冒険航空会社モンタナ(モンタナ・ジョーンズ)同人小説
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第5章 囚われたチャン
客室にメリッサが、そして操縦席に男3人が無理矢理詰まって朝を迎えた。
操縦席で足を投げ出し寝ていたので、腰と背中がやたら痛い。モンタナはキャノピーから外を眺め、辺り一帯の景色に思わず感嘆の口笛を吹いた。
水を満々とたたえた広大な湖を想像していたのだが、周囲に広がるのは畑、そしてケティ号が着水した湖だった。
人家がないのは、単なる幸運だったようだ。湖といっても、視界一杯に広がる程のものではなく、湖の向こうに描かれた太い地平線が湖と空を分けている。大きく見積もっても、さし渡し2・3キロというところだろう。
天候が今ひとつな為、湖も空も鉛色で、地平線がなければ両者の境界線は見定める事が難しいかもしれない。
秋の収穫は終わったのか、田畑には実りをつけた作物がほとんど残っていなかった。来たるべき冬に備え、人間と同様大地も準備に怠りないといったところのようだ。
しかし、勘を頼りに着水した湖は、夜目で見るよりも遥かに狭く感じられた。目測を誤れば、取り返しのつかない事になっていた可能性もある。夜間の離着陸が如何に恐ろしいかを、モンタナはあらためて思い出した。
副操縦席ではアルフレッドが、髭をひくつかせながら眠りについている。夕べは謎解きに夢中になって、モンタナがランタンを取り上げるまで、なめし皮の鞘にかかりきりだった。その後も目がさえていたのか、アルフレッドの眠りは若干浅そうだ。
アルフレッドの後ろ、蓄音機の横に据えつけたシートでは、スーツの上着を毛布代わりにチャンが寝息を立てている。冒険慣れしていないか細い印象の青年だが、気持ちに焦りもあるのだろう。モンタナの組む強行スケジュールにも、不平一つ言いはしない。
チャンとモンタナ、本来は接触する事もないであろう、全く別の生きざまを選んだ男だった。
モンタナは、平凡な生活に埋没してしまう毎日をよしとしない男である。血沸き肉踊る冒険、胸たぎらせる危機感との同居なくして、何を楽しいと言うのだろう。
アルフレッドも愚痴を零すが、専門家としての好奇心にはいつも忠実に行動している。メリッサは、退屈嫌いな点を思うと、アルフレッドよりはむしろモンタナに近い価値観を持っていた。
勿論、冒険を終えてボストンに帰るという時の、あの2人の喜色を前にするとモンタナは理解に苦しんでしまう。2人は、優雅なものとは無縁のモンタナを「本当の贅沢を知らない」と言いきってはばからないが、モンタナはむしろ、贅沢というものを必要としていなかった。
愛機ケティ号との、生死を賭けた冒険。前人未到なるものに挑戦し、悪党共を打ち払い、目的を達し満足感を得る。これ以上の贅沢など、モンタナにとっては紙一枚程の価値もない。
他人の理解などはいらなかった。が、他人を巻き込むのはかなり好きな方だった。旅も冒険も、道連れがいないと面白さが半減してしまうと、モンタナは思っている。
愛機ケティは、今日はここに残してゆく。些か心残りがなきにしもあらずだが、今日の北京行きを思うと既に高揚感で背筋に走るものがあった。
アルフレッドのあの様子では、鳳凰の短剣の謎解きもそう遠い話ではなさそうだ。ならばこそ、そろそろゼロ卿から、盗まれた龍の短剣を取り戻す事を考えなくてはならない。
こちらが鳳凰の短剣を持っている事を、奴等は既に掴んでいる。短剣欲しさに、ゼロ卿ならきっと向こうから現れるだろう。モンタナはそう読んでいた。
一晩ですっかり固くなってしまった体をほぐしたくて、モンタナは操縦席横で柔軟体操を始める。冒険者にしては少々細身の印象がある腰が、柔軟の動きにみしりとついてゆく。
「っつぅ、痛ぇ・・・」
操縦席の寝心地は、やはり最低だった。頭はすっかり冴えているものの、体の筋肉がまだ自由にならない。
良心の呵責に耐えながら、モンタナはアルフレッドとチャンの耳元で朝が来た事を告げた。続いて、客室に続くドアを大きく叩き、メリッサにも起床を促す。
「おはよう、モンタナ・・・」
半ば目が閉じた状態で、アルフレッドがむくりと起き出した。
