夜の街の人波には、様々な人間が漂っている。家路を急ぐ勤め人、友人達と飲み歩く若者、酔っ払いの財布を狙うスリ、暗がりには麻薬の密売人。それから、手を繋いで歩く恋人たち。
それは、傍目にも似合いのカップルだった。赤い髪の男は背が高く、体を鍛えているらしく筋肉が盛り上がった肩が広い。さぞや頼りがいのある恋人だろう。
女の方も、男と吊り合う長身である。赤の強いピンクのサマードレスが、金髪と長い脚に良く似合った。顔立ちはややきついが造作が整っていて、割と美人の部類と言える。
ふと、女が歩みを止めて、男の麻のジャケットの袖を引っ張った。反対の手で指差した先は、屋台のアイスクリーム売りだ。いいよ、買っておいで。そんな会話があったのか、女は男をその場において、華奢なサンダルの足元も軽やかに駆けていく。
「お、アイス買ってますよ。しかもダブル」
その様子を、近くのビルの屋上から双眼鏡で見ていた男達がいた。
「フレーバーは?」
「チョコミントとメロンでしょうかね、二段ともグリーンですよ」
デートの出歯亀にしては、物騒な集団だった。高倍率の双眼鏡と黒尽くめはともかく、完全武装である。ハンドガンやらナイフやら、ショットガンや手榴弾まで装備した出歯亀がどこの世界にいる。
「いや、あいつはどっちかというとフローズンヨーグルト派だからな。チョコミントじゃなくて、ジャパニーズグリーンティ入りのフローズンヨーグルトとかじゃねえか?」
「そんな小洒落たものが、屋台のアイス屋にありますかね」
「賭けるか?」
「いいですよ。何ドルにします?」
「俺、大佐が負ける方に10ドル」
「俺もそっち。しかし、いいなあ」
物騒すぎる出歯亀の一人がついに、堪りかねたような声を上げた。途端に同意するかのような溜息があちこちでこぼれる。
「馬鹿、言うなよ。みんな空しいんだから」
「そうだそうだ、俺だってこんなところに詰めてないで女の子とアイス舐めたいよ」
そんなことを言われているとは露知らず、いやもしかしたら予想の範疇かもしれないが、赤毛と金髪の恋人同士――クラークとレオナは、アイスを片手にまた歩き出す。
そう呼ぶにはお粗末なほどの、ごく簡単な変装だ。クラークがトレードマークの帽子とサングラスを取って額の傷跡をパテで埋め、レオナがちょっと化粧をして、らしくない格好をすれば、それだけでもうまるで他人に見える。ついでに髪の色まで変えてしまったら、いくらKOFを熱心にTV観戦していた者でも、なかなかあの二人だとは気付かない。
人間の思い込みとは恐ろしいものである。だからこそ、ラルフもクラークも、あえてトレードマークになるようなものを身に着けてKOFに臨んでいるのだが。
「あー、レオナちゃんからアイス分けてもらってるぜ、中尉ってば」
「レオナちゃんとデート、しかもアイスクリーム付きかよ! 畜生!!」
ほとんど悲鳴に近い声を、ラルフはうんざりした顔で聞いていた。
クラークとレオナの変装は、別にこの出歯亀――もとい、同じチームの仲間達の目を欺くためのものではない。任務のための変装である。
時と場合にもよるが、男女のペアは街中での尾行に向いている。女の気まぐれに付き合っているふりを装えば、突然止まっても進行方向を変えてもおかしくないし、歩みが遅くても早くてもそれなりに自然だ。腕を組むふりをして相手の体に触れていれば、何かあった時には言葉を発せずにサインを送ることもできる。それにターゲットが女性にしか入れない場所、男性にしか入れない場所に向かったとしても、一旦別れて都合のいい方が追えばいいのだ。だから、情報局には女性の工作員が多数配属されている。
しかし、通常の部隊にはまだ女性は少ないし、情報局の手を借りるには荒過ぎる仕事もやってくる。そういう時はなんとか自前でペアを用意するのだが、その役に立ちそうなのは、ラルフのチームにはレオナしかいなかった。
