冒険航空会社モンタナ(モンタナ・ジョーンズ)同人小説
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第1章 トラブルは舞い降りた
秋を迎えたボストンの空には、今日も鮮やかな晴天が広がっていた。建物の間を縫って吹き抜ける風は爽やかで、町を行く人々の顔には平穏さを満喫する笑顔がある。
かつて通りや公園を埋め尽くしていた失業者の生垣も、今は随分と小さく、また数が少なくなった。一時は恒例と化していた町を巡るデモも、間隔が次第に開きつつある。
「暗黒の木曜日」以来、アメリカ全土を席巻している不況の嵐は、ルーズベルトの大統領就任依頼、ゆっくりとしたペースで回復の兆しを見せていた。国民は倹約を強いられていたが、失業者の減少という目に見える変化を前に、国民性とも言うべき楽観論を取り戻しつつある。
人々は映画に足を運び、トーキーの娯楽映画に金を落とすのも厭わないようになってきた。またある者は、ラジオの据え付けてある店にいり浸り、野球の中継に耳を傾け熱狂した。車が人々の足として定着し、ジャズの公演が各地で喝采を浴びる。人々と町が活気を取り戻しつつある事は、最早疑いようもなかった。
かといって、アメリカの失業者がゼロになりはしなかった上、賃金の未払いによる労働者達の暴動は相変わらず頻発していた。1920年代の好景気に比べれば、経済界に広がる悲壮感は拭いようもなく大きなものがあったのである。
後の歴史で大恐慌と呼ばれるインフレはアメリカだけではなくヨーロッパをも席巻し、海の向こうではファシズムの台頭を許していた。ドイツではヒットラー、イタリアではムッソリーニによる独裁政治が進んでゆくのも、ちょうどこの頃になる。
ソ連ではスターリンが血の粛正を行った時代、そして日本が満州を占領していた時代。第一次世界大戦以来一つの節目を迎えたのが、この1930年代という時代だった。世界にとって、そしてアメリカにとっても、波瀾万丈な十年間である。
独裁、民族主義が幅をきかせ、きな臭い臭いが走り始めた海外に比べ、人種のるつぼとも言うべきアメリカは、そのような意味に於いてはむしろ平穏な方だった。黒人の失業者は膨大な数にのぼったものの、白人にも失業者がいなかった訳ではない。人種間の軋轢は生じていたが、政府は経済の問題をあくまで経済政策で解決しようと試みていた。その考えが正しい事を、それなりに漂う町の活気が証明している。
町には、幸福感を取り戻した人々と、憔悴しきった人々で雰囲気が二分していた。今日も、再建に失敗した銀行の入口では、2・3人の男が新聞の回し読みをしている。求人広告に望むものがないのであろう、既に諦めている男はスポーツ面に目を通していた。気のない様子からも、それで何度目の読み直しになるか定かではない。毎日、必ず何処でも伺い知る事のできる光景だった。
どんよりとした男達の前を、一人の若者が足を引き摺るようにして歩いてゆく。弁髪を後ろに垂らし、持ち物といえば茶色の小さな鞄が一つ。紺色の上下スーツは若干くたびれ、着古した感じが見て取れる。男の顔には喪失感が浮かんでいた。まるで失業者だ。東洋人の若者は、疲れた様子で辺りを見回し、物問いたげに失業者の前を通り過ぎた。
ボストンでも、職を失った者は珍しくない。しなだれた若者の姿は、通行人も相手にしなかった。若者は道を尋ねる事もできず、小さな鞄を下げ遠回しをした揚句、ようやく大きな建物の前で足を止める。
ボストン自然博物館。入口を支える巨大な石の柱の上には、そう書かれた石の看板があった。
建物からは、身なりを整えた紳士や婦人がゆっくりと出てきては、若者に目を止める事もなく、タクシーの車内や通りへと消えてゆく。
どうやら、休館日ではなさそうだ。ほっとした若者は、ここで初めて表情を緩め、鞄を胸に抱えると博物館の中に進んでゆく。
入館チケットを販売している女性職員に話しかける。が、金は出さない。担当の女性と、しばらくやりとりを交わす。警備員が呼ばれ、若者はその警備員に従って、建物奥、見学路とは違う廊下を静かに歩いた。
幾つかの階段を上がった若者は、ほっとした様子を多少引締め、警備員の後を追う。やがて、警備員は一つの扉をノックした。
