「なぁレオナ、お前今、何か欲しいものってねえか?」
ラルフの声に振り向いた彼の恋人は、基地の制服に身を包んで、青い髪をきっちりとまとめて結っていた。レオナは普段は髪を下ろしているし、戦いに臨む時でもざっと結う、というより縛るだけだ。それがこうやって、髪を結い上げているというのは。
忙しいのだ。年末が忙しいのは、個人の商店でも大企業でも傭兵部隊でも変わらない。
落ちてくる髪をかき上げる時間も惜しいとばかりに結われた青い髪の少女の手には、別の部署に届けに行く書類がこれでもかと抱え込まれている。それはかなり微妙なバランスで、何かの拍子で一気にぶちまけられてもおかしくなかった。それにはレオナも気付いているようで、片手ではみ出しかけた分を軽く直す。
で、答えた。
「G518から572までの書類に承認を」
「え」
「大佐が承認してくれないと、私と中尉の仕事が進まない」
言われて、ラルフは自分の机の上を思い出した。うず高く積まれた書類の山。戦争と違って書類仕事の才能は壊滅的なラルフだが、そんな男にも書類が回ってくるのが年末というものである。師さえ走るから師走と言うのだ。大佐だって将軍だって走らされる。
それでもレオナとクラークがフォローに走り回って、いやこの時期の場合はそれこそ疾走してくれるお陰で、ラルフの仕事は「目を通して承認のサインを入れて」でほとんど済むようになっている。だと言うのにその書類をほったらかしにして、何を遊んでいるのやら。そこまで口には出さないものの、レオナの目がかなり冷たいことに気付いてラルフは嫌な汗をかいた。血は繋がっていなくてもやはり親子、その冷たさは彼女の義父と質が同じだ。
「わ、わかった、承認だな。よしわかった、わかったからお前はさくっとその書類を届けて来い!」
そうしてラルフは慌ててレオナに背を向け、自分たちの仕事部屋に駆け戻ることになった。別に恋人の尻に敷かれているわけではないが、あの目には抵抗する気がしない。
結局その日は、本当に訊きたいことは訊けずじまいのままで、ラルフは書類と延々格闘する羽目になったのである。
「というわけなんだが」
「それを俺に相談するって言うのもどうかと思いますけどね。ハイスクールに通う歳のガキですか、あなたは」
「相談って言うか愚痴だよ愚痴。普通この時期にああ訊かれて、書類って答える女がいるか? それに俺はともかく、あいつはハイスクールにいてもおかしくない歳だぞ」
「あれはハイスクール飛び越して、もう大学の講義受けてるタイプだと思いますけどね」
ラルフは深夜の天井に向かって、アルコール臭と溜息の混じった煙草の煙を吐き出した。机の上の書類の山は、やっと半分程度まで減っている。なんとか予定通りに終わる目処が付いたところで、レオナは先に上がらせた。同時に他の面子も上がらせて、それからの数時間はクラークとのサシだ。レオナ含め他の連中が邪魔なわけではないが、最後には長年の相棒と一対一の方が効率が上がる。戦争でも、書類処理でもだ。
そうして今日のノルマをなんとか終わらせた頃には、時計の針はとうに頂点を過ぎ、気分転換に呑みに出るという時間でもなく、基地内でも手に入る缶ビールを片手に深夜の雑談となったわけである。
そこで、レオナの話になった。
「あいつの欲しいものってなんだろうな」
もうすぐクリスマスだというのに、何を贈ったらいいか分からない、とラルフが言い出したのだ。
それを聞いた時、クラークはもう少しで缶ビールを取り落とし、書類の上にその中身をぶちまけるところだった。
ラルフは元々、女遊びが派手な部類の男だ。浮名を流したと言えば聞こえはいいが、休日の度に連れている女が違うような男だったのである。長続きしないのはラルフの選んだ職のせいもあるだろうから非難するつもりはないが、とにかく女の匂いがいつでも途切れない男だった。