「おはようさん、少し柔軟をした方がいいぞ。シートの形に体が固まってらァ」
「あ・・・」
腰の痛みに、アルフレッドが尻の上に手を回す。
チャンも目をぱちぱちしばたかせながら、ゆっくりと立ち上がった。
「チャンさんもやりませんか、柔軟?」
モンタナは、腕を真上に上げ上体を右に左にと規則正しく捻る。
「私も」と言いかけたチャンだったが、3人もの男が起き出すと、操縦室はいきなり手狭になった。
「こりゃ、お嬢サマに早いとこ起きていただかないとな」
モンタナは再び、客室へのドアを幾度も叩く。
「メリッサ、メリッサ! 朝が来てるぜ! 起きて下さいよ、メリッサお嬢サマ!」
今度は、向こうからドアを叩き応えてきた。
「もう起きてますってば! ドンドンとしつこいわよ!」
メリッサの声は、余り機嫌のよさそうな感じではなかった。
「起きてるなら、開けていいか? 外の空気を吸いに出ようぜ」
モンタナの呼びかけに対し、ドアは向こうから開いた。
「そこじゃ狭いんでしょ。・・・いいわ、外に出ましょう。おいしい朝の空気を沢山吸って、食事にしませんこと?」
ドアの端を支え、メリッサがにこやかに微笑んでいた。サファリ・ルックはそのままだが、どうやらメイクはし直したらしい。勿論、そうでなければメリッサは自分からドアを開けてはくれなかったろう。
「賛成! スパゲッティは僕に任せて!」
モンタナの後ろで、アルフレッドがスパゲッティ入りの鞄を持ち上げる。
「少し体を動かさないと、頭が目を覚まさないからね」
「それじゃあ、簡易コンロだけ仕込んどいてやるぜ」
「ありがと、モンタナ」
モンタナは、チャンとメリッサを伴い、夕べしまった簡易コンロと鍋をもう一度持ち出した。鍋に水を張り、火にかけておく。
アルフレッドがスパゲッティを茹でている間、モンタナは彼に代わりなめし皮の鞘を検分する。
「ん?」
見間違いかと疑い、更に目を凝らしてみる。夕べはわからなかったが、こうして日に晒すと尚の事判別しやすくなる。
「やっぱりな…」
これが、何故夕べのうちに発見できなかった理由は簡単だ。明りとして頼りにしていたランタンが、赤から黄色に近い光を放っていたからだ。
青いネオンの下では、青い色は発光しない。それと同じ原理で、ランタンの光がこの線を夜目に浮き上がせる事ができなかったのだろう。
しかし、黄色というより白光に近い日光の下では、夕べ見えなかったものも白日の下に晒し出す。
鞘には、夕べ発見した色の濃い染料で描かれた直線の他、黄色の塗料で描かれたものが別にあった。やはり不規則な直線の組み合わせで、小さな鞘一杯に線が走っている。
モンタナは急ぎその鞘を、他の3人に回して見せた。
「凄いよ、モンタナ!」
「私も夕べは気づきませんでした!」
アルフレッドとチャンが、一緒になってぴょんぴょんと飛んだ。軽く弾む程度のチャンとは対照的に、アルフレッドのステップには飛び出た腹の上下動がついて回る。
鞘を囲み、4人の気持ちは最早一つだ。
「そのなめし皮の鞘を開いてみましょう」
メリッサが自ら名乗り出て、裁縫用の小さな鋏を使い、なめし皮の縫い目部分を丁寧にほどき始めた。皮を縫いつけている太い糸だけに、なかなかしつけを解くような訳にはいかない。
メリッサも我慢をしていたのだが、その指先には段々と赤い血流が浮き上がってきた。端正な顔がふと歪み、痛々しい指先が次第に休憩を望むようになる。
「私が代わりましょう、メリッサさん」
見ていられなくなったのか、チャンがメリッサから鞘と鋏をそっと取り上げた。
はぁと息を吐き、メリッサが片方づつ指先を反対側の手で包み込む。
「きれいな縫い物にも色々あるのね。いい勉強になったわ」
「・・・できましたよ」
チャンが、二つ折りになっていたなめし皮をそっと広げた。
「ああっ!」
「これは!」
モンタナやアルフレッドのみならず、指先に気をとられていたメリッサも、我を忘れてなめし皮に釘づけとなる。
「何てこった! こりゃ地図じゃねぇのか!?」
モンタナの独り言に、口を挟む者は誰もいない。モンタナの判断も至極もっともなものだった。
