歳の離れた人を好きになると、とっても大変。
メイは溜息をついた。
でもそれは、窓の外から見える、黒いコートを着た男に向けられたモノではない。
目が痛むほど青い空にカモメが飛んでいる。
こんな日に何処へも出かけず、自分の部屋に閉じこもるメイ。
メイはせっかくの自由時間を、ベッドに寝ころんで過ごしていた。
彼女の部屋の窓からは、メイシップの甲板が見える。
そこに立つ黒コートの男、ジョニーは彼女の視線に気が付くと、薔薇を投げておどけて見せた。
それを見て、慌ててメイは手を振る。
何故だろう。
そんな彼の仕草にも、メイの心の針はピクリとも動かないのだ。
「参ったなぁ……」
一方ジョニーは、メイに薔薇を投げながら、頭の中では別のことを考えていた。
彼の姫君は、昨日の夕方からずっと心ここにあらずと言った感じだ。
ジョニーは昨日の自分のこと、クルーの中のことをもう一度、思い浮かべた。
別段変わったことは、なかったように思える。
事件と言えばせいぜいディジィーが、皿を十枚割ってしまったことぐらいだ。
それでは、メイの様子がおかしいのは、クルーの外での出来事が原因なのだろうか。
確か昨日は、自由行動の時間があった。
その間に何かが起こったのだろうか。
考え込むジョニーの頭にエイプリルの「過保護すぎは良くない」と言う言葉が張り付く。
ジョニーは「うううむ」と唸ると、「まぁ、そんな日もあるか」とメイシップを下りて、町へ消えてしまった。
メイはそんなジョニーの後ろ姿を、少し潤んだ瞳で見送った。
メイの様子がおかしい理由が起こったのは、正に昨日の自由時間のことである。
「よし! これから夕方まで、各自自由行動!」
予定通り針路も進み、今日の分の仕事も滞りなく終わった。
上機嫌のジョニーのその言葉に、クルーの団員は皆両手を上げて喜んでいた。
特に喜びを表していたのは、メイだった。
『これでジョニーとデート出来る!』大喜びでメイはジョニーに駆け寄った。
だが、肝心なジョニーは……。
「じゃぁ夕方に、また」
そう言い、さっさと何処かへ姿を消してしまった。
まるで逃げるように(というか、本当に逃げていた)。
二人で町へ買い物に出かけようと考えていたメイは、頬を膨らませ瞳に涙を滲ませた。
「メイ、そう悲しまないで。私と出かけようよ」
そう気遣うエイプリルの誘いを、メイは断った。
メイはまだジョニーとのデートを諦めた訳ではなかった。
なんとしても町へ出て、彼を捜し、デートにこぎつけるつもりだった。
メイは笑顔でエイプリルに手を振ると、一人町へ買い物に出かけた。
町は人でごったがえしていた。
メイは必死でジョニーの姿を探した。
なんとか人の流れから抜け出し、一息つくと、急に体が重力に逆らい始めた。
見れば何者かの手に抱きかかえられ、彼女の体は宙に浮いていた。
急いで振り返ると、その手の持ち主は顎に髭を生やし、マントをヒラヒラと風に揺らしていた。
そして彼女を、自分のマントの中に躊躇なく押し込めた。
「えええええ! ちょっとちょっと!」
「いや、お嬢さん失礼」
暗闇の中で、そんな会話を交わし、目を開けるとメイの前に大きな石像が立っていた。
「ここは?」
戸惑うメイに、髭紳士は深々と頭を下げた。
「大変失礼した。私の名前はスレイヤー。ここは私の闘技場だ」
「闘技場?」
メイは改めて周りを見回した。
大きな怒ったような顔をした、石像が四体。
その背中には、翼が生えている。
床は大理石で出来ているようだ。
破壊するには少し忍びない気がする。
「一手、手合わせ願いたい」
そう言い、スレイヤーはもう一度、深々と頭を下げて見せた。
「手合わせ? パーティーへのお誘い?」
クルーの中で戦いは、パーティーと呼ばれている。
メイはニヤリと笑うと、碇を構えて見せた。
「これは又、風流な」
不敵に笑いかえすスレイヤーに、メイは碇を持ち上げて答える。
「いいよ! パーティー、パーティー!!」
そう言い、メイは思い切りスレイヤーに飛びかかった。
ますます興味深い、スレイヤーは心の中でそう呟いた。
久し振りに下界を空から見下ろしていると、不思議な少女が目に入った。
細い体に不似合いな、大きな碇を軽々と振り回す彼女。
それに彼女の気配、メイはジャパニーズだ。
スレイヤーの好奇心は、未知との遭遇により、抑えきれなくなった。
「マッパハーンチ!」
「それ、本気?」
スレイヤーの渾身のパンチを、メイは碇を盾にかわす。
そしてそのまま身を屈め、碇と共に体を回転させながら、スレイヤーの元へ突っ込んだ。
「グルグルあたぁああっく!」
「ぐはっ!」
強引にさらったのは、紳士的ではなかったが、未知との遭遇を、易々見過ごす訳にはいかなかった。
「だぁああああっ!」
碇をぐるぐると振り回し、スレイヤーに連続的に碇をぶつけるメイ。
しまいには、イルカを召還しだした。
これはいかん……。イルカを受け止めながら、彼は考えていた。
メイは彼が思っていたよりずっと強いが、本気を出せば心臓を止めてしまうだろう。