当然、部隊は相手役を巡って騒然となる。レオナは色気のないチームの中では、ちょっとした「隠れアイドル」的存在だ。普段は色恋沙汰に縁も興味もなく、口説いたところで走り込みやトレーニングルームを御一緒するのが精一杯、それ以上を望めばあの教官にどんな「教育的指導」を食らうかわからない、というレオナと、擬似とはいえ公認でデートができるのだ。
だが、ペアを組む最低条件はレオナの足を引っ張らない尾行スキルを持つこと、というラルフの言葉に部隊の盛り上がりは一気に消火した。そんなスキルを持っているのは、情報局出身のクラークと、いざという時は野性的なカンと能力を発揮するラルフだけだ。なにしろ、レオナの尾行術はハイデルン仕込である。並の人間ではスキルが釣り合わない。
そして、今回はクラークにその役目が行った。レオナと街中を歩くなら、クラークの方がより馴染む。これがナイトクラブやカジノなら、ラルフの方がそれらしい雰囲気になるだろう。ラルフにしてみたら、単にそれだけのことなのである。
「いい加減にしろよ、お前ら。これから一仕事だ」
だからラルフはうんざり顔だ。
クラークはレオナなど、というより女性全般が眼中にないような男だし、ラルフに言わせれば「あんなヒヨコなんか齧ったって俺の腹の足しにゃならねえよ」となる。つまり、レオナにそういった下心を持たない二人だけが条件に合致するというのは皮肉な話ではあるが、ラルフにしてみればそれ以上でもそれ以下でもない。確かにレオナは将来有望な美少女だが、チームの連中を狂騒っぷりを見ていると、何もそこまでという気分にもなる。
「そんな話は帰投してからにしろ。信号は「オールグリーン」だったんだ。無駄口叩いてる間にターゲットが来るぞ」
二段のアイスクリームのどちらも緑。それは二人の行動を双眼鏡で確認しているはずのラルフたちに対する、レオナからの「万事問題なし」のサインだ。無線を使っての連絡を傍受されることを恐れて、今回はそんな回りくどい手を使っている。
「確認するぞ。ターゲットが建物内に入り次第、正面入り口はレオナとクラーク、それから外で待機しているB班が制圧。C班は裏口他の脱出経路を押さえる。で、俺達A班の仕事は?」
「屋上から順に階下を制圧。ターゲットの身柄を確保するついでに、いい想いをした中尉に一杯奢ってもらう」
「アイスクリームで良けりゃ俺が奢ってやるよ」
無駄口は止めろと言いながら、自分も軽口を返してラルフは双眼鏡を覗く。レンズの向こうでは、相変わらず二人が恋人の演技を続けている。ターゲットが確実にこの建物に入らないと、今回の作戦は成り立たない。その瞬間を確実に捉えるために、戦力としては大きい二人をわざわざ割いて、ターゲットを尾行させているのだ。
普段のレオナは髪と軍服の色の暗さと無表情のせいで近寄りがたい雰囲気が強いが、こうして金髪にして明るい色のドレスを着せ、演技とはいえ笑って見せれば。
「……結構グラマーだし可愛いじゃねえかよ」
ラルフは思わずそう呟いて、それからしまったと口元を押さえた。そんな言葉を聞かれたら、後でなんと笑われるかわかったものではない。幸いにも、仲間達は相変わらず軽口を叩いてはいるが、装備の最後の確認やら何やらでラルフの様子など見ていなかった。
安堵しつつ、再び双眼鏡を覗いて、ラルフはちょっと首を傾げた。目に入る光景にどことなく違和感がある。何がおかしいとははっきり言えないのだが、何かが妙なのだ。それがレオナに関することだということまではわかるのだが、そこから先がわからない。
首を傾げているうちに、クラークとレオナは最終チェックポイントの到着した。クラークがレオナの肩をぽんと叩く。これも「問題なし」の合図だ。二人の目の前で、ターゲットはラルフ達が屋上に陣取ったビルに入ったらしい。
「よっしゃ、合図出たぞ。状況開始!」
「了解!!」
