良い口実だ、と思った。官の一人から泰麒の行く先を伝えられた。念のために耳に入れておこうと思ったのだろう。
だがそれは行動を起こすために、好都合すぎた。気を使わせないよう、静かに尋ね扉を開けた。
そこには臥牀の上に座る李斎と、膝の上で寝息をたてる泰麒の姿があった。うつらうつらと首を動かす李斎を見て、長い間膝枕をしていたことを悟る。
かろうじて夜中の室内を照らすのは、蝋燭の明かり。女官が点した物だろう。
「母子のようだな」
ふっ、と目の前の二人の主である驍宗は笑いを零した。
「さすがに解放せねばな」
この体勢で眠っていては、李斎は体を休めることはできないだろう。ゆっくりと泰麒を抱き上げる。起こさないよう気をつけて。
「……しゅ……じょう?」
「すまん、起こしたか?」
気を使った相手は泰麒だけではない、疲弊した李斎もまた気遣った。
「いえ、その……申し訳ございません……」
「何を謝る? 嵩里を休ませていたのだろう。礼は私が言うべきだが」
「そうではなく、寝ぼけておりまして……」
少し呂律の回らない口調で言い訳を募らせる。数回瞬きをし、意識を切り替える。ようやく目が覚め始めて頭を下げた。
「主上」
「どうした?」
頭をあげ、主を見つめる視線は真面目で真剣だった。それを受け止め、李斎の横に座る。
「稀にでもよろしいのですが、そしてこれは甘えかもしれませんが」
眠る幼い台輔の顔を覗く。瞼の下がわずかに赤みを帯びていた。
「台輔は胎果の生まれです。やはり蓬莱の家族が恋しいようです……台輔としてはそれは甘えかもしれません。ですが……聞いてしまったので」
「聞いた?」
「眠っておられる時、無意識に母に会いたいと願う言葉が漏れておりました。まだ二度と会えぬ別離を頭では理解はしていても、心のどこかで会いたいと願う……」
「そうかもしれんな」
漆黒の髪に触れてうつむく。少し考え思いついたように、驍宗は突然李斎の唇を奪った。
「んっ――主上……」
「主である関係を崩すことはできないが、そして家族にはなれんが、寂しさを癒す愛情を注げばいい。注いで欲しい」
心が晴れやかになることを願って、驍宗は言い放った。
「部下としてでも、兄弟でも、母でもいい。接してくれ、愛情をもって」
「主上は……」
「無論私も注ごう。まだ別離の傷は癒えん。癒えるまで……頼みたい」
「それはもちろんです、けれどあの……」
「母のほうがいいな。私は父になろう。勝手なここだけの取り決めだが……夫婦になる」
「主上……」
わずかに驍宗は照れて、顔を近づけて口づけた。李斎のほどいた髪がまとわりつく。手は幼い麒麟に貸している。
「近いうちに夕餉を共にしないか? 嵩里も交えて」
「それはお喜びに……」
「李斎はどうだ?」
「私でございますか?」
「嬉しくはないか」
「そんなことはございません……嬉しい、です……」
胸のうちで勇気を生み出す。ほんの少しでいい。
生み出されたことを確信して、李斎は頬に軽く口づけた。驚いて驍宗は目を見開く。
「李斎」
「主上の愛を一心に、一方的に受け止めるのではなく、私も」
行動に移したい。目の前の主は気を最大限に使っている。真面目な性格を汲み取って、決して己から愛を求めようとしない。それを恐れ多いと思い、頭では取り払ったものでも、それでも体は拒んでいた。
「う……ん、おかあ……さん……」
伸ばされた手は、李斎の布地をつかむ。
「台輔」
決して滑らかではなく、鍛えられた手でそっと包み込むように泰麒の手を握る。
「本当に嬉しいです……」
台輔の喜ぶ顔を思い浮かべるだけで、今二人きりでいられることもまた嬉しくて。
だが李斎にとっては。
やっと自ら主を、いや愛しい男と認識し、身分など考えず、ただ好きだと求められたことに大きな喜びを感じていた――。
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