「可愛い子には……」
「すっごいお屋敷。入れてもらえるのかな……」
遥は堂島家の前にいた。重厚な純和風の巨大な門は硬く閉ざされ、外界との接触を拒んでいる。
中の様子は高い塀に阻まれ、小さな遥には窺うことすら不可能だ。彼女は深呼吸をし、門に近づく。
そして、高い位置にあるインターホンを目一杯背伸びして押した。
「こんにちは。桐生一馬さんの……えっと、知り合いで遥といいますが、開けてください」
事の発端はこれより一週間前。遥はヒルズの一件からしばらくして、怪我も全快した桐生と穏やかに暮らしていた。
しかし、以前と変わったことも増えた。桐生が家を空けることが多くなったのだ。原因は恋人、狭山の存在に他ならない。
彼女の存在は、この一件で桐生にとってかけがえのないものになった。度々関東にも訪ねては来てくれるが、彼女もさすがに
仕事柄忙しい日々を送っている。彼女の負担になりたくないのだろう、桐生が関西に顔を出すこともあった。なにしろ関東と関西は
距離が離れすぎている。必然的に月に三、四日は桐生が不在となる。そのため遥はその期間自らヒマワリに戻っていた。
とはいえ、桐生が遥を蔑ろにしているわけではない。彼は狭山と約束がない限り極力遥の側にいるよう努めていたし、遥のことなら
どんな約束や問題よりも優先していた。保護者としては何の問題もない、むしろ過保護なほどの気遣いを見せる桐生が遥には何より
嬉しかった。
ただ、そのような気遣いをされるほど、遥は嬉しい気持ちと同時に申し訳ない気持ちにもなる。互いの気持ちを確認しあった狭山と
桐生は、今なによりも側にいたい時期だろう。自分のちょっとした用事のせいで、二人の約束が反故になることが遥には辛かった。
「ずっと、ヒマワリにいたほうがよかったかな……」
遥が呟いた時、目の前に黒塗りの高級外車が停まった。今までの経験から、その車が異様な雰囲気を醸し出しているのがわかる。
身をすくませた瞬間ドアが開き、中から着物を粋に着こなした女性が出てきた。
「遥ちゃん……?だったかしら。初めまして」
美しい人だ。凛とした刃のようなこの女性に、母の面影を見た。その強い瞳が、どこか母……由美に似ていた。
しかし、今まで見たこともない人だ。遥は戸惑いを隠せない。
「あの……どなたですか?」
おずおずと問いかけると、女性は優しく微笑んだ。
「私は、堂島弥生。東城会六代目の母です。四代目……いや、桐生にはいつもお世話になってます」
そういえば、以前桐生に聞いたことがある。五代目会長代行は女性で、いざとなったら男でもかなわない強い心を持った人だと。
遥は慌てて頭を下げた。
「は、遥です。初めまして!あの、おじさん…桐生さんは今こっちにはいないんですけど……御用ですか?」
「あらあら、桐生はあのお嬢さんのところかい?四課の刑事さんとはあの人も酔狂だね」
弥生は呆れたように溜息をつくと、遥と目線を合わせた。
「でも、今回はあなたに会いに来たの。この後予定はあるかな?私とお食事でもしましょう、遥ちゃん」
「私に?」
弥生は遥を連れ、とある料亭に向かった。通りに看板がないのは、そのようなものが必要ないという証である。堂島の名前を出して
通されたのは、静かな庭園内にある茶室のような離れ。庭の敷石に沿って蝋燭の灯りが幻想的に揺れていた。
「本日はどのように」
「そうだね、私はお任せするわ。この子には…子供の好きそうなものを」
「かしこまりました」
給仕が去ると、弥生は髪を整え小さく息を吐いた。
「わるかったね、急にこんなところに連れてきて。警護の面でいろいろあるからあまり賑やかな場所はよくなくてね」
もう取り仕切ってはいないとはいえ、一応会長代行を務めた人間である。影響力を考えると狙われたりすることも少なくないのだろう。
遥は首を振った。
「私のことは気にしないでください」
そうかい?弥生は言いつつ運ばれてきたビールのグラスを手に取った。
「遥ちゃんも、乾杯」
「あ、はい。乾杯」
遥は慌ててジュースを手に取る。弥生は微笑んで一気にビールを飲み干した。
「よかった。遥ちゃんが来てくれて」
「そういえば、なんでおばさんは私のことを?」
首をかしげる遥を弥生は少し悲しそうな瞳で眺めた。
「一度、謝らなければならないと……思っていたから」
