする。吸い寄せられるように建物に近付くと、肩を震わせ、振り返った。
「こ、ここです! 養心殿は、この建物です!」
「何だって!?」
ロック・クライミングに辟易としていたアルフレッドが、機嫌を直して立ち上がる。
「やっぱり!」
勢い建物に近付こうとしたが、闇の赤黒く浮かび上がる木造の建物に、上機嫌も何処へやら、足元が突然躊躇する。
「モ、モンタナぁ・・・」
指さす先は、養心殿の二つある入り口の一つ。開けて下さいと、その渋面には書いてあった。
「しょうがねェなぁ・・・」
カンテラを頭上に翳し、モンタナは戸を開ける。がたついて力が要ったが、鍵がないので問題はなかった。
「随分と不用心なんだな」
「展示品を持ち出す際、多少の混乱があったのでしょう」
後ろから、チャンがやって来た。
「持ち出したって・・・、何で?」
モンタナの問いに、チャンが沈痛な面持ちで顔を上げる。
「・・・実は今、この故宮は極一部しか公開されていません。略奪を恐れ、博物館に収臓していた品々を、この北京から運び出したという噂を聞いた事があります」
「革命と戦争がいっぺんに起きてるって、あれか」
「はい。噂が本当なら、ここには現在何もない筈です。多少荒れているのも、その所為なのだと思うのですが・・・」
モンタナはチャンの目をじっと見つめ、「そうか」と、呟いた。
「お宝っていうのは、博物館でもおネンネしてらんねェんだな」
「はい…」
「んなら、ここにある西太后の財宝も、今のままじゃ危ねェって事か・・・。馬鹿は、ゼロ卿だけじゃねェんだな」
「そうだよ、モンタナ!」
憤りも露に、怯えていた筈のアルフレッドが拳を握る。
「考古学的遺産は、本来その国の人達の財産なんだ! 他の国に持ち出していいもんじゃない。ましてや、個人の収集品になるなんて、最低の末路だよ!」
アルフレッドの話は、暗にゼロ卿を指していた。モンタナは、両手を下に向け雰囲気を鎮める仕種をする。
「ギルト博士は、きっとここまでお見通しだったんだろう。・・・アルフレッド、これが俺達の本当の任務かもしれねェな」
「西太后の財宝を守れ・・・、まさにその通りだね」
熱く語り合う2人の影を、カンテラの明りが養心殿の床に長く落とす。チャンは、そんな2人の横に無言で立っていた。
カンテラが動き出す。養心殿の中はチャンが先導し、黄金で飾られた部屋を3人が抜けていく。カンテラの明りが揺れ、黄金は部屋を灯す明りのように輝いた。
しかし、室内が豪華な割には家具や道具の類いはほとんど見られない。チャンの言う通り、ここから運び出されたという形跡も伺えた。
きらびやかな黄金に目を奪われてしまいそうだが、がらんとした室内だけに、何か白けたものを感じてしまう。
「ここが東暖閣です」
チャンの足が止まった。
養心殿に入った時、最初に目を引いた黄金の部屋よりも、殺風景な印象があった。それもその筈、御他聞に漏れず調度品の類いがほとんど持ち去られているらしい。
あるのは、床に敷かれた大きな絨毯と、部屋の一部を仕切っている黄色い簾のみである。
部屋そのものも、黄金の部屋よりも小さかった。そこかしこに、それは見事な透かし彫りがあるものの、今はかつて人が使っていたという面影など失われている。
「ここが、あの絵の場所だってェのか!? すっかり何もなくなっちまってるじゃねェか!」
国情を察しつつも、モンタナは3人分の本音を吐いた。博物館側に出し抜かれたのが自分達のようで、やり場にない憤りをつい感じてしまう。
「ここまでないとなると、もしや西太后の財宝も・・・」
チャンも気弱に立ち尽くす。長旅のゴールが引越し後では、彼のやりきれなさも尋常ではないのであろう。
「まさか! きっと、西太后の財宝は隠し場所に今も残っている筈です」
「しかし、アルフレッド先生・・・」
言葉を詰まらせるチャンへ、アルフレッドは自信ありげに首を横へと振った。
「そうそう、チャンさん」
モンタナも、いつもの陽気さで人指し指を立てた。
「これだけ物がなくなりゃあ、どかしながら探す手間が省けたってもんでしょ」
「はぁ・・・」
チャンは、尚も釈然としない様子で溜め息をつく。
気弱になった学者を励ましながら、モンタナは簾を捲りその向こうを覗き込んだ。振り返って叫ぶ。
「おーい、アルフレッド。簾に隠れて椅子があったぞ!」
「えっ!」
アルフレッドとチャンが、黄色い簾を巻き上げてモンタナと同じものをそこに見出だした。
「西太后の使っていた室座でしょう。大きいので、この場に残したのかもしれません」
チャンの言葉に相槌はない。アルフレッドは、全く別の事を考えていた。
「ここで西太后は、臣下を相手に垂簾聴政を行っていたんだ・・・」
チャンの肩を叩き、モンタナは首を振る。気持ちがわかるのか、チャンも表情でそれに応えた。
アルフレッドは、すっかり陶酔している。中国は清の時代に、今、彼は推理と想像の翼で羽ばたいているのであろう。
アルフレッドとチャンには、主のいない室座に西太后の姿を重ね合わせる事ができた。
19世紀に生き、アメリカやヨーロッパ諸国と戦争を行いながら、妥協し、封建制度の晩年を支えた清の女傑。
ここには、今も微かに彼女の温もりが残っているような気さえしていた。
この室座もまた、西太后の生き様を知る歴史の証人として、2人の学者に当時の様子を語り聴かせている。
モンタナはこの場を譲りながらも、何処か冷めた目で室座を眺めていた。
まだ最後の仕上げが残っている。そして、明日の朝には、ゼロ卿と一戦やり合わなければならないからである。
メリッサは、今どうしているのだろうか。食事はちゃんと取らせてもらっているのか。
モンタナの心は二つに別れ、一つはここにあると思われる財宝に、そしてもう一つは念壇にいるニトロ博士の曲芸メカ・パンダへと思いを馳せていた。
「そろそろ、いいか・・・」
モンタナは室座を少し動かし、その下にある床を丹念に調べてみた。
隙間らしいものが、床よりも暗い色で一本の線を引く。
「あったぞ」の一言に、つい力が入った。
2人の学者は、色めきたつ。
「何処、何処?」
「ここ」
床の一部、ちょうど室座の足が踏んでいた所を、モンタナはすとっと指さした。
「ここを開ける為の仕掛けが、また何処かにあると思うんだが・・・」
「探してみましょうか」
アルフレッドが、熱まだ冷めやらぬ様子でチャンを促した。
「はい」
アルフレッドが左手の壁を、チャンが右手の壁を、それぞれ手応えを頼りに指を走らせ探りを入れる。
室座の周辺には、透かし彫りの壁飾りがコの字型にあしらわれている。チャンの注意が、そこへと注がれた。
ゆっくりと彫り物を嘗めてゆく細い指が、途中で止まる。幾つもある月のような模様の一つを、チャンがくるりと撫でた。
「やっぱり・・・。モンタナさん! アルフレッド先生!」
チャンが2人を呼んだ。
「ここを見て下さい」
模様の真ん中をチャンが指で押し上げる。すると、模様の透かし彫りはぽろりと外れ、チャンの掌に落ちた。
その下から、カンテラの光を受けて輝くものが現れる。
「青い宝石・・・サファイアだ!」
「こりゃ、おったまげた・・・」
眼鏡をかけるアルフレッドの隣で、モンタナは顎に手をやる。
「・・・まだ、ありますね」
チャンがもう一つ、月の模様を取り外した。今度は、壁に穿たれた模様大の穴が顔を覗かせる。
二度目ともなると、チャンも躊躇しなかった。鞄から出した龍の短剣を、宝石の方に龍の頭が向くよう差し込んだ。
「行きます・・・」
「OK」
モンタナは、カンテラを引き寄せ次の動作に備える。いよいよだという機運に、むずむずと走る高揚感を体全体で感じていた。
隣にいるアルフレッドもまた、息をしていないかのように身じろきもしない。
ボストンから始まった、今回の宝探し。念壇で過ごした謎解きの興奮、そしてゼロ卿との不愉快な駆け引き、更には北京までの馬車移動。井戸の秘密を知るまでの苦労も、地下での冒険も、みなこの一瞬の為だけにあったと言ってもいい。
毎回、相当の無理と苦労を重ねているが、この時を迎えると、たまった疲れは何処かへ霧散してしまう。
手に汗の湿り気を覚えた。口の中が乾くのも、この一瞬ならではの傾向であろう。
チャンの手元に合わせ、床が少し、また少しと四角い口を開き始めた。
モンタナは、上からカンテラを翳す。
一段低い床が様々な色に輝き、一瞬ではあるが、辺りが虹色に満たされた。
「すっげーっ!!」
「これだよ!!」
床に四つん這いになった2人は、息を飲む。
光の主は、二つの首飾りであった。カンテラの光を浴び、それらは自分自身で光を発しているかのように3人の目を襲う。
誰しも、指先が小刻みに震えた。目頭から、胸の奥から、言葉にならない熱いものがどっと込み上げてくる。
チャンの目には、うっすらと光るものがあった。モンタナやアルフレッドと同じものを共有しているのか、それとも彼なりのもので心を満たしているのかは知る由もない。
チャンがいつまで経っても動かないので、モンタナとアルフレッドが、首飾りをそっと持ち上げ、現代の空気の中に晒してやった。
モンタナの手にしている首飾りは、ダイヤとサファイヤ、ルビーなどが、豪華にあしらわれ、中央の大きなダイヤを華麗に引き立てている。明らかにヨーロッパで作られたとわかるデザインをしており、故宮から発見されたというと違和感を覚える品物であった。
一方、アルフレッドの持つ首飾りは、金を金具の他に飾りとしても用い、その上に真珠とルビーが散りばめられていた。個々の細工は東洋的であるのに対し、デザインは隣にあった首飾りと大変よく似ていた。
少々、不思議な取合わせである。
「モンタナの持っている首飾りは・・・、本当にヨーロッパからやって来たものなんだ」
アルフレッドが、熱弁を奮った。
「明の時代、フランスからヨーロッパの品が沢山入ってきているんだよ。これは、その時のものかもしれない。或いは、西太后自身に贈られた品物なのかも。・・・きっと、西太后は、それをこよなく愛していたんだ」
「それなら、その首飾りは?」
モンタナは、アルフレッドの持つ首飾りを指摘する。そして、宝石で自分の掌が埋まる程の首飾りをそっとチャンに手渡した。
震える両手で、チャンがそれを受取る。
「東洋的であり、西洋的でもある・・・。チャンさん・・・」
アルフレッドが問いかけたが、チャンもまた首を横に振った。
「私にも心当たりは全く・・・」
カンテラを持ち、モンタナは立ち上がった。
「ま、新しい謎ってとこじゃないのか。そろそろ動き出そうぜ。・・・アルフレッド、今、何時だ?」
手元の時計を見、アルフレッドの顔色が変わった。
「どうしよう! もう夜中の3時を過ぎてる! 早いとこ念壇に戻らないと、メリッサが・・・!」
「そういう事った。さ、アルフレッドもチャンさんも、急いだ。名残惜しいが、こことも一旦おさらばだ」
チャンが二つの首飾りをアルフレッドに託し、アルフレッドはそれを空になっている自分の鞄へと大切にしまった。
仕掛けを元の状態に戻し、室座をその上にしつらえる。
東暖閣を名残惜しげに振り返るチャンを促し、モンタナはアルフレッドと共に養心殿の井戸に降りた。
抜け道を急ぎ通ったものの、夜明け前では北京を発つ馬車など拾える筈もない。
朝方、北京で野菜を売る農家の男性に頼み込み、北京から南に少しばかり運んでもらう。しかしその後には運に恵まれず、3人は5回も馬車を乗り継ぐ羽目に陥った。
日は東の空を南に向かって転がってゆく。
「これじゃあ、大遅刻だよ!」
「仕方ねェだろ!」
モンタナは、アルフレッドと何度目かの同じ会話にうんざりしていた。
「俺だって急ぎてェのは同じなんだ。これ以上は早くならねェんだから、我慢するっきゃねェだろ!」
「でも、ゼロ卿の機嫌はきっと最悪だよ。これじゃあ、上手くいくものもいかなくなっちゃうかも・・・」
アルフレッドが、馬車に揺れながらモンタナが考えた作戦に不安を唱える。
「お前がもし、この馬車に翼をつけてくれたら、俺が何とかしてやるって」
モンタナは、苛々と帽子を被り直した。
「・・・そんな言い方をしなくったって・・・」
「ここは辛抱だよ、アルレッド君」
モンタナは、ギルト博士の口真似をする。焦っても状況が変わるものではないのだから、仕方がない。
「どうせ、この首飾りを少しでもちらつかせてやりゃあ、オッサンの機嫌も直るだろうよ。問題は、その後だ。楽しくなって、一体何をやらかすか・・・」
「ち、ちょっと、モンタナぁ・・・」
ジョークにならない脅し文句に、アルフレッドが悪寒を覚えた。
「ま、俺に任せてくれ」
怯えきったアルフレッドと無言のチャンを横目に、モンタナは朝の風を全身で楽しんでいる。
空腹感が、段々と麻痺してゆく。3人がようやくケティに戻る事ができたのは、昼少し前であった。
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第10章 西太后の財宝
