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うろほろぞ
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 突き上げる衝動。溢れる獣性。わたしは堪えきれずに吼える。
 瞬間、自分の間合いに持ち込もうと二人が飛び込んで来る。わたしはそれを避けず、こちらも地面を強く蹴った。本来あるべき力を得て躍動する体は軽い。『私』が使うより数段早く動ける。
 一瞬の攻防の後、お互い弾きあうように飛び退った後には斬撃の名残が一筋。獲物の胸板からは、薄皮一枚裂いて赤い切り口が覗いている。対してこちらは、髪が一房千切れ飛んだ。風に舞うそれも赤。
 手には、肌を裂いた感触が残っている。窓越しに見るあやふやな景色ではなくて、確かな感触。確かな血の臭い。触れられる。いくら手を伸ばしても届かなかったものに、今なら触れられる。
 わたしはもう一声吼える。これは歓喜。歓喜の声だ。

 それまでのわたしにとっての世界は、小さな窓から見える四角に切り取られた風景だけだった。
 わたしの部屋は狭い。そして暗く、何もない。ベッドや机はもちろん、出入り口さえない部屋だ。そういうものを部屋と呼んでいいかどうかはともかく。
 そこにたったひとつ窓がある。出口もない部屋に外の世界を覗くための窓。残酷な部屋だ。
 小さな窓から見える四角に切り取られた風景。それだけの世界。

 歓喜の声に微か、震えが混じる。あんな場所に戻りたくはない。そのためにはこの場を戦い抜いて、切り抜けなければならない。負ければまた、あの部屋だ。
 相手は二人。いや、獲物が二匹。だが、狙いは片方に絞る。この二人を同時に相手にして、両方を仕留めようなどというのは甘い考えだとわたしは知っている。この二人は1+1が2にも3にもなるタイプだ。
 だが、逆に言えば片方を潰せば残りにはそれほど苦労しないと言うことだ。とにかく片方を潰した方がいい、そう私は狙った。
 問題はどちらを狙うかだが、それは最初から決めていた。赤いバンダナから溢れる、うねった黒髪。こちらだ。絶対にこちらだ。
 本当は、別にどちらでもいい。どちらを殺したとしても、今度こそ『私』は今度こそ現実から目をそむけ、自分の殻に閉じこもるだろう。大切な人を再び自分の手にかけた。そのトラウマが『私』を押し潰す。それは同時にあの部屋の崩壊を意味し、わたしは完全に解き放たれる。
 それでもわたしの狙いは決まっていた。ずっとずっと、そうすると決めていたのだ。

 窓から見える風景が、割と楽しいものだったのが、せめてもの救いかもしれなかった。
 この窓からは世界中の戦場が良く見える。銃声とか血の臭いとか泣き声とか誰かの死だとか、そういうものを見るのはとても楽しかった。血の赤は、窓越しのどこかあやふやな光景の中で、ただひとつ鮮やかに見えた。
 もうひとつ鮮やかなものは、背中だった。名前も知らない誰かの背中。窓から見える光景の、どこにでもその背中があった。
 うねる黒い髪。肩幅が広く、腕が太い。大きな手は銃を握っていることもあったし、ナイフを掴んでいることもあった。
 それが容赦なく振るわれる瞬間を見るのが何よりも楽しかった。彼の作り出す死は、何よりも鮮やかで、心地良い光景だった。
 でも、彼はわたしがこうして見ていることなど気付きもしない。わたしがいくら手を伸ばしても彼の背中に届くことはないし、もちろん彼がわたしをふりかえることもない。