「いいか、絶対に周囲の建物や一般人に気取られるなよ! それも今回の任務のうちだからな。騒いでいいなら警察に任しときゃいいんだ」
そして静かに闘争の時は過ぎ、いくらかの血と命を散らせて終わる。
それでも街は何事もなかったかのように、人波に人を漂わせているだけだ。その一角で、小さな戦争が起きたことなど意に介さないように。
「A班総員、撤収準備完了しました」
「B班も撤収準備完了」
「C班も同じく」
「了解。それじゃ各班ごとに帰投だ。今日は気持ち良く眠れるぜ?」
これで終わりとばかりに掌をぱんぱんと払う仕草をして、ラルフは満足げに笑った。作戦は気持ちいいぐらい予定通りに進み、こちらの被害はゼロ。確保した馬鹿どもは警察に引き渡した。後は基地に戻るだけだ。
「――って、ちょっと待てレオナ」
ラルフの指示で、一度は報告に集まった各班の担当者が、再び自分の班に戻っていく。その中の、藍色の髪の後姿に再びラルフは違和感を覚えて、それを呼び止めた。
振り返ったレオナは、恋人の演技が終わって、もういつもの無表情だ。髪は藍色。金髪のウィッグは外してしまったらしい。
「何かお前、さっきから妙なんだよな。ケガでもしたか? それとも腹でも痛いか?」
「いいえ、そんなことないわ。大丈夫よ」
「本当か? 慣れない靴なんか履いてて、足首捻ったとかそんなんじゃないのか?」
「大佐、そりゃ心配し過ぎってもんですよ」
口を挟んだのは、通りがかったB班の連中だ。クラークもいる。
クラークも傷口を埋めるパテを剥がし、サングラスを掛けたいつものスタイルに戻っている。髪はまだ赤いが、これはシャンプー一度で落ちるはずだ。
「レオナ、今回はちょっと凄かったですよ。殊勲賞ものです。ありゃケガ人や病人の動きじゃないですってば。あれでケガ人なら、俺らの仕事なんてなくなっちまう」
「ああ、そんな高いヒールのサンダルで、良くそれだけ動けるもんだよ。レオナお前、情報局でも充分やっていけるぞ?」
クラークにもそう言われてしまえば、ラルフはそれ以上何も言えない。
「それじゃあ何だろうなあ。本当にお前、なんでもないのか?」
そう食い下がってみるものの、「なんでもないって、言っているでしょう?」と言われてしまえばそれまでだ。
「いや、でも何か違うんだよなあ」
「……用がないなら、帰投するわ」
「んー、本人がそう言うんじゃ仕方ねえよな。それじゃ、また後でな」
「了解」
そう言って再び離れかける後姿を見て、ラルフは再び首を捻る。どうにも腑に落ちない。まさか服と靴が違うせいで引っかかっている、と言うわけでもないだろう。だが、髪の色が戻った今、普段と違うのはその二ヶ所ぐらいなものなのだ。服と靴、服と――
「待てレオナ! お前、靴脱いで見ろ、そのサンダル!!」
振り向いたレオナは、何か言いたげな顔をして、しかしすぐに諦めた風でサンダルを脱いだ。
「うわ、こりゃひどい人魚姫だわ」
ラルフの予想通りだった。スニーカーと軍靴と、良くてパンプスしか履かないレオナが、服装に合わせるためとはいえ、急にヒールの高い華奢なサンダルなど履かされたのだ。作戦準備の訓練で履き馴らしたとはいえ、尾行を始めてから数時間、すっかり痛々しい靴擦れだらけである。
「お前、この足で良く動けたなあ」
「……戦場だもの」
「そりゃ俺だって、豆の上に豆ができるぐらいの強行軍は何度もやったけどよ。こいつはひでえぞ、皮がべろべろじゃねえか」
「大丈夫よ、まだ歩けるから」
「馬鹿、無理すると治りが遅くなって余計に迷惑だってんだよ。今回は楽な仕事だったんだ、例え靴擦れだろうと、後に引くようなダメージ残すな。次の任務に障ったらどうする」
「わかったわ」
今度はレオナが溜息を吐いた。誰にも気付かせないようにしていたつもりだったのだろう。こと戦場に関することには、プライドも高いし気の強いところを見せるレオナだ。その少々間の抜けた負傷を、最後の最後で上官に気付かれてしまったのは無念かもしれない。