カンテラは、小さな石組を闇の中から浮かび上がらせていた。壁面は僅かに弧を描いており、手前側にふくらんでいる。
最初は、次の扉とも考えたが、3人は考えを改めた。抜け道に入る前、これとよく似たものを目の当たりにしている事を思い出す。
「井戸、かもしれないね」
「この向こうがな」
モンタナは、先程と全く同じように、石組の一番下、床に接している下の一列を丁寧に手で触れてみた。
一つ一つ探るうちに、前の井戸と同様、六連の石を発見する。
「ちょっと下がってろよ」
床に跪くと、モンタナは再び石の端と端に手を当て、石を押してみた。
やはり固定されてはいない。石は動いて、石組の向こうへと消えた。
途端に、今まで以上の勢いで風が吹き下ろしてくる。それも、トンネルに入ってから望むべくもなかった新鮮な空気の味がする。
「外に出たんだ!」
石の壁が手前に一度スライドし、ゆっくりと上ってゆく。アルフレッドのみならず、チャンとモンタナもまた満足そうに見上げていた。
口を開いてゆく隙間に、モンタナはカンテラの明りを近付ける。
壁の向こうに、石で囲んだ小部屋程の空間が見えた。四角い空間ではない。風で落ちてきたのか、落ち葉も幾つか舞っている。
「ゴール間近ってとこだな」
モンタナは井戸の中に用心深く足を踏み入れてみた。
筒状になったそこは、先程の井戸よりもかなり浅く掘られていた。見上げた時の空の見え方が、実に広く感じられる。
その分、壁面からくる圧迫感がかなり弱い。
アルフレッドとチャンが、それぞれ自分の鞄を抱きしめ息をつく。これ以上の冒険は望まないと、その全身から滲み出てくるものがあった。
二人は、なかなかよく似ている。
リュックを下ろすとモンタナは、ロープの付いた三つ股の鍵の手を取り出し、井戸の上に向かって投げた。一度は失敗したものの、二度目には、モンタナの手に張りのある手応えが返ってくる。
「先に行くぞ」と、モンタナはロープを手繰り井戸を昇り始めた。腰に力を入れ、ロープを引きつける手と足の踏ん張りで垂直の井戸へ果敢に挑む。
井戸の一番上の石に手を伸ばし、モンタナは井戸から脱出をした。
まず周りを確かめ、人のいない事を下に知らせる。そして、チャン、アルフレッドの順番に、井戸から引き摺り上げてやった。
アルフレッドとチャンは、慣れない全身運動で、すっかり呼吸が荒くなっている。井戸に寄りかかってしゃがみ込み、なかなか言葉を発さなかった。
一足早く、モンタナは周りの様子を観察し、その並々ならぬ施設の様子に、低く口笛を吹く。
井戸は、赤い塀で囲まれたその一角にあった。塀の上には瓦葺きが施され、赤く塗られた塀にも緑と黄色の飾りが豪奢に花を添えている。
モンタナは思い出した。故宮の正門、南の午門にこれと同じ朱が塗られていた事を。この塀は外壁よりも低いが、豪華さに於いて遥かに勝っている。
そして。
流石のモンタナも、息を飲んだ。
自分の後ろから、大きな屋根を冠とした木造の建物がモンタナを見下ろしている。
大きな屋根には瓦が整然と並べられており、美しいがその大きさから何やら言い知れぬ威圧感を受けた。軽々しい好奇心が萎んでしまいそうな程、それは豪華というより荘厳と呼ぶべき威厳をたたえている。
最初、モンタナは東洋の寺かと思った。が、もしここが故宮なら、寺というのもおかしい気がする。
白い石を積んだその上に建つ建物は、朱塗りの柱に支えられており、東洋的な美しさで、モンタナを強く魅きつけていた。
全容見たさに、カンテラを翳す。が、手元の明りだけでは、少々心もとない。
侵入者の持つ小さなカンテラなど、その建物は大きさ一つで一蹴していた。わかっていた事であるのに、モンタナは自分のした行為をつい失笑してしまう。
人の手になる照明で、この建物の全貌を暴く事などできるのであろうか。
否。モンタナには、わかっていた。
この建物の屋根を灯し、その姿を一望する事ができるのものは、おそらくこの世にただ一つ。天上より人の有りようを見下ろしている、かの太陽だけなのである、と。
人は、建物の威風でその権威を表すのを好むという。この建物がそれをも目的としているのなら、効果は絶大だったろうと、モンタナは息を詰めた。
建物の纏っている暗闇に、自然と身を固くする。
明りがなければ自分の手元さえ定かではない、夜の闇。この闇が自分達の味方であると信じていたのだが、建物は夜の侵入者に警告を発していた。
夜だからこそ、分をわきまえ近付かぬようにと。
望まれていない、秘密を暴こうとしている者である事を、モンタナは思い知らされた。罪悪感と好奇心が、脳の真ん中でせめぎあう。
井戸に近付き、チャンにわかるよう建物を指さす。
「チャンさん、あの建物は?」
「え・・・と」
すっかり呼吸の整ったチャンが、井戸から離れ目を丸くする。吸い寄せられるように建物に近付くと、肩を震わせ、振り返った。
「こ、ここです! 養心殿は、この建物です!」
「何だって!?」
ロック・クライミングに辟易としていたアルフレッドが、機嫌を直して立ち上がる。
「やっぱり!」
勢い建物に近付こうとしたが、闇の赤黒く浮かび上がる木造の建物に、上機嫌も何処へやら、足元が突然躊躇する。
「モ、モンタナぁ・・・」
指さす先は、養心殿の二つある入り口の一つ。開けて下さいと、その渋面には書いてあった。
「しょうがねェなぁ・・・」
カンテラを頭上に翳し、モンタナは戸を開ける。がたついて力が要ったが、鍵がないので問題はなかった。
「随分と不用心なんだな」
「展示品を持ち出す際、多少の混乱があったのでしょう」
後ろから、チャンがやって来た。
「持ち出したって・・・、何で?」
モンタナの問いに、チャンが沈痛な面持ちで顔を上げる。
「・・・実は今、この故宮は極一部しか公開されていません。略奪を恐れ、博物館に収臓していた品々を、この北京から運び出したという噂を聞いた事があります」
「革命と戦争がいっぺんに起きてるって、あれか」
「はい。噂が本当なら、ここには現在何もない筈です。多少荒れているのも、その所為なのだと思うのですが・・・」
モンタナはチャンの目をじっと見つめ、「そうか」と、呟いた。
「お宝っていうのは、博物館でもおネンネしてらんねェんだな」
「はい…」
「んなら、ここにある西太后の財宝も、今のままじゃ危ねェって事か・・・。馬鹿は、ゼロ卿だけじゃねェんだな」
「そうだよ、モンタナ!」
憤りも露に、怯えていた筈のアルフレッドが拳を握る。
「考古学的遺産は、本来その国の人達の財産なんだ! 他の国に持ち出していいもんじゃない。ましてや、個人の収集品になるなんて、最低の末路だよ!」
アルフレッドの話は、暗にゼロ卿を指していた。モンタナは、両手を下に向け雰囲気を鎮める仕種をする。
「ギルト博士は、きっとここまでお見通しだったんだろう。・・・アルフレッド、これが俺達の本当の任務かもしれねェな」
「西太后の財宝を守れ・・・、まさにその通りだね」
熱く語り合う2人の影を、カンテラの明りが養心殿の床に長く落とす。チャンは、そんな2人の横に無言で立っていた。
カンテラが動き出す。養心殿の中はチャンが先導し、黄金で飾られた部屋を3人が抜けていく。カンテラの明りが揺れ、黄金は部屋を灯す明りのように輝いた。
しかし、室内が豪華な割には家具や道具の類いはほとんど見られない。チャンの言う通り、ここから運び出されたという形跡も伺えた。
きらびやかな黄金に目を奪われてしまいそうだが、がらんとした室内だけに、何か白けたものを感じてしまう。
「ここが東暖閣です」
チャンの足が止まった。
養心殿に入った時、最初に目を引いた黄金の部屋よりも、殺風景な印象があった。それもその筈、御他聞に漏れず調度品の類いがほとんど持ち去られているらしい。
あるのは、床に敷かれた大きな絨毯と、部屋の一部を仕切っている黄色い簾のみである。
部屋そのものも、黄金の部屋よりも小さかった。そこかしこに、それは見事な透かし彫りがあるものの、今はかつて人が使っていたという面影など失われている。
「ここが、あの絵の場所だってェのか!? すっかり何もなくなっちまってるじゃねェか!」
国情を察しつつも、モンタナは3人分の本音を吐いた。博物館側に出し抜かれたのが自分達のようで、やり場にない憤りをつい感じてしまう。
「ここまでないとなると、もしや西太后の財宝も・・・」
チャンも気弱に立ち尽くす。長旅のゴールが引越し後では、彼のやりきれなさも尋常ではないのであろう。
「まさか! きっと、西太后の財宝は隠し場所に今も残っている筈です」
「しかし、アルフレッド先生・・・」
言葉を詰まらせるチャンへ、アルフレッドは自信ありげに首を横へと振った。
「そうそう、チャンさん」
モンタナも、いつもの陽気さで人指し指を立てた。
「これだけ物がなくなりゃあ、どかしながら探す手間が省けたってもんでしょ」
「はぁ・・・」
チャンは、尚も釈然としない様子で溜め息をつく。
気弱になった学者を励ましながら、モンタナは簾を捲りその向こうを覗き込んだ。振り返って叫ぶ。
「おーい、アルフレッド。簾に隠れて椅子があったぞ!」
「えっ!」
アルフレッドとチャンが、黄色い簾を巻き上げてモンタナと同じものをそこに見出だした。
「西太后の使っていた室座でしょう。大きいので、この場に残したのかもしれません」
チャンの言葉に相槌はない。アルフレッドは、全く別の事を考えていた。
「ここで西太后は、臣下を相手に垂簾聴政を行っていたんだ・・・」
チャンの肩を叩き、モンタナは首を振る。気持ちがわかるのか、チャンも表情でそれに応えた。
アルフレッドは、すっかり陶酔している。中国は清の時代に、今、彼は推理と想像の翼で羽ばたいているのであろう。
アルフレッドとチャンには、主のいない室座に西太后の姿を重ね合わせる事ができた。
19世紀に生き、アメリカやヨーロッパ諸国と戦争を行いながら、妥協し、封建制度の晩年を支えた清の女傑。
ここには、今も微かに彼女の温もりが残っているような気さえしていた。
この室座もまた、西太后の生き様を知る歴史の証人として、2人の学者に当時の様子を語り聴かせている。
モンタナはこの場を譲りながらも、何処か冷めた目で室座を眺めていた。
まだ最後の仕上げが残っている。そして、明日の朝には、ゼロ卿と一戦やり合わなければならないからである。
メリッサは、今どうしているのだろうか。食事はちゃんと取らせてもらっているのか。
モンタナの心は二つに別れ、一つはここにあると思われる財宝に、そしてもう一つは念壇にいるニトロ博士の曲芸メカ・パンダへと思いを馳せていた。
「そろそろ、いいか・・・」
モンタナは室座を少し動かし、その下にある床を丹念に調べてみた。
隙間らしいものが、床よりも暗い色で一本の線を引く。
「あったぞ」の一言に、つい力が入った。
2人の学者は、色めきたつ。
「何処、何処?」
「ここ」
床の一部、ちょうど室座の足が踏んでいた所を、モンタナはすとっと指さした。
「ここを開ける為の仕掛けが、また何処かにあると思うんだが・・・」
「探してみましょうか」
アルフレッドが、熱まだ冷めやらぬ様子でチャンを促した。
「はい」
アルフレッドが左手の壁を、チャンが右手の壁を、それぞれ手応えを頼りに指を走らせ探りを入れる。
室座の周辺には、透かし彫りの壁飾りがコの字型にあしらわれている。チャンの注意が、そこへと注がれた。
ゆっくりと彫り物を嘗めてゆく細い指が、途中で止まる。幾つもある月のような模様の一つを、チャンがくるりと撫でた。
「やっぱり・・・。モンタナさん! アルフレッド先生!」
チャンが2人を呼んだ。
「ここを見て下さい」
模様の真ん中をチャンが指で押し上げる。すると、模様の透かし彫りはぽろりと外れ、チャンの掌に落ちた。
その下から、カンテラの光を受けて輝くものが現れる。
「青い宝石・・・サファイアだ!」
「こりゃ、おったまげた・・・」
眼鏡をかけるアルフレッドの隣で、モンタナは顎に手をやる。
「・・・まだ、ありますね」
チャンがもう一つ、月の模様を取り外した。今度は、壁に穿たれた模様大の穴が顔を覗かせる。
二度目ともなると、チャンも躊躇しなかった。鞄から出した龍の短剣を、宝石の方に龍の頭が向くよう差し込んだ。
「行きます・・・」
「OK」
モンタナは、カンテラを引き寄せ次の動作に備える。いよいよだという機運に、むずむずと走る高揚感を体全体で感じていた。
隣にいるアルフレッドもまた、息をしていないかのように身じろきもしない。
ボストンから始まった、今回の宝探し。念壇で過ごした謎解きの興奮、そしてゼロ卿との不愉快な駆け引き、更には北京までの馬車移動。井戸の秘密を知るまでの苦労も、地下での冒険も、みなこの一瞬の為だけにあったと言ってもいい。
毎回、相当の無理と苦労を重ねているが、この時を迎えると、たまった疲れは何処かへ霧散してしまう。
