Tea For Two
週に一度のクラブの日、遥は調理室にいた。部活と違い、半年に一度自由に選べるクラブは種類も豊富で子供たちはめいめいに
好きな事を行っている。
遥が今期選んだのは『家庭科クラブ』だった。ちょっとしたお菓子を作るというクラブなのだが、遥が特に入りたかったわけではない。
料理などはやろうと思えばいつでもできたからである。しかし、これが意外に女子生徒に人気で、競争率も高いというのだから
彼女には驚きだ。家でやったらいいのに、と材料をかき混ぜながら思った。ちなみに、今日はパウンドケーキだ。
そんな遥がこのクラブに入ったのは、友人がどうしても遥と一緒に入りたいと頼み込んだせいである。なんでも、遥となら美味しい
お菓子ができるから!だそうで、そこまで便りにされたら遥としても嫌とは言ない。かくして、今までこのクラブを選んでいない事もあり
彼女は優先的に入る事が出来たのだ。
「あー、遥と一緒でよかった!他の班とは出来が全然違うもん!」
嬉しそうに少女が声を上げる。遥は首をかしげた。
「そうかなあ、本の通りやってるだけだよ」
「だって、前回の隣の班なんか、クッキーが固焼きせんべいになるんだよ。うちはまるで売ってるみたいなクッキーだったもんね」
ねー、と遥の班の女生徒は顔を見合わせて得意顔だ。遥は苦笑して彼女達に告げた。
「でも、お菓子くらい家で作ってもいいんじゃないかな。何も学校でやらなくても……」
その瞬間、少女達は口を揃えて遥に叫んだ。
「駄目だよ!」
「……なんで?」
ぽかんとする遥に、少女達は含みのある笑みを浮かべて囁きあった。
「学校で作るのが重要なんじゃない、ねえ」
「終わったらあげられるもんね~」
「ああ、どうしよう。私、今日はお菓子渡せるかなあ」
遥は微笑み、混ぜていた生地を型に流し込んだ。
「上手に出来たら、みんなと楽しく食べたいもんね」
女子生徒はそれを聞いて驚いたように顔を見合わせ、一斉に黄色い声を上げた。
「やだぁ、今更!みんな何でこんなに気合入れて、お菓子作ってると思ってるの?」
「あげるのは、気になってる男の子だからじゃない!」
男の子?遥はぴんとこない顔をして天板の上に生地を入れた型を置き、オーブンに入れる。少女の一人が同じようにオーブンを
覗き込みながら微笑んだ。
「だって、お菓子作るのはこのクラブだけなんだよ。そのお菓子を好きな人にあげたら、特別に思ってもらえるかもしれないでしょ」
「そ、そうだったんだ……」
考え込みながら遥は使った用具を洗う。別の少女が大きく頷いた。
「知ってる?クラブの後に男子が物欲しそうに待ってるの。みんな期待してるんだよ」
「お菓子食べたいだけじゃないの?」
どうも遥は、そういったことに反応が薄いようだ。少女達は顔を見合わせて遥をつついた。
「いっときますけど、遥のお菓子が一番狙われてるんだよ」
「何で?私のもみんなのも変わんないよ」
これだから!と少女は首を振り、洗い物をする遥に囁いた。
「遥の手作りだから欲しいんじゃない。いっつも遥自分で食べちゃうから、手ぶらで戻ってくるのを見てみんながっかりしてるんだよ!」
「ふうん……」
もてもてだね、と口々にはやし立てる少女達を横目に、遥は用具を綺麗に拭いた。なんだかんだ言って、今日も全部自分でやって
しまった。綺麗に片付いた調理台を眺め、遥は溜息をついた、
「ねえ、使ったものをしまうのだけはやってね」
オーブンから出されたパウンドケーキは、二つとも香ばしい香りと共に皆の前に出された。同じ班の少女達は嬉しそうに歓声を上げた。
遥は丁寧にそれを切り分け、皆に分けていく。少女達はそれに手も付けず、大切そうに包んでしまった。遥は呆れたようにそれを
眺めていたが、今日は彼女も少女達と同じように一つも食べず。皆と同じようにラップとハンカチに包んで横に置いた。
「え、遥!それどうするの?」
目ざとい少女がそれを覗き込む。遥は曖昧に笑って、用意しておいた紅茶を飲んだ。しかし、それで済むようなことではないらしく
少女達はクラブの時間が終わっても、遥から離れようとしなかった。
