冒険航空会社モンタナ(モンタナ・ジョーンズ)同人小説
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第8章 北京行
農家が見えてきたところで、チャンが一人で行くとモンタナの持つ水用タンクを引き取って訪ねに向かった。
しばらくすると、タンクを引き摺ってチャンが戻ってくる。食料も手に入りそうだと告げ、今一度農家の建物に消えてしまった。
モンタナとアルフレッドが出番をなくし、傘を持って棒立ちしていると、直にチャンが大きな包みを抱え嬉しそうに戻ってくる。
「この中に食料が入っています。この雨では難儀しているでしょうと、随分気を遣ってくれました」
「有り難ぇ事だな。なら、なるべく濡らさねぇようにして帰らねぇとな」
「わかってるよ」
モンタナは水の一杯入ったタンクを持ち上げ、アルフレッドとチャンが2人分の傘で荷物を庇い、雨の打つ中を歩き出す。
雨足は強く、地平線も雨の簾にすっかりと隠れていた。足元が泥だらけの上、曇天と雨の為、周囲はすっかり色褪せている。
ケティに戻る頃には、3人共に話す気力もなくなっていた。体が冷えきってしまい、血が重い上、頭に空洞を感じる始末である。
モンタナは、客室の隅に寄せた大鍋に持ち帰った水を移し、簡易コンロに火をいれるとその上に乗せた。
チャンが荷をとき、食料を客室に広げる。アルフレッドがさっそく濡れた服を脱ぎ、毛布にくるまりながらお茶の準備を始めた。
スパゲッティと中国茶、そして貰い物の果物で、3人の男は腹を満たし体を暖める。
「おっ、空が明るくなってきたぜ」
指を鳴らし、モンタナは天候が回復する気配を喜んだ。
「よかった・・・。雨の中を北京まで歩くなんて、ぞっとしてたところだよ」
カップを手で包み、アルフレッドも窓外に目をやった。
相変わらずの曇天には違いない。が、雨粒は小さくなり雲の色が薄くなりつつある。
「そろそろ2時になるよ、モンタナ。これからどうする?」
毛布の端を掴んで、アルフレッドが呟いた。
チャンが、そっと床にカップを置く。
「農家で、地元の人の話を聞く事ができました。ここから北京まで、徒歩で半日弱はかかるそうです」
「徒歩で半日ィ!」
それを聞いた途端、アルフレッドが露骨に顔を歪めた。
「半日もかかったんじゃ、往復だけで時間がなくなっちゃうよ。それに僕は・・・」
「半日も徒歩なんて、まっぴらなんだろう?」 歯を剥き出し、モンタナはにやついた。
「だ、だって・・・」
図星を刺され、流石にアルフレッドとてぐうの音も出ない。
相棒の肩を、モンタナはそっと撫でる。「何か方法を考えようぜ。歩いて往復しろたぁ、俺だって言わねぇよ」
「あの・・・」
「ん?」
モンタナとアルフレッドが、囁くようなか細い声に反応する。驚いてチャンを見ると、チャンは窓外をゆっくりと指さした。
「荷馬車が来るようです。北京まで・・・とは行かないと思いますが、途中までなら乗せてくれるかもしれません」
モンタナは、脱兎もかくやという速度で立ち上がり、窓の1つに突進した。遅れてアルフレッドが全く同じ動作で、別の窓に飛びついて外を眺める。
確かに、遠くで何かが動いていた。あの辺りに道があるらしい。ゆっくり、ゆっくり、近付いてくる気配がある。
「おかしいよ、モンタナ! 陸地が随分遠くになってる!」
アルフレッドが呟いた言葉に、モンタナは無言で窓から顔を離す。
「チャンさん、あの方向が北京なんだな?」
「はい、それは間違いありません」
「アルフレッド、チャンさん! 急いで荷作りだ! あの馬車に乗せてもらうぞ!」
モンタナは、簡易コンロの火が消えているのを確かめ、急ぎ錨を湖に落とすと、ゴム・ボートを客室の外に用意した。7つ道具の入ったリュックサックをボートに落とし、邪魔にならないよう端に寄せる。
アルフレッドがいつもの鞄から中身を取り出し、空にして小脇に抱える。チャンもなめし皮と二振りの短剣を手持ちの鞄に詰め、ドア横に立った。
アルフレッドとチャンが、ゴム・ボートに乗るのも忘れ棒立ちになる。
モンタナが錨を投げ落とした理由もゴム・ボートの意味も、2人はこの時ようやく理解した。
水嵩が増しているのか、2人は最初そう思った。