 その背中の持ち主の顔を、わたしは初めて見上げた。
 いくら手を伸ばしても届かなかったその背中に、今なら触れられる。触れて、そこから引き裂いて、殺せる。
 愉しかった。今まで一番。幸せというものがあるとしたら、きっとこれがそういうものだと思う。
 機を捉えて、今度はこちらが一気に懐まで飛び込む。笑って見せる余裕さえあった。わたしが笑っても、獣が牙をむいたようにしか見えないだろうが。
「いい度胸だ! 捕まえてやるぞ、このじゃじゃ馬暴走娘ッ」
 声を聞いたのも初めてだ。その背中に似合った、太い声だ。
 飛び込んだ体ごと捕まえられる。厚い胸。わたしの倍も太い腕。戦いの均衡を崩すには充分の体格差だ。それを直に感じながら、わたしは笑う。捕まえられるのも計算のうちだ。
 笑いながら、噛み付いた。

 背中しか見たことがなかった。顔も名前も知らなかった。
 それでもたぶん、わたしは彼のことを好きだったのだ。
 だから、ずっとこうして殺してしまいたいと思っていた。

 肩の肉の感触があった。実際に狙ったのは首だ。喉を噛み破るつもりでいた。それを避け得たのは戦場で研ぎ続けた直感か。
 すかさず大きな手で頭を押さえ込まれる。頭を自由にしておけば、肉を噛み千切って持って行かれる。獣もそうだが、そういう時はかえって押し付けてしまった方がいい。
 切れた裂かれたの傷ならば、それなりに治りもするが、肉をごっそり持っていかれるのは厄介だと判断したのだろう。
 完全に動きが抑えられていた。もうこれで勝ち目はない。わたしは敗ける。抱きしめるように押さえつけられたわたしには次の攻撃は避けようもなくて、それで意識を持っていかれたら、次に目を醒ます時はまたあの部屋の中だ。
 それなのに不思議と落ち着いていたのは、口の中に広がる血の味のせいだったかもしれない。
 甘かった。当然だ。これは口付けなのだから。
 文字通り噛み付くほどの深い口付け。血の味のする口付けは、わたしにだけは甘かった。
 でもその想いは、きっと彼には届きはしない。だからほら、こうして彼はわたしのものであって私のものではない名を呼ぶのだ。
「くそっ 早く目ぇ醒ませ! 戻れよ、戻って来いよレオナあっ!!」

 レオナ。それはわたしの牢獄の名前。そしてもう一人のわたしの名前。
 わたし達は本来、同一のものだ。わたしとレオナの違いは、自分の中のオロチの血を受け入れたかどうか、ただそれだけ。
 当然、レオナが惹かれるものにはわたしも惹かれる。パパとママも、義理の父親も、仲間たちも、レオナが大切に想うもののことは、わたしも同じように想っている。
 でも、レオナがわたしをどうしても受け入れられないように、誰もがわたしを拒絶する。同じ肉体に宿った同じ魂だというのに、レオナは愛され、わたしだけが憎まれる。双子の姉妹の片方だけが、誰からも憎まれているようなものだ。
 まるで聖書に記されたアベルとカイン。自分の捧げ物だけが神に顧みられなかった兄カインは、嫉妬から弟アベルを殺してしまう。人類最初の殺人だ。
 けれどわたしはアベルを殺さない。そんなことをしても何の意味もないのを知っているから。
 わたしが殺したいのは、わたしたちの大切な人。殺してしまえば、その相手は永遠に誰のものにもなりはしない。レオナのものにも、わたしのものにもならない。わたしを愛することもないけれど、レオナも愛さない。拒まれることもない。
 わたしは神殺しのカインだ。

「クラーク、構わねえから俺ごとやっちまえ!」
「了解! 恨まないでくださいよ!!」
 背後からの一撃が、わたしを抱き込んだ男ごと突き抜ける。衝撃で息が止まる。彼も同時に息を詰めるのがわかった。
 その一撃を放ったのは、彼の相棒と呼ばれる男だ。味方ごとの一撃を躊躇わずに決められる。受ける方もそれを躊躇わない。
 そんな二人だから、わたしは負けたのだろう。
 視界が一瞬にして暗くなる。引き摺られるように倒れたのは、彼の手がそれでもわたしを離さなかったからだ。私は彼の上に重なるように倒れ込み、その隣に気力も体力も使い果たした彼の相棒がぐったりと座り込む。
 それとほとんど同時に、わたしの意識は完全に途絶えた。その瞬間まで、彼の鼓動を聞いていられたのが、少し嬉しかった。

