「さあ、サニー。全部君にあげよう。まずはどれがいいかな?」
邪気は無いのだろうが、染み付いてしまったそれが滲み出る満面の笑顔でセルバンテスが言う。
約束通り、眩惑のセルバンテスは上等の甘いお菓子をサニーへの欧州土産に買ってきた。
チョコレート、クッキー、砂糖漬けの薔薇、ケーキ、タルト。
要するに、山ほど。
あさっての方向を見たままのアルベルトの口からは溜息のように紫煙が吐き出された。
大理石のバルコニーにしつらえられたテーブルには白と緑のテーブルクロスがかけられ、大輪の紅薔薇が白い花瓶に生けられている。
その花瓶を取り囲むように、紅茶の注がれたマイセンのティーカップは4つ置かれていた。
そして、甘い物の山。
「まぁ、こんなに?ありがとうございます、セルバンテスのおじ様!」
お菓子の家が目の前に現れたかのような心地でサニーはセルバンテスに抱きついた。椅子へ座っていてもまだ少し背伸びしないと届かない彼の首へ抱きつき、その頬へ感謝のキスを送る。
他愛ない言葉に、これほど沢山の”甘さ”で返してくれる人を他には知らない、とサニーは思う。
「私だけではとても食べ切れませんわ!」
「ふふっ、サニーが一人で全部食べたら、ちょっとおデブちゃんになってしまうね。でも抱っこしたらきっとフカフカして気持ちいいよ!」
「もう…、私、ぬいぐるみではありませんことよ?」
目つきだけはそのままだが、緩み切ったセルバンテスの口元から出てくる茶化す言葉すらも甘い。
「…セルバンテス、馬鹿な事を言うでない!」
サニーとセルバンテスを見、何も言う気配のないアルベルトを見、仕方なくといった風情の渋い顔で樊瑞が口を開いた。
「育ち盛りの子供に甘い物を大量に与えては体に良くない。肥満体質になってしまうぞ!」
後見人になってからというもの、彼は古今東西の育児書を密かに読み漁っていた。無論、アテにしてはいなかったが、知らないよりはマシだと思ってのことだ。
「子供の頃は甘い物を節制したほうが良いのだぞ、サニー」
「まぁ、怖い!気をつけますわ」
言葉少なに本当の事を教えてくれるのはたいていが樊瑞だった。
樊瑞の真剣な声音にサニーは少しずつ食べようと心に誓う。
「私だけで食べてはもったいないですから、後でエージェントの皆さんにもお裾分けをしてもよろしいでしょうか、セルバンテスのおじ様」
「父親とは違って優しい子だね!これはサニーにあげたんだから、君の好きにおし」
にやりと笑うセルバンテスが、ちらりと目だけでアルベルトを見やる。
サニーも仏頂面の父親を見、ほんの少し困ったように笑った。
返事はしてくれても、声をかけてはくれない。
いつでもしらんぷりなのに、いつでも存在を感じるなんて不思議だわ、とサニーは思う。
『奴の精一杯なのだ、わかってやってくれ』
とは樊瑞の言葉であり、
『君の父上はね、自分に正直すぎて不器用なんだよ』
とはセルバンテスの言葉だった。
よくわからないけれど、とっても遠回しに気にかけては下さってるのだわ、とサニーは思うことにしている。
「だが、その前にぜひ君に食べてもらいたいな!ほら、クッキーはいかがかな?小鳥ちゃん」
セルバンテスがクッキーを摘み上げ、傍らに立ったままのサニーの口元に差し出した。
何の疑いもなくサクリと口にして、サニーはにっこり笑う。
「とっても美味しい!」
ごめん遊ばせ、と言ってサニーがセルバンテスの手からクッキーを食べるのを、アルベルトは目の端で、樊瑞はあからさまに、何とも言えない顔で眺めていた。
「ああ~!!もう!かわいいなぁ!!!」
むぎゅ!!とセルバンテスがサニーを抱き締める。
「セ、…セルバンテス…」
「ん~?」
貴様の場合は洒落にならんから抱き締めるのはやめろ、と言いたい樊瑞だったが、セルバンテスは優越感に浸った表情で彼を見返し黙らせる。
「お、おじ様、苦しいですわ!」
「ん?ああ、ごめんね!」
息苦しい抱擁から逃れるべく必死で声を上げたサニーを、セルバンテスは悪びれずにあっさり手放す。
大きく息をついてから自分の席に着き、サニーはティーカップを手にした。
「おじ様がたも召し上がってください、とってもおいしいですわ!」
にこにこと幸せそうに頬を染め、改めて自分でクッキーに手を伸ばす少女は愛らしかったが、テーブルについた”おじ様がた”は一向に目の前に広げられ並べられたクッキーその他諸々の甘い物に手を伸ばそうとはしなかった。
三人とも甘い物は嫌いではなかったが、死ぬほど好きなわけではない。
こうまで大量に目の前にすると、その匂いだけでもう食べる気は失せていた。
二つ目のクッキーに手を伸ばしたサニーが手を止め、赤くなる。
「…私だけ頂いていては、何だか恥ずかしいですわ」
サニーは困ったようにまず仏頂面を崩さない父を見、ただただ締まりのない顔で見つめてくるセルバンテスを見、最後に”そんなものか?”と不思議そうな樊瑞を見た。
「樊瑞のおじ様、本当に美味しいんですのよ?」
クッキーをひとつ手にしたサニーは、すとんと椅子を降りて彼の傍に立つ。
「はい、どうぞ」
口元に差し出されたクッキーに、樊瑞はぎょっとした。
思わず身を引きかけて、いやいや後見人としても子供への態度としてもそれはまずいだろうと、ギクシャクと体を強張らせる。
ギギ、と音を立てそうな動きでサニーを見、樊瑞は笑って見せた。
「ああ、ありがとうサニー」
クッキーを手で受け取ろうとすると、セルバンテスの声が飛んでくる。
「アーンに決まってるだろう、混世魔王樊瑞殿。ねっ、サニー」
「え、あの…、…すみませんおじ様。私、子供のようなこと…」
しゅんとしかかるサニーに慌てて樊瑞が取りなす。
「ああいや!すまんすまん。ほら、あ…、あーん」
頬を引きつらせた笑顔で口を開ける樊瑞に、サニーが笑った。
「はい、どうぞ」
小さな手の小さな指から、小さなクッキーをついばむ。
指まで食ってしまいそうで危ない、と樊瑞は思った。
「私も食べさせてほしいなぁ」
「もちろんですわ」
つまらなそうに言うセルバンテスにサニーはにっこりと頷く。
再び顔を緩ませたセルバンテスは、仏頂面を通り越して眉間のあたりに苛立ちを漂わせ始めたアルベルトをちらりと見、にやりと笑った。
「我が盟友殿も、サニーに食べさせてほしいってさ!」
邪気は無いのだろうが、染み付いてしまったそれが滲み出る満面の笑顔でセルバンテスが言う。
約束通り、眩惑のセルバンテスは上等の甘いお菓子をサニーへの欧州土産に買ってきた。
チョコレート、クッキー、砂糖漬けの薔薇、ケーキ、タルト。
要するに、山ほど。
あさっての方向を見たままのアルベルトの口からは溜息のように紫煙が吐き出された。
大理石のバルコニーにしつらえられたテーブルには白と緑のテーブルクロスがかけられ、大輪の紅薔薇が白い花瓶に生けられている。
その花瓶を取り囲むように、紅茶の注がれたマイセンのティーカップは4つ置かれていた。
そして、甘い物の山。
「まぁ、こんなに?ありがとうございます、セルバンテスのおじ様!」
お菓子の家が目の前に現れたかのような心地でサニーはセルバンテスに抱きついた。椅子へ座っていてもまだ少し背伸びしないと届かない彼の首へ抱きつき、その頬へ感謝のキスを送る。
他愛ない言葉に、これほど沢山の”甘さ”で返してくれる人を他には知らない、とサニーは思う。
「私だけではとても食べ切れませんわ!」
「ふふっ、サニーが一人で全部食べたら、ちょっとおデブちゃんになってしまうね。でも抱っこしたらきっとフカフカして気持ちいいよ!」
「もう…、私、ぬいぐるみではありませんことよ?」
目つきだけはそのままだが、緩み切ったセルバンテスの口元から出てくる茶化す言葉すらも甘い。
「…セルバンテス、馬鹿な事を言うでない!」
サニーとセルバンテスを見、何も言う気配のないアルベルトを見、仕方なくといった風情の渋い顔で樊瑞が口を開いた。
「育ち盛りの子供に甘い物を大量に与えては体に良くない。肥満体質になってしまうぞ!」
後見人になってからというもの、彼は古今東西の育児書を密かに読み漁っていた。無論、アテにしてはいなかったが、知らないよりはマシだと思ってのことだ。
「子供の頃は甘い物を節制したほうが良いのだぞ、サニー」
「まぁ、怖い!気をつけますわ」
言葉少なに本当の事を教えてくれるのはたいていが樊瑞だった。
樊瑞の真剣な声音にサニーは少しずつ食べようと心に誓う。
「私だけで食べてはもったいないですから、後でエージェントの皆さんにもお裾分けをしてもよろしいでしょうか、セルバンテスのおじ様」
「父親とは違って優しい子だね!これはサニーにあげたんだから、君の好きにおし」
にやりと笑うセルバンテスが、ちらりと目だけでアルベルトを見やる。
サニーも仏頂面の父親を見、ほんの少し困ったように笑った。
返事はしてくれても、声をかけてはくれない。
いつでもしらんぷりなのに、いつでも存在を感じるなんて不思議だわ、とサニーは思う。
『奴の精一杯なのだ、わかってやってくれ』
とは樊瑞の言葉であり、
