後日談
「なにい?相手は東城会六代目だと!?」
激しくちゃぶ台を叩く音と共に、伊達の怒鳴り声が響いた。来客のためにお茶を入れようとしていた沙耶は、目を丸くして振り返る。
台所から見える居間では、不機嫌そうな桐生と伊達が顔を見合わせていた。
嵐の告白騒動の翌日、弥生にはああ言ったが、やはり桐生自身納得できていなかったのだろう。同じように遥を幼い頃から
知っている同志のような伊達に愚痴をこぼしに来たのだ。伊達も、以前から桐生に遥が悩んでいた事を相談されていたこともあり
心配はしていたのだが、まさかこんな結末を迎えているとは思わなかった。難しい顔をして黙りこくる彼に、桐生は苦笑を浮かべた。
「そうなんだ、俺にもまだ信じられなくてな……」
消沈した面持ちで呟く桐生に、伊達は咥えた煙草を落ち着きなくふかしながら唸った。
「まさか、あの遥がなあ……おい、沙耶。お前知ってたんだろ!何で止めなかったんだ!」
沙耶は今しがた入れたばかりのお茶を、お盆に置いてやってくる。彼女は二人の前に茶碗を置くと、慌てたように手を振った。
「私だって遥ちゃんに相談はされたけど、相手の職業まで聞いてないもん!」
「普通聞くだろ、そういうことは!」
どうして自分が叱られなければならないのだろう。沙耶は溜息をついて肩を竦める。伊達は上目遣いに桐生を見た。
「それで、お前どうするつもりなんだ?」
桐生は眉をひそめ、大きく首を振った。
「正直、すぐにでも引き離したい」
「そんな、遥ちゃんの気持ちはどうなるの!?」
悩んでいた時の遥を知っている沙耶は、思わず桐生に詰め寄る。その横で伊達が彼女を小突いた。
「お前は黙ってろ!」
「なんでよ!私だって遥ちゃんに相談された責任があるのよ。話に加わる資格あるじゃない!」
睨みあう親子を困ったように眺め、桐生は二人をなだめた。
「伊達さんたちも、落ち着いてくれ。俺はできることならそうしたいと言っただけだ」
「それじゃあお前、認めるってのか?相手は関東を一手にまとめる極道の頭だぞ!」
声を荒げる伊達を見て、桐生は苦笑を浮かべる。娘を持つ父親として、遥の事は他人事とは思えないのだろう。ましてや、伊達は元々
四課にいた刑事だ。極道と言う生き方の表と裏をよく知っているだけに、遥をその只中に放り込む真似など考えられないというわけだ。。
それは、桐生にしてみても大いに同意する。極道であった己のやってきたことを振り返れば、当然のことだ。しかし、彼女にああ言った
手前、そうもいくまい。
「一度許した以上、当分は様子を見るつもりだ。それに、今は良くても、この先何が起きるかわからねえだろ。もし問題を起こすよう
だったらすぐにでも別れさせるさ」
「……お前も、苦労するな」
伊達は心底同情したように溜息をつく。自分が大切にしていた娘が、よりにもよって極道と付き合い始め、しかも相手は娘より20も
年上で逮捕歴有り。おまけに二人が手に手を取り合って思いを伝え合う光景まで目の当たりにした桐生の心中は、いかばかりかと思う。
それを自分に置き換えたら、きっと彼のように冷静ではいられない。間違いなく、刺し違える覚悟で二人を引き離すだろう。
疲れたように頷く桐生の横で、沙耶は「でも、いいなあ。情熱的じゃない」と羨ましそうに声を上げる。そんな彼女をもう一度小突き
伊達は問いかけた。
「遥はどうした?今日は一緒じゃないのか」
桐生は苦笑を浮かべ、沙耶の入れてくれたお茶を手に取った。
「ああ、本部に行ってる」
遥は東城会本部の門を前に。長い間逡巡していた。なんといっても、昨日の今日である。夢中だったとはいえ、あれだけの騒ぎを
起こしたのだ。当然組員も、会長室で何があったのか知っていることだろう。思い返すと、なんて大胆な事をしただろうと思う。
組員の反応も気になるが、やはり一番気にかかるのは大吾のことだ。互いの気持ちを伝え合ったはいいが、どんな顔をして会えば
いいのか皆目わからない。しかし、ここで悩んでいてもしょうがない。遥は意を決したように足を踏み出した。
「あ、遥さん」