水を持ち戻って来た時よりも、湖の岸辺は確かに遠くなっている。寄せてあった筈のケティは、今や完全に水の上で浮いているのだから無理もない。
「突風があったからな、流されたのかもしれねぇ」
ゴム・ボートから手招きをしつつ、モンタナは急げと付け加えた。
雨は、霧雨に変わってきた。風が出てきたのか、モンタナの前髪が、風で時折ふわりと揺れる。
モンタナは2人をボートに乗せると手を伸ばし、ケティのドアを半分だけ閉めてやった。
エンジンをかけると、ボートは元気に岸を目指し水をかく。
やはり、あの姿は荷馬車のようである。ケティの窓から見つけたその影は、今やはっきりそれとわかる程、大きく見える位置に来てしまっていた。
「急いで、モンタナ!」
「わかってる!」
ゴム製のボートは、賑やかに水面を叩いて騒がせる。エンジンもがんばっているのはわかるのだが、馬の歩みはボート並みに早い。
焦りが顔に表れているアルフレッドを横目に、モンタナはおかしな事を考えた。逸る気持ちでボートのエンジンを回す事ができたら、どれ程早くなるだろうか。
岸に乗り上げる前に、ゴム製のボートは停止する。
「先に行きます!」
泥土をものともせず、チャンが馬車に向かって声を張り上げ走り出した。
湖で見た馬の横腹は、荷車の後ろ姿に変わってしまっている。
モンタナはアルフレッドと共に、ゴム・ボートの空気を抜くと、岸辺の人目につかない所へと隠した。
モンタナはリュック、アルフレッドは鞄を持ち、泥に足を取られながら、チャンの後を追いまず踏み固めた道に出る。
水たまりはあったが、土でできた道はしっかりとしており歩きやすかった。畦道のように、不慣れな者が歩いても滑る心配が全くない。
前方では、チャンが馬車を止めモンタナ達に手を振っていた。
「ラッキー!」
モンタナとアルフレッドが馬車に走り寄ると、チャンが御者をしている若い女性を紹介してくれた。
「彼女は北京まで行ってくれるそうです。乗せてくれるという事なので、お言葉に甘えましょう」
「うっひょう、助かりィ!」
「それはよかった!」
モンタナとアルフレッドは礼を述べ、荷車の後ろにおさまった。チャンは女性の隣に座り、何やら会話を楽しんでいる。
女御者が鞭を一つくれてやると、馬はようよう歩き出した。
モンタナ達と一緒に荷車が揺れる。
雨は、すっかりやんでしまった。雲は陽射しに引き裂かれるよう切れ切れになり、次第に青空へその場所を譲ってゆく。
雨上がりの風が吹く中を、馬は黙々と荷車を引いて道を進んだ。真っ平らと表現するしかない景色にも、秋の訪れが木々に畑に感じられる。
荷車が軋むと、モンタナ達の体が弾む。人間と鞄、リュックの他は瓶だけを乗せ、馬は荷車を引いていた。
タイミングよく、チャンが後ろへわめいてくれる。
「それにしても、よかったですね。彼女は、近くの町まで油を買いに行くところだったそうです」
「それを、わざわざ北京まで?」
アルフレッドもまた、声を張り上げた。
「観光客がいつまでもこのような場所にいるものではないと、そのようなところなのでしょう」
「わかりました。チャンさん、彼女によくお礼を言っておいて下さい」
「はい」
メリッサがいないので、アルフレッドもチャンに通訳を頼む。チャンが、御者に何がしかを話しかけていた。
荷車に2人の男達を乗せ、馬車は進む。モンタナの口から欠伸が出ても、アルフレッドの尻が痛くなろうとも、馬車は止まらず北へと向かった。雲は東へと逃げ、日は次第に西へと傾きつつある。
「もう、半分はきているそうですよ」
御者の言葉をチャンが教えてくれた頃から、道の様子が変わってきた。一体何処から、これだけの人々が出てきたのであろう。モンタナ達は余りの変化に目をみはる。
モンタナの目前に、馬がいた。荷車を引き、やはり黙々と歩いている。馬がずっとこちらを向いているもので、モンタナは間が持たず、つい馬に挨拶をした。
別の馬車が現れ、荷を弾ませながらすれ違ってゆく。モンタナ達が今しがた来た道を、念壇方面へと進む馬車。
馬車は荷車をこちらに向けた格好で、次第に小さくなり、別の馬車に隠れ、遂には見えなくなってしまった。
モンタナの視界の下を、やはり同じようにして背を向けた親子連れが歩いて行く。人通りも随分と盛んになってきた。試しに前方を見てみると、思った通り、チャンの背中よりずっと先に荷車の背がある。