『君の父上はね、自分に正直すぎて不器用なんだよ』
とはセルバンテスの言葉だった。
よくわからないけれど、とっても遠回しに気にかけては下さってるのだわ、とサニーは思うことにしている。
「だが、その前にぜひ君に食べてもらいたいな!ほら、クッキーはいかがかな?小鳥ちゃん」
セルバンテスがクッキーを摘み上げ、傍らに立ったままのサニーの口元に差し出した。
何の疑いもなくサクリと口にして、サニーはにっこり笑う。
「とっても美味しい!」
ごめん遊ばせ、と言ってサニーがセルバンテスの手からクッキーを食べるのを、アルベルトは目の端で、樊瑞はあからさまに、何とも言えない顔で眺めていた。
「ああ~!!もう!かわいいなぁ!!!」
むぎゅ!!とセルバンテスがサニーを抱き締める。
「セ、…セルバンテス…」
「ん~?」
貴様の場合は洒落にならんから抱き締めるのはやめろ、と言いたい樊瑞だったが、セルバンテスは優越感に浸った表情で彼を見返し黙らせる。
「お、おじ様、苦しいですわ!」
「ん?ああ、ごめんね!」
息苦しい抱擁から逃れるべく必死で声を上げたサニーを、セルバンテスは悪びれずにあっさり手放す。
大きく息をついてから自分の席に着き、サニーはティーカップを手にした。
「おじ様がたも召し上がってください、とってもおいしいですわ!」
にこにこと幸せそうに頬を染め、改めて自分でクッキーに手を伸ばす少女は愛らしかったが、テーブルについた”おじ様がた”は一向に目の前に広げられ並べられたクッキーその他諸々の甘い物に手を伸ばそうとはしなかった。
三人とも甘い物は嫌いではなかったが、死ぬほど好きなわけではない。
こうまで大量に目の前にすると、その匂いだけでもう食べる気は失せていた。
二つ目のクッキーに手を伸ばしたサニーが手を止め、赤くなる。
「…私だけ頂いていては、何だか恥ずかしいですわ」
サニーは困ったようにまず仏頂面を崩さない父を見、ただただ締まりのない顔で見つめてくるセルバンテスを見、最後に”そんなものか?”と不思議そうな樊瑞を見た。
「樊瑞のおじ様、本当に美味しいんですのよ?」
クッキーをひとつ手にしたサニーは、すとんと椅子を降りて彼の傍に立つ。
「はい、どうぞ」
口元に差し出されたクッキーに、樊瑞はぎょっとした。
思わず身を引きかけて、いやいや後見人としても子供への態度としてもそれはまずいだろうと、ギクシャクと体を強張らせる。
ギギ、と音を立てそうな動きでサニーを見、樊瑞は笑って見せた。
「ああ、ありがとうサニー」
クッキーを手で受け取ろうとすると、セルバンテスの声が飛んでくる。
「アーンに決まってるだろう、混世魔王樊瑞殿。ねっ、サニー」
「え、あの…、…すみませんおじ様。私、子供のようなこと…」
しゅんとしかかるサニーに慌てて樊瑞が取りなす。
「ああいや!すまんすまん。ほら、あ…、あーん」
頬を引きつらせた笑顔で口を開ける樊瑞に、サニーが笑った。
「はい、どうぞ」
小さな手の小さな指から、小さなクッキーをついばむ。
指まで食ってしまいそうで危ない、と樊瑞は思った。
「私も食べさせてほしいなぁ」
「もちろんですわ」
つまらなそうに言うセルバンテスにサニーはにっこりと頷く。
再び顔を緩ませたセルバンテスは、仏頂面を通り越して眉間のあたりに苛立ちを漂わせ始めたアルベルトをちらりと見、にやりと笑った。
「我が盟友殿も、サニーに食べさせてほしいってさ!」
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アルベルトの不在を狙うように、時折セルバンテスは彼の屋敷を訪ねる。
目当ては無論、盟友の娘であるサニーとの他愛なく罪のない会話と、彼女手ずから淹れる紅茶。
しかし、訪問を知った際のアルベルトが見せる、この上ない不愉快をいかにも我慢している表情が楽しいからこそ、こうして通ってしまうのだとセルバンテスは思う。
あの男を限界まで苛立たせるのは、とても楽しい。
怒りを踏み越える一線を探っていく駆け引きはまるで恋にも似て、上等のスーツとクフィーヤをいくつ衝撃波に晒しても惜しいとは思えなかった。
駆け引きをすること自体、いつでも恋に似ている。
そういう意味ではアルベルトに恋をしているかもしれない、とセルバンテスは思う。
「あら、では国際警察機構とBF団の構成そのものはよく似ているんですのね」
昨晩捕らえられた女エキスパート銀鈴の話をちらりと聞かされ、サニーは言った。
清潔な白いテーブルクロスにマイセンの可憐な花模様のティーカップ、注がれた琥珀色の紅茶。乳白色をした大理石のバルコニーには木々の緑と薔薇の色が映える。
こんな美しい世界の中でなら、夕日が沈みきる直前の色を映したようなグラデーションの彼女の服はもう少し軽やかで華やかなものでもいいはずだとセルバンテスは思った。
アルベルトは嫌がるだろうが、今度来る時にはふわふわで淡い色ののワンピースを買ってきてあげよう。
「…我々と国警と、何が違うかわかるかい?サニー」
「…目的でしょうか?」
一生懸命に考える素振りで、不思議そうにセルバンテスを見つめ返す瞳の色は澄んでいる。
ジャイアントロボを連れ去った大作くんも、こんな目をしていたなとセルバンテスはふと思った。
周囲の大人を、父親を、無条件に信じる目。
愚かな子供は、同じように愚かなままの大人に振り回されざるを得ない。
それが幸か不幸かは別として。
「我々は奴らと違って、欲深なのさ」
あと金があるか無いかかなあ、とセルバンテスは笑った。
「…欲深い、のですか?」
ぱちぱちと瞬きをして、少女はセルバンテスを見つめ返す。
富も名声も、何もかもを手にしたような目の前の人は、まだ何か求めるものがあるのかしら?
サニーは頬に人差し指をあてて首を傾げた。
その様子にセルバンテスは小さく笑う。
「そう、だからこそ君がここにいるわけだ」
国警のエキスパートの娘として生まれたならば、我々BF団の手の及ばぬ場所で安全に、大切に、かつ国警とはほぼ無関係に、普通の子供として育てられたはずだ。
だが、サニーはどうだ。
盟友たるアルベルトは彼女を手放さぬ代償に親子の縁を切った。傍に置きたいがために、彼女の親であることを放棄したのだ。
矛盾しているように見えて、自己中心的な行動原理は潔いほど一貫しているのが我が盟友の素晴らしいところであり、そうまでしても彼女に父上と呼ぶ事を許してしまう甘さこそが愛すべきところでもある、とセルバンテスは思う。
「…よく、わかりませんわ」
困ったように笑う少女は、幸せに育った子供の顔でしかない。
「それでいいのさ」
それが無知から来るものだとしても、疑問の余地無く幸せならば他はさしたる問題でもあるまい。
セルバンテスはにやりと笑った。
「明日から私は欧州へ行くんだよ。お土産は何がいいかな、サニー」
今日の紅茶のお礼にねとセルバンテスが言い足すと、「では、甘いお菓子を」とサニーは笑った。
目当ては無論、盟友の娘であるサニーとの他愛なく罪のない会話と、彼女手ずから淹れる紅茶。
しかし、訪問を知った際のアルベルトが見せる、この上ない不愉快をいかにも我慢している表情が楽しいからこそ、こうして通ってしまうのだとセルバンテスは思う。
あの男を限界まで苛立たせるのは、とても楽しい。
怒りを踏み越える一線を探っていく駆け引きはまるで恋にも似て、上等のスーツとクフィーヤをいくつ衝撃波に晒しても惜しいとは思えなかった。
駆け引きをすること自体、いつでも恋に似ている。
そういう意味ではアルベルトに恋をしているかもしれない、とセルバンテスは思う。
「あら、では国際警察機構とBF団の構成そのものはよく似ているんですのね」
昨晩捕らえられた女エキスパート銀鈴の話をちらりと聞かされ、サニーは言った。
清潔な白いテーブルクロスにマイセンの可憐な花模様のティーカップ、注がれた琥珀色の紅茶。乳白色をした大理石のバルコニーには木々の緑と薔薇の色が映える。
こんな美しい世界の中でなら、夕日が沈みきる直前の色を映したようなグラデーションの彼女の服はもう少し軽やかで華やかなものでもいいはずだとセルバンテスは思った。
アルベルトは嫌がるだろうが、今度来る時にはふわふわで淡い色ののワンピースを買ってきてあげよう。
「…我々と国警と、何が違うかわかるかい?サニー」
「…目的でしょうか?」
一生懸命に考える素振りで、不思議そうにセルバンテスを見つめ返す瞳の色は澄んでいる。
ジャイアントロボを連れ去った大作くんも、こんな目をしていたなとセルバンテスはふと思った。
周囲の大人を、父親を、無条件に信じる目。
愚かな子供は、同じように愚かなままの大人に振り回されざるを得ない。
それが幸か不幸かは別として。
「我々は奴らと違って、欲深なのさ」
あと金があるか無いかかなあ、とセルバンテスは笑った。
「…欲深い、のですか?」
ぱちぱちと瞬きをして、少女はセルバンテスを見つめ返す。
富も名声も、何もかもを手にしたような目の前の人は、まだ何か求めるものがあるのかしら?
