『地平線の向こうへ』<4>
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「…パンチドランカーかい、あれは」
「言い得て妙だよ、ママ」
彼らが店に顔を見せるや否や、
「ある程度の纏まった睡眠をとるまで、此処から出るな」
と、モンタナを彼がいつも使っている部屋へ放り込んできたアガサは、階下に居た息子を見、小さく肩をすくめて見せる。それにアルフレッドも困ったように息を吐いた。
「ケティに乗ってたときからああでさ。ぼーっとしてるし、口を開けばイラついたような発言か生返事。…言っちゃ悪いけど脳の神経が2・3本飛んだ感じだね」
「全くだらしないねえ」
言って、アガサは息をつく。アルフレッドは苦笑しながら手近な椅子へと腰を下ろした。
そして、あることを思い出す。飛行機の中でも気になっていたこと。
「…そういえばさ、メリッサ来てない?」
「え?」
「いや、ほら、最近顔見てないから…」
何の脈絡も無く聞いたのはまずったか、と思い、アルフレッドは慌てて手を振り――
「いいや、そうじゃないよ。…おまえも気付いてたんだと思ってねぇ」
「ママ?」
「あんた達より伊達に長生きはしてないよ――彼女が原因だろう、あの腑抜けの」
「…ママ」
ぽかん、としている息子に向かい、彼女は苦笑を投げかけた。
「なによりまあ…判りやすいしねえ。わが甥っ子ながら」
「…ねえ、ママどうしたら良いかな」
あんなの、見ていられないよ。
アルフレッドは、言って母親を見る。しかし彼女は静かに首を横にふった。
「ほっとくしかないね」
「ママ、そんな!!」
「惚れた腫れたってのは本人同士しかどうにも出来ないものさ。おまえにゃまだ判らないのかもしれないけれどね」
「…でも、あれは酷すぎるよ」
「仕方ないさ。…諦めるしかないんだから」
「え!」
「……世の中にはどんなに思いあってても、添い遂げられない人種が居るんだよ」
アガサはそう言って、目を伏せた。
「全く…あの子私に似てるところはこれっぱかしも無いと思ってたのに…損な子だよ」
「…ママ」
「…湿っぽくなったね。…ほら、手を洗っておいで!スパゲティを茹でるよ!」
そして彼女はアルフレッドの肩を叩き、そのまま厨房へと入っていった。彼はそれを見送り、なんともいえない顔で頭をかく。
――と。
からんからん。
「はい?」
「あー、夕刊です」
「ああ、ありがとう」
店のドアを開けた新聞配達の男から夕刊を受け取る。
彼の店が取っているのは「ボストン紙」。彼は第一面、社会面へと目を移す。次に、メリッサの書いているコラムを探し、紙面をめくり――
「…――ええっ!?」
その途中、社交欄が目に入り、彼は目を丸くした。
「ママ!!ママッ!!」
「どうしたんだい?一体」
「これだよ!」
スパゲティを茹でている母親の元に、アルは慌てて走り寄る。そして、たった今受け取ったばかりの新聞の一角を指し示した。
「…まあ」
「どどどどうしよう!!」
しかし、アガサも一瞬は驚いたものの、すぐにやれやれといった様子で頭を押さえた。
「…だから言ったろう?ほっとくしかないって」
「だだけど…僕、ちょっとボストン紙へ行ってくる!!」
「あ、お待ち、アルフレッド!!」
アガサが止める間もあらばこそ。アルフレッドはそのまま新聞を店のテーブルの上へ放り捨て、外へ飛び出して行ってしまった。
その背中が扉の向こうに消えた後、アガサはふう、と息をつく。
「…全く」
アルフレッドが行った所でどうにもならないのにねぇ。
呟き、アガサは手に持っていたトングでとんとん、と肩を叩く。
――しかし、彼女もスパゲティをやや茹ですぎてしまったところから見ると、動揺していたに違いないのだが。
「メリッサッ!!」
「あら、アルフレッド。久しぶり」
久々に、面白い考古学上の発見でも持ってきてくれたの?
