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うろほろぞ
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ヒィッツカラルドの執務室に珍しく残月がいた。

この2人、任務で同行することはあっても普段は特に親しくしている間柄ではなかったが今はテーブル上のチェス盤を挟んでチェスに興じている。

二手に分かれて取り仕切った共同作戦も朝方には成功、2人とも担当支部へ支持を出し結果報告などの残務処理を終えた後は執り行う作戦も特になくペーパーワークも済ませていたため暇を持て余していた。そしてたまたま共通の趣味がチェスだったのでこうして時間をのんびりと潰している、ということだった。

ヒィッツカラルドが淹れた香り高いエスプレッソ・ソロに砂糖を軽めに一杯、そして残月は盤上で自分が優勢なのに満足する。一方眉間に皺を寄せて劣勢をどう打開しようかと頭をひねるヒィッツカラルド。このままでは負けてしまう、それはチェスに関しては腕に覚えありと自負する自分が許さない。なによりもこの覆面男に勝ちを譲るのは面白くない。

長考しはじめたヒィッツカラルドだったがその時執務室のドアをノックする音がした。

「開いている、入りたまえ」

「失礼しますヒィッツカラルド様」

「?おや、お嬢ちゃんか」

入ってきたのはサニー、温室の一件(「禁断の果実はかくも甘く」参照)以来ヒィッツカラルドに対する苦手意識が無くなったのか、珍しく自分から彼を訪ねてきたのだった。

「あ、また出直します」

そう言って引っ込もうとしたのは両者に挟まれているチェス盤を見たため。

「いやいやいや、そんなことはない待ちたまえ、お嬢ちゃんが来たなら勝負はお預けだ。そうだろう?白昼の」

「あ!ヒィッツカラルド貴様っ」

ヒィッツカラルドは劣勢だっチェスの駒を手でかき混ぜるように崩してしまった。

「・・・まったく・・・見事な逃げっぷりだな、いいか再戦は近いうちにするからな」

残月は溜息をついてエスプレッソを一気に飲み干した。
チェスの名手から勝ちを奪う絶好の機会であったがもうどうしようもない。

「済みません・・・」

「いや、いいのだよ、お嬢ちゃんは私に負けを与えない女神だ」

相変わらずの調子とは言え、よくもまぁそんなことがスラリと吐けるものだと残月は呆れながらも感心する。

「さて、私に何か用かな?」

「あの・・・」

口ごもるサニーは何か戸惑っているようだった。
その様子に残月とヒィッツカラルドは顔を見合わせた。

「サニー、私がいて言いにくいのであれば席を外すが」

「いえ、残月様そうではないのです」

少し赤くなってようやく口を開いた。

「ヒィッツカラルド様のお持ちでいらっしゃる香水を・・・私にも少しつけさせていただきたいのです、だめですか?」

両者は再び顔を見合わせる。香水、確かにヒィッツカラルドは常に香水をつけている。さらに言えばヒィッツカラルド以外常日頃香水をつける者はほとんど居ない。せいぜい紳士の身だしなみ程度の香り付けにセルバンテスやアルベルト、そして今いる残月がつけるくらい。それでも「お洒落の香水」といえるべきものはヒィッツカラルドぐらいなものだった。

ヒィッツカラルドは「ふむ」と頷くと執務室の壁にある古代樫で作られた見事な彫り飾りの戸棚を開けた。中には約40種類くらいだろうか、様ざまな形と色の瓶が並んでおり、そのいずれもが彼がTPOによって使い分けている香水。男性用のモノもあれば女性用のモノもあって彼にとっては気に入れば関係ないらしい。執務室に広がるのはそんな香りが混じりあったさらに濃厚な香り。

「わぁ・・・」

宝石にも見える綺麗な香水瓶、女性を魅了するその色と輝き。
思わずサニーがため息とともに声を漏らす。

「もちろんつけるのは全く構わないが、お嬢ちゃんどうしてまた」

「実は樊瑞のおじ様が今夜オペラ鑑賞に私を連れて行ってくださるとおっしゃられたので・・・その・・・」

「ふむ、樊瑞がオペラとは・・・これまた随分と不思議な取り合わせだ」

残月が覆面の下で目を丸くして言うとヒィッツカラルドも同じ表情。
2人にしてみればあの堅物仙人がオペラとは、といった具合だった。

「いえ、テレビでしか見たことが無かったので・・・私がわがままを言って一度劇場で本物のオペラを見てみたいとお願いしたのです」

「なるほど、オペラ鑑賞ともなれば正装であり女性ともなればとびきりお洒落しないとな。それでお嬢ちゃん、香水を、というわけなんだろう?」

「はい・・・」

気恥ずかしそうに俯く少女を前に納得する2人、そして少しでもお洒落したいと考えるのはやはり子どもであっても女であるには変わりない、ということかとも思う。

が、残月はふと疑問に思う。

「サニー、着ていくドレスは誰が用意するのかね」

「ドレス・・・ですか?それがおじ様がこれを着ていけばいいと」

サニーが今着ているいつもの服だった。確かに可愛い服ではあるが、それは当然オペラといったハイクラスの社交場へ足を踏み入れるにはあまりにも場違い。「そういった感覚」に極めて乏しい樊瑞ならばそれで十分だと思うだろうが。