サニーは頬に人差し指をあてて首を傾げた。
その様子にセルバンテスは小さく笑う。
「そう、だからこそ君がここにいるわけだ」
国警のエキスパートの娘として生まれたならば、我々BF団の手の及ばぬ場所で安全に、大切に、かつ国警とはほぼ無関係に、普通の子供として育てられたはずだ。
だが、サニーはどうだ。
盟友たるアルベルトは彼女を手放さぬ代償に親子の縁を切った。傍に置きたいがために、彼女の親であることを放棄したのだ。
矛盾しているように見えて、自己中心的な行動原理は潔いほど一貫しているのが我が盟友の素晴らしいところであり、そうまでしても彼女に父上と呼ぶ事を許してしまう甘さこそが愛すべきところでもある、とセルバンテスは思う。
「…よく、わかりませんわ」
困ったように笑う少女は、幸せに育った子供の顔でしかない。
「それでいいのさ」
それが無知から来るものだとしても、疑問の余地無く幸せならば他はさしたる問題でもあるまい。
セルバンテスはにやりと笑った。
「明日から私は欧州へ行くんだよ。お土産は何がいいかな、サニー」
今日の紅茶のお礼にねとセルバンテスが言い足すと、「では、甘いお菓子を」とサニーは笑った。
北極より愛を込めて
「うえっっほげぇっほげぇっほ」
その咳にアルベルトは誰が見てもわかる不快な表情を隠さなかった。
横にいる男の冗談のような大げさな咳、実際冗談のように思えるが風邪らしい。
誰が、というと毎度おなじみ万年常夏カーニバルの『眩惑のセルバンテス』が、である。そう、曲がりなりにも十傑の一人である彼が風邪をひいてしまったのだ。
「げーっほげほげほげほ」
再び眉を寄せてしかめてついでに顔もそむけるアルベルト。
「お前・・・十傑集たる己が風邪をひくとは非常識だと思わんのか」
ちなみに「お前は風邪をひくような玉じゃないだろが、アホめ」というニュアンスが含まれる。
「いやー参ったよ、風邪なんてひくのって何年ぶりだろうね。いや何十年ぶりかな?わはっはっはうぇっーーーっほげっほげっほ」
「汚いだろうが!唾をこちらに飛ばすなっ」
アラスカ支部へ2人で視察へ赴いたのだがさきほど本部へ帰還してこのザマである。
視察が終わればさっさと帰ればいいものを「せっかくここまで来たのだから北極の氷を持って帰ってオンザロックしようじゃないか」と笑いながらバナナで釘を打てる北極を目指した男がいたのだ。スーツ一枚クフィーヤ姿で。ブツブツ文句をいいつつも引きずり回される形で着いて行った男もスーツ一枚であったが結果はご覧のとおり。北極熊と戯れている最中にクレバスに落ちた男だけが風邪をひいた。
「コートくらい用意すべきだったかなぁ・・・しかしどうして私が風邪をひいて君がケロッとしているのかねぇ、納得いかないよ」
たとえコートを着ずスーツ一枚であっても北極程度の氷点下で風邪をひくような者は十傑にはいない。しかし熊と遊んでクレバスに落ちるような馬鹿もついでに言えばいないはずである。アルベルトはその時の光景を思い出して風邪でもないのに頭が痛くなる。北極では保護色のような格好そしている男を見失ったかと思えば氷の海の中から声がする。放置するつもりが律儀に助けてしまった自分が嫌になる。
「うぇっほげぇっほ・・・アルベルト、君も風邪をひきたまえ。私だけ風邪なんてみっともないじゃないかこの『眩惑のセルバンテス』たる私がだよ?こういうときこそ我々の友情を発揮すべきではないのかね?げほげほほほ」
大した友情があったものである、相変わらずの思考は風邪を引いても変わらないのは喜ばしいことなのかどうなのか。しかしかなり調子が悪いようで目の下に流れる奇妙な紋様らしきそれ、普段は朱色であるがリトマス試験紙よろしく青色。目にわかるバロメーター曰く「気持ち悪い、超吐きそう」らしい。それに自慢のナマズひげはいつもより角度が低くクフィーヤの下に覗く鋭い形であるはずの彼の目もまた角度が低い。ちょっぴり「へにょ」っている十傑は貴重かもしれない。
「ええいっこの!みっともないのはお前だけで十分だ!」
「あいだだだだだ!!!・・・やめっあだだ、あぎゃあ抜ける!抜けるぅっ!!」
引っ張りやすい角度が幸いしてアルベルトは減らない口に添えられているヒゲに容赦ない制裁を加えた。
「ちょっ・・・私のチャームポイントを引っ張るのはやめてくれたまえっ・・・いった~連れないなぁ・・・あ、そうだ!他の皆にもうつせばいいんだ、それなら平等にみっともないしなによりもうふふふふ滅多にないこのイベントを楽しまないのはもったいないよね~うふふふふ~~~」
大騒動へのフラグが立った瞬間。
フラグを立てた男の目の下のバロメーターは桃色。
体調はともかく『テンション的には』絶好調、らしい。
少々足取りがおぼつかない様子でセルバンテスは十傑の執務室へと繋がる大回廊へ向かっていった。それを見送るアルベルト。おそらくとんでもない事態となるであろうが止める気はない。面倒ごとは極力回避する、関わらない、という徹底した身のこなしがあるからこそあの男と盟友をやれるのだ(実際徹底仕切れていないところが彼のよさでもあるかもしれないが)
「サニーに伝染(うつ)したら許さんぞ・・・」
ひとり戦利品の氷が入ったクーラーを持ち直したアルベルトの目は・・・マジだった。
最古参であるカワラザキの執務室は10人の中でもっとも坪数が広い。そして各執務室に共通して存在する隣接される小部屋は書庫か倉庫あたりに使われるのがもっぱらだが、彼の場合そこを畳敷きに改造している。そして今の季節そこは憩いの場になるのだ。
そう、BF団で冬の恋人「こたつ」があるのはここだけ。
カワラザキ、十常寺、怒鬼、この面子が座りのんびりテレビを見ていた。傍から見ればとてもじゃないが犯罪組織の一員とは思えない、うっかり和みそうな光景、ちなみにコタツの中にはアキレスがとぐろを巻いている。
「なんだかミカンでも食べたくなる気分だねぇ」
「おお、セルバンテスかお前も入るか?」
いつもの調子で軽やかに執務室に入ってきた男にカワラザキは何ら不審を感じることもなく和みの光景へと誘った。
「いや遠慮しておくよげほげほちょっと今忙しくってね~ふふふカワラザキの達者な顔を見に来ただけだよはははは!」」
セルバンテスはたっぷりと咳をかけておいた温州ミカンを5、6個クフィーヤから取り出してコタツの上に置いた。さりげなくである。
「・・・眩惑大人、顔色不自然、風邪疑惑」
「・・・十常寺、もう少し楽な喋り方はできないのかね、風邪?何言ってるんだい私は十傑集だよ?風邪なんて引くわけないじゃうぇーげっほげっほげっほ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
怒鬼は相変わらずの寡黙であるが、にっこり笑うセルバンテスのバロメーターが桃色から青へと変色していく様を見逃さなかった。心持ちセルバンテスから身を遠ざける。
「ああ、そうだカワラザキ、幽鬼は今どこにいるのかな?」
「や」
大回廊の向こう側から笑いながら近づいてくるクフィーヤの男の姿を見た途端、幽鬼は「脱兎」と例えられる動きでその場から逃げ出しセルバンテスが一言も言い終わらないうちに姿を消し去った。彼の持ちうる天性の勘が防衛本能に訴えたらしい。
「あ・・・幽鬼・・・って・・・。っち・・・さすがと言うべきかなんて勘の鋭さだろうね・・・」
しかしこれで引き下がる眩惑でもなく、幽鬼の執務室のドアノブにいっぱい咳をかけトラップを仕込んでおいた。
「これでよし、と・・・おや?あれはレッド君ではなかろうか・・・」
何も知らないレッドが大回廊の端の角を曲がろうとしていたのを見つける。
「いやぁレッドくーん元気かねー?」
「!!!!」
人生でただの一度たりとも背後を取られたことの無かったレッドは初めて唐突に後ろから肩に腕を回された。気配など微塵も感じなかった。驚愕どころの事態ではない、忍者たる自分が背後を取られたことに動揺を隠し切れない。
「セ・・・セルバ・・・!!!」
くないでプッスリ眉間を刺してやろうかと振り向いたそこには青白いを通り越して白い顔をしたセルバンテス。浮かべている笑顔も気持ち悪かったが何よりも赤っぽい色であるはずの紋様が・・・アメフラシのような発色になっているのがヤバさを感じさせさすがのレッドもたじろいだ。
「おい・・・お前死んでるんじゃあないのか?どうみても死人だぞ」
だから気配を感じなかったのか?とレッド的には思いたい。
「うふふふ冗談キツいよレッド君うぇーーげっほげっほ」
「うっわ!きったな!!!!」
「うらめしやーってうわははははげぇーーっほげほげほうふふふふふふふ」
「わーー!!!寄るな寄ると殺すぞ!!あっち行け!シッシッ」