「アルフレッド先生! アルフレッド先生! 御在室ですか?お待ちになっていたお客様が到着なさいました」
応えて、厚い扉の向こうから声がする。
「あっ! そのまま入ってもらって下さい」
警備員は若者を扉の前に促した。若者は礼を言うと、ノブに手をかけゆっくりと押す。やたら慎重に、若者は部屋の中に入った。
中を見回してから、若者はいささか拍子抜けしたものを覚えてしまう。雑然とした部屋を思い描いていたのだが、部屋は明るく、各地から送られてきた資料、文献は綺麗に整理され整然と壁一面を飾っていた。
最近見直している文献や地図は、机の上に山を成している。しかし、色褪せたそれらの扱いは大変丁寧で、触れている者の心遣いを読み取る事ができた。
「ようこそボストンへ。…チャン…さんとおっしゃいましたか?」
若者の前へ、眼鏡をかけた小太りの紳士が右手を差し出してきた。若者もにこやかに、その手を握り直す。
若者は、紳士を自分よりも若干年上と見た。人の良さそうな顔立ちと声、背は若者よりも低い。信頼できるかもと思った途端、安堵の息が若者から漏れた。
「チャン・チョンペイ、と申します。お会いできて光栄です、アルフレッド先生」
「こちらこそ。ロンさんから、連絡は受けていますよ」
アルフレッドが、チャンに椅子を勧めた。鞄を膝の上に乗せ、チャンが腰かける。
彼が訪ねたのは、アルフレッド・ジョーンズ。このボストン自然博物館に勤めている考古学者だった。ギルト博士という考古学の権威者が育てた愛弟子だそうで、チャンの知人によれば、今のチャンが一番必要としている人物だという。
アルフレッドが机の上を簡単に整理し、コーヒーを用意すると言って一度部屋を出た。ドアか開いた時、アルフレッドがトレイにカップを二つ乗せ、ゆっくりと戻ってくる。
アルフレッドが机に二つのコーヒーを乗せ、一つをチャンに勧めた。暖かな湯気が香りをのせて立ちのぼる。
アルフレッドが椅子に座るのを待って、チャンは切り出した。
「私はアメリカに来るのが初めてで、今回の渡航についてロンさんにはお世話になり通しでした。この広いアメリカに知り合いもいないとなると、同郷の人達しか頼れるものがなくて…」
「なるほど…。それでロンさんから僕を紹介された訳ですね。サンフランシスコにお寄りになったのですか?」
「いえ、シカゴです。サンフランシスコの店は畳んだと」
アルフレッドが、さもありなんと頷いた。チャンは知らないが、サンフランシスコを中心としシンジケートを牛耳るリュウという男を、ロンは敵に回している。身の安全の為、そして今後の為には賢明な判断だったと、アルフレッドが納得する。
「それでチャンさん、何の為にわざわざ中国からボストンまで? 僕に会う事と、何か関係があるのですね?」
チャンは、思わず鞄の口を両手で押さえた。
「それなのですが・・・。とても込み入った、お話しづらい内容なのです。・・・しかし、この人達なら頼りになるとロンさんからお墨付きをもらいました。アメリカでは勝手のわからない事だらけですし」
唇を噛んで、チャンは押し黙った。
「チャンさん?」
「アルフレッド先生!」
「はい」
「アルフレッド先生、お願いします!」
椅子から身を乗り出し、チャンはぺこりと頭を下げた。
「力を貸して下さい! 私の力だけではどうにもならないのです」
「チャンさん…」
深々と頭を垂れ、チャンは顔を上げようとしない。
アルフレッドがどぎまぎして、事情のわからぬまま、頭を上げて下さいとだけ呟き息を吐く。
断られてしまっては、もうお終いだ。そんな思いがチャンにはあった。アルフレッドには気の毒であったが、チャンも散々悩んだ末にここまでやって来ている。もう後がないという現実に、チャンは縋る思いで食い下がるつもりだった。
一方のアルフレッドはイエスとも即答しづらく、どうしたものかと頭を掻く。
「まず詳しい話を、お願いしてよろしいですか?」
「はい」
チャンは破顔した。身勝手な奴と思われるのを承知で、アルフレッドの言葉を、引き受けてくれるものと解釈する。
それまで大事そうに膝に乗せていた鞄を開き、チャンは中から黄色い布で包まれたものを取り出した。長さは30センチ程はあるだろう。かなり細いもので、布で丁寧にくるんでいる。