「ちょっと、教えてよ~」
「誰にあげるの?ねえ」
こんな調子でつきまとわれるものだから、どうやらクラス中に遥がお菓子を誰かに渡すということが知れ渡ってしまったらしい。
無論、遥の珍しい行為に男子生徒も色めき立つ。一体その幸運に与れるのは誰だろうと、誰もが周囲をうかがった。
しかし、クラブや終礼を終えても遥はいっこうに動こうとしない。ついには教科書を片付けて帰ろうという始末。痺れを切らした
女子生徒が彼女を扉の前で通せんぼした。
「このまま帰すわけにはいかないわ!遥、そのケーキ誰にあげるの?」
「えーと……」
遥は口ごもりながら周囲を見渡す。誰一人として帰ろうとしないクラスの雰囲気は、これ以上ないほどに張り詰めていた。
その異様な空気に遥は乾いた笑みを浮かべ、やがて少し恥ずかしそうに呟いた。
「……男の人」
その瞬間、教室中がどよめく。遥からそういう言葉が出ると思わなかったため、女子生徒は彼女に詰め寄った。
「だ、誰!?男の人?男子じゃないの?」
その勢いに、遥は気圧されたように後ずさる。このままでは絶対に帰してくれそうにない。彼女はしばらく逡巡していたが、やがて
思い切ったように顔を上げた。
「好きな人だよ。これでいい?じゃあね!」
驚愕している少女の横をすり抜け、遥は教室から逃げるように走リ去った。その後から遥の名を呼ぶ声と、ばたばたと追ってくるような
足音がする。今彼らに捕まったら、名前や素性まで聞かれてしまう、遥は必死で走って皆を振り切った。
学校から出ても全速力で走り、駅まで来ると発車直前の電車に飛び乗る。息を切らして窓の外を見ると、最後まで追いかけて
きたのだろう、数名のクラスメートがホームで何かしら叫んでいた。どうやら追いつかれていないらしい、ほっとしたように遥は
空いた席に座った。
「みんな、すごいガッツ……」
呟き、遥は鞄を抱いて息を整える。ふと、手提げの中からバターのいい香りがした。そういえば、大分振り回したかも。慌てて覗くと
ケーキは潰れることなくそこにあった。週末でよかった。土日をはさめば、ほとんどの生徒が今日のことを忘れているだろう。
電車は彼女を乗せて、いつもの帰り道とは違う方向へ。日はまだ傾きかけなので、夕方までには目的地に着くだろう。
「こんにちは~」
いつものように挨拶を交わし、遥は本部に入っていく。今日は定例会議があったためか、駐車場には車が多く停まっている。
会長の承認を得た事で、大吾も幹部会議に参加するようになった。就任していない為、代表は相変わらず会長代行の弥生だが
発言権は大方認められているようだ。どうなるかと思ったけど、よかった。遥は嬉しそうに会議室の窓を見上げた。
遥はこういった日は表に出ず、裏でお茶を入れたり洗い物をしたりすることになっている。特例とはいえ、子供が暴力団の本部にいて
みだりに幹部衆の前へ顔を出すのは倫理上好ましくないと言うわけだ。遥も、そこのところは理解していて、今日も許可が出るまで
詰め所で出された宿題などをやっていた。
にわかに表が騒がしくなり、詰め所にいた構成員達は全て幹部衆の見送りに出て行く。遥もそれをきっかけにノートなどをたたみ
そわそわと誰かが外出の許可を言いに来るであろう扉を見つめた。
「皆さんお帰りになりましたよ、どうぞ」
やがて笑顔で構成員が扉を開ける。遥は嬉しそうに立ち上がり、外に顔を覗かせた。
「皆さん帰っちゃったの?」
「そうですね、幹部衆の方々は」
ということは、柏木も帰ったのか。遥は少々がっかりしながら表に出た。
「あら、遥ちゃん。来てたんだね、お疲れ様」
遠くから弥生の声がする。遥は笑顔を浮かべ、彼女に歩み寄った。
「弥生さんも、会議お疲れ様です」
畏まったように告げる遥の頭を撫で、弥生は優しく微笑んだ。
「私は少し出るけど、すぐに帰るから待っててね。大吾はまだまだ本部に居残りだから、脱走しないように見張っておいて」
「はーい」
元気良く返事する遥に、弥生は手を振り去ろうとする。しかし、しばらく歩いて彼女は急に振り向いた。
「言っておくけど、遥ちゃんも一緒に脱走するんじゃないよ。なんかあなたたち最近よく一緒にいるでしょ、お願いだから遥ちゃんは
