何処までも高く漆黒の空は続いていた。
新月のため月の姿は無く、散りばめられた星のみが辺りを照らす道標となった。
聞こえるのはさわさわと風に揺れ擦れ合う木々の音。
森林の中隠すように広がる草むらにひっそりとメイシップは止まっていた。
それを背に、一人の女性が歩いていく。
栗色の長い髪をたなびかせ、瞳は只前のみを見据えている。
紅の着流しに小さな手荷物だけをお供につれて。
幾分か船から離れたところで彼女は、回りの気配が変わったことに気づき後ろを振り返った。
そこにはここ十数年間想い続けた人が静かな笑みを持って佇んでいた。
黒い快賊服を身に纏い、一輪の赤い薔薇を持ってその人ジョニーはいた。
「メイ。」
昔から何ら変わることの無いトーンでジョニーは彼女――メイの名を呼んだ。
だからメイも、あのころのように彼の名を呼ぶ。
「ジョニー。」
彼は微かに苦笑し、持っていた薔薇をメイに投げる。
驚くほど自然にそれはメイの手の中に収まった。
その花の持つ意味を暫しメイは考えたが、この場に最も相応しいと思われる推測を口にした。
「・・・・見送り?」
「まあな。お前さんの門出を祝って。」
今夜を最後にメイは快賊団を抜ける。
誰にもそのことは話していなかった、告げる気も無かった。
出て行くところを誰にも見られたくなかった。
誰も見たくなかった。
思いとどまってしまうかもしれないから。
きっとそれは『未練』というものなのだろう、と彼女は思う。
長く居すぎた、のだろう、快賊団に、彼の傍に。
決して望んだ答えはくれなかったのだけれど。
彼は云う、「外の世界で平和に暮らせ。」と。
その準備も出来ている、と。
快賊団メイは何処にも存在する必要は無いのだ、と。
どうすれば良いのか分からなくなった。
ヤダ、と一蹴できるほどもう子供ではなかった。
子供だった自分を無くしてしまった時から、何処かが歪み始めていたのだ。
だから、せめて最後はあのころの自分のように。
微笑して。
「ねえ、ジョニー。ボクはきっと、幸せになるよ。」
「それを心から祈ってるさ。」
「祈んなくて良いよ、忘れてくれたってかまわないから。」
これが最後の我侭、だよ?
もう解放してあげよう、メイという足枷から。
今日から彼は自由になる。
彼から発せられる次の科白が怖くて、会話を打ち切った。
「・・・・・・じゃあ、もう行くね。」
再びメイシップに背を向け歩き出す。
振り返りたい衝動を懸命に押さえ、前だけを見据え。
遠ざかっていくジョニーの気配。
追いかけてくれることを、もしかしたらと少なからず希望を持っていたことにメイは軽く自嘲した。
そして追い討ちのようなジョニーの台詞。
「Good-Bye MAY。」
彼が身を翻して船に戻っていったのが分かった。
「バイバイ、ジョニー。」
彼女もポツリとそう言った。
その声は小さすぎて彼には届いていないだろうけれど。
手に持つ薔薇を投げ捨てる。
涙は流さない。
きっともう流れない。
歪んでしまった、壊れてしまった。
これからの自分が起こすであろう行動に、メイは薄暗い表情で口元をゆがませた。
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴った。
家主―――カイ=キスクは飲みかけのティーカップをテーブルに置き、時計を見て首を傾げた。
「?誰だろう?こんな時間に。」
時刻は優に22時を回っている。
仕事関係の人間はもうとっくに帰った後であったし、この時間に連絡なしにここに来る友人もいない。
タチの悪い悪戯かもしれない。
悪戯で済めば良いが、最悪何らかの犯罪とかかわっているかもしれない。
そこまで考えて、さすがに考えすぎかとは思ったが、それでも警戒心を残しつつ扉を開けた。
「・・・・・?!」
扉の前には予想もしていなかった人物がいた。
緋色の着流しから覗くしなやかな身体。
健康美溢れていたそれは今はほのかな色気さえ放っている。
背中まで伸びている栗色の髪は上質の絹のような輝きを持っていた。
前回会った時よりも確実に大人の女性へと変化している彼女。
突然の訪問者は薄く笑みを浮かべながら軽く頭を下げ挨拶をする。
ふわりと髪が舞った。
「・・・・・今晩は。久しぶり、になるのかな?」
「メイさん?」
確信していても確認してしまうのは、以前の彼女と何処かが違うから。
しかしその違いも漠然としていて捉えきれない。
カイの問いかけにメイは静かに首を振った。
「ボクの名前はディアナ=セイクリッド。」
そして聞こえる小さな呟き。
――――もう、メイなんて人物はいないんだよ。
「・・・え?・・・・・・しかし・・・・。」
次の言葉を発する前に、背中にまわされた柔らかな感触、身体に感じる温度に思考を遮られた。
遅れて頭の片隅が状況を理解する。
――――メイが身体を預けてきている。
着物から出ている華奢な腕を精一杯背中にまわし、頬を胸に軽く押し付けて。
甘い芳香が辺りに漂う。
その匂いに導かれるように、カイはメイを抱きしめた。
女性特有の柔らかさ、それでいて少し力を加えれば壊れてしまうような、儚さ。
「お願いがあって来たんだよ・・・・。それさえ叶えてくれれば、その後に『ジェリーフィッシュ快賊団メイ』として捕まえてくれても構わない。」
そこまで言って、メイは顔を上げカイを見上げる。
その彼女を見て、
――――ああ、そうなのか。
カイは彼女に纏わりつく違和感の正体をやっと理解することが出来た。
「・・・・・快賊団の知ってる限りの情報は提供するから。」
眼差しが、違うのだ。
かつてのような澱みの無い、何にも汚されていないそれを彼女は持っていなかった。
ここに在るのは灰色の世界を映すガラス玉だけ。
否、それすらもう映していないかもしれない。
彼女は声にならない声で言う。
――――快賊団を壊滅させて。
薄暗い表情を湛える彼女。
カイは抱きしめる腕に少し力を加えた。
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