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戦場のメリークリスマス

「レオナ、お前、どこの引いた?」
「フランス」
「お、当たりじゃねえか。クラークは?」
「アメリカですね」
「なんだ、外れ組か。俺もだけどさ」
「エネルギーバーに当たりも外れもないでしょうよ。パウチならともかく」
「けどなあ」
 ぼやくラルフの手元にあるのは、レーション(戦闘糧食)の通称「エネルギーバー」だ。
 傭兵部隊の装備品その他は、各国の横流しによるものが多く、レーションもそのひとつである。だが、レーションの味には各国で大きな差があるため、不公平にならないよう、ランダムに配給されることになっている。そこで、当たり外れというものが発生するのだ。
 レオナが齧っているフランスのものは、「美味しい」ことで有名な部類だ。他にも、イタリアや日本のものが美味しいと言われ、配給された者は「当たり」と羨ましがられる。
 逆に外れがアメリカ。かつての物よりはだいぶ改善されたとはいえ、まだまだ微妙な味である。それが一番、一般市場に流出しやすく、傭兵部隊の糧食の8割以上を占めているのだから不満の声が上がるのも当然だろう。
 しかし、エネルギー不足を補うためだけの、油脂と炭水化物と糖分の塊であるエネルギーバーに関しては、どこの国も大して差はない。せいぜい、ナッツが主体だとか、ドライフルーツが多いとか、その程度の差だ。クラークなど、かえって慣れた味のアメリカ産の方が口に合う。
 もそもそとバーを齧り、水筒の水を飲む。
 気温は低い。底冷えするような夜だというのに、敵に発見されることを恐れて火も焚けずにいるせいで、体が冷えて来ている。こうしてカロリーを摂取して、内側から体温を上げないと、凍えきって体が動かなくなりそうだ。
 本当は、同じレーションでももう少し料理らしい料理が入ったパウチを温め、きちんとした食事を摂りたいところだが、それが許される状況ではなかった。。
 敵陣の真っ只中である。作戦のメインである目標の破壊には成功したが、撤退にしくじった。負傷者もいるから無茶な行動はできないし、なにより圧倒的多数の敵兵に包囲されてしまっている。
 幸いにも、まだこちらの居場所は発見されていないが、脱出する程の隙もない。このままでは、じわじわと包囲の輪を狭められて、発見されるのは時間の問題だ。
「しかし参ったな」
 いち早くバーを胃に収めたラルフが、バーの包装紙をぐしゃりと握りつぶしてポケットに押し込む。
 別にラルフは、自然環境の保護を心がけてゴミを残さないわけではない。その辺りに適当に捨てて、それをきっかけに追跡されるのはあまりにも馬鹿らしいと思っているだけだ。移動を前提にしているなら、自分達がここにいたという痕跡は、なるべく減らすに限る。
「参りましたね。こんな風に追い詰められたのは、数年ぶりじゃないですか」
「確かにここんとこなかったな。若い頃は負け戦なんか日常茶飯事で、しょっちゅうこんな目に遭ってたけどな」
 そういや、こいつはこういうの、初めてじゃなかったっけ?と、ラルフは傍らの少女を見る。
 レオナは、バーの最後のひとかけらを、口に入れたところだった。この、戦場に出てから日の浅い少女は、まだ本当の負け戦を知らない。こんな風に、呑気にバーを齧っていられるようなものではない、本当の負け戦。少し前まで仲間と呼んでいたものがただの肉の塊になって、それを踏み越えて逃げ惑うような負け戦を知らない。
 動揺するでもなく、食事が喉を通らないということもなく、黙々とバーを齧っていられるのは、そのせいだろうかなどと考えてみる。
 レオナがバーを飲み込んだのを見計らって、ラルフは声を掛けた。
「レオナ」
「何?」
 やはり、不安の色など微塵も見せない声である。
「負傷者の具合を、ちょっと聞いてきてくれ」
「了解」
 負傷者を抱えたチームは、ラルフたちが隠れている岩陰から少し離れた、別の岩の陰に身を潜めている。普通なら大声を出せば済む距離だが、今はそういう訳にはいかない。となると、習い覚えた暗殺術の成果として、足音をほとんど立てずに移動できるレオナは、これ以上ない伝令と言えた。
 レオナは周囲を伺いながら、素早く岩陰を飛び出していく。その矢先に、ぽつりと来た。
 雨である。
 雨は更に体温を、そして体力を奪う。その上、ここの土地は泥質でぬかるみやすい。雨が降れば降るほど、脱出が更に困難になるのは目に見えていた。
「参ったな」
 そう繰り返し、ラルフは空を見上げた。夜空には、雲が厚く重なっている。通り雨で済む気配ではなかった。

