嵐の夜に
冬が近づき秋が終わる頃。
しかしその夜は冷え込み、身を刺すような寒さだった。
そして嵐のような雨が突如降りだした。
来訪者は私の屋敷に突然やって来た。
一人、白い息を吐き、肩にかけた黒く長いコートをぐっしょりと濡らして。
私は意外な相手とその姿に驚いたがとりあえず私の書斎に招き入れた。
まずその頭と身体を拭けと言ってタオルを手渡そうとした。
しかしそれよりも先に濡れたコートの中から固まりを取り出し私に言う。
「私の娘だ、預かって欲しい」
その固まりはまだ乳飲み子、自分の指を吸ったまま来訪者と同じ赤い瞳を私に向けた。
私には妻もいなければ子はいない。
おそらく一生独りでありつづけ、我が血を分けた子をもうけることも己の手に抱く事も無いだろう。自分だけではない、私が知っている者のほとんどがそうだ。
堕ちた人間が行き着く先のその先の先であるこの組織に身を置きボスであるビッグ・ファイアに忠誠と命を捧げ、世に不条理を問い我が手で血の鉄槌を下す。そう、ボスのご意志であれば迷う事無くあらゆる命を刈り取る者がましてや子どもなど。考えもつかない。
だいたい子を為すというのは親が子に何かを託したり遺したりすることと同じではないのだろうか。我々には託す勇気も遺す権利も無ければ、その『何か』すら無いではないか。
それはこの男とて同じ、誰よりも本人がよく知っているはず。
戦いに嬉々として身を投じて天災のような力を振るい、自身を誇示する男だ。
ボスにはやはり絶対の忠誠を誓ってはいるが自分に生きて自分に死ぬ、私からすればうらやむほどに勝手な男だからだ。
とは言え自分も一度世俗を捨てた身であるにも関わらず、ここにいる。
そう思えば勝手な男であるには変わりは無いのかもしれないが。
しかし現実私の目の前でこの男は自分の娘だといって乳飲み子を抱えている。
考えても仕方が無い事だが正直この男に妻がいて子がいたのは驚きだ。
少なくとも自分の中でのイメージからは随分とかけ離れている。
そしてその男は妻が死んで我が子を私に預けると言う。
この近くは無いが遠くも無い自分に。
「なぜ私に預ける、お主の子だろう」
この当然な私の問いに答えてはくれなかった。
ただ一言。
「頼む」
人にものを頼むような男ではないからこの一言だけでその意味する深さは知れる。
この男は自分でも子どもを慈しめる人間でもなければ育むこともできないとわかっているのだろうか。しかしだからこそ何故妻がいて、子がいる。
勝手な男の産物をこの勝手な男に預けるのか。
勝手極まりない。だが勝手極まりないはずなのに子どもをどこかに捨て去るか消しはしなかった。世の中にはそんなことは日常的にありふれているのにこの男はそれをしなかった。
何も言えないでいる私に男が差し出されたそれは余りにも小さい身体と小さい命。
手にした事の無い、一生手にする事の無いはずのそれを、私は手にした。
男の沈黙と、自分の戸惑いと、子どもの体温。
どうすることもできないでいる私に、その子は笑ってくれた。
私は・・・
それが何なのかはわからない。
単純にこの子を愛しみたい気持ちなのか、それとも自分で知らず求めていたものを手にしたからなのか、ただの衝動だったのか、何なのかはわからない。
わからないが預かろうと思った。
ただ
「預かる」と口にして答えるのに躊躇った。
もちろんこの男の子ども、他人の子どもということもある。それなりの覚悟も必要だ。
しかしそれ以上に躊躇わせたのは手にあるこの子が、私にはとても大切にコートにしまわれていたように思えたからだ。
「おじ様?どうなされたのですか?」
サニーは先ほどから椅子に座った樊瑞がコーヒーのカップを両手に持ったまま、飲もうともせず固まったように黒い液体を眺めているのをいぶかしんだ。