遥はグラスを置いた。弥生が自分に謝らなければならない理由とは、なんなのだろう。
「謝る?どうしてですか?」
「そうだね、急に言われてもわからないね」
弥生は苦笑する。少しの沈黙の後、彼女は静かに顔を上げた。
「あなたのお母さんや、錦山、桐生達の運命を狂わせた発端。それを生み出したのは、他でもない私の夫なのだから。
……あなたは、そのことを知っているんだろう?」
遥は視線を落とした。桐生が刑務所に入る原因となった事件、はっきりとは聞いてはいないが、何があったのかは周囲の人たちの
話をつなぎ合わせたら容易に想像できた。あの時、母に何があったのかも。
「もう、終わったことですから」
搾り出すように遥は告げた。弥生は眉をひそめ、首を振る。
「終わってなんかいない、少なくとも私には。どんな償いをしたって償いきれるものじゃない。本当に、申し訳なかったね」
「もう、もういいんです。だって、変な話だけどあのことがなかったら私は生まれなかったし、おじさんにも会えなかった。
お母さんが死んでしまったのはすごく悲しいけど、今でも少し泣きそうになるけど、もう平気だし……今の生活も好きなんです。」
それを聞き、彼女は大きく溜息をついた。遥に理解があればあるほど、心が痛んだ。
「強い子だね、話に聞いた由美さんとよく似ていること。あの人も、なんであんなできた人に酷いことを……馬鹿だね」
「そのひとがお母さんを好きになった理由は、よくわかります」
遥が弥生の顔を覗き込む。彼女は驚いて遥を見返した。
「だって、お母さんはおばさんによく似ているもの。すごく綺麗で、とっても強くて、優しいの」
似ていた?由美という女と私が?弥生は思わぬ言葉に胸を突かれた。
考えてもみなかった、そんなこと。あのひとはいつも何も言わない。強引で、思い通りにならないとすぐ怒っていたあのひと。
外に女も沢山いた。由美という女に入れあげた時も、いつもの病気だと思った。その由美に似ている?それでは何故あのひとは
その女を自分のものにしようとしたの。私なら、すぐ側にいたのに。いつもあなたの後ろにいたのに。
弥生はしばらく遥を見つめ、ふと俯くと目頭を押さえた。再び顔を上げたときには弥生は元の優しい彼女だった。
「……もう、仕方ないね、男ってやつは!手当たり次第に女作って、そうかと思えば突然『惚れてた』とか言いだしてさ。
あたし達の気持ちなんて何にも分かっちゃいないんだから!」
「ほんとだね、何にもわかっちゃいないんだから」
彼女のまねをして言った遥がやけに大人びていて、弥生は声を上げて笑った。
「遥ちゃんも言うね。よし、今日はおなか一杯食べようか!」
「うん!」
二人は運ばれてきた料理を食べながら、大いに笑って大いに語った。こんな風に過ごせる日が来ることを、初めに思いもしなかった。
罵られることさえ覚悟していた弥生には、嬉しい誤算だったようだ。その間にも夜は更け、月が優しく満ちている。
「遥ちゃん、もしよければなのだけど」
帰りの車中で弥生がきりだした。遥が首をかしげると、弥生は驚くべき申し出をしてきた。
「あなた、うちの子にならない?」
弥生からの申し出の内容はこうだった。由美の件のお詫びも兼ねて、遥のことはこれから自分が世話させて欲しい。もし、このままの
生活が送りたいのであれば、桐生が不在な時だけでも自宅に滞在してくれればいい、とのことだった。
正直、桐生の不在時のみにヒマワリにいるのは遥も肩身が狭かった。ヒマワリの経営状態も良くなってはきているが、まだまだ園児
たちを養うのに金銭面で苦労が絶えないという話もきいたことがある。そして、一番遥が気を遣ったのは他の園児たちと自分との境遇
の差である。自分は他の園児達とは違い、家族ができている。外で待っている家族がいるのに、その人物がいない間だけここにいる
というのは、いくら以前ヒマワリにいたからとはいえ他の子供達に言わせたら我侭というものだった。遥は心を固めた。
「おじさん、私おじさんがいないときは堂島さんのおうちにいる。だから、おじさんは気にしないでいつでも留守にしてもいいよ」
ある日の夕食時、のんびりお茶をすすっていた桐生は文字通り噴きだした。
「な…んだって?遥、堂島さんって誰だ。堂島っていったら俺の知っている限りでは……」