しかし見るにやや浮かないサニーの表情。彼女自身「この服じゃ違うかも」と気づいているのかもしれない。そろそろ「年頃」といえるはずなのに普段でもお洒落を楽しむことが少ないサニー、先日の一件(「love letter」参照)のこともあり残月としてはむくつけき男ばかりに囲まれるという特殊な環境に身を置く少女を少し不憫に思う。

「ううむ・・・そのいつもの服ではせっかくのオペラも面白くはないだろ・・・」

「でもオペラに着て行くようなドレスは持っていないので」

「なんと・・・生粋の貴族である衝撃の娘がドレス一枚も持ってはいないでは、これは問題だろう。親も親なら後見人も後見人だな」

「まったくだ、着飾る喜びを与えないとは罪深い・・・よし!よかろう!お嬢ちゃんは私の女神だ、一肌脱ごうではないか」

ヒィッツカラルドがそう言うと「まずドレスだ、それと靴。他は後でいいか」とつぶやきながら執務室のデスクに座る、デスクから光彩モニターとキーボードが浮かびあがり「セルバンテスは確かリビアだったな」と残月に確認し手早くキーボードを操作する。

そしてその最先端の機器の横にある骨董品的なデザインの電話の受話器を手に取った。

「あーセルバンテスか、私だヒィッツカラルドだ、任務ご苦労だな。ところでいつこちらへ戻る予定だ?何?国際警察機構と交戦中だから後にしろ?ふん、いいのか?そんなことを言って、お嬢ちゃんが「セルバンテスのおじ様」の助けを求めているのだが?」

受話器の向こう側は激しい銃撃音と怒声や悲鳴が飛び交っている。しかしそれ以上に大きな声で「1分待て!」とセルバンテスが叫んだ。すぐに聞き取れないほどの大きな音が鳴り響き1分経過、受話器の向こうが気味が悪いほどに静かになった。落ち着いたところでセルバンテスに事の次第を説明し「オペラに行くお嬢ちゃんが輝くドレスが欲しい、それと靴だ」とだけ伝え受話器を置いた。

「これでよし、ふふふ魔法使いに言っておいたから後はのんびり待つだけだ」

「うむ、一時間もすれば山のようにドレスと靴がやってくるだろう。サニー、君が心配することは何も無い、まぁ我々に任せてくれないか」

妙な結束力を発揮しだした2人を前にサニーは眼を丸くするばかりだった。







3人がお茶して過ごして一時間後、クフィーヤの裾を少し焦がしたセルバンテスが大量の紙袋を抱えヒィッツカラルドの執務室にやってきた。紙袋はすべて高級の上にに超がつく一般人では到底手が出ないVIP御用達ブランドのものだった。

「いやあ~どれがいいか選びきれなくてね、とりあえずいっぱいだよははは」

世界屈指の大富豪オイル・ダラーの一声あればどの店も喜んで自慢のドレスとを持ってくる。そんな魔法を使う魔法使いが笑いながら紙袋から取り出したのは仕立ての良いマーメイドラインのクリムゾンレッドのイブニングドレス。他にも胸元に白い薔薇飾りをあしらった裾にボリュームのある愛らしい白ドレス、様ざまなデザインのドレスがどんどん目の前に並べられていく。子供用とはいえいずれも大人顔負けの本格的な仕立てとデザイン。靴もまた普段履くことの無いお洒落なものばかり幼い頃に絵本で見たおとぎ話のお姫様を思い浮かべててサニーは目を輝かせた。

「これなんか華美に走らず清楚な印象がなかなか良いと思うが、足元はこの赤いので合わせればバランスがとれる」
「あーそれよりこっちの黄色いリボンがポイントのが可愛いじゃないかな女の子らしくって私は好きだがねぇ、それと靴はこの白いのがいいなぁ」
「まてまて、お嬢ちゃんの色気を引き出すにはこのドレスがいい、そしてあわせるならこのヒールのある靴だ。」

ところが真っ先にドレスと靴に飛びついたのは男3人。いつになく真剣な顔でドレスを手に取りあれこれと独自のセンスを披露する、いったい何がそこまで本気にさせるのかわからないがやけに楽しそうにも見えるから不思議だ。

しばらくしてサニーそっちのけの十傑集3人によるドレス選考会はようやく終結したらしく、ヒィッツカラルドの手に残ったのは胸元に同系色の花柄の刺繍があしらわれたベビーピンクのドレス、そしてリボンのついた白い靴。

「さあ、お嬢ちゃん早速着てみたまえ」

満場一致のドレスを手渡し執務室に隣接された小部屋に案内して3人はサニーがドレスに着替えるのをまった。

しばらくして現れたのはベビーピンクのドレスを着た小さなお姫様。ポイントは胸元から首回りまでの繊細な花柄の刺繍でジルコニアを贅沢に散りばめられ上品な光沢を放つ。腰から緩やかに広がるスカートの裾にも刺繍が施され揺れ動くと表情を変える。そしてノースリーブの腕には二の腕まであるシルクの白手袋。足元の白い靴が非常にバランス良く全体を締めているように思える。