 

 慣れたはずの装備が妙に重く感じるのは、ブーツの中までずぶ濡れになってしまったせいだろうか。いくら防水素材の戦闘服とはいえ、雨を防ぐには限界がある。こんなに激しく動いていればなおさらだ。雨滴は、襟元やあちこちの裂け目から容赦なく入り込んでくる。
 体が冷えている、そう自覚していた。冷えて筋肉が強張った体が、思考の速度に付いていかない。まるで自分だけがスローモーションの世界にいるような気がする。
 後方から声が聞こえた。味方の声では有り得ない。
 一番近くて太くて、盾にできるぐらい頑丈そうに見える木の陰に飛び込みながら、挨拶代わりに小銃を何発か撃ち込んでやった。悲鳴が上がったところを見ると、少なくとも1発は当たったらしい。相手は何秒かそれに気を取られる、と予測してまた走る。
「やべえかな」
 そんな台詞が出てくるうちはまだ大丈夫だと思いつつ、頭の中で残弾を計算した。あまり余裕のある数は残っていない。もう無駄遣いはできない。
「やべえな、やっぱり」
 先程より、怒りの度合いが増した声が追ってくる。仲間を撃たれて逆上したのだろう。ばら撒かれる鉛弾を横っ飛びに避けて、また走る。
 走るより、ない。

 