アルフレッドの髭が、緊張に揺れた。持ち前の考古学的好奇心へ、直感が何かを告げて来る。
「アルフレッド先生、まず、これを御覧下さい」
チャンは、大層慎重な扱いで、包みをアルフレッドに差し出した。
「相当大切な物のようですね。拝見してよろしいのですか?」
「どうぞ。我が家で、祖父の時代から管理している預かり物なのです」
黄色い布をそっと剥ぎ、アルフレッドが中身をあらためた。
「うわぁ!」
アルフレッドの鼓動が早さを増し、あんぐりと開いた口からは歓声が漏れる。
まず最初にアルフレッドの度肝を抜いたのは、思いもかけない黄金の輝きが手元から放たれた事だった。動悸を鎮めようと心に言い聞かせ、やがて学者としての探求心が勝ってくると、気持ちに任せ眼鏡越しに品物を分析する。
包みの中から現れたのは、装飾も豪華な一振りの短剣だった。鞘と柄の部分は皮製で、その上に金の細工で細かな模様が一面に描き出されている。鍔は小さく、彫金で鳥が描かれている。鳥の目には赤い宝石があしらわれており、まこと妖しい輝きを放っていた。
道楽で作らせた品物と見るには、金の量、細工の繊細さ他、あらゆる点に於いて無理がある。
「これは・・・、大変見事なものですね・・・」
知らず、アルフレッドの声は上ずっていた。
チャンは、誇らしげな笑みを湛える。
「父の話によると、清時代後期のものなのだそうです。今から50年程前に作られた品であるとか。それを託された事は、祖父最高の誇りであったそうです」
「おじいさんの?」
「はい。その剣は、さる貴い身分の御方から側近の手に委ねられ、更に人目に触れぬようにせよとの命で、祖父が預かったのだそうです」
「つまりは、清王朝所縁の品な訳だ。大変な名誉だね」
チャンは笑った。が、僅かに眉をひそめ、直に目線も下を向いてしまう。
「その名誉に、3代目の私が泥を塗ってしまいました。私が至らぬばかりに・・・」
チャンの両手が拳を作る。
「アルフレッド先生。この短剣は、鳳凰の剣と名づけられているもので、実はもう一つの短剣と対になっているのです」
「対に?」
「はい。私はその剣を追って、アメリカまでやって来ました」
ボストンは本来、海沿いの町だ。自然博物館のある同じボストンでも、海沿いに行くと景色は多少変化する。建物の高さが低くなり、質のよい商圏の匂いが感じられるようになってくる。中心街の喧騒も、流石にここまでは及ぶ心配がない。個人所有の建物が目立つものの、みな建築美を醸し出す、景観を損ねる事のないものばかりだった。
海沿いを散歩していると、ついその違和感で桟橋に目をやってしまう場所がある。
レンガ組みも鮮やかなレストランに、小さな桟橋が作られている。船の類いが繋留されていればどれ程のものでもない波間にゆらゆらと上下している姿。どう見たところで、船のものとは程遠い。
繋留されているのは、中型の飛行艇だった。白い機体に双発のエンジン、型は古いものではないのだが、淡水用に設計されている為、ボストンの潮風が合わないようだ。使い込んだ機体には、腐食と戦っている修理の跡が随所に見受けられる。飛び立つ事は余りなく、こうして繋留されている方が多い。
リンドバーグが大西洋無着陸横断飛行をしたのは、1927年。当時はアメリカ全土が熱狂し、リンドバーグは英雄に祭り上げられた。しかし、その後も飛行機に対する信頼は今ひとつで、飛行機が民衆の足として定着し、信用を勝ち得るまでには及んでいない。民間飛行機に乗る事は、命賭けという意味も含め、庶民にとって夢のまた夢だった。
そのような御時世の中、中古の飛行艇を相棒に、所有者は小さな会社を起こしている。桟橋の入り口に、それを示す看板が立てられていた。
MONTAGUE ALL NECESSITY AIRLINES と書かれており、殊更 MONT.A.N.A. と略された字が大きく目立つ。『モンタギューなんでも屋航空』、少々怪しげな名前がつけられている。どうやら運送業一般という仕事ではないらしい。
会社の事務所はなかった。社長兼パイロットに会いたい時には、桟橋のあるレストランに行けばよい事になっている。彼はそこでアルバイトをし、会社と修理費のかさむ飛行艇を維持しているという話だった。