「おかしくないですか?なんだかこういうの着るのって恥ずかしいです」

「おかしいなどとはとんでもない、サニー良く似合っているぞ」
「うん、そうだとも素敵なお姫様だよ」
「ちゃんとドレスを着こなしている、たいしたもんだ」

よしっ、とばかりに頷きあう3人。普段ならありえない光景だがいわゆるひとつのサニーマジックというやつなのかもしれない。

「む、しかしサニーには少々サイズが大きいな」

残月が目ざとく腰周りの余分を見つけた。サニーに「動かないでいなさい」と言いどこから取り出したのか1本の針、選ばれなかったドレスの中から同系色の物を取ってそこから一本の糸を引っ張る。そしてドレスの余分部分を摘み上げると手早く綺麗に縫い上げてしまった。

「これでいい、身体に沿ってはいるがきつくはないはずだ」

「はい、ありがとうございます」

とたんにオーダーメードのドレスに早変わりし、細かい変化なのに大きく見違える。

「ドレスが決まればあとは・・・ヘアースタイルか」

ヒィッツカラルドが指を顎にあてながらサニーのドレス姿を観察、そしてひとつ頷くとボリュームのあるサニーの髪をそっと掴み上げる。繊細な指さばきでそれを捻ったり編んだりし、器用なことにピンを一本も使わないでボリュームを程よく抑えたアップスタイルに整えてしまった。仕上げに自分が愛用している整髪料を毛先に馴染ませ、執務室に飾られていた白い薔薇を1本手折りると髪にそっと差し込んだ。

「白い薔薇がサニーの髪によく映える、そして大人っぽくなったな」
「サニーちゃんが髪をアップにしたのを見たの初めてだが、随分と印象が変わるねぇ」

他の2人にも、サニーにも好評のようだった。

「それじゃあ私からサニーちゃんへのプレゼントだ」

といってセルバンテスが胸ポケットから取り出したのはどこで買ったのかリップグロス。「年頃のレディの身だしなみだ、使いたまえ」とサニーに笑顔で手渡した。

「さすがと言うべきか用意がいいな眩惑の」
「当然だ、ドレスを着るだけでは女性は輝かないからね」
「さて、お嬢ちゃんいかがかな?香水は私が後で合うものをつけてあげよう」

サニーは顔も瞳もキラキラ輝かせて「ありがとうございます」と三人に頭を下げた。
その表情は三人を十分に満足させるものだった。


「しかし、樊瑞がこのレディを上手くエスコートできるかどうか・・・」

残月が火の点いていない煙管を咥える。ヒィッツカラルドも同感だった、あの男のことだ、いつもの趣味の悪いピンクのマントを翻して劇場に乗り込むに違いないと思う。いくら最近は昔ながらの「男はタキシード、女はイブニングドレス」といったお決まりの正装を求めなくなったとしてもそんな野暮な男を引き連れてはこの小さなレディは周囲の冷たい視線を浴びることになるだろう。それに男が場に慣れていないというのが最大の問題。セルバンテスも「むー」と唸り他の2人と同じ不安を抱えた。

「サニーちゃん、今夜はどこの劇場に鑑賞しに行くのかね?」

一計を思いついたのはセルバンテスだった。








着飾った紳士淑女たちが格式高いオペラ座に集まってきていた。
数あるオペラ座の中でも最も格式があるそこは楽しむ人々もまた社交界の中でもハイクラスの者たち。中には有名人、著名人も混じっているようだ。

そこに一台のリムジンが止まる。リムジンでも最高クラスのロングリムジン、磨き上げられた黒の光沢を放って否応がなしにも周囲の目を引く。ブラウンの髪の男がすばやくリムジンから降りて後部差席のドアを開ければ中から出てきたのは小さなレディ、恭しく手を添えられて車から降りてきた。

「これなら安心だ」
「うむ、魔王なんかに任せられないからねぇ」
「しかしまだ着いていないのか樊瑞は、女性と待ち合わせして時間に遅れるとは信じられない奴だ」

当然といっていいのかそこには・・・

ヒィッツカラルドは上品なクリーム色のダブルスーツ、光沢のある黒のシルクシャツは同色の糸でスプライト模様。そしていつもより幅広の白ネクタイ。ブラウンの髪を白い指で掻き上げているが指には凝った装飾が施されたシルバーリングが2つ輝く。

セルバンテスはいつもの白クフィーヤはどこかへ置いてきたのか珍しく地毛の黒髪を披露。仕立ての良いオフホワイトのスーツに映える赤銅色の綿シャツ。黒のネクタイと目にダイヤが埋められた髑髏を飾ったプラチナのネクタイピン。目元は細いフレームで薄い黄色味をおびた眼鏡。

残月はいつもと同じだが夜会用なのかスーツの裾がいつもよりやや長め、今日はシルクのチーフが胸ポケットに形良くしまわれている。当然いつもの覆面ではなく、地毛なのかウイッグなのかは誰もわからないが艶のある黒髪。目元は最新ブランドのスタイリッシュなサングラス。そしてやはり白手袋を被った手に持たれるのは朱塗りの煙管。