ひとしきりむせた後、やっと言葉を発した桐生は目に見えてうろたえていた。遥はお茶にまみれたテーブルを拭きながら頷いた。
「うん、おじさんも知ってる堂島弥生さんのおうち。来てもいいって言われたの」
それを聞き、桐生は遥が食器を全て片付けて目の前に座るまで沈黙していた。
「遥、ヒマワリでなにかあったのか?」
「なにもないよ。でも、ヒマワリはお金がないし、少しでも子供が減ったら助かるんじゃないかなって思ったの。」
「なんで、堂島の家なんだ?」
「おばさんがね『他の女のところに通いつめて寂しい思いをさせる男なんて捨てて、うちに来なさい』って言ってた。あ、これ私が考え
たんじゃないよ。おばさんがそのまま言えって」
桐生は頭を抱える。そんなことまで話したのか遥……しかし、弥生に迷惑をかけるわけにはいかないのだが。彼は遥を見つめた。
「俺は遥に寂しい思いをさせたのか?それなら俺は狭山とは……」
「そんなこと言ったらおじさんのこと嫌いになるから」
遥は怒ったように告げた。その妙な気迫に桐生は口ごもる。
「私は寂しくないよ。でも、いろいろ考えたの。考えて堂島さんのおうちに行こうと思ったの。それに、ずっとあっちにいるわけじゃないよ。
おじさんが留守にするときだけ。ね、いつもとかわらないよね?」
「……姐さんに、聞いてみる」
それだけ言って、桐生は外に出た。携帯をかけると、弥生はすぐに出た。
『桐生かい?前は世話になったね…』
「弥生姐さん、遥のことですが…本気ですか?」
『何言ってんだい。あの子から何も聞いてないのかい?遥ちゃんの言ったことが全部だよ』
「しかし、姐さんに迷惑をかけるわけには…」
『ああもう、女の決めたことに四の五の言いなさんな!男なら黙って見守っておやり!』
ぷつりと電話は切れてしまった。こうまで言われては桐生も反対のしようがない。肩を落として帰ると、玄関で待っていた遥に苦笑した。
「姐さんに、迷惑かけないようにな」
「うん!」
そして、本日遥は晴れて桐生の許しを得、堂島の本宅に来たというわけだ。インターホンでニ、三言話すと大きな門が開いた。
入ってもよいということだろう。遥は門をくぐった。
「うわー……」
目の前には広々とした石畳が伸び、左右には白い砂利を敷き詰めた空間が広がっている。目の前には豪奢な純和風の建物が見える。
遥が珍しそうに辺りを眺めながら歩いていくと、更に珍しそうに警備の組員達が彼女を眺めた。建物にたどり着くと組員の一人が
遥に応対した。
「姐さんから話は伺ってます。こちらに」
建物もかなり広い。会長の本宅というくらいだから当然か。案内されるまま奥へ行くと、私室に弥生が待っていた。
「あぁ、来たね」
「はい。よろしくおねがいします」
弥生は早速自宅の中の一室へ遥を案内する。
「ここにいる間はこの部屋が遥ちゃんの部屋だよ。自由に使いな」
この部屋も広い。この部屋だけで桐生と住んでいるマンションくらいあるだろうか。荷物を置くと、弥生はすまなそうに告げた。
「来たばかりで申し訳ないけど、今日は私も東城会本部にいなければいけなくてね。遥ちゃんももしよかったら来るかい?」
東城会本部。何度か桐生の口から聞いた場所だ。彼女は元気よく返事した。
「はい!行きます!」
東城会本部は本宅から程近い場所にある。以前ここで桐生が大立ち回りをやらかしたのを、遥は街頭で見たことがあった。
ここも本宅に負けず広大な敷地を有している。本部の大きさは関東を代表する組織、東城会の規模を物語っていた。
二人を乗せた車は本部の正面に停められる。建物に続く道の両側に組員達がずらりと並んだ。
「姐さん、お疲れ様です」
皆は頭を下げる。しかし、いつもと違い、頭を下げた先には弥生のものとは違う小さな足が見えた。
「え……?」
上目遣いに見るとそこの先で少女が笑っている。
「こんにちは!」
「あ、こ、こんにちは」
遥の無邪気な挨拶につられ、組員は挨拶を返してしまう。弥生はその様を愉快に眺め、皆に言い渡した。
「ちょっと故あって、これからちょくちょくこの子がここに来ることになるから、そのつもりで。ある程度自由にさせてやって」
はい、と皆は返事をする。遥は小さく頭を下げると、弥生の後を追った。
「それじゃ、私はちょっと行ってくるから。遥ちゃんは自由に歩きまわっていて。用事が終わったら二人で買い物に行こうね」