それはラルフの人懐こく陽気な性格も大きな要因だったが、女の扱いの上手さも同じぐらい大きい。
本人曰く、四半世紀も女口説いてりゃ誰だってそれぐらい覚えるだろうよ、となるのだがクラークは一種の才能だと思う。会話ひとつ取ってみても、褒める笑わせる楽しませる、その反対にちょっと焦らせる驚かせる戸惑わせる、その緩急が実に見事で飽きさせない。見る見るうちに、相手がラルフを見る目が変わっていくのをクラークは何度も見た。
一度デートの約束を取り付けてしまえば、コースを選ぶのも上手いしエスコートも手馴れている。あれで嫌な気分になる女はそういないだろう。
その上、ちょっとしたプレゼントが上手い。何を贈れば相手が喜ぶのか、驚くほどよく見抜いては仕入れてくる。相手が受け取るのをためらうほど高価ではなく、でもちょっと気が利いているもの。そういうものを上手く選んで来て、なおかつ絶妙なタイミングで渡すのだ。その才能は性別を超えて発揮されるようでクラークも時々その恩恵に預かっては、これならさもありなんとラルフの恋人たちを思い出したりしたものだ。
そのラルフが、恋人へのクリスマスプレゼントで悩んでいる。悩むだけでは飽き足らず、本人に何がいいかと聞いた挙句に玉砕して、長年の相棒に愚痴交じりの相談をしている。クラークは驚きを通り越して笑ってしまいそうなのをやっと堪えた。
「いつもみたいに、あなたがこれだって思ったものを渡せばいいじゃないですか。それで外したことないでしょう?」
「それがちっともピンと来ないから困ってるんじゃねえかよ」
ラルフは焼き損ないのCD-ROMを弄びながら、また溜息を吐いた。デスクライトの光がCD-ROMに反射して、事務室の書類棚に飾られたクリスマスリースに当たる。一見軍隊には不似合いなものに見えるが、案外どこの部隊でもそういう行事は大事にしているものだ。ここでもクリスマスは一大行事で、基地のあちこちにそれらしい飾り付けがされている。
「普通ならよ、持ってるバッグだ着てる服だ、暮らしぶりだなんだで何が欲しいかなんて自然に分かって来るんだよ」
しかしラルフは、そのリースを恨めしげに見た。恋人へのクリスマスプレゼントが決められずにいるラルフにとっては、それはまるで見る度に懲罰の執行日を告知されているようなものだ。
「でもあいつの場合は、そういうのがまるで分からねえ。私服見りゃいい服着てるし小物もちゃんとしてるが、ありゃ父親のお仕着せだろ。自分の趣味で選んでるんじゃねえ。例えば俺が服を贈ったとしても同じだ。礼も言うし着るだろうけどよ、喜ぶかどうかはまた別だろ」
「それじゃなおさら、あなたが贈りたいと思うものを贈るよりないでしょう?」
「あいつの欲しいものが、俺の贈りたいものなんだよ」
「……そういう台詞を、よくも恥ずかしげもなく言えるものだと思いますよ、本当に」
言って、クラークは空になったビールの缶をぐしゃりと握りつぶし、ついでにそれをくずかごに放り投げる。放物線を描いてくずかごに落ちた空き缶は、その直前に書類棚にぶつかって、クリスマスリースのベルを微かに鳴らした。
「まあ、今年はこのまま行けば基地でクリスマスを迎えられそうですし。ぎりぎりまで考えて見ればいいんじゃないですか? とりあえず、まだ1日と23時間ばかり猶予がありますよ」
とは言え、ほんの2日ばかりの時間は悩むものには短すぎる。ラルフには何の名案ももたらさないままクリスマスの夜は来て、基地でもささやかながらパーティが行われた。
基地にいる者は「基本的に」全員参加のパーティである。戦場でお互いの命を預けるには常日頃から喜びも悲しみも共有するべきだというのが始まりの、外人部隊やら傭兵部隊の伝統らしいが、ラルフは詳しいことは知らない。ついでに言えば、この世界でも1、2を争う忙しさを誇る傭兵がクリスマスに基地にいること自体が珍しい。