背が高く、魅力を存分に引き出す着こなしで乗り込んだ例の3人。
眼の肥えた淑女たちの熱い視線を受ける3人でもある。


そしてその3人に囲まれる愛らしいレディ。そういう状況がそこにあった。


「ああ、来た来た、ほらやっぱりあのマントだ」

苦笑するのはセルバンテス。案の定樊瑞は「いつもの格好」で劇場に乗り込んできた。セルバンテスがサニーを劇場に送るというので時間を合わせていたのだが、任務に少々手間取ってしまい大慌てで駆けつけたのだった。

「待たせたなセルバンテスっなな!?なんだお主たち、んん?残月?ヒィッツカラルド?」

「遅いぞ混世魔王、レディを待たせるんじゃない」

「それになんだその格好は、さっさとマントを取れみっともない」

一瞬にして残月に剥がされるようにマントを取られてしまった。それでもやぼったいスーツには変わりない、ついでに言えば伸ばし放題の長い髪もこの場では野暮ったさの極みだった。

「ちょ・・・何をする、んん?サニー?サニーなのか??」

少し照れた笑顔を浮かべ、ドレスの裾を持ち上げおしとやかに『おじ様』に挨拶をするサニー。樊瑞は口をあんぐりとあけて半分以上正気を失っている様子だった。あまりに素晴らしく見違えた姿に言葉が出ない。

「ほら、貴様の分の衣装も用意してやったんだ、車の中で着替えて来い。いいか?その鬱陶しい髪は丁寧に結ぶんだぞ?そして早くしろ幕が上がってしまう」

ヒィッツカラルドは呆然としている樊瑞を蹴飛ばすようにリムジンに押し込んだ。5分ほどしてすこし赤い顔をした樊瑞が出てくる。スーツは一目で上等だとわかるダークブラック、シャツは同系色のシルク刺繍が入った白の綿シャツ、そして光沢を帯びた黒のネクタイ。胸元にはプラチナの細いチェーンブローチ。そして額に沿って丁寧に撫で付けられ長い髪は一つに束ねられている。普段の彼からは想像もつかないほどにずいぶんとすっきりとした印象になった。

もともとの素材が良いだけに様変わりが素晴らしい。
そこには野暮ったさなど存在しない、洗練された男ぶりの良い紳士がいるだけだった。


「わあ・・・おじさま、とっても素敵です」

サニーが見とれるように自分を見るのでどうしていいのかわからず赤くなる。

「さて、それではオペラ鑑賞といきましょうか?お嬢様、旦那様」

セルバンテスの手には5枚のチケット。
そして「うむ」とうなずく残月とヒィッツカラルド。

「はぁ?だ、旦那様?え?私がか?」

「樊瑞・・・君はオペラ鑑賞の作法をしらないだろう?」

「オペラを見るのに作法があるのか?」

「当たり前だ、お前はこういった場の経験はなかろう。サニーに恥かしい思いをさせたくなければこそこうして我々3人が協力してやろうというのだ。お前は胸を張ってサニーの横についていてやれ、あとは我々がフォローしてやる感謝するが良い」

目の前にするどく煙管を突きつけられ、残月の言葉にぐぅの音もでない。横ではヒィッツカラルドが手慣れた手つきで劇場の使用人にチップを渡しリムジンを預けている。こういう世界を知らない自分にはとうてい真似できないことだ。

「むむ・・・すまん、お主らに頼むとしよう」

「ふふ、まぁ我々に任せて君は気楽にいきたまえ」

2人を引き立てるように腰を折る3人。

「さあ、お嬢様、旦那様」

色男にエスコートされ淑女たちの羨望を一身に浴びるのはサニー。自分の手を大切に握ってくれる大きな手に引き連れられてオペラ座の階段を上っていく。


少女には何もかもが輝いて見えたのだった。








END




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アルベルトに。セルバンテスが甘えたりすんのはアルベルトがサニーだけだろな。サニーの膝枕大好きだといいな!
「重くないかな、大丈夫かい?」
「もう、大丈夫ですってば、バンテスおじさま」
って二人でお花畑でね…。
前に打った、大作が去った時にサニーが佇んだ花畑でね。セルバンテスはさあ、自分がその役目にされちゃったから、ちょっとだけサニーに顔向けできない時期があるんよ。罪悪感とは違うけど、悲しませてしまったなて、あれ、それってやっぱ罪悪感? なんか違うような気もする。
でもセルバンテス、サニー大好きだからさあ!サニー不足でキュウキュウしちゃうんだよ。アルベルトはどっかいってるし。
「でもどうしよう、…ああっ 私は何をしているんだ!」
眩惑のセルバンテスも一人の少女にかなわない部分があるのは可愛いよね。
一週間ばかりサニーと顔を合せないようにして、部屋でもんどりうってると、月が出始めた頃、部屋のドアを遠慮がちにノックする音が。無論サニーです。
サニーはセルバンテスがそういう仕事にまわされたってもう知ってるんだよね。で、
「おじさま、毎日顔を見せにきて下さったのに、あの日から顔を合わせて頂けないのはもしかして私のせい
「そんなワケがあるものか!…あ、いやそうじゃないよサニー」
ただでさえ悲しみの底にいたサニーなのに、自分の所為でますます悲しませていたのか!?と慌てるセルバンテス。
大きな声を出したせいでビクッとしてしまったサニーの小さな両肩を優しく手で包み込みます。
「私が大作君と草間博士をここから追い出してしまったのだよ、サニーには悪い事をしてしまったね」
「…おじさま、謝らないでください」
「どうしてだいサニー。サニーはとっても悲しいんだろう」
「おじさまは、…おじさまはお仕事でそうしただけです。大作は…いえ、彼は敵なんですもの、だから…」
小さいなりに一生懸命セルバンテスに言葉を紡ぐサニー。内容は辿々しく幼いものでしたが、このようなか弱い少女が自分を励まそうとしている姿に胸打たれるセルバンテス。
どうしてだろう。私なんかに?
そう思いつつもサニーを抱きしめるセルバンテス。
「ありがとう」
さあ、もうすぐ晩ご飯の時間だね、一緒に食べようかサニー。おじさんとサニーと一緒ならご飯がとってもおいしくなるよ。楽しみだなあ。
サニーにそう声をかけると二人は手をつないで食卓へ向かう。