手に汗の湿り気を覚えた。口の中が乾くのも、この一瞬ならではの傾向であろう。
チャンの手元に合わせ、床が少し、また少しと四角い口を開き始めた。
モンタナは、上からカンテラを翳す。
一段低い床が様々な色に輝き、一瞬ではあるが、辺りが虹色に満たされた。
「すっげーっ!!」
「これだよ!!」
床に四つん這いになった2人は、息を飲む。
光の主は、二つの首飾りであった。カンテラの光を浴び、それらは自分自身で光を発しているかのように3人の目を襲う。
誰しも、指先が小刻みに震えた。目頭から、胸の奥から、言葉にならない熱いものがどっと込み上げてくる。
チャンの目には、うっすらと光るものがあった。モンタナやアルフレッドと同じものを共有しているのか、それとも彼なりのもので心を満たしているのかは知る由もない。
チャンがいつまで経っても動かないので、モンタナとアルフレッドが、首飾りをそっと持ち上げ、現代の空気の中に晒してやった。
モンタナの手にしている首飾りは、ダイヤとサファイヤ、ルビーなどが、豪華にあしらわれ、中央の大きなダイヤを華麗に引き立てている。明らかにヨーロッパで作られたとわかるデザインをしており、故宮から発見されたというと違和感を覚える品物であった。
一方、アルフレッドの持つ首飾りは、金を金具の他に飾りとしても用い、その上に真珠とルビーが散りばめられていた。個々の細工は東洋的であるのに対し、デザインは隣にあった首飾りと大変よく似ていた。
少々、不思議な取合わせである。
「モンタナの持っている首飾りは・・・、本当にヨーロッパからやって来たものなんだ」
アルフレッドが、熱弁を奮った。
「明の時代、フランスからヨーロッパの品が沢山入ってきているんだよ。これは、その時のものかもしれない。或いは、西太后自身に贈られた品物なのかも。・・・きっと、西太后は、それをこよなく愛していたんだ」
「それなら、その首飾りは?」
モンタナは、アルフレッドの持つ首飾りを指摘する。そして、宝石で自分の掌が埋まる程の首飾りをそっとチャンに手渡した。
震える両手で、チャンがそれを受取る。
「東洋的であり、西洋的でもある・・・。チャンさん・・・」
アルフレッドが問いかけたが、チャンもまた首を横に振った。
「私にも心当たりは全く・・・」
カンテラを持ち、モンタナは立ち上がった。
「ま、新しい謎ってとこじゃないのか。そろそろ動き出そうぜ。・・・アルフレッド、今、何時だ?」
手元の時計を見、アルフレッドの顔色が変わった。
「どうしよう! もう夜中の3時を過ぎてる! 早いとこ念壇に戻らないと、メリッサが・・・!」
「そういう事った。さ、アルフレッドもチャンさんも、急いだ。名残惜しいが、こことも一旦おさらばだ」
チャンが二つの首飾りをアルフレッドに託し、アルフレッドはそれを空になっている自分の鞄へと大切にしまった。
仕掛けを元の状態に戻し、室座をその上にしつらえる。
東暖閣を名残惜しげに振り返るチャンを促し、モンタナはアルフレッドと共に養心殿の井戸に降りた。
抜け道を急ぎ通ったものの、夜明け前では北京を発つ馬車など拾える筈もない。
朝方、北京で野菜を売る農家の男性に頼み込み、北京から南に少しばかり運んでもらう。しかしその後には運に恵まれず、3人は5回も馬車を乗り継ぐ羽目に陥った。
日は東の空を南に向かって転がってゆく。
「これじゃあ、大遅刻だよ!」
「仕方ねェだろ!」
モンタナは、アルフレッドと何度目かの同じ会話にうんざりしていた。
「俺だって急ぎてェのは同じなんだ。これ以上は早くならねェんだから、我慢するっきゃねェだろ!」
「でも、ゼロ卿の機嫌はきっと最悪だよ。これじゃあ、上手くいくものもいかなくなっちゃうかも・・・」
アルフレッドが、馬車に揺れながらモンタナが考えた作戦に不安を唱える。
「お前がもし、この馬車に翼をつけてくれたら、俺が何とかしてやるって」
モンタナは、苛々と帽子を被り直した。
「・・・そんな言い方をしなくったって・・・」
「ここは辛抱だよ、アルレッド君」
モンタナは、ギルト博士の口真似をする。焦っても状況が変わるものではないのだから、仕方がない。
「どうせ、この首飾りを少しでもちらつかせてやりゃあ、オッサンの機嫌も直るだろうよ。問題は、その後だ。楽しくなって、一体何をやらかすか・・・」
「ち、ちょっと、モンタナぁ・・・」
ジョークにならない脅し文句に、アルフレッドが悪寒を覚えた。
「ま、俺に任せてくれ」
怯えきったアルフレッドと無言のチャンを横目に、モンタナは朝の風を全身で楽しんでいる。
空腹感が、段々と麻痺してゆく。3人がようやくケティに戻る事ができたのは、昼少し前であった。
冒険航空会社モンタナ(モンタナ・ジョーンズ)同人小説
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第9章 地下通路
故宮の北西、北海という大きな池の中洲と池の周辺に、その北海公園はあった。北京の繁華街にある公園の中でも、比較的大きな方に入るとの事である。
中洲に入る為の東門は、やはり夜になったので閉ざされてしまった。
「ここも駄目なのかな?」
抱えていた鞄を抱きしめ、アルフレッドが項垂れる。
「もう8時を過ぎちゃったよ。そろそろ故宮に入らないと・・・」
気ぜわしく足を踏み鳴らすアルフレッドには、焦りの色が表れている。
「そんな事言ってもよォ・・・」
モンタナとて宛てはなかったが、取り敢えず周囲を見回してみた。
「こうなりゃ、池の周りから探りを入れてみるか」
「そうだね」
止むを得ず3人は東門を離れ、南に向かって歩き出した。右回りに、北海を一周しようというのである。
夜の北海公園は、見通しがよい割には照明が少なく、かなり暗く感じられた。夜である事も手伝ってか、道を外れると、人通りはほとんどなくなってしまう。
池の周囲を歩いているので、右手には常に池と中洲が、そして左手には北京の繁華街があった。
中洲の建物もそれらしいが、池の周囲にも史跡と思しき建造物がある。
池の南東にさしかかった頃、建物の西側で、アルフレッドが立ち止まった。
「ねぇ、モンタナ! ねぇ! ここに井戸があるよ!」
「どうした!」
モンタナは、チャンを後ろにアルフレッドが指さす場所に走り寄った。木造の建物の影で、アルフレッドが盛んに動き回っている。
「ほら、この井戸。枯れていて、もう使われてはいないんだ」
アルフレッドが、拳程の石を井戸に投げた。水を弾く音はせず、乾いた土の音がする。
「それなのに、ほら。積み上げてある石は角がこんなに鋭くなってる」
ふっくらとした指が、幾つもある石の隅を指した。
「なるほどね。水周りの石にしちゃ、きれいすぎらァ」
モンタナが目の色を変える。雨に洗われてはいるものの、苔や湿気のたまった跡もない。
「怪しいな、こりゃ」
「だろう? この井戸は、1度だって水を汲み上げた事なんてないんだよ。別の目的でここに作られているんだ、おそらくは」
「入ってみるか?」
モンタナの青い瞳が、きらりと光る。
「蝋燭に火をつけてね」
「勿論!」
モンタナはまず蝋燭に紐を結びつけ、真横になったところで釣り合うよう調節した。その蝋燭に火を灯し井戸にゆっくりと下ろしてゆく。
火はゆらゆらと揺れながら、次第に小さくなっていった。
「大丈夫、火は消えねェぞ」
紐を延ばし続け、モンタナは安堵する。
「それにしても、よく火が揺れるね」
「井戸の空気が動いてるんだ。俺達の思っている通りって事かもしれねェ」
モンタナの手から、蝋燭の重みが消えた。
「どうやら、井戸の底まで火は消えなかったようだな。次は、俺達の番だ」
「ぼ、僕達の番って・・・」
それが自分も含まれるのだと知り、アルフレッドが途端にげんなりと頭を垂れる。
「行くっきゃねェの! ほらほら!」
井戸の水を汲み出す為の縄をしっかりかけ直し、まずモンタナが、そしてチャンが、しんがりにアルフレッドがついて井戸の底へと下りる。
地中の湿り気が漂ってはいたが、案の定、井戸の中には過去に水を張った形跡が何処にもなかった。
次の目印を探しながら、チャンがアルフレッドに問う。
「この井戸に不審を抱いた者はいなかったのでしょうか?」
「もしかしたら、いたのかもしれません。ただ・・・」
「ただ?」
「井戸を調べるのには、危険が伴います。悪戯に事故を引き起こすべきではないと考えたのなら、誰も入ってはこなかったでしょう。この井戸を調べるのは、我々が最初という事になるのだと思います」
「よく考えていますね」
「それだけに、いわくありげな井戸という気がしませんか?」
「はい」
モンタナは、井戸の底と、筒状になった側面の石を一つ一つ調べてみた。他に比べて浮き上がっている石、色や形の違う石がありはしないかを、丁寧にライターの明りで確かめる。
「人が通れる位のものはある筈なんだが・・・」
井戸の底に跪き、一番底寄りの石一列を順に比較してみる。大きさはほぼ同じ、色もこれといった違いはない。
が、おかしな事に気がついた。石と石の繋ぎ目が、妙に狭いものが幾つか続いている。石同士の隙間がほとんどないものは、1、2、3・・・、全部で5箇所もあった。
ライターを近付けてみると、火が異様に煽られて揺れる。この近くから、風が吹き出している場所があるからであろう。
「見つけたぞ」
「えっ!」
アルフレッドとチャンが腰を屈め、モンタナの手元に吸い寄せられる。
「刻み目を入れてあるが、こりゃ、一つの石を6つに見せているだけだぞ。・・・動かせるかもしれねェ」
モンタナの手が慎重に、六連の石のそれぞれ端を押した。アルフレッドとチャンは、固唾を飲んで見守っている。
モンタナは、石を押し続けた。風が来るのだ、この向こうに空間がある事を疑う根拠は何処にもない。
重い手応えに、自分のやり方への疑問は出てくる。
が、モンタナは口の端を曲げにやりとした。石の擦れる音がしたのだ。
かたん。一見して横6つに並んだ石組が、するりとそこだけ奥へとへこむ。油断なく押してゆくと、やがてすっぽりと石の姿はなくなってしまう。
下に、一列、石6つ分の穴ができた。幅にして約90センチ。大人が通るには問題のない幅だろうか。
押せるところまで押しきった時、井戸全体が微かに震えた。
「モンタナ!」
驚いたアルフレッドが、背中にしがみついてくる。チャンは、両手で短剣の入った鞄をしっかりと抱えていた。井戸を見回すばかりで、戸惑いの余り声すらでない。
「慌てるな、罠じゃねェ!」
モンタナは井戸の穴を睨んで、一喝した。
横長の穴がライターの明りの下、壁面の一部が一斉に奥へとへこみ、少しづつ口を開けてゆく。
ライターの火が揺れた。
「あったな、秘密の入り口が」
「ああ!」
へこんだ壁面は上へと持ち上がり、やがて完全に見えなくなった。後には、横が90センチ、縦が180ばかりの入り口が現れ、トンネルが更に奥へと続いている。真っ暗で今は何も見えないが、人の利用した形跡は、きっと何処かにある筈であった。
モンタナは背負っていたリュックを下ろし、カンテラを取り出し、ライターの火を移す。
カンテラは、ランタンとは異なり一方行だけを強く照らしてくれる。洞窟などの探検には欠かす事のできない照明として、モンタナは愛用していた。
井戸に、ぱあっと明りが点る。
「行くぞ」
カンテラを掲げ、モンタナは先に立ってトンネルに侵入する。
「モ、モンタナぁ・・・」
距離ができあがらないうちにアルフレッドが、そしてチャンが後ろについて、トンネルの中に全員が入った。
井戸の入り口を潜ると、途端にカンテラの明りが暗く感じられる。
「広くなったんだ!」と、アルフレッド。
「こりゃ、スゲェや」
トンネル特有の圧迫感が消失し、周囲が開けた。計ってみると、幅も高さも、車一台が余裕で通れる程の空間を確保してある。
アルフレッドは、壁に手を触れ、その表面の滑らかさに驚いた。
天井などの表面は土の層が剥き出しになっているのではなく、粘土を塗り表面を仕上げた跡がある。足元には白い敷石を並べ、随分と手を加えた様子を伺う事ができた。
それにしても、大した手間のかけようである。
「何でこんなに広いんだろう?」
カンテラをあちこちに翳しながら、モンタナは先を急いだ。
「大勢の人間が通るのに必要だったのかな」
「それもあるけど…」
アルフレッドがチャンと共に、すぐ後ろにまで追いついた。
「敷石を見てごらんよ、モンタナ。真ん中の石と両脇の石と、色が違うだろう」
カンテラで照らしながら、モンタナは敷石を踵で蹴る。
「色どころか、大きさも形も違うじゃねぇか。ってェ事は…」
「そう。このトンネルは、一度完成してから、幅を広げ直しているんだ。それも随分と後になってからね」
「土が沢山出るから、何をやってるのかバレちまうだろう」
カンテラを掲げたまま、モンタナは手を叩いた。
「それもあって、井戸なんだな! 土を何度も掘り直すって事にすりゃあ、不思議がる奴ぁいねぇ」
