誰かが基地の食堂に黄色いカボチャを飾り、その翌日には他の誰かがナイフを持ってきてそれを器用にくり抜いた。それを見た誰かがそろそろハロウィンだっけと呟き、それじゃあ菓子を用意しなきゃと誰かが頷く。
10月の半ばのことだった。
「ヘソ出し魔女とか、ミニスカ吸血鬼ってのも定番でいいんだけどな。リアル路線なら幽霊館のメイドさんとか似合いそうだし……あ、これどうだ。殺人赤ずきんちゃん」
「……別に何でもいい」
「なんだなんだ。せっかくのハロウィンだってのに嫌そうじゃねえか。ほらレオナ、お前どれ着たいよ」
「だから、どれでもいい」
「……あー、俺やっぱり一緒に来て良かったわ」
ショッピングモールで絶賛売出し中のハロウィンの衣装の前で、ラルフは掛け値なしの本音を吐いた。レオナのテンションの低さはいつものことだが、これはどん底レベルだ。本気でやる気がない、あるいは本気で嫌がっている。これを1人で来させていたら、きっとまともな買い物にはならなかっただろう。
だからといって、適当に選んで押し付けるのでは意味がない。せっかくのイベントだ。楽しめないなら意味がない、と思っているラルフとしては、当然レオナの説得に取り掛かる。
「いやさ、お前がこういう馬鹿騒ぎが好きじゃないってのはわかってんだよ。わかってんだけどさ、ハロウィンのお化け役なんて若いやつがやらなきゃ絵にならねえだろうが。俺が狼男なんかやったって、誰も菓子くれてやろうなんて気分にゃならねえぞ」
「わかってるわ。だから昨年だってちゃんとやったじゃない」
「シーツかぶって「幽霊です」って、ありゃちゃんとやったうちには入らねえぞ」
ラルフは昨年のことを思い出して苦笑した。小さな子供ならともかく、長身のレオナが普通のシーツをかぶっても丈が足りるはずもない。長い足がほとんどはみ出してしまった幽霊を見て、ラルフは頭を抱えたのだ(その後、急いでラルフとクラークのシーツを繋いでやったのも、今ではいい思い出かもしれない)。
「まあ、お前1人にしちゃ良くやったよ。準備を手伝ってやらなかった俺が悪かった。だから今年はこうやって、一緒に買い物に来たんじゃねえか。ほら、どれでも買ってやるから好きなの選べ」
「どれでもいいって言ってるじゃない」
レオナはひたすら不機嫌だ。それどころか、あまり豊かとは言えない表情をフルに使ってまで「嫌」と主張している。珍しく口元まで尖らせているのを見て、ラルフはつい吹き出しそうになった。レオナとの付き合いは短くも浅くもないラルフだが、こんなレオナは滅多に見たためしがない。歳相応と言えばそれまでなのではあるのだが、普段とのギャップが凄くて妙に笑いを誘う。
だが、レオナがさらに嫌な顔をするのを見て、さすがにラルフも笑いを引っ込めた。目が真剣に怒っている。
「悪い悪い、今のは俺が悪かった。でもな、いい加減に諦めろ。気の早いやつなんか、もう部屋に菓子用意してんだぞ」
「甘いものはそんなに好きじゃない」
「そんなのその場で受け取るだけ受け取って、あとで休憩室にでも積んどけば誰かが食うって! それも気が引けるなら俺が食うし、頼むから今年も手伝ってやってくれよ。部隊最年少の務めだと思ってさ」
「やらないなんて言ってないわ。ただ……」
「ただ、つまらねえんだろ」
突然、ずばりと切り込んむような言葉だった。レオナの表情が変わる。図星だったらしい。
「つまらねえんだろ。理由を当ててやろうか? お前、誰かの代わりにされるのがつまらねえんだろ?」
ラルフはそのまま、ずかずかとレオナの本音に足を踏み込む。
「そうだよ。傭兵なんかやってるやつはみんな、家族とかそういうもんに縁が薄いからな。だから生き別れの弟妹だとか子供だとか甥っ子姪っ子だとか、下手すりゃ親父だお袋だとか、そういうもんと他人を無意識に重ねちまう。お前を誰かの代わりに見立てて、ことあるごとに馬鹿騒ぎして、それで自分の隙間を埋めたがっちまう。それは否定しねえよ」
容赦ないラルフの物言いに、レオナが拳を握り締める気配があった。だが、それに気付かぬふりでラルフは続ける。
「そりゃ嫌だよなあ。言いたかないが、そりゃお前の一番の痛むとこだ」
妻子を亡くした孤独な男が、父母を亡くした孤独な少女を引き取り、娘として育てた。そこにある感傷に気付かぬ者はいない。
現在はどうであれ、きっかけは「なくしたものの代わり」だった。それは否定しようがない。そのことが、時々レオナをひどく苦しめる。
もう10年も過ぎればそのわだかまりも消えるのだろう。だが今は、ちょうど難しい時期だった。そんな時に、ことあるごとに「誰かの代わり」と見られるのは、それはつらいことだろう。不機嫌にだってなるはずだ。それはラルフも良くわかっている。わかっていて踏み込んだのだ。