「CLOSE」と、小さな札がレストランの入口に下げてある。
来客を告げるベルの音がし、その扉が開かれた。
「よぉ、メリッサ!」
人気のない店内で、細身の男が広げた伝票を片付けている。
ドアを閉まるに任せ、入って来た若い女性は辺りを見回した。長い金髪をアップにし、ワンピースと同じピンクの帽子に隠している。仕種は優雅で、裾の長いワンピースがよく似合っている。広い額、輝きを放つ青い瞳、まこと知的な印象のする、なかなかの美人だった。
「あら、モンタナだけ?」
伝票を一つに纏め、モンタナはメリッサに真四角の封筒を掲げて見せる。店の手伝いをしている時のどんよりとした表情とは違い、その目は好奇心と喜びで輝いていた。
「いいところに来たじゃないか。ギルト博士からのレコードだよン」
「まぁ! いい所に来たのかしら、それとも悪いタイミングに来合わせたのかしら」
「退屈してなぁい、お嬢様?」
おネエ言葉で、モンタナが半眼を作る。
「落としたイヤリングを拾いに来ただけなんだけど・・・」
「俺はこれから、アルフレッドの所に行く。ケティに先に乗ってるかい? それとも俺と一緒に来るか?」
「両方遠慮したいんだけど・・・」
メリッサが、殊更つれなくつっぱねる。
「おやまぁ・・・」
肩をすくめ、モンタナはレコードをテーブルに置いた。
「美容院? お食事? それとも観劇か? こうして冒険への招待状が来たっていうのに、君は町で一日を過ごすっていうのかい?」
「あなたのオンボロ飛行機で、また大事なお洋服に染みでも作ったら・・・。イヤリングを拾ったら、私は帰るわね」
ハンドバッグを振って、メリッサが店を出ようとする。
「待てよ、メリッサ。ケティは今、絶好調だぜ。それに今度の冒険は一体何処になるのか。考えるだけでもワクワクしねぇか? 目指すは東洋の神秘か、はたまた中世ヨーロッパの失われた財宝か・・・!」
両手を胸に当た後右手を上げ、大袈裟な仕種でモンタナが役者ぶる。
「きっと面白いぞぉ、メリッサ! 後になって、『ああ、私も一緒に行けばよかったのに』なんて、後悔したって遅いんだぜ!」
口調まで真似、モンタナはメリッサの好奇心に揺さぶりをかける。
「そうねぇ・・・」
決意が固いつもりだったが、メリッサも無下に断りづらくなってきた。
渋りながらも、いざ出掛けてしまえば優雅な生活と同じ位、メリッサは冒険を楽しんでしまう。その性分を、モンタナはしっかり把握している。
ちらちらと見せるわざとらしい流し目に、メリッサも遂に陥落した。
「・・・わかったわ。アルフレッドは博物館なの?」
モンタナは、首肯した。
「メリッサ、車で来たのかい?」
「ええ、そうよ」
「そいつで博物館まで直行だ」
伝票の束を右手に、レコードを左手に持ち、モンタナはメリッサに左手のものをくるりと回す。
「アルフレッドにも聴かせなきゃな」
モンタナは一度上の階に消え、戻って来た時は、メリッサも見慣れたサファリ・ルックに着替えていた。
冒険好きの少年がそのまま大人になった、モンタナは正にそのような人物だ。筋肉質という程の体型はしていないが、俊敏で、危険が訪れた時の判断力はずば抜けている。のんびりとして成り行きに任せる性分が普段の彼だが、冒険を楽しんでいる時のモンタナは、不敵な笑顔がさまになる。こと冒険に関しては、メリッサも一目置かずにはいられない程頼りになる男だった。
メリッサの声を聞きつけたのか、レストランの従業員チャダが、階下に下りて来た。
「あ、こんにちは、メリッサさん」
「こんにちは、チャダ」
「お茶でも入れましょうか?」
「いえ、これから出かけるの。結構よ、・・・ありがとう」
モンタナは、チャダにレコードをちらつかせる。
「あっ! なるほど。行ってらっしゃい」
「戸締まりを頼んだぜ、チャダ」
チャダが見守る中、モンタナはレコードを小脇に抱えドアを開けてメリッサを招く。
二人が外の陽射しに照らされると、チャダであろう、後ろでかちゃりと音がした。
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