普段なら眉一つ動かさずに相手の息の根を止める彼だったが、迫ってくる男の逝った顔が生理的に受け付けられない。彼らしからぬ怯えを面白がるセルバンテスは尚も追いすがる。
「何をしているんだ?騒がしいな・・・レッド?セルバンテス?」
間の悪い男である。
きっとこの間の悪さが将来の彼に影を落とすであろうが今はそんなことはどうでもいい。大騒ぎを聞きつけて執務室から顔を覗かせたのはヒィッツカラルドだった。
「びゅーてぃほーわんだほー素晴らしきいえーーい!!うげぇっほげぇっほうははははは」
「どけ!ヒィッツカラルド!!どわーー!!!」
「のわあああ!!」
(暗転)
「はぁはぁはぁ・・・さてと・・・うふふふふ~後は残月と樊瑞かぁーあはははははははおえーっげほげほげほうひひひひひhhh」
自分がすでにデッドラインを超えてしまったことに気づかないまま残月の執務室へと足を向けるセルバンテス。そして残月の執務室をノックしようとした・・・がそこでプッツリとテンションの糸が切れてしまい倒れてしまった。
「うん?何か物音がしたような・・・・」
残月が執務室のドアを開けてみればゴキブリが突っ伏したような格好の男が足元にいた。見てみぬ振りをするのが最善であると判断して速やかにドアを閉めようとしたが
「あ、セルバンテスのおじ様!大丈夫ですか?」
執務室の中から出てきたのはサニー。残月の元に本を借りに来ていたのだが倒れている男に気づいて駆け寄ってきた。
あのあと結局サニーが心配するので仕方なくセルバンテスを介抱する羽目となった残月も撃沈。そして当然と言うべきかサニーも撃沈、サニーを看病した樊瑞も仲良く撃沈。
セルバンテスの目的はこれ以上なく達成されたと言っていいかもしれない。
「ごめんよサニーちゃん・・・」
「いいえ、けほけほ、おじ様が元気になって良かったですわ」
「サニーちゃーん・・・うううおじさん超反省しているよ・・・サニーちゃんにだけは風邪を伝染すつもりはなかったんだ信じて欲しい、本当にすまなかったね」
サニーのおでこにそっと氷嚢を乗せてやる。例の北極の氷がこんなことに使われることになろうとは、さすがのセルバンテスも思いも寄らなかった。
「じゃあ温かくしてお休み、元気になったらお詫びをさせておくれ」
「うふふ、はい、おじ様・・・けほけほ」
サニーの見舞いを終え、意気消沈のセルバンテスをBF団本部で迎えたのは9人の男たち。一人を除いて全員マスクをつけている。
「はは・・・はははは・・・ちょ・・・待ちたまえ君たち・・・」
殺気が空間を黒く染め、気のせいが次元すら歪んで見える。
「さあ、どうこの始末をつけてくれるのだ眩惑の・・・げっほげっほ」
覆面の残月がマスクである、シュールな姿でセルバンテスに煙管を突きつける。
「十傑集裁判でもやるか」
「それはいいな、久しぶりに腕がなる、げっほげほげほ」
ヒィッツカラルドとレッドが残忍な笑みをう浮かべる。
「ま、待て待て待ちたまえ十傑集裁判だなんて縁起でもないははは、ここは穏便に・・・」
「何を穏便に・・・だと?セルバンテス」
地の底から響くようなスーパーウーハーはアルベルト、他の誰よりもドス黒い殺気を放って地獄の鬼も裸足で逃げ出すような形相。
「サニーによくも性質の悪い風邪を伝染してくれたな・・・・・」
「あ・・・あは・・・ふっ不可抗力だよアルベルト・・・私は決してサニーちゃんに伝染そうだなんてこれっぽっちも思ってなんか」
腰が抜けて顔が引きつらせつつも後ずさりするが、アルベルトに確実にジリジリと追い詰められていく。
「げっほげほ・・・しかし何故アルベルトだけが風邪をひかんのだ」
トラップにひっかかってしまった幽鬼の疑問。
それにうっかりいつもの調子で答えてしまったのは・・・
「そりゃあ、昔から言うじゃあないか『馬鹿は風邪をひかない』ってね~!ははは」
渾身の衝撃波はBF団本部を半壊させた。
そして
北極点で発見されたのはバロメーターを黒にしたセルバンテスだった。
END
風邪をひいた十傑というわけですがサニーちゃんが殊の外早く回復して一安心。やっぱり衝撃の血は凄いよ、眩惑に対して免疫があるのかどうかは知らんけど(笑)。で、他の十傑たちもボチボチ回復していくんだけど意外な事に残月が長引いている。ほら、眩惑ウィルスだからまとも人間には厳しいんだよ。ちなみに残月の次に直りが遅かったのは幽鬼ね(爺様の熱心な看病のお陰で完治)。ある意味自分のために風邪を引かせてしまったからサニーちゃんも申し訳ないと思ってお見舞いに(本当は眩惑が元凶だけど)。執務室に隣接されてる小部屋で寝込んでいる残月、家帰って寝ればいいのに仕事がたまるのが嫌なんだよこの人。無理してでも仕事をこなす十傑の鑑(だから直りが遅いのかもしれんけど)。そこへサニーがやってきて「残月様、具合はいかがですか」「うむ、まだ熱があるようだ、サニー私に近づくとまた風邪をひいてしまう気遣いは無用だから帰りなさい」なんつって。例の覆面をそのままに寝込んでもいいけどどう考えても頭頂部が邪魔だからあそこだけ取って髪の毛(地毛だかウィッグだか不明)が出てる状態を想像していただきたい。でもサニーちゃんは「私はもう大丈夫です」といいつつお見舞いのりんごをむいてあげる。お、ちょっと絵になるシーンですよ。むいてくれたりんごを残月が手に取ろうとしたら「あ、駄目です、はい残月様」といきなりサニーがりんごを手にとってにっこり笑って残月にアーンの状態。サニー的にはお詫びの気持ちなんだよこれが。さすがにどうしたものかと悩む残月、まぁ役得だと思って甘んじて受けるのも悪くはなかろうと苦笑しつつ彼もまたアーンの形に。「ざざざ残月っっききき貴様ぁあ!!」はい毎度おなじみ後見人のご登場ですよ。残月を見舞ってやろうかと思って魔王が来たんだよ、タイミング悪いことに。「どうも怪しいと思っていたら貴様サニーのことを!」ほら、年齢が一番若いしサニーちゃんを可愛がってるしできる男だしイイ男っぽいしサニーちゃんも慕ってる感じだし魔王的には2人の関係はちょっと気になっていたわけだ。しかも目の前でまるで恋人がするかのようなアーン。お似合いなだけに魔王超ショッキン。そんなのサニーがまだ幼い頃にしかやってもらったこと無いのに!「なんだ、樊瑞いたのか何か用か」しれと答えるのはもうりんごを口に入れちゃった残月。サニーがアーンしてくれたりんごは美味しいよ。「吐けっつ吐き出せっ」風邪っぴきの残月の胸倉掴んで魔王必死、でも残念全部食べちゃった。「おじ様っ残月様は今体調がお悪いのです、乱暴はおやめください」ガーン!サニーまでこんな覆面男の肩を持つのかああああ!完全に冷静さを失った面白魔王はサニーと残月が挙式をあげている絵を思い浮かべて号泣&脱兎。昨日までそこにいたのはサニーと自分だったのに!!!!(笑)「まったく何しに来たのだあの男は」「残月様、大丈夫ですか」「うむ、せっかくだ、りんごをもう一つもらおうか」「はい」サニーのアーンしてくれたりんごのお陰で次の日には完治した残月さんでしたとさ。ちなみにあとでその話を聞いたバンテスは指を咥えて「いいなぁー残月」とうらやましげ、アルベルトは相手があの残月だから「あ、そう」程度。魔王ひとりがまだ泣いてます。
「うえっっほげぇっほげぇっほ」
その咳にアルベルトは誰が見てもわかる不快な表情を隠さなかった。
横にいる男の冗談のような大げさな咳、実際冗談のように思えるが風邪らしい。
誰が、というと毎度おなじみ万年常夏カーニバルの『眩惑のセルバンテス』が、である。そう、曲がりなりにも十傑の一人である彼が風邪をひいてしまったのだ。
「げーっほげほげほげほ」
再び眉を寄せてしかめてついでに顔もそむけるアルベルト。
「お前・・・十傑集たる己が風邪をひくとは非常識だと思わんのか」
ちなみに「お前は風邪をひくような玉じゃないだろが、アホめ」というニュアンスが含まれる。
「いやー参ったよ、風邪なんてひくのって何年ぶりだろうね。いや何十年ぶりかな?わはっはっはうぇっーーーっほげっほげっほ」
「汚いだろうが!唾をこちらに飛ばすなっ」
アラスカ支部へ2人で視察へ赴いたのだがさきほど本部へ帰還してこのザマである。
視察が終わればさっさと帰ればいいものを「せっかくここまで来たのだから北極の氷を持って帰ってオンザロックしようじゃないか」と笑いながらバナナで釘を打てる北極を目指した男がいたのだ。スーツ一枚クフィーヤ姿で。ブツブツ文句をいいつつも引きずり回される形で着いて行った男もスーツ一枚であったが結果はご覧のとおり。北極熊と戯れている最中にクレバスに落ちた男だけが風邪をひいた。