黒い塗料で描かれた模様は、ほぼ左右対称な図面を構成している。小さな長方形は、皆横長に配置され、更にもう一回り大きな四角形に囲まれていた。それらは必ず四面を成す直線のどこか一部が欠けており、そこが門であると考えると都合がよい。ならば、小さな長方形は、建物一つと考えるのが妥当だった。
「これが故宮の地図って奴か!」
しかしその地図は、完璧ではない。上半分か下半分か、とにかく外周を成す直線は、なめし皮の断面で絶たれている。
アルフレッドが、しょぼくれた。
「でも、半分だけだよ。もう半分は・・・」
「あのゼロ卿が持っている」
憤懣やるかたない思いで、モンタナは砂を蹴った。
「黒い線が地図なら、この黄色い図面の方は何かしら?」
白い指で線を辿り、メリッサがアルフレッドをつと見上げる。
「・・・ちゃんと写し取らないとわからないけど、ほら、この四角の中の区切り方、壁で仕切って道具を置いて・・・部屋の見取り図にも見えないかな」
「なーるほど!」
モンタナは、ぽんと右手の拳を左手に打ちつけた。
「その黄色い図面は、その黒い地図にある建物のどれかを拡大したものなんだな! な、そうだろ、アルフレッド!」
「おそらくはね」
「こうなったら、こっちから乗り込んででもゼロ卿の居所をつきとめねぇとな」
血気にはやるモンタナは、腰に手をやり毅然と言い放つ。
「ゼロ卿は、もうこの謎に気付いているのかしら?」
悪党共の行動が気掛かりで、メリッサの表情も冴えない。
「あいつらの事だ、その心配はないと俺は見てる。ただこっちも、奴等が持っている龍の短剣がないと地図が完成できねぇ。そろそろ向こうさんから御登場いただかねぇとな」
彼女の問いに、モンタナは独り言のように呟いた。
「北京で待ち伏せてるって事はないかな?」
眼鏡越しに地図を調べながら、アルフレッドが真顔になる。
「その可能性もないとは言えないが・・・」
モンタナは急におし黙った。メリッサが額に手をやり、アルフレッドもフォローをしない。
「えへへ、腹の虫が鳴っちまった。・・・まずは朝飯にしよう。これからの事は、その後だ」
殊更明るくモンタナは、食事を宣言した。話が途中で断ち切れてしまった事にはほとんど触れず、他の3人をメリッサが手掛けた俄か作りの食卓へ招く。
湖のほとりで取る朝食。赴きはあったものの、冷めかけたスパゲッティにはチーズがなかなか絡まなかった。4人は今一つ物足りない食事を終え、物足らない溜め息を吐く。
「コーヒーでも作りましょうか」と立ち上がったメリッサに、水の不足が追い討ちをかける。タンクには、水が4分の1程も残っていなかった。このような事は珍しい。
口直しができないとなると、食卓には途端に気まずい沈黙の帳が降りる。
「このままじゃ、水筒に入れたらお終いよ」
「残念、コーヒーはお預けか・・・」
アルフレッドが、一際情けない声を発した。食事に対するこだわりは、メリッサとアルフレッドが秀でている。コーヒー1杯が食後に用意できないだけで、アルフレッドはこの世が終わるかのような嘆きをする。
「それでは、私が水を貰ってきましょう」
すっと立ち上がったのは、チャンだった。
「俺も行こう、チャンさん」
モンタナは立ち上がって、ウィンクをする。
「いえ、私1人の方が目立たないかと。私は中国人ですから、近くの農家も不審には思わない筈です」
「うーん・・・」
「水を分けてもらって、それと思うところから古着も調達してみましょう。北京に夜着くように行動しても、目立ってしまうのは危険ですからね」
「それも一理あるけどな・・・」
「どうする、モンタナ?」
チャンを1人で行かせるのは忍びなく、アルフレッドも言葉に詰まる。
しかし、チャンは大丈夫だとの豪語を繰り返すのみだった。
双方譲らない議論では、埒があかない。やむを得ず、モンタナは搬送用のタンクをチャンに預け、ゼロ卿一味が近くにいるかもしれないと注意を促して送り出した。
右手にタンク、左のポケットには心ばかりの中国貨幣を持ち、チャンが畑の畦道に割って入る。
「いい人ね・・・」
メリッサが呟いた。
「だから、心配なんだけどな」
チャンの後ろ姿はとぼとぼと心細げで、どう納得させようとしても不安に苛まれてしまう。畑の畦道を通る人影は、湖のほとりを離れ曇天の中に消えていった。
