銃口を向けられたから撃ち返してみれば、相手はまだほんの子供だった。どういうわけか、その日はそんなことが三度も続いた。子供が戦場にいるのは珍しいことではないし、やり合うこともにも慣れてはいるが、決して気分のいいものではない。わずかばかりの食事と、とりあえずは雨風が防げる程度の寝ぐらという、とても割に合わない報酬のために戦って、十二やそこらの命を失う子供。それを手にかけて何とも思わないほど、ラルフは枯れてはいなかった。かといって、判断を迷えば自分が死ぬ。それでいいと思えるほど、お人良しでもなかった。
だからアフリカは嫌いなんだ、とラルフは思う。人買いの習慣が色濃く残る土地だ。どこに行っても、親に売られたり、どこからか攫われてきた子供が戦場を支えている。仕事先をより好みできるほど偉くなったつもりはないが、できれば避けて通りたい場所ではあった。
そんな風に思っていたからか、久しぶりに夢を見た。夢というよりむしろ幻覚だ。昔良く見た悪い夢だ。
親もなくて家もなくて、金も食い物ももちろんなくて、暖かい毛布なんざ知らないから憧れたこともなくて、ただこれを使ってこういうことをすればその日の飯にありつけるということだけ知っていて、毎日銃を持って人を殺した。悪い夢だ。しかもただの夢ではなくて、昔の記憶が夢になってやってくるのだから性質が悪い。
そんな日々を送っていた頃からかれこれ三十年近くも過ぎて、悲鳴を上げて飛び起きることこそなくなったが、今でも嫌な汗をたっぷりかいて、真夜中に目を覚ますことはある。
テントの中、簡易寝台の上で身を起こすと、汗を吸って嫌な手触りになった毛布が床に落ちた。横を見れば、十年来の相棒が静かな寝息を立てている。良く寝てやがるな畜生め、と思いながら、その眠りを妨げないように息を殺してテントを出た。
明日にはもう少し前線に近付く。そうしたらもう、テントも張れないし寝台も置けない。それどころかまともに寝る余裕があるかどうかもわからないのだから、今夜ぐらいは良く寝ておきたかったのになと頭を掻く。だが、すぐに寝台に戻る気にはなれない。悪い夢が寝台を離れていくまで、自分も少し離れていたい。
昼間のアレのせいかな、と煙草に火を点けながら考える。無造作に煙草を吸えるのも今の内だけだ。前線では火や煙を敵に気付かれるのを恐れて、煙草一本吸うにも気を使う。そんな状況で吸う煙草は旨くない。かと言って、滅入った気持ちのまま咥えた煙草もさして旨いわけではない。
ああいう子供を、憐れみたいわけでも、救いたいわけでもない。そんなことを考えていたら、銃を向けられても撃ち返せなくなる。いや、一瞬でも迷えばその間に自分が撃ち殺される。
それでも心のどこかに、何かわだかまるものがあって、それが悪夢になって寝台にやってくる。過去の自分を、悪夢の中に残る自分の亡霊を何度も何度も撃ち殺す、そんな気がして滅入ってくる。
夜に忍んでやって来るのなんて女だけで結構なのに、と忍び笑いを漏らしたところだった。
「……ラルフ?」
別のテントで寝ていたはずの恋人の姿に少し慌てたのは、その気配に気付かなかったせいではない。ここは戦場だ。最前線でなくても戦場だ。眠っていても油断なく周りの気配を伺っていて、何かあればすぐ飛び起きる。基地で過ごす訓練以外の大半はデスクに突っ伏して惰眠を貪っていようと、戦場に戻るとそういう風に意識が切り替わる。だから、敵ではない誰かが近付いてきているということぐらい、ちゃんとわかっていた。
それなのに驚いたのは、「忍んで来る女」の数にこの歳若い恋人を含めていなかったせいかもしれない。単に、レオナにはそういうことを期待していないだけなのだが。
「何やってんだお前。今日ぐらいはちゃんと寝とけよ。明日はテントはもう無理だぞ。良くて地べたに寝袋だ」
「それはあなたも同じよ」
「まあ、そうなんだけどよ」