無言でうつむいてしまったレオナの肩を、ラルフはそっと抱きしめる。別に嫌味を言いたくて踏み込んだわけじゃない。
「けどな、レオナ。お前だってそう思っていいんだぞ。自分には兄貴だ叔父貴が山程いる。それじゃ嫌か?」
「…………」
「だいたいお前にゃ、親父からして2人いるんだぞ? きっかけはそりゃアレだが、お前のことを愛してる父親が2人もいるんだ。少なくとも、それは嫌じゃないんだろ?」
「……嫌じゃない」
「だったら兄貴が10人、叔父貴が20人いたっていいじゃねえか。人よりちょっと家族が多くて大変だ、ぐらいに思って甘えちまえ。向こうだってそう思われたら本望だ」
「それはわかってるわ。でも……」
「心配するな。俺は何も重ねちゃいないから」
はっとして、レオナが顔を上げる。
わかっている。どんなきっかけがあったにしろ、レオナは自分が愛されていることをちゃんとわかっている。わかっていても、時々ひどく寂しい。
それをラルフはわかっている。わかっているから、レオナが今、一番欲しがっている言葉を囁いてやる。
「俺にはお前に重ねる姉も妹もいないし、恋人をママ代わりにするほどガキでもないさ。俺にとって、お前はお前でしかねえよ」
その言葉に、レオナはもう一度うつむく。顔を上げられず、衣装の裾あたりばかり見ているのは、たぶんどうしようもない照れ隠しだ。見れば横顔が少し赤い。
しばらくして、やっとラルフの顔をまともに見上げたレオナがぽつりと切り出した。
「……衣装、どれでもいいから」
その言葉はさっきと同じ投げやりな単語でしかなかったが、さっきとはまるで違って柔らかい。尖らせていた口元もおさまって、すっかりいつもの一見無表情に戻っているが、ラルフにはわかる。ずいぶん穏やかな顔だ。
そしてその表情にふさわしい、穏やかな声で、レオナはラルフに小さな願いを告げた。
「どれでもいいけれど……似合いそうなのを選んでくれる?」
任せとけ、とラルフは胸を叩いて衣装の山に向き直る。なにしろラルフも、まだ少年時代に片足を突っ込んでいたような若い頃には、何度もその役をやらされたクチだ。「兄貴」や「叔父貴」の好みは心得ているし、レオナが相手なら間違いなく一番似合うのを見つけてやれる自信があった。
腕まくりまでして衣装の棚に向かうラルフを、レオナが穏やかな目で見つめている。それは10月半ばの、穏やかな午後のことだった。
10月の半ばのことだった。
「ヘソ出し魔女とか、ミニスカ吸血鬼ってのも定番でいいんだけどな。リアル路線なら幽霊館のメイドさんとか似合いそうだし……あ、これどうだ。殺人赤ずきんちゃん」
「……別に何でもいい」
「なんだなんだ。せっかくのハロウィンだってのに嫌そうじゃねえか。ほらレオナ、お前どれ着たいよ」
「だから、どれでもいい」
「……あー、俺やっぱり一緒に来て良かったわ」
ショッピングモールで絶賛売出し中のハロウィンの衣装の前で、ラルフは掛け値なしの本音を吐いた。レオナのテンションの低さはいつものことだが、これはどん底レベルだ。本気でやる気がない、あるいは本気で嫌がっている。これを1人で来させていたら、きっとまともな買い物にはならなかっただろう。
だからといって、適当に選んで押し付けるのでは意味がない。せっかくのイベントだ。楽しめないなら意味がない、と思っているラルフとしては、当然レオナの説得に取り掛かる。
「いやさ、お前がこういう馬鹿騒ぎが好きじゃないってのはわかってんだよ。わかってんだけどさ、ハロウィンのお化け役なんて若いやつがやらなきゃ絵にならねえだろうが。俺が狼男なんかやったって、誰も菓子くれてやろうなんて気分にゃならねえぞ」
「わかってるわ。だから昨年だってちゃんとやったじゃない」
「シーツかぶって「幽霊です」って、ありゃちゃんとやったうちには入らねえぞ」
ラルフは昨年のことを思い出して苦笑した。小さな子供ならともかく、長身のレオナが普通のシーツをかぶっても丈が足りるはずもない。長い足がほとんどはみ出してしまった幽霊を見て、ラルフは頭を抱えたのだ(その後、急いでラルフとクラークのシーツを繋いでやったのも、今ではいい思い出かもしれない)。
「まあ、お前1人にしちゃ良くやったよ。準備を手伝ってやらなかった俺が悪かった。だから今年はこうやって、一緒に買い物に来たんじゃねえか。ほら、どれでも買ってやるから好きなの選べ」
「どれでもいいって言ってるじゃない」
レオナはひたすら不機嫌だ。それどころか、あまり豊かとは言えない表情をフルに使ってまで「嫌」と主張している。珍しく口元まで尖らせているのを見て、ラルフはつい吹き出しそうになった。レオナとの付き合いは短くも浅くもないラルフだが、こんなレオナは滅多に見たためしがない。歳相応と言えばそれまでなのではあるのだが、普段とのギャップが凄くて妙に笑いを誘う。