 表情の変化の乏しいレオナから、感情の起伏を読み取るのは難しい。だが、そこは長い付き合いだ。戻ってきたレオナの報告を聞く前に、普段よりも僅かに眉を顰めた顔から、ラルフとクラークは状況があまり芳しくないことを理解した。
「早いうちに、まともな医療施設に搬送した方がいいわ。このまま4時間も放っておいたら、担架じゃなくて死体袋が必要になると思う」
「お前、そんなブラックな冗談、どこで覚えた?」
「ここで。大佐と中尉から」
 その答えに、ラルフは憮然とし、クラークは苦笑した。確かにそれは、ラルフとクラークのやり取りに良く使われるような冗談だ。
「だからって、お前ね。使って笑いが取れる人間と、そうでない人間がいるってことをわきまえろよ」
「使う場所はわきまえたつもり」
「あのなあ――」
「で、どうします?」
 非建設的なやり取りに、終止符を打ったのはクラークだった。クラークも、レオナの冗談などという滅多に出ない貴重な代物をもう少し聞いていたいという気持ちはあったが、状況が状況である。
「完全包囲の四面楚歌。戦力差は計算するのも馬鹿らしいぐらい圧倒的。援軍を待つ時間もない。どうやって、切り抜けます?」
「あー、そうだよなー」
 がりがりと頭を掻きながら、ラルフが考え込む。その間、ほんの数秒。
 悩むのは苦手で、決断の早い男である。それを無謀と言うか、英断と評するかは別の問題として。
「俺がちょっと、引っ掻き回してくるから、お前たちはその間に脱出しろ」
「大佐1人で?」
「陽動にそんなに人数裂くもんじゃねえだろ。かえって1人の方が身軽でいいさ」
「無謀だわ」
 レオナが、ゆっくりと首を横に振る。
「1人じゃ無理よ。私も行くわ」
「駄目だ。お前はクラークの補佐」
「あれだけの人数を、1人で相手にするの? 危険だわ」
「1人の方がいいんだよ」
 今度は、ラルフが首を横に振る番だ。まだまだ分かっちゃいねえヒヨコだな、という顔だ。
「味方が周りにいないからこそ、できる無茶ってもんがあるんだよ。大体、負傷者連れて移動するそっちの方が、ある意味よっぽど面倒で危険だっての。そこからこれ以上、主力を割けるか?」
「でも……!」
「レオナ、指揮官命令」
 クラークの言葉に、急に現実に引き戻されたかのように、レオナは絶句する。
 この場の最高指揮官はラルフだ。そのラルフがやる、と言っている。レオナは、それに口答えして良い立場ではない。
 上官の命令は絶対。それはレオナにも骨の髄まで染み込んでいる、軍人の最低限にして最大のルールだ。
 それを、一瞬とは言え、忘れた。忘れさせるほど、ラルフの存在はレオナの中で重かった。
「……了解」
 納得したわけではないが、そう答えるよりない。
「よし、それじゃあ俺は出る準備するわ。30分きっかり経ったら、D地点で行動起こすから、そっちはそれに合わせて脱出しろ。合流予定時間は現時刻から2時間後、場所はA地点。俺が合流しなくても、時間が来たらそのまま撤退。その間の指揮はクラークに任す。いいな?」
 自分が本隊を離れる時の指示は最低限、というのがラルフの信条だ。代理の指揮官さえしっかりしていれば、後は状況に応じて、臨機応変に何とかするはずだ。そこに妙な口を挟むような指示を残して、余計な問題を起こすのはつまらない。
 性格上、大雑把な指示しか残せないと見る向きもあるが、少なくともクラークと組んで、それが悪い方に転んだことはないのだから、それはそれで良いのだろう。
「了解――それじゃあ、これ。いつものです」
 そう言ってラルフに差し出されたのは、クラーク愛用のコルトガバメント、それもじっくりと時間をかけてカスタムされた1丁である。
「わかった、借りとくぜ」
 そのやり取りに、レオナが首をかしげた。確かにクラークの銃は良いものだ。圧倒的不利な状況に飛び込もうという戦友への選別には悪くない。
 だが、ラルフの武器が不足しているわけではない。弾もそれなりの数を持っているし、何よりこういう時に必要なのは、良い武器よりも使い慣れた武器だ。何かあった時、使い方に一瞬でも戸惑っては命取りだからだ。
 クラークの銃は、彼の手のサイズや射撃の癖に合わせてカスタムされている。ラルフにとって使いやすい銃――この状況で差し出し、受け取るのに相応しい武器かというと、疑問だった。
 疑問符を顔に浮かべたレオナを見て、何を考えているのか悟ったのだろう。質問の前に、クラークが答えた。
「験担ぎみたいなものさ。お互いに預けるんだよ、自分の大切な物を」
 それは、2人が出会った頃からの、奇妙なルールだと言う。
 預けたものは銃だったことも、勲章だったこともある。暗闇で押し付けられたものを後で見たら、手持ち最後の糧食に入っていたガムだったこともある。
 それが何の役に立つということではない。ただ、預かったということが大切なのだ。
「これを返すまで、返してもらうまで、死ぬなってことさ」
 どんな小さな約束でも、果たそうという意地が力になる。意地で全てが解決するほど戦場は甘くはないが、それでもそういうものが、必要になる時がある。
「で、大佐は何を預けます? 今回はナイフですか? バンダナですか?」
「それじゃ、こいつ」
 言葉と同時に、乱暴に背中を押され、レオナは軽くよろめいた。
「頼むわ。預かっといてくれ」
 クラークが、笑った。確かに、ラルフにとってこれ以上大切なものはない。
 ラルフも笑った。笑いながら、その間も淀みなく、ラルフは出撃の準備を整えていく。
 と言っても、元々臨戦態勢だから、改めて整えるほどの装備はない。せいぜい予備の銃弾を確認するぐらいだ。それとクラークから預かった分の銃をホルスターに収めて、ほとんどそれだけで準備は終わる。
「じゃ、また後で」
「おう」
 あっさりと別れの言葉を交わして、クラークは自分の仕事に向かった。ラルフが言うとおり、負傷者を連れての脱出行は楽なものではない。長年の相棒であるラルフとのコンビネーションを使えないならなおさらだ。かといって、経験の浅いレオナを陽動に使うのは心もとない。その不利を埋める為に、指揮官としてやらなければならないことは山ほどある。
 だが、レオナはその後を追わなかった。
「どうした、レオナ。お前はクラークの補佐だろうが」
 先程まで、冷静すぎるほどだった顔が、明らかに動揺し、不安げに揺れている。滅多に見せない表情だ。
「馬鹿、そんな顔するな」
 レオナの気持ちは、ラルフにもよく分かる。
 かつての自分がそうだった。誰かが死ぬかもしれない、と思うと出撃前夜は眠れなかった。恐怖のあまり吐き気を催し、しまいには吐くものもなくなって、涙目で胃液ばかりを吐き出したことも1度や2度ではない。
「ちゃんと帰ってくるって、な?。もっとヤバい橋だって随分渡ってきたんだ。こんなん大したことじゃねえ。ちゃんと帰ってくるって」
 帰ってくる、とラルフが言う度に、ただレオナは頷いた。
 繰り返した言葉は、意味のない約束だ。奇跡的な生還の度に、英雄だ伝説だと祭り上げられてきたが、ラルフ自身は魔法使いでも超能力者でもない。ただ運が良かっただけだ。
 その運が続くとは限らない。今日死神に見初められているのは、敵ではなくラルフ自身かもしれない。それどころか、今この瞬間にも銃弾に貫かれ、2人ともただの血塗れの肉塊となって転がるかもしれない。
 それでも、傭兵達は約束をする。銃を預け、大切な人を預けて。
「クラークにお前を預けっぱなしじゃ死ねねえよ。だから、お前も死ぬな」
「……了解」
「じゃ、行ってくる。もう出ねえと、間に合わないからな。クラークのこと、頼んだぜ」
「ええ。了解」
 それ以上、言葉はなかった。
 そして2人は、互いに背を向ける。それぞれの戦場に向かう為に。