自分の問いにも反応しない樊瑞をサニーは覗き込む。樊瑞もそこでようやく気づいたらしく視線を合わせてきた。そして少し遠くを見るような目でサニーを見つめる。
「サニー・・・・・寒くは無いか?濡れてはないか?」
「・・・え?」
今日は良く晴れている、部屋に漏れる柔らかく温かい日差しは春のそれだった。
午後のお茶が終われば中庭へ出て散歩をしたくなる、そんな陽気。
自分は寒くも無ければ、濡れてもいない。
サニーは問いの意味がわからない。
しかし樊瑞は真っ直ぐと自分を見つめてその答えを待っている。
「はい」
意味はわからなかったがサニーもまっすぐ樊瑞の目を見て答えた。
「そうか、それならいいんだ・・・」
「おじ様?」
樊瑞は両手にあったコーヒーカップをテーブルに置いてサニーをマントで包むようにゆるく抱きしめた。コーヒーの香りと懐かしさを感じる香りにサニーは安心する。
「預かる」と口にして答えるのに躊躇った。
もちろんこの男の子ども、他人の子どもということもある。それなりの覚悟も必要だ。
しかしそれ以上に躊躇わせたのは手にあるこの子が、私にはとても大切にコートにしまわれていたように思えたからだ。
あれだけ身を刺すような寒さであったにも関わらず、ずぶ濡れになるほどの雨だったにも関わらず、男から受け取ったサニーは、とても温かく一つも濡れてはいなかった。
それが何を証明するか、同じく勝手な男でもある自分でも、わかる。
ならば私も凍えさせるわけにも、濡らすわけにもいかない。
私は「預かる」とハッキリ男に言った。
そしてこの子と一緒にその証明を受け取った。
「それなら、いいんだ・・・・」
ならば私も凍えさせるわけにも、濡らすわけにもいかない。
それが身体を凍てつかせる寒さでなくとも、身に叩きつける雨でなくとも。
END
冬が近づき秋が終わる頃。
しかしその夜は冷え込み、身を刺すような寒さだった。
そして嵐のような雨が突如降りだした。
来訪者は私の屋敷に突然やって来た。
一人、白い息を吐き、肩にかけた黒く長いコートをぐっしょりと濡らして。
私は意外な相手とその姿に驚いたがとりあえず私の書斎に招き入れた。
まずその頭と身体を拭けと言ってタオルを手渡そうとした。
しかしそれよりも先に濡れたコートの中から固まりを取り出し私に言う。
「私の娘だ、預かって欲しい」
その固まりはまだ乳飲み子、自分の指を吸ったまま来訪者と同じ赤い瞳を私に向けた。
私には妻もいなければ子はいない。
おそらく一生独りでありつづけ、我が血を分けた子をもうけることも己の手に抱く事も無いだろう。自分だけではない、私が知っている者のほとんどがそうだ。
堕ちた人間が行き着く先のその先の先であるこの組織に身を置きボスであるビッグ・ファイアに忠誠と命を捧げ、世に不条理を問い我が手で血の鉄槌を下す。そう、ボスのご意志であれば迷う事無くあらゆる命を刈り取る者がましてや子どもなど。考えもつかない。
だいたい子を為すというのは親が子に何かを託したり遺したりすることと同じではないのだろうか。我々には託す勇気も遺す権利も無ければ、その『何か』すら無いではないか。
それはこの男とて同じ、誰よりも本人がよく知っているはず。
戦いに嬉々として身を投じて天災のような力を振るい、自身を誇示する男だ。
ボスにはやはり絶対の忠誠を誓ってはいるが自分に生きて自分に死ぬ、私からすればうらやむほどに勝手な男だからだ。
とは言え自分も一度世俗を捨てた身であるにも関わらず、ここにいる。
そう思えば勝手な男であるには変わりは無いのかもしれないが。
しかし現実私の目の前でこの男は自分の娘だといって乳飲み子を抱えている。
考えても仕方が無い事だが正直この男に妻がいて子がいたのは驚きだ。