「コートくらい用意すべきだったかなぁ・・・しかしどうして私が風邪をひいて君がケロッとしているのかねぇ、納得いかないよ」
たとえコートを着ずスーツ一枚であっても北極程度の氷点下で風邪をひくような者は十傑にはいない。しかし熊と遊んでクレバスに落ちるような馬鹿もついでに言えばいないはずである。アルベルトはその時の光景を思い出して風邪でもないのに頭が痛くなる。北極では保護色のような格好そしている男を見失ったかと思えば氷の海の中から声がする。放置するつもりが律儀に助けてしまった自分が嫌になる。
「うぇっほげぇっほ・・・アルベルト、君も風邪をひきたまえ。私だけ風邪なんてみっともないじゃないかこの『眩惑のセルバンテス』たる私がだよ?こういうときこそ我々の友情を発揮すべきではないのかね?げほげほほほ」
大した友情があったものである、相変わらずの思考は風邪を引いても変わらないのは喜ばしいことなのかどうなのか。しかしかなり調子が悪いようで目の下に流れる奇妙な紋様らしきそれ、普段は朱色であるがリトマス試験紙よろしく青色。目にわかるバロメーター曰く「気持ち悪い、超吐きそう」らしい。それに自慢のナマズひげはいつもより角度が低くクフィーヤの下に覗く鋭い形であるはずの彼の目もまた角度が低い。ちょっぴり「へにょ」っている十傑は貴重かもしれない。
「ええいっこの!みっともないのはお前だけで十分だ!」
「あいだだだだだ!!!・・・やめっあだだ、あぎゃあ抜ける!抜けるぅっ!!」
引っ張りやすい角度が幸いしてアルベルトは減らない口に添えられているヒゲに容赦ない制裁を加えた。
「ちょっ・・・私のチャームポイントを引っ張るのはやめてくれたまえっ・・・いった~連れないなぁ・・・あ、そうだ!他の皆にもうつせばいいんだ、それなら平等にみっともないしなによりもうふふふふ滅多にないこのイベントを楽しまないのはもったいないよね~うふふふふ~~~」
大騒動へのフラグが立った瞬間。
フラグを立てた男の目の下のバロメーターは桃色。
体調はともかく『テンション的には』絶好調、らしい。
少々足取りがおぼつかない様子でセルバンテスは十傑の執務室へと繋がる大回廊へ向かっていった。それを見送るアルベルト。おそらくとんでもない事態となるであろうが止める気はない。面倒ごとは極力回避する、関わらない、という徹底した身のこなしがあるからこそあの男と盟友をやれるのだ(実際徹底仕切れていないところが彼のよさでもあるかもしれないが)
「サニーに伝染(うつ)したら許さんぞ・・・」
ひとり戦利品の氷が入ったクーラーを持ち直したアルベルトの目は・・・マジだった。
最古参であるカワラザキの執務室は10人の中でもっとも坪数が広い。そして各執務室に共通して存在する隣接される小部屋は書庫か倉庫あたりに使われるのがもっぱらだが、彼の場合そこを畳敷きに改造している。そして今の季節そこは憩いの場になるのだ。
そう、BF団で冬の恋人「こたつ」があるのはここだけ。
カワラザキ、十常寺、怒鬼、この面子が座りのんびりテレビを見ていた。傍から見ればとてもじゃないが犯罪組織の一員とは思えない、うっかり和みそうな光景、ちなみにコタツの中にはアキレスがとぐろを巻いている。
「なんだかミカンでも食べたくなる気分だねぇ」
「おお、セルバンテスかお前も入るか?」
いつもの調子で軽やかに執務室に入ってきた男にカワラザキは何ら不審を感じることもなく和みの光景へと誘った。
「いや遠慮しておくよげほげほちょっと今忙しくってね~ふふふカワラザキの達者な顔を見に来ただけだよはははは!」」
セルバンテスはたっぷりと咳をかけておいた温州ミカンを5、6個クフィーヤから取り出してコタツの上に置いた。さりげなくである。
「・・・眩惑大人、顔色不自然、風邪疑惑」
「・・・十常寺、もう少し楽な喋り方はできないのかね、風邪?何言ってるんだい私は十傑集だよ?風邪なんて引くわけないじゃうぇーげっほげっほげっほ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
怒鬼は相変わらずの寡黙であるが、にっこり笑うセルバンテスのバロメーターが桃色から青へと変色していく様を見逃さなかった。心持ちセルバンテスから身を遠ざける。
「ああ、そうだカワラザキ、幽鬼は今どこにいるのかな?」
「や」
大回廊の向こう側から笑いながら近づいてくるクフィーヤの男の姿を見た途端、幽鬼は「脱兎」と例えられる動きでその場から逃げ出しセルバンテスが一言も言い終わらないうちに姿を消し去った。彼の持ちうる天性の勘が防衛本能に訴えたらしい。
「あ・・・幽鬼・・・って・・・。っち・・・さすがと言うべきかなんて勘の鋭さだろうね・・・」
しかしこれで引き下がる眩惑でもなく、幽鬼の執務室のドアノブにいっぱい咳をかけトラップを仕込んでおいた。
「これでよし、と・・・おや?あれはレッド君ではなかろうか・・・」
何も知らないレッドが大回廊の端の角を曲がろうとしていたのを見つける。
「いやぁレッドくーん元気かねー?」
「!!!!」
人生でただの一度たりとも背後を取られたことの無かったレッドは初めて唐突に後ろから肩に腕を回された。気配など微塵も感じなかった。驚愕どころの事態ではない、忍者たる自分が背後を取られたことに動揺を隠し切れない。
「セ・・・セルバ・・・!!!」
くないでプッスリ眉間を刺してやろうかと振り向いたそこには青白いを通り越して白い顔をしたセルバンテス。浮かべている笑顔も気持ち悪かったが何よりも赤っぽい色であるはずの紋様が・・・アメフラシのような発色になっているのがヤバさを感じさせさすがのレッドもたじろいだ。
「おい・・・お前死んでるんじゃあないのか?どうみても死人だぞ」
だから気配を感じなかったのか?とレッド的には思いたい。
「うふふふ冗談キツいよレッド君うぇーーげっほげっほ」
「うっわ!きったな!!!!」
「うらめしやーってうわははははげぇーーっほげほげほうふふふふふふふ」
「わーー!!!寄るな寄ると殺すぞ!!あっち行け!シッシッ」
普段なら眉一つ動かさずに相手の息の根を止める彼だったが、迫ってくる男の逝った顔が生理的に受け付けられない。彼らしからぬ怯えを面白がるセルバンテスは尚も追いすがる。
「何をしているんだ?騒がしいな・・・レッド?セルバンテス?」
間の悪い男である。
きっとこの間の悪さが将来の彼に影を落とすであろうが今はそんなことはどうでもいい。大騒ぎを聞きつけて執務室から顔を覗かせたのはヒィッツカラルドだった。
「びゅーてぃほーわんだほー素晴らしきいえーーい!!うげぇっほげぇっほうははははは」
「どけ!ヒィッツカラルド!!どわーー!!!」
「のわあああ!!」
(暗転)
「はぁはぁはぁ・・・さてと・・・うふふふふ~後は残月と樊瑞かぁーあはははははははおえーっげほげほげほうひひひひひhhh」
自分がすでにデッドラインを超えてしまったことに気づかないまま残月の執務室へと足を向けるセルバンテス。そして残月の執務室をノックしようとした・・・がそこでプッツリとテンションの糸が切れてしまい倒れてしまった。
「うん?何か物音がしたような・・・・」
残月が執務室のドアを開けてみればゴキブリが突っ伏したような格好の男が足元にいた。見てみぬ振りをするのが最善であると判断して速やかにドアを閉めようとしたが
「あ、セルバンテスのおじ様!大丈夫ですか?」
執務室の中から出てきたのはサニー。残月の元に本を借りに来ていたのだが倒れている男に気づいて駆け寄ってきた。
あのあと結局サニーが心配するので仕方なくセルバンテスを介抱する羽目となった残月も撃沈。そして当然と言うべきかサニーも撃沈、サニーを看病した樊瑞も仲良く撃沈。
セルバンテスの目的はこれ以上なく達成されたと言っていいかもしれない。
「ごめんよサニーちゃん・・・」
「いいえ、けほけほ、おじ様が元気になって良かったですわ」
「サニーちゃーん・・・うううおじさん超反省しているよ・・・サニーちゃんにだけは風邪を伝染すつもりはなかったんだ信じて欲しい、本当にすまなかったね」
サニーのおでこにそっと氷嚢を乗せてやる。例の北極の氷がこんなことに使われることになろうとは、さすがのセルバンテスも思いも寄らなかった。
「じゃあ温かくしてお休み、元気になったらお詫びをさせておくれ」
「うふふ、はい、おじ様・・・けほけほ」
サニーの見舞いを終え、意気消沈のセルバンテスをBF団本部で迎えたのは9人の男たち。一人を除いて全員マスクをつけている。
「はは・・・はははは・・・ちょ・・・待ちたまえ君たち・・・」
殺気が空間を黒く染め、気のせいが次元すら歪んで見える。
「さあ、どうこの始末をつけてくれるのだ眩惑の・・・げっほげっほ」