だが今年、ラルフの隊は維持任務に当たっていた。
仮にも軍事基地である。基地を運営するための最低限の人数は残しておかなければならない。だから他の隊がパーティ会場で呑んだり騒いだりしている間も、じっとモニターを監視し続ける者が、絶え間なく届く各地の戦況データを分析し続ける者が、誰かの装備を整え続ける者たちがいる。そういう者達がいてこそ、基地というものは成り立つのだ。
とは言え、せっかくのパーティなのに任務、というのは誰でも少しばかりつまらない。歩哨に立っていた若い兵士が、ついてねえなと小さく漏らし、肩を並べる同僚が頷いた。
その時だった。
「おい、お前らちょっと、バレない程度に楽しんで来いよ」
びっくりして振り向いた兵士の前に、にやりと笑うラルフがいる。
「会場の方にも話は付けてあるから、ローストターキーとビールでも腹に入れて来いや。あんまり人数多いと目立ってバレるから、2人ずつな。その間は俺が代わってやるから」
「え、でも、その」
「いいから行って来い。もし教官に捕まったら、俺に命令されたって言えよ。それで済むから、な?」
愚痴を怒鳴りつけられるかと思ったら、パーティに行って来いと言い出す上官に若い兵士たちは呆然としていたが、ラルフに肩を叩かれるとすぐに走り出した。余程パーティに出ている連中がうらやましかったのだろう。その背中を見送って、ラルフはやれやれと笑う。
どうやっても目立ってしまう自分やクラークはともかく、他の連中ならパーティに潜り込んでも誤魔化せるだろう、というのがラルフの算段だ。もしかしたらハイデルンには見抜かれてしまうかもしれないが、多少のガス抜きは大目に見てくれるだろうと踏んでいる。それに、羽目を外してべろべろに酔って戻ってくるような馬鹿なら、最初からこの部隊には入れない。皆それなりに上手くやるはずだ。
「じゃあ久々に歩哨なんぞやってみるか」
と、担いだ小銃を軽く揺すって位置を直した時、今度はラルフが背後から声をかけられた。
「歩哨なら、2人1組じゃないとおかしいわ」
振り向いたラルフの前に、小銃を担いだレオナがいた。レオナも青い髪のせいで目立ちすぎて、パーティには潜り込めない組だ。今夜はずっと、ラルフやクラークと同じように誰かの仕事を肩代わりし続ける。
「お前、こういう時はその髪、損だなあ」
今夜はざっとまとめただけの青い髪の先端をつまんで、ラルフは軽く苦笑した。綺麗な髪だが、あまりに目立ちすぎる。こんな宝石のような色合いの髪を持つ人間など、この世にそう何人もいない。
以前、ラルフはこの青い髪と瞳に合わせた宝石をレオナに贈ろうとして、結局何も買えなかったことがある。どんな宝石もこの天然の瑠璃色には叶わないような気がしたのだ。
そこで思い出した。恋人へのクリスマスプレゼントという大問題を。今日が課題の締切日だった。
仕方ねえ、と思った。これはもうストレートに訊いてみるしかない。
「お前よ、何か欲しいものねえか?」
レオナは何故、と首を傾げる。これも仕方ない。人並みのイベントだ行事だということには、レオナはとことん疎い。
「クリスマスだろ。プレゼントだよ」
「希望なら、3週間前にちゃんと出したわ」
「そりゃ隊からのやつだろ」
隊では上官から部下へプレゼントを贈る習慣がある。それは3択ぐらいで希望を出せる仕組みで、レオナはそれのことを言ったのだ。
「そうじゃなくて、お前はほら、俺の恋人だろうが。だから個人的になんか欲しいもの、ねえか?」
レオナはもう一度首を傾げた。眉が八の字に歪むのは、かなり真剣に困っているのだろう。
果たして、答えは半ばラルフの予想通りだった。
「欲しいものなんて、ない」