それをこっそり笑ってから、ラルフはレオナに背を向けてしゃがむ。
「……?」
「車まで背負っていってやるよ。本当は立ってるのも辛いんだろ?」
「大丈夫よ、歩ける」
「いいから、早いとこ乗れよ。結構この体勢、疲れるんだぞ?」
「でも」
「殊勲賞ものの働きだったんだろ? お祝いに上官殿が背負ってやるって言ってるんだ。速くしろよ」
「レオナ、こいつ言い出したら聞かないから、もう諦めろ」
上の方から降って来た声はクラークのものだ。
しばらく戸惑っていた気配があって、それからおずおずと肩に手が乗せられ、続いて体の重みが背中に預けられる。
「よいせ、っと」
足を抱えて立ち上がると、長い間ウィッグを被っていたせいか、妙な癖が付いてしまった髪が、居心地悪そうにラルフの顔の横に落ちてきた。
「あ、大佐がレオナちゃんおんぶしてる」
「いいなあ、俺も俺も」
「うるせえ、羨ましかったらクラークに背負ってもらえ」
「そっちが羨ましいんじゃないですよっ」
再び騒ぎ出す連中を無視して、レオナを背負ったラルフは歩き出す。まさかこの歳になって人に背負われるとは思わなかったのだろう。しかも車に着くまでは街中を歩かなければならない。集まる視線がさすがに恥ずかしいらしく、レオナは顔を伏せて無言だ。
「ところで、よお」
そのレオナに、ラルフは思い出したように訊いてみる。
「さっきの「オールグリーン」のアイス、フレーバーは何だったんだ?」
「……メロンと……アボカドのフローズンヨーグルト」
「うわ、そんなフレーバーあるのか。今度あの店、行ってみるかな」
「その時は、奢るわ」
「何でよ?」
「背負ってもらった、お礼」
「その時はサンダルじゃなくて、スニーカー履いて来いよ」
「そうね」
夜の街を、レオナを背負ってラルフが歩く。
車までは、あともう少しだ。二人とも、「あと少ししかない」と心のどこかで思っている自分に気付かないまま、夜が更けていく。
それは、傍目にも似合いのカップルだった。赤い髪の男は背が高く、体を鍛えているらしく筋肉が盛り上がった肩が広い。さぞや頼りがいのある恋人だろう。
女の方も、男と吊り合う長身である。赤の強いピンクのサマードレスが、金髪と長い脚に良く似合った。顔立ちはややきついが造作が整っていて、割と美人の部類と言える。
ふと、女が歩みを止めて、男の麻のジャケットの袖を引っ張った。反対の手で指差した先は、屋台のアイスクリーム売りだ。いいよ、買っておいで。そんな会話があったのか、女は男をその場において、華奢なサンダルの足元も軽やかに駆けていく。
「お、アイス買ってますよ。しかもダブル」
その様子を、近くのビルの屋上から双眼鏡で見ていた男達がいた。
「フレーバーは?」
「チョコミントとメロンでしょうかね、二段ともグリーンですよ」
デートの出歯亀にしては、物騒な集団だった。高倍率の双眼鏡と黒尽くめはともかく、完全武装である。ハンドガンやらナイフやら、ショットガンや手榴弾まで装備した出歯亀がどこの世界にいる。
「いや、あいつはどっちかというとフローズンヨーグルト派だからな。チョコミントじゃなくて、ジャパニーズグリーンティ入りのフローズンヨーグルトとかじゃねえか?」
「そんな小洒落たものが、屋台のアイス屋にありますかね」
「賭けるか?」
「いいですよ。何ドルにします?」
「俺、大佐が負ける方に10ドル」
「俺もそっち。しかし、いいなあ」
物騒すぎる出歯亀の一人がついに、堪りかねたような声を上げた。途端に同意するかのような溜息があちこちでこぼれる。
「馬鹿、言うなよ。みんな空しいんだから」
「そうだそうだ、俺だってこんなところに詰めてないで女の子とアイス舐めたいよ」
そんなことを言われているとは露知らず、いやもしかしたら予想の範疇かもしれないが、赤毛と金髪の恋人同士――クラークとレオナは、アイスを片手にまた歩き出す。