「おばさん、お仕事頑張ってね!」
遥の言葉を聞き、弥生は無言で戻ってきた。きょとんとしている遥に彼女は詰め寄る。
「ずっと気になってたんだけど。おばさんはやっぱり嫌だなぁ、遥ちゃん。まったく、郷田のガキの『オバハン』といい、どいつもこいつも
人を年増扱いして私最近落ち込んでいるの。……だから、名前で呼んでね?というか、名前で呼びな。」
笑顔ではあるが、弥生のただならぬ雰囲気が恐怖を感じる。遥は何度も頷いた。
「は、はい。お仕事頑張ってください……弥生さん」
それで満足したのか、弥生は嬉しそうな顔で手を振り去っていった。遥はほっとして辺りを見回す。
高い天井。広いホール。中では何人もの組員が歩き回っていた。皆がせわしなくしていると遥も何かしなければいけないような
気になる。しばらくきょろきょろしていたが、やがて奥へと歩いていった。
「それで、神室町の件の事後処理はできているか?協力してくれた外部の系列組員達への謝礼も考えないとな」
本部の一室で、せわしなく指示を出す青年がいる。まだ若い彼の言葉を年上の組員がよく聞いている。関西やジングォン派との
一件で東城会もかなりの打撃を受けた。それをここまで立て直せたのは青年の生来の資質と並々ならぬ努力に他ならないだろう。
今やこの六代目会長堂島大吾は組員達の大多数の支持を得ていた。
「失礼しまーす」
「あと、殺された幹部の後釜、候補を出しといてくれ。直に会って話をしてみた…」
「皆さんお疲れ様です~お茶どうぞ」
「おい……」
「あ、コーヒーがいいですか?ちょっと待ってくださいね」
「なんでこんなところに子供がいるんだよ!」
大吾が思わず立ち上がる。目の前にはお盆を持った遥が首をかしげている。当然のようにお茶をすすっている組員達は、逆に大吾の
反応に驚いていた。
「姐さんが連れていらっしゃったんですよ。今日、突然に」
「お袋が?」
改めて遥を見る。彼女は思い出したように深々と頭を下げた。
「弥生さんにお世話になることになりました遥ですよろしくお願いします。えっと……お兄さん、だれ?」
大吾は一時休憩ということにして組員達を外に出すと、遥がここに来ることになった経緯を聞いた。話を聞けば確かに遥を世話したい
という母の気持ちも納得できるが、こんな少女を東城会にまで連れてくるとはつくづく酔狂としか言いようがなかった。
そういえば、桐生と行動していた時彼から彼女の存在を聞いたことがある。それが彼女だったのかと今納得した。小さいのにこんな
ところでも萎縮しない度胸、大人の中で場を読み臨機応変に対応する機転は、それまで彼女が生きてきた世界で叩き込まれたのに
他ならない。それと、彼女もまた桐生の背中を見て育ったのだ。大吾は遥に昔の自分を見る思いだった。
「大吾お兄ちゃんは東城会の六代目なの?」
お兄ちゃん、突然遥にこう呼ばれ大吾は面食らう。今まで兄貴とは呼ばれていたが、遥にこんな風に呼ばれると気恥ずかしいものだ。
彼は遥に背を向けると照れたように何度か咳払いをした。
「あ、ああ……そう認められればいいと思うけどな」
「誰も認めてくれないの?」
素直に聞き返す遥をちらりと見、大吾は窓にもたれかかって宙を睨んだ。
「周りだけじゃない。自分でもまだ認めちゃいない。俺はあの時何もできなかった。龍司には軽くあしらわれて、桐生さんの後をついて
歩いていただけだ。人としても、極道としても俺はまだヒヨっ子なんだ。こんな状態で六代目なんて恥ずかしくて言えやしねえよ」
「お兄ちゃんは、すごいな。ちゃんと弱い自分とも向き合えるんだね」
思わず遥を見ると、彼女は両手を後ろで組み俯いた。彼女の綺麗な黒髪が肩をすべる。
「私はまだダメ。自分の気持ちから逃げちゃって……あ、私と一緒にしたらだめだよね。ごめんなさい」
「いいんじゃないのか?」
顔を上げた遥の目前に大吾が歩み寄る。その表情はとても優しい。
「俺も最初は逃げたぜ、いろんなものから。でもな、そんなことやっててもいつか嫌でも向かい合う時が来るんだ。自分の気持ちって
奴に。だから、それまで目一杯逃げとけ」
「いいのかな?」
「構うかよ。お前がどんな気持ちから逃げたいのかはわからないけどな。そうだな、小学生ならテストの0点隠してる事とか?」
「もう!そんなことじゃないよ~!」