大吾の悪いところを見習わないようにね」
思わぬことを言われ、きょとんとする遥の横で構成員達が声を殺して笑う。彼女が不満げに頬を膨らませ皆を見回すと、彼らは慌てた
ようにその場を去っていった。
「そんなに一緒にいないけどなあ……」
その後、遥はぼやきながら丁寧に紅茶を入れる。確かに一緒に行方をくらました事は何度かあるが、彼女にしてみたら大吾の
悪いところを見習った気はない。というより、大吾の悪いところってどこ?遥は首をかしげながらお茶を持って会長室に向かった。
「入るね」
ノックをして中に入ると、大吾は窓際に立って外を眺めながら煙草をふかしていた。彼は遥に視線をやると、近くの灰皿に灰を落とした。
「早速檻から出されたな、小動物」
「なにそれ」
思わずむくれる遥を大吾は笑う。彼は窓に寄りかかると、溜息と共に煙を吐いた。
「お袋は?」
遥は紅茶の入ったカップを机に置きながら苦笑を浮かべた。
「ちょっと出ますって。でも、すぐ帰られるみたいだよ。ああそうだ。お兄ちゃんと脱走しないようにって言われちゃった」
「しねえっつの。あの鬼代行、前にやらかしたことまだ警戒してやがる」
大吾は乱暴に火を消し、肩を竦める。彼は疲れたように椅子に座ると、珍しそうに机の上を見た。
「あれ、今日は紅茶か」
うん、と頷き、遥はそっとその横にケーキを乗せた皿を置いた。
「あと、おまけ」
「なんだこれ」
怪訝な顔で皿を眺める大吾に、遥は恥ずかしそうに笑った。
「今日クラブで作ったの。パウンドケーキ」
「お前が?」
「そうだよ」
お盆を抱えて遥は頷く。大吾は机に頬杖をつき、ケーキを指差した。
「俺に食えと?」
「あ、なんでそんな嫌そうな顔するの~?」
「いや、食えるのかよって」
悪態をつく彼に、遥は頬を膨らませケーキの皿に手を伸ばした。
「それなら食べなくてもいいよーだ。私が食べるもん。あと弥生さんや、お世話になってる組員さんにあげちゃうから」
大吾は彼女が皿を手に取る瞬間、それを取り上げた。
「待てよ、食わねえとは言ってねえだろ」
「もう、それなら最初から食べるって言ってよ~」
口を尖らせる遥を小突き、大吾は問いかけた。
「そういや、お前は食ったのか?」
「ううん。全部持って帰ったから」
ふうん、と大吾はケーキを眺め、彼女を指差した。
「なら、お前毒見役」
「毒見役~?」
不満げな声を上げた遥に、彼はもっともらしく頷いた。
「当たり前だろ。人に食わす前に、まず自分が食って確かめる。これ常識」
しょうがないなあ、と遥は頷き、ふと両手を合わせた。
「あ、そうだ。それじゃ私の分もお茶入れてくる!待ってて!」
踵を返して遥は会長室を出て行く。慌しい奴だな、と大吾は苦笑した。
「ケーキね……」
呟き、大吾は目を細める。手作りの菓子など、今まで一度も家で食べた事はなかった。弥生は忙しい人間だったし、もし作ろうと
思っても、父親である宗平は甘いものが嫌いだった。いつしか自分も甘いものは苦手になり、ケーキなどというものに興味も示さなく
なったのはかなり昔の事だったと思う。
「すっげー甘そう」
呟き、大吾は溜息をつく。彼女が作るものだけに味は間違いないとは思うが、甘いものとなると話は別だ。こういった手合いのものは
歯が浮くほど甘いと相場は決まっている。うんざりしたように眺めていると、やがて遥が自分用にお茶を入れてやってきた。
「お待たせ!毒見するよ~」
遥は近くの応接テーブルに皿などを移動させ、ソファにちょこんと座る。大吾はその目の前に座り、彼女を促した。
「先食えよ」
「うん!」
遥は嬉しそうにケーキを手で掴み、口にした。口を動かしながら少し考え、彼女は頷く。
「こんなもんかな」
「おいおい、大丈夫かよ」
苦笑しながら大吾も手を伸ばす。気が重そうに甘い香りのするケーキを口にした瞬間、大吾は何かに気がついたようにそれを眺めた。
「あれ、あんま甘くねえのな」
「だって、お兄ちゃん甘いもの苦手でしょ?」
彼が思わず顔を上げると、遥はくすくす笑った。