人と馬車の出入りが激しくなり、疲れた表情のアルフレッドも、周囲の様子に興味を抱くようになってきた。
「いよいよ北京に近付いてきたって感じだね」
「中国の首都なんだろう? 早く故宮っていうのを見てみたいぜ」
「もうすぐだよ」
アルフレッドがにこりとした。尻は痛いものの、北京に近付いてきたという事で、ようやく元気が出てきたようである。
人や自転車、そして馬車の行き来は更に激しさを増してゆく。馬車も往来に譲って、立ち往生する事も珍しくなくなった。
御者の女性は、馬車を道の隅に寄せる。もう馬車での移動はここまでが限界なのであろう。
モンタナとアルフレッド、そしてチャンが馬車から降りた。
「ありがとう、とても助かりましたよ」
「サンキューな」
馬を撫でている女性に、2人はそっと礼を述べた。
言葉がわからない為か、最初はきょとんとしていた彼女も、チャンの通訳とモンタナ達の笑顔で話の内容を理解した。華やかな笑顔でモンタナ、アルフレッドの前を過ぎると、チャンの手前では頬を赤らめる。
「・・・なるほど。サービスがよかったのは、こういう訳ね」
モンタナの体がよろけて斜めになった。
「しっかりして、モンタナ。僕も疲れてるんだから・・・」
女性は別れを告げると、馬車を操って元来た道を引き返していった。
「チャンさん」
「はい」
モンタナは、チャンに近付き耳打ちする。
「ちょっと彼女につれなかったんじゃねぇの?」
「はい?」
鞄を抱えたまま、チャンが首を捻った。その呆けた様子に、モンタナは肩をすくめ、アルフレッドと連れ立ってチャンに背を向け歩き出す。
チャンが我に返って、慌てて2人の後についてきた。
「・・・男の敵だ」
わざと止まらず、モンタナは大股で歩き続ける。
「女の敵かもよ」
いつもは人の良いアルフレッドが囁いた。
2人の背中をどんと押し、チャンが2人のジャケットを軽く引っ張る。
「そちらは東寄りの道です。そのまま行くと、市街地を掠め北に抜けてしまいます。こちらの道を行きましょう」
「ん? あ、そうか」
日はすっかり沈んでしまった。アルフレッドの時計は、既に7時を回ろうとしている。 徒歩で市街地に入った3人は、人の流れに逆らえず、右に左にと蛇行しながら前に進んだ。
仕事を終えた人々が、往来に大きな流れを作る。その懐を宛てにした商店が、店の明りを灯し人々の目を引いていた。
店頭で作りながら食べ物を売る店、靴屋、薬屋、中には人の間を縫いながら物売りをする姿もある。煮物の匂いと油の臭いが一緒になってしまい、人いきれも手伝って空気は少し澱んでいた。
通行人は、自分の懐具合に合わせ店を選んでは商品を念入りに吟味している。
それにしても、人の数が多い。
「ここが北京の中心なのか?」
陽気な雰囲気に共感しながら、モンタナはチャンにわかるようぐるりを示した。
「いえ、この通りは商業地区なので、店が密集しているのです。大きな通りは、もっと整然としていて道幅もあります」
「そこに、中央省庁もあるんですね?」
アルフレッドが、店の並びに気を取られ気持ち半分で問う。
「はい。まず、ここで夕食を手配してから、夜がふけるのを待つのがよいかと・・・」
「なるほど」
アルフレッドに代わり、モンタナが返事をした。そわそわと気ぜわしく動く目、アルフレッドは、心ここにあらずという風体である。
モンタナはアルフレッドの様子で、彼の心中について大方の見当をつけた。
いつもの癖で、本屋と骨董品の店を探しているに違いない。雑踏の中、アルフレッドは、向かいあった店の中へ1件1件独特の勘を忍ばせているのである。「アルフレッド! お前の買い物は後回しだ。まず、飯を買い出してから、故宮に入る方法を考えようぜ」
襟首を掴まれ、アルフレッドが不愉快そうに口を曲げる。知的好奇心を満足させる喜びなど、冒険家を自負するモンタナにはわかる筈もない。
「わかったよ、モンタナ。・・・んっもう・・・」
「仕方ないだろう、明日の朝までだぞ。時間がないんだ」
「・・・まず、食料か・・・」
店頭で饅頭を蒸している店があったので、3人は味を選びその幾つかを購入した。
暖かい饅頭を頬ばりながら、故宮を囲む外壁に沿って歩いてみる。
外壁を越えるのは無理と諦めるしかなかった。高さは目算でも、優に14・5メートルはある。夜は4つの門総てが閉ざされてしまい、観光客などは入る事ができなくなっている。