いつだって彼と彼の娘は私を癒すんだ。
小さい大作とサニーのお花畑での結婚式とかいいよね。
二人は幼なじみで、他に子供が居ないので必然的に良く遊ぶようになる。大作も学校行ってなさそう。だからサニーと一緒にBF団の中で英才教育されていそうだよね。
でも二人は遊びたい盛りなんだよね。いつも一緒にいる。サニーは大人しそうに見えて、大作と一緒に川で遊んだり入っちゃダメだよって所に入ったり、そういう活発な部分もたくさんある子だと良いなあ。
そして二人は子供っぽい感情で、離れたくないなら結婚すれば良いんだよって言い出すんだよね。
「サニー、大きくなったら僕と結婚してくる?」
「うん大作、大きくなったら私をお嫁さんにしてね」
サニーは大作を大作と呼んで欲しい。
お花畑でお花を集めて白詰草で花の冠を二人分作ってさ。セルバンテスが牧師さんの役でね。あれ、やっぱ神父の方がセルバンテスらしいかな?セルバンテスは結婚しないから神父で良いか。
神父、セルバンテスでさ。仲人はなくていいよね、三人だけの結婚式だから。アルベルトも草間博士もいつもいない。子供を構ってくれるのはセルバンテスだけだから。あのBF団の島に居る時に、二人が一番お世話になったのはセルバンテスだと思うので、そうする。大作とサニーが手を繋いでセルバンテスのところへ遊びにいくのが二人の日課。
時々お仕事で遊べないときもあるけどセルバンテスさんはいつも後でちゃんと遊んでくれる。この時もそうだった。サニーと手をつないで二人、花園を出てセルバンテスさんの部屋にいくと、セルバンテスは困ったようにいった。
「これから仕事なんだよ、ごめんね二人とも」
大人はいつも忙しそうなんだ。僕とサニーはいつもおいてけぼりなんだ。サニーの手に力が籠る。僕も手に力を入れて返事をする。セルバンテスさんはそれに気が付いたみたいだ。
「本当にごめんよ、でも帰ってきたら何日かまた仕事は入らないから、そうしたら一日中だって一緒だよ。その時は二人とも僕を仲間に入れてくれるかい?私もサニーちゃんや大作と何して遊ぼうか考えておくよ!」
僕にもサニーにも分かる。セルバンテスさんはほんとうは忙しいんだ。でも僕たちをとっても可愛がってくれてるのが僕には分かる。だからセルバンテスさんは大好きだ。
お父さんも、…こうなってくれたらいいのに。
セルバンテスさんに我侭言っちゃダメだ、きらわれちゃう。でも帰ってきたら遊んでくれるって。僕とサニーはセルバンテスさんに抱きついて、いっぱいちゅーをした。ちゅーは好きな人にたくさんしてあげるといいよって教えてくれたのはセルバンテスさんだ。
だから僕もサニーもちゅーをするようになった。サニーは可愛いけど、そう言う時のサニーはとっても可愛くて僕はよくわからない。よくわからないけど、ドキドキする。サニーと結婚したいってそう言う事なのかな。
セルバンテスも僕とサニーに一杯チューをしてくれた。良い子だね、じゃあおじさんの帰りを待っていとくれと言うので、三人で指切りをして部屋から出た。
////////////////