レオナは確かめるように指を折って続ける。
「身の回りのものには困っていないし、仕事もあるし、帰る家もあるし」
それから少し遠い目をして、
「そうね、一番欲しいものはたぶん、絶対に手に入らないものだけれど」
もしそれが、彼女が遠い昔に喪ってしまったものだとしたら、確かにそれは2度と彼女の手に戻ることはない。だが、レオナの視線はすぐに戻った。長々と感傷に浸れるほど、それは優しい過去ではない。
「でも仲間には恵まれてるし、父と呼べる人もいるし、それに」
そして青い髪の少女は、恋人を見上げて言う。
「私には、あなたがいるもの」
――もしもこの場にクラークがいたら、きっとこう言っただろう。よくもそういう台詞を恥ずかしげもなく言えるものだ、と。そしてきっと、2人には聞こえないように付け加える。そういう者同士だから、上手く行くのかもしれない、と。
だからもう、何もいらないわ、とレオナは言った。
「大佐は、何か欲しいものはある?」
ラルフはそれにすぐには答えず、ただレオナの肩を抱いた。歩哨の任務中だが、利き手は空けてあるし今夜はクリスマスだ。パーティも諦めた。だからこれぐらい見逃してくれよな、とラルフは心の中で誰かに詫びた。
「俺も、もういい。さっきのやつで十分だ」
「さっきのやつ?」
「さっきの、「あなたがいるもの」ってやつ。あれをもう一度言ってくれたらそれでいい」
もう一度、と改めて言われると流石に少し恥ずかしいのか、繰り返す声は先程より僅かに小さい。
「あなたがいるもの」
「あなた、じゃなくて他に言い方があるだろ。あ、大佐もパスな」
3度目は、更に小さな声になった。顔も少し俯き加減だ。
それでも、言った。
「ラルフがいるもの」
「――上出来」
目に見えるプレゼントがないクリスマスだって悪くない。ラルフはそう思いながら、ちょっと名残惜しくレオナの肩を離した。
ラルフの声に振り向いた彼の恋人は、基地の制服に身を包んで、青い髪をきっちりとまとめて結っていた。レオナは普段は髪を下ろしているし、戦いに臨む時でもざっと結う、というより縛るだけだ。それがこうやって、髪を結い上げているというのは。
忙しいのだ。年末が忙しいのは、個人の商店でも大企業でも傭兵部隊でも変わらない。
落ちてくる髪をかき上げる時間も惜しいとばかりに結われた青い髪の少女の手には、別の部署に届けに行く書類がこれでもかと抱え込まれている。それはかなり微妙なバランスで、何かの拍子で一気にぶちまけられてもおかしくなかった。それにはレオナも気付いているようで、片手ではみ出しかけた分を軽く直す。
で、答えた。
「G518から572までの書類に承認を」
「え」
「大佐が承認してくれないと、私と中尉の仕事が進まない」
言われて、ラルフは自分の机の上を思い出した。うず高く積まれた書類の山。戦争と違って書類仕事の才能は壊滅的なラルフだが、そんな男にも書類が回ってくるのが年末というものである。師さえ走るから師走と言うのだ。大佐だって将軍だって走らされる。
それでもレオナとクラークがフォローに走り回って、いやこの時期の場合はそれこそ疾走してくれるお陰で、ラルフの仕事は「目を通して承認のサインを入れて」でほとんど済むようになっている。だと言うのにその書類をほったらかしにして、何を遊んでいるのやら。そこまで口には出さないものの、レオナの目がかなり冷たいことに気付いてラルフは嫌な汗をかいた。血は繋がっていなくてもやはり親子、その冷たさは彼女の義父と質が同じだ。
「わ、わかった、承認だな。よしわかった、わかったからお前はさくっとその書類を届けて来い!」
そうしてラルフは慌ててレオナに背を向け、自分たちの仕事部屋に駆け戻ることになった。別に恋人の尻に敷かれているわけではないが、あの目には抵抗する気がしない。