「だと思うよ」、アルフレッドが周囲を見回した。
「抜け穴を掘っているのがバレては困る。でも、やらずにはいられない。そんな事情があったんだ。…この幅、それに高さ。籠が通ると考えれば、筋が通るかもしれない」
「籠? 人が肩に担いでいく、あの乗り物の事か」
「その通り。もし、これが故宮にまで繋がっているのだとしたら、清の王族の女性が利用したという証拠になるかもしれないんだよ!」
「清の人間は、籠を使ってこの中を移動したってェのか? てめェで歩きゃいいのによ」
先を照らして歩きながら、モンタナは呆れ天を向く。
「男はそれでもいいんだよ。抜け穴を使うなんて時は、よっぽどの緊急時だ。移動する人数は少ないに越した事はない。穴も小さい方がいい筈なんだ。土の量で、誰に知れてしまうかもわからないしね。」
アルフレッドがチャンに目配せをすると、チャンは「纏足の事ですね」と答えた。
「纏足? 何だいそりゃ?」
「満州民族の風習です」と、チャンが笑顔で説明する。
「女性の足を小さく纏めてしまうもので、これにより、女性は履物を履いて長く歩く事ができなくなると言われています」
「随分とひどい事をするもんだな」
「女性から男性に近付く機会を減らすのが目的とか」
「・・・なぁるほどね、それで籠な訳か・・・」
間を置いてから、モンタナは相槌を打った。跡目争いからきた教訓なのか、単に男の都合なのか。今一つピンとこない感覚なので、モンタナの反応はクールである。
飛行艇のケティと冒険程に心を揺り動かしてくれる刺激を、モンタナはまだ他に知らなかった。
そもそも男の喜びとは、空に、大地に、海に、そして未開の謎に挑む事ではないのか。女性であるメリッサまでもが冒険を好む性分である為、モンタナは他の人間も冒険が嫌いではなかろうと勝手に誤解する傾向がある。
それがつまりはどういう事を指すのか、モンタナは全くわかっていない。
「輿を使うと、天井はもっと高くしなくちゃいけない。だから、籠を使ってここまできたんだと、僕は推理するんだ」
「へぃへぃ・・・」
後ろで講釈をたれる得意げな従兄弟に、モンタナは投槍な返事をした。
モンタナにとっては、男の都合よりも、この先がどうなっているかに興味が沸いてくる。
トンネルは緩やかな蛇行をしながら、依然尽きる事なく先へと続いている様子だった。幅は狭くなるでもなく、広くなるでもなく、カンテラに照らされただけその正体を明かしてゆく。
一体どの位の距離を歩いただろうか。アルフレッドの口数が少なくなって、久しいような気もする。チャンは、トンネルに入った時と同様、すっかり黙りこくってしまった。
三人の足音と息遣いだけが、広いトンネルにこだまする。
このトンネルが何かの抜け道だとしても、故宮にまで通じているという証拠は、誰一人握っていない。たった10分・20分この中で過ごしただけなのに、自分のしている事に自信がなくなってくる。
北京の何処か別の場所に出てしまいやしないか、それどころか行き止まりだったらどうしよう。アルフレッドやチャンの胸には、止むを得ないとはいえ、疑惑の芽が育ちつつあった。
トンネルの暗さは、中にいる者の闘志に水を差す。それが、アルフレッドとチャンにはえらく堪えていた。
カンテラを掲げ、モンタナはひたすら前に進む。モンタナはこのような時、思考を停止させ勘だけを働かせる。
冒険の失敗の中でも、自身との葛藤に負ける事を一番格好の悪いものと思っているからに他ならない。
そんなモンタナの勘に、警鐘が鳴り響いた。トンネルの行く手に天井の四角い箇所がある。奥行きは4メートル強、そこだけが壁も天井も石で覆われている。
「おかしいな・・・」
念の為に、モンタナは一度足を止めた。
「大丈夫だよ」と反論するのはアルフレッド。
「皇帝とその一族が使っていた抜け道なら、罠なんかある訳がない。自分達が危なくなるんだ、そんな事はしやしないって」
「しっかしなァ・・・」
ずかずかとモンタナを抜くアルフレッドが、空気の圧迫感で足を止めた。
四角いトンネルのその向こうには、今まで通りの粘土で覆われた半円形のトンネルが始まっている。しかし、それも5メートルばかりの話。突如トンネルは終わっていた。
モンタナはカンテラを翳す。灰色に磨かれた岩が殊更白く光を跳ね返した。大きな一枚岩が、行く手を塞いでいるのである。
時計を見、アルフレッドがモンタナの判断を仰ぐ。ここで悪戯に時間を過ごし、時間を無駄遣いしたくはない。
「どうしますか?」
チャンの問いに、アルフレッドが唸り声で答えた。
「この石を動かす仕掛けも、きっとこの近くにある筈だ」
モンタナは、四角いトンネルの手前から岩の手前まで、周辺をくまなく調べてみた。
粘土に覆われた壁の何処かにスイッチかそれに代わるものがきっとある。そう信じて、モンタナの調査はしばらく続いた。
モンタナが姿勢を変える度に、カンテラの照らし具合が変化する。ある時は足元を照らし、またある時は天井近くが明るくなる。
敷石で踵を回す音がしなくなった。
「おい、2人共、こっちに来てみろ」
「えっ? 何、何?」
アルフレッドとチャンがカンテラに吸い寄せられると、モンタナは壁の一角を指さした。
5メートルしかない粘土の壁の中間地点、ちょうど腰の辺りの高さに四角い石が埋め込まれている。そこに何かの印と小さな穴が穿たれていた。
穴の大きさは、大人の拳大。奥行は見た目以上にありそうであった。
「穴の上にある、この印は何だ?」
モンタナは、印の周囲にぐるりと円を描いた。
赤い光を放つそれが、カンテラの光を怪しく弾く。
「こ・・・、これは、宝石だよ! きっとルビーだ」
「ルビー? 何で、こんなところに・・・」
言いかけてから、モンタナははっとした。アルフレッドと顔を見合わせ、同時にチャンへ視線を移す。
度肝を抜いたのは、チャンだった。話が一向に飲み込めずにいる。
「わ、私が何か・・・」
「チャンさん」アルフレッドが切り出した。
「鳳凰の短剣ですよ。きっと、ここの鍵になっているんです」
チャンが、まさかという顔をした。
アルフレッドが、尚も食い下がる。
「この穴を見て下さい。ちょうど短剣の大きさに似てはいませんか? もし、ここが清の皇帝に関わりのある抜け道なら、鍵はその一族と信頼のおける部下にしか扱う事ができなかったでしょう」
「それが、二振りの短剣だと・・・?」
「鳳凰の短剣には、鳳凰の目にルビーが使われていました。これ以上に相応しい鍵があるでしょうか?」
チャンは、しばらくの間無言だった。預かり物を道具として使う事には、依然抵抗があるようである。
「チャンさん、一度でいいんです。僕達に試させて下さい」
チャンが、アルフレッドと、そしてモンタナの目を正面から覗き込んでくる。真意を探ろうとするようにも感じられるその眼差しにも、2人は決して怯まなかった。
息を吐き、チャンが苦笑する。
「・・・わかりました。やってみましょう」
鞄を置き、チャンが跪いて厳かに布をはぐると、鳳凰の短剣をアルフレッドに手渡す。
「頼むぜ、アルフレッド」
モンタナがアルフレッドを手伝うつもりで、その手元をカンテラでしっかりと照らす。
「やってみるよ」
アルフレッドが、コの字型の鍔にいる鳳凰の向きを確認し、頭が上になるようにして鞘ごと穴に差し込んでみた。
時折ひっかかりかりあるものの、ほぼ抵抗もなく短剣が入っていく事に、3人は驚いた。
穴の大きさは、短剣の鞘よりも一回り大きい程度。それなのに、ぐらつくでもなく、短剣は差し込む程に、手元が確かになってゆく。
鞘を飾る黄金の輝きが、ほとんど穴の奥へと消えてしまった。鍔のところまであと1・2センチというところで、アルフレッドの手に、抵抗感が戻ってきた。
アルフレッドが押す事を諦めると、「回してみろ」とモンタナは囃立てる。
時計回しに捻るアルフレッドが、喜色を浮かべた。鳳凰の短剣が、穴で小さな円を描く。
すると、どうであろうか。砂の擦れる耳障りな音がしたかと思うと、行く手を阻む大きな岩は、左にゆっくりと移動を始めた。トンネルの右側から、その先の抜け道が黒く顔を覗かせてくる。
「やった! やったよ!」
モンタナはアルフレッドと、互いの手をぶつけ合い成功を喜んだ。
呆然とするチャンにも、2人は祝福を送る。
カンテラの明りを受けているチャンの表情が、次第に緩んできた。
「お流石です、アルフレッド先生!」
「いえ、それ程では・・・」
「よし、先を急ぐぞ」
モンタナは障害物のなくなったトンネルの、更にその先へ顎をしゃくる。
先程の岩が塞いでいた部分にさしかかると、モンタナはまたも石の光沢にカンテラを掲げる。
やはりと言うべきか、岩で塞いでいる部分だけが四角いトンネルを形成していた。4メートル強という奥行きも、すぐ後ろにある四角いトンネルと全く同じである。
もし、トンネルの中でこの巨大な岩に前後を塞がれてしまったら、おそらくは生きて地上には出られまい。
モンタナは、背筋に寒気が走るのを覚えた。
アルフレッドがついてくる。そして、チャンが鍵穴から鳳凰の短剣を抜き、2人の後ろで手を振った。
「おい!」
モンタナは、カンテラをアルフレッドに預け、急ぎチャンを連れに戻る。
短剣を抜いた途端に、開いた筈の岩の戸が元の場所に戻り始めたではないか。
砂を踏みつける容赦のない岩の音がする。モンタナはチャンを引き寄せるようにして先導しながら隙間を抜けた。
ようやく通り抜けた男達の後ろで、岩が容赦なくトンネルを分断する。閉まりきった時の実に重そうな音が、チャンの顔を蒼白にした。
「もう大丈夫だ、チャンさん」
その肩を優しく叩くモンタナの笑顔には、まだまだ余裕が感じられる。
礼を言葉にしようとしたチャンであったが、それはすぐにはできなかった。
4メートルの厚みを持つ岩に挟まれたかもしれないのである。心を乱すなというのが、無理な話かもしれない。
モンタナは、気持ちだけを受け取って、アルフレッドからカンテラを取り上げると、再び先頭に立った。
「何で、あそこだけに四角いトンネルを2箇所も設けたんだろう?」
従兄弟と友人の無事に安堵し、アルフレッドが歩きながら問う。
「そんなの決まってんだろう」と、モンタナは一蹴した。
「決まってるって、何が?」
「もしあの穴に、鳳凰の短剣以外のものを入れてみろ。後ろも塞がれて、俺達は一生あそこに閉じ込められっぱなしだ」
「それじゃあ、あの岩の仕掛けは・・・」
「一つは、扉。そしてもう一つは、罠ってとこだな」
罠と聞いて、アルフレッドが言葉を飲んだ。
「罠って・・・」
「あの鳳凰の短剣がありゃ、順風満帆。怖がる事ァねぇだろ?何を心配してんだよ。」
「考えてみてよ、モンタナ。故宮から脱出する時、あの岩を、こちら側からどうやって開けるの? 鍵穴は、向こうなんだよ!」
モンタナは、鼻を鳴らした。
「気がつかなかったのか? 鍵穴は、こちら側にもちゃんとあったよ」
アルフレッドが脱力する。
「あっそう・・・」
岩の扉を潜って間もなく、3人は突き当たりにぶつかった。
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第9章 地下通路
故宮の北西、北海という大きな池の中洲と池の周辺に、その北海公園はあった。北京の繁華街にある公園の中でも、比較的大きな方に入るとの事である。
中洲に入る為の東門は、やはり夜になったので閉ざされてしまった。
「ここも駄目なのかな?」
抱えていた鞄を抱きしめ、アルフレッドが項垂れる。
「もう8時を過ぎちゃったよ。そろそろ故宮に入らないと・・・」
気ぜわしく足を踏み鳴らすアルフレッドには、焦りの色が表れている。
「そんな事言ってもよォ・・・」
モンタナとて宛てはなかったが、取り敢えず周囲を見回してみた。
「こうなりゃ、池の周りから探りを入れてみるか」
「そうだね」
止むを得ず3人は東門を離れ、南に向かって歩き出した。右回りに、北海を一周しようというのである。
夜の北海公園は、見通しがよい割には照明が少なく、かなり暗く感じられた。夜である事も手伝ってか、道を外れると、人通りはほとんどなくなってしまう。
池の周囲を歩いているので、右手には常に池と中洲が、そして左手には北京の繁華街があった。
中洲の建物もそれらしいが、池の周囲にも史跡と思しき建造物がある。
池の南東にさしかかった頃、建物の西側で、アルフレッドが立ち止まった。
「ねぇ、モンタナ! ねぇ! ここに井戸があるよ!」
「どうした!」
モンタナは、チャンを後ろにアルフレッドが指さす場所に走り寄った。木造の建物の影で、アルフレッドが盛んに動き回っている。
「ほら、この井戸。枯れていて、もう使われてはいないんだ」
アルフレッドが、拳程の石を井戸に投げた。水を弾く音はせず、乾いた土の音がする。
「それなのに、ほら。積み上げてある石は角がこんなに鋭くなってる」
