どうしようもないことなんて、世の中にはいくらでもある。
例えば傭兵なんて職を選んでしまった以上は、ベースボールの試合が9回裏2アウト満塁だろうと、上等のサーロインが目の前でじゅうじゅう焼けていようと、ベッドの上で女とよろしくやっていようと、召集があれば何もかも放り出して駆け付けなければならない。そのまま2ヵ月も海外に飛ばされて、やっとのことで戻って来たらベースボールはシーズンオフだし、女の携帯電話は着信拒否。上等のサーロインに至っては異臭を放つゲル状の物体になっていて、訳のわからない虫がたかっていた。それ以来、ラルフは自宅で料理を作るのを諦めている。
だが、こればかりはどうしようもない。嫌なら傭兵稼業を止めるしかないのだ。
そこまで行かなくても、世の中はどうしようもないことで満ちている。どんなに雨が嫌いでもいつかは雨の日が来るのだし、どんなに金曜日が嫌いでも7日に1度は必ずやってくる。
少し前まではテロ組織の主要人物だったはずの死体を見下ろして、これもどうしようもないことだよなとラルフは溜息を吐いた。
生かして捕らえろ、という命令だった。この男を手がかりに、組織の全容を暴き壊滅させようという計画だったのだ。だが、運悪く流れ弾が当たったらしい。周囲を制圧した時には、男は既に物言わぬ屍になっていた。
乱戦だったしどうしようもねえよな、さて何枚始末書を書いたらいいのやら、と胸のうちで指折り数え始めたところで、悲鳴が上がった。
「――パパ!?」
まだ幼さの残る声だ。男の娘だった。
娘は傭兵たちの姿など見えていないかのように、まっすぐ父親の死体に駆け寄って取り縋る。悲鳴はすぐに泣き声に変わって、ただパパ、パパと繰り返す。
やがて泣き声はそのまま、娘は振り返る。その手に父親の銃を持って。
震える肩でおぼつかなくこちらを狙う前に、手馴れた傭兵がその銃を取り上げる。だがそれだけで治まるはずもない。よくもパパを、と小さな拳を振り上げたところで、誰かが首筋に軽く手刀を落とした。
崩れ落ちる軽い体を支えて、その傭兵はラルフの方を見た。ラルフは無言で後方を指す。外で待機している連中に引き渡して来いということだ。向こうも無言で了解して、娘を抱えて出て行った。たぶん娘は、どこか施設に引き取られて暮らすことになるのだろう。暗い記憶と怒りを抱えたままで。
こういう場面は何度も見たが、だからと言って慣れるものでもない。子供がこちらに向ける暗い怒りの色。あれに慣れてしまったら、自分たちは傭兵だと言えども何か大切なものを失ってしまうのだと思う。だからと言って避けて通れるものでもないから、傭兵たちはいつも無口に、何も見なかったふりをしてその場をやり過ごすことになる。
しかもこちらには、その泣き声に心の傷をひどく抉られるのがいる。青い瞳がいつもより硬く見えるのは、気のせいだけではないだろう。
「私の撃った弾だわ」
レオナは低く呟いた。
レオナがそう言うなら、おそらく間違いないだろうと思った。どんな乱戦の中でも、それなりの技量があるなら自分の弾の行方は把握できるものだ。撃った角度やらタイミングやらで大体のところは掴める。
掛ける言葉は、ちょっと思い付かなかった。
お前の弾じゃねえよと言ったとしても、それはそれこそ気休めにしかならない。生かして捕らえろというものを殺してしまったのだ。責任の所在を明らかにするため、調査が入る可能性は大きい。そうなれば誰の弾が男の命を絶ったのか、確実にわかってしまう。それにラルフのカンも、あれはレオナの弾だと告げていた。そういうカンをラルフは滅多に外さない。
それでもラルフは、レオナの肩をぽんと叩いて、少しだけ笑って見せる。
「どうってことねえよ」
それしか出てこなかった。
そんなはずはない。あの娘はきっと、青い髪の少女のことを忘れないだろう。子供ならではの不可思議な直感で、きっとあの娘は父親を撃ったのはレオナだと確信している。そう、あの暗い目は確かにレオナを見ていた。いつか復讐のために命を狙いに来るかもしれない。もしその時が来たとしたら、レオナはどうするのだろうか。理不尽な力に父を母を奪われて、しかし復讐の対象を持たなかった少女はどうするのだろうか。
もっと現実的な問題もある。現場の指揮を執ったラルフは責任を追及させるだろうし、始末書の枚数も、その後の処理も考えると頭が痛い。レオナにも何らかの処分はあるだろう。この後始末は大変なことになりそうだ。
それでも、繰り返した。
「どうってこと、ねえんだからよ」