門の傍にいた構成員に、早々に声をかけられ彼女はぎくりと立ち止まる。ゆっくりと視線を動かすと、彼は微妙な表情で遥を見た。
「昨日は……お疲れ様です」
何と言っていいのかわからなかったのだろう。間の抜けた挨拶をしてきた構成員に、彼女は曖昧に笑ってみせた。
「大変お騒がせしました……」
二人はしばらくなんともいえない笑みを浮かべて顔を合わせていたが、遥がその場を立ち去ろうとすると彼は戸惑いがちに声をかけた。
「あの!俺、遥さんのこと応援してますんで!」
そう言われても、何を応援するというのか。彼女は不器用ながらも温かい言葉をかけてくれた構成員に、手を振った。
「ありがとう」
恥ずかしそうに告げ、彼女は本部に向かって歩いていく。彼の一言で少し元気が出た、これなら大吾とも普通に顔を合わせられそうだ。
ホールに入った彼女は、階段を上がり会長室に向かう。すると、遠くから構成員達の声が聞こえてきた。曲がり角から顔を覗かせると
丁度出かけるところらしい、大吾が数人の男達を従え、何事か話しながらやってくるのが見えた。
「あ……」
声をかけようとする遥に、大吾が気付いたようだ。大吾はわずかに表情を変えたが、特に声をかけることもなく彼女を一瞥し
再びそばに控える男に続けて指示を出す。そうしているうちに二人はすれ違い、本部を出て行く彼を遥は二階からぼんやり見送った。
「行っちゃった」
気が抜けたように遥は呟く。その様子を見ていた構成員の1人が、彼女に声をかけてきた。
「会長はこれから政財界の方々と会食です。帰りは夕方になられるかと」
「あ、そ、そうなんだ。ありがとう」
いいえ、と男達は遥を微笑ましく眺めながら去っていく。その顔は、きっと昨日のことを知っているに違いない。当分こういう日々が
続くのだろうと、彼女は溜息をつきながら今しがた大吾が歩いてきた廊下を進んだ。
会長室の扉を開くと、主のいない部屋は昨日と何も変わってはいなかった。中に進むと、大吾が吸っている煙草の香りが残っている。
遥は彼の机に歩み寄り、革張りの椅子に小さく座った。
「……何も言ってくれなかったなあ」
呟き、遥は机に突っ伏す。特別な反応を期待していたわけではなかったが、もう少し変化があるかと思っていた。しかし、いつもと
違っていても、それはそれで困ってしまうのだが。幸い、大吾は出かけてしまった。彼に対してどんな風に接したらいいか、もう少し
考える事ができるだろう。
「ふぁ……」
ふいに遥の口から欠伸がもれる。そういえば、このところ受験だったり、悩んでいたり、卒業式だったりで、ろくろく眠れていなかった
気がする。彼女は目を擦り、腕を枕にぼんやりと遠くを見つめた。彼の残り香が、安心させるのだろうか。やけに眠くなってくる。
どうせ彼は当分帰ってこない。少し眠っても、まだ考える時間は十分にあるだろう。遥はゆっくりと目を閉じた。
数時間後、大吾は本部の門の前に止められた車から降り立った。彼は疲れたように首を回す。どうも会食と銘打った腹の探り合いが
彼には苦手だった。しかし、有力な政治家がバックにいればそれだけ組織の人間も動きやすくなる。日本の中枢を裏で支配する上で
避けては通れない仕事だった。
彼は出てきたときに顔を合わせた遥を思い出した。しなければならないことが山積みで、何も声をかけてやれなかった。それは
今までだって何度もあったことだが、昨日の今日だというのに我ながら冷たい気もする。
ただ、彼自身も彼女とどう接していいか分からないところがあった。遥は、今まで付き合った女とは明らかに違う存在だし、今まで
単なる妹分で接してきて、すぐに恋人だ何だと思考を切り替えられるほど器用な人間じゃない。
「どうすっかな……」
大吾は困ったように呟き、建物へと向かって歩いていった。
組員達に出迎えられながら、廊下を行く。今までに遥と顔を合わせなかったから、彼女は待ちくたびれて帰ったのかもしれない。
それならそれで正直ほっとするのだが。苦笑を浮かべ、大吾は会長室の扉を開いた。
「……こいつ」