チャンが後ろを顧みると、モンタナのケティ号は鉛色の湖で翼を休めていた。木が縦横無尽に生い茂っている森林地帯とは訳が違うので、ケティの機体は隠しようもない。が、近くに人家がないのが、せめてもの幸いだった。
畦に残る家畜の足跡を頼りに、人家のありそうな方向へと歩いてゆく。人家が近くなってくれば、直に家畜の声がしてくるだろう。農家の人々は早起きだが、それ以上の早起きは農作業を手伝う家畜達だ。
のどかな畑の景色を満喫しているチャンが、視界の隅で動くものを捕らえ身を固くした。
慌てて後ろに気を遣うが、ケティの機影は既に随分と小さくなり、鈍く光を反射する水面と一体化している。
チャンが空を天を仰ぎ、ふと雨を請うた。しとどに雨が降りしきれば、畑は一日無人になる。ケティが人目に触れ、発見される確立が下がろうというものだ。
チャンの見た影が、また動いた。
1、2、やはり畦道を歩いている。それもこちらへ来るようだ。
中国人ではあるものの、チャンとてこの地域の人間ではない。不信感を取り除くべく、チャンが自分から声をかけた。
50メートル程先にいる人影らしいものが、立ち止まる。チャンが、もう一度朝の挨拶をした。
2人がぴょこんと飛び上がり、途端にチャンの方へと駆けてくる。余り友好的な雰囲気ではないかもと、チャンは右手のタンクの持ち手を固く握り締める。
1人はひょろりとした背の高い男、そしてもう1人は背が高い上にどっしりとした体躯の男。2人はチャンに詰め寄ると、顔を見合わせてから指を突きつけてきた。
「チャン・チョンペイ!」
「はい、そうですが・・・」
返事をしてから、もしやまずかったかもと、チャンが後悔の臍を噛む。
「スラム、すごいね! 食べ物探しに来て、チャンを見つけちゃったよ!」
「こりゃあ、ボスに特別ボーナス位は貰わねぇとな」
笑み満面のスリムと目をぎらつかせているスラムが、ほとんど同時にチャンへ飛びかかってきた。
チャンは慌てて、右手のタンクでスラムの顔面を力任せに横へと払う。
よけるという事を知らないのか、スラムはチャンが思い描いた恰好で、頭から畦道にめり込んだ。
が、巨漢のスリムはスラムを相手にするようにはいかない。返す刃のタンクで頭部を狙うが、逆に後ろから腰に抱き着かれた。
「うわっ!」
突如、腰に重りが巻きついて、足に力が入らなくなる。膝が砕ける恰好で、チャンは地面に引き摺り下ろされる。
「スラムぅ! オイラ、チャンを掴まえたよ!」
スリムが体重をかけ、砂煙を飲み込んでしまったチャンの肩を畦道に押しつけた。
「っつぅ・・・。痛ぇなあ、もう・・・」
服についた埃を払いながら、兄貴分のスラムが背を伸ばす。
チャンは声を荒げた。
「さてはお前達は、ボストンにいた悪党共だな!」
「当たりィ!」と、スラムがチャンの前に膝を突く。
「ボスが探しているんだ。一緒に来てもらうぜ」
不愉快そうに、チャンが横を向いた。
「短剣なら、もう私は持っていないぞ。信頼のおける人達に預けてあるのさ。悪だくみなど諦めて、さっさとアメリカへ帰れ!」
「やなこった」
白い歯を見せ、スラムが一蹴する。
スリムが若者の腕を捩じ上げ、無理矢理立たせた。縄をかけると、スラムが落ちていたタンクを勢いよく蹴り上げる。
「ま、言いたい事があるのなら、ボスに直接言うんだな。・・・行くぞ、スリム」
「合点だよ、スラム」
大柄なスリムが後ろからチャンを小突くと、チャンも歩かない訳にはいかず、渋々スラムの後に従う。一向はスラムを先頭に、湖を背に畑の畦道を歩いて進んだ。
チャンの後ろで、ケティ号が更に遠くなってゆく。人知れず、チャンが無念の唇を噛んだ。
歩いていると、何を思ったのか、スリムが鼻をひくつかせながら呟く。
「オイラ、おなかが空いてるからわかるんだ。・・・今朝食べたの、スパゲッティでしょ」
思いもかけぬとぼけた台詞に、チャンが目を丸くした。
何と緊張感のない悪党であろう。このような連中に振り回されている自分が情けなくもあり、チャンはモンタナ達にも深い同情を覚えた。
雲は厚みを増し、相当な水分を蓄え満天にあった。或いは、本当に雨が降り出すかもしれない。
チャンが空気中に含まれる湿り気を敏感に感じ取り、一かけらの希望を空に託す。
せめて、天候くらいはモンタナ達の味方であるように。スラムの背中を眺めつつ、チャンはそう祈らずにはいられなかった。