結局その日は、本当に訊きたいことは訊けずじまいのままで、ラルフは書類と延々格闘する羽目になったのである。
「というわけなんだが」
「それを俺に相談するって言うのもどうかと思いますけどね。ハイスクールに通う歳のガキですか、あなたは」
「相談って言うか愚痴だよ愚痴。普通この時期にああ訊かれて、書類って答える女がいるか? それに俺はともかく、あいつはハイスクールにいてもおかしくない歳だぞ」
「あれはハイスクール飛び越して、もう大学の講義受けてるタイプだと思いますけどね」
ラルフは深夜の天井に向かって、アルコール臭と溜息の混じった煙草の煙を吐き出した。机の上の書類の山は、やっと半分程度まで減っている。なんとか予定通りに終わる目処が付いたところで、レオナは先に上がらせた。同時に他の面子も上がらせて、それからの数時間はクラークとのサシだ。レオナ含め他の連中が邪魔なわけではないが、最後には長年の相棒と一対一の方が効率が上がる。戦争でも、書類処理でもだ。
そうして今日のノルマをなんとか終わらせた頃には、時計の針はとうに頂点を過ぎ、気分転換に呑みに出るという時間でもなく、基地内でも手に入る缶ビールを片手に深夜の雑談となったわけである。
そこで、レオナの話になった。
「あいつの欲しいものってなんだろうな」
もうすぐクリスマスだというのに、何を贈ったらいいか分からない、とラルフが言い出したのだ。
それを聞いた時、クラークはもう少しで缶ビールを取り落とし、書類の上にその中身をぶちまけるところだった。
ラルフは元々、女遊びが派手な部類の男だ。浮名を流したと言えば聞こえはいいが、休日の度に連れている女が違うような男だったのである。長続きしないのはラルフの選んだ職のせいもあるだろうから非難するつもりはないが、とにかく女の匂いがいつでも途切れない男だった。
それはラルフの人懐こく陽気な性格も大きな要因だったが、女の扱いの上手さも同じぐらい大きい。
本人曰く、四半世紀も女口説いてりゃ誰だってそれぐらい覚えるだろうよ、となるのだがクラークは一種の才能だと思う。会話ひとつ取ってみても、褒める笑わせる楽しませる、その反対にちょっと焦らせる驚かせる戸惑わせる、その緩急が実に見事で飽きさせない。見る見るうちに、相手がラルフを見る目が変わっていくのをクラークは何度も見た。
一度デートの約束を取り付けてしまえば、コースを選ぶのも上手いしエスコートも手馴れている。あれで嫌な気分になる女はそういないだろう。
その上、ちょっとしたプレゼントが上手い。何を贈れば相手が喜ぶのか、驚くほどよく見抜いては仕入れてくる。相手が受け取るのをためらうほど高価ではなく、でもちょっと気が利いているもの。そういうものを上手く選んで来て、なおかつ絶妙なタイミングで渡すのだ。その才能は性別を超えて発揮されるようでクラークも時々その恩恵に預かっては、これならさもありなんとラルフの恋人たちを思い出したりしたものだ。
そのラルフが、恋人へのクリスマスプレゼントで悩んでいる。悩むだけでは飽き足らず、本人に何がいいかと聞いた挙句に玉砕して、長年の相棒に愚痴交じりの相談をしている。クラークは驚きを通り越して笑ってしまいそうなのをやっと堪えた。
「いつもみたいに、あなたがこれだって思ったものを渡せばいいじゃないですか。それで外したことないでしょう?」
「それがちっともピンと来ないから困ってるんじゃねえかよ」
ラルフは焼き損ないのCD-ROMを弄びながら、また溜息を吐いた。デスクライトの光がCD-ROMに反射して、事務室の書類棚に飾られたクリスマスリースに当たる。一見軍隊には不似合いなものに見えるが、案外どこの部隊でもそういう行事は大事にしているものだ。ここでもクリスマスは一大行事で、基地のあちこちにそれらしい飾り付けがされている。