座り込んで煙草の煙を吐き出すラルフの隣にレオナも座る。地面は堅く、夜気で冷えていて座り心地がいいとは言えない。当然寝心地だって悪い。そういう場所で敵の気配に気を配りつつ、それでも難なく眠れるようになったのはいつの頃だったろう。そして、すでにそれができるようになっているレオナを、ラルフは少し複雑な気持ちで見る。
憐れみたいわけではない。救いたいわけではない。きっかけはどうあれ、レオナは自分の意思でこの世界に残ることを選んだのだ。ラルフも同じだ。いつでも出て行くことができたはずなのに、どういうわけかずっと戦場に居残っている。
「眠れないのか、お前も」
「あなたも?」
「さっきちょっと、夢見が悪くて目が覚めた」
「私も」
「どんな夢を見た」
「私の知らない私の夢」
「なんだそりゃ」
ラルフは二本目の煙草に火を点ける。レオナは手持ち無沙汰を、髪を一房弄んで誤魔化す。
「それが私であることは確かなの。戦場にいて、銃を持って戦って、疲れると適当な木の陰を探すか浅い穴を掘ってそこで寝て、空腹になると装備から糧食を出して食べて。それは今と変わらないのだけれど」
でも、とレオナは言った。
「でも、一人なの。誰もいなかったわ。チームの皆も、クラークも、義父も、あなたも。今日のあの子達みたいに、一人だった」
なんだ、二人して似たような夢見てたのかよと笑おうとして、ラルフは上手く笑えなかった。
言い得て妙だ。私の知らない私の夢。確かにそれは、いつラルフやレオナの人生に置き換わってもおかしくはなかった。実際にラルフにはそうやって生きた時期があって、たまたまそこから抜け出す機会があっただけだ。レオナも同じだ。あの教官を義父に持ったお陰で、レオナは自分の人生を選択する自由を得た。それがなければ、レオナはおそらく、あの呪われた血の一族の一人として生き、戦う以外の道を知らなかっただろう。
今も戦っていることには変わりはない。だがいくつかの偶然が、二人に戦うことを止める自由をもたらした。それがどれほどの幸運であるか、ラルフもレオナもわかっている。だから笑えなかった。
「私と彼らと、何が違うというのかしら」
レオナがぽつりと漏らす。その声の重さに、ラルフはあの夏の終わりを思い出す。レオナが自ら命を絶とうとした、あの時の声に似ていた。
「私に、彼らを殺してまで生きる資格はあるのかしら」
自分達はきっと、あの子供たちよりほんの少しだけ運が良かったのだ。それだけで運のなかった何万人かの、もう一人の自分の屍の上を歩いている。それだけの価値が自分にはあるか。その資格はあるのか。そうレオナは訊いている。
「私に彼らを殺す権利はあるのかしら」
それはそのまま、ラルフ自身がずっと抱えてきた疑問でもあった。
「誰も誰かを殺す権利なんか持っちゃいないさ」
それでもすぐにそう言えたのは年の功だ。単に年の違いならほんの倍だが、悩みを抱えた時間は十倍を超える。それなりの答えも持っていた。
「例えば、教官や俺はお前の命を救ったことがあるけどよ、だからってお前を殺していいって法はないわな。お前の命はお前のもんだ。他の誰かにどうこうする権利はねえよ」
それじゃ、とレオナが何か言いかかるのを制して、ラルフは続ける。
「俺達にあるのは、生きる権利だけさ。誰だってみんな、獣だの魚だの植物だの、他の何かの命を皿の上に載せて、フォークとナイフでとどめ刺して、そいつを食らって生きてんだ。そういう意味では、誰でも自分が生きるために誰かを殺す権利を持ってるんだな。さっき言ったのとはまるで逆になっちまうが」
詭弁かもしれない。言い訳かもしれない。
「だからお前、殺していいとは言わねえけどよ――いや、言えねえけどよ」
だが、時にはその言葉が必要なのだ。誰かの許しの言葉が。
「生きていいんだぞ。それには権利も資格も必要ねえんだ」
くぅ、とレオナが小さく喉を詰まらせる気配がした。ラルフはそっと、その肩を抱いてやる。
