それは、突然の出来事。
ギャキキキイィッ
“嶋野の狂気”こと真島吾朗の前に一台の車が急停車した。おもむろに開いたドアから顔を覗かせたのは、いつも桐生一馬についてまわっているシンジという舎弟。
「真島の叔父貴!大変っすよ!」
車から転げ落ちるようにして、シンジが真島の足にすがった。
「もう話はわかってるで。んで、愛しのヒロインチャンはどこかいな」
そう言って、真島は壮絶にギラついた眼でにんまりと笑った。
桐生が人質に取られた、との情報が上から堂島組に入ったのは昼前。
その後風間組にも情報がまわり、神室町付近を牛耳っている組全てに知れ渡ったのはそう遅くなかった。
“堂島の龍”と恐れられている桐生一馬が、関東に乗り込んできた弱小組の人質に取られたのだ。神室町に緊張が走っている。
「親父、どうします?」
風間組事務所に集まった舎弟達と、桐生の顔馴染み達は渋い表情をしながら風間の方へ向いた。
「桐生が捕まってるんだ。ヘタなことできねぇよ」
難しい顔で唸るが、ふと頭をあげて「その手があったか」と呟く。
「なんすか?」
一番桐生に懐いているシンジが身を乗り出した。
「シンジ、車用意しろ。荒事には荒事のスペシャリストにまかすが一番だ」
「親父はああ言ってましたけど……、兄貴大丈夫かなぁ」
車内に憂鬱そうなシンジのため息が漏れる。
真島とシンジを乗せた車は、神室町からずっと離れた県境にある繁華街に入った。
雰囲気は神室町のようだが、渦巻く欲望や人の密集度からいって神室町に遠く及ばない。
「大丈夫やて、わしが直々に出向いてきたんや。桐生チャン傷モンにされたら、わしが東京湾に沈める前に生きてきたこと後悔させてやるんやからな」
運転席に座るシンジは後部座席から漂い始める異常な殺気に首を竦めるしかなかった。
「着きましたよ。叔父貴」
繁華街から少し進んだところに、指定された場所があった。いかにも、というような誰も住んでいなさそうな建物。
もとはいかがわしい店だったのか、入り口付近に色褪せた看板が立てかけてある。
「う~ん、腕がなるわ♪」
言葉だけでは至極楽しそうだが、纏っているオーラは鬼そのもの。きっと桐生を攫ったことでかなりの憤りを感じているらしい。真島のオーラに気圧されながら、一応交渉人として前を歩いていった。
「なんだぁ?」
扉の近くにたむろする、これまたあからさまな態度にチンピラにシンジはヒヤヒヤしながら宣言した。
「わしのもん返してもらおか」
「え?」
開いた口から間抜けな声。シンジの後ろにいたはずの真島がニマニマしながら、愛用バットをこつこつ叩いた。
「叔父貴!?まずいっすよ、ここは刺激しないようにって…、ああ!」
ドカッ バキッ グシャッ
最後の音がとても気になるが、シンジは動かなくなったチンピラをみて音便に済ます気がないことを再確認した。
建物の中はいがいと狭く、ずいぶん使われていないようで埃がところどころに舞っていた。
「テメェ、こっちに人質いるのがわかってんのか!」
室内の奥から出てきた数人のヤクザが、シンジと真島を取り囲んだ。
地方のヤクザだからといって凄んだら神室町をフラフラしている同業者と同じくらいの迫力だ。
シンジは思わず真島の後ろに飛び退く。
「あんたら、立場わかってるん?」
奥から、真島と似たようなイントネーションの声がわきあがった。
すらりとした長身の男。
艶やかな黒髪は短く、目元はかなり涼しい。
その男の注目すべき点は、腕の中にぐったりした桐生を愛しげに抱きかかえていることだ。
「あ、兄貴!」
「桐生チャンになにしたんやっ!」
さっきまでの余裕っぷりはどこへやら。真島は大人しく男に身を任せている桐生をみて少し動揺する。
「少し眠ってもらっとるだけや。……、それにしてもええ男やないか。こんな男前が頬赤らめて鳴くさまは、さぞかし可愛えんやろなぁ」
「こんな風に苦しそうな顔して、腰振って男くわえこむんやろ?この人は。たまらんなぁ、ほんまにいじめとうなる。ぐちゃぐちゃに掻き回して、よがらせてみたいわ」
そう言って腰を抱く力を強め、苦しげに歪められた桐生の眉間に口づけを落とす。
「なぁ、真島さん。こんな可愛ええ人、あんたにはもったいない」
それが合図だったのか、今まで黙っていたヤクザ達が各々の拳を振り上げて襲いかかってきた。
いくら“嶋野の狂気”とはいえ、こんな大勢に囲まれて勝てるわけないと男はふんでいたようだ。
「桐生チャン狙いだったんかいな…」
その場にいた者全て、凍りついたように動けなくなる。
「桐生チャンは、わしのものなんやで…?桐生チャンの体も、魂も…そうや、その命全てわしのもんや」
ぶわっ、とシンジの体に鳥肌が立った。
全身から嫌な汗が噴き出て、シンジは生唾を飲み込む。
真島を取り巻く異様な空気に、桐生を抱き締めている男も焦りはじめた。
「何してるんや!はよ、やってまえっ!」
そのかけ声ではっとなったヤクザ達は振り上げていた拳を真島に向ける。
「そんなんで、勝てる思おてんの?」
真島の般若が笑うとき、刃向かった者は地獄よりも酷いものを見るという。
屈強な男達の拳は真島に届くことはない。
目にも止まらぬ速さで、隙の甘い男達の間をすり抜けた。
「なっ…!」
驚いた顔のまま硬直する。桐生の体を抱えながら、目の前まで迫る真島に男は最終手段にでた。
「それ以上近づくなや!可愛ええ桐生に風穴開くで」
ジャキリと構えられた拳銃は意識のない桐生の額に当てられる。
「兄貴!」
シンジが焦って近寄ろうとしたが、ヤクザ達に阻まれてしまう。
「真島ぁ…俺はお前に復讐するために神室町の組になりろうとしたんや……、気が変わったわ」
桐生を抱え直す。
「調べたら、こいつがあんたの大事な人言うやないか。…、こいつを消したらあんたはどうなるか。はっ、見ものやなぁ」
愉しげに片頬をあげる。
ゆっくりと銃口を桐生の胸へ……
バンッ!!
