この国では停電は珍しい話ではない。
だから基地内の電源が全て落ちた時も、誰も驚きはしなかった。テレビでサッカーの試合中継を見ていた誰かが舌打ちしたぐらいだ。
だが、問題はその後だった。なかなか予備電源に切り替わらない。予備電源が作動しても、電力が足りないのか弱々しい非常灯しか点かない。
焦ったのは電源関係全般のスタッフたちだ。
「ええい、何が原因だ? おい予備電源の担当!」
「げ、原因不明です!」
「5分で調べて来い! それで、電圧はどれぐらい確保できてる?」
「通常の10%にも足りませんッ」
「何が何でも医療機器と通信回線とメインコンピューターの電源は落とすなよ!? は? 優先順位だと? 今言った通りだ、医療、通信が最優先だ!」
「メインコンピューターは?」
「コンピューターなんざなくても四半世紀前は戦争やれてたんだ、後回しでいい! 他に何か問題起きてるか?」
「エレベーター停止、何人か閉じ込められている模様。エレベーター内の緊急マイクに電源回します……繋がりました!」
「馬鹿野郎、軍人なら階段使え階段! 足腰弱るぞっ!」
『了解、今後は気を付けるようにしよう』
スピーカーから戻ってきた陰鬱な低い声が、主任担当者の魂もろとも部屋中の空気を凍りつかせるまでに一瞬もかからなかった。
『こちらハイデルン。状況を報告せよ――どうした、状況を報告せよ』
「すいません、2時間……いや、1時間で必ず復旧させますんで!」
結局、察しのいいラルフが駆けつけるまで、部屋の空気は凍りついたまま溶け出さなかったらしい。
スピーカー越しのラルフの声の向こうには、クラークの大声が聞こえる。何か指示を飛ばしているのだろう。たぶんその更に向こうでは、技術者たちが走り回っている。
「……スケジュールに1時間余裕ありますかね、教官。なけりゃ電力そっちに全部回すなり人力なりで、意地でもその檻、動かしますが」
「余裕はないが、後回しに出来ないものでもない。緊急事態が起きればその限りではないが」
「了解。それじゃ、最低限の空調と通信回線残して電源落としますよ。ちっと休憩ってことで頼みます」
「了解した」
ふっと非常灯が落ち、エレベーターの中は闇に包まれる。ハイデルンはひとつ溜息を吐くと、闇を良く透かす目で隣に立つレオナを見た。父と狭い空間に閉じ込められた養女は、直立不動の姿勢で上官の指示を待っている。
「聞いてのとおりだ、1時間は動かん。その間に休息を取るように」
「了解」
ハイデルンがエレベーターの床に腰を下ろすのを見て、レオナもそれに倣った。レオナも夜目が良く利く。そういう風にハイデルンが育てた。
「私は少し仮眠を取る。お前も少し寝るといいだろう。ここから出たら、この1時間分以上にあれこれ仕事が増えているはずだからな」
原因の追究、担当技術者の責任、ひいてはその上官の責任――軍では部下1人叱責するにも、手順が多くてややこしい。ハイデルンが直接叱り飛ばせる、ラルフやクラークは例外中の例外だ。
今夜ベッドに入るのは予定の3時間遅れだな。そんなことを思いながら、ハイデルンは上着を脱ぎ、エレベーターの壁に体を預けて座ったまま眠る姿勢を取った。
その腕が、小さく引かれた。
「……座位での30分以上の睡眠は、却って疲労を溜めます」
「横になれ、と?」
こくり、とレオナが頷く。
長い軍隊生活で、座っていようが立っていようが、眠り体力を回復させる術ぐらい身に付けてはいる。だが、確かに横になった方が楽には楽である。
幸い基地のエレベーターは、乗せる人数とその体格に合わせて充分以上に広い。実際ハイデルンの長身が横たわっても、まるで問題のないサイズだった。
自分の腕を枕に、今度こそと目を閉じたハイデルンの腕が、また小さく引かれた。顔を上げると、闇の中でもまだ鮮やかな青い髪を揺らして、レオナが戸惑いながらこちらを覗き込んでいた。
それは部下ではなく、娘としての顔のようにも見えた。
一通り技術者たちに指示を飛ばし、電気関係の得意な整備班の連中やら傭兵たちやらを応援に行かせて、ラルフはとりあえず一息ついた。
これから自分自身も応援に行くつもりだ。クラークはとっくに行っている。少なくとも2人とも電子回路制御の爆薬の設置・解体ぐらいはできるわけだから、全くの素人というわけではない。充分戦力である。
それじゃあ俺も参戦するらここを離れますよ、とエレベーターの中の2人に呼び掛けようとして、ラルフは出掛かった声を飲み込んだ。
万が一に備えて電源を回されていた、エレベーター内の監視カメラのモニタには闇ばかりが映っている。だがその、一見闇に塗りつぶされた映像から、不幸な当事者2人の輪郭を見るぐらいは出来た。なにしろラルフも夜目が利く。
そしてラルフは、無言のままモニタのスイッチを切った。事故は事故だが貴重な「親子水入らず」の時間だ。邪魔をするのは野暮じゃないか、と。
エレベーターの中ではハイデルンが眠っている。レオナだけに見せるその寝顔は穏やかで、かつて彼を苦しめた悪夢からは縁遠い。
それもそうだ。愛する娘の膝が枕なら、悪夢も寄る辺がないだろう。
娘の膝枕で、死神と呼ばれた男が1時間だけの穏やかな夢を見る。