「こりゃ、正攻法はとても無理だな」
饅頭を飲み込んでから、モンタナは真顔になってそう呟いた。
「じゃあ、どうするんだよ? 明日の朝までには戻らなきゃならないのに」
アルフレッドが、食べかけの饅頭を握りしめ不満を唱えた。見上げる程高い外壁を眺めた途端、食欲は何処かへ飛んで消えてしまったかのようである。
「何処かに、故宮の中に入れる秘密の入り口とかはねぇのかな・・・」
「うーん・・・」
アルフレッドが唸りながら歯形のついた饅頭をモンタナに寄越す。そして、胸のポケットから写しとったメモを取り出し明りの近くへ晒してみた。
「この見取り図には、何も印らしいものはないんだけど・・・」
「まだ見落としてるものがあるんじゃねぇのか? なめし皮を見りゃ、何かわかるかも・・・」
「モンタナ!」
頬を膨らまし、アルフレッドが声を荒げた。
「僕は、これでも専門家だよ! そんな初歩的なミスは絶対しないよ! ・・・それより、黄色い線を写しとったモンタナこそ、何か見落としてるんじゃないの?」
そこまで言うか。他意はなかっただけに、モンタナもつい、かちんときてしまう。
「俺だって、パイロットやってんだぜ! そうそう見落としなんてするもんかよ!」
「どーだか。ケティにしても車にしても、脇見運転なんてしょっちゅうじゃないか!」
「それで事故った事なんて、1回もねぇだろう? そのおかげで、お前だって、今こうしてぴんぴんしていられるんじゃねえか! 礼位は、言ってもらいてぇもんだな」
「君に?」
「そう、俺にだよ」
「安全運転というものを知らない、闇雲に走ったり飛んだりするだけの、君に?」
「・・・んにゃろォ!」
モンタナの両目が吊り上がった。
大層慌てたチャンが、体をはって2人の間に割り込んでくる。
「待って下さい、2人共! ここで騒ぎを起こすのは・・・」
アルフレッドを、そしてモンタナを、チャンが穏やかに窘める。
「あ、ああ・・・。ちぃと、大人げなかったかもな。済まないな、チャンさん」
「いえ・・・」
モンタナとアルフレッドは、そこでようやく気がついた。2人の声に驚いたのか、地元の人々が4・5人集まり、モンタナ達を遠巻きにし様子を伺っているではないか。
「見せものになってるよ、僕達」
頭にのぼらせた血で、アルフレッドが赤面する。
「ああ、そのようだな。・・・何でもない、何でもないよォン!」
努めて明るく、むしろわざとらしい位の陽気さで、モンタナはアルフレッドの肩を抱く。そしてチャンの後について、一時その場を足速に退散した。
幸い、ついてこようという物好きは現れる気配がない。
角を幾つか曲り、人影がいないのを確かめてから、3人は肩を落とし、同時に大きな息を吐いた。
「危ねぇ、危ねぇ・・・。こんな所で有名人になっても、ギルト博士は喜ばねぇよな」
「そりゃあ、そうだよ。・・・僕達、ちょっと軽率だったね」
モンタナは、アルフレッドの肩を軽く叩く。
「ん」
笑顔を取り戻し、アルフレッドも頷いた。
「よし、もう1度考え直してみようぜ。故宮に入る方法が、何かあるかもしれねぇ」
「うん」
アルフレッドが故宮の見取り図を再び広げ、3人でそれを囲み見る。
「外、外、と・・・。何も印はねぇよな」
モンタナの指が、見取り図の外周を一回り撫でる。
「もしかしたら、本当に僕がヒントを見落としているのかもしれない」
「そんな事はねぇよ。・・・自信はあるんだろ?」
「ああ、そのつもりなんだけど・・・」
「ここに書かれていたものといったら、故宮の見取り図と、東暖閣の絵と、それから文字のかけら・・・」
モンタナは、上目使いに頭の中でおさらいをする。
「それだけだよね」
「東暖閣の絵は、故宮の絵と重なるようにして書いてあったよな。文字のかけらは2つあって、1つは神武門の左上、もう2つは東華門の右上に・・・」
モンタナの両目が、限界までに開かれる。
アルフレッドが「それだ!」と叫んだ。
「チャンさん。神武門の北西と、東華門の北東には、何かありますか?」
アルフレッドの息は荒い。
「東華門の北東は商圏のある所で、余りよくは・・・。しかし、神武門の北西には、昔の川の名残があって、中洲に北海公園があります」
「それだァ!」