だが、レオナがさらに嫌な顔をするのを見て、さすがにラルフも笑いを引っ込めた。目が真剣に怒っている。
「悪い悪い、今のは俺が悪かった。でもな、いい加減に諦めろ。気の早いやつなんか、もう部屋に菓子用意してんだぞ」
「甘いものはそんなに好きじゃない」
「そんなのその場で受け取るだけ受け取って、あとで休憩室にでも積んどけば誰かが食うって! それも気が引けるなら俺が食うし、頼むから今年も手伝ってやってくれよ。部隊最年少の務めだと思ってさ」
「やらないなんて言ってないわ。ただ……」
「ただ、つまらねえんだろ」
突然、ずばりと切り込んむような言葉だった。レオナの表情が変わる。図星だったらしい。
「つまらねえんだろ。理由を当ててやろうか? お前、誰かの代わりにされるのがつまらねえんだろ?」
ラルフはそのまま、ずかずかとレオナの本音に足を踏み込む。
「そうだよ。傭兵なんかやってるやつはみんな、家族とかそういうもんに縁が薄いからな。だから生き別れの弟妹だとか子供だとか甥っ子姪っ子だとか、下手すりゃ親父だお袋だとか、そういうもんと他人を無意識に重ねちまう。お前を誰かの代わりに見立てて、ことあるごとに馬鹿騒ぎして、それで自分の隙間を埋めたがっちまう。それは否定しねえよ」
容赦ないラルフの物言いに、レオナが拳を握り締める気配があった。だが、それに気付かぬふりでラルフは続ける。
「そりゃ嫌だよなあ。言いたかないが、そりゃお前の一番の痛むとこだ」
妻子を亡くした孤独な男が、父母を亡くした孤独な少女を引き取り、娘として育てた。そこにある感傷に気付かぬ者はいない。
現在はどうであれ、きっかけは「なくしたものの代わり」だった。それは否定しようがない。そのことが、時々レオナをひどく苦しめる。
もう10年も過ぎればそのわだかまりも消えるのだろう。だが今は、ちょうど難しい時期だった。そんな時に、ことあるごとに「誰かの代わり」と見られるのは、それはつらいことだろう。不機嫌にだってなるはずだ。それはラルフも良くわかっている。わかっていて踏み込んだのだ。
無言でうつむいてしまったレオナの肩を、ラルフはそっと抱きしめる。別に嫌味を言いたくて踏み込んだわけじゃない。
「けどな、レオナ。お前だってそう思っていいんだぞ。自分には兄貴だ叔父貴が山程いる。それじゃ嫌か?」
「…………」
「だいたいお前にゃ、親父からして2人いるんだぞ? きっかけはそりゃアレだが、お前のことを愛してる父親が2人もいるんだ。少なくとも、それは嫌じゃないんだろ?」
「……嫌じゃない」
「だったら兄貴が10人、叔父貴が20人いたっていいじゃねえか。人よりちょっと家族が多くて大変だ、ぐらいに思って甘えちまえ。向こうだってそう思われたら本望だ」
「それはわかってるわ。でも……」
「心配するな。俺は何も重ねちゃいないから」
はっとして、レオナが顔を上げる。
わかっている。どんなきっかけがあったにしろ、レオナは自分が愛されていることをちゃんとわかっている。わかっていても、時々ひどく寂しい。
それをラルフはわかっている。わかっているから、レオナが今、一番欲しがっている言葉を囁いてやる。
「俺にはお前に重ねる姉も妹もいないし、恋人をママ代わりにするほどガキでもないさ。俺にとって、お前はお前でしかねえよ」
その言葉に、レオナはもう一度うつむく。顔を上げられず、衣装の裾あたりばかり見ているのは、たぶんどうしようもない照れ隠しだ。見れば横顔が少し赤い。
しばらくして、やっとラルフの顔をまともに見上げたレオナがぽつりと切り出した。
「……衣装、どれでもいいから」
その言葉はさっきと同じ投げやりな単語でしかなかったが、さっきとはまるで違って柔らかい。尖らせていた口元もおさまって、すっかりいつもの一見無表情に戻っているが、ラルフにはわかる。ずいぶん穏やかな顔だ。
そしてその表情にふさわしい、穏やかな声で、レオナはラルフに小さな願いを告げた。
「どれでもいいけれど……似合いそうなのを選んでくれる?」
任せとけ、とラルフは胸を叩いて衣装の山に向き直る。なにしろラルフも、まだ少年時代に片足を突っ込んでいたような若い頃には、何度もその役をやらされたクチだ。「兄貴」や「叔父貴」の好みは心得ているし、レオナが相手なら間違いなく一番似合うのを見つけてやれる自信があった。
腕まくりまでして衣装の棚に向かうラルフを、レオナが穏やかな目で見つめている。それは10月半ばの、穏やかな午後のことだった。
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