ふっくらとした指が、幾つもある石の隅を指した。
「なるほどね。水周りの石にしちゃ、きれいすぎらァ」
モンタナが目の色を変える。雨に洗われてはいるものの、苔や湿気のたまった跡もない。
「怪しいな、こりゃ」
「だろう? この井戸は、1度だって水を汲み上げた事なんてないんだよ。別の目的でここに作られているんだ、おそらくは」
「入ってみるか?」
モンタナの青い瞳が、きらりと光る。
「蝋燭に火をつけてね」
「勿論!」
モンタナはまず蝋燭に紐を結びつけ、真横になったところで釣り合うよう調節した。その蝋燭に火を灯し井戸にゆっくりと下ろしてゆく。
火はゆらゆらと揺れながら、次第に小さくなっていった。
「大丈夫、火は消えねェぞ」
紐を延ばし続け、モンタナは安堵する。
「それにしても、よく火が揺れるね」
「井戸の空気が動いてるんだ。俺達の思っている通りって事かもしれねェ」
モンタナの手から、蝋燭の重みが消えた。
「どうやら、井戸の底まで火は消えなかったようだな。次は、俺達の番だ」
「ぼ、僕達の番って・・・」
それが自分も含まれるのだと知り、アルフレッドが途端にげんなりと頭を垂れる。
「行くっきゃねェの! ほらほら!」
井戸の水を汲み出す為の縄をしっかりかけ直し、まずモンタナが、そしてチャンが、しんがりにアルフレッドがついて井戸の底へと下りる。
地中の湿り気が漂ってはいたが、案の定、井戸の中には過去に水を張った形跡が何処にもなかった。
次の目印を探しながら、チャンがアルフレッドに問う。
「この井戸に不審を抱いた者はいなかったのでしょうか?」
「もしかしたら、いたのかもしれません。ただ・・・」
「ただ?」
「井戸を調べるのには、危険が伴います。悪戯に事故を引き起こすべきではないと考えたのなら、誰も入ってはこなかったでしょう。この井戸を調べるのは、我々が最初という事になるのだと思います」
「よく考えていますね」
「それだけに、いわくありげな井戸という気がしませんか?」
「はい」
モンタナは、井戸の底と、筒状になった側面の石を一つ一つ調べてみた。他に比べて浮き上がっている石、色や形の違う石がありはしないかを、丁寧にライターの明りで確かめる。
「人が通れる位のものはある筈なんだが・・・」
井戸の底に跪き、一番底寄りの石一列を順に比較してみる。大きさはほぼ同じ、色もこれといった違いはない。
が、おかしな事に気がついた。石と石の繋ぎ目が、妙に狭いものが幾つか続いている。石同士の隙間がほとんどないものは、1、2、3・・・、全部で5箇所もあった。
ライターを近付けてみると、火が異様に煽られて揺れる。この近くから、風が吹き出している場所があるからであろう。
「見つけたぞ」
「えっ!」
アルフレッドとチャンが腰を屈め、モンタナの手元に吸い寄せられる。
「刻み目を入れてあるが、こりゃ、一つの石を6つに見せているだけだぞ。・・・動かせるかもしれねェ」
モンタナの手が慎重に、六連の石のそれぞれ端を押した。アルフレッドとチャンは、固唾を飲んで見守っている。
モンタナは、石を押し続けた。風が来るのだ、この向こうに空間がある事を疑う根拠は何処にもない。
重い手応えに、自分のやり方への疑問は出てくる。
が、モンタナは口の端を曲げにやりとした。石の擦れる音がしたのだ。
かたん。一見して横6つに並んだ石組が、するりとそこだけ奥へとへこむ。油断なく押してゆくと、やがてすっぽりと石の姿はなくなってしまう。
下に、一列、石6つ分の穴ができた。幅にして約90センチ。大人が通るには問題のない幅だろうか。
押せるところまで押しきった時、井戸全体が微かに震えた。
「モンタナ!」
驚いたアルフレッドが、背中にしがみついてくる。チャンは、両手で短剣の入った鞄をしっかりと抱えていた。井戸を見回すばかりで、戸惑いの余り声すらでない。
「慌てるな、罠じゃねェ!」
モンタナは井戸の穴を睨んで、一喝した。
横長の穴がライターの明りの下、壁面の一部が一斉に奥へとへこみ、少しづつ口を開けてゆく。
ライターの火が揺れた。
「あったな、秘密の入り口が」
「ああ!」
へこんだ壁面は上へと持ち上がり、やがて完全に見えなくなった。後には、横が90センチ、縦が180ばかりの入り口が現れ、トンネルが更に奥へと続いている。真っ暗で今は何も見えないが、人の利用した形跡は、きっと何処かにある筈であった。
モンタナは背負っていたリュックを下ろし、カンテラを取り出し、ライターの火を移す。
カンテラは、ランタンとは異なり一方行だけを強く照らしてくれる。洞窟などの探検には欠かす事のできない照明として、モンタナは愛用していた。
井戸に、ぱあっと明りが点る。
「行くぞ」
カンテラを掲げ、モンタナは先に立ってトンネルに侵入する。
「モ、モンタナぁ・・・」
距離ができあがらないうちにアルフレッドが、そしてチャンが後ろについて、トンネルの中に全員が入った。
井戸の入り口を潜ると、途端にカンテラの明りが暗く感じられる。
「広くなったんだ!」と、アルフレッド。
「こりゃ、スゲェや」
トンネル特有の圧迫感が消失し、周囲が開けた。計ってみると、幅も高さも、車一台が余裕で通れる程の空間を確保してある。
アルフレッドは、壁に手を触れ、その表面の滑らかさに驚いた。
天井などの表面は土の層が剥き出しになっているのではなく、粘土を塗り表面を仕上げた跡がある。足元には白い敷石を並べ、随分と手を加えた様子を伺う事ができた。
それにしても、大した手間のかけようである。
「何でこんなに広いんだろう?」
カンテラをあちこちに翳しながら、モンタナは先を急いだ。
「大勢の人間が通るのに必要だったのかな」
「それもあるけど…」
アルフレッドがチャンと共に、すぐ後ろにまで追いついた。
「敷石を見てごらんよ、モンタナ。真ん中の石と両脇の石と、色が違うだろう」
カンテラで照らしながら、モンタナは敷石を踵で蹴る。
「色どころか、大きさも形も違うじゃねぇか。ってェ事は…」
「そう。このトンネルは、一度完成してから、幅を広げ直しているんだ。それも随分と後になってからね」
「土が沢山出るから、何をやってるのかバレちまうだろう」
カンテラを掲げたまま、モンタナは手を叩いた。
「それもあって、井戸なんだな! 土を何度も掘り直すって事にすりゃあ、不思議がる奴ぁいねぇ」
「だと思うよ」、アルフレッドが周囲を見回した。
「抜け穴を掘っているのがバレては困る。でも、やらずにはいられない。そんな事情があったんだ。…この幅、それに高さ。籠が通ると考えれば、筋が通るかもしれない」
「籠? 人が肩に担いでいく、あの乗り物の事か」
「その通り。もし、これが故宮にまで繋がっているのだとしたら、清の王族の女性が利用したという証拠になるかもしれないんだよ!」
「清の人間は、籠を使ってこの中を移動したってェのか? てめェで歩きゃいいのによ」
先を照らして歩きながら、モンタナは呆れ天を向く。
「男はそれでもいいんだよ。抜け穴を使うなんて時は、よっぽどの緊急時だ。移動する人数は少ないに越した事はない。穴も小さい方がいい筈なんだ。土の量で、誰に知れてしまうかもわからないしね。」
アルフレッドがチャンに目配せをすると、チャンは「纏足の事ですね」と答えた。
「纏足? 何だいそりゃ?」
「満州民族の風習です」と、チャンが笑顔で説明する。
「女性の足を小さく纏めてしまうもので、これにより、女性は履物を履いて長く歩く事ができなくなると言われています」
「随分とひどい事をするもんだな」
「女性から男性に近付く機会を減らすのが目的とか」
「・・・なぁるほどね、それで籠な訳か・・・」
間を置いてから、モンタナは相槌を打った。跡目争いからきた教訓なのか、単に男の都合なのか。今一つピンとこない感覚なので、モンタナの反応はクールである。
飛行艇のケティと冒険程に心を揺り動かしてくれる刺激を、モンタナはまだ他に知らなかった。
そもそも男の喜びとは、空に、大地に、海に、そして未開の謎に挑む事ではないのか。女性であるメリッサまでもが冒険を好む性分である為、モンタナは他の人間も冒険が嫌いではなかろうと勝手に誤解する傾向がある。
それがつまりはどういう事を指すのか、モンタナは全くわかっていない。
「輿を使うと、天井はもっと高くしなくちゃいけない。だから、籠を使ってここまできたんだと、僕は推理するんだ」
「へぃへぃ・・・」
後ろで講釈をたれる得意げな従兄弟に、モンタナは投槍な返事をした。
モンタナにとっては、男の都合よりも、この先がどうなっているかに興味が沸いてくる。
トンネルは緩やかな蛇行をしながら、依然尽きる事なく先へと続いている様子だった。幅は狭くなるでもなく、広くなるでもなく、カンテラに照らされただけその正体を明かしてゆく。
一体どの位の距離を歩いただろうか。アルフレッドの口数が少なくなって、久しいような気もする。チャンは、トンネルに入った時と同様、すっかり黙りこくってしまった。
三人の足音と息遣いだけが、広いトンネルにこだまする。
このトンネルが何かの抜け道だとしても、故宮にまで通じているという証拠は、誰一人握っていない。たった10分・20分この中で過ごしただけなのに、自分のしている事に自信がなくなってくる。
北京の何処か別の場所に出てしまいやしないか、それどころか行き止まりだったらどうしよう。アルフレッドやチャンの胸には、止むを得ないとはいえ、疑惑の芽が育ちつつあった。
トンネルの暗さは、中にいる者の闘志に水を差す。それが、アルフレッドとチャンにはえらく堪えていた。
カンテラを掲げ、モンタナはひたすら前に進む。モンタナはこのような時、思考を停止させ勘だけを働かせる。
冒険の失敗の中でも、自身との葛藤に負ける事を一番格好の悪いものと思っているからに他ならない。
そんなモンタナの勘に、警鐘が鳴り響いた。トンネルの行く手に天井の四角い箇所がある。奥行きは4メートル強、そこだけが壁も天井も石で覆われている。
「おかしいな・・・」
念の為に、モンタナは一度足を止めた。
「大丈夫だよ」と反論するのはアルフレッド。
「皇帝とその一族が使っていた抜け道なら、罠なんかある訳がない。自分達が危なくなるんだ、そんな事はしやしないって」
「しっかしなァ・・・」
ずかずかとモンタナを抜くアルフレッドが、空気の圧迫感で足を止めた。
四角いトンネルのその向こうには、今まで通りの粘土で覆われた半円形のトンネルが始まっている。しかし、それも5メートルばかりの話。突如トンネルは終わっていた。
モンタナはカンテラを翳す。灰色に磨かれた岩が殊更白く光を跳ね返した。大きな一枚岩が、行く手を塞いでいるのである。
時計を見、アルフレッドがモンタナの判断を仰ぐ。ここで悪戯に時間を過ごし、時間を無駄遣いしたくはない。
「どうしますか?」
チャンの問いに、アルフレッドが唸り声で答えた。
「この石を動かす仕掛けも、きっとこの近くにある筈だ」
モンタナは、四角いトンネルの手前から岩の手前まで、周辺をくまなく調べてみた。
粘土に覆われた壁の何処かにスイッチかそれに代わるものがきっとある。そう信じて、モンタナの調査はしばらく続いた。
モンタナが姿勢を変える度に、カンテラの照らし具合が変化する。ある時は足元を照らし、またある時は天井近くが明るくなる。
敷石で踵を回す音がしなくなった。
「おい、2人共、こっちに来てみろ」
「えっ? 何、何?」
アルフレッドとチャンがカンテラに吸い寄せられると、モンタナは壁の一角を指さした。
5メートルしかない粘土の壁の中間地点、ちょうど腰の辺りの高さに四角い石が埋め込まれている。そこに何かの印と小さな穴が穿たれていた。
穴の大きさは、大人の拳大。奥行は見た目以上にありそうであった。
「穴の上にある、この印は何だ?」
モンタナは、印の周囲にぐるりと円を描いた。
赤い光を放つそれが、カンテラの光を怪しく弾く。
「こ・・・、これは、宝石だよ! きっとルビーだ」
「ルビー? 何で、こんなところに・・・」
言いかけてから、モンタナははっとした。アルフレッドと顔を見合わせ、同時にチャンへ視線を移す。
度肝を抜いたのは、チャンだった。話が一向に飲み込めずにいる。
「わ、私が何か・・・」
「チャンさん」アルフレッドが切り出した。
「鳳凰の短剣ですよ。きっと、ここの鍵になっているんです」
チャンが、まさかという顔をした。
アルフレッドが、尚も食い下がる。
「この穴を見て下さい。ちょうど短剣の大きさに似てはいませんか? もし、ここが清の皇帝に関わりのある抜け道なら、鍵はその一族と信頼のおける部下にしか扱う事ができなかったでしょう」
「それが、二振りの短剣だと・・・?」
「鳳凰の短剣には、鳳凰の目にルビーが使われていました。これ以上に相応しい鍵があるでしょうか?」
チャンは、しばらくの間無言だった。預かり物を道具として使う事には、依然抵抗があるようである。