怒り出す遥をかわしながら、大吾は声を上げて笑う。
「もしくは逆上がりができないことだろ!」
「違うよ!大吾お兄ちゃんの意地悪!」
遥が大吾に抗議するうち、二人は場所を忘れて追いかけっこを始めた。と、その時部屋の扉がけたたましく開く。
「大吾!遥!ここをどこだと思ってるんだい!静かにおし!」
弥生が文字通り仁王立ちだ。二人は姿勢を正して頭を下げる。
「すみませんでした……もうしません」
「悪い」
まったく、と弥生は両手を腰に当て溜息をついた。
「会った当日に仲がいいこと。遥ちゃんはおいで、大吾はやることやんな」
遥が先に部屋を出て行った弥生の後をついていくと、大吾に呼び止められた。
「おまえ…遥っていったか?」
「うん」
「ま、なんだ……よろしくな」
遥は嬉しそうに大きく手を振った。
「また遊んでね、お兄ちゃん!」
大吾が小さく手を振り返すと、彼女と入れ替わりに組員が入ってきた。彼は慌ててその手を下ろす。
「これから少し賑やかになりますね。うちも」
「そうだな。腑抜けてもらうのも困るが、少しくらいならいいんじゃないか?」
はは、と男は笑うと興味深く大吾を見た。
「大吾さんがあんなに楽しそうなのは初めて見ました。よかったですね、妹さんができて」
「ば、馬鹿野郎。子供に付き合ってやってるんだよ!ほら、続きやるぞ」
大吾は思わぬツッコミにわざと声を荒げ、席についた。
ま、嫌ではなかったけどな。彼は小さく笑い、少し冷えてしまったが彼女の入れてくれたお茶を飲んだ。仕事はまだまだ終わりそうに
ない。
弥生と遥はデパートの子供服売り場に来ていた。色とりどりの子供らしい衣装が所狭しと並んでいて、弥生は次から次へと
店員に持ってこさせ、遥に当ててくる。
「ちょっと、遥ちゃんこれいいんじゃない?似合うわ~買ったげる」
「あ、そんな、いいですから。あまり弥生さんにこういうことさせたらおじさんに叱られてしまいます」
遥が恐縮すると、弥生はいいんだよ、と手を振った。
「桐生には私が言っとくから。それに私、一度でいいから娘とこういうことしたかったの。息子なんて親に迷惑ばっかりかけて、
そうかと思えばいつのまにか大人になってるし。可愛くないったら。どうせ桐生だって服のことに無頓着なんだから、
遥ちゃんが同じ服着ているのにも気付かないんでしょ。あ、これ包んでくださる?支払いはカードでね」
「困ります~ちょっとお世話になるだけなのに……」
遥はその買い物の量に驚き、困り果ててしまった。弥生はまだまだ買う気のようだ。引き止めても止まってくれる人ではないだろう。
それにね、弥生は遥を見つめて嬉しそうに笑った。
「さっきの大吾、あんなリラックスした顔は久しぶりだったから、遥ちゃんには感謝しているの。あの一件からすぐ跡目に決めてしまった
から、事後処理や引継ぎ、それに新しい仕事も出てきたでしょう?あの子は気が休まる暇もなかったと思うの。それを遥ちゃんが
息抜きさせてくれたから、そのお礼もね」
「はあ……」
何もしてないんだけど、遥は悩む。弥生は商品を受け取ると近くの組員に持ってくるよう指示した。
「遥ちゃんは、大吾をどう思う?仲良くできそう?」
「大吾お兄ちゃんは優しいです。すごくしっかりしてるし、なんか気が合うかもしれないです」
弥生はくすくす笑い、遥の頭を撫でた。
「それはきっと桐生のせいね」
「おじさんの?」
「あなたも大吾も桐生の後を追いかけて生きてきたから。大吾なんて自分の親よりも桐生のことを尊敬してたんだよ。
どこか似るのかね、同じ男の側にいると……」
遥は弥生の言っていることがなんとなくわかる気がした。大吾と自分は同じ人を見ている。昔も今も、あの龍を背負った広い背中を。
遥はそれを頼りにして、大吾はそれを越えようとする。きっと、自分達は根本的な部分で同志なのだ。遥はそれがなんとなく嬉しくて
歩く弥生を追い越して振り向いた。
「だったらいいな。弥生さんも、さっき叱られた時お母さんみたいだった。ありがとう!」
「なんだい、叱られてありがとうなんて……」
言いながらも、弥生は綺麗に微笑んでいた。
由美、桐生、あんたたちはこの少女をいい子に育てたね。私も及ばずながらこの子の成長に協力させてもらうよ……
二人はまるで親子のように微笑みあい、人波に消えていった。
-終-
(2006・12・19)
PR