覆面の残月がマスクである、シュールな姿でセルバンテスに煙管を突きつける。
「十傑集裁判でもやるか」
「それはいいな、久しぶりに腕がなる、げっほげほげほ」
ヒィッツカラルドとレッドが残忍な笑みをう浮かべる。
「ま、待て待て待ちたまえ十傑集裁判だなんて縁起でもないははは、ここは穏便に・・・」
「何を穏便に・・・だと?セルバンテス」
地の底から響くようなスーパーウーハーはアルベルト、他の誰よりもドス黒い殺気を放って地獄の鬼も裸足で逃げ出すような形相。
「サニーによくも性質の悪い風邪を伝染してくれたな・・・・・」
「あ・・・あは・・・ふっ不可抗力だよアルベルト・・・私は決してサニーちゃんに伝染そうだなんてこれっぽっちも思ってなんか」
腰が抜けて顔が引きつらせつつも後ずさりするが、アルベルトに確実にジリジリと追い詰められていく。
「げっほげほ・・・しかし何故アルベルトだけが風邪をひかんのだ」
トラップにひっかかってしまった幽鬼の疑問。
それにうっかりいつもの調子で答えてしまったのは・・・
「そりゃあ、昔から言うじゃあないか『馬鹿は風邪をひかない』ってね~!ははは」
渾身の衝撃波はBF団本部を半壊させた。
そして
北極点で発見されたのはバロメーターを黒にしたセルバンテスだった。
END
風邪をひいた十傑というわけですがサニーちゃんが殊の外早く回復して一安心。やっぱり衝撃の血は凄いよ、眩惑に対して免疫があるのかどうかは知らんけど(笑)。で、他の十傑たちもボチボチ回復していくんだけど意外な事に残月が長引いている。ほら、眩惑ウィルスだからまとも人間には厳しいんだよ。ちなみに残月の次に直りが遅かったのは幽鬼ね(爺様の熱心な看病のお陰で完治)。ある意味自分のために風邪を引かせてしまったからサニーちゃんも申し訳ないと思ってお見舞いに(本当は眩惑が元凶だけど)。執務室に隣接されてる小部屋で寝込んでいる残月、家帰って寝ればいいのに仕事がたまるのが嫌なんだよこの人。無理してでも仕事をこなす十傑の鑑(だから直りが遅いのかもしれんけど)。そこへサニーがやってきて「残月様、具合はいかがですか」「うむ、まだ熱があるようだ、サニー私に近づくとまた風邪をひいてしまう気遣いは無用だから帰りなさい」なんつって。例の覆面をそのままに寝込んでもいいけどどう考えても頭頂部が邪魔だからあそこだけ取って髪の毛(地毛だかウィッグだか不明)が出てる状態を想像していただきたい。でもサニーちゃんは「私はもう大丈夫です」といいつつお見舞いのりんごをむいてあげる。お、ちょっと絵になるシーンですよ。むいてくれたりんごを残月が手に取ろうとしたら「あ、駄目です、はい残月様」といきなりサニーがりんごを手にとってにっこり笑って残月にアーンの状態。サニー的にはお詫びの気持ちなんだよこれが。さすがにどうしたものかと悩む残月、まぁ役得だと思って甘んじて受けるのも悪くはなかろうと苦笑しつつ彼もまたアーンの形に。「ざざざ残月っっききき貴様ぁあ!!」はい毎度おなじみ後見人のご登場ですよ。残月を見舞ってやろうかと思って魔王が来たんだよ、タイミング悪いことに。「どうも怪しいと思っていたら貴様サニーのことを!」ほら、年齢が一番若いしサニーちゃんを可愛がってるしできる男だしイイ男っぽいしサニーちゃんも慕ってる感じだし魔王的には2人の関係はちょっと気になっていたわけだ。しかも目の前でまるで恋人がするかのようなアーン。お似合いなだけに魔王超ショッキン。そんなのサニーがまだ幼い頃にしかやってもらったこと無いのに!「なんだ、樊瑞いたのか何か用か」しれと答えるのはもうりんごを口に入れちゃった残月。サニーがアーンしてくれたりんごは美味しいよ。「吐けっつ吐き出せっ」風邪っぴきの残月の胸倉掴んで魔王必死、でも残念全部食べちゃった。「おじ様っ残月様は今体調がお悪いのです、乱暴はおやめください」ガーン!サニーまでこんな覆面男の肩を持つのかああああ!完全に冷静さを失った面白魔王はサニーと残月が挙式をあげている絵を思い浮かべて号泣&脱兎。昨日までそこにいたのはサニーと自分だったのに!!!!(笑)「まったく何しに来たのだあの男は」「残月様、大丈夫ですか」「うむ、せっかくだ、りんごをもう一つもらおうか」「はい」サニーのアーンしてくれたりんごのお陰で次の日には完治した残月さんでしたとさ。ちなみにあとでその話を聞いたバンテスは指を咥えて「いいなぁー残月」とうらやましげ、アルベルトは相手があの残月だから「あ、そう」程度。魔王ひとりがまだ泣いてます。
なんだかぼんやりしてしまう。
先程給仕係に持ってこさせた紅茶は香りばかり強くてあまりいただけなかった。
ぼんやりして頭の中の思考が冴えない。
窓を開け放っているのでその香りは疎か適度に調節されていたであろうティーポットの温度すら
今は冷えてしまってきっともうおいしくないだろう。
頭の中がぼんやりすると
心臓と肺の間くらいからムクムクと
なんだか訳のわからない嫌な感情がもやもやとわき出てきて不快だ。
だから何か考えようとする。
アンティークガラスのカップをつまみ上げて口に運ぼうとすると、
その紅茶の冷たさときつめの香りが鼻についた。
とにかく喉を潤すためにカップ傾けたとたんに唇に付いた
冷たいガラスの感触がなんだか不快で
結局口をつけずにカップをソーサーにもどした。
季節は移ろい、涼しげな風が柔らかくほほを撫ぜて行く。
円形のルーフテラスに植えられた美しい花々と愛らしい少女を愛でながら、
ガラス張りの扉を全開にして明るい日差しにゆったりと手触りの良いお気に入りのカウチに腰掛けて
『ああ、この地上に今の私ほど幸せな気分な人間がどれくらいるだろうか?』
…などと悦に浸っているだろう普段なら。
元々私はそう不幸な人間でもないのだ、今特にこれと言ったせっぱ詰まった悩みはないし、
現在置かれている立場上そうそう不快な気分になることも無い。
こう言い切れるのも自分自身が楽しむときは腹の底から楽しみ、悲しむときは勢いよく悲しんで
翌日にはさっぱりするタイプの人間であるのも起因していると思う。
普段なら腹の底から笑いが止まらないほど楽しい時間をすごしている。
なのに・・・・・
・・・おもしろくない。
これほどまでにおもしろくない気分を味わうのは久々の感覚で
何ともおもしろくない気分を十二分に味わっていた。
触り心地の良いカウチにだらしなく肩肘を預け頬杖をついてぼんやりしている。
良い色に馴染んださわさわしたベルベットの感触が手の平に触れるがそれすらもなんだか今は煩わしい。
気ぜわしく足を組み替えたり紅茶のカップをかちゃかちゃといじってみたりする。
そうそう、この際何でこんな気分になるのかは自分でも何となくわかっているのだけれども
ここは敢えてそのことは考えない事にする。
楽しくないことを考えるのはきっと体にも頭にもよくない。
楽しいことを考えよう。
自分の今の状況を払拭できるような打開策もしくはこの気持ちの改善策だ。
目を瞑り考え出すと知らずに眉間に皺が寄ってしまう。
・・・・・・・・・。
そもそもどうして私はこんなに不満な気持ちになったのか?
ちらりと目を開けると楽しそうに笑いながら花束を作る少女と
その傍ら、正確には自分がいるべきスポットになぜか、どうしてこうなったのか
不器用な笑みを浮かべる髭面にピンクのマントを羽織った長身の男…
「あ、これだ」
なぁ~んだそうだったんだ、考えてみれば簡単なことだった。
揺れる暗雲を太陽の光が白い剣となって切り裂くように、
さっと視界が開けてなんだか頭がクリアになった。
絡まった糸が解けてしまえば後は簡単だ。
自分が好きなように、思うように、気の済むように結び直せばいい。
ぐぃと勢いよく手触りの良いカウチから身を起こすと
子供のように駆けていった、愛しい少女の元へ。
花びらを舞い散らしながらダダダッと少女の元へ駆けてくるや否や
そのスピードを落とさないまま走りより、不意を突かれた魔王を勢いよく肘で突き飛ばし花の海へ沈めると、
セルバンテスは満足げににっこりとした笑顔のままサニーの傍らに座って言った。
「ねぇねぇ、私にも花の冠を作ってくれないかな?」
花の海に沈んで全身花びらと花粉まみれになりながらセルバンテスを見る目が半眼の魔王がむくりと起き上がる。
「いったいなんだ、不機嫌そうにしていたかと思ったら見境無くはしゃぎだしたり・・・」
少女を奪われたせいで、手持ちぶさたの両腕を組みしかめっ面でもっともな不満を述べる。
「君の意見はいつも正論だと思うよ。」
でも何でせっかくの休日にサニーちゃんを誘ったら君まで付いてくるのかがわからない。
今日家の扉を開けた時の私の絶望感と言ったら!
