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「灯」


女がひとり、微笑んでいた。

「火ぃ、お貸ししましょうか?お兄さん」





 花屋から少々高めの情報を買い、歓楽街である賽の河原を帰っていた時だった。
あ、と遥が小さく声を上げ、桐生を見上げた。
「おじさん、花屋のおじさんのところに『ぴよちゃん』忘れてきちゃった」
『ぴよちゃん』とはUFOキャッチャーのぬいぐるみである。黄色くて丸い愛嬌のある顔は
遥のお気に入りだ。今日もここに来る前、桐生にせがんで一つ取ってもらったのだ。
「私取ってくる。待ってて!」
素早く踵を返す彼女を、桐生は言葉少なに呼び止めた。
「大丈夫か」
「うん!」
遥は笑顔で頷き、通りをかけていった。だが、ここは決して治安のいい場所ではない。多少気にはなったが
ここから花屋のところまでたいした距離ではない。花屋も自分達を見ているだろう、心配することもないか、と
ここは待つことにした。
桐生は胸ポケットから煙草を出すと、慣れたように銜える。彼は遥が側にいる時は決して煙草を口にしない。
「遥ちゃんに煙草の煙はよくないから、近くで吸うのはやめなさい」
以前麗奈に言われ、始めたことが習慣になっていた。
彼女が来るまでに一本は吸えるだろう、ポケットを探っていた桐生が眉をひそめた。ライターがない。
「そういえば……」
街を歩いていたらその辺りのゴロツキに絡まれた。しかも、相手が多人数だったため結構な大立ち回りをやらかした。
もしかしたらあの時落としたのかもしれない。彼は小さく溜息をつくと煙草を箱に戻そうとした。
「火ぃ、お貸ししましょうか?お兄さん」
涼やかな声がした。振り向くと紅い格子の向こうに女が座っていた。着物は大きく胸元を開き、顔はよく見えなかったが、
誘うように微笑む紅い唇が艶かしかった。そういえば、ここは遊郭だったのだな。今更ながらに思った。
静かに見返す彼に、女は白く細い手で手招きした。
「もう少し、近くに」
「……ああ」
躊躇いながらも格子に近づくと、女は声を立てて笑った。
「お兄さん、なにを恐れていらっしゃる。とって食おうというわけでなし」
「すまない。いろいろあってな」
煙草を銜えなおして彼女に顔を近づける。女は格子の外に手を出し、そっとマッチを擦った。独特の匂い。
彼女は小さな灯火を消えぬように手をかざした。
「はい、どうぞ」
「すまん」
自然と、桐生も火を守ろうとする。