そんでセルバンテスが帰ってきたら、お花畑で白詰草で結婚式だよ。セルバンテスに結婚式をしたいんだけどどうすれば良いの?ってきいたら驚くよなあ。でもすぐにニコニコして「うん、じゃあ僕が神父さんになって、二人を祝福してあげよう!色々準備するから、そうだなああとちょっとだけ待っててくれるかな」って聖書を持ち出してきて、指輪やちっちゃいドレスやダキシード用意させて超略式の結婚式ごっこがはじめるよ。
子供の手にあわせて派手なのは避けて、シンプルな趣味の良い指輪。ドレスはそうだなあ、用意させようかな。大作なんて生まれて初めて着る蝶ネクタイでさ!サニーも初めて着るドレスでね!ほんとにウェディングのだとあれだから、結婚式の時に女の子が着るよーな白いミニドレスね。ブーケも用意してあげる。セルバンテスはお膳立てが大好きです。アルベルトが戴宗を調教する時もお膳立てをするのが大好きだよ!
空に舞い散る花や紙吹雪やライスシャワーは当然眩惑の力です。こう言う時に私の能力は発揮するべきだろうって張り切るよね。
三人だけの結婚式。ほんとうはセルバンテスが二人にアルベルトや草間博士も呼ぼうか?って聞くんだけど、二人がしなくていいって断るんだよな。お父さんお仕事忙しいから、我侭言っちゃいけないって…とかけなげな事言うからセルバンテスの目から涙。なんていい子なんだ!あんの馬鹿野郎ども!(アル+草間)
そんでセルバンテス神父の前で大作とサニー(お互い6歳)は神様に永遠の愛を誓うんだよね。
「今日より善き時も、悪しき時も、富める時も、貧しき時も、病めるときも、健やかなる時も、死が二人を分かつとも、互いに愛し、慈しみあうことを誓いますか?」
「誓います」×2
チュー。セルバンテス内心、あ~子供の写真を見せびらかす親バカの気持ちがわかったよ私は!って思うよね。多分これ写真とってるよセルバンテス。隠しカメラかなんかで。誓いの言葉若干違うけどこっちの方が好きなんで一部変えてあるよ。
大作とサニーが、まだ小さくて世界の事なんて何にも知らなくて、そう言う時に遠い将来の事を約束するのがいいよね。
セルバンテスはその約束の儚さを知っている。守られる事もきっと出来ないだろうこともわかっている、分ってないのは子供達だけなんだよな。でもその無知さが今は愛おしいんだよ。夢を見ない子供なんて子供じゃあないだろう?ってさあ。まあ大作はその約束を守りますけどね!
大作がロボの主人となり、そのままBF団から消えたとき、無論本部は大騒ぎになるだろう。誰もサニーに真実は教えてくれないだろう。アルベルトは一言だけ「草間大作の事は忘れろ」というだけ。理由を尋ねたいのに、その背中は質問を許してくれない。小さいながらも聡明なサニーは聞いちゃいけない事なんだって分かる。でも、どうしてもそれがしりたくて、かなしくてたまらない。
そして走るうちにいつものお花畑に来てしまう。花園はいつでもサニーを暖かく迎え入れてくれる。
大作はどこへいったの。どうして皆、草間博士のことを裏切り者なんて呼ぶの。私の大好きな大作の、大作の大事なお父さんをそんな風に呼ばないで!
ひっくひっくと涙が出てくるのをとめられない。先程のアルベルトを思い出す。質問を許さない広い背中。
父様、忘れろなんて言わないで。私の大作を忘れろなんて言わないで。もう会えないなんて言わないで…
もう大作に会えないであろう事を察して、でも誰にもそんな事を言えないサニー。
きっと大作はもうここには戻ってこない、何があったのかは分からないけどもうここで遊ぶ事が出来ないのね。私の初めての友達。私の初めての好きな人。
スカートの裾をぎゅっと握ると、手に何か固いものの感触。探ってみるとそれはあの結婚式をした時にバンテスおじさまからいただいたエンゲージリングが一つ。そっと左手の薬指にはめてみる。
「やっぱり キレイ…」
夕暮れの空にうかぶ太陽の光に反射してきらきらと輝く指輪。また
悲しくなってきたサニーは目が潤んでしまう。
「大作に会いたい」
貴方はこの夕焼けをどこから見ているの? 私もそこにいきたいのに、きっと私は貴方と同じ場所には行けないんだわ。
ほろほろと涙が止まらない。ぎゅっと手を握りしめて、指輪にそっとキスをする。大作、私忘れないね。大作と一緒に約束した事。きっときっと迎えにきてね。
夕焼けが終わって、夜の闇がきてもサニーは座り込んでそこから動かない。今は何にも考えたくなかった。
「お風邪を召してしまいますよ マドモアゼル」
頭上からふわりと暖かいものがサニーを包んだ。なじみのある匂い。セルバンテスが迎えにくる。サニーをクフィーヤでくるんで、後ろから抱きしめるんだよ。
サニーは黙ったまま背中の暖かさを感じている。バンテスおじさんは優しい。でも今何か口に出したら、それはすべてバンテスおじさんに向けてひどいことを言ってしまいそうで怖かった。
セルバンテスはそのままサニーをお姫様だっこしてすたすたと帰り道を辿る。スーツの前を握りしめながら震える身体をセルバンテスは優しく包む。クフィーヤがサニーの顔を隠してくれているのは有り難かった。こんな顔を見られたくなかった。
…分かってるの、自分が我侭してるだけなのは。迎えにきてくれて本当はとっても嬉しいのに、ごめんなさいおじさま。