「 故宮の東・西太后の財宝を追え! 」
第5章 囚われたチャン
客室にメリッサが、そして操縦席に男3人が無理矢理詰まって朝を迎えた。
操縦席で足を投げ出し寝ていたので、腰と背中がやたら痛い。モンタナはキャノピーから外を眺め、辺り一帯の景色に思わず感嘆の口笛を吹いた。
水を満々とたたえた広大な湖を想像していたのだが、周囲に広がるのは畑、そしてケティ号が着水した湖だった。
人家がないのは、単なる幸運だったようだ。湖といっても、視界一杯に広がる程のものではなく、湖の向こうに描かれた太い地平線が湖と空を分けている。大きく見積もっても、さし渡し2・3キロというところだろう。
天候が今ひとつな為、湖も空も鉛色で、地平線がなければ両者の境界線は見定める事が難しいかもしれない。
秋の収穫は終わったのか、田畑には実りをつけた作物がほとんど残っていなかった。来たるべき冬に備え、人間と同様大地も準備に怠りないといったところのようだ。
しかし、勘を頼りに着水した湖は、夜目で見るよりも遥かに狭く感じられた。目測を誤れば、取り返しのつかない事になっていた可能性もある。夜間の離着陸が如何に恐ろしいかを、モンタナはあらためて思い出した。
副操縦席ではアルフレッドが、髭をひくつかせながら眠りについている。夕べは謎解きに夢中になって、モンタナがランタンを取り上げるまで、なめし皮の鞘にかかりきりだった。その後も目がさえていたのか、アルフレッドの眠りは若干浅そうだ。
アルフレッドの後ろ、蓄音機の横に据えつけたシートでは、スーツの上着を毛布代わりにチャンが寝息を立てている。冒険慣れしていないか細い印象の青年だが、気持ちに焦りもあるのだろう。モンタナの組む強行スケジュールにも、不平一つ言いはしない。
チャンとモンタナ、本来は接触する事もないであろう、全く別の生きざまを選んだ男だった。
モンタナは、平凡な生活に埋没してしまう毎日をよしとしない男である。血沸き肉踊る冒険、胸たぎらせる危機感との同居なくして、何を楽しいと言うのだろう。
アルフレッドも愚痴を零すが、専門家としての好奇心にはいつも忠実に行動している。メリッサは、退屈嫌いな点を思うと、アルフレッドよりはむしろモンタナに近い価値観を持っていた。
勿論、冒険を終えてボストンに帰るという時の、あの2人の喜色を前にするとモンタナは理解に苦しんでしまう。2人は、優雅なものとは無縁のモンタナを「本当の贅沢を知らない」と言いきってはばからないが、モンタナはむしろ、贅沢というものを必要としていなかった。
愛機ケティ号との、生死を賭けた冒険。前人未到なるものに挑戦し、悪党共を打ち払い、目的を達し満足感を得る。これ以上の贅沢など、モンタナにとっては紙一枚程の価値もない。
他人の理解などはいらなかった。が、他人を巻き込むのはかなり好きな方だった。旅も冒険も、道連れがいないと面白さが半減してしまうと、モンタナは思っている。
愛機ケティは、今日はここに残してゆく。些か心残りがなきにしもあらずだが、今日の北京行きを思うと既に高揚感で背筋に走るものがあった。
アルフレッドのあの様子では、鳳凰の短剣の謎解きもそう遠い話ではなさそうだ。ならばこそ、そろそろゼロ卿から、盗まれた龍の短剣を取り戻す事を考えなくてはならない。
こちらが鳳凰の短剣を持っている事を、奴等は既に掴んでいる。短剣欲しさに、ゼロ卿ならきっと向こうから現れるだろう。モンタナはそう読んでいた。
一晩ですっかり固くなってしまった体をほぐしたくて、モンタナは操縦席横で柔軟体操を始める。冒険者にしては少々細身の印象がある腰が、柔軟の動きにみしりとついてゆく。
「っつぅ、痛ぇ・・・」
操縦席の寝心地は、やはり最低だった。頭はすっかり冴えているものの、体の筋肉がまだ自由にならない。
良心の呵責に耐えながら、モンタナはアルフレッドとチャンの耳元で朝が来た事を告げた。続いて、客室に続くドアを大きく叩き、メリッサにも起床を促す。
「おはよう、モンタナ・・・」
半ば目が閉じた状態で、アルフレッドがむくりと起き出した。
「おはようさん、少し柔軟をした方がいいぞ。シートの形に体が固まってらァ」
「あ・・・」
腰の痛みに、アルフレッドが尻の上に手を回す。