だが、発射された銃弾は壁にめり込んだだけだった。
拳銃が誰かの手によって逸らされている。
そう、桐生の手が拳銃に添えられて胸から壁へと逸らしたのだ。
「あんたには、俺を殺せない」
男に体を預けたまま、桐生は耳元で呟いた。
「俺は真島の兄さんのもんだ。あんたみたいな奴に俺は殺れない」
桐生の艶がかった熱い息が、男の首筋を撫ぜた。とたん、男は怯えたように肩を震わす。
「こんなんでびびってるようじゃ、兄さんには勝てないぜ?坊や」
桐生の手が拳銃から離された直後、真島のバットによって男の手はしたたか殴られた。
「っつぁ!」
痛みにおもわず桐生を拘束していた力が弱まり、その隙をついてヤクザを振り切ったシンジが桐生を救出した。
「兄貴、大丈夫っすか!?」
「ああ、変な薬かがされただけだ。それより、早く外でるぞ」
「へ?」
「兄さん、かなりキてるからな。巻き込まれないうちに」
シンジは完全に目が据わっている真島を見て、急いで桐生を外へ運びだしたのだった。
「んで、地獄絵図ってわけか」
遅れて現場にやってきた風間が血でどろどろになった真島を見てため息をついた。
「親っさんが真島の叔父貴に頼めって言ったんじゃないっすか」
シンジが眠ってしまった桐生を車内で介抱しながら抗議する。
「いや、そうだけどよ。桐生が人質に捕られてるんじゃ、真島が黙ってねぇと思ってな。それにやった野郎が、元真島組若頭って話もあったんだぜ?」
桐生を拉致した男は真島組が立ち上がった当初からいた若頭だったのだが、裏で敵対していた組と繋がっていたため捨てられたのだ。
そのとき殺されなかったのは、真島の少ししかない情のおかげだったのにも関わらず、恩を仇で返すような行為に走ってしまったようだ。
「いや~、ひっさびさにこんな血ぃ浴びたわ」
怒りが収まったのか、今は邪気のない笑顔でニカニカ笑う真島。
シンジは返り血でべとべとになっている真島に、乾いた笑みをぎこちなく返した。
「と、とりあえず一件落着ですんで桐生さんマンションに送ります」
風間に一礼して、運転席に乗り込もうとするシンジに真島もその車に乗り込んだ。
「叔父貴?」
「桐生チャンち行って介抱するんや。わしもつれてき」
あわよくば、桐生をちゃんと介抱しようと考えていたシンジは思惑が砂のように散っていき涙目になる。
「ん?どうしたんや」
「…なんでもありませんよ」
心の中で男泣きしながら、シンジは桐生のマンションへ車を走らせるのだった。
桐生が目を覚ますと、見慣れた天井が視界に入る。
自宅の寝室。
だが、自分以外の気配に首を傾げた。
「お、桐生チャン目ぇ覚めたんかい」
現れたのは上半身裸の、タオルで髪をゴシゴシ拭いている真島。
「奴らボコすんに血まみれになってもうたからな、シャワー借りたで」
穏やかに笑う真島に桐生はそっと微笑み、体を起こす。
「寝てたらええやんか、まだ意識はっきりせえへんのやろ?」
ベッドに腰掛けて、心配そうに桐生の顔を覗きこむ。桐生は照れたように顔を赤くした。
「…兄さんが来てくれると思ってた」
「当たり前やんか!桐生チャンはわしの大事な大事なヒロインやで。ヒーローのわしが助けなあかんやろ」
そこで真島は俯いている桐生の顔を上げさせ、優しく唇を奪う。
労るようなキスに桐生はさらに顔を赤くさせた。
「でも、桐生チャンなんでつかまったんや?」
“堂島の龍”と恐れられる桐生があんな奴らに捕まるはずがない。訝しげに問いつめられ、桐生は気まずそうに呟いた。
「兄さんのことで話があるって言われて……」
「それでついてった先で薬かがされて、意識失ったんか?」
無言で頷く。
「まったく……っ!」
「うわっ」
真島に抱きつかれて、ベッドに倒れこんだ。
「わしのことになるとホントにダメやな」
「…兄さんだって」
「はは、違いないわ」
そして見つめ合い、どちらともなく口づけあうとお互いの体をまさぐる。
「ええんか?」
「…いまさら聞くなよ」
拗ねて顔を逸らした桐生はその夜、歯止めのきかない狂犬に貪りつくされるのだった。
end
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