「おお、痛てててて。何気にこの噛み傷深いぞ。跡が残っちまうかもなあ。おいレオナ、お前狂犬病の予防接種は?」
 この場合、狂犬病という単語は冗談にしてもセンスが悪いのではないだろうかとクラークは思った。しかもその相手があのレオナだ。冗談としてはかなり成立しにくい部類に入る。
「この間のF国での任務に合わせて済ませたわ――そんなに、深いの?」
 案の定、生真面目な答えを返されてラルフは気まずい顔をする。もう一年近くの付き合いなのだ。いい加減にその加減を覚えろ。
「レオナ、お前がそんな顔する必要はないぞ。他はともかく、噛み付かれたとこからその後の傷に関しては、こいつの自業自得だ」
 その苛立ちを込めて、クラークは皮肉たっぷり、ラルフの代わりに答えてやった。
「妙な格好ばかりつけてるからそうなるんだ。大体お前、その噛み傷だってやろうと思えば避けられただろう?」
 ラルフの技量があれば避けられる状況だった。それを格好つけて抱き止めたりするから噛まれたんだ。そう指摘するクラークに向かって、ラルフは気まずい顔をますます渋くする。甘やかしすぎると突付かれたら言い訳のできない状況なのは、自分でもわかっているのだ。
「あー、あれなあ」
 気のせいかも知れないけどな、とラルフは頭を掻く。
「なんかこう、上手く言えないけどよ。そうしなきゃいけないような、そんな顔してたんだよ、こいつが」
「こいつって、レオナが?」
「他に誰がいるよ。泣きながら懐に飛び込んでくる子供みたいでよ。避けられなかった」
「……ああ」
 その言葉を聞いた瞬間の、レオナの嘆息はどこか祈るようだった。
 それに短い言葉が続いたが、それは呟いた本人にも聞き取れないほど小さい。耳ざとく聞き返したラルフの方が人間離れしている。
「レオナ、お前、今何て言った?」
「いえ、何も」
 おかしなことを聞く、と首を傾げた少女の頭上で、髪に結わえたばかりの赤いバンダナが揺れる。レオナには何かを言ったという自覚はない。
「おっかしいなあ。何か聞こえた気がしたんだけどなあ」
「俺も何も聞こえませんでしたよ。空耳じゃないですか。そうじゃなかったら痴呆の初期症状。幻聴ですね」
「あ、てめえ! そういうこと言うか、こら!」
 痛むはずの腕を振り上げてラルフが怒鳴り、後は売り言葉に買い言葉。いつもの喧騒に紛れて日常が戻ってくる。
 九十七年の夏は、そうして幕を閉じた。

 小さな窓から見える四角に切り取られた風景。それだけの世界。それだけがわたしの世界。
 窓越しのぼやけてあやふやな光景の中、今日も血の色と、あの背中だけが鮮やかに踊っている。
 彼はわたしを知らない。『レオナ』の中の牢獄に閉じ込められた、わたしの視線になど気付きもしない。もちろんわたしが彼を想っていることなど知らない。それでも。
「見つけてくれたのね」
 それでも、彼はわたしを見つけた。見つけたというにはあまりにささやかな欠片でしかなくて、そのうち残った傷口を見ても思い出すことさえなくなるのだろうけれど。パパもママも、誰も見つけてくれなかったわたしを彼だけが見つけてくれた。

 期待してもいいのだろうか。
 彼はわたしのことも受け入れてくれるのかと。
 彼を殺す以外の道を探させてくれるのかと。

 見上げた小さな窓が、少し滲んで見えた。
 
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