 

 ぬかるみで足を滑らせ、転んだ拍子に、口の中に泥が入り込んだ。先程からずっと口の中に広がっていた鉄錆の臭いと混じって、ひどい味だ。
 戦場で1人きり、と言うのは何年ぶりだろう。ふと、そんなことを思った。
 ここのところ、いつも誰かと一緒だった。味方がほぼ全滅し、孤立するような負け戦になった記憶はもう随分長い間ないし、安心して背中を預けられる戦友も得た。それは悪いことではないが、慣れすぎてしまった気がする。
 昔は、こういう状況を単純に楽しんでいた。いくら銃を乱射しても、味方に当たる心配をすることがない状況。人影と見れば撃てばいい。ただそれだけの世界。命懸けの爽快感。
 もっと昔は、同じ状況で、泣きながら這いずっていた。仲間の死体に泣き、千切れた腕に泣き、誰のものかもわからない認識票を握り締めて泣きながら、それでも生きることを諦められずに、いつ自分も死ぬかと怯えながら這い進んだ。
 今は、そのどちらとも違う。
 背中の軽さには懐かしい爽快感を思い出さなくもないが、妙な寂しさも感じる。泣くほどの恐怖や怯えがある訳でもないが、何ともないと言うにはどこかが虚ろだった。
 老けたのかね、俺も。そんなことを思ったすぐ脇を、銃弾が走り抜けた。狙われた気配はない。威嚇を兼ねて撃った1発が、偶然掠めただけだろう。だが、次の1発も外れるとは限らない。
「老けたかもしれないが、まだおとなしく死ぬ気になるほど歳喰っちゃいねえよ」
 残弾はもう僅かだが、ナイフで行くには骨が折れる人数か。ぼそりと呟きながら、そんなことを考えていた。

 