そう呼ぶにはお粗末なほどの、ごく簡単な変装だ。クラークがトレードマークの帽子とサングラスを取って額の傷跡をパテで埋め、レオナがちょっと化粧をして、らしくない格好をすれば、それだけでもうまるで他人に見える。ついでに髪の色まで変えてしまったら、いくらKOFを熱心にTV観戦していた者でも、なかなかあの二人だとは気付かない。
人間の思い込みとは恐ろしいものである。だからこそ、ラルフもクラークも、あえてトレードマークになるようなものを身に着けてKOFに臨んでいるのだが。
「あー、レオナちゃんからアイス分けてもらってるぜ、中尉ってば」
「レオナちゃんとデート、しかもアイスクリーム付きかよ! 畜生!!」
ほとんど悲鳴に近い声を、ラルフはうんざりした顔で聞いていた。
クラークとレオナの変装は、別にこの出歯亀――もとい、同じチームの仲間達の目を欺くためのものではない。任務のための変装である。
時と場合にもよるが、男女のペアは街中での尾行に向いている。女の気まぐれに付き合っているふりを装えば、突然止まっても進行方向を変えてもおかしくないし、歩みが遅くても早くてもそれなりに自然だ。腕を組むふりをして相手の体に触れていれば、何かあった時には言葉を発せずにサインを送ることもできる。それにターゲットが女性にしか入れない場所、男性にしか入れない場所に向かったとしても、一旦別れて都合のいい方が追えばいいのだ。だから、情報局には女性の工作員が多数配属されている。
しかし、通常の部隊にはまだ女性は少ないし、情報局の手を借りるには荒過ぎる仕事もやってくる。そういう時はなんとか自前でペアを用意するのだが、その役に立ちそうなのは、ラルフのチームにはレオナしかいなかった。
当然、部隊は相手役を巡って騒然となる。レオナは色気のないチームの中では、ちょっとした「隠れアイドル」的存在だ。普段は色恋沙汰に縁も興味もなく、口説いたところで走り込みやトレーニングルームを御一緒するのが精一杯、それ以上を望めばあの教官にどんな「教育的指導」を食らうかわからない、というレオナと、擬似とはいえ公認でデートができるのだ。
だが、ペアを組む最低条件はレオナの足を引っ張らない尾行スキルを持つこと、というラルフの言葉に部隊の盛り上がりは一気に消火した。そんなスキルを持っているのは、情報局出身のクラークと、いざという時は野性的なカンと能力を発揮するラルフだけだ。なにしろ、レオナの尾行術はハイデルン仕込である。並の人間ではスキルが釣り合わない。
そして、今回はクラークにその役目が行った。レオナと街中を歩くなら、クラークの方がより馴染む。これがナイトクラブやカジノなら、ラルフの方がそれらしい雰囲気になるだろう。ラルフにしてみたら、単にそれだけのことなのである。
「いい加減にしろよ、お前ら。これから一仕事だ」
だからラルフはうんざり顔だ。
クラークはレオナなど、というより女性全般が眼中にないような男だし、ラルフに言わせれば「あんなヒヨコなんか齧ったって俺の腹の足しにゃならねえよ」となる。つまり、レオナにそういった下心を持たない二人だけが条件に合致するというのは皮肉な話ではあるが、ラルフにしてみればそれ以上でもそれ以下でもない。確かにレオナは将来有望な美少女だが、チームの連中を狂騒っぷりを見ていると、何もそこまでという気分にもなる。
「そんな話は帰投してからにしろ。信号は「オールグリーン」だったんだ。無駄口叩いてる間にターゲットが来るぞ」
二段のアイスクリームのどちらも緑。それは二人の行動を双眼鏡で確認しているはずのラルフたちに対する、レオナからの「万事問題なし」のサインだ。無線を使っての連絡を傍受されることを恐れて、今回はそんな回りくどい手を使っている。
「確認するぞ。ターゲットが建物内に入り次第、正面入り口はレオナとクラーク、それから外で待機しているB班が制圧。C班は裏口他の脱出経路を押さえる。で、俺達A班の仕事は?」