「普通ならよ、持ってるバッグだ着てる服だ、暮らしぶりだなんだで何が欲しいかなんて自然に分かって来るんだよ」
しかしラルフは、そのリースを恨めしげに見た。恋人へのクリスマスプレゼントが決められずにいるラルフにとっては、それはまるで見る度に懲罰の執行日を告知されているようなものだ。
「でもあいつの場合は、そういうのがまるで分からねえ。私服見りゃいい服着てるし小物もちゃんとしてるが、ありゃ父親のお仕着せだろ。自分の趣味で選んでるんじゃねえ。例えば俺が服を贈ったとしても同じだ。礼も言うし着るだろうけどよ、喜ぶかどうかはまた別だろ」
「それじゃなおさら、あなたが贈りたいと思うものを贈るよりないでしょう?」
「あいつの欲しいものが、俺の贈りたいものなんだよ」
「……そういう台詞を、よくも恥ずかしげもなく言えるものだと思いますよ、本当に」
言って、クラークは空になったビールの缶をぐしゃりと握りつぶし、ついでにそれをくずかごに放り投げる。放物線を描いてくずかごに落ちた空き缶は、その直前に書類棚にぶつかって、クリスマスリースのベルを微かに鳴らした。
「まあ、今年はこのまま行けば基地でクリスマスを迎えられそうですし。ぎりぎりまで考えて見ればいいんじゃないですか? とりあえず、まだ1日と23時間ばかり猶予がありますよ」
とは言え、ほんの2日ばかりの時間は悩むものには短すぎる。ラルフには何の名案ももたらさないままクリスマスの夜は来て、基地でもささやかながらパーティが行われた。
基地にいる者は「基本的に」全員参加のパーティである。戦場でお互いの命を預けるには常日頃から喜びも悲しみも共有するべきだというのが始まりの、外人部隊やら傭兵部隊の伝統らしいが、ラルフは詳しいことは知らない。ついでに言えば、この世界でも1、2を争う忙しさを誇る傭兵がクリスマスに基地にいること自体が珍しい。
だが今年、ラルフの隊は維持任務に当たっていた。
仮にも軍事基地である。基地を運営するための最低限の人数は残しておかなければならない。だから他の隊がパーティ会場で呑んだり騒いだりしている間も、じっとモニターを監視し続ける者が、絶え間なく届く各地の戦況データを分析し続ける者が、誰かの装備を整え続ける者たちがいる。そういう者達がいてこそ、基地というものは成り立つのだ。
とは言え、せっかくのパーティなのに任務、というのは誰でも少しばかりつまらない。歩哨に立っていた若い兵士が、ついてねえなと小さく漏らし、肩を並べる同僚が頷いた。
その時だった。
「おい、お前らちょっと、バレない程度に楽しんで来いよ」
びっくりして振り向いた兵士の前に、にやりと笑うラルフがいる。
「会場の方にも話は付けてあるから、ローストターキーとビールでも腹に入れて来いや。あんまり人数多いと目立ってバレるから、2人ずつな。その間は俺が代わってやるから」
「え、でも、その」
「いいから行って来い。もし教官に捕まったら、俺に命令されたって言えよ。それで済むから、な?」
愚痴を怒鳴りつけられるかと思ったら、パーティに行って来いと言い出す上官に若い兵士たちは呆然としていたが、ラルフに肩を叩かれるとすぐに走り出した。余程パーティに出ている連中がうらやましかったのだろう。その背中を見送って、ラルフはやれやれと笑う。
どうやっても目立ってしまう自分やクラークはともかく、他の連中ならパーティに潜り込んでも誤魔化せるだろう、というのがラルフの算段だ。もしかしたらハイデルンには見抜かれてしまうかもしれないが、多少のガス抜きは大目に見てくれるだろうと踏んでいる。それに、羽目を外してべろべろに酔って戻ってくるような馬鹿なら、最初からこの部隊には入れない。皆それなりに上手くやるはずだ。
「じゃあ久々に歩哨なんぞやってみるか」