「チャンさん、一度でいいんです。僕達に試させて下さい」
チャンが、アルフレッドと、そしてモンタナの目を正面から覗き込んでくる。真意を探ろうとするようにも感じられるその眼差しにも、2人は決して怯まなかった。
息を吐き、チャンが苦笑する。
「・・・わかりました。やってみましょう」
鞄を置き、チャンが跪いて厳かに布をはぐると、鳳凰の短剣をアルフレッドに手渡す。
「頼むぜ、アルフレッド」
モンタナがアルフレッドを手伝うつもりで、その手元をカンテラでしっかりと照らす。
「やってみるよ」
アルフレッドが、コの字型の鍔にいる鳳凰の向きを確認し、頭が上になるようにして鞘ごと穴に差し込んでみた。
時折ひっかかりかりあるものの、ほぼ抵抗もなく短剣が入っていく事に、3人は驚いた。
穴の大きさは、短剣の鞘よりも一回り大きい程度。それなのに、ぐらつくでもなく、短剣は差し込む程に、手元が確かになってゆく。
鞘を飾る黄金の輝きが、ほとんど穴の奥へと消えてしまった。鍔のところまであと1・2センチというところで、アルフレッドの手に、抵抗感が戻ってきた。
アルフレッドが押す事を諦めると、「回してみろ」とモンタナは囃立てる。
時計回しに捻るアルフレッドが、喜色を浮かべた。鳳凰の短剣が、穴で小さな円を描く。
すると、どうであろうか。砂の擦れる耳障りな音がしたかと思うと、行く手を阻む大きな岩は、左にゆっくりと移動を始めた。トンネルの右側から、その先の抜け道が黒く顔を覗かせてくる。
「やった! やったよ!」
モンタナはアルフレッドと、互いの手をぶつけ合い成功を喜んだ。
呆然とするチャンにも、2人は祝福を送る。
カンテラの明りを受けているチャンの表情が、次第に緩んできた。
「お流石です、アルフレッド先生!」
「いえ、それ程では・・・」
「よし、先を急ぐぞ」
モンタナは障害物のなくなったトンネルの、更にその先へ顎をしゃくる。
先程の岩が塞いでいた部分にさしかかると、モンタナはまたも石の光沢にカンテラを掲げる。
やはりと言うべきか、岩で塞いでいる部分だけが四角いトンネルを形成していた。4メートル強という奥行きも、すぐ後ろにある四角いトンネルと全く同じである。
もし、トンネルの中でこの巨大な岩に前後を塞がれてしまったら、おそらくは生きて地上には出られまい。
モンタナは、背筋に寒気が走るのを覚えた。
アルフレッドがついてくる。そして、チャンが鍵穴から鳳凰の短剣を抜き、2人の後ろで手を振った。
「おい!」
モンタナは、カンテラをアルフレッドに預け、急ぎチャンを連れに戻る。
短剣を抜いた途端に、開いた筈の岩の戸が元の場所に戻り始めたではないか。
砂を踏みつける容赦のない岩の音がする。モンタナはチャンを引き寄せるようにして先導しながら隙間を抜けた。
ようやく通り抜けた男達の後ろで、岩が容赦なくトンネルを分断する。閉まりきった時の実に重そうな音が、チャンの顔を蒼白にした。
「もう大丈夫だ、チャンさん」
その肩を優しく叩くモンタナの笑顔には、まだまだ余裕が感じられる。
礼を言葉にしようとしたチャンであったが、それはすぐにはできなかった。
4メートルの厚みを持つ岩に挟まれたかもしれないのである。心を乱すなというのが、無理な話かもしれない。
モンタナは、気持ちだけを受け取って、アルフレッドからカンテラを取り上げると、再び先頭に立った。
「何で、あそこだけに四角いトンネルを2箇所も設けたんだろう?」
従兄弟と友人の無事に安堵し、アルフレッドが歩きながら問う。
「そんなの決まってんだろう」と、モンタナは一蹴した。
「決まってるって、何が?」
「もしあの穴に、鳳凰の短剣以外のものを入れてみろ。後ろも塞がれて、俺達は一生あそこに閉じ込められっぱなしだ」
「それじゃあ、あの岩の仕掛けは・・・」
「一つは、扉。そしてもう一つは、罠ってとこだな」
罠と聞いて、アルフレッドが言葉を飲んだ。
「罠って・・・」
「あの鳳凰の短剣がありゃ、順風満帆。怖がる事ァねぇだろ?何を心配してんだよ。」
「考えてみてよ、モンタナ。故宮から脱出する時、あの岩を、こちら側からどうやって開けるの? 鍵穴は、向こうなんだよ!」
モンタナは、鼻を鳴らした。
「気がつかなかったのか? 鍵穴は、こちら側にもちゃんとあったよ」
アルフレッドが脱力する。
「あっそう・・・」
岩の扉を潜って間もなく、3人は突き当たりにぶつかった。
冒険航空会社モンタナ(モンタナ・ジョーンズ)同人小説
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第8章 北京行
農家が見えてきたところで、チャンが一人で行くとモンタナの持つ水用タンクを引き取って訪ねに向かった。
しばらくすると、タンクを引き摺ってチャンが戻ってくる。食料も手に入りそうだと告げ、今一度農家の建物に消えてしまった。
モンタナとアルフレッドが出番をなくし、傘を持って棒立ちしていると、直にチャンが大きな包みを抱え嬉しそうに戻ってくる。
「この中に食料が入っています。この雨では難儀しているでしょうと、随分気を遣ってくれました」
「有り難ぇ事だな。なら、なるべく濡らさねぇようにして帰らねぇとな」
「わかってるよ」
モンタナは水の一杯入ったタンクを持ち上げ、アルフレッドとチャンが2人分の傘で荷物を庇い、雨の打つ中を歩き出す。
雨足は強く、地平線も雨の簾にすっかりと隠れていた。足元が泥だらけの上、曇天と雨の為、周囲はすっかり色褪せている。
ケティに戻る頃には、3人共に話す気力もなくなっていた。体が冷えきってしまい、血が重い上、頭に空洞を感じる始末である。
モンタナは、客室の隅に寄せた大鍋に持ち帰った水を移し、簡易コンロに火をいれるとその上に乗せた。
チャンが荷をとき、食料を客室に広げる。アルフレッドがさっそく濡れた服を脱ぎ、毛布にくるまりながらお茶の準備を始めた。
スパゲッティと中国茶、そして貰い物の果物で、3人の男は腹を満たし体を暖める。
「おっ、空が明るくなってきたぜ」
指を鳴らし、モンタナは天候が回復する気配を喜んだ。
「よかった・・・。雨の中を北京まで歩くなんて、ぞっとしてたところだよ」
カップを手で包み、アルフレッドも窓外に目をやった。
相変わらずの曇天には違いない。が、雨粒は小さくなり雲の色が薄くなりつつある。
「そろそろ2時になるよ、モンタナ。これからどうする?」
毛布の端を掴んで、アルフレッドが呟いた。
チャンが、そっと床にカップを置く。
「農家で、地元の人の話を聞く事ができました。ここから北京まで、徒歩で半日弱はかかるそうです」
「徒歩で半日ィ!」
それを聞いた途端、アルフレッドが露骨に顔を歪めた。
「半日もかかったんじゃ、往復だけで時間がなくなっちゃうよ。それに僕は・・・」
「半日も徒歩なんて、まっぴらなんだろう?」 歯を剥き出し、モンタナはにやついた。
「だ、だって・・・」
図星を刺され、流石にアルフレッドとてぐうの音も出ない。
相棒の肩を、モンタナはそっと撫でる。「何か方法を考えようぜ。歩いて往復しろたぁ、俺だって言わねぇよ」
「あの・・・」
「ん?」
モンタナとアルフレッドが、囁くようなか細い声に反応する。驚いてチャンを見ると、チャンは窓外をゆっくりと指さした。
「荷馬車が来るようです。北京まで・・・とは行かないと思いますが、途中までなら乗せてくれるかもしれません」
モンタナは、脱兎もかくやという速度で立ち上がり、窓の1つに突進した。遅れてアルフレッドが全く同じ動作で、別の窓に飛びついて外を眺める。
確かに、遠くで何かが動いていた。あの辺りに道があるらしい。ゆっくり、ゆっくり、近付いてくる気配がある。
「おかしいよ、モンタナ! 陸地が随分遠くになってる!」
アルフレッドが呟いた言葉に、モンタナは無言で窓から顔を離す。
「チャンさん、あの方向が北京なんだな?」
「はい、それは間違いありません」
「アルフレッド、チャンさん! 急いで荷作りだ! あの馬車に乗せてもらうぞ!」
モンタナは、簡易コンロの火が消えているのを確かめ、急ぎ錨を湖に落とすと、ゴム・ボートを客室の外に用意した。7つ道具の入ったリュックサックをボートに落とし、邪魔にならないよう端に寄せる。
アルフレッドがいつもの鞄から中身を取り出し、空にして小脇に抱える。チャンもなめし皮と二振りの短剣を手持ちの鞄に詰め、ドア横に立った。
アルフレッドとチャンが、ゴム・ボートに乗るのも忘れ棒立ちになる。
モンタナが錨を投げ落とした理由もゴム・ボートの意味も、2人はこの時ようやく理解した。
水嵩が増しているのか、2人は最初そう思った。
水を持ち戻って来た時よりも、湖の岸辺は確かに遠くなっている。寄せてあった筈のケティは、今や完全に水の上で浮いているのだから無理もない。
「突風があったからな、流されたのかもしれねぇ」
ゴム・ボートから手招きをしつつ、モンタナは急げと付け加えた。
雨は、霧雨に変わってきた。風が出てきたのか、モンタナの前髪が、風で時折ふわりと揺れる。
モンタナは2人をボートに乗せると手を伸ばし、ケティのドアを半分だけ閉めてやった。
エンジンをかけると、ボートは元気に岸を目指し水をかく。
やはり、あの姿は荷馬車のようである。ケティの窓から見つけたその影は、今やはっきりそれとわかる程、大きく見える位置に来てしまっていた。
「急いで、モンタナ!」
「わかってる!」
ゴム製のボートは、賑やかに水面を叩いて騒がせる。エンジンもがんばっているのはわかるのだが、馬の歩みはボート並みに早い。
焦りが顔に表れているアルフレッドを横目に、モンタナはおかしな事を考えた。逸る気持ちでボートのエンジンを回す事ができたら、どれ程早くなるだろうか。
岸に乗り上げる前に、ゴム製のボートは停止する。
「先に行きます!」
泥土をものともせず、チャンが馬車に向かって声を張り上げ走り出した。
湖で見た馬の横腹は、荷車の後ろ姿に変わってしまっている。
モンタナはアルフレッドと共に、ゴム・ボートの空気を抜くと、岸辺の人目につかない所へと隠した。
モンタナはリュック、アルフレッドは鞄を持ち、泥に足を取られながら、チャンの後を追いまず踏み固めた道に出る。
水たまりはあったが、土でできた道はしっかりとしており歩きやすかった。畦道のように、不慣れな者が歩いても滑る心配が全くない。
前方では、チャンが馬車を止めモンタナ達に手を振っていた。
「ラッキー!」
モンタナとアルフレッドが馬車に走り寄ると、チャンが御者をしている若い女性を紹介してくれた。
「彼女は北京まで行ってくれるそうです。乗せてくれるという事なので、お言葉に甘えましょう」
「うっひょう、助かりィ!」
「それはよかった!」
モンタナとアルフレッドは礼を述べ、荷車の後ろにおさまった。チャンは女性の隣に座り、何やら会話を楽しんでいる。
女御者が鞭を一つくれてやると、馬はようよう歩き出した。
モンタナ達と一緒に荷車が揺れる。
雨は、すっかりやんでしまった。雲は陽射しに引き裂かれるよう切れ切れになり、次第に青空へその場所を譲ってゆく。
雨上がりの風が吹く中を、馬は黙々と荷車を引いて道を進んだ。真っ平らと表現するしかない景色にも、秋の訪れが木々に畑に感じられる。
荷車が軋むと、モンタナ達の体が弾む。人間と鞄、リュックの他は瓶だけを乗せ、馬は荷車を引いていた。
タイミングよく、チャンが後ろへわめいてくれる。
「それにしても、よかったですね。彼女は、近くの町まで油を買いに行くところだったそうです」
「それを、わざわざ北京まで?」
アルフレッドもまた、声を張り上げた。
「観光客がいつまでもこのような場所にいるものではないと、そのようなところなのでしょう」
「わかりました。チャンさん、彼女によくお礼を言っておいて下さい」
「はい」
メリッサがいないので、アルフレッドもチャンに通訳を頼む。チャンが、御者に何がしかを話しかけていた。
荷車に2人の男達を乗せ、馬車は進む。モンタナの口から欠伸が出ても、アルフレッドの尻が痛くなろうとも、馬車は止まらず北へと向かった。雲は東へと逃げ、日は次第に西へと傾きつつある。
「もう、半分はきているそうですよ」
御者の言葉をチャンが教えてくれた頃から、道の様子が変わってきた。一体何処から、これだけの人々が出てきたのであろう。モンタナ達は余りの変化に目をみはる。
モンタナの目前に、馬がいた。荷車を引き、やはり黙々と歩いている。馬がずっとこちらを向いているもので、モンタナは間が持たず、つい馬に挨拶をした。
別の馬車が現れ、荷を弾ませながらすれ違ってゆく。モンタナ達が今しがた来た道を、念壇方面へと進む馬車。
馬車は荷車をこちらに向けた格好で、次第に小さくなり、別の馬車に隠れ、遂には見えなくなってしまった。
モンタナの視界の下を、やはり同じようにして背を向けた親子連れが歩いて行く。人通りも随分と盛んになってきた。試しに前方を見てみると、思った通り、チャンの背中よりずっと先に荷車の背がある。