これ以上戦えば、知らず知らずのうちに、本気を出してしまうかも知れない。
スレイヤーはメイの攻撃をかわしながら、自分が負けてこの戦いを、収めることにした。
そうとは知らず、メイはまたもや渾身の力で碇を打ち付けてくる。
「参った!」
スレイヤーはそう言うと、メイの手首を捕まえた。
「いやはや、老体にムチを打ちすぎたようだ。すまなかった。降参だ」
釈然としないメイ。だが、スレイヤーの面差しに彼女の心臓がドキリと跳ね上がった。
「だっ、ダンディー」
メイは彼の色気に心を奪われてしまった。
「だっ、駄目よ! 僕にはジョニーがいるんだから!」
訳の分からないことを言うメイに『頭を打ってしまったのか』と心配しながら、スレイヤーはメイをマントの中に再び導いた。
マントを出ると、そこは町外れにある、鄙びた公園だった。
「今日はすまなかったね。何かあったらあれに話しかけてくれ」
そう言い、スレイヤーは町外れにある公園の木に止まった蝙蝠を指差した。
頭が心配だ。もし何か問題が生じれば、闇医者ファウストの所まで連れて行かなくてはならない。
「あれは私の大切な友達だ。あれに言葉を伝えれば、必ず私に伝えてくれる」
そう彼が言うと、蝙蝠は逆さまのままギィィー、ギィーと鳴いて見せた。
「お話し出来るの?」
「あぁ、超音波でな」
そう言い、スレイヤーは左目の瞼を先に閉じてから、左頬を上げる独特のウィンクをしてみせた。
ジョニーとは違う、そんな仕草にもメイはクラッとしてしまう。
そのまま別れ、門限ギリギリでメイシップに戻ったものの、メイは困り果てていた。
「ジョニーを見ればきっと忘れる」
と思っていた気持ちが、彼を見ても解けないのだ。
「えぇい! もう一回スレイヤーに会いに行こう!」
そう言い、メイはベッドを飛び出した。
「何処行くの! メイ!」
エイプリルの声に「お買い物」と答え、メイは町外れの公園へ急いだ。
ジョニーがいないことを願い、メイは町を歩き、公園へたどり着いた。
町中は、昨日よりは人がいない。
公園には、待ち合わせだろうか。
着飾った若い女性が一人、時計台の前に佇んでいた。
メイはこっそりと昨日スレイヤーの教えられた木に、近づいた。
木の陰に隠れていた蝙蝠が逆さまに姿を現した。
「ひゃあ」
そう言い、メイは時計台に目をやった。
待ち合わせの女性は、これからの逢瀬を考えているのだろうか。
メイの小さな悲鳴に気が付かなかったようだ。
胸をなで下ろしながら、メイはその蝙蝠に話しかけた。
「お願い。スレイヤーに会わせて」
その言葉が終わるのと同時だった。
メイの背後から、会いたい人の声が聞こえた。
「呼んだかね」
「スレイヤー」
メイは一目散に駆け寄ると、スレイヤーの懐にしがみついた。
やはり、頭が痛むのだろうか。
そう戸惑いながらも彼はそれを受け止めた。
「何か用かい?」
心配げに尋ねるスレイヤーに、メイはゆっくりと告げた。
「好きになってもいい?」
「それは……」
これこそ困り果てた。
まだ、頭が痛いと言われた方が、楽な相談だったかも知れない。
飽き飽きするほど生きた人生。
今更年の差だの、若すぎる子と恋に落ちるのは不道徳だの、そんな俗世の風習を気にする気はないが、一つだけここ十数年前から気になることが彼にはあった。
シャロン。彼の奥方の名前だ。
彼はシャロンをとても愛している。かけがえのない宝物だ。
だが……目の前にいる少し突けば泣き出してしまいそうな彼女を、彼は突き放すことが出来なかった。
それが、彼のダンディズムだ! ……女性の敵となりうりそうな、ダンディズムだが。
「構わんよ」
身を屈め、メイと視線を合わせながら、スレイヤーはそう言った。
メイは瞳を輝かせながら、もう一度スレイヤーに抱きついた。
そして、彼女は瞳を閉じて見せた。
スレイヤーは、気の早い子だと驚きながらも、メイの額に軽く唇をつけた。
すると、メイは瞳を開き、彼を軽く睨んだ。
『成る程……』スレイヤーは背広を正し、メイの腰に自分の右腕を回し、その細い体を引き寄せた。
それに素直に従うメイ。
そのまま左手で、メイの顎を上げ上へ向かせると、スレイヤーはメイの唇へ自分の唇を重ねた。
メイの閉じられた唇を舌でやや強引に開き、そのまま歯の壁を突き破り、スレイヤーは彼女の舌に自分の舌を絡ませた。
瞳を閉じ、彼女の甘い唇を、スレイヤーはじっくりと味わった。
彼女もきっと、甘美な思いに身を震わせて……。
「ひにゃあああ!」
そう言い、メイはスレイヤーを突き放すと、思い切りその左頬を平手で叩いた。
「なめくじ口にいれるなんて酷い!」
そう言い、メイは泣きべそをかきながら、走って行ってしまった。
「ううむ。額では足らず、大人のキスは否定……、難しいねぇ」
遠ざかるオレンジ色の衣服を見つめながらスレイヤーはひとりごちた。
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