それがやがて抱擁に変わり、レオナの手が背中に回されて抱き返される格好になった時、ラルフはその手に自分も許されているのだと思った。
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だからアフリカは嫌いなんだ、とラルフは思う。人買いの習慣が色濃く残る土地だ。どこに行っても、親に売られたり、どこからか攫われてきた子供が戦場を支えている。仕事先をより好みできるほど偉くなったつもりはないが、できれば避けて通りたい場所ではあった。
そんな風に思っていたからか、久しぶりに夢を見た。夢というよりむしろ幻覚だ。昔良く見た悪い夢だ。
親もなくて家もなくて、金も食い物ももちろんなくて、暖かい毛布なんざ知らないから憧れたこともなくて、ただこれを使ってこういうことをすればその日の飯にありつけるということだけ知っていて、毎日銃を持って人を殺した。悪い夢だ。しかもただの夢ではなくて、昔の記憶が夢になってやってくるのだから性質が悪い。
そんな日々を送っていた頃からかれこれ三十年近くも過ぎて、悲鳴を上げて飛び起きることこそなくなったが、今でも嫌な汗をたっぷりかいて、真夜中に目を覚ますことはある。
テントの中、簡易寝台の上で身を起こすと、汗を吸って嫌な手触りになった毛布が床に落ちた。横を見れば、十年来の相棒が静かな寝息を立てている。良く寝てやがるな畜生め、と思いながら、その眠りを妨げないように息を殺してテントを出た。
明日にはもう少し前線に近付く。そうしたらもう、テントも張れないし寝台も置けない。それどころかまともに寝る余裕があるかどうかもわからないのだから、今夜ぐらいは良く寝ておきたかったのになと頭を掻く。だが、すぐに寝台に戻る気にはなれない。悪い夢が寝台を離れていくまで、自分も少し離れていたい。
昼間のアレのせいかな、と煙草に火を点けながら考える。無造作に煙草を吸えるのも今の内だけだ。前線では火や煙を敵に気付かれるのを恐れて、煙草一本吸うにも気を使う。そんな状況で吸う煙草は旨くない。かと言って、滅入った気持ちのまま咥えた煙草もさして旨いわけではない。
ああいう子供を、憐れみたいわけでも、救いたいわけでもない。そんなことを考えていたら、銃を向けられても撃ち返せなくなる。いや、一瞬でも迷えばその間に自分が撃ち殺される。
それでも心のどこかに、何かわだかまるものがあって、それが悪夢になって寝台にやってくる。過去の自分を、悪夢の中に残る自分の亡霊を何度も何度も撃ち殺す、そんな気がして滅入ってくる。
夜に忍んでやって来るのなんて女だけで結構なのに、と忍び笑いを漏らしたところだった。
「……ラルフ?」
別のテントで寝ていたはずの恋人の姿に少し慌てたのは、その気配に気付かなかったせいではない。ここは戦場だ。最前線でなくても戦場だ。眠っていても油断なく周りの気配を伺っていて、何かあればすぐ飛び起きる。基地で過ごす訓練以外の大半はデスクに突っ伏して惰眠を貪っていようと、戦場に戻るとそういう風に意識が切り替わる。だから、敵ではない誰かが近付いてきているということぐらい、ちゃんとわかっていた。
それなのに驚いたのは、「忍んで来る女」の数にこの歳若い恋人を含めていなかったせいかもしれない。単に、レオナにはそういうことを期待していないだけなのだが。
「何やってんだお前。今日ぐらいはちゃんと寝とけよ。明日はテントはもう無理だぞ。良くて地べたに寝袋だ」
「それはあなたも同じよ」
「まあ、そうなんだけどよ」
座り込んで煙草の煙を吐き出すラルフの隣にレオナも座る。地面は堅く、夜気で冷えていて座り心地がいいとは言えない。当然寝心地だって悪い。そういう場所で敵の気配に気を配りつつ、それでも難なく眠れるようになったのはいつの頃だったろう。そして、すでにそれができるようになっているレオナを、ラルフは少し複雑な気持ちで見る。