私は大作に迎えにきて欲しかった。
血の臭いがする。
おそろしくなどはないと、サニーは思った。
誰かの流した血も、自分の流した血も。自分が流させた血も、何もおそろしくはない。
どろりとしたゼリー状の黒っぽい赤。
ずるりと擦り付ければそれは鮮やかなくれないに染まる。
透き通る液体にとろけて赤はすぐさま不可視となる。
浮き上がる。
触れた先から流れ落ちる。
(いた...)
(痛い)
つっと線を引いて流れる。流れる。
(イタイ)
その目に涙はなかったが、多分それは慟哭なのだった。
まるで嗚咽なのだった。
嗚呼。
どうしたことだろう、これは。
何がこんなにも。くるしいというのだろう。
赤に指を浸して、唇に擦れば死に化粧。だが、死体は死体であってそれ以上でも以下でもなく、化粧なぞしたとて所詮それは朽ちるだけのモノ。意味はない。
意味はないから良いのやも知れぬと思った。
そもそも死に化粧とは、何処ぞの風習であったろうか。
ああ、それもいい。
そんなこと、本当はどうでもいいのだった。
ただ、赤。
赤が散る。
流れる。溶ける。揺れる。落ちる。濡れる。染まる。
ああ、嗚呼。
こんなに血が流れて。
サニーはうっとりと笑う。
いっそ殺意にその身を焦がせばいい。
それはなんと甘美な毒。
いっそ。
どうして。
心臓のある辺りがじくりと痛んだ。


あぁ、満たされないのは、
焦がれているのは本当は

けれど、うしなわれたものは今はもう遠く隔てられて戻ることはない。
分かっていた。
分かっていた。
分かっていたのだ。
滴り落ちる赤は涙の代わりに。



おなかが いたい


誰も救けてはくれないと分かっていた。
誰も彼も、サニーの前からいなくなってしまう。
どうせ短い永劫の内には何もかもすぐに失くなってしまうのだけれど。
ゆらり、ゆらゆら揺れる紅。
積み上げた屍の山は黒く霞む。
き え て な く な れ 。
どうして、人は誰も大人にならねばならぬのだろう。どうして、時間は無情にも流れ無常流転の世にあってまもりたいものでさえ必ずやうしなわれねばならぬのだろう。あかい。
それをあきらめるということが大人になるということであるならば、大人になどなりたくない。
「...厭」
軽く眉根をよせると、余計辛いような気がした。
ああ、だから笑っていなくては駄目なのだ。
くるしくとも、笑っていなければ。
苦しい顔をすれば余計苦しくなるのだ。哀しい顔をすれば余計哀しくなるのだ。
だから。
どろりと溶けてねとりと張り付く。
さらさらと流れる赤は確かに水のよう。
血液はもっと黒いものと思っていた。こんなに鮮やかな色をしているなんて、思ってもみなかった。
こんなにも赤は冷たくて。
拒絶、するのかされるのか。
指に絡ませれば薄く色づいて、酷く汚い。
嫌いだと思った。

ああ。
どうして、大人になんかならなきゃいけなかったんだろう?何も捨て去りたくなんか、なかったのに。




花冠





茶番だと、両陣営の人間が感じていた。
エキスパートと十傑衆の婚姻など―茶番以外の何ものでもあるまい。
それでも祝福しようという態度を見せた国警側はともかく、BF団側の不満は全て花嫁の後見人である樊端に集まった。
十傑衆の中には面白がって無責任に煽る者(当然、某仮面の忍者)もあったが、策士をはじめとした大抵の者はこの婚姻に対し否定的、更に云えばぶち壊そうという動きも少なくなかった。結局それがなされなかったのは、他ならぬBF様が妙にこの婚姻に乗り気であったからだ。多分、ほとんど睡眠装置の中で過ごす身には貴重な娯楽なのだろう。
ほとんどの十傑衆はこの件に関し口を閉ざしていたが、懐疑的であることに違いはなかった。
花嫁は...サニー・ザ・マジシャンは沈黙を守っていた。
そして―
樊端は。
安堵、していた。
いや、花婿が国警の人間であることについではない。けしてない。そうとも、サニー直々の願いでなければどうして許そうか、国警は敵ではないか。
サニーが結婚する、そのことについてである。
樊端は知っていた。
おのが娘ほどの年齢でしかないこの少女が、いつからか何より掛け替えのない存在となっていたことを。
それが―その愛しいという感情が、しかしサニーを一人の女性と見てのものであったことを。
そうして。
おそらくは、サニーもまた、同じだけの熱量で自分に好意を抱いているだろうことを。
それは。
それは駄目だと思ったのだ。
大体、自分は老い先短く、少女にはまだまだ広い未来がある。
だから。サニーが結婚すると云い出した時、何を思うよりまず安堵したのだ。
まさか、相手があの草間大作とは思ってもみなかったが。
だが、草間大作の父親は元々BF団で働いていた人物、あの当時同じ年頃の子供が周囲にいなかったサニーにとっては格好の遊び相手だったであろうことは想像に難くない。それなら旧知の仲というのも頷ける。そして。
考えてみればサニーの母親は元々国警側の人間である。親子二代に渡って因果なことだと残月が云った。
それでもいい。
サニーが幸せであるなら。
けれど。



「誓えません」
きっぱりと、草間大作は云ってのけた。
「な...ッ!?」
思わず席を立つ。困惑と怒りとがない交ぜとなった樊端に、しかし草間大作は微笑んだ。
「誓えません。忘れられないひとがいるから」
何を、今更、国警側からもBF団側からも声があがる。野次が飛ぶ。中にはだから止すべきだったんだなんて声もある。孔明が横目に睨んでくる。樊端は針のむしろを体感した。
BF様だけが、全て分かっているように笑んでいた。サニーと草間大作と、全く同質の笑みだった。
そう、これは。
確信犯の笑みだ。
「でも、それは同じことなんです」
とにかく何か云ってやろうと口を開きかけた樊端に向かって、草間大作はなおも続ける。
「同じ?」
ひたり、と見据えられて居心地が悪いことこの上ない。
「はい。同じです。―僕たちは、契約したんです」
ふいに、場違いな言葉が飛び出した。