そう言って、メリッサ・ソーン嬢は突然職場を訪ねて来た友人にも、にっこり笑って応対した。
しかし、黙ってアルフレッドはバン、と目の前のデスクに新聞をたたきつける。それにさしもの彼女も目を丸くした。
「ち、ちょっとアルフレッド、なにがあったの?」
「これ、本当かい?」
言って、彼は新聞の社交覧を指差す。
――サー・ヘンリー、ミス・ソーンと婚約。
そこにはそう、はっきりと書いてある。
それに、彼女はああ、と合点がいった様に頷いた。
「ええ、本当よ」
耳が早いわね。お祝いでも、言いに来てくれた訳?
彼女はその新聞を彼の手から取り、丁寧に畳むと改めて彼に返す。
それに、アルフレッドは呆然とした顔で受け取った。
「だ、だけど」
「何?」
「…いや…」
言いよどむ彼。
勢いでここまで来たはいいが、これからどうすれば良いのか判らなくなってしまったのだ。
しかも、本当だとは心のどこかで信じていなかったので、余計に。
「まあ、正確には少し違うけれどね。…お付き合いをさせていただいてるわ」
「メリッサ」
「ヘンリーは良い人よ、優しいし、大人だし。今話題の青年実業家ってやつね。彼自身はタイトルホルダーではないけど、あちらの貴族の血も引いてるらしいわよ」
「メリッサ、その…」
「実はね、彼と会うまで私貴族の血を引いてる人って、ゼロ卿みたいに偏屈な人ばかりだと思ってたのよ。でも全然違ったわ!」
頭も良いし、話題は豊富だし。
くすくす、と楽しそうに笑いながら言う彼女に、アルフレッドは言うべき言葉が見つからず、ふう、と息をついた。
それに、彼女は小首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや…メリッサは、もう暫くそういうのは断ると思ってたよ」
「そんな事無いわよ。…女としては色々考える年だし」
「…」
――おめでとう、というべきなのだろう。
けれど、アルフレッドは、その言葉を言う気にはなれなかった。
別に、アルフレッドはメリッサのことを女として好きだから、そういう気になれないわけではない。
彼女が大変魅力的な女性ということは、アルフレッドも判っている。
というか、正直に言えば何度かはそういう意味で見とれたこともある。
けれどもっと強い引力で。もっと早いスピードで。
彼は目の前で彼女が別の男に惹かれてゆく様を見た。
…そして、その男もまた。
だからほのかな彼の思いは、自然と友情への昇華という方向へ向かった。
その相手が、彼も大好きな親友であるのも、その昇華を早める原因だった。
彼なら、彼女が惹かれるのも当然だろう。
…言わないけれど。自分は昔から、彼のようになりたかったのだ。
どんなときも自由で、いざという時は誰より頼りがいがあって。
子供のときからとろかった自分を叱咤し、手を引いてくれた。
飛行機と冒険には目が無いという悪癖はあるにせよ、それ以外はどんなことでも諦めない、強さを持っている。
だからこそ、幸せになってもらいたかったのだ。
大好きなふたりだから。
大好きだから、幸せな結末がみたかったのだ。
そうすることによって、――自分が幸せになれると思ったから。
それが自分のエゴだというのは、アルフレッドも判っている。
けれど。
「…メリッサ」
「何?」
「――モンタナは、今日店にいるよ」
言って、アルフレッドはメリッサを見た。
「――」
同時に、彼女は沈黙する。
それを見、アルフレッドはまた息を付いた。
「ここんところ、店に来てなかったろう?…仕事が終わったら、久々にきなよ」
待ってるから。
言って、彼はそのままデスクに新聞を置き、部屋を出て行く。
カチカチカチ。
部屋の壁に掛かった時計の秒針の音だけが、やけにはっきり聞こえた。
…彼女の終業まで、あと2時間半。
…眠れねえ。
口の中でそう呟き、彼はベッドから起き上がった。
叔母さんに自室に追いやられてから2時間。だが彼は、ちっとも睡眠を取る事ができなかった。
かわりに考えてしまうことの方が、より多くなって。