我ながらどうしようもない嘘だよな、と思いながら。
例えば傭兵なんて職を選んでしまった以上は、ベースボールの試合が9回裏2アウト満塁だろうと、上等のサーロインが目の前でじゅうじゅう焼けていようと、ベッドの上で女とよろしくやっていようと、召集があれば何もかも放り出して駆け付けなければならない。そのまま2ヵ月も海外に飛ばされて、やっとのことで戻って来たらベースボールはシーズンオフだし、女の携帯電話は着信拒否。上等のサーロインに至っては異臭を放つゲル状の物体になっていて、訳のわからない虫がたかっていた。それ以来、ラルフは自宅で料理を作るのを諦めている。
だが、こればかりはどうしようもない。嫌なら傭兵稼業を止めるしかないのだ。
そこまで行かなくても、世の中はどうしようもないことで満ちている。どんなに雨が嫌いでもいつかは雨の日が来るのだし、どんなに金曜日が嫌いでも7日に1度は必ずやってくる。
少し前まではテロ組織の主要人物だったはずの死体を見下ろして、これもどうしようもないことだよなとラルフは溜息を吐いた。
生かして捕らえろ、という命令だった。この男を手がかりに、組織の全容を暴き壊滅させようという計画だったのだ。だが、運悪く流れ弾が当たったらしい。周囲を制圧した時には、男は既に物言わぬ屍になっていた。
乱戦だったしどうしようもねえよな、さて何枚始末書を書いたらいいのやら、と胸のうちで指折り数え始めたところで、悲鳴が上がった。
「――パパ!?」
まだ幼さの残る声だ。男の娘だった。
娘は傭兵たちの姿など見えていないかのように、まっすぐ父親の死体に駆け寄って取り縋る。悲鳴はすぐに泣き声に変わって、ただパパ、パパと繰り返す。
やがて泣き声はそのまま、娘は振り返る。その手に父親の銃を持って。
震える肩でおぼつかなくこちらを狙う前に、手馴れた傭兵がその銃を取り上げる。だがそれだけで治まるはずもない。よくもパパを、と小さな拳を振り上げたところで、誰かが首筋に軽く手刀を落とした。
崩れ落ちる軽い体を支えて、その傭兵はラルフの方を見た。ラルフは無言で後方を指す。外で待機している連中に引き渡して来いということだ。向こうも無言で了解して、娘を抱えて出て行った。たぶん娘は、どこか施設に引き取られて暮らすことになるのだろう。暗い記憶と怒りを抱えたままで。
こういう場面は何度も見たが、だからと言って慣れるものでもない。子供がこちらに向ける暗い怒りの色。あれに慣れてしまったら、自分たちは傭兵だと言えども何か大切なものを失ってしまうのだと思う。だからと言って避けて通れるものでもないから、傭兵たちはいつも無口に、何も見なかったふりをしてその場をやり過ごすことになる。
しかもこちらには、その泣き声に心の傷をひどく抉られるのがいる。青い瞳がいつもより硬く見えるのは、気のせいだけではないだろう。
「私の撃った弾だわ」
レオナは低く呟いた。
レオナがそう言うなら、おそらく間違いないだろうと思った。どんな乱戦の中でも、それなりの技量があるなら自分の弾の行方は把握できるものだ。撃った角度やらタイミングやらで大体のところは掴める。
掛ける言葉は、ちょっと思い付かなかった。
お前の弾じゃねえよと言ったとしても、それはそれこそ気休めにしかならない。生かして捕らえろというものを殺してしまったのだ。責任の所在を明らかにするため、調査が入る可能性は大きい。そうなれば誰の弾が男の命を絶ったのか、確実にわかってしまう。それにラルフのカンも、あれはレオナの弾だと告げていた。そういうカンをラルフは滅多に外さない。
それでもラルフは、レオナの肩をぽんと叩いて、少しだけ笑って見せる。
「どうってことねえよ」
それしか出てこなかった。
そんなはずはない。あの娘はきっと、青い髪の少女のことを忘れないだろう。子供ならではの不可思議な直感で、きっとあの娘は父親を撃ったのはレオナだと確信している。そう、あの暗い目は確かにレオナを見ていた。いつか復讐のために命を狙いに来るかもしれない。もしその時が来たとしたら、レオナはどうするのだろうか。理不尽な力に父を母を奪われて、しかし復讐の対象を持たなかった少女はどうするのだろうか。
もっと現実的な問題もある。現場の指揮を執ったラルフは責任を追及させるだろうし、始末書の枚数も、その後の処理も考えると頭が痛い。レオナにも何らかの処分はあるだろう。この後始末は大変なことになりそうだ。
それでも、繰り返した。
「どうってこと、ねえんだからよ」
我ながらどうしようもない嘘だよな、と思いながら。
PR