チャンも目をぱちぱちしばたかせながら、ゆっくりと立ち上がった。
「チャンさんもやりませんか、柔軟?」
モンタナは、腕を真上に上げ上体を右に左にと規則正しく捻る。
「私も」と言いかけたチャンだったが、3人もの男が起き出すと、操縦室はいきなり手狭になった。
「こりゃ、お嬢サマに早いとこ起きていただかないとな」
モンタナは再び、客室へのドアを幾度も叩く。
「メリッサ、メリッサ! 朝が来てるぜ! 起きて下さいよ、メリッサお嬢サマ!」
今度は、向こうからドアを叩き応えてきた。
「もう起きてますってば! ドンドンとしつこいわよ!」
メリッサの声は、余り機嫌のよさそうな感じではなかった。
「起きてるなら、開けていいか? 外の空気を吸いに出ようぜ」
モンタナの呼びかけに対し、ドアは向こうから開いた。
「そこじゃ狭いんでしょ。・・・いいわ、外に出ましょう。おいしい朝の空気を沢山吸って、食事にしませんこと?」
ドアの端を支え、メリッサがにこやかに微笑んでいた。サファリ・ルックはそのままだが、どうやらメイクはし直したらしい。勿論、そうでなければメリッサは自分からドアを開けてはくれなかったろう。
「賛成! スパゲッティは僕に任せて!」
モンタナの後ろで、アルフレッドがスパゲッティ入りの鞄を持ち上げる。
「少し体を動かさないと、頭が目を覚まさないからね」
「それじゃあ、簡易コンロだけ仕込んどいてやるぜ」
「ありがと、モンタナ」
モンタナは、チャンとメリッサを伴い、夕べしまった簡易コンロと鍋をもう一度持ち出した。鍋に水を張り、火にかけておく。
アルフレッドがスパゲッティを茹でている間、モンタナは彼に代わりなめし皮の鞘を検分する。
「ん?」
見間違いかと疑い、更に目を凝らしてみる。夕べはわからなかったが、こうして日に晒すと尚の事判別しやすくなる。
「やっぱりな…」
これが、何故夕べのうちに発見できなかった理由は簡単だ。明りとして頼りにしていたランタンが、赤から黄色に近い光を放っていたからだ。
青いネオンの下では、青い色は発光しない。それと同じ原理で、ランタンの光がこの線を夜目に浮き上がせる事ができなかったのだろう。
しかし、黄色というより白光に近い日光の下では、夕べ見えなかったものも白日の下に晒し出す。
鞘には、夕べ発見した色の濃い染料で描かれた直線の他、黄色の塗料で描かれたものが別にあった。やはり不規則な直線の組み合わせで、小さな鞘一杯に線が走っている。
モンタナは急ぎその鞘を、他の3人に回して見せた。
「凄いよ、モンタナ!」
「私も夕べは気づきませんでした!」
アルフレッドとチャンが、一緒になってぴょんぴょんと飛んだ。軽く弾む程度のチャンとは対照的に、アルフレッドのステップには飛び出た腹の上下動がついて回る。
鞘を囲み、4人の気持ちは最早一つだ。
「そのなめし皮の鞘を開いてみましょう」
メリッサが自ら名乗り出て、裁縫用の小さな鋏を使い、なめし皮の縫い目部分を丁寧にほどき始めた。皮を縫いつけている太い糸だけに、なかなかしつけを解くような訳にはいかない。
メリッサも我慢をしていたのだが、その指先には段々と赤い血流が浮き上がってきた。端正な顔がふと歪み、痛々しい指先が次第に休憩を望むようになる。
「私が代わりましょう、メリッサさん」
見ていられなくなったのか、チャンがメリッサから鞘と鋏をそっと取り上げた。
はぁと息を吐き、メリッサが片方づつ指先を反対側の手で包み込む。
「きれいな縫い物にも色々あるのね。いい勉強になったわ」
「・・・できましたよ」
チャンが、二つ折りになっていたなめし皮をそっと広げた。
「ああっ!」
「これは!」
モンタナやアルフレッドのみならず、指先に気をとられていたメリッサも、我を忘れてなめし皮に釘づけとなる。
「何てこった! こりゃ地図じゃねぇのか!?」
モンタナの独り言に、口を挟む者は誰もいない。モンタナの判断も至極もっともなものだった。
黒い塗料で描かれた模様は、ほぼ左右対称な図面を構成している。小さな長方形は、皆横長に配置され、更にもう一回り大きな四角形に囲まれていた。それらは必ず四面を成す直線のどこか一部が欠けており、そこが門であると考えると都合がよい。ならば、小さな長方形は、建物一つと考えるのが妥当だった。