だから基地内の電源が全て落ちた時も、誰も驚きはしなかった。テレビでサッカーの試合中継を見ていた誰かが舌打ちしたぐらいだ。
だが、問題はその後だった。なかなか予備電源に切り替わらない。予備電源が作動しても、電力が足りないのか弱々しい非常灯しか点かない。
焦ったのは電源関係全般のスタッフたちだ。
「ええい、何が原因だ? おい予備電源の担当!」
「げ、原因不明です!」
「5分で調べて来い! それで、電圧はどれぐらい確保できてる?」
「通常の10%にも足りませんッ」
「何が何でも医療機器と通信回線とメインコンピューターの電源は落とすなよ!? は? 優先順位だと? 今言った通りだ、医療、通信が最優先だ!」
「メインコンピューターは?」
「コンピューターなんざなくても四半世紀前は戦争やれてたんだ、後回しでいい! 他に何か問題起きてるか?」
「エレベーター停止、何人か閉じ込められている模様。エレベーター内の緊急マイクに電源回します……繋がりました!」
「馬鹿野郎、軍人なら階段使え階段! 足腰弱るぞっ!」
『了解、今後は気を付けるようにしよう』
スピーカーから戻ってきた陰鬱な低い声が、主任担当者の魂もろとも部屋中の空気を凍りつかせるまでに一瞬もかからなかった。
『こちらハイデルン。状況を報告せよ――どうした、状況を報告せよ』
「すいません、2時間……いや、1時間で必ず復旧させますんで!」
結局、察しのいいラルフが駆けつけるまで、部屋の空気は凍りついたまま溶け出さなかったらしい。
スピーカー越しのラルフの声の向こうには、クラークの大声が聞こえる。何か指示を飛ばしているのだろう。たぶんその更に向こうでは、技術者たちが走り回っている。
「……スケジュールに1時間余裕ありますかね、教官。なけりゃ電力そっちに全部回すなり人力なりで、意地でもその檻、動かしますが」
「余裕はないが、後回しに出来ないものでもない。緊急事態が起きればその限りではないが」
「了解。それじゃ、最低限の空調と通信回線残して電源落としますよ。ちっと休憩ってことで頼みます」
「了解した」
ふっと非常灯が落ち、エレベーターの中は闇に包まれる。ハイデルンはひとつ溜息を吐くと、闇を良く透かす目で隣に立つレオナを見た。父と狭い空間に閉じ込められた養女は、直立不動の姿勢で上官の指示を待っている。
「聞いてのとおりだ、1時間は動かん。その間に休息を取るように」
「了解」
ハイデルンがエレベーターの床に腰を下ろすのを見て、レオナもそれに倣った。レオナも夜目が良く利く。そういう風にハイデルンが育てた。
「私は少し仮眠を取る。お前も少し寝るといいだろう。ここから出たら、この1時間分以上にあれこれ仕事が増えているはずだからな」
原因の追究、担当技術者の責任、ひいてはその上官の責任――軍では部下1人叱責するにも、手順が多くてややこしい。ハイデルンが直接叱り飛ばせる、ラルフやクラークは例外中の例外だ。
今夜ベッドに入るのは予定の3時間遅れだな。そんなことを思いながら、ハイデルンは上着を脱ぎ、エレベーターの壁に体を預けて座ったまま眠る姿勢を取った。
その腕が、小さく引かれた。
「……座位での30分以上の睡眠は、却って疲労を溜めます」
「横になれ、と?」
こくり、とレオナが頷く。
長い軍隊生活で、座っていようが立っていようが、眠り体力を回復させる術ぐらい身に付けてはいる。だが、確かに横になった方が楽には楽である。
幸い基地のエレベーターは、乗せる人数とその体格に合わせて充分以上に広い。実際ハイデルンの長身が横たわっても、まるで問題のないサイズだった。
自分の腕を枕に、今度こそと目を閉じたハイデルンの腕が、また小さく引かれた。顔を上げると、闇の中でもまだ鮮やかな青い髪を揺らして、レオナが戸惑いながらこちらを覗き込んでいた。
それは部下ではなく、娘としての顔のようにも見えた。
一通り技術者たちに指示を飛ばし、電気関係の得意な整備班の連中やら傭兵たちやらを応援に行かせて、ラルフはとりあえず一息ついた。
これから自分自身も応援に行くつもりだ。クラークはとっくに行っている。少なくとも2人とも電子回路制御の爆薬の設置・解体ぐらいはできるわけだから、全くの素人というわけではない。充分戦力である。
それじゃあ俺も参戦するらここを離れますよ、とエレベーターの中の2人に呼び掛けようとして、ラルフは出掛かった声を飲み込んだ。
万が一に備えて電源を回されていた、エレベーター内の監視カメラのモニタには闇ばかりが映っている。だがその、一見闇に塗りつぶされた映像から、不幸な当事者2人の輪郭を見るぐらいは出来た。なにしろラルフも夜目が利く。
そしてラルフは、無言のままモニタのスイッチを切った。事故は事故だが貴重な「親子水入らず」の時間だ。邪魔をするのは野暮じゃないか、と。
エレベーターの中ではハイデルンが眠っている。レオナだけに見せるその寝顔は穏やかで、かつて彼を苦しめた悪夢からは縁遠い。
それもそうだ。愛する娘の膝が枕なら、悪夢も寄る辺がないだろう。
娘の膝枕で、死神と呼ばれた男が1時間だけの穏やかな夢を見る。
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