一瞬、手が触れた。

 驚くほど冷たい手だった。煙を吐き、格子にもたれかかると改めて女を見る。彼女は丁寧に火の消えたマッチを
煙草盆に置いた。
「いつも、見てました」
女は着物の裾を直しながら、ぽつりと告げた。そして、上目遣いに桐生を見、少し笑った。
「小さいかわいいお嬢さん連れた、見るからにカタギじゃない人が、いつもそこををわき目も振らず通り過ぎる……
 お兄さんはここの女達の噂の的よ。ご存知?」
「いや。知らなかった」
確かに、ここには花屋に用事があるときくらいしか来ることはない。遊郭の存在も今の今まで忘れていたくらいだ。
遥も一緒なら余計に目立つだろう。きまりがわるそうにニ、三回煙草をふかした。その様を彼女はおかしそうに眺める。
「あの可愛いお嬢さん、お兄さんの娘さん?」
「違う」
桐生は首を振ったが、少しの沈黙の後わずかに笑みを浮かべた。それは微笑みというにはあまりにもささやかで、
よく見ていないとわからないほどだ。
「でも、今は大切な家族だ」
「……家族」
女が呟いたとき、遠くからかけ寄る足音と元気な声がした。
「おじさん、取ってきたよ!」
声の主の手には、ひと抱えもある大きな黄色い鳥が抱かれている。走ってきたのだろう、息を弾ませ笑う少女には
それがとてもよく似合った。
「そうか。すぐわかったか?」
「うん。花屋のおじさんが持っててくれたよ。なんかね、目の前にぴよちゃん置いてにらめっこしてた。好きなのかも。
 ……お姉さん、だあれ?」
突然顔を覗き込まれ、女はひどく驚いていたが、やがて静かに微笑んで遥を見た。
「私は……ここの女。ずっとここにいる、女」
「ずっと?」
「そう、ずっと」
「お外には行かないの?」
「行けないのよ。お嬢さん」
二人の間にある紅の格子が、世界を隔絶していた。遊女は借金がなくなるまでここから出ることはない。
その借金は日ごとに増え、永遠になくなることはないだろう。よしんば借金を返し終えたとしても、この女はここを出て
どうやって生きるというのか。桐生は女の用意した煙草盆に吸いさしを押し付け、遥を促した。
「行くぞ」
「え、待ってよ~!あ、お姉さんこれあげるね!キャンディー!」
彼女の手に握らせたのは、小さな赤い飴玉。ずっとポケットにあったのか、ほんのり暖かかった。
女は遥の手を包み、そっとささやいた。
「お嬢さん。絶対こっちの世界に来てはだめよ。何があっても、あの人と一緒にね」
「お姉さん?」
「……あなたが、羨ましい。」
女は、手を離した。遥は女を振り返りつつ、桐生を追いかけ人の波に消えた。
こつん、女は格子に額をつけ、まだ煙の立つ煙草を見つめた。
「家族、か……」
女の言葉は人々のさざめきの中に沈んだ。




 数日後、桐生は遥を地上で待たせ、一人で賽の河原に来ていた。あの遊郭の前を通ると女はいなかった。
一言、二言言葉を交わしただけの遊女。普通なら気にも留めないが、この日の桐生は何故か胸騒ぎを覚えた。
「花屋、ここの遊郭の女を知ってるか」
些細な情報交換の後、ふと尋ねてみた。花屋は薄笑いを浮かべると、何もかも分かっているような顔で答える。
「女はここにはごまんといるぜ」
「そんな手には乗らん。伝説の情報屋ならこの程度のことは呼吸をするようなものだろう」
花屋は肩をすくめ、革張りの椅子に体を預けた。
「死んだよ」
桐生は眉をひそめた。花屋は用意してあったのか、机の引き出しを探ると何かを出して見せた。
 鏡、櫛、少しの紙幣、あのときのマッチ……赤い、遥のキャンディー。更に花屋は袱紗を開く。そこにあったのは、
あの時もみ消した煙草の吸殻だった。
「最近客同士のトラブルで、ある女巻き込んで騒ぎがあってな。何をトチ狂ったのか刃傷沙汰さ。
 その女の持ち物整理したら出てきたのはこれっぽっち。哀れじゃねえか、二十年かそこら生きてきた証がこれってわけさ。
 トラブル起こした客には、払うもん払わせて入場差し止め。ま、当然だわな。
 墓はねえよ。賽の河原で死ねばあの世はすぐそこ。墓標なんざ無粋なだけってね」
じっと花屋の話に耳を傾けていた桐生は、やがて口を開いた。
「そこにあるのは、どうするんだ」
花屋は手早くそれらを包むと、視線を合わせようともせず桐生に差し出した。
「捨てといてくれや」
「……わかった」
桐生はそれを手に取ると、丁寧にポケットに収めた。

 地上に戻ると、空は快晴だった。日差しはやわらかく、風が優しく頬をなでた。
「おじさーん!見て見て、お花が咲いたのよ」
遥が仲良くなったホームレス達と花に水をやっていた。綺麗に咲いているが、花の名前は知らない。
「遥、悪いんだが……」
桐生は遥に頼んで花壇に花屋から受け取ったものを埋めた。遥は何も聞かなかった。何か薄々感づいているのかも
しれない。
「お花、いっぱいになるといいね」
「そうだな」
水を汲みに行った遥を眺め、桐生は女の持っていた最後のマッチで煙草に火をつけた。
「線香がわりだ。極楽往生」

空に一筋、煙草の煙。
名も知らぬ魂よ、安らかに眠れ。

-終-

(20061128)
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