「屋上から順に階下を制圧。ターゲットの身柄を確保するついでに、いい想いをした中尉に一杯奢ってもらう」
「アイスクリームで良けりゃ俺が奢ってやるよ」
無駄口は止めろと言いながら、自分も軽口を返してラルフは双眼鏡を覗く。レンズの向こうでは、相変わらず二人が恋人の演技を続けている。ターゲットが確実にこの建物に入らないと、今回の作戦は成り立たない。その瞬間を確実に捉えるために、戦力としては大きい二人をわざわざ割いて、ターゲットを尾行させているのだ。
普段のレオナは髪と軍服の色の暗さと無表情のせいで近寄りがたい雰囲気が強いが、こうして金髪にして明るい色のドレスを着せ、演技とはいえ笑って見せれば。
「……結構グラマーだし可愛いじゃねえかよ」
ラルフは思わずそう呟いて、それからしまったと口元を押さえた。そんな言葉を聞かれたら、後でなんと笑われるかわかったものではない。幸いにも、仲間達は相変わらず軽口を叩いてはいるが、装備の最後の確認やら何やらでラルフの様子など見ていなかった。
安堵しつつ、再び双眼鏡を覗いて、ラルフはちょっと首を傾げた。目に入る光景にどことなく違和感がある。何がおかしいとははっきり言えないのだが、何かが妙なのだ。それがレオナに関することだということまではわかるのだが、そこから先がわからない。
首を傾げているうちに、クラークとレオナは最終チェックポイントの到着した。クラークがレオナの肩をぽんと叩く。これも「問題なし」の合図だ。二人の目の前で、ターゲットはラルフ達が屋上に陣取ったビルに入ったらしい。
「よっしゃ、合図出たぞ。状況開始!」
「了解!!」
「いいか、絶対に周囲の建物や一般人に気取られるなよ! それも今回の任務のうちだからな。騒いでいいなら警察に任しときゃいいんだ」
そして静かに闘争の時は過ぎ、いくらかの血と命を散らせて終わる。
それでも街は何事もなかったかのように、人波に人を漂わせているだけだ。その一角で、小さな戦争が起きたことなど意に介さないように。
「A班総員、撤収準備完了しました」
「B班も撤収準備完了」
「C班も同じく」
「了解。それじゃ各班ごとに帰投だ。今日は気持ち良く眠れるぜ?」
これで終わりとばかりに掌をぱんぱんと払う仕草をして、ラルフは満足げに笑った。作戦は気持ちいいぐらい予定通りに進み、こちらの被害はゼロ。確保した馬鹿どもは警察に引き渡した。後は基地に戻るだけだ。
「――って、ちょっと待てレオナ」
ラルフの指示で、一度は報告に集まった各班の担当者が、再び自分の班に戻っていく。その中の、藍色の髪の後姿に再びラルフは違和感を覚えて、それを呼び止めた。
振り返ったレオナは、恋人の演技が終わって、もういつもの無表情だ。髪は藍色。金髪のウィッグは外してしまったらしい。
「何かお前、さっきから妙なんだよな。ケガでもしたか? それとも腹でも痛いか?」
「いいえ、そんなことないわ。大丈夫よ」
「本当か? 慣れない靴なんか履いてて、足首捻ったとかそんなんじゃないのか?」
「大佐、そりゃ心配し過ぎってもんですよ」
口を挟んだのは、通りがかったB班の連中だ。クラークもいる。
クラークも傷口を埋めるパテを剥がし、サングラスを掛けたいつものスタイルに戻っている。髪はまだ赤いが、これはシャンプー一度で落ちるはずだ。
「レオナ、今回はちょっと凄かったですよ。殊勲賞ものです。ありゃケガ人や病人の動きじゃないですってば。あれでケガ人なら、俺らの仕事なんてなくなっちまう」
「ああ、そんな高いヒールのサンダルで、良くそれだけ動けるもんだよ。レオナお前、情報局でも充分やっていけるぞ?」
クラークにもそう言われてしまえば、ラルフはそれ以上何も言えない。
「それじゃあ何だろうなあ。本当にお前、なんでもないのか?」