憐れみたいわけではない。救いたいわけではない。きっかけはどうあれ、レオナは自分の意思でこの世界に残ることを選んだのだ。ラルフも同じだ。いつでも出て行くことができたはずなのに、どういうわけかずっと戦場に居残っている。
「眠れないのか、お前も」
「あなたも?」
「さっきちょっと、夢見が悪くて目が覚めた」
「私も」
「どんな夢を見た」
「私の知らない私の夢」
「なんだそりゃ」
ラルフは二本目の煙草に火を点ける。レオナは手持ち無沙汰を、髪を一房弄んで誤魔化す。
「それが私であることは確かなの。戦場にいて、銃を持って戦って、疲れると適当な木の陰を探すか浅い穴を掘ってそこで寝て、空腹になると装備から糧食を出して食べて。それは今と変わらないのだけれど」
でも、とレオナは言った。
「でも、一人なの。誰もいなかったわ。チームの皆も、クラークも、義父も、あなたも。今日のあの子達みたいに、一人だった」
なんだ、二人して似たような夢見てたのかよと笑おうとして、ラルフは上手く笑えなかった。
言い得て妙だ。私の知らない私の夢。確かにそれは、いつラルフやレオナの人生に置き換わってもおかしくはなかった。実際にラルフにはそうやって生きた時期があって、たまたまそこから抜け出す機会があっただけだ。レオナも同じだ。あの教官を義父に持ったお陰で、レオナは自分の人生を選択する自由を得た。それがなければ、レオナはおそらく、あの呪われた血の一族の一人として生き、戦う以外の道を知らなかっただろう。
今も戦っていることには変わりはない。だがいくつかの偶然が、二人に戦うことを止める自由をもたらした。それがどれほどの幸運であるか、ラルフもレオナもわかっている。だから笑えなかった。
「私と彼らと、何が違うというのかしら」
レオナがぽつりと漏らす。その声の重さに、ラルフはあの夏の終わりを思い出す。レオナが自ら命を絶とうとした、あの時の声に似ていた。
「私に、彼らを殺してまで生きる資格はあるのかしら」
自分達はきっと、あの子供たちよりほんの少しだけ運が良かったのだ。それだけで運のなかった何万人かの、もう一人の自分の屍の上を歩いている。それだけの価値が自分にはあるか。その資格はあるのか。そうレオナは訊いている。
「私に彼らを殺す権利はあるのかしら」
それはそのまま、ラルフ自身がずっと抱えてきた疑問でもあった。
「誰も誰かを殺す権利なんか持っちゃいないさ」
それでもすぐにそう言えたのは年の功だ。単に年の違いならほんの倍だが、悩みを抱えた時間は十倍を超える。それなりの答えも持っていた。
「例えば、教官や俺はお前の命を救ったことがあるけどよ、だからってお前を殺していいって法はないわな。お前の命はお前のもんだ。他の誰かにどうこうする権利はねえよ」
それじゃ、とレオナが何か言いかかるのを制して、ラルフは続ける。
「俺達にあるのは、生きる権利だけさ。誰だってみんな、獣だの魚だの植物だの、他の何かの命を皿の上に載せて、フォークとナイフでとどめ刺して、そいつを食らって生きてんだ。そういう意味では、誰でも自分が生きるために誰かを殺す権利を持ってるんだな。さっき言ったのとはまるで逆になっちまうが」
詭弁かもしれない。言い訳かもしれない。
「だからお前、殺していいとは言わねえけどよ――いや、言えねえけどよ」
だが、時にはその言葉が必要なのだ。誰かの許しの言葉が。
「生きていいんだぞ。それには権利も資格も必要ねえんだ」
くぅ、とレオナが小さく喉を詰まらせる気配がした。ラルフはそっと、その肩を抱いてやる。
それがやがて抱擁に変わり、レオナの手が背中に回されて抱き返される格好になった時、ラルフはその手に自分も許されているのだと思った。
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