と、担いだ小銃を軽く揺すって位置を直した時、今度はラルフが背後から声をかけられた。
「歩哨なら、2人1組じゃないとおかしいわ」
振り向いたラルフの前に、小銃を担いだレオナがいた。レオナも青い髪のせいで目立ちすぎて、パーティには潜り込めない組だ。今夜はずっと、ラルフやクラークと同じように誰かの仕事を肩代わりし続ける。
「お前、こういう時はその髪、損だなあ」
今夜はざっとまとめただけの青い髪の先端をつまんで、ラルフは軽く苦笑した。綺麗な髪だが、あまりに目立ちすぎる。こんな宝石のような色合いの髪を持つ人間など、この世にそう何人もいない。
以前、ラルフはこの青い髪と瞳に合わせた宝石をレオナに贈ろうとして、結局何も買えなかったことがある。どんな宝石もこの天然の瑠璃色には叶わないような気がしたのだ。
そこで思い出した。恋人へのクリスマスプレゼントという大問題を。今日が課題の締切日だった。
仕方ねえ、と思った。これはもうストレートに訊いてみるしかない。
「お前よ、何か欲しいものねえか?」
レオナは何故、と首を傾げる。これも仕方ない。人並みのイベントだ行事だということには、レオナはとことん疎い。
「クリスマスだろ。プレゼントだよ」
「希望なら、3週間前にちゃんと出したわ」
「そりゃ隊からのやつだろ」
隊では上官から部下へプレゼントを贈る習慣がある。それは3択ぐらいで希望を出せる仕組みで、レオナはそれのことを言ったのだ。
「そうじゃなくて、お前はほら、俺の恋人だろうが。だから個人的になんか欲しいもの、ねえか?」
レオナはもう一度首を傾げた。眉が八の字に歪むのは、かなり真剣に困っているのだろう。
果たして、答えは半ばラルフの予想通りだった。
「欲しいものなんて、ない」
レオナは確かめるように指を折って続ける。
「身の回りのものには困っていないし、仕事もあるし、帰る家もあるし」
それから少し遠い目をして、
「そうね、一番欲しいものはたぶん、絶対に手に入らないものだけれど」
もしそれが、彼女が遠い昔に喪ってしまったものだとしたら、確かにそれは2度と彼女の手に戻ることはない。だが、レオナの視線はすぐに戻った。長々と感傷に浸れるほど、それは優しい過去ではない。
「でも仲間には恵まれてるし、父と呼べる人もいるし、それに」
そして青い髪の少女は、恋人を見上げて言う。
「私には、あなたがいるもの」
――もしもこの場にクラークがいたら、きっとこう言っただろう。よくもそういう台詞を恥ずかしげもなく言えるものだ、と。そしてきっと、2人には聞こえないように付け加える。そういう者同士だから、上手く行くのかもしれない、と。
だからもう、何もいらないわ、とレオナは言った。
「大佐は、何か欲しいものはある?」
ラルフはそれにすぐには答えず、ただレオナの肩を抱いた。歩哨の任務中だが、利き手は空けてあるし今夜はクリスマスだ。パーティも諦めた。だからこれぐらい見逃してくれよな、とラルフは心の中で誰かに詫びた。
「俺も、もういい。さっきのやつで十分だ」
「さっきのやつ?」
「さっきの、「あなたがいるもの」ってやつ。あれをもう一度言ってくれたらそれでいい」
もう一度、と改めて言われると流石に少し恥ずかしいのか、繰り返す声は先程より僅かに小さい。
「あなたがいるもの」
「あなた、じゃなくて他に言い方があるだろ。あ、大佐もパスな」
3度目は、更に小さな声になった。顔も少し俯き加減だ。
それでも、言った。
「ラルフがいるもの」
「――上出来」
目に見えるプレゼントがないクリスマスだって悪くない。ラルフはそう思いながら、ちょっと名残惜しくレオナの肩を離した。
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