「…くそっ」
がしがし、と頭をかいて、部屋のドアを開ける。
すると、出てすぐの廊下で、チャダと鉢合わせをした。
「あれモンタナ、帰ってたんですか?」
「ああ、お前は何してるんだ?」
「さっきから夕刊をさがしてるんですが、見当たらないんですよ。…いつもならそろそろ来るのに、おかしいなあ」
「新聞屋の配達おくれてるんじゃないのか?」
「まったく…奥様が聞いたらまた雷おとしますよ…どうしましょう」
「なら俺がその辺の売店で買ってくるさ。【ボストン紙】の今日付けの夕刊だろ?」
「はい、じゃあお願いします」
言って、彼はすたすたと階下への階段を降り始める。
ケティの止まっている桟橋を横切った向こうの、近くの雑貨店。
あそこなら煙草等と一緒に新聞もおいてあるだろう。
「あ、それから叔母さんとアルフレッドには俺が出て行ったってことは内緒だぞ」
「え?」
「色々有るんだよ…まあ、散歩程度だから。20分もしないうちに帰ってくるさ」
「判りました、いってらっしゃい」
そういえば、この所の不規則な生活で、最近ロクに新聞というものを読んでいない。
買ったら自分も目を通しておこう。
思いながらチャダに見送られ、彼はこっそりと店を出て行った。
とにかく、モンタナを部屋から引きずり出して、メリッサとテーブルに着かせて。
店に帰ってきたアルフレッドは思って頷きながら、厨房へむかう。
お節介となんと言われようが、このままの状態でいるよりかは、百倍マシだ。
そうしたら、何かが変わるはずなのだ。…それがどう変わるかは、アルフレッドにはわからなかったが。
「アルフレッド」
「?どうしたんだい?チャダ」
すると、厨房に入ろうとしたとき、不意にチャダに声をかけられる。
なんだか落ち着かなく、きょろきょろしていた。
「なんだい、ギルト博士から指令でもあった??」
それならそれで、好都合だ。
疲れていそうなモンタナは心配だが、冒険とあれば無条件で付いてくるだろうし、メリッサも上手く言いくるめれば一緒にくるだろう。
いや、それが駄目でもアルフレッドが無理にでも引っ張っていく覚悟だ。
そうすれば、話し合う時間もついでに取れるだろうし、おたがい逃げられないだろうし。
いつもはあんまり嬉しくない指令も、今回ばかりは天の助けのように感じる。
思って、彼はチャダの方を見――
「いや、そうじゃないんです」
「じゃあなんだい??」
「…その…モンタナを、見てないかなあ、と」
「え??」
意外な彼の言葉に、アルフレッドは眼を丸くした。
「…モンタナは部屋で寝てるんじゃあ」
「いや、それが…さっきちょっとした買い物を頼んじゃいまして」
20分で戻ってくるっていったんですが、さっきからずっと帰ってこなくて。
気まずそうに言うチャダ。
それに、思わず彼はぽかん、とした顔になった。
「…何を頼んだんだい?」
「新聞です…夕刊が届いてないようでしたので」
「――――!!」
アルフレッドの顔から一気に血の気が引く。
まさか。
そんな。
瞬間、いつもの彼の足では考えられないほどのスピードで彼は走り出す。客が驚き、目を回すのもお構いなしだ。
店の中を突っ切り、一気に階段を上った。
「モンタナッ!!開けるよっ!!」
言うが早いか、彼は部屋のドアを開ける。
しかし、その中には誰も居なかった。
「…っ」
舌打ちし、窓に駆け寄る。
すると、窓の外の桟橋にはあるべきものが無かった。
――あの、オンボロ中古飛行機の姿は。
「…クソッ!!」
アルフレッドは普段絶対つかないような悪態をついて、窓枠を殴る。
…見てしまったのだ。彼は。――あの新聞記事を。
それは今度こそ、決定的で。
変えられない、絶対的なものとして、彼の中に刻まれて。
「モンタナの馬鹿…」
呟いて、アルフレッドは顔を押さえる。
しかし、この後に更に信じがたい事態が起こるなどとは。――アルフレッドはまだ、知る由もない。
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