少なくとも自分の中でのイメージからは随分とかけ離れている。
そしてその男は妻が死んで我が子を私に預けると言う。
この近くは無いが遠くも無い自分に。
「なぜ私に預ける、お主の子だろう」
この当然な私の問いに答えてはくれなかった。
ただ一言。
「頼む」
人にものを頼むような男ではないからこの一言だけでその意味する深さは知れる。
この男は自分でも子どもを慈しめる人間でもなければ育むこともできないとわかっているのだろうか。しかしだからこそ何故妻がいて、子がいる。
勝手な男の産物をこの勝手な男に預けるのか。
勝手極まりない。だが勝手極まりないはずなのに子どもをどこかに捨て去るか消しはしなかった。世の中にはそんなことは日常的にありふれているのにこの男はそれをしなかった。
何も言えないでいる私に男が差し出されたそれは余りにも小さい身体と小さい命。
手にした事の無い、一生手にする事の無いはずのそれを、私は手にした。
男の沈黙と、自分の戸惑いと、子どもの体温。
どうすることもできないでいる私に、その子は笑ってくれた。
私は・・・
それが何なのかはわからない。
単純にこの子を愛しみたい気持ちなのか、それとも自分で知らず求めていたものを手にしたからなのか、ただの衝動だったのか、何なのかはわからない。
わからないが預かろうと思った。
ただ
「預かる」と口にして答えるのに躊躇った。
もちろんこの男の子ども、他人の子どもということもある。それなりの覚悟も必要だ。
しかしそれ以上に躊躇わせたのは手にあるこの子が、私にはとても大切にコートにしまわれていたように思えたからだ。
「おじ様?どうなされたのですか?」
サニーは先ほどから椅子に座った樊瑞がコーヒーのカップを両手に持ったまま、飲もうともせず固まったように黒い液体を眺めているのをいぶかしんだ。
自分の問いにも反応しない樊瑞をサニーは覗き込む。樊瑞もそこでようやく気づいたらしく視線を合わせてきた。そして少し遠くを見るような目でサニーを見つめる。
「サニー・・・・・寒くは無いか?濡れてはないか?」
「・・・え?」
今日は良く晴れている、部屋に漏れる柔らかく温かい日差しは春のそれだった。
午後のお茶が終われば中庭へ出て散歩をしたくなる、そんな陽気。
自分は寒くも無ければ、濡れてもいない。
サニーは問いの意味がわからない。
しかし樊瑞は真っ直ぐと自分を見つめてその答えを待っている。
「はい」
意味はわからなかったがサニーもまっすぐ樊瑞の目を見て答えた。
「そうか、それならいいんだ・・・」
「おじ様?」
樊瑞は両手にあったコーヒーカップをテーブルに置いてサニーをマントで包むようにゆるく抱きしめた。コーヒーの香りと懐かしさを感じる香りにサニーは安心する。
「預かる」と口にして答えるのに躊躇った。
もちろんこの男の子ども、他人の子どもということもある。それなりの覚悟も必要だ。
しかしそれ以上に躊躇わせたのは手にあるこの子が、私にはとても大切にコートにしまわれていたように思えたからだ。
あれだけ身を刺すような寒さであったにも関わらず、ずぶ濡れになるほどの雨だったにも関わらず、男から受け取ったサニーは、とても温かく一つも濡れてはいなかった。
それが何を証明するか、同じく勝手な男でもある自分でも、わかる。
ならば私も凍えさせるわけにも、濡らすわけにもいかない。
私は「預かる」とハッキリ男に言った。
そしてこの子と一緒にその証明を受け取った。
「それなら、いいんだ・・・・」
ならば私も凍えさせるわけにも、濡らすわけにもいかない。
それが身体を凍てつかせる寒さでなくとも、身に叩きつける雨でなくとも。
END
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