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第8章 北京行
農家が見えてきたところで、チャンが一人で行くとモンタナの持つ水用タンクを引き取って訪ねに向かった。
しばらくすると、タンクを引き摺ってチャンが戻ってくる。食料も手に入りそうだと告げ、今一度農家の建物に消えてしまった。
モンタナとアルフレッドが出番をなくし、傘を持って棒立ちしていると、直にチャンが大きな包みを抱え嬉しそうに戻ってくる。
「この中に食料が入っています。この雨では難儀しているでしょうと、随分気を遣ってくれました」
「有り難ぇ事だな。なら、なるべく濡らさねぇようにして帰らねぇとな」
「わかってるよ」
モンタナは水の一杯入ったタンクを持ち上げ、アルフレッドとチャンが2人分の傘で荷物を庇い、雨の打つ中を歩き出す。
雨足は強く、地平線も雨の簾にすっかりと隠れていた。足元が泥だらけの上、曇天と雨の為、周囲はすっかり色褪せている。
ケティに戻る頃には、3人共に話す気力もなくなっていた。体が冷えきってしまい、血が重い上、頭に空洞を感じる始末である。
モンタナは、客室の隅に寄せた大鍋に持ち帰った水を移し、簡易コンロに火をいれるとその上に乗せた。
チャンが荷をとき、食料を客室に広げる。アルフレッドがさっそく濡れた服を脱ぎ、毛布にくるまりながらお茶の準備を始めた。
スパゲッティと中国茶、そして貰い物の果物で、3人の男は腹を満たし体を暖める。
「おっ、空が明るくなってきたぜ」
指を鳴らし、モンタナは天候が回復する気配を喜んだ。
「よかった・・・。雨の中を北京まで歩くなんて、ぞっとしてたところだよ」
カップを手で包み、アルフレッドも窓外に目をやった。
相変わらずの曇天には違いない。が、雨粒は小さくなり雲の色が薄くなりつつある。
「そろそろ2時になるよ、モンタナ。これからどうする?」
毛布の端を掴んで、アルフレッドが呟いた。
チャンが、そっと床にカップを置く。
「農家で、地元の人の話を聞く事ができました。ここから北京まで、徒歩で半日弱はかかるそうです」
「徒歩で半日ィ!」
それを聞いた途端、アルフレッドが露骨に顔を歪めた。
「半日もかかったんじゃ、往復だけで時間がなくなっちゃうよ。それに僕は・・・」
「半日も徒歩なんて、まっぴらなんだろう?」 歯を剥き出し、モンタナはにやついた。
「だ、だって・・・」
図星を刺され、流石にアルフレッドとてぐうの音も出ない。
相棒の肩を、モンタナはそっと撫でる。「何か方法を考えようぜ。歩いて往復しろたぁ、俺だって言わねぇよ」
「あの・・・」
「ん?」
モンタナとアルフレッドが、囁くようなか細い声に反応する。驚いてチャンを見ると、チャンは窓外をゆっくりと指さした。
「荷馬車が来るようです。北京まで・・・とは行かないと思いますが、途中までなら乗せてくれるかもしれません」
モンタナは、脱兎もかくやという速度で立ち上がり、窓の1つに突進した。遅れてアルフレッドが全く同じ動作で、別の窓に飛びついて外を眺める。
確かに、遠くで何かが動いていた。あの辺りに道があるらしい。ゆっくり、ゆっくり、近付いてくる気配がある。
「おかしいよ、モンタナ! 陸地が随分遠くになってる!」
アルフレッドが呟いた言葉に、モンタナは無言で窓から顔を離す。
「チャンさん、あの方向が北京なんだな?」
「はい、それは間違いありません」
「アルフレッド、チャンさん! 急いで荷作りだ! あの馬車に乗せてもらうぞ!」
モンタナは、簡易コンロの火が消えているのを確かめ、急ぎ錨を湖に落とすと、ゴム・ボートを客室の外に用意した。7つ道具の入ったリュックサックをボートに落とし、邪魔にならないよう端に寄せる。
アルフレッドがいつもの鞄から中身を取り出し、空にして小脇に抱える。チャンもなめし皮と二振りの短剣を手持ちの鞄に詰め、ドア横に立った。
アルフレッドとチャンが、ゴム・ボートに乗るのも忘れ棒立ちになる。
モンタナが錨を投げ落とした理由もゴム・ボートの意味も、2人はこの時ようやく理解した。
水嵩が増しているのか、2人は最初そう思った。
水を持ち戻って来た時よりも、湖の岸辺は確かに遠くなっている。寄せてあった筈のケティは、今や完全に水の上で浮いているのだから無理もない。