「班のみんなも持って帰るんだけど、内緒で私用に甘さ控えめにしちゃった。みんな作るのを全部私に任せちゃったんだから
これくらい許されるよね」
「それじゃ、お前わざわざ……」
驚いたように声を上げる大吾に、彼女は紅茶を飲みながら頷いた。
「みんなが作ったお菓子を誰かにあげてたのは知ってたの。きっと美味しいお菓子だから、仲のいい人とわけあうんだろうなって
思ってたんだ。だって、美味しいものって一人で食べても美味しいけど、二人で食べたらもっと美味しいでしょ。だから今日はちょうど
こっちに来るし、上手く出来たらお兄ちゃんにあげようかなって思ったの」
そういうことか、と大吾はケーキを眺める。彼女の作ったケーキはほどよく甘く、どうやら全部食べられそうだ。というより、これならもう一度食べてもいいかもしれない。
彼はさっきの遥の言葉を思い出す。一人で食べるよりも、二人で食べた方が美味しい。それは一人の寂しさをよく知っている遥だから
尚更そう思うのだろう。そして自分もまた、その法則に従っている。あんなに苦手だった甘いものが、美味しく感じられるとは思わなかった。
大吾は思わぬ発見に、わずかに笑みを浮かべた。
「でもね、みんなはなんか違ってたみたい」
「違う?」
紅茶を飲みながら問い返すと、遥は不可解な顔で頬杖をついた。
「みんなね、好きな男の子に気に入られたかったからあげてたみたいなの。なんか、がっかりしちゃった。今日も大変だったんだよ。
今まで私が誰にもあげなかったから、持って帰ろうとした時、誰にあげるんだってもう大騒ぎ」
ふうん、と大吾は興味がなさそうに最期の一切れを口に放り込む。遥は疲れたように体を伸ばした。
「帰り際に、通せんぼされてまで追及されちゃって……しょうがないから皆に言っちゃった」
「何て」
紅茶を口にしながら上目遣いに遥を見つめると、彼女は膝の上に手を置いて小さく笑った。
「ケーキは、好きな男の人にあげるのって」
「あー……そうですか」
大吾は特にうろたえることもなく、素っ気無く返答した。彼女のこういった発言はよく聞かされるせいか、もう慣れた。それに、子供の
言うことにいちいち動揺していたらきりがない。しかし、同級生にそれを言ったならそれはえらい騒ぎだっただろう。大吾は苦笑した。
「あんまそういうこと言うなって、誤解されて後で困るのは遥だぞ」
「困らないもん」
遥は足をぶらぶらさせ、微笑んだ。
「間違ったこと、言ってないもん」
そうやって、ふいに大人びた目をする。大吾は困ったように遥を見つめた。こんな時にどう対応していいのか、たまにわからなくなる。
遥の事だから特に自覚はないのだろうが、それを目の当たりにさせられる自分の身にもなってほしい。桐生がいらぬ誤解をするのも
きっと普段この目を見ているからだと思う。なんにせよ、迷惑な話だ。
「ね、どうだった?」
「あ?」
思考中だった大吾が気の抜けた声を上げると、遥は不安げに彼を見上げた。
「ケーキだよ、やっぱり甘すぎた?おいしくない?」
ああ、と大吾は空になった皿を眺めた。全部食べたのを見ているのに、まだ心配なのか。大吾は苦笑した。
「ま、そこそこ食えるんじゃねえの?」
曖昧な感想に怒ると思いきや、遥はほっとしたように頷いた、
「なら大成功かな。よかった!」
「なんでそういうことになるんだよ、そこそこって言ったんだぞ」
不満そうにつっかかる大吾に、彼女はうんうん、と笑顔を浮かべながら、食器を片付け始めた。
「そうだね、だから大成功なの」
「なんだよそれ、わけわかんねえ」
不可解な顔で腕を組む大吾を笑い、遥は食器を載せたお盆を手に扉を開いた。
「私にしか、わからないよ」
遥は小さく振り向いて、嬉しそうに告げると、困惑顔の大吾を残し部屋を出た。
「今度は何作ってあげようかな」
呟きながら彼女は鼻歌交じりに廊下を歩いていく。もう少ししたら、弥生も帰ってくるだろう。
そうだ、今度はもっと沢山お菓子を作って、ここにいる組員たちにもあげよう。みんなで食べたら、お菓子はもっともっと美味しいに
違いない。想像したら楽しみになってくる、遥は小さくガッツポーズをして微笑んだ。
PR