「これが故宮の地図って奴か!」
しかしその地図は、完璧ではない。上半分か下半分か、とにかく外周を成す直線は、なめし皮の断面で絶たれている。
アルフレッドが、しょぼくれた。
「でも、半分だけだよ。もう半分は・・・」
「あのゼロ卿が持っている」
憤懣やるかたない思いで、モンタナは砂を蹴った。
「黒い線が地図なら、この黄色い図面の方は何かしら?」
白い指で線を辿り、メリッサがアルフレッドをつと見上げる。
「・・・ちゃんと写し取らないとわからないけど、ほら、この四角の中の区切り方、壁で仕切って道具を置いて・・・部屋の見取り図にも見えないかな」
「なーるほど!」
モンタナは、ぽんと右手の拳を左手に打ちつけた。
「その黄色い図面は、その黒い地図にある建物のどれかを拡大したものなんだな! な、そうだろ、アルフレッド!」
「おそらくはね」
「こうなったら、こっちから乗り込んででもゼロ卿の居所をつきとめねぇとな」
血気にはやるモンタナは、腰に手をやり毅然と言い放つ。
「ゼロ卿は、もうこの謎に気付いているのかしら?」
悪党共の行動が気掛かりで、メリッサの表情も冴えない。
「あいつらの事だ、その心配はないと俺は見てる。ただこっちも、奴等が持っている龍の短剣がないと地図が完成できねぇ。そろそろ向こうさんから御登場いただかねぇとな」
彼女の問いに、モンタナは独り言のように呟いた。
「北京で待ち伏せてるって事はないかな?」
眼鏡越しに地図を調べながら、アルフレッドが真顔になる。
「その可能性もないとは言えないが・・・」
モンタナは急におし黙った。メリッサが額に手をやり、アルフレッドもフォローをしない。
「えへへ、腹の虫が鳴っちまった。・・・まずは朝飯にしよう。これからの事は、その後だ」
殊更明るくモンタナは、食事を宣言した。話が途中で断ち切れてしまった事にはほとんど触れず、他の3人をメリッサが手掛けた俄か作りの食卓へ招く。
湖のほとりで取る朝食。赴きはあったものの、冷めかけたスパゲッティにはチーズがなかなか絡まなかった。4人は今一つ物足りない食事を終え、物足らない溜め息を吐く。
「コーヒーでも作りましょうか」と立ち上がったメリッサに、水の不足が追い討ちをかける。タンクには、水が4分の1程も残っていなかった。このような事は珍しい。
口直しができないとなると、食卓には途端に気まずい沈黙の帳が降りる。
「このままじゃ、水筒に入れたらお終いよ」
「残念、コーヒーはお預けか・・・」
アルフレッドが、一際情けない声を発した。食事に対するこだわりは、メリッサとアルフレッドが秀でている。コーヒー1杯が食後に用意できないだけで、アルフレッドはこの世が終わるかのような嘆きをする。
「それでは、私が水を貰ってきましょう」
すっと立ち上がったのは、チャンだった。
「俺も行こう、チャンさん」
モンタナは立ち上がって、ウィンクをする。
「いえ、私1人の方が目立たないかと。私は中国人ですから、近くの農家も不審には思わない筈です」
「うーん・・・」
「水を分けてもらって、それと思うところから古着も調達してみましょう。北京に夜着くように行動しても、目立ってしまうのは危険ですからね」
「それも一理あるけどな・・・」
「どうする、モンタナ?」
チャンを1人で行かせるのは忍びなく、アルフレッドも言葉に詰まる。
しかし、チャンは大丈夫だとの豪語を繰り返すのみだった。
双方譲らない議論では、埒があかない。やむを得ず、モンタナは搬送用のタンクをチャンに預け、ゼロ卿一味が近くにいるかもしれないと注意を促して送り出した。
右手にタンク、左のポケットには心ばかりの中国貨幣を持ち、チャンが畑の畦道に割って入る。
「いい人ね・・・」
メリッサが呟いた。
「だから、心配なんだけどな」
チャンの後ろ姿はとぼとぼと心細げで、どう納得させようとしても不安に苛まれてしまう。畑の畦道を通る人影は、湖のほとりを離れ曇天の中に消えていった。
チャンが後ろを顧みると、モンタナのケティ号は鉛色の湖で翼を休めていた。木が縦横無尽に生い茂っている森林地帯とは訳が違うので、ケティの機体は隠しようもない。が、近くに人家がないのが、せめてもの幸いだった。