「突風があったからな、流されたのかもしれねぇ」
ゴム・ボートから手招きをしつつ、モンタナは急げと付け加えた。
雨は、霧雨に変わってきた。風が出てきたのか、モンタナの前髪が、風で時折ふわりと揺れる。
モンタナは2人をボートに乗せると手を伸ばし、ケティのドアを半分だけ閉めてやった。
エンジンをかけると、ボートは元気に岸を目指し水をかく。
やはり、あの姿は荷馬車のようである。ケティの窓から見つけたその影は、今やはっきりそれとわかる程、大きく見える位置に来てしまっていた。
「急いで、モンタナ!」
「わかってる!」
ゴム製のボートは、賑やかに水面を叩いて騒がせる。エンジンもがんばっているのはわかるのだが、馬の歩みはボート並みに早い。
焦りが顔に表れているアルフレッドを横目に、モンタナはおかしな事を考えた。逸る気持ちでボートのエンジンを回す事ができたら、どれ程早くなるだろうか。
岸に乗り上げる前に、ゴム製のボートは停止する。
「先に行きます!」
泥土をものともせず、チャンが馬車に向かって声を張り上げ走り出した。
湖で見た馬の横腹は、荷車の後ろ姿に変わってしまっている。
モンタナはアルフレッドと共に、ゴム・ボートの空気を抜くと、岸辺の人目につかない所へと隠した。
モンタナはリュック、アルフレッドは鞄を持ち、泥に足を取られながら、チャンの後を追いまず踏み固めた道に出る。
水たまりはあったが、土でできた道はしっかりとしており歩きやすかった。畦道のように、不慣れな者が歩いても滑る心配が全くない。
前方では、チャンが馬車を止めモンタナ達に手を振っていた。
「ラッキー!」
モンタナとアルフレッドが馬車に走り寄ると、チャンが御者をしている若い女性を紹介してくれた。
「彼女は北京まで行ってくれるそうです。乗せてくれるという事なので、お言葉に甘えましょう」
「うっひょう、助かりィ!」
「それはよかった!」
モンタナとアルフレッドは礼を述べ、荷車の後ろにおさまった。チャンは女性の隣に座り、何やら会話を楽しんでいる。
女御者が鞭を一つくれてやると、馬はようよう歩き出した。
モンタナ達と一緒に荷車が揺れる。
雨は、すっかりやんでしまった。雲は陽射しに引き裂かれるよう切れ切れになり、次第に青空へその場所を譲ってゆく。
雨上がりの風が吹く中を、馬は黙々と荷車を引いて道を進んだ。真っ平らと表現するしかない景色にも、秋の訪れが木々に畑に感じられる。
荷車が軋むと、モンタナ達の体が弾む。人間と鞄、リュックの他は瓶だけを乗せ、馬は荷車を引いていた。
タイミングよく、チャンが後ろへわめいてくれる。
「それにしても、よかったですね。彼女は、近くの町まで油を買いに行くところだったそうです」
「それを、わざわざ北京まで?」
アルフレッドもまた、声を張り上げた。
「観光客がいつまでもこのような場所にいるものではないと、そのようなところなのでしょう」
「わかりました。チャンさん、彼女によくお礼を言っておいて下さい」
「はい」
メリッサがいないので、アルフレッドもチャンに通訳を頼む。チャンが、御者に何がしかを話しかけていた。
荷車に2人の男達を乗せ、馬車は進む。モンタナの口から欠伸が出ても、アルフレッドの尻が痛くなろうとも、馬車は止まらず北へと向かった。雲は東へと逃げ、日は次第に西へと傾きつつある。
「もう、半分はきているそうですよ」
御者の言葉をチャンが教えてくれた頃から、道の様子が変わってきた。一体何処から、これだけの人々が出てきたのであろう。モンタナ達は余りの変化に目をみはる。
モンタナの目前に、馬がいた。荷車を引き、やはり黙々と歩いている。馬がずっとこちらを向いているもので、モンタナは間が持たず、つい馬に挨拶をした。
別の馬車が現れ、荷を弾ませながらすれ違ってゆく。モンタナ達が今しがた来た道を、念壇方面へと進む馬車。
馬車は荷車をこちらに向けた格好で、次第に小さくなり、別の馬車に隠れ、遂には見えなくなってしまった。
モンタナの視界の下を、やはり同じようにして背を向けた親子連れが歩いて行く。人通りも随分と盛んになってきた。試しに前方を見てみると、思った通り、チャンの背中よりずっと先に荷車の背がある。
人と馬車の出入りが激しくなり、疲れた表情のアルフレッドも、周囲の様子に興味を抱くようになってきた。