魔王ににらまれても動じないセルバンテスは心の中でそうつぶやいた。
サニーの花輪の作成を手伝う彼の表情は先程と打って変わって朗らかで
いささか恐ろしい表現ではあるが今にも歌でも歌いそうなくらいだ。
「そんなことはどうでも良いんだよ。私はサニーちゃんと遊びたいだけなんだから。」
「君には用はないの」
わけがわからん等とブツブツ言いながら魔王は手早く花びらを取り払うと
不機嫌そのものの顔でテラスの奥に引っ込んでいった。
サニーちゃんは面倒見の良い「後見人」が不機嫌そうにテラスを出て行ったことで
不安そうに私の顔とピンクのマントの背中を交互に見ていたけれど。
少しの我慢もできない大人げない大人でごめんねサニーちゃん
でも、これだけは、いつか君にわかってもらえると良いなぁ。
どれだけ私が君のことを思っているのか。
一緒に暮らしているわけでもない私と君の少ない逢瀬を
私がどれくらい、どれくらい楽しみにしているのか。
そして、この気持ちを解ってくれるのはいつの日になるだろうか
私の廃れた心に巡る紅い炎の様なこの…
先程給仕係に持ってこさせた紅茶は香りばかり強くてあまりいただけなかった。
ぼんやりして頭の中の思考が冴えない。
窓を開け放っているのでその香りは疎か適度に調節されていたであろうティーポットの温度すら
今は冷えてしまってきっともうおいしくないだろう。
頭の中がぼんやりすると
心臓と肺の間くらいからムクムクと
なんだか訳のわからない嫌な感情がもやもやとわき出てきて不快だ。
だから何か考えようとする。
アンティークガラスのカップをつまみ上げて口に運ぼうとすると、
その紅茶の冷たさときつめの香りが鼻についた。
とにかく喉を潤すためにカップ傾けたとたんに唇に付いた
冷たいガラスの感触がなんだか不快で
結局口をつけずにカップをソーサーにもどした。
季節は移ろい、涼しげな風が柔らかくほほを撫ぜて行く。
円形のルーフテラスに植えられた美しい花々と愛らしい少女を愛でながら、
ガラス張りの扉を全開にして明るい日差しにゆったりと手触りの良いお気に入りのカウチに腰掛けて
『ああ、この地上に今の私ほど幸せな気分な人間がどれくらいるだろうか?』
…などと悦に浸っているだろう普段なら。
元々私はそう不幸な人間でもないのだ、今特にこれと言ったせっぱ詰まった悩みはないし、
現在置かれている立場上そうそう不快な気分になることも無い。
こう言い切れるのも自分自身が楽しむときは腹の底から楽しみ、悲しむときは勢いよく悲しんで
翌日にはさっぱりするタイプの人間であるのも起因していると思う。
普段なら腹の底から笑いが止まらないほど楽しい時間をすごしている。
なのに・・・・・
・・・おもしろくない。
これほどまでにおもしろくない気分を味わうのは久々の感覚で
何ともおもしろくない気分を十二分に味わっていた。
触り心地の良いカウチにだらしなく肩肘を預け頬杖をついてぼんやりしている。
良い色に馴染んださわさわしたベルベットの感触が手の平に触れるがそれすらもなんだか今は煩わしい。
気ぜわしく足を組み替えたり紅茶のカップをかちゃかちゃといじってみたりする。
そうそう、この際何でこんな気分になるのかは自分でも何となくわかっているのだけれども
ここは敢えてそのことは考えない事にする。
楽しくないことを考えるのはきっと体にも頭にもよくない。
楽しいことを考えよう。
自分の今の状況を払拭できるような打開策もしくはこの気持ちの改善策だ。
目を瞑り考え出すと知らずに眉間に皺が寄ってしまう。
・・・・・・・・・。
そもそもどうして私はこんなに不満な気持ちになったのか?
ちらりと目を開けると楽しそうに笑いながら花束を作る少女と
その傍ら、正確には自分がいるべきスポットになぜか、どうしてこうなったのか
不器用な笑みを浮かべる髭面にピンクのマントを羽織った長身の男…
「あ、これだ」
なぁ~んだそうだったんだ、考えてみれば簡単なことだった。
揺れる暗雲を太陽の光が白い剣となって切り裂くように、
さっと視界が開けてなんだか頭がクリアになった。
絡まった糸が解けてしまえば後は簡単だ。
自分が好きなように、思うように、気の済むように結び直せばいい。
ぐぃと勢いよく手触りの良いカウチから身を起こすと
子供のように駆けていった、愛しい少女の元へ。
花びらを舞い散らしながらダダダッと少女の元へ駆けてくるや否や
そのスピードを落とさないまま走りより、不意を突かれた魔王を勢いよく肘で突き飛ばし花の海へ沈めると、
セルバンテスは満足げににっこりとした笑顔のままサニーの傍らに座って言った。
「ねぇねぇ、私にも花の冠を作ってくれないかな?」
花の海に沈んで全身花びらと花粉まみれになりながらセルバンテスを見る目が半眼の魔王がむくりと起き上がる。
「いったいなんだ、不機嫌そうにしていたかと思ったら見境無くはしゃぎだしたり・・・」
少女を奪われたせいで、手持ちぶさたの両腕を組みしかめっ面でもっともな不満を述べる。
「君の意見はいつも正論だと思うよ。」
でも何でせっかくの休日にサニーちゃんを誘ったら君まで付いてくるのかがわからない。
今日家の扉を開けた時の私の絶望感と言ったら!
魔王ににらまれても動じないセルバンテスは心の中でそうつぶやいた。
サニーの花輪の作成を手伝う彼の表情は先程と打って変わって朗らかで
いささか恐ろしい表現ではあるが今にも歌でも歌いそうなくらいだ。
「そんなことはどうでも良いんだよ。私はサニーちゃんと遊びたいだけなんだから。」
「君には用はないの」
わけがわからん等とブツブツ言いながら魔王は手早く花びらを取り払うと
不機嫌そのものの顔でテラスの奥に引っ込んでいった。
サニーちゃんは面倒見の良い「後見人」が不機嫌そうにテラスを出て行ったことで
不安そうに私の顔とピンクのマントの背中を交互に見ていたけれど。
少しの我慢もできない大人げない大人でごめんねサニーちゃん
でも、これだけは、いつか君にわかってもらえると良いなぁ。
どれだけ私が君のことを思っているのか。
一緒に暮らしているわけでもない私と君の少ない逢瀬を
私がどれくらい、どれくらい楽しみにしているのか。
そして、この気持ちを解ってくれるのはいつの日になるだろうか
私の廃れた心に巡る紅い炎の様なこの…
ぶっきらぼうで照れ屋な愛すべき盟友の
その美しい妻の間に女の子が生まれたと聞いたのは
図らずもGR計画も軌道に乗り始め、春の日差しがふんわりと温かな風を運んでくる
そんな、私にとってはなんとも絵に描いたように麗らかな午後だった。
その知らせを受けたときの事は今でも良く覚えている。
盟友殿とはかなりの古い仲になるが
女性関係において面と向かってちゃんと紹介されたのは後に妻になった彼女だけで
その名を聞いたとき中東育ちの私の耳にはなんとも聴き馴染みの無い音だったが
はじめて対峙した時、まず彼女のとても整った容貌に細身の身体、
ただそこに在るだけで花が綻ぶ様な風雅さを兼ね備えたその存在自体に興味を引かれた。
次に意志の強そうな目。
白い肌に黒曜石のように煌めく髪がなんとも女らしく、なよやかであるのに
ちっとも女らしい弱々しさを感じないのは、おそらく彼女の黒い瞳に強固な意志の力と、
なんとも言えない抜け目のなさというか思慮深さを感じたからに他ならないだろう。
「どうぞよろしく」
「お初にお目にかかりますお噂はかねがね…」
どちらからとも無く所見の挨拶を交わし
どちらからとも無く握手を交わすために手を差し伸べた
私は彼女の手を取り握手をして
外見どおり彼女の手は小さくて白く、その指は細い。
低めの体温がなんとも手に心地よかった
「貴女の手にキスをしても?」
彼女は品良く小声で笑ってから
「ええ、かまいませんよ」
と私に手を差し出し
本人の承諾を得たので、その後ろで盟友があまり良い顔はしていないようだったが
あえて無視して口付けた。
この瞬間、突如私は彼女を手に入れた盟友の事がとても羨ましくなったのを覚えている。
たった女一人の事で長年付き合ってきた盟友と争ったりするほど私は無粋な人間ではないけれど
このとき確実に私はひと目で彼女に恋をしていたのだろう。
私が先に彼女に出会っていればという言葉が一瞬脳裏を掠めた事は言うべくもない。
いくら私が他の人間より多少惚れっぽいからといってそうそう一目ぼれという
体験をしたためしがないが、これは確実に出会った瞬間に好意を持てた女性であった。
見目が良い女だけなら飽きるほど出会ったが単に美しいだけの女ではなかったのだ盟友の妻は。
それから彼らは結婚し、春に子も出来たと言う。
そのとき彼らに対して心の底からおめでとうと思える自分に少しほっとしたが
同時にあの美しい女性がもう母かという感慨深さもあった。
さておき、我が盟友殿に子が出来たからには
それは念を入れてプレゼントを選ばねばならないだろう。
私は子供が大好きなのだが私には子がない。
だがその分、その子にありとあらゆる贈り物を用意してやろうと思い
選定して気に入りそうな品物を買い求めて。
産後の調子は順調と言う便りを聞きつけしばらく経ってから挨拶にいった。
なんと懐かしい思い出だろう。