けいやく したんです

契約。何を。おそらく自分の予想は当たっているのだろうなと樊端は思った。それから、当たっていてほしくないとも思った。
「でも、駄目だった。それだけのことです」
さあ行って、と草間大作が微笑う。
「駄目だよ、サニーちゃん。君は、まだ遅くないんだから、ね?」
その一瞬、酷くかなしげな顔で。僕は今更だったからと笑うから、むかしに大切なものを失くしたのだと知れた。
ありがとう、ごめんなさいとサニーが涙を零す。
その背を草間大作がそっと押す。
そうして―
サニーと。
樊端の。
視線が交わる。
「おじさま」
あぁ。
いけない。
いけないと、思ったから。縁談を持ち込むつもりで、そうしてサニーに先手を取られたのだった。
そう。
樊端は多分、自分の手で縁談を進めずに済んだことにも安堵したのである。
サニーが歩を進める。
樊端は動けない。少女が目の前に立ち見上げてきてなお動けないままだった。
「おじさま」
ふいに。
いたずら気に微笑んだサニーが。
いきなり手をひいて駆け出したので。
樊端はもつれる足で転びそうになりながら、慌てて後を追った。
まったく不器用な男だとため息を吐いたのは誰だったか。





ようやく息を継いだのはちょっとした土手。この辺りの地理が全く分からないが、帰りはどうすればいいのだろう。...否。帰れるのだろうか、あんな騒ぎを起こしておいて(実質的には騒ぎを起こしたのは草間大作なのだが)。
少なくとも孔明にちくちくちくちく厭味を云われることは決定したと云っていい。樊端はため息を吐いた。気が重い。
「これで全部おじゃんですわね」
何処か楽しげにさえ少女が云う。はっとした。そうだ。サニーは。
「サニー」
「なんですか?」
いたずらっぽく微笑む少女に、
「戻りなさい」
云った。
今なら、後戻りもできるから。
戻れるなんて、自分は思ってもいないのに。
云った。
本気で、云った。
「嫌です」
「しかしだな、サニー。儂はお前の...」
なおも云い募ろうとした樊端は、しかし。
「ほんとうに、わたくしのためを思うのでしたら、おじさま」
あまりにも真摯な眼差しに、一瞬、言葉をなくした。その手を、とって。
「手を、放さないでくださいまし」
微笑んだ、姿が。
いっそ、神々しいほどで。
思わず抱き寄せた体は羽根みたいに軽く、どこへなりと飛んでいってしまいそうで、素直に愛おしいと思った。
「ああ」
そうか。
自分からその手を放すことなど出来なかったのだと―否。その手を放したくなどなかったのだと、樊端は気付いてしまった。
「そうだな」
抱きしめる腕に少しだけ力をこめた。
どうしてか。
こんなにも愛おしいと、思うのだろう。
最初で最後の恋なのだと、多分、はじめから知っていた。
「ベールを。落としてきてしまったな」
「あら本当。でもおじさま、それならいいことがありますわ」
云うが早いか、真っ白なドレスで土手に座り込んで。
借り物が汚れると青くなる樊端には構わず、シロツメクサを摘み始めた。
「ああ...花冠か」
なつかしい。
いつかは自分が作ってやった。
白い冠を花嫁のベールになぞらえて、ままごとをした。
あの春の庭から、一体どこまで来てしまったのだろう。いくら後悔してもしたりない。
それでも。
ほかの何より、後悔するというなら、つないだ手を放してしまった未来だから。
シロツメクサを摘んで指輪を作った。
金より銀より、宝石よりも。大切なものは。
白い、小さな手。
「サニー、手を出しなさい」
はい、と差し出されたその細い指に、急ごしらえの指輪をはめる。
「その、なんだ。今はこんなものしかないのだが」
いいえ、サニーが首をふる。
「いいえ、十分すぎるほどですわ」
きれいな、なみだ が。つと少女の頬を流れた。
腹でも痛いのかと慌てれば、おじさまは本当におじさまですわねと意味不明の返事。何となくなくむすっとする。
流れた涙はそのままに、少女がころころと笑う。
「拗ねないでくださいまし、それが悪いと云っているのではありませんわ」
ええ、むしろ、そんなあなただからこそわたくしは、と微笑むから、ああ勝てるわけなどないのだこの少女には。
「ほらおじさま、花冠ができましたわ」
頭上に掲げられた白い花冠。
あの日のベールが、今ここにある。
「おじさま。ままごとをいたしましょう?」
考えることは同じ、か。
同じ。それだけの長さを、共有してきたのだから。
誰が何と云おうと、共にいた時間が長すぎた。離れることなど、今更できるわけがない。
だから。
「そうだな」
祝福などなくていい。
誰の理解がなくてもいい。
ただ。
生涯をただ一人の上に縛り付けるためのままごとを。

命つきるまでこの者を愛することを、
「誓います」




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