「いよいよ北京に近付いてきたって感じだね」
「中国の首都なんだろう? 早く故宮っていうのを見てみたいぜ」
「もうすぐだよ」
アルフレッドがにこりとした。尻は痛いものの、北京に近付いてきたという事で、ようやく元気が出てきたようである。
人や自転車、そして馬車の行き来は更に激しさを増してゆく。馬車も往来に譲って、立ち往生する事も珍しくなくなった。
御者の女性は、馬車を道の隅に寄せる。もう馬車での移動はここまでが限界なのであろう。
モンタナとアルフレッド、そしてチャンが馬車から降りた。
「ありがとう、とても助かりましたよ」
「サンキューな」
馬を撫でている女性に、2人はそっと礼を述べた。
言葉がわからない為か、最初はきょとんとしていた彼女も、チャンの通訳とモンタナ達の笑顔で話の内容を理解した。華やかな笑顔でモンタナ、アルフレッドの前を過ぎると、チャンの手前では頬を赤らめる。
「・・・なるほど。サービスがよかったのは、こういう訳ね」
モンタナの体がよろけて斜めになった。
「しっかりして、モンタナ。僕も疲れてるんだから・・・」
女性は別れを告げると、馬車を操って元来た道を引き返していった。
「チャンさん」
「はい」
モンタナは、チャンに近付き耳打ちする。
「ちょっと彼女につれなかったんじゃねぇの?」
「はい?」
鞄を抱えたまま、チャンが首を捻った。その呆けた様子に、モンタナは肩をすくめ、アルフレッドと連れ立ってチャンに背を向け歩き出す。
チャンが我に返って、慌てて2人の後についてきた。
「・・・男の敵だ」
わざと止まらず、モンタナは大股で歩き続ける。
「女の敵かもよ」
いつもは人の良いアルフレッドが囁いた。
2人の背中をどんと押し、チャンが2人のジャケットを軽く引っ張る。
「そちらは東寄りの道です。そのまま行くと、市街地を掠め北に抜けてしまいます。こちらの道を行きましょう」
「ん? あ、そうか」
日はすっかり沈んでしまった。アルフレッドの時計は、既に7時を回ろうとしている。 徒歩で市街地に入った3人は、人の流れに逆らえず、右に左にと蛇行しながら前に進んだ。
仕事を終えた人々が、往来に大きな流れを作る。その懐を宛てにした商店が、店の明りを灯し人々の目を引いていた。
店頭で作りながら食べ物を売る店、靴屋、薬屋、中には人の間を縫いながら物売りをする姿もある。煮物の匂いと油の臭いが一緒になってしまい、人いきれも手伝って空気は少し澱んでいた。
通行人は、自分の懐具合に合わせ店を選んでは商品を念入りに吟味している。
それにしても、人の数が多い。
「ここが北京の中心なのか?」
陽気な雰囲気に共感しながら、モンタナはチャンにわかるようぐるりを示した。
「いえ、この通りは商業地区なので、店が密集しているのです。大きな通りは、もっと整然としていて道幅もあります」
「そこに、中央省庁もあるんですね?」
アルフレッドが、店の並びに気を取られ気持ち半分で問う。
「はい。まず、ここで夕食を手配してから、夜がふけるのを待つのがよいかと・・・」
「なるほど」
アルフレッドに代わり、モンタナが返事をした。そわそわと気ぜわしく動く目、アルフレッドは、心ここにあらずという風体である。
モンタナはアルフレッドの様子で、彼の心中について大方の見当をつけた。
いつもの癖で、本屋と骨董品の店を探しているに違いない。雑踏の中、アルフレッドは、向かいあった店の中へ1件1件独特の勘を忍ばせているのである。「アルフレッド! お前の買い物は後回しだ。まず、飯を買い出してから、故宮に入る方法を考えようぜ」
襟首を掴まれ、アルフレッドが不愉快そうに口を曲げる。知的好奇心を満足させる喜びなど、冒険家を自負するモンタナにはわかる筈もない。
「わかったよ、モンタナ。・・・んっもう・・・」
「仕方ないだろう、明日の朝までだぞ。時間がないんだ」
「・・・まず、食料か・・・」
店頭で饅頭を蒸している店があったので、3人は味を選びその幾つかを購入した。
暖かい饅頭を頬ばりながら、故宮を囲む外壁に沿って歩いてみる。
外壁を越えるのは無理と諦めるしかなかった。高さは目算でも、優に14・5メートルはある。夜は4つの門総てが閉ざされてしまい、観光客などは入る事ができなくなっている。
「こりゃ、正攻法はとても無理だな」
