「ううーん…」
とある日曜の昼下がり。
遥と二人で暮らすアパートに、いつものように大量の酒類を持参で転がり込んできた真島と飲み明かした桐生は、ぼやけた頭をスッキリさせようと、多少ふらつく足取りで水を飲みにキッチンへ向かった。
大して広くも無いアパートは、桐生と遥の部屋の他にはリビングダイニングとバス・トイレという間取りなので、キッチンまで出たら自然とダイニングも視界に入る。
対面式のキッチンは遥のお気に入りで、料理や食事をするとき以外にも、学校の宿題は必ずキッチンに面したダイニングテーブルで片付けていた。
その遥が、可愛らしい顔で、眉を寄せ、唇を尖らせてうなっている。
「どうしたんだ?宿題か?」
「あ、おはようおじさん」
桐生が声を掛けると、遥はパッと顔をあげた。
『おはよう』というには随分と遅い時間だ。桐生は苦笑しながら言葉を返す。
「もう昼だがな」
「あ、ほんとだ!お昼の準備しなくちゃ!真島のおじさんは?」
「…まだ寝てる」
桐生は自分のベッドを占領して大イビキを書いている眼帯の男を思い出し、遥以上に眉をしかめた。大量の酒を持ってきた割に、その3分の2ほど自分で飲んでしまった真島に、桐生はやれやれとため息をこぼす。自分とて相当酒には強い方だが、真島はそれを上回るウワバミだ。ザルと言うより枠だろう。
今更ながら、遥の教育上良くないのではなかろうか。
そう。遥。
昔愛していた女の忘れ形見。
自分にとっても目の中に入れても痛くないほど可愛い娘。
その遥のために、真っ当な世界で平穏に暮らそうと堅気の道を選び、神室町から離れたこの町に移り住んだのに、何故あの男は毎週のように転がり込んでくるのだろう。
組を割って建設会社の社長に納まってはいるが、”狂気”とまで謳われた男がすんなりと堅気に落ち着いていられる訳が無い。
今も夜な夜な地下闘技場で血の雨を降らせているともっぱらの評判だ。
やはりここは自分が防波堤になって、あの男の悪影響から遥を守らなくては。
酒にぼやけた頭でつらつらと考えていると、おかしそうに遥が声を上げて笑う。
「あはは。真島のおじさん、お酒入っちゃうと中々起きないもんね。お昼ごはん、どうしようか?」
「遥の分だけ用意したらいい」
「うん、わかった」
「で?」
「で?」
「何をうなってたんだ?」
パタパタとキッチンへ駆け込む遥に、桐生は再び訊ねた。
「そんなに難しい宿題なのか?」
遥は桐生の欲目を抜きにしても成績優秀の優等生だったはずだ。
その遥がうなるほどの難問とは、一体どんな宿題なのだろう。
「ううん、宿題は終わったの。」
「じゃあなんだ?」
「雑誌の懸賞!正解すると豪華商品なの!」
ダイニングテーブルを見るとそれは遥が気に入っている隔週で発行されている料理雑誌の1ページで、広告も兼ねたプレゼント企画のようだ。
「何がもらえるんだ?」
「パスタ1年分!ね、おじさん、パスタが1年分もあったらしばらくは食べるのに困らないよね?」
「は…遥…」
「あ、今日のお昼はパスタにしよう♪」
なんとも主婦じみた遥の言葉に、桐生は返す言葉も無かった。
初めて会った時から大人びた子供だと思っていたが、いつの間にこんなに所帯じみた子供になってしまったのだろう。
これも自分の稼ぎが少ないせいなのか…遥…ごめんな…
「うーん…」
昼食用のパスタゆで始めた遥は、再び眉を寄せてうなり始めた。
まだ先ほどの問題について考えているのだろう。
その様子が余りにもかわいらしく、頬を緩めて見守っていた桐生だが、遥のとあるしぐさに愕然とした。
眉を寄せ、腕を組み、うんうんと唸る。
そして時折。
人差し指で。
こつこつと眉間をつついているのだ。
これは。
この癖は。
ベッドを占領して眠りこけているあの男の癖ではなかっただろうか?
「は、遥…その癖…」
「…?あ!えへへ、真島のおじさんの癖、うつっちゃった」
「うつるって、お前それほど真島の兄さんと一緒にいないだろう?」
桐生は思っても見なかった事態に、表面上それとは見えないが相当うろたえていた。
「えー?そうでもないよ?」
「え?」
「おじさんがお仕事で遅い時とか、よく真島のおじさんが遊んでくれるの」
「何ィ?!」
「真島のおじさんね、私がなぞなぞ出すと、いつもこうやってこつこつしながら考えるんだよ」
左目を瞑りながら真島の真似をする遥の姿に、更に桐生は愕然とする
「真島建設の事務所にも何回か連れて行ってもらっちゃった。いろんな人がいてすっごく面白い…おじさん?」
遥が言い終わる前に、物凄い勢いで桐生は自分の部屋へ駆け込んでいった。
そして未だいびきをかき続ける男の首根っこを掴むと、問答無用でベッドから引き摺り下ろした。
突然の桐生の行動に、後を追いかけてきた遥が驚いて声を掛ける。
「おじさん!どうしちゃったの?」
「な、なんやのん、桐生ちゃ…」
さすがの真島も、突然の事態に目が覚めたようだ。
さっきまで気持ちよく眠っていたのに、何故か首根っこを掴まれて玄関まで引きずられている。そんな自分が置かれている状況が理解できないらしく、驚いた様子で桐生を見上げた。
「兄さん、アンタもう遥に近づくな」
「はぁ?何言うとんの?」
「遥は真っ当な人間に育てるんだ…」
「ちょ、きりゅ…桐生ちゃん?????」
「俺が…俺が遥の防波堤になるんだーーーーーっ!!!!!!!!!!」
「ちょ、待てって…ええええェェっぇぇぇーーーーーーーーーーー?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!」
前回の玄関から勢い良く真島を放り投げた桐生は、派手な音を立てて階段を転がり落ちていく真島に、声も高らかに宣言した。
しかし、桐生は気づいていなかった。
『オンナノコの父親』に課せられた試練はこんなものではないと言うことに。
だがそれはまた、別の話。
「き…桐生ちゃん…ゴッツい親バカ…やで…ぇ…」
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