 夜明け前には雨も上がった。夜明けを目前にして空は白み始め、光は差さないまでもだいぶ明るくなってきている。
 戦場は静かだった。昨夜の騒乱が嘘のようである。
「もうすぐ約束の時間だな」
 腕時計を見ながら、クラークは誰にともなく呟いた。
 負傷者が数人増えたが、それ以上の犠牲はなく、クラーク率いる本隊は無事、脱出を遂げた。
 これも、ラルフが派手に立ち回ってくれたお陰だ。ひっきりなしに聞こえた銃声から推測すると、相手は相当な苦戦を強いられたらしい。そちらの対応に追われ、こちらに割く兵力がなかったのだろう。
 ラルフなら当然だ、とクラークは戦友を思う。あれは、そういうことができる男だと。
「あと5分」
「そうね、5分あるわ」
 何気なく口に出した言葉を、レオナが拾い上げて繰り返す。
 ラルフは、まだ戻らない。いくら戦場を見渡しても、あの見慣れた姿は見えなかった。
 それでも予定通り、5分後には移動しなければならない。いつまでもここにいれば、また敵に追撃されるおそれがある。
「……中尉は……」
「ん? なんだレオナ」
「中尉は、不安じゃないの?」
「そりゃ、不安さ」
 誰も口には出さないが、最悪の結果を覚悟しているのは確かだ。有り得ないことではない。むしろ、今までそうならなかったことが不思議なのだ。
 クラークはそれを、正直に答えた。
「でも、あなたは迷わないのね」
「迷う?」
「時間が来たら、あなたは移動を始めるでしょう?」
「ああ、そうだな」
「私は、ずっと迷っているわ」
 言いながら、レオナはラルフを探し、遠くに目を凝らしている。
「命令に従って、帰投するか。命令違反と承知で、ラルフを探しに戻るか。どちらの道を選ぶべきか。自分はどちらを望んでいるのか……ずっと迷っているわ」
「不安、なのか?」
「ええ……そうね」
「お前、随分まともになったな」
 それは、クラークの正直な感想だった。
 出会った頃のレオナは、ただ作りの良い人形のような娘で、悲しみ以外の感情がすっぽりと抜け落ちているようなところがあった。
 だが、近頃ではどうだ。相変わらず表情は乏しいが、笑いもするし、喜びもする。こんな風に、不安にもなる。
 だが、レオナをそう変えた男は、まだ戻らない。かつて、同じようにクラークの何かを変えた男は。
「俺は、 あの馬鹿が簡単にくたばるはずがない、って信じている。だから、迷わない」
 自分自身に言い聞かせるようにそう言った時、時計の針が動いた。
「――時間だ、撤退する」
「中尉……!」
 レオナが短く、しかし鋭く叫ぶ。思わずクラークがそちらを見てしまうほどの、縋るような声で。
 後に続きそうな言葉は簡単に想像できる。レオナがそれを口に出すかどうかは分からないが、「もう少し待って」と、そう続けたいに違いない。
 そう言いたい気持ちは分かる。
 だから、言われる前に遮ろうとした。
「合流できるポイントは、まだいくらでも――」
「良かったら、もう少し待ってくれねえか?」
 声は、逆にクラークの言葉を遮った。
 最初、それは人型の泥の塊にしか見えなかった。だが、泥人形の顔が作る、あの人懐こい笑顔は。
 歓声が、どっと押し寄せてラルフを包んだ。さすが大佐だ、やっぱり帰ってきた、万歳、俺は信じてましたよ――
 何をどう切り抜けてきたのか、傷だらけの泥だらけで、しかもあちらこちらに返り血らしい血飛沫まで飛ばして、顔は煤けて黒くなった上に乾きかけた泥が貼り付いている。ひどい格好だが、傷はどれも浅いらしいのは幸いだ。
「クラーク、悪い。銃な、途中で落としちまったみたいでよ。帰ったら――わ、やめろよ、冷てえ」
 誰かが水筒を開け、中身を盛大にラルフに掛けて、顔の泥を拭う。1人が始めると、我も我もと後に続くのが大変だ。泥まみれの上に水浸しまで加わって、かえってひどい有様である。しまいには泥を流そうというより、勝利者へのシャンペンシャワーの様相を呈してきた。
「いや、俺はあれが気に入ってたんですけどね」
 不服そうに言いながら、サングラスの向こうで、大騒ぎを見詰める青い目が笑っている。
「あれを返してくれないと、こっちの分は返せませんよ――と、言いたいところですが、まあ、今日のところは貸しにしておいてあげますよ」
 今度はクラークに背を押され、レオナが一歩、前に出る。泥水に塗れた手が伸ばされてその髪を撫ぜ、青い髪も泥で汚れたが、レオナは嫌がらなかった。不器用な表情のせいで分かりにくいが、むしろ喜んでいるようにも見える。
 レオナの髪を撫ぜながら、ラルフが怪訝そうに聞き返す。
「随分と寛大だな。どういう風の吹き回しだ? 俺が戻ったのが嬉しくて、何て気持ち悪いこと言うなよ?」
「まさか」
 クラークは、肩を竦めて笑う。
「今日はクリスマスですから。プレゼントの代わりに、まけときますよ」

 戦場に、朝日が差し込み始めていた。
「Good Morning、Merry Christmas!」
 誰かが、そう叫んだ。

 

 
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