饅頭を飲み込んでから、モンタナは真顔になってそう呟いた。
「じゃあ、どうするんだよ? 明日の朝までには戻らなきゃならないのに」
アルフレッドが、食べかけの饅頭を握りしめ不満を唱えた。見上げる程高い外壁を眺めた途端、食欲は何処かへ飛んで消えてしまったかのようである。
「何処かに、故宮の中に入れる秘密の入り口とかはねぇのかな・・・」
「うーん・・・」
アルフレッドが唸りながら歯形のついた饅頭をモンタナに寄越す。そして、胸のポケットから写しとったメモを取り出し明りの近くへ晒してみた。
「この見取り図には、何も印らしいものはないんだけど・・・」
「まだ見落としてるものがあるんじゃねぇのか? なめし皮を見りゃ、何かわかるかも・・・」
「モンタナ!」
頬を膨らまし、アルフレッドが声を荒げた。
「僕は、これでも専門家だよ! そんな初歩的なミスは絶対しないよ! ・・・それより、黄色い線を写しとったモンタナこそ、何か見落としてるんじゃないの?」
そこまで言うか。他意はなかっただけに、モンタナもつい、かちんときてしまう。
「俺だって、パイロットやってんだぜ! そうそう見落としなんてするもんかよ!」
「どーだか。ケティにしても車にしても、脇見運転なんてしょっちゅうじゃないか!」
「それで事故った事なんて、1回もねぇだろう? そのおかげで、お前だって、今こうしてぴんぴんしていられるんじゃねえか! 礼位は、言ってもらいてぇもんだな」
「君に?」
「そう、俺にだよ」
「安全運転というものを知らない、闇雲に走ったり飛んだりするだけの、君に?」
「・・・んにゃろォ!」
モンタナの両目が吊り上がった。
大層慌てたチャンが、体をはって2人の間に割り込んでくる。
「待って下さい、2人共! ここで騒ぎを起こすのは・・・」
アルフレッドを、そしてモンタナを、チャンが穏やかに窘める。
「あ、ああ・・・。ちぃと、大人げなかったかもな。済まないな、チャンさん」
「いえ・・・」
モンタナとアルフレッドは、そこでようやく気がついた。2人の声に驚いたのか、地元の人々が4・5人集まり、モンタナ達を遠巻きにし様子を伺っているではないか。
「見せものになってるよ、僕達」
頭にのぼらせた血で、アルフレッドが赤面する。
「ああ、そのようだな。・・・何でもない、何でもないよォン!」
努めて明るく、むしろわざとらしい位の陽気さで、モンタナはアルフレッドの肩を抱く。そしてチャンの後について、一時その場を足速に退散した。
幸い、ついてこようという物好きは現れる気配がない。
角を幾つか曲り、人影がいないのを確かめてから、3人は肩を落とし、同時に大きな息を吐いた。
「危ねぇ、危ねぇ・・・。こんな所で有名人になっても、ギルト博士は喜ばねぇよな」
「そりゃあ、そうだよ。・・・僕達、ちょっと軽率だったね」
モンタナは、アルフレッドの肩を軽く叩く。
「ん」
笑顔を取り戻し、アルフレッドも頷いた。
「よし、もう1度考え直してみようぜ。故宮に入る方法が、何かあるかもしれねぇ」
「うん」
アルフレッドが故宮の見取り図を再び広げ、3人でそれを囲み見る。
「外、外、と・・・。何も印はねぇよな」
モンタナの指が、見取り図の外周を一回り撫でる。
「もしかしたら、本当に僕がヒントを見落としているのかもしれない」
「そんな事はねぇよ。・・・自信はあるんだろ?」
「ああ、そのつもりなんだけど・・・」
「ここに書かれていたものといったら、故宮の見取り図と、東暖閣の絵と、それから文字のかけら・・・」
モンタナは、上目使いに頭の中でおさらいをする。
「それだけだよね」
「東暖閣の絵は、故宮の絵と重なるようにして書いてあったよな。文字のかけらは2つあって、1つは神武門の左上、もう2つは東華門の右上に・・・」
モンタナの両目が、限界までに開かれる。
アルフレッドが「それだ!」と叫んだ。
「チャンさん。神武門の北西と、東華門の北東には、何かありますか?」
アルフレッドの息は荒い。
「東華門の北東は商圏のある所で、余りよくは・・・。しかし、神武門の北西には、昔の川の名残があって、中洲に北海公園があります」
「それだァ!」
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