そう食い下がってみるものの、「なんでもないって、言っているでしょう?」と言われてしまえばそれまでだ。
「いや、でも何か違うんだよなあ」
「……用がないなら、帰投するわ」
「んー、本人がそう言うんじゃ仕方ねえよな。それじゃ、また後でな」
「了解」
そう言って再び離れかける後姿を見て、ラルフは再び首を捻る。どうにも腑に落ちない。まさか服と靴が違うせいで引っかかっている、と言うわけでもないだろう。だが、髪の色が戻った今、普段と違うのはその二ヶ所ぐらいなものなのだ。服と靴、服と――
「待てレオナ! お前、靴脱いで見ろ、そのサンダル!!」
振り向いたレオナは、何か言いたげな顔をして、しかしすぐに諦めた風でサンダルを脱いだ。
「うわ、こりゃひどい人魚姫だわ」
ラルフの予想通りだった。スニーカーと軍靴と、良くてパンプスしか履かないレオナが、服装に合わせるためとはいえ、急にヒールの高い華奢なサンダルなど履かされたのだ。作戦準備の訓練で履き馴らしたとはいえ、尾行を始めてから数時間、すっかり痛々しい靴擦れだらけである。
「お前、この足で良く動けたなあ」
「……戦場だもの」
「そりゃ俺だって、豆の上に豆ができるぐらいの強行軍は何度もやったけどよ。こいつはひでえぞ、皮がべろべろじゃねえか」
「大丈夫よ、まだ歩けるから」
「馬鹿、無理すると治りが遅くなって余計に迷惑だってんだよ。今回は楽な仕事だったんだ、例え靴擦れだろうと、後に引くようなダメージ残すな。次の任務に障ったらどうする」
「わかったわ」
今度はレオナが溜息を吐いた。誰にも気付かせないようにしていたつもりだったのだろう。こと戦場に関することには、プライドも高いし気の強いところを見せるレオナだ。その少々間の抜けた負傷を、最後の最後で上官に気付かれてしまったのは無念かもしれない。
それをこっそり笑ってから、ラルフはレオナに背を向けてしゃがむ。
「……?」
「車まで背負っていってやるよ。本当は立ってるのも辛いんだろ?」
「大丈夫よ、歩ける」
「いいから、早いとこ乗れよ。結構この体勢、疲れるんだぞ?」
「でも」
「殊勲賞ものの働きだったんだろ? お祝いに上官殿が背負ってやるって言ってるんだ。速くしろよ」
「レオナ、こいつ言い出したら聞かないから、もう諦めろ」
上の方から降って来た声はクラークのものだ。
しばらく戸惑っていた気配があって、それからおずおずと肩に手が乗せられ、続いて体の重みが背中に預けられる。
「よいせ、っと」
足を抱えて立ち上がると、長い間ウィッグを被っていたせいか、妙な癖が付いてしまった髪が、居心地悪そうにラルフの顔の横に落ちてきた。
「あ、大佐がレオナちゃんおんぶしてる」
「いいなあ、俺も俺も」
「うるせえ、羨ましかったらクラークに背負ってもらえ」
「そっちが羨ましいんじゃないですよっ」
再び騒ぎ出す連中を無視して、レオナを背負ったラルフは歩き出す。まさかこの歳になって人に背負われるとは思わなかったのだろう。しかも車に着くまでは街中を歩かなければならない。集まる視線がさすがに恥ずかしいらしく、レオナは顔を伏せて無言だ。
「ところで、よお」
そのレオナに、ラルフは思い出したように訊いてみる。
「さっきの「オールグリーン」のアイス、フレーバーは何だったんだ?」
「……メロンと……アボカドのフローズンヨーグルト」
「うわ、そんなフレーバーあるのか。今度あの店、行ってみるかな」
「その時は、奢るわ」
「何でよ?」
「背負ってもらった、お礼」
「その時はサンダルじゃなくて、スニーカー履いて来いよ」
「そうね」
夜の街を、レオナを背負ってラルフが歩く。
車までは、あともう少しだ。二人とも、「あと少ししかない」と心のどこかで思っている自分に気付かないまま、夜が更けていく。
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