人と馬車の出入りが激しくなり、疲れた表情のアルフレッドも、周囲の様子に興味を抱くようになってきた。
「いよいよ北京に近付いてきたって感じだね」
「中国の首都なんだろう? 早く故宮っていうのを見てみたいぜ」
「もうすぐだよ」
アルフレッドがにこりとした。尻は痛いものの、北京に近付いてきたという事で、ようやく元気が出てきたようである。
人や自転車、そして馬車の行き来は更に激しさを増してゆく。馬車も往来に譲って、立ち往生する事も珍しくなくなった。
御者の女性は、馬車を道の隅に寄せる。もう馬車での移動はここまでが限界なのであろう。
モンタナとアルフレッド、そしてチャンが馬車から降りた。
「ありがとう、とても助かりましたよ」
「サンキューな」
馬を撫でている女性に、2人はそっと礼を述べた。
言葉がわからない為か、最初はきょとんとしていた彼女も、チャンの通訳とモンタナ達の笑顔で話の内容を理解した。華やかな笑顔でモンタナ、アルフレッドの前を過ぎると、チャンの手前では頬を赤らめる。
「・・・なるほど。サービスがよかったのは、こういう訳ね」
モンタナの体がよろけて斜めになった。
「しっかりして、モンタナ。僕も疲れてるんだから・・・」
女性は別れを告げると、馬車を操って元来た道を引き返していった。
「チャンさん」
「はい」
モンタナは、チャンに近付き耳打ちする。
「ちょっと彼女につれなかったんじゃねぇの?」
「はい?」
鞄を抱えたまま、チャンが首を捻った。その呆けた様子に、モンタナは肩をすくめ、アルフレッドと連れ立ってチャンに背を向け歩き出す。
チャンが我に返って、慌てて2人の後についてきた。
「・・・男の敵だ」
わざと止まらず、モンタナは大股で歩き続ける。
「女の敵かもよ」
いつもは人の良いアルフレッドが囁いた。
2人の背中をどんと押し、チャンが2人のジャケットを軽く引っ張る。
「そちらは東寄りの道です。そのまま行くと、市街地を掠め北に抜けてしまいます。こちらの道を行きましょう」
「ん? あ、そうか」
日はすっかり沈んでしまった。アルフレッドの時計は、既に7時を回ろうとしている。 徒歩で市街地に入った3人は、人の流れに逆らえず、右に左にと蛇行しながら前に進んだ。
仕事を終えた人々が、往来に大きな流れを作る。その懐を宛てにした商店が、店の明りを灯し人々の目を引いていた。
店頭で作りながら食べ物を売る店、靴屋、薬屋、中には人の間を縫いながら物売りをする姿もある。煮物の匂いと油の臭いが一緒になってしまい、人いきれも手伝って空気は少し澱んでいた。
通行人は、自分の懐具合に合わせ店を選んでは商品を念入りに吟味している。
それにしても、人の数が多い。
「ここが北京の中心なのか?」
陽気な雰囲気に共感しながら、モンタナはチャンにわかるようぐるりを示した。
「いえ、この通りは商業地区なので、店が密集しているのです。大きな通りは、もっと整然としていて道幅もあります」
「そこに、中央省庁もあるんですね?」
アルフレッドが、店の並びに気を取られ気持ち半分で問う。
「はい。まず、ここで夕食を手配してから、夜がふけるのを待つのがよいかと・・・」
「なるほど」
アルフレッドに代わり、モンタナが返事をした。そわそわと気ぜわしく動く目、アルフレッドは、心ここにあらずという風体である。
モンタナはアルフレッドの様子で、彼の心中について大方の見当をつけた。
いつもの癖で、本屋と骨董品の店を探しているに違いない。雑踏の中、アルフレッドは、向かいあった店の中へ1件1件独特の勘を忍ばせているのである。「アルフレッド! お前の買い物は後回しだ。まず、飯を買い出してから、故宮に入る方法を考えようぜ」
襟首を掴まれ、アルフレッドが不愉快そうに口を曲げる。知的好奇心を満足させる喜びなど、冒険家を自負するモンタナにはわかる筈もない。
「わかったよ、モンタナ。・・・んっもう・・・」
「仕方ないだろう、明日の朝までだぞ。時間がないんだ」
「・・・まず、食料か・・・」
店頭で饅頭を蒸している店があったので、3人は味を選びその幾つかを購入した。
暖かい饅頭を頬ばりながら、故宮を囲む外壁に沿って歩いてみる。
外壁を越えるのは無理と諦めるしかなかった。高さは目算でも、優に14・5メートルはある。夜は4つの門総てが閉ざされてしまい、観光客などは入る事ができなくなっている。
「こりゃ、正攻法はとても無理だな」
饅頭を飲み込んでから、モンタナは真顔になってそう呟いた。
「じゃあ、どうするんだよ? 明日の朝までには戻らなきゃならないのに」
アルフレッドが、食べかけの饅頭を握りしめ不満を唱えた。見上げる程高い外壁を眺めた途端、食欲は何処かへ飛んで消えてしまったかのようである。
「何処かに、故宮の中に入れる秘密の入り口とかはねぇのかな・・・」
「うーん・・・」
アルフレッドが唸りながら歯形のついた饅頭をモンタナに寄越す。そして、胸のポケットから写しとったメモを取り出し明りの近くへ晒してみた。
「この見取り図には、何も印らしいものはないんだけど・・・」
「まだ見落としてるものがあるんじゃねぇのか? なめし皮を見りゃ、何かわかるかも・・・」
「モンタナ!」
頬を膨らまし、アルフレッドが声を荒げた。
「僕は、これでも専門家だよ! そんな初歩的なミスは絶対しないよ! ・・・それより、黄色い線を写しとったモンタナこそ、何か見落としてるんじゃないの?」
そこまで言うか。他意はなかっただけに、モンタナもつい、かちんときてしまう。
「俺だって、パイロットやってんだぜ! そうそう見落としなんてするもんかよ!」
「どーだか。ケティにしても車にしても、脇見運転なんてしょっちゅうじゃないか!」
「それで事故った事なんて、1回もねぇだろう? そのおかげで、お前だって、今こうしてぴんぴんしていられるんじゃねえか! 礼位は、言ってもらいてぇもんだな」
「君に?」
「そう、俺にだよ」
「安全運転というものを知らない、闇雲に走ったり飛んだりするだけの、君に?」
「・・・んにゃろォ!」
モンタナの両目が吊り上がった。
大層慌てたチャンが、体をはって2人の間に割り込んでくる。
「待って下さい、2人共! ここで騒ぎを起こすのは・・・」
アルフレッドを、そしてモンタナを、チャンが穏やかに窘める。
「あ、ああ・・・。ちぃと、大人げなかったかもな。済まないな、チャンさん」
「いえ・・・」
モンタナとアルフレッドは、そこでようやく気がついた。2人の声に驚いたのか、地元の人々が4・5人集まり、モンタナ達を遠巻きにし様子を伺っているではないか。
「見せものになってるよ、僕達」
頭にのぼらせた血で、アルフレッドが赤面する。
「ああ、そのようだな。・・・何でもない、何でもないよォン!」
努めて明るく、むしろわざとらしい位の陽気さで、モンタナはアルフレッドの肩を抱く。そしてチャンの後について、一時その場を足速に退散した。
幸い、ついてこようという物好きは現れる気配がない。
角を幾つか曲り、人影がいないのを確かめてから、3人は肩を落とし、同時に大きな息を吐いた。
「危ねぇ、危ねぇ・・・。こんな所で有名人になっても、ギルト博士は喜ばねぇよな」
「そりゃあ、そうだよ。・・・僕達、ちょっと軽率だったね」
モンタナは、アルフレッドの肩を軽く叩く。
「ん」
笑顔を取り戻し、アルフレッドも頷いた。
「よし、もう1度考え直してみようぜ。故宮に入る方法が、何かあるかもしれねぇ」
「うん」
アルフレッドが故宮の見取り図を再び広げ、3人でそれを囲み見る。
「外、外、と・・・。何も印はねぇよな」
モンタナの指が、見取り図の外周を一回り撫でる。
「もしかしたら、本当に僕がヒントを見落としているのかもしれない」
「そんな事はねぇよ。・・・自信はあるんだろ?」
「ああ、そのつもりなんだけど・・・」
「ここに書かれていたものといったら、故宮の見取り図と、東暖閣の絵と、それから文字のかけら・・・」
モンタナは、上目使いに頭の中でおさらいをする。
「それだけだよね」
「東暖閣の絵は、故宮の絵と重なるようにして書いてあったよな。文字のかけらは2つあって、1つは神武門の左上、もう2つは東華門の右上に・・・」
モンタナの両目が、限界までに開かれる。
アルフレッドが「それだ!」と叫んだ。
「チャンさん。神武門の北西と、東華門の北東には、何かありますか?」
アルフレッドの息は荒い。
「東華門の北東は商圏のある所で、余りよくは・・・。しかし、神武門の北西には、昔の川の名残があって、中洲に北海公園があります」
「それだァ!」
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第8章 北京行
農家が見えてきたところで、チャンが一人で行くとモンタナの持つ水用タンクを引き取って訪ねに向かった。
しばらくすると、タンクを引き摺ってチャンが戻ってくる。食料も手に入りそうだと告げ、今一度農家の建物に消えてしまった。
モンタナとアルフレッドが出番をなくし、傘を持って棒立ちしていると、直にチャンが大きな包みを抱え嬉しそうに戻ってくる。
「この中に食料が入っています。この雨では難儀しているでしょうと、随分気を遣ってくれました」
「有り難ぇ事だな。なら、なるべく濡らさねぇようにして帰らねぇとな」
「わかってるよ」
モンタナは水の一杯入ったタンクを持ち上げ、アルフレッドとチャンが2人分の傘で荷物を庇い、雨の打つ中を歩き出す。
雨足は強く、地平線も雨の簾にすっかりと隠れていた。足元が泥だらけの上、曇天と雨の為、周囲はすっかり色褪せている。
ケティに戻る頃には、3人共に話す気力もなくなっていた。体が冷えきってしまい、血が重い上、頭に空洞を感じる始末である。
モンタナは、客室の隅に寄せた大鍋に持ち帰った水を移し、簡易コンロに火をいれるとその上に乗せた。
チャンが荷をとき、食料を客室に広げる。アルフレッドがさっそく濡れた服を脱ぎ、毛布にくるまりながらお茶の準備を始めた。
スパゲッティと中国茶、そして貰い物の果物で、3人の男は腹を満たし体を暖める。
「おっ、空が明るくなってきたぜ」
指を鳴らし、モンタナは天候が回復する気配を喜んだ。
「よかった・・・。雨の中を北京まで歩くなんて、ぞっとしてたところだよ」
カップを手で包み、アルフレッドも窓外に目をやった。
相変わらずの曇天には違いない。が、雨粒は小さくなり雲の色が薄くなりつつある。
「そろそろ2時になるよ、モンタナ。これからどうする?」
毛布の端を掴んで、アルフレッドが呟いた。
チャンが、そっと床にカップを置く。
「農家で、地元の人の話を聞く事ができました。ここから北京まで、徒歩で半日弱はかかるそうです」
「徒歩で半日ィ!」
それを聞いた途端、アルフレッドが露骨に顔を歪めた。
「半日もかかったんじゃ、往復だけで時間がなくなっちゃうよ。それに僕は・・・」
「半日も徒歩なんて、まっぴらなんだろう?」 歯を剥き出し、モンタナはにやついた。
「だ、だって・・・」
図星を刺され、流石にアルフレッドとてぐうの音も出ない。
相棒の肩を、モンタナはそっと撫でる。「何か方法を考えようぜ。歩いて往復しろたぁ、俺だって言わねぇよ」
「あの・・・」
「ん?」
モンタナとアルフレッドが、囁くようなか細い声に反応する。驚いてチャンを見ると、チャンは窓外をゆっくりと指さした。
「荷馬車が来るようです。北京まで・・・とは行かないと思いますが、途中までなら乗せてくれるかもしれません」
モンタナは、脱兎もかくやという速度で立ち上がり、窓の1つに突進した。遅れてアルフレッドが全く同じ動作で、別の窓に飛びついて外を眺める。
確かに、遠くで何かが動いていた。あの辺りに道があるらしい。ゆっくり、ゆっくり、近付いてくる気配がある。
「おかしいよ、モンタナ! 陸地が随分遠くになってる!」
アルフレッドが呟いた言葉に、モンタナは無言で窓から顔を離す。
「チャンさん、あの方向が北京なんだな?」
「はい、それは間違いありません」
「アルフレッド、チャンさん! 急いで荷作りだ! あの馬車に乗せてもらうぞ!」
モンタナは、簡易コンロの火が消えているのを確かめ、急ぎ錨を湖に落とすと、ゴム・ボートを客室の外に用意した。7つ道具の入ったリュックサックをボートに落とし、邪魔にならないよう端に寄せる。
アルフレッドがいつもの鞄から中身を取り出し、空にして小脇に抱える。チャンもなめし皮と二振りの短剣を手持ちの鞄に詰め、ドア横に立った。
アルフレッドとチャンが、ゴム・ボートに乗るのも忘れ棒立ちになる。
モンタナが錨を投げ落とした理由もゴム・ボートの意味も、2人はこの時ようやく理解した。
水嵩が増しているのか、2人は最初そう思った。