畦に残る家畜の足跡を頼りに、人家のありそうな方向へと歩いてゆく。人家が近くなってくれば、直に家畜の声がしてくるだろう。農家の人々は早起きだが、それ以上の早起きは農作業を手伝う家畜達だ。
のどかな畑の景色を満喫しているチャンが、視界の隅で動くものを捕らえ身を固くした。
慌てて後ろに気を遣うが、ケティの機影は既に随分と小さくなり、鈍く光を反射する水面と一体化している。
チャンが空を天を仰ぎ、ふと雨を請うた。しとどに雨が降りしきれば、畑は一日無人になる。ケティが人目に触れ、発見される確立が下がろうというものだ。
チャンの見た影が、また動いた。
1、2、やはり畦道を歩いている。それもこちらへ来るようだ。
中国人ではあるものの、チャンとてこの地域の人間ではない。不信感を取り除くべく、チャンが自分から声をかけた。
50メートル程先にいる人影らしいものが、立ち止まる。チャンが、もう一度朝の挨拶をした。
2人がぴょこんと飛び上がり、途端にチャンの方へと駆けてくる。余り友好的な雰囲気ではないかもと、チャンは右手のタンクの持ち手を固く握り締める。
1人はひょろりとした背の高い男、そしてもう1人は背が高い上にどっしりとした体躯の男。2人はチャンに詰め寄ると、顔を見合わせてから指を突きつけてきた。
「チャン・チョンペイ!」
「はい、そうですが・・・」
返事をしてから、もしやまずかったかもと、チャンが後悔の臍を噛む。
「スラム、すごいね! 食べ物探しに来て、チャンを見つけちゃったよ!」
「こりゃあ、ボスに特別ボーナス位は貰わねぇとな」
笑み満面のスリムと目をぎらつかせているスラムが、ほとんど同時にチャンへ飛びかかってきた。
チャンは慌てて、右手のタンクでスラムの顔面を力任せに横へと払う。
よけるという事を知らないのか、スラムはチャンが思い描いた恰好で、頭から畦道にめり込んだ。
が、巨漢のスリムはスラムを相手にするようにはいかない。返す刃のタンクで頭部を狙うが、逆に後ろから腰に抱き着かれた。
「うわっ!」
突如、腰に重りが巻きついて、足に力が入らなくなる。膝が砕ける恰好で、チャンは地面に引き摺り下ろされる。
「スラムぅ! オイラ、チャンを掴まえたよ!」
スリムが体重をかけ、砂煙を飲み込んでしまったチャンの肩を畦道に押しつけた。
「っつぅ・・・。痛ぇなあ、もう・・・」
服についた埃を払いながら、兄貴分のスラムが背を伸ばす。
チャンは声を荒げた。
「さてはお前達は、ボストンにいた悪党共だな!」
「当たりィ!」と、スラムがチャンの前に膝を突く。
「ボスが探しているんだ。一緒に来てもらうぜ」
不愉快そうに、チャンが横を向いた。
「短剣なら、もう私は持っていないぞ。信頼のおける人達に預けてあるのさ。悪だくみなど諦めて、さっさとアメリカへ帰れ!」
「やなこった」
白い歯を見せ、スラムが一蹴する。
スリムが若者の腕を捩じ上げ、無理矢理立たせた。縄をかけると、スラムが落ちていたタンクを勢いよく蹴り上げる。
「ま、言いたい事があるのなら、ボスに直接言うんだな。・・・行くぞ、スリム」
「合点だよ、スラム」
大柄なスリムが後ろからチャンを小突くと、チャンも歩かない訳にはいかず、渋々スラムの後に従う。一向はスラムを先頭に、湖を背に畑の畦道を歩いて進んだ。
チャンの後ろで、ケティ号が更に遠くなってゆく。人知れず、チャンが無念の唇を噛んだ。
歩いていると、何を思ったのか、スリムが鼻をひくつかせながら呟く。
「オイラ、おなかが空いてるからわかるんだ。・・・今朝食べたの、スパゲッティでしょ」
思いもかけぬとぼけた台詞に、チャンが目を丸くした。
何と緊張感のない悪党であろう。このような連中に振り回されている自分が情けなくもあり、チャンはモンタナ達にも深い同情を覚えた。
雲は厚みを増し、相当な水分を蓄え満天にあった。或いは、本当に雨が降り出すかもしれない。
チャンが空気中に含まれる湿り気を敏感に感じ取り、一かけらの希望を空に託す。
せめて、天候くらいはモンタナ達の味方であるように。スラムの背中を眺めつつ、チャンはそう祈らずにはいられなかった。
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