ほんの十数年前の事なのに、前世の記憶のようにひどく懐かしい。
ふと、紅茶の香りで目が覚めた。
いつの間にか長椅子に上半身だけ身体を寝せただらしない状態で肘を突いてうたた寝していたのだ。
のそりと身を起こすとテーブルに入れたばかりの紅茶があり
その向こうにティーポットからもう一つの器に紅茶を注ぐ少女が座って居て
私が起き上がると驚くでもなく静かに声を掛けた。
「お目覚めになりましたか?」
「うん、良い匂いだねぇ。」
「こんなところで寝ては風邪を引いてしまいますわ。」
ソーサーの部分を掴んだ白い指が私に紅茶を差し出すのでお礼を言いながらそれを受け取る。
一口含むとなんとも言えず良い香りが口の中に広がって良い気分だった。
「美味しい。そういえば君のお母さんもお茶を入れるのが上手かったなぁ」
「わたしは母に入れ方を教わりましたから」
そう言と小さく微笑んだ生まれた時から知っている目の前の少女は、
知らない間にいろんなことを教わって成長している。
なるほど。
生まれたときには赤ん坊だった彼女も今や『少女』で
もう少しすれば『女性』になってしまうのだろう。
ソーサーからカップを持ち上げる仕草がなんとも上品で様になっている。
カーテンから漏れる午後の日の光が茶器を照らしたその風景はまるで絵の様な繊細さだ。
私は思わず少女のソーサーに添えられた形の良い指ををそっと手に取ると
彼女の指は小さくて白く、少し低めの体温が触れたところから心地よくて
なんとも言えないデジャヴュを覚えた。
「…もう少し…」
不意に
「え?」
「もう少し大人になったら私のところにお嫁においで。」
不意に思いが先走って口を付いて出た。
「…」
「大事にしてあげるよ」
「叔父さま…そんなことを言っていただいてはわたしが父にしかられてしまいます。」
私の手を振りほどくような事はせず、少し困ったように笑っていた。
こうしてみるとどう考えても今の私より彼女のほうが大人びているようだ。
彼女の複雑な生い立ちがそうさせたのか元々がこういう気質なのかはわからないが、
同年代の少女達と比べると明らかに物静かで、とても落ち着いている。
何より邪気が無く、なんとも安心できる。
「あの親父殿は私が説得しよう、そしたら考えてくれるかね?」
「それは…考えておきますわ。」
今度はクスクスと笑ってくれた。
人形のように完璧に美しい彼女の母親とは打って変わった
鈴の鳴るようなかわいらしい声と仕草で。
彼女は彼女の母親とは決定的にどこか違う。
でも、だからこそこんなにも愛しく、
だからこそ一生涯を掛けてでも彼女の側に居たいと思った。
「では誓いの印に…手にキスをしても?」
彼女は小さく小声で笑ってから
「ええ、かまいませんよ」
言葉はあの時とまるきり一緒だったが
口付ける手はあの時の小さい手よりもっと小さく
女性と言うには無邪気な彼女と私のあまりにも稚拙な誓いではあったが
この穏やかな感情から生まれる愛情もある。
今はまだ小さな手の指先に口付けるだけで
私にとっては充分であるのでそれで満足
…と言う事にしておこう。
私たちのこれからのことを考えると
我知らず口元が緩んだ。
その美しい妻の間に女の子が生まれたと聞いたのは
図らずもGR計画も軌道に乗り始め、春の日差しがふんわりと温かな風を運んでくる
そんな、私にとってはなんとも絵に描いたように麗らかな午後だった。
その知らせを受けたときの事は今でも良く覚えている。
盟友殿とはかなりの古い仲になるが
女性関係において面と向かってちゃんと紹介されたのは後に妻になった彼女だけで
その名を聞いたとき中東育ちの私の耳にはなんとも聴き馴染みの無い音だったが
はじめて対峙した時、まず彼女のとても整った容貌に細身の身体、
ただそこに在るだけで花が綻ぶ様な風雅さを兼ね備えたその存在自体に興味を引かれた。
次に意志の強そうな目。
白い肌に黒曜石のように煌めく髪がなんとも女らしく、なよやかであるのに
ちっとも女らしい弱々しさを感じないのは、おそらく彼女の黒い瞳に強固な意志の力と、
なんとも言えない抜け目のなさというか思慮深さを感じたからに他ならないだろう。
「どうぞよろしく」
「お初にお目にかかりますお噂はかねがね…」
どちらからとも無く所見の挨拶を交わし
どちらからとも無く握手を交わすために手を差し伸べた
私は彼女の手を取り握手をして
外見どおり彼女の手は小さくて白く、その指は細い。
低めの体温がなんとも手に心地よかった
「貴女の手にキスをしても?」
彼女は品良く小声で笑ってから
「ええ、かまいませんよ」
と私に手を差し出し
本人の承諾を得たので、その後ろで盟友があまり良い顔はしていないようだったが
あえて無視して口付けた。
この瞬間、突如私は彼女を手に入れた盟友の事がとても羨ましくなったのを覚えている。
たった女一人の事で長年付き合ってきた盟友と争ったりするほど私は無粋な人間ではないけれど
このとき確実に私はひと目で彼女に恋をしていたのだろう。
私が先に彼女に出会っていればという言葉が一瞬脳裏を掠めた事は言うべくもない。
いくら私が他の人間より多少惚れっぽいからといってそうそう一目ぼれという
体験をしたためしがないが、これは確実に出会った瞬間に好意を持てた女性であった。
見目が良い女だけなら飽きるほど出会ったが単に美しいだけの女ではなかったのだ盟友の妻は。
それから彼らは結婚し、春に子も出来たと言う。
そのとき彼らに対して心の底からおめでとうと思える自分に少しほっとしたが
同時にあの美しい女性がもう母かという感慨深さもあった。
さておき、我が盟友殿に子が出来たからには
それは念を入れてプレゼントを選ばねばならないだろう。
私は子供が大好きなのだが私には子がない。
だがその分、その子にありとあらゆる贈り物を用意してやろうと思い
選定して気に入りそうな品物を買い求めて。
産後の調子は順調と言う便りを聞きつけしばらく経ってから挨拶にいった。
なんと懐かしい思い出だろう。
ほんの十数年前の事なのに、前世の記憶のようにひどく懐かしい。
ふと、紅茶の香りで目が覚めた。
いつの間にか長椅子に上半身だけ身体を寝せただらしない状態で肘を突いてうたた寝していたのだ。
のそりと身を起こすとテーブルに入れたばかりの紅茶があり
その向こうにティーポットからもう一つの器に紅茶を注ぐ少女が座って居て
私が起き上がると驚くでもなく静かに声を掛けた。
「お目覚めになりましたか?」
「うん、良い匂いだねぇ。」
「こんなところで寝ては風邪を引いてしまいますわ。」
ソーサーの部分を掴んだ白い指が私に紅茶を差し出すのでお礼を言いながらそれを受け取る。
一口含むとなんとも言えず良い香りが口の中に広がって良い気分だった。
「美味しい。そういえば君のお母さんもお茶を入れるのが上手かったなぁ」
「わたしは母に入れ方を教わりましたから」
そう言と小さく微笑んだ生まれた時から知っている目の前の少女は、
知らない間にいろんなことを教わって成長している。
なるほど。
生まれたときには赤ん坊だった彼女も今や『少女』で
もう少しすれば『女性』になってしまうのだろう。
ソーサーからカップを持ち上げる仕草がなんとも上品で様になっている。
カーテンから漏れる午後の日の光が茶器を照らしたその風景はまるで絵の様な繊細さだ。
私は思わず少女のソーサーに添えられた形の良い指ををそっと手に取ると
彼女の指は小さくて白く、少し低めの体温が触れたところから心地よくて
なんとも言えないデジャヴュを覚えた。
「…もう少し…」
不意に
「え?」
「もう少し大人になったら私のところにお嫁においで。」
不意に思いが先走って口を付いて出た。
「…」
「大事にしてあげるよ」
「叔父さま…そんなことを言っていただいてはわたしが父にしかられてしまいます。」
私の手を振りほどくような事はせず、少し困ったように笑っていた。
こうしてみるとどう考えても今の私より彼女のほうが大人びているようだ。
彼女の複雑な生い立ちがそうさせたのか元々がこういう気質なのかはわからないが、
同年代の少女達と比べると明らかに物静かで、とても落ち着いている。
何より邪気が無く、なんとも安心できる。
「あの親父殿は私が説得しよう、そしたら考えてくれるかね?」
「それは…考えておきますわ。」
今度はクスクスと笑ってくれた。
人形のように完璧に美しい彼女の母親とは打って変わった
鈴の鳴るようなかわいらしい声と仕草で。
彼女は彼女の母親とは決定的にどこか違う。
でも、だからこそこんなにも愛しく、
だからこそ一生涯を掛けてでも彼女の側に居たいと思った。
「では誓いの印に…手にキスをしても?」
彼女は小さく小声で笑ってから
「ええ、かまいませんよ」
言葉はあの時とまるきり一緒だったが
口付ける手はあの時の小さい手よりもっと小さく
女性と言うには無邪気な彼女と私のあまりにも稚拙な誓いではあったが
この穏やかな感情から生まれる愛情もある。
今はまだ小さな手の指先に口付けるだけで
私にとっては充分であるのでそれで満足
…と言う事にしておこう。
私たちのこれからのことを考えると
我知らず口元が緩んだ。