水を持ち戻って来た時よりも、湖の岸辺は確かに遠くなっている。寄せてあった筈のケティは、今や完全に水の上で浮いているのだから無理もない。
「突風があったからな、流されたのかもしれねぇ」
ゴム・ボートから手招きをしつつ、モンタナは急げと付け加えた。
雨は、霧雨に変わってきた。風が出てきたのか、モンタナの前髪が、風で時折ふわりと揺れる。
モンタナは2人をボートに乗せると手を伸ばし、ケティのドアを半分だけ閉めてやった。
エンジンをかけると、ボートは元気に岸を目指し水をかく。
やはり、あの姿は荷馬車のようである。ケティの窓から見つけたその影は、今やはっきりそれとわかる程、大きく見える位置に来てしまっていた。
「急いで、モンタナ!」
「わかってる!」
ゴム製のボートは、賑やかに水面を叩いて騒がせる。エンジンもがんばっているのはわかるのだが、馬の歩みはボート並みに早い。
焦りが顔に表れているアルフレッドを横目に、モンタナはおかしな事を考えた。逸る気持ちでボートのエンジンを回す事ができたら、どれ程早くなるだろうか。
岸に乗り上げる前に、ゴム製のボートは停止する。
「先に行きます!」
泥土をものともせず、チャンが馬車に向かって声を張り上げ走り出した。
湖で見た馬の横腹は、荷車の後ろ姿に変わってしまっている。
モンタナはアルフレッドと共に、ゴム・ボートの空気を抜くと、岸辺の人目につかない所へと隠した。
モンタナはリュック、アルフレッドは鞄を持ち、泥に足を取られながら、チャンの後を追いまず踏み固めた道に出る。
水たまりはあったが、土でできた道はしっかりとしており歩きやすかった。畦道のように、不慣れな者が歩いても滑る心配が全くない。
前方では、チャンが馬車を止めモンタナ達に手を振っていた。
「ラッキー!」
モンタナとアルフレッドが馬車に走り寄ると、チャンが御者をしている若い女性を紹介してくれた。
「彼女は北京まで行ってくれるそうです。乗せてくれるという事なので、お言葉に甘えましょう」
「うっひょう、助かりィ!」
「それはよかった!」
モンタナとアルフレッドは礼を述べ、荷車の後ろにおさまった。チャンは女性の隣に座り、何やら会話を楽しんでいる。
女御者が鞭を一つくれてやると、馬はようよう歩き出した。
モンタナ達と一緒に荷車が揺れる。
雨は、すっかりやんでしまった。雲は陽射しに引き裂かれるよう切れ切れになり、次第に青空へその場所を譲ってゆく。
雨上がりの風が吹く中を、馬は黙々と荷車を引いて道を進んだ。真っ平らと表現するしかない景色にも、秋の訪れが木々に畑に感じられる。
荷車が軋むと、モンタナ達の体が弾む。人間と鞄、リュックの他は瓶だけを乗せ、馬は荷車を引いていた。
タイミングよく、チャンが後ろへわめいてくれる。
「それにしても、よかったですね。彼女は、近くの町まで油を買いに行くところだったそうです」
「それを、わざわざ北京まで?」
アルフレッドもまた、声を張り上げた。
「観光客がいつまでもこのような場所にいるものではないと、そのようなところなのでしょう」
「わかりました。チャンさん、彼女によくお礼を言っておいて下さい」
「はい」
メリッサがいないので、アルフレッドもチャンに通訳を頼む。チャンが、御者に何がしかを話しかけていた。
荷車に2人の男達を乗せ、馬車は進む。モンタナの口から欠伸が出ても、アルフレッドの尻が痛くなろうとも、馬車は止まらず北へと向かった。雲は東へと逃げ、日は次第に西へと傾きつつある。
「もう、半分はきているそうですよ」
御者の言葉をチャンが教えてくれた頃から、道の様子が変わってきた。一体何処から、これだけの人々が出てきたのであろう。モンタナ達は余りの変化に目をみはる。
モンタナの目前に、馬がいた。荷車を引き、やはり黙々と歩いている。馬がずっとこちらを向いているもので、モンタナは間が持たず、つい馬に挨拶をした。
別の馬車が現れ、荷を弾ませながらすれ違ってゆく。モンタナ達が今しがた来た道を、念壇方面へと進む馬車。
馬車は荷車をこちらに向けた格好で、次第に小さくなり、別の馬車に隠れ、遂には見えなくなってしまった。
モンタナの視界の下を、やはり同じようにして背を向けた親子連れが歩いて行く。人通りも随分と盛んになってきた。試しに前方を見てみると、思った通り、チャンの背中よりずっと先に荷車の背がある。
人と馬車の出入りが激しくなり、疲れた表情のアルフレッドも、周囲の様子に興味を抱くようになってきた。
「いよいよ北京に近付いてきたって感じだね」
「中国の首都なんだろう? 早く故宮っていうのを見てみたいぜ」
「もうすぐだよ」
アルフレッドがにこりとした。尻は痛いものの、北京に近付いてきたという事で、ようやく元気が出てきたようである。
人や自転車、そして馬車の行き来は更に激しさを増してゆく。馬車も往来に譲って、立ち往生する事も珍しくなくなった。
御者の女性は、馬車を道の隅に寄せる。もう馬車での移動はここまでが限界なのであろう。
モンタナとアルフレッド、そしてチャンが馬車から降りた。
「ありがとう、とても助かりましたよ」
「サンキューな」
馬を撫でている女性に、2人はそっと礼を述べた。
言葉がわからない為か、最初はきょとんとしていた彼女も、チャンの通訳とモンタナ達の笑顔で話の内容を理解した。華やかな笑顔でモンタナ、アルフレッドの前を過ぎると、チャンの手前では頬を赤らめる。
「・・・なるほど。サービスがよかったのは、こういう訳ね」
モンタナの体がよろけて斜めになった。
「しっかりして、モンタナ。僕も疲れてるんだから・・・」
女性は別れを告げると、馬車を操って元来た道を引き返していった。
「チャンさん」
「はい」
モンタナは、チャンに近付き耳打ちする。
「ちょっと彼女につれなかったんじゃねぇの?」
「はい?」
鞄を抱えたまま、チャンが首を捻った。その呆けた様子に、モンタナは肩をすくめ、アルフレッドと連れ立ってチャンに背を向け歩き出す。
チャンが我に返って、慌てて2人の後についてきた。
「・・・男の敵だ」
わざと止まらず、モンタナは大股で歩き続ける。
「女の敵かもよ」
いつもは人の良いアルフレッドが囁いた。
2人の背中をどんと押し、チャンが2人のジャケットを軽く引っ張る。
「そちらは東寄りの道です。そのまま行くと、市街地を掠め北に抜けてしまいます。こちらの道を行きましょう」
「ん? あ、そうか」
日はすっかり沈んでしまった。アルフレッドの時計は、既に7時を回ろうとしている。 徒歩で市街地に入った3人は、人の流れに逆らえず、右に左にと蛇行しながら前に進んだ。
仕事を終えた人々が、往来に大きな流れを作る。その懐を宛てにした商店が、店の明りを灯し人々の目を引いていた。
店頭で作りながら食べ物を売る店、靴屋、薬屋、中には人の間を縫いながら物売りをする姿もある。煮物の匂いと油の臭いが一緒になってしまい、人いきれも手伝って空気は少し澱んでいた。
通行人は、自分の懐具合に合わせ店を選んでは商品を念入りに吟味している。
それにしても、人の数が多い。
「ここが北京の中心なのか?」
陽気な雰囲気に共感しながら、モンタナはチャンにわかるようぐるりを示した。
「いえ、この通りは商業地区なので、店が密集しているのです。大きな通りは、もっと整然としていて道幅もあります」
「そこに、中央省庁もあるんですね?」
アルフレッドが、店の並びに気を取られ気持ち半分で問う。
「はい。まず、ここで夕食を手配してから、夜がふけるのを待つのがよいかと・・・」
「なるほど」
アルフレッドに代わり、モンタナが返事をした。そわそわと気ぜわしく動く目、アルフレッドは、心ここにあらずという風体である。
モンタナはアルフレッドの様子で、彼の心中について大方の見当をつけた。
いつもの癖で、本屋と骨董品の店を探しているに違いない。雑踏の中、アルフレッドは、向かいあった店の中へ1件1件独特の勘を忍ばせているのである。「アルフレッド! お前の買い物は後回しだ。まず、飯を買い出してから、故宮に入る方法を考えようぜ」
襟首を掴まれ、アルフレッドが不愉快そうに口を曲げる。知的好奇心を満足させる喜びなど、冒険家を自負するモンタナにはわかる筈もない。
「わかったよ、モンタナ。・・・んっもう・・・」
「仕方ないだろう、明日の朝までだぞ。時間がないんだ」
「・・・まず、食料か・・・」
店頭で饅頭を蒸している店があったので、3人は味を選びその幾つかを購入した。
暖かい饅頭を頬ばりながら、故宮を囲む外壁に沿って歩いてみる。
外壁を越えるのは無理と諦めるしかなかった。高さは目算でも、優に14・5メートルはある。夜は4つの門総てが閉ざされてしまい、観光客などは入る事ができなくなっている。
「こりゃ、正攻法はとても無理だな」
饅頭を飲み込んでから、モンタナは真顔になってそう呟いた。
「じゃあ、どうするんだよ? 明日の朝までには戻らなきゃならないのに」
アルフレッドが、食べかけの饅頭を握りしめ不満を唱えた。見上げる程高い外壁を眺めた途端、食欲は何処かへ飛んで消えてしまったかのようである。
「何処かに、故宮の中に入れる秘密の入り口とかはねぇのかな・・・」
「うーん・・・」
アルフレッドが唸りながら歯形のついた饅頭をモンタナに寄越す。そして、胸のポケットから写しとったメモを取り出し明りの近くへ晒してみた。
「この見取り図には、何も印らしいものはないんだけど・・・」
「まだ見落としてるものがあるんじゃねぇのか? なめし皮を見りゃ、何かわかるかも・・・」
「モンタナ!」
頬を膨らまし、アルフレッドが声を荒げた。
「僕は、これでも専門家だよ! そんな初歩的なミスは絶対しないよ! ・・・それより、黄色い線を写しとったモンタナこそ、何か見落としてるんじゃないの?」
そこまで言うか。他意はなかっただけに、モンタナもつい、かちんときてしまう。
「俺だって、パイロットやってんだぜ! そうそう見落としなんてするもんかよ!」
「どーだか。ケティにしても車にしても、脇見運転なんてしょっちゅうじゃないか!」
「それで事故った事なんて、1回もねぇだろう? そのおかげで、お前だって、今こうしてぴんぴんしていられるんじゃねえか! 礼位は、言ってもらいてぇもんだな」
「君に?」
「そう、俺にだよ」
「安全運転というものを知らない、闇雲に走ったり飛んだりするだけの、君に?」
「・・・んにゃろォ!」
モンタナの両目が吊り上がった。
大層慌てたチャンが、体をはって2人の間に割り込んでくる。
「待って下さい、2人共! ここで騒ぎを起こすのは・・・」
アルフレッドを、そしてモンタナを、チャンが穏やかに窘める。
「あ、ああ・・・。ちぃと、大人げなかったかもな。済まないな、チャンさん」
「いえ・・・」
モンタナとアルフレッドは、そこでようやく気がついた。2人の声に驚いたのか、地元の人々が4・5人集まり、モンタナ達を遠巻きにし様子を伺っているではないか。
「見せものになってるよ、僕達」
頭にのぼらせた血で、アルフレッドが赤面する。
「ああ、そのようだな。・・・何でもない、何でもないよォン!」
努めて明るく、むしろわざとらしい位の陽気さで、モンタナはアルフレッドの肩を抱く。そしてチャンの後について、一時その場を足速に退散した。
幸い、ついてこようという物好きは現れる気配がない。
角を幾つか曲り、人影がいないのを確かめてから、3人は肩を落とし、同時に大きな息を吐いた。
「危ねぇ、危ねぇ・・・。こんな所で有名人になっても、ギルト博士は喜ばねぇよな」
「そりゃあ、そうだよ。・・・僕達、ちょっと軽率だったね」
モンタナは、アルフレッドの肩を軽く叩く。
「ん」
笑顔を取り戻し、アルフレッドも頷いた。
「よし、もう1度考え直してみようぜ。故宮に入る方法が、何かあるかもしれねぇ」
「うん」
アルフレッドが故宮の見取り図を再び広げ、3人でそれを囲み見る。
「外、外、と・・・。何も印はねぇよな」
モンタナの指が、見取り図の外周を一回り撫でる。
「もしかしたら、本当に僕がヒントを見落としているのかもしれない」
「そんな事はねぇよ。・・・自信はあるんだろ?」
「ああ、そのつもりなんだけど・・・」
「ここに書かれていたものといったら、故宮の見取り図と、東暖閣の絵と、それから文字のかけら・・・」
モンタナは、上目使いに頭の中でおさらいをする。
「それだけだよね」
「東暖閣の絵は、故宮の絵と重なるようにして書いてあったよな。文字のかけらは2つあって、1つは神武門の左上、もう2つは東華門の右上に・・・」
モンタナの両目が、限界までに開かれる。
アルフレッドが「それだ!」と叫んだ。
「チャンさん。神武門の北西と、東華門の北東には、何かありますか?」
アルフレッドの息は荒い。
「東華門の北東は商圏のある所で、余りよくは・・・。しかし、神武門の北西には、昔の川の名残があって、中洲に北海公園があります」
「それだァ!」