彼は溜息をつく。遥は会長室にいた。しかも机の上に突っ伏したまま安らかな寝息をたてている。こんなところで熟睡できるとは
どれだけ豪胆な少女だろうと大吾は思う。彼は腕を組み、彼女の寝顔を見下ろした。
華奢な体、幼さの残る顔、傍から見ればなんとも頼りなさげで、守られて生きるために在るような子だ。それなのに、知らないところで
沢山悩み、その上で自分の生きる道を掴み取る強さも併せ持っている。
「生意気な奴」
大吾は舌打ちする。おとなしく自分に守られてればいいくせに、彼女はその手をはねのけて1人で歩いていこうとする。その上で
身の程知らずにも『守ってやる』などと言い張るのだ。にわかにそれが悔しく感じられ、彼は眠っている彼女の額を指で弾いた。
「痛……痛あ!」
遥は額を押さえて跳ね起きる。大吾はその様子を冷ややかに見つめ、口を開いた。
「天下の東城会会長室で寝るなんて50年早いんだよ」
「50年も待たなきゃだめなの~?」
遥はぼやきながらふと大吾を見上げる。そういえば、何か重要なことを忘れているような。彼女は思わず立ち上がった。
「わ、わ……」
すっかり寝てしまったので、何も考えていない。大吾を前にして、どうしたらいいだろう。戸惑う遥に、大吾は首をかしげた。
「なんだよ、まだ寝ぼけてんのか?もう一度デコピンするか」
指を弾く仕草をする大吾に、遥は大きく首を振った。
「やだやだ!すごい痛いんだよ、それ!」
「知ってる」
「知っててやってるの!?もう、信じられないよ~!」
怒ったように声を上げる遥を彼は楽しそうに笑う。やっぱり、昨日と今日でも何も変わらない。今までどおりの彼女だ。遥はそんな彼を
ぼんやり眺め、戸惑いがちに口を開いた。
「ね、お兄ちゃん。あのね……」
「大吾」
「え?」
驚いたように声を上げる遥に、大吾は苦笑を浮かべた。
「兄貴じゃねえだろ、もう」
「……いいの?」
恐る恐る尋ねる遥に、彼は顔をしかめた。
「あのな、いつまでもお兄ちゃんとか呼ばれると、犯罪犯してる気分になるんだよ!」
「あ、そ、そうか……そうだね」
遥は小さく何度も頷くと、ぎこちなく微笑んだ。
「……大吾」
唐突に呼ばれ、彼はわずかに身を引く。どうも遥にこう呼ばれるのは違和感が漂う。兄と呼ばれた時くらい慣れるのに時間がかかり
そうだ。大吾は照れたように頭をかいた。
「ああ……それでいい」
「なんか、恥ずかしいね」
遥はそう言って肩を竦める。その顔は、ほのかに赤い。大吾はそっと遥に手を伸ばす、これは夢ではないのだろうか。もし触れたら
その瞬間目が覚めて、あの自己嫌悪の日々に戻ってしまうのではないだろうか。遥は、大吾のそんな不安を感じ取ったのか、彼の
手を取り、自分の頬に当てた。その温かさに、彼は目を細めた。
「夢じゃなさそうだな」
「うん、夢じゃない」
二人の視線が交錯した瞬間、会長室の扉がノックされた。思わず二人が扉の方を向くと、弥生の声がした。
「ちょっと大吾。遥ちゃん、来てるんでしょう?」
「あのババア……」
大吾は舌打ちすると、足早に扉へと向かう。彼は扉に自分の背を預けると、わざとらしく声を上げた。
「遥は中なんだけどな、ちょっと扉の調子がよくないみたいだ」
「え、扉は別に……」
驚いたように声を上げる遥に、大吾は人差し指を口に当ててみせる。思わず口を押さえる彼女を笑い、彼は手招きした。
「遥、ちょっと来い」
「え?うん」
遥は首をかしげてやってくる。扉の向こうでは弥生が苛立ったように声を上げている。
「ちょっと、そんなわけないだろ!あんた、会長室で何してんの?開けな!」
「何もしてねえって。今開けるから……」
呟きつつ、彼は近くまで来た遥の手を引く。急に引き寄せられ、目を丸くしている彼女に大吾は囁いた。
「心の準備しろ」
「え?」
「早く」
遥は彼が何のことを言っているのか、やっとわかったらしい。彼女は顔を真っ赤にして頷いた。
「で、できた」
「確認したからな」
大吾はそっと微笑み、遥の背に回した腕に力を込め、顔を寄せた。
相変わらず外では弥生の声が響いている。会長室の